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代表派遣会議出席報告
1 名 称   第21回国際歴史学会議
        International Congress of Historical Sciences(英語でICHS、仏語でCISH)
2 会 期  2010年 8月22日~28日(7日間)
3 会議出席者名 木畑洋一(日本代表、国際歴史会議等分科会)、柴宜弘(同副委員長)、三谷 博ほか
4 会議開催地  アムステルダム(オランダ)
5 参加状況 (参加国数、参加者数、日本人参加者)  参加国54、参加者約1,500(うち日本人、約70)  
6 会議内容

  8月22日から28日にかけて、19世紀末から5年に1回開かれてきた研究集会の第21回会議が開かれ、大小120のシンポジウムが催された。総会では、次期理事会の選任や次期第22回の開催地を済南(中国)とすることなどが決定された。理事会では樺山紘一教授が副会長を勤めてこられたが、今回を以て退任された。

7 会議の模様

 シンポジウムのテーマは様々であったが、主催者が特集したテーマは「水と文明」、「帝国の衰亡」「文化としての都市」「宗教と権力」といったものであった。パネルの内で多数を占めたのは、提携団体である歴史理論・歴史教育・人口学・フランス革命・ヨーロッパ現代史・第二次大戦・ツーリズム・奴隷・海事・国際関係などに関する国際学会が用意したものであった。19世紀末の国際歴史学会議創設の時代から重視され、確立された分野から、ツーリズムや奴隷など最近の関心を代表するものまで広範囲にわたっていた。
 なかで目立ったのは、歴史の方法に関する研究・教育両面での反省的考察が盛んだったことである。それはまた、現代の問題の直接的起源を問う歴史批評と、過去の生活の解明を目指す歴史研究とが混在し、かつ乖離している現況も鮮明に示していた。   
 今回の会議では日本の関与の乏しさが印象的であった。理事会に日本人がいなくなり、代わりに韓国・中国から選任されたという組織面の後退だけでなく、各シンポジウムに参加して積極的にリーダーシップを取る日本人が稀だったことも懸念される。日本の歴史学、とくに日本・東アジア研究は内容的には世界の最高水準に比肩するレヴェルにある。しかし、その学者たちは英語やフランス語の運用能力を持たず、そうする必要を感じていない。筆者自身は、「公共性」をテーマにユルゲン・コッカ(前会長)やイルダ・サバト(現副会長)、プラセンジット・ドゥアラなど、錚々たる学者からなる比較史のラウンドテーブルを組織し、意義深い議論ができたとの評価を得たが、英語能力には限界があって、自分では到底満足できるレヴェルにゆかなかった。理事会は非欧米圏からの関与、そして非欧米研究の増強を期待しているが、それに応えうる体制を日本の学界は持っていない。30代、そして大学院時代から、若い世代にこのような場を目指す動機付けと経験の機会を設けねば、いずれこのアドヴァンティジを持つ分野でも、日本が沈んでゆくのは明かと思われる。  
 5年後の第22回国際歴史学会議は中国の済南で開催されることが決まった。これは欧米中心に開かれてきた偏りを是正しようとする方針を背景とした決定である。前回はオセアニアで開かれ、次回は東アジアとなったが、その後にはラテン・アメリカやアフリカが開催地候補に挙がるのではないかと思われる。ただし、公用語が英語とフランス語であることや、各パネルの内容、参加者の出身分布などに示されるように、実質的な偏りは現在も是正されていない。他方、中国での開催には、言論統制の国でどれほど意味ある研究集会ができるのか、かなりの懸念が表明された。総会は、他に立候補地がなかったため、やむを得ざる選択をしたようである。これは、しかし、中国での歴史研究や教育に、より自由な環境を開く機会となりうる可能性も秘めていると思われる。

次期開催予定 2015年8月


                       


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