報告「主権者教育の理論と実践」のポイント

1 報告作成の背景と目的

 1970年代には欧米諸国の選挙権年齢が18歳以上に引き下げられ、それが世界の趨勢になっていた。それにもかかわらず、日本では1945年以降選挙権年齢の下限はずっと20歳のままであった。ところが、2007年に成立した憲法改正のための国民投票法が投票権者を18歳以上としたことから、選挙権年齢引き下げを求める気運が急速に高まった。ついに2015年には、公職選挙法などが改正されて18歳選挙権が実現した。高校3年生も有権者の仲間入りを果たしたのである。それに伴い、高校での主権者教育の重要性が強調されることになった。
 当政治過程分科会では22期から投票率低下への対応策について検討を重ね、2014年8月には政治学委員会とともに「提言 各種選挙における投票率低下への対応策」を表出した。この問題意識から18歳・19歳有権者を考えるとき、当分科会としても主権者教育に関心が向かうのは自然な成り行きであった。18歳・19歳の有権者に投票につながるリテラシーを高めてほしいというのが、当分科会の率直な願いであった。啓発のための公開シンポジウムを開催し、高校や大学へ出向いて主権者教育授業を実施した。本報告はそれら活動を理論と実践に分けて整序・叙述して、主権者教育のあり方について議論に資することを目的としている。後述の政治学者クリックは、主権者教育が必要とされる理由として民主主義の政治を守ることを挙げている。投票率向上はその射程に位置付けられよう。

2 現状および問題点

 18歳有権者がはじめて国政選挙に臨んだのは2016年の参院選であった。これに先立ち主権者教育授業が多くの高校で実施された。この選挙での18歳有権者の投票率は約51%となり、20歳代のそれを上回った。ところが、2019年参院選における18歳の投票率は約35%へと落ち込んだ。2016年参院選での投票率が高かったのは「初物」だったためでしかなかったのか。主権者教育を振り返り、18歳・19歳の有権者を投票所にいざなうには何が求められるのかを理論と実践の両面から検討する必要があろう。

3 報告の骨子(1)~主権者教育の理論

 主権者教育のモデルとしてよく引かれるのは、イギリスでのシティズンシップ教育である。そして、その理論的支柱こそ1998年に公表されたいわゆる「クリック・レポート」である。労働党政権の諮問を受けて政治学者のバーナード・クリックが座長を務めてまとめた。公的事柄に関心をもちそれに積極的に関与すること、そのための政治的リテラシーを鍛えることなどが、民主主義を空洞化させないための教育目的として説かれている。
 こうした教育を受けた若者はどうすれば投票所に足を運ぶだろうか。政治学の知見によれば、有権者を投票へ促す大きな要因の一つは義務感である。とはいえ、日本でも投票は権利である。そこで行動経済学が提唱する「ナッジ」(肘で軽くつつく)というアイディアが参考になる。主権者教育においても義務感を「ナッジ」でくるむ意識は重要であろう。
 政治学の知見にさらに分け入ると、有権者の投票動機を説明するモデルとして2つが指摘できる。有権者は利益を最大化するために行動するという前提に立つモデルと、有権者の属性や政治意識、さらには置かれている政治環境などが投票に影響を与えると考えるモデルである。いずれのモデルからも教育現場での主権者教育の有効性が導き出される。18、19歳を対象とした調査によれば、家庭での政治的会話の有無が投票行動に大きく影響している。となれば、政治的会話を学校で行うことは、いずれの家庭を問わずに彼らに投票への動機づけを与えよう。

4 報告の骨子(2)~主権者教育の実践

 では実際の高校での主権者教育授業はどのように行われているのだろうか。実は講義形式の知識吸収型の学習が主流を占め、生徒たちとの対話的な体験型学習は少数にとどまっていた。後者はアクティブ・ラーニング型の少人数単位で行う授業のことである。この形式のほうが生徒たちの政治関心や投票意欲を高められるのではないか。それを検証するために、講義とアクティブ・ラーニング型学習を組み合わせた授業を行い、それぞれの終了時にアンケートをとった。すると、後者の方が投票意欲などで有意な効果が認められた。
 一方、学校現場からの要請もあってクラス単位で1校時50分という制約の中で、このアクティブ・ラーニング型の要素を取り込んだ授業を行った事例は次のとおりである。まず生徒たちに参加の実感をもたせるために、導入部分では選挙に関する2択クイズを出題して全員にそのどちらかに答えてもらった。その上で、実際に投票までどのような過程をたどるのかを講じていった。ここでも体験を重視して実際に使われている投票用紙を回して手に取らせ、教卓の上には投票箱の実物を載せるなどした。授業後のアンケートでは9割以上の生徒が選挙への関心が高まったと回答した。
 主権者教育授業を単位化している大学もある。そこでは前半5回で政策プランの立案を5~6人で構成されるグループごとに行い、その後に各グループのプレゼンテーション、投票による最優秀プラン選出へと至る。後半2回では、前半で行った政策課題の検討を代表者の選択へとつなげる意図で、直近の国政選挙を題材として比例代表区で政党に投票する模擬選挙を行う。翌週はその振り返りとして学生間で意見交換が行われる。受講者アンケートでは授業への満足度について、5段階評価で平均値が4を超えた。

5 報告の骨子(3)~主権者教育の効果

 以上は個別の主権者教育授業の事例紹介である。より横断的に主権者教育の効果を計測できないだろうか。そこで、公職選挙法改正時に高校生であり、主権者教育を受けた経験のある大学生を対象にアンケート調査を行った。4大学で実施し、回答数は563件(有効回答数523件)であった。その分析結果によれば、投票参加の規定要因として指摘できるのは、親からの投票呼びかけ、自分の1票は貴重だと考える政治的有効性感覚、さらには新聞への接触度合いであった。ただ、主権者教育によって親との政治的会話が増え、政治的有効性感覚を自覚し、新聞をよく読むようになることは十分に考えられる。その糸口となる「主体的・対話的で深い学び」を得られる主権者教育授業が求められる。



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