提言「ケアサイエンスの基盤形成と未来社会の創造」のポイント

1 作成の背景

 ケアは、人類が生まれてから人の営みとして行われてきたものであり、他者の痛みや苦悩を自分のこととして受け止めつつ、他者に対する思慮や世話を行うことを意味する。ケアは英語のcareのカタカナ表記であり、育児や介護、看護などの多様な意味を持つ。健康・生活科学委員会は、ケアに関わる学術的な課題を現代社会の多様な問題と関連づけて論議してきた。特に、23期看護学分科会では、急速な少子高齢化によって起こり得る課題に対応すべく、ケアを家族間や専門職と対象者間で行われる「ケアする者-ケアされる者」といった1対1の関係性の中で完結させず、現代社会の多様なコミュニティで暮らす人々が互いを配慮する実践として広く捉えた。さらに、ケアに関する研究や実践が多くの学問分野で行われている現状を鑑み、これらに共通してみられる概念及び論理を「ケアサイエンス」として提唱し、2回のシンポジウムで他専門分野のシンポジストの話題提供を受けて議論した。ケアに「サイエンス」を付したのは、多様なケア研究を包括した新分野の必要性を検討したためである。この議論をもとに、『学術の動向』に「これからの社会におけるケアサイエンスの構築をめざして」を寄稿した。24期では、「少子高齢社会におけるケアサイエンス分科会」を新たに設置し、ケアサイエンスの理論的基盤と関連する社会活動について議論を重ねてきた。
 本提言では、多層的なケアのあり方を包括的に概観し、多学問分野及び市民、行政等が協働し、ケアを中心に据えて社会の課題に取り組む知の体系としての「ケアサイエンス」の創設を提案し、相互支援を基盤にもつコミュニティ(ケア共同社会)の構築の実現に向けた人材育成、研究の基盤形成、社会実践の方策を提唱する。

2 現状及び問題点

 現代社会においてケアへの関心は高まり、2000年代に入ると多くの学問分野で活発に議論され、研究数も飛躍的に増加した。その背景には、加速する少子高齢化の到来がある。高齢化に伴い、疾患の罹患者数、認知症者数などが増え、高齢による衰弱も相まって要介護者数は大幅に増加した。しかし、少子化や核家族化によって身近な者による世話には限界があり、高齢者虐待や介護離職などの問題も報告されている。これらの課題に対し、学術的には多角的な実態把握や課題の提案、相互支援を基盤にもつコミュニティの構築、産学連携によるケア製品の開発などが、それぞれの分野で進められている。政府は、ケアを社会における重大課題として認識し、地域包括ケアシステムという施策を打ち立て、実効性のあるビジョンや法により本システムの構築を進めているが、その構築と施策の評価は十分に現実に追いつけてはいない。他方で、医療や福祉などの現場ではケアが連綿と行われてきた。それらは、専門職の専門的実践をさす場合や市民が家族などに行う世話をさす場合があるが、いずれも少子高齢社会における人口減少とそれに関する社会的問題、さらには、生活を揺さぶる大規模災害や感染症のパンデミックなどの危機に対し、人的資源不足やコミュニティの衰退など、多くの課題に直面している。こうした状況は、単一学問領域での学術的取り組みの困難、専門家や家族のみでなくコミュニティにおける相互支援の必要性などを示す。その解決には、専門家や市民、行政、民間企業等の連携が不可欠であり、専門分野を超えた学際的かつ市民と共にある研究を推進する仕組みが求められる。

3 提言の内容

  • (1) ケアサイエンスの提唱
     ケアに関わる社会の共通課題に対応するために、多学問分野、市民、行政等が協働して取り組む新たな知の体系である「ケアサイエンス」を創設する。ケアサイエンスは、「人~モノ」「個別~集団」という二軸平面上に配置される学術的要素群と共通課題によって構成される。これらの学術活動を通して、人々の暮らしにケアサイエンスとその成果を根づかせることで構築される相互支援社会を、本提言ではケア共同社会と呼ぶ。それゆえ文部科学省研究振興局は、科学研究費補助事業の一区分にケアサイエンスという新分野名を位置づけるべきであり、厚生労働省には、専門分野が垣根を取り払って活動できる保健医療システムとなるよう、さらには医療福祉施策の方針にケア共同社会の構築を組み入れることを要請する。未来社会を見据えたグランドデザインについては、ケアサイエンスを基盤に置き、省庁の垣根を超え、市民も参加して検討し提案すべきである。
  • (2) ケアサイエンスを推進する人材育成
     ケアサイエンスは、関与する各学問領域の大学・研究機関の研究者のみならず、市民や利害関係者、産業界、政府の専門家などが協働し、課題の探究や解決のみならず、ケア共同社会の構築を目指す。そのため研究者においては、多分野との学際研究、産官学との共同研究、市民団体や住民との参加型研究ができる人材育成が必要である。共同する市民においては、初等、中等、高等教育にて一貫して、他者や社会への関心、相互支援としてのケアの態度と技術の養成が必要である。これらの人材育成のためには、文部科学省が中心となり、その必要性を提示し、教育プログラムの開発を推進すべきである。
  • (3) ケアサイエンスの基盤形成
     ケアサイエンスの実現に向けて継続して議論を行うためには、関連する学問分野が知の体系の共有と再編・更新を継続できる公的な学術連携組織を作るべきである。また、関連学問分野とアイディアや理論、技術等を共有し、ケア開発を戦略的に推進できる研究拠点やプラットフォームが必須である。研究拠点では、理論生成、方法論開発、ケアシステムの実用化・制度化までを見据えた産官学連携体制を強化することが不可欠である。これらの拠点は、人材育成の基盤にもなる。プラットフォームの構築のためには、財政、人的資源を確保し、情報を集約、解析するための学術資源を投資すべきである。
  • (4) 社会実装の方策
     多学問分野や市民と協働するために、研究者は、専門とする学問分野とケアサイエンスとを結びつけて、ケアに関わる多様な知識・技術を習得し、社会の課題に取り組むことが期待される。市民の中でも、ケアサイエンスに関わる社会活動等のリーダー役割を担う者は市民プロフェッショナルとなり、広く社会の人々と共同し、ケア共同社会の構築に向かうことが求められる。これらの人的資源を基盤とし、ケアサイエンスの学術活動で構築された知見を、産官学の協働のもと実社会に応用、展開することで社会実装を実現させる。



     提言全文はこちら(PDF形式:675KB)PDF
このページのトップへ

日本学術会議 Science Council of Japan

〒106-8555 東京都港区六本木7-22-34 電話番号 03-3403-3793(代表) © Science Council of Japan