「未来からの問い」特設HP / トピック1 持続可能な社会の実現に向けて

持続可能な社会の実現に向けて

宮崎恒二

宮崎恒二(東京外国語大学名誉教授)



多様性と包摂性のある社会へ-誰もが自分らしく生きられる未来への道筋

遠藤薫

遠藤薫(学習院大学法学部教授)

遠藤薫
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(概要)
 「多様性と包摂性のある社会―誰もが自分らしく生きられる未来への道筋」というテーマは、未来の人びとからの、「2050年の社会は、誰もが幸福で、その後もずっと持続可能な社会なのか?」という問いに答えようとするものです。
 2020年に入って、私たちの社会は大きな危機に直面しています。新型コロナウィルスが、全世界で爆発的に感染拡大しています。その背景には、現代世界のさまざまな状況が関わっています。多くの課題を背負った私たちの社会は2050年あるいは2100年私達の世界は持続しているでしょうか?
 しかも、最近の約150年を特徴付けてきた人口の急激な増大には、いま急ブレーキがかかろうとしています。人口増加は、労働力の増加、ひいては社会の生産性の拡大の基盤でもありました。これまで私たちの社会は、人口や生産力、効率性、資本、労働力、消費などすべて大きくなることが良いことと考えてきました。いわば、「拡大志向型社会」だったのです。この考え方からすると、人口減少は、それだけで大きな不安となります。
 しかし、拡大志向によって、わたしたちは十分な幸福を手に入れたでしょう?むしろ、「幸福」よりも「拡大」に気をとられてきたのではないでしょうか?30年後50年後に、誰一人取り残すことのない幸福な社会を持続可能にするためにはどうすればよいのでしょうか?
 ここでは三つのポイントを示します。第一に、社会が「正しく」あること。つまり、「社会正義」が実現されていること。第二に、自分とは異なる性、年齢、国籍、考え方などをもつ「他者」と共生する社会であること。いいかえれば、多様性を許容し、包摂する(包み込む)社会であること。第三に、豊かな文化を継承し、また創造する社会であることです。
 詳しいことは報告書を読んでいただきたいのですが、まずはプレゼンテーションをご覧下さい。



少子高齢化と向き合う

安村誠司

安村誠司(福島県立医科大学理事・副学長、医学部教授)

安村誠司
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(概要)
 世界では急激な人口増加、及び、65歳以上の年齢層が最速の拡大が課題です。一方、日本は世界でもっとも少子高齢化の進行が早い国です。日本では、高齢者の健康・福祉対策として、個人レベルでの健康づくりの総合的推進から、住民等を中心とした地域の支え合いの仕組み作りの促進など様々な対策が提言されています(内閣府 高齢社会白書)。また、少子化対策としては、子育て支援施策の一層の充実、結婚・出産の希望が実現できる環境の整備、男女の働き方改革の推進などの多面的な対策が提言されています(内閣府 少子化社会対策白書)。
 日本学術会議では、少子・子ども、高齢関係で、各3つの分科会が活動しています。これらの分科会等から、ここ30年間で少子・子供に関しては13の提言・報告等が、高齢関係では9つ発出されています。しかし、情報発信としては極めて乏しい状況です。学術(科学的エビデンス)を通じた政策立案への寄与、特に、高齢化という世界課題に対する積極的な貢献が求められます。



共生社会実現の課題

竹沢泰子

竹沢泰子(京都大学人文科学研究所教授)

竹沢泰子
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(概要)
 2019年12月末の統計によると、日本にいる外国籍保有者の数は、約293万人に上り、今後外国出身者の定住が一段と進むことが予想されます。多文化共生分科会では、2019年11月に、「外国人の子供の教育を受けるための権利と就学の保障」と題した、公立高校の入り口から出口までに特化した提言を提出しました。
 多文化共生社会の基盤づくりとして必要性がとくに指摘されているのが、日本語教育、災害時の対応、情報の多言語化、医療、教育、地域住民や社会全体の啓発などです。数が増えること=共生社会ではありません。外国ルーツの人びとをはじめ、多様な人材が、トップや中心、つまり意思決定のなかに入ることこそが、共生社会実現の最大の課題です。その実現のためには、積極的な是正措置をとる必要があるでしょう。多様性に富む共生社会が実現すれば、特定の人がもつ既得権益を揺るがすことが出来、それがより健全な社会を生み出すことに繋がるでしょう。



新しい科学技術と共生社会

山崎吾郎

山崎吾郎(大阪大学COデザインセンター准教授)

 共生社会の実現は、まったく新しい社会課題というわけではありません。たとえば共生という語は、少なくとも1960年代には用いられていますし、同じことは、少子高齢化、人口減少、環境破壊、気候変動といったテーマについてもいえます。こうした課題が存在すること、そしてこれらが近い将来深刻な社会課題となることを、私たちは半世紀以上前から知っていたはずです。
 そうだとしたら、私たちはただ課題の所在を理解するだけでなく、「課題がわかっているのに真剣に取り組んでこなかったのはなぜか」、もしくは「真剣に取り組んできたはずなのに解決に向かっていないのはなぜか」と、反省的に問い直してみる必要があるでしょう。
 たしかに、近年新たに登場した共生の問題もあります。たとえば「AIが人間に代わって仕事をする」とか「ドライバーのいない車が公道を走る」といった話題です。このとき問題となっているのは、異なる文化の人々や社会的弱者との共生ではなく、人工物や機械との共生です。ロボットの主体性や責任が問われるような場面(たとえば、ロボット兵器による殺人、自動運転車の事故など)を思い浮かべてみれば、人工物が行為者性(エージェンシー)をもつといった議論が、荒唐無稽な話でないとわかるでしょう。人間と人間以外の存在者との共生を考えることは、ますます重要な問いとなっているように思います。
 もちろんこうした問題にも、以前から指摘されてきた問題の問い直しという側面があります。新しい科学技術が社会に光と影の両面をもたらすことも、ロボットと生きる社会というSF的な想像力も、これまで繰り返し論じられてきました。そこに新しさがあるとすれば、それは、AIやロボットに代表される人工物が、かつてないほど私たちの生活にとって身近で直接的な存在として感じられるようになってきたということにあるのでしょう。
 未来の社会が、これまでと何もかも違っていると考える必要はないと思います。むしろ必要なのは、問われている課題が、私たち一人ひとりの生活や、社会の仕組みそのものに結びついていることを理解して、それを我が事としてとらえるということです。「未来からの問い」は、過去に問われた事柄に対して現在(過去からみた未来)の私たちがどこまで真剣に向き合っているか(向き合ってきたか)という反省的な態度をともなうことで、より現実的で強力なものとなるように思います。「社会の課題」や「未来の社会」は、抽象的な言葉や記号として存在しているのではなく、まさに目の前に存在しているからです。