医用生体工学研究機構(仮称)の設立について


「人間と工学研究連絡委員会医用生体工学専門委員会」
「医療技術開発学研究連絡委員会」


平成12 年5 月29 日
日本学術会議




 この報告書は,日本学術会議第5 部人間と工学研究連絡委員会医用生体工学専門委員会医用生体工学研究所設立準備小委員会の報告書を医用生体工学専門委員会が審議し,さらに第7 部医療技術開発学研究連絡委員会においても審議し,その結果をとりまとめて,医用生体工学専門委員会および医療技術開発学研究連絡委員会の報告書として発表するものである.

人間と工学研究連絡委員会医用生体工学専門委員会(第5 部)
委員長
 金 井 寛(上智大学理工学部教授)
幹 事
 跡 見 裕(杏林大学医学部外科教授)
幹 事
 上 野 照 剛(東京大学大学院医学系研究科教授)
幹 事
 佐 藤 俊 輔(大阪大学大学院基礎工学研究科教授)
委 員
 曾 我 直 弘(日本学術会議第5 部会員,滋賀県立大学工学部教授)
委 員
 井 街 宏(東京大学大学院医学系研究科教授)
委 員
 杉 下 靖 郎(簡易保険福祉事業団東京簡易保険総合健診センター所長,筑波大学名誉教授)
委 員
 土 肥 健 純(東京大学大学院新領域創成科学研究科教授)
委 員
 中 林 宣 男(東京医科歯科大学生体材料工学研究所教授)
委 員
 林 紘三郎(大阪大学大学院基礎工学研究科教授)

医療技術開発学研究連絡委員会(第7 部)
委員長
 鳥 塚 莞 爾((財)浜松市医療公社顧問,京都大学名誉教授)
幹 事
 佐々木 康 人(科学技術庁放射線医学総合研究所所長,東京大学名誉教授)
幹 事
 田 中 紘 一(京都大学医学部移植外科教授)
委 員
 神 谷 暸(日本大学本部グローバルビジネス研究所教授)
委 員
 田 中 博(東京医科歯科大学難治疾患研究所教授)
委 員
 東 田 善 治(九州大学医療技術短期大学部助教授)
委 員
 平 松 京 一(慶応義塾大学医学部放射線科教授)
委 員
 松 尾 裕 英(香川医科大学医学部第三内科教授)

人間と工学研究連絡委員会医用生体工学専門委員会
医用生体工学研究所設立準備小委員会(第5 部)
委員長
 梶 谷 文 彦(川崎医科大学医学部教授)
委 員
 跡 見 裕(杏林大学医学部外科教授)
委 員
 井 街 宏(東京大学大学院医学系研究科教授)
委 員
 上 野 照 剛(東京大学大学院医学系研究科教授)
委 員
 大 島 宣 雄(筑波大学大学院医学系研究科教授)委 員 金 井 寛(上智大学理工学部教授)
委 員
 神 谷 暸(日本大学本部グローバルビジネス研究所教授)
委 員
 佐 藤 俊 輔(大阪大学大学院基礎工学研究科教授)
委 員
 杉 下 靖 郎(簡易保険福祉事業団東京簡易保険総合健診センター所長,筑波大学名誉教授)
委 員
 曾 我 直 弘(日本学術会議第5 部会員,滋賀県立大学工学部教授)
委 員
 仁 田 新 一(東北大学加齢医学研究所教授)
委 員
 田 中 博(東京医科歯科大学難治疾患研究所教授)
委 員
 土 肥 健 純(東京大学大学院新領域創成科学研究科教授)
委 員
 中 林 宣 男(東京医科歯科大学生体材料工学研究所教授)
委 員
 林 紘三郎(大阪大学大学院基礎工学研究科教授)
委 員
 平 松 京 一(慶応義塾大学医学部放射線科教授)
委 員
 星 宮 望(東北大学大学院工学研究科教授)
委 員
 堀 正 二(大阪大学大学院医学研究科教授)
委 員
 山 田 明 夫(東京理科大学健康管理センター教授)


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目 次
【1 】緒 言

【2 】国内外の現状

【3 】日本における医用生体工学の発展の経過と現状

【4 】医用生体工学研究機構設立の必要性

【5 】医用生体工学研究機構設立の意義

【6 】医用生体工学研究機構の目的

【7 】医用生体工学研究機構の理念


【8 】医用生体工学研究機構の組織

【9 】医用生体工学研究機構における緊急プロジェクト

【10 】結 言




 人間と工学研究連絡委員会医用生体工学専門委員会および医療技術開発学研究連絡委員会は,医用生体工学研究機構(仮称)設置の必要性と緊急性に鑑み,今回この報告書を提出するものである.

【1 】 緒言

 医学は,様々な新薬の開発,また生化学,生理学や工学に支えられた検体,および生体検査法の進歩と各種医療材料・機器の開発により飛躍的な進歩をとげた.工学は単に医療機器の開発という技術的なことばかりでなく,生体計測,生体情報の処理や生体メカニクスの解析あるいは生体制御に関する理論的体系を提供することで医学・医療の発展に大きく貢献してきた.医用生体工学はこうした医学と工学の学際領域に位置する学問として20 世紀中頃に誕生した.現在では医用生体工学の成果である診断論理や医療材料・機器なしには近代医療は成り立たない.

 例えば,この分野で開発され実用化された超音波診断装置やX線,γ線,ポジトロン,磁気共鳴を利用した各種CT(Computer Tomography :コンピューター断層撮影)などの画像機器(X線CT ,SPECT ,PET ,MRI )によって,患者の体内の様子を患者に負担を与えることなく可視化できるようになり,生体の構造と機能の診断精度は著しく向上した.衝撃波結石破砕装置によって,これまで開腹手術によってしか治療が出来なかった腎臓などの結石を体外から非侵襲的に破砕除去できるようになり,患者の負担が少なくなっただけでなく医療経済にも大きく貢献した.また,現在では人工腎臓や心臓ペースメーカーなどの人工臓器によって多くの患者(約40万人)が健康人と同じような生活を営めるようになった.

 医用生体工学は工学の医学への応用にとどまらず,"科学技術と,人間を含む生物 との共生と環境との調和"という考え方を広め,かつそれを可能にする技術の開発を 目指している.そして質の高い医療技術の開発により,医学を通じて人類の健康と福 祉,QOL (quality of life )の向上へ貢献し,ひいては人類共通の願いである, 生命の尊厳の具現化に資することを目標に掲げるものである.

 さて,21 世紀における学術研究・開発で最も重要なテーマの一つは,人類の健康 と福祉の向上であろう.21 世紀には人口の老齢化,医療経済の破綻,疾病構造の変 化,医療の信頼性・安全性,医療倫理,南北問題など困難な問題が起こり,医療の変 革が求められる.もう一つのテーマは社会との関連である.近年の科学技術の発展は 極めて急激で,社会的に対応してゆけない状況となっている.このため人間や自然と 科学技術の調和のとれた発展が困難になり,種々の問題が起こっている.医用生体工 学はこのような医学・医療の変革・高度化および健康・福祉の向上に必要不可欠であ り,科学技術の発展がもたらす諸問題の解決に役立つと期待される.

 わが国の医用生体工学も超音波検査装置や内視鏡などの開発にみられるように近 年の医療の進歩に大きく貢献してきた.X 線CT やMRI (Magnetic Resonance Imaging:磁気共鳴撮影法)についてはわが国で萌芽的な研究がなされた.また現在 新生児や重症患者の監視になくてはならないパルスオキシメータ(動脈血の酸素飽和 度を非侵襲的に測定する装置)の原理はわが国で開発されたものである.

 わが国の医用生体工学の研究レベルは,研究環境が悪いにも関わらず欧米先進諸国の中でも最高 のレベルにあるといえる.ただ,残念ながら独創性や萌芽的研究を産業まで育成して ゆく点では問題が多い.X 線CT やMRI についてはわが国でも萌芽的な研究はあっ たことは述べたが,これを正しく評価して産業となるまで育成することが出来なかっ た.
 
 またパルスオキシメータの原理は日本で考え出されたが,製品にまで研究開発し たのは米国である.このように,萌芽的な研究・技術を正しく評価し,製品の開発に までサポートしてゆく体制がわが国では不十分である.心臓ペースメーカのおかげで 正常な心臓機能を維持して,健康人とほぼ同じように生活している人はわが国だけで 約20 万人もいるのに,わが国ではこの器械がまだ生産されていない.このような例 は人工臓器や治療器の分野に多い.このような付加価値の高い製品が製造できず,外 国からの輸入に頼っていることは単に経済的な理由だけでなく,将来非常な勢いで発 展するであろうと思われる治療機器や人工臓器に関する基本的な経験を積むことが 出来ないという点で非常に大きな問題を投げかけている.

 日本ではすでに高齢化社会が到来し,様々な問題を提起しはじめている.高齢者の 介護や看護などに人手を掛け,心のこもったサービスを提供することは望ましいが, わが国のように労働賃金の高い,少子化の国においては困難である.高齢者にとって もそれが本意ではないこともある.こうした状況では医用生体工学機器の適切な援用 は有効であり,また欠くことができない.高齢化社会で不足する労働力を支援する介 護機器や診断装置あるいは治療システムを開発し,実用化を急がねばならない.とこ ろで,人間のためのものであるはずの技術が,必ずしもそうではない面もあることが 明らかになっている.

 今後は人間との関係を多面的に考慮しない技術は成立不可能に なるであろう.それにも拘わらず,技術の結果が人類に及ぼす影響を科学的かつ体系 的に研究する学術は未確立である.今後は人間自身を対象とするさまざまな技術の開 発が予想されるが,その妥当性を判定する合理的な基準を一刻も早く確立することが 医用生体工学の重要課題になるであろう.

 最近,医用生体工学分野で各遺伝子の役割を機能全体の中で見直すフィジオーム (physiome :physio=life or nature,ome=as a whole )プロジェクトの重要性が強 く認識されはじめた.後述するがフィジオームプロジェクトは人類の近未来の医療の 根幹に関わるものであり,医用生体工学分野を中心に研究すべき国家的課題である. それを遂行するにふさわしい体制または組織が必要である.また,これまであまり重 要視されなかったが,化学や材料学の重要性を強調する必要がある.すなわち,新し い化合物を作り,これを材料に育て,医療に使えるようなデバイスに加工する学問が 新しい医用工学にとって不可欠である.

 一方今日のわが国の国際的な役割を考えるとき,アジアの人々の健康と福祉の向上 にも貢献する必要がある.アジアという視点で医用生体工学の研究と教育を進めなけ ればならない.アジアの医療技術の向上を図るばかりでなく,この地域に住む人々の 精神的に豊かな生活を支援するための活動をすべきである.わが国は国内外の医用生 体工学とその周辺に関する研究状況の把握を容易にし,また情報を発信する基地にな るべきである.他方,WHO ,ユネスコ,その他諸外国の医用生体工学関連機関と緊3 密な連携をとり,国際的な活動を行う必要もあろう.

 医用生体工学に関連したこれらの幅広い要望に答えるには,医用生体工学全般にわ たる総合的な研究機構を設立し,医用生体工学関連諸分野に属する研究者が,相互に 密接な協力のもとに研究を遂行し,併せて次代研究者の育成をはかる体制を整えるこ とが急務である.幸いわが国は,各地区にこの分野の拠点となる大学や研究室が存在 する.また政治や経済の機能分散化に対応して,全国的に学術研究都市の計画が進め られている.これを活かして各研究都市構想の主要課題にマッチした先端医学研究施 設を配置する案が浮上している.しかしながら,これらの拠点大学や研究室,または これら各研究施設の研究が全く独立に相互に無関係に推進されるべきではない.ある ところで得られた成果は他で利用できるものでなければならない.そのためには,こ れら研究室や施設が独自性を保ちながらゆるやかに結合され,研究成果を交換しあえ るようにならなければならない.つまり各研究施設の課題が互いに重複することなく, 特徴的でかつその地区のニーズと整合性の高い医学・生物学上の研究課題を遂行する ばかりでなく,それらを統合してより効率的に研究を進め成果を利用できる体制をつ くる必要がある.

 医用生体工学専門委員会は,医用生体工学に対する医療の現場からの期待,社会的 なニーズ,国際的に果たすべき役割を考慮した結果,医用生体工学研究機構(仮称) (以下,(仮称)を省く)の設立を強く提言するものである.

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【2 】 国内外の現状
 
 世界の先進各国では,形態や運営はそれぞれ異なるが医用生体工学関係の研究機関があり,医学に貢献するのみならず,医用生体工学を工学のユニークな新分野として育成している.ドイツのMax-Planck Institut fur Kybernetik ,オランダの Institute of Medical Physics ,スイスのInstitut fur Biomedizinische Technik ,ロシアのAll-Union Medical Engineering Research Institute ,米国のNIH ,チェコ共和国のCenter for Theoretical Study ,ポーランドのInternational Center for Bio-Cybernetics など枚挙に暇がない.最近の世界的な動向をみても,工学は生体を対象とする方向に飛躍的な発展を目ざし,新しい科学技術の柱を築く時代を迎えている.

 米国では医学研究の水準向上を重要政策のひとつにかかげ,それを実現するために100 年以上前(1887 年),首都ワシントンD.C.の近郊に,NIH (NationalInstitute of Health )を設立した.NIH が世界の基礎医学や,人類の健康福祉の向上に果たしてきた役割は広く認められるところである.

 米国に学ぶべきことは,こ うした拠点に研究費を集中して,公私立の医学・生物学系大学などの研究活動の活性 化をうながすのみならず,自国内と等しく広く全世界の優れた研究を援助するという 基本方針である.しかも,最近になってNIH 傘下の20 以上の研究所に属する医用 生体工学部門を横断的に結ぶBECON (Bioengineering Consortium )と呼ばれる より効率の良い研究体制の確立がはかられた.

 BECON の設立の趣旨は,
 (i)分子 生物学や遺伝子工学で得られた知見の機能的な意義を明らかにすることによって生 体システムを統合的に理解する,
 (ii)基礎研究から実用化研究までの移行をより効 率的に行う,
 (iii)境界領域の研究(例えば,材料工学のエッセンスとの融合)をよ り効果的かつ強力に融合させる,
ということにある.またそれを実行するための戦略 として,
 (i)産学官の協力を推進しながら基礎生物学と工学と医学の強力な協力体制 をととのえる,
 (ii)生物工学の教育・研究体制の整備を進める,
 (iii)生体システ ムを理解するために必要な分子生物学,物理学,化学,バイオマテリアルのデータベ ースおよび生体システムの機能間の関係を分かりやすく定量的に示すデータベース を作成して学際間および産官学の理解と対話をより容易にする,ことが強調されてい る.

 1993 年度に,米国政府は医用生体工学関連のプロジェクトに対し581 億円の 予算を計上した.そのうち,NIH は1781 のプロジェクトに対し360 億円支出 した.しかも,その後,総予算は4 年間で約25 %増加し,1997 年にはNIH だ けで480 億円に達した.もっぱら医用生体工学分野に助成を行っているWhitaker Foundation は1998 年度に32 億円の援助を行った.先進諸外国では1960 年代 から医用生体工学に関する教育の必要性が指摘され,医用生体工学の専門学科や大学 院あるいは専門養成プログラムが設立され,多くの人材が育てられてきた.

 米国では 1996 年で75 の大学に医用生体工学のプログラムがあり,21 の学部に認定され たプログラムが進行している.そこで5200 人の学部学生と1750 名の大学院生 が学んでいる.1991 年から1996 年に学部学生が37 %,大学院生が8 %増加 したという報告がある.ちなみに同じ時期に工学部全体では学部学生が6 %,大学院 生がそれぞれ2 %減少しているので,医用生体工学分野の伸びが特に注目される.最 近の世界的な動向をみても,工学系の各分野がこぞって研究領域を医用生体工学分野 へ拡充しようとしている.

 現在,わが国の医用生体工学をとりまく環境は欧米に比して見劣りがするといわざ るを得ない.1991 年から1994 年になってやっと3 大学に医用生体工学の専門 学科が誕生した.大多数の研究者は医用生体工学以外の学科に属し,個人として医用 生体工学を研究してきたので研究費も十分でなかった.文部省科学研究費に医用生体 工学・生体材料学という分科が設けられたのは1993 年である.日本エム・イー学 会教育委員会報告によれば,日本の大学の理工系学部では,医用生体工学の教育に重 点をおくとしても,教官が絶対的に不足している.教育は医用生体工学を職業にする 人を育成するため,あるいは将来の医用生体工学研究を担う人を育てるためのもので ある.研究と教育は車の両輪である.医用生体工学は物理学や数学のような基礎科学 分野とは異なり,その教育を押し進めるには社会が卒業生を受け入れる構造になって いなければならない.しかし,彼らを受け入れるほど医療環境やエム・イー産業は巨 大ではない.また,医学への応用あるいは社会的な受け入れの窓口があるからと言う だけでは,若い人を引きつける力にはならない.もっと基礎的かつ創造的な研究にも 力を入れ,魅力ある学問体系を作らなければならない.しかしながら,わが国の医用 生体工学の研究や教育の体制がこうした要請に応えられるように整っているとはい えない.その整備を早急に行う必要がある.

 この数十年間,大学や研究機関の医用生体工学は日本エム・イー学会およびその関 連諸学会に支えられて発展してきた.また日本学術会議第5 部医用生体工学研究連絡 委員会(現第5 部人間と工学研究連絡委員会医用生体工学研究専門委員会)および第 7 部医療技術開発学研究連絡委員会の活動などによって,医用生体工学に対する学問 的及び社会的な評価が高まってきた.医用生体工学の研究環境は欧米に比べて著しく 遅れていたが,ごく最近になってやっと大学院に医用生体工学専攻,学部に医用生体 工学専門学科が開設されるようになった.例えば,京都大学と東京医科歯科大学に附 置研究所としてそれぞれ再生医科学研究所,生体材料工学研究所が設置された.これ は,新設が期待される医用生体工学研究機構のネットワークを構成する機関がいくつ か存在することを意味する.すなわち,生体機能の統合的理解と医療技術の進歩に貢 献してきた医用生体工学が,生命科学の時代といわれる21 世紀に向かってさらに学 術の進歩と国民のQOL 向上に貢献するためには研究所ネットワークを統括しかつ その中核となるべき医用生体工学研究機構の設立が強く求められている状況である といえる.

 わが国には生物学系の国立研究機関としては,岡崎共同研究機構生理学研究所およ び基礎生物学研究所,三島市の国立遺伝学研究所などの他に,最近では各地に研究施 設がつくられかなり充実している.しかしこれらは生命科学の基礎すなわち細分化を 指向しており,その成果の医学への応用をはかる統合的研究を指向した機関はほとん どない.また山形県の生物ラディカル研究所等のように,生命生活支援工学の実現を 期したもの,生体光情報研究所のように生体計測指向の研究所もある.しかしながら これらの研究所は,生命科学の基礎研究を指向するもので,そこでの成果は医療の向 上には直接結びつかない.21 世紀に向けて,これらの研究所の成果を生命の尊厳の ために還元し,人間性の復活を指向する医用生体工学の研究を強力に推進しなければ ならない.この意味でわが国において国力に見合った医用生体工学の研究体制がとと のっているとはいえない.基礎生命科学や工学の成果を医療の向上に直接結びつける 統合的研究指向の研究機構が是非必要である.

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【3 】 日本における医用生体工学の発展の経過と現状

 1950 年代に始まる本格的な電気・電子工学の発展とともに医用電子技術が開発 され医学への応用がはかられた.また生体がもつ巧妙・精緻な機能の発現の仕組みを 解明し,新しい工学機器の設計と開発の指針を得ようとするバイオニクスの研究が推 進されはじめた.1958 年頃から医用生体工学に関する研究活動も活発になり,国 際的な組織が形成された.そこからの要請もあって,1962 年に日本エム・イー学 会が創設された.

 以後わが国の医用生体工学分野は,日本エム・イー学会を中心とし て電子情報通信学会,電気学会,計測自動制御学会,日本機械学会,応用物理学会, 情報処理学会,テレビジョン学会,日本生理学会,日本内科学会,日本外科学会,日 本医学放射線学会,日本核医学会,日本放射線腫瘍学会,日本超音波医学会,日本循 環器学会,日本脳波・筋電図学会等の関連諸学会との協力のもとに発展した.日本エ ム・イー学会では年次大会を開くとともに新しい課題を2 年の年限でとりあげる十数余の専門別研究会を設立し,高度に専門化された研究を推進している.電子情報通信 学会,電気学会,日本機械学会,計測自動制御学会などでも医用生体工学領域に関す る研究会を設置し,互いに緊密な関係を保ちながら活動をしてきた.

 日本エム・イー学会の会員は創立当初の900 名から現在4000 名へと増し,研 究の領域も濃密となり,内容が高度なものとなってきた.電子情報通信学会,電気学 会,日本機械学会,計測自動制御学会など工学関係の諸学会,医学関係諸学会の医用 生体工学に関連する研究者は,第15 期日本学術会議第5 部医用生体工学研究連絡委 員会の調査によれば,1 万人を越す.

 また,わが国において1965 年(東京)と1991 年(京都)にそれぞれ第6 回および第16 回国際医用生体工学会議が開催され, この領域における日本の貢献が際立ってきた.1988 年には世界バイオマテリアル 会議が日本で開催された.

 また,最近行われた第3 回バイオメカニクス世界会議(日 本学術会議主催,1998 年,札幌)も盛会であった.1969 年には日本エム・イ ー学会は医用生体工学の将来展望を得るために長期研究計画をまとめた.本領域が広 大な内容をもち,既成の関係分野も多いことから,新しい体系的な発展が必要である との研究者の認識がとみに高まったためである.

 また1970 年には文部省科学研究 費補助金総合研究B によって「医用生体工学の学術体系,重点研究事項,教育と養成, 研究施設の諸問題」がまとめられた.第8 期日本学術会議では電気工学研究連絡委員 会に医用生体工学分科会が発足した.

 同分科会では上述の二つの報告を検討し,医用 生体工学の学術的体系化が進んだと判定して,さらに長期的発展の基盤を与えるため, 研究所設立案の検討を始めた.そしてシンポジウム開催や,関連分野研究者との討論 等によって広く研究者の意見をまとめ,生体工学基礎研究所(仮称)の成案を得た. 日本学術会議はこれを審議のうえ承認し,生体工学基礎研究所(仮称)の設置を政府 に勧告した.

 また日本学術会議の推薦のもとに1974 年度から1976 年度にわたり文部省 科学研究費補助金による特定研究「生体の制御情報システム」が展開された.機能性 高分子を振り出しにバイオマテリアルを目指した重点領域研究が1970 年頃から 継続的に進められてきている.1994 年度から1996 年度まで文部省科学研究費 重点領域「バイオメカニクス」が助成され,医用生体工学研究が大いに活性化された. 医用生体工学がこの40 年間に医学・生物学と理工学の境界領域で達成した成果と, 今後果たすべき役割については,日本学術会議第5 部医用生体工学研究連絡委員会・ 第7 部医療技術開発学研究連絡委員会報告「医用生体工学の現状と展望」(1996 年2 月)に詳しい.日本エム・イー学会はわが国の医用生体工学と技術開発を推進す る母体として活動を続けてきた.

 日本エム・イー学会は国際的には,IFMBE (International Federation for Medical and Biological Engineering =国際医用 生体工学連合 )に属するが,IFMBE が構成母体となるIUPESM (International Union for Physical and Engineering Sciences in Medicine )は 1999 年9 月にICSU (International Council for Science または International Council for Scientific Unions )への26 番目の加入団体として認 められた.医用生体工学の活動が学問的にも社会的にも重要であると認められたのである.医用生体工学に対して学術研究の面でも,応用研究の面でも益々期待が高まっ ている.


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【4 】 医用生体工学研究機構設立の必要性

 わが国においても,医用生体工学の研究と教育を推進する研究組織が必要である. その理由を種々の立場から述べる.

(1 )全国研究拠点のネットワーク統合
 現在わが国には各地に医用生体工学研究の拠点となる大学や研究室がある.また政 治や経済の機能分散化に対応して,全国的に学術研究都市の整備計画が進められてい る.これらの拠点大学や研究室あるいは各学術都市にあるいくつかの研究施設では, 医用生体工学分野における重要課題が個別に取り上げられている.

 わが国の人的・経 済的資源から考えて,これらの拠点大学や研究室,または各研究施設の研究が相互に 関連なく推進されるべきではない.これら研究室や施設が独自性を保ちながらもゆる やかに結合されたネットワークを構成し,互いに情報交換することによって課題の重 複をさけ,特徴的でかつその地区のニーズに合った課題を研究することによって,全 体として効率的に重要課題を解決する体制をつくることが必要であり,理にかなって いる.ここで要望する医用生体工学研究機構は,既設のまたは将来予定される拠点大 学の研究室あるいは各学術都市の研究施設のネットワークを効率よく機能させると いう役割を果たす.

(2 )基礎研究−フィジオームプロジェクト−の推進
 最近,医用生体工学分野で各遺伝子の役割を機能全体の中で見直すフィジオームプ ロジェクトの重要性が強く認識されはじめた.分子生物学におけるゲノムプロジェク トは遺伝子に関する知識の爆発的な増加をもたらした.しかし,これら膨大な情報の 中から医学・医療に役立つ情報を見いだすには,生体情報の伝達と制御のメカニズム を理解し,生体システムを統合的に把握することが不可欠である.フィジオームプロ ジェクトは生体の構造と機能をシステムとして俯瞰し理解しようとするもので,生命 の本質を理解する上で不可欠である.

 さらに,細胞の特異的遺伝子の発現が環境との 相互作用によって制御され,組織・器官の機能的・構造的ないしメカニカルなリモデ リングが達成される仕組みが次々と明らかにされてきた.これによって,免疫反応が 少なく生体適合性の良いバイオマテリアルを人工的に作る組織工学への展開と実用 化が期待されている.すなわち,フィジオームプロジェクトは,生物の機能発現の仕 組みの解明を通じて,全く新しいタイプの人工臓器の開発や,組織工学にもとづく再 生医学につながるものであり,医用生体工学分野を中心に研究すべき国家的課題であ る.その他,【9 】に記載するように,医用生体工学分野には緊急を要するプロジェ クトが数多くある.これらを遂行するにふさわしい体制または組織が必要である.

(3 )実用化研究の推進
 わが国の医用生体工学は超音波検査装置や内視鏡などの開発にみられるように近 年の医療の進歩に大きく貢献してきた.しかしながら,心電図自動診断,X 線CT , MRI など有力な基礎的研究がありながら製品化の速度が遅れ,最初の実用化を諸外 国に譲った例もある.大学では萌芽的研究の成果は生まれるものの実用化に結びつけ ることが難しい.企業の多くは,すでに実用化された機器の改良をはかるだけで革新 的な技術が生まれにくい.大学やその他の研究機関あるいは企業の間にあってこれら の長所を有効に生かしながら医用生体工学における基礎研究とその成果の実用化を 促進するための体制が必要である.高品質の医療を均等に受ける機会を保障する体制 を維持するには,萌芽的研究成果を産業レベルに結ぶ実用化研究を推進しなければな らない.産業化に際して他の工業製品と大きく異なる点は,医療機器が人の生命に直 接に関わるものであり,従って,安全性は多面的にチェックされねばならないことで ある.これは長い時間と多くの労力を要し,製品のコストに跳ね返る.このため有効 性,安全性の評価は学問的裏付けと公平な立場に立つことのできる医用生体工学研究 機構が実施すべきである.

(4 )健康と福祉の向上
 わが国の医療において期待される役割を果たし,差し迫った高齢化・少子化社会に おける健康と福祉を実現するには,それを可能にする体制を確立する必要がある.

(5 )研究費配分の支援
 医用生体工学は工学や医学・生物学など種々の領域にまたがる.現在の制度では, 研究を推進してゆく上で生じる諸問題について,厚生省,文部省,通商産業省,科学 技術庁,郵政省など多くの省庁それぞれの目的に応じて処理しなければならない.基 礎研究や,技術開発のための予算にしても各省庁の目的に応じて,各々の省庁から直 接大学や民間の研究者に個別に充てられている.そのため,系統だった研究や実用化 までの計画をたてることがきわめて難しい.また,申請課題や研究計画に重複が見ら れ,その調整に伴う事務処理が煩雑になるなどの問題が増大している.基礎から実用 化までの研究開発を各官庁の目的をも考慮してあらゆる面で系統的に支援できる体 制が必要である.各省庁が国内外に対して行うべきこの分野における研究課題の提言 や役割の適切迅速な遂行を支援する体制をつくる必要がある.さらに,広い視野に立 つ教育と国際化時代にふさわしい活動を行う必要がある.

 以上に述べた学術的あるいは社会的ニーズに対して,日本エム・イー学会およびそ の関連学会に属する医用生体工学研究者は,課題を解決するに十分な対応能力を備え ている.問題はこれらの研究者が個々の大学,研究所に孤立分散し,相乗的で集約さ れた成果を挙げられない点にある.研究プロジェクト毎に研究者を結集し,国際的に も人材を集めて集中的に研究予算を投下し,研究活動を飛躍的に賦活することが,各 課題を早期に解決する最良の手段である.

 上述の役割と,今後の期待される活動や社会情勢を鑑みるとき,1975 年に日本 学術会議が政府に設立を勧告した生体工学基礎研究所(仮称)の役割を絞り込んだ, 全く新しい形態の研究機構の設立が是非必要である.

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【5 】 医用生体工学研究機構設立の意義

 生命の存在は深遠な意味をもつ.生き物をシステムとしてみた場合,それは現代の 科学技術が作り上げたいかなる人工的な機械システムより格段に優れている.生命の宿る生体の働きは,巧妙精緻であり,その機能の発現の仕組みを解明することは,医 学の発展に大きく貢献するばかりでなく,人間を含めた生体の保護・環境の改善に役 立つ.また,そこから得た成果を工学分野に応用することによって新しい工学技術の 開発と,新産業の創設が促される.

(1 )効率的な研究推進体制の確立
 わが国の拠点大学にある研究室や地方自治体の研究施設が独自性を保ちながらも ゆるやかに結合されたネットワークを構成し,研究情報交換することによって研究課 題の重複をさけ,特徴的でかつその地区のニーズに合った課題を遂行することができ る.それによって全体として効率的に重要課題を解決する研究体制が整う.

(2 )学術的意義
 最近の分子生物学の発達は,ゲノムプロジェクトなどに見られるごとく,医学.生 物学の研究分野の細分化と遺伝子に関する生体情報の爆発的な増加をもたらしてい る.このように細分化,膨大化した生体情報の中から真に医学・医療に役立つ情報を 見いだすには,生体情報の伝達/制御のメカニズムを理解し,生体システムを統合的 に把握することが不可欠である.この観点から,各遺伝子の役割・機能とその発現を 生体全体の中で見直すフィジオームプロジェクトの重要性が欧米を中心に強く認識 されてきていることはすでに述べた.医学系および工学系研究者の協力により進展し てきた医用生体工学の研究には,生体の構造と機能をシステムとして俯瞰し理解する 点において,生命活動を遺伝子レベルの情報で全て解明しようとする分子生物学や他 の基礎研究にはない特色がある.例えば,最近発展の著しいバイオメカニクスでは, 外部から加えられた物理的刺激が細胞の特異的遺伝子の発現を制御して,組織・器官 の機能的リモデリングを達成するプロセスが明らかにされ,組織工学への展開が期待 されている.また,分子生物学における幅広い研究成果及び種々の病態における遺伝 子レベルの変化などをPET,SPECT を用いて画像化する分子核医学が本機構に おける共同研究により多く気発展することが期待できる.

 このように,分子,細胞,組織,器官,個体に至る各階層におけるダイナミックス とそれら階層間を結ぶダイナミックス(一種の統計力学)を統一的に理解しようとす る立場は「遺伝子と機能」の相互関係を理解するフィジオームプロジェクトにおいて, 必須のアプローチであり,来るべきライフサイエンスの時代における水先案内人の役 割を担うものである.

(3 )社会的貢献
 医用生体工学が医療の高度化に果たした役割は計り知れない,今後も医療のほとん どの分野で画期的成果を挙げていくことが期待されている.高齢化・少子化時代の到 来したわが国では,医療・福祉水準の維持・向上は,国民的願望といえる.この30 年来,医用生体工学は生体システムの計測と制御のための技術開発に努め,さらにそ れを実用化する上で不可欠な生体材料の開発と相まって,X 線CT ,磁気共鳴撮影装 置,超音波診断装置,内視鏡技術などの診断装置や心臓ペースメーカー,人工心肺, 人工心臓,血液浄化技術,機能的電気刺激,衝撃波結石破砕,遠隔手術操作などの治 療技術を開発した.これらの成果が,医療の現場に画期的な変革をもたらしたことは,広く認められている.医用生体工学は,今後もその基礎研究を通して,新しい原理に 基づくセンサーや最適な生体刺激・制御装置,あるいはインテリジェント生体材料を 開発し,その応用研究から,医学・医療および福祉において独創的フロンティアを開 拓して行くものと予測される.

 さらに,人口の都市集中に伴う過疎化・高齢化社会対策の一環として,遠隔地医療 や在宅介護システムの整備も重要な課題である.医療情報の伝送やデータバンク化, あるいは福祉介護機器の開発にも,医用生体工学の高度な技術力が要求される.研究 機構はこれらの研究・開発を全体として計画的に進めるのに貢献できる.

(4 )社会問題の解決
 医療の社会問題の中で医療経済の破綻は先進各国に共通した課題である.医用生体 工学の発展によって高価な機器が大量に医療に導入され,医療の高度化に貢献したが, 一方では医療費を高騰させてきた.しかし,医療機器によって健康診断による病気の 早期発見で間接的に医療費の低下に貢献しているばかりでなく,直接的にも衝撃波結 石破砕装置や内視鏡低侵襲手術などによって医療費は画期的に低下した.研究所が中 心となって今後もこのような安全・有効でかつ経済効率の高い医療機器の研究・開発 を進めることができる.医療倫理問題としては脳死問題,受療の平等性など解決困難 な問題が多いが,ここで要望する研究機構のような中立機関が学問的裏づけを与えな がら世論をまとめるべき問題である.
 
 医療に多数の機器が導入されると,その有効性,安全性,信頼性が極めて重要な問 題となる.これらの解決には専門の研究者の育成が必要である.

(5 )国際的役割
 今日のわが国の国際的な役割を考えるとき,このような医用生体工学研究機構の果 たすべき役割は国内的なものにとどまらない.アジアの医用生体工学の教育と研究の センターとしての役割をももち,アジアの医療技術の向上を図るばかりでなく,人々 の精神的に豊かな生活を支援するための活動をすべきである.具体的には,医用生体 工学研究機構には客員研究員や博士研究員のポストを設けて,アジア各国をはじめと して世界からの研究者を受け入れ,共同研究と研究情報交換をはかる.国内外の医用 生体工学とその周辺に関する研究状況の把握を容易にし,また情報の発信基地になる ようにする.また教育部門を設け,国内外の若手研究員に対する短期セミナを開催し たり,指導者や教育者および医用生体工学専門研究者の養成を行う.研究所には諸外 国の医用生体工学関連機関との「人,もの,情報」の交換の窓口になる国際部門が必 要であろう.現在,国際社会は複雑化してきており,国の広い意味での外交は高度な 専門知識なしには成り立たない.医療分野で世界に貢献をするにはわが国が率先して WHO やユネスコなどの国連機関を通じて活動を広める必要がある.このような平和 的活動こそわが国が国際社会から求められているものであり,そのために医用生体工 学研究機構を通じて進んで貢献すべきものと考える.

(6 )経済的波及効果
 一方,医療の高度化に伴い,自国で開発された独自の技術をもつことは,医療経済 の面でもプラスに働くのみならず,産業育成や雇用の拡大につながる.1997 年に政府から発表された経済構造改革計画でも,2010 年に向かって拡大が予想される 分野の筆頭が,医療福祉である.医用生体工学研究の進展とそれに基づく技術開発は, わが国の産業振興のうえでも重要であり,近隣諸国はもとより世界各国の医療・福祉 への国際貢献にもなることは明らかである.わが国における医療機器産業の技術力の 現状をみると,オプトエレクトロニクス装置や人工中耳などのように欧米に比べて極 めて競争力の強い分野や,X 線CT 装置,自動化学分析装置のように比較的競争力が ある機器もあるが,診断用磁気共鳴撮影装置,医用監視装置などのように競争力が劣 るか,心臓ペースメーカー,レーザー手術・治療装置,SQUID 応用装置のように 著しく競争力の劣るものが多いようである((社)日本電子工業会・医用電子機器技 術の中長期展望調査追加報告書95 年3 月より).世界の医療機器市場は約14 兆円 /年の規模をもっている.また,世界の医療機器市場の伸びは中国,タイなどのアジ ア諸国を中心に2 ケタに達するものと期待されている.そうした国々をひかえて,わ が国はもっと医療機器産業の育成に重点をおくべきである.

 医療産業は将来ますます拡大されると考えられている.この分野の研究開発は住宅 産業と並んで投資の波及効果が大きくまた持続的である.バイオテクノロジーは,米 国に取得された基本特許の網から逃れられないものになっている.胚性幹細胞を利用 する移植や再生医療技術においてもその兆候がみえる.医用生体工学研究機構の研究 プロジェクトは,安全性,高信頼性,高稼働効率,使い易さ,多機能性などを評価基 準にして,生体材料や医療機器を安定に供給する技術も含まれる.また高度情報化社 会におけるマルチメディアを活用し,在宅医療や個人健康情報を端末の機器との整合 性まで含めて検討し推進する政策医療も,個別かつ並列の研究プロジェクトとしてい る.医用生体工学研究機構は医用材料や機器の国際標準化センターとして機能するは ずである.
 分散統合型医用生体工学研究機構の設立の重要性と意義はここにある.

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【6 】 医用生体工学研究機構の目的

 人類福祉に直接的に関連する学術としての医用生体工学を総合的かつ統一的に発 展させ,工学や医学の各専門分野にわたる研究者が密接かつ系統的効率的に研究を推 進することが可能な機構を提供する.それによって生体に関する知識に基づく工学技 術の開発とその成果を医療や社会に還元することをめざす.特に,

(1 )医用生体工学研究拠点のネットワーク統合
(2 )医療に関わる基礎研究の充実
(3 )医療技術の開発と実用化
(4 )医療機器の有効性,安全性,信頼性に関する研究・評価
(5 )健康と福祉の向上のための基礎および実用化研究の充実
(6 )アジアを含む国々の人材の育成と国際交流の推進
をはかる.

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【7 】 医用生体工学研究機構の理念

 医学と理工学の接点にあって,工学の医学への応用にとどまらず,"科学技術と, 人間を含む生物との共生と環境との調和"という考え方を広め,かつそれを可能にす るための基礎的研究と実用化を推進する.

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【8 】 医用生体工学研究機構の組織

 この研究機構では,事務部門のみが常勤の職員をもつ.事務部門は機構における諸 業務を円滑に遂行するためのものである.運営の責任は理事会がもつ.理事会は,関 連学協会から選出された研究者で構成される.機構の役割は,大きくわけて,研究の 推進と人材の育成である.研究は各研究者が所属する機関で行う.従って研究棟や研 究施設はない.事務室,会議室,研修室,情報センター,宿泊施設を備える.将来は 国内外の研究機関の中核の役割を果たすため,最新鋭の特殊大型装置などをそなえた 共同利用の実験センター,機器分析センター工作工場などの設置も望まれる.

 同機構が推進する研究開発プロジェクトは公募を主体とし,理事会が合議のうえ選 定する.選定された研究開発プロジェクトについては研究基金より補助され,成果は 外部評価される.研究基金は,政府または民間からの委託研究費,寄付などでまかな う.医用生体工学は広い学問分野にまたがるいわゆる複合領域部門であり,また,そ の活動は文部省,科学技術庁,厚生省,通商産業省,郵政省などなど多くの省庁に関 連する.従って,これらの関連機関と密接に連絡を取り合いながら,課題申請や研究 計画の重複調整にあたり,基礎から実用化までの研究開発を各官庁の目的をも考慮し てあらゆる面で系統的に支援する体制をつくる.

 研究プロジェクトは時限であり,代表研究員は予算の範囲内で外国人を含めた客員 研究員,博士研究員を採用し,研究チームを構成できる.プロジェクトが終了すれば 研究チームは解散される.研究は代表研究者が所属する研究機関で行うか,民間の施 設を借り上げることによって行う.研究所の時限は5 −10 年を目途とする.

 プロジェクト研究は全国にまたがる医療関連の大学・研究機関・企業で生まれた萌 芽的研究成果の実用化を特に推進する.緊急プロジェクトについては【9 】に記載す る.  研究機構のもう一つの重要な役割はアジアにおける医用生体工学の教育と人材の 育成である.  研究助成については投資に見合うだけの成果を上げることは当然である.このため に,本研究機構の中期的な目標と最終的な目標についてその達成度を公表し,5 年に 一度それについて国際的に組織された評価委員会による評価を受ける。

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【9 】 医用生体工学研究機構における緊急プロジェクト

 現在医用生体工学が抱える重要かつ緊急の研究課題について簡潔に記す.詳細は, 資料[ 4] を参照していただきたい.

(1 )計測情報関係
 計測は科学技術の基礎をなす.今後の医療では,人とのインターフェイスを意識し た計測法(非侵襲,非接触で生体深部情報,生理機能情報を計測するシステムの開発),高度先端技術計測(これまで困難とされてきた生体計測を先端的科学技術により解 決)あるいは健康・福祉計測(健康・福祉の計測には生体システムの挙動や,機能の 理解と新しい視点での計測法の開発が必要),などの技術開発が必要とされる.

(2 )バイオメカニクス・生体機械工学関係
 生体は極めて合理的に設計(最適設計)されており,力学負荷の変化に反応して組 織や器官は機能的に適応し,自らを再構築(リモデリング)する.その機構を解明し, 組織形成を目指す生体組織工学の技術や,その他の医学治療法,リハビリテーション 技術の開発,画期的な工学設計法の開発などにつなげる.また,計算機を利用した計 算バイオメカニクスの発展も期待される. わが国はすでに高齢化社会に入っており,身体運動代行・補助機器,リハビリテー ション機器,福祉機器など,高齢化社会,福祉社会に対応する機器の技術開発も緊急 の課題である.

(3 )生体材料関係
 新薬の開発には限界があるとも言われており,これからの医学の進歩,なかんずく 人工臓器の飛躍的発展は新しい生体材料の開発無くしては望めない.抗血栓性材料の 開発は人工血管や人工心臓の問題解決に必須である.天然の組織により近い人工関 節・人工骨・人工歯に適したバイオセラミックスの開発,セラミックスと生体構成物 質の相互作用の基礎的研究ならびにその人工臓器・医薬除放材・バイオセンサー・バ イオテクノロジーなどへの応用,バイオセラミックスの生体内安定性と高機能電磁気 的性質を生かした癌局所治療材料の開発,生体内反応に倣ったバイオミメティック法 による新規な単独あるいは複合体材料の常温常圧における合成などが重要な課題で ある.この分野における新しい基材の創製が次項で述べる組織工学成立の鍵を握って いるといっても過言ではない.

(4 )細胞組織工学関係
 わが国でも臓器移植医療が発展の兆しを見せているが,欧米ではすでにドナー不足 による限界が認識されており,移植医療に代る再生医療が注目されている.組織や臓 器の再生医療が21 世紀の医療の重要な柱として注目される理由は,欠損機能の高水 準補充療法であり,創薬や医療機器の開発と共に,国際的医療産業構想の一翼を担う ことが期待されるからである.人工臓器・人工組織はほぼ完全に人工材料のみに依存 し,臓器移植は他者の生体組織に依存するのに対し,細胞組織工学による再生医学は 生体物質・細胞と人工材料のハイブリッド組織に依存するため,生体適合性,機能性 に優れ,生産性,保存性においても実用性を確保しうるという特徴がある.組織工学 産業は医療産業の中でも中核的産業に成長すると考えられる.

(5 )人工臓器関係
 人工臓器の将来像は,21 世紀の前半位までの近未来とそこから先の遠未来に分け て考えるべきであろう.前者は,現在の人工臓器の最終目標と考えられているもので ある.
1 )体内埋め込み化,2 )生体適合化,3 )多機能化,4 )自動制御化,5 )高耐久 性化,6 )ハイブリッド化などである.一方遠未来の人工臓器は,現在の科学技術やその延長では実現の見通しが全く立たない高度で革新的な人工臓器である.例えば, 1 )機能の複合化,2 )自己診断や自己修復が可能,3 )ワンタッチ装着・交換機能, 4 )異所,分散化,5 )フレキシブルでソフト,6 )生体にない機能の付加などが考 えられる.これらを念頭に置きながら近未来の人工臓器を研究開発することが極めて 重要である.

(6 )画像医学関係
 最近広く臨床に用いられているX 線CT ,MRI ,超音波診断装置,SPECT, PET などの画像診断装置において,さらなる高感度,高分解能の機器の開発が重要 である.

(7 )治療関係
 最近の治療法の特徴は,内科と外科の融合化と医用工学的アプローチの推進である. まず,内科的医用工学的治療法であるが,その最たるものが,体腔内治療法であり, 具体的にはバルーンによる血管その他の体腔の内腔拡張術,さらにステント設置術な ど画像診断技術を利用した治療法であるInterventional Radiology (IVR)/ interventional therapy として現在欠くべからざる位置を占めている.このような 治療法の進歩は,機器・技術の新しい開発が鍵とされている.21 世紀に内科学的治 療として期待されるものに次のようなものが挙げられる.1 )バルーン,ステントな どの低侵襲でより効果的体腔内治療法の開発,2 )従来治療が困難だった疾患や部位 に対する医用工学的治療法適応の拡大,3 )マルチメディア技術による遠隔/在宅医 療の推進,4)リニアック,定位的放射線治療装置,陽子線治療などの癌の放射線治 療装置の開発.

 一方,これからの外科的治療としては,コンピュータをはじめとする様々な最先端 工学技術の支援による低侵襲化,高精度化,安全性の向上,利便化などが不可欠であ る.すなわち,21 世紀の新外科学に対する期待は次の点にある.1 )低侵襲外科治 療の推進,2 )従来治療が不可能あるいは困難であった疾患ないし部位に対する治療 法の開発,3 )従来の手術法よりも安全かつ正確な処置の実現,4 )離島や過疎地な どに対する遠隔手術の実現.以上の治療法をバックアップするためには,内視鏡技術 や医用三次元画像,造影剤などのイメージング技術の研究開発と治療支援ロボットや Virtual Reality 手法などのコンピュータ活用法,マイクロマシン,新医療材料など の開発が必要である.

(8 )医療情報関係
 医療,医学における諸課題を情報的な見方から扱い,情報技術を駆使して解決しよ うとするアプローチ全体を含む分野は医療情報や情報/計算医学と呼ばれる.とくに 最近はコンピュータのマルチメディア化やネットワークの発展とともにこの分野も 急速に進歩した.米国のNational Library of Medicine が主体となって長期的プロ ジェクトとして進めているように,デジタル形態データベース(VHP :Visible Human Project )や医学汎用(電子化)言語システムUMLS (Universal Medical Language System )あるいは医学知識ネットワークなど,基礎となるデータベースや電子化知識 /用語ベースなどの構築など医学の情報化資源の構築,事実ベースや電子化学術資源の構築が急務である.また,近年のヒトゲノム解析計画などにより大量に蓄積された 情報より,情報処理して生命機能についての発見を行う情報手法(ゲノム情報処理) の開発も緊急を要する.  上記の緊急重要課題を鑑みるとき,医用生体工学研究機構が先導してあつかう当面 の研究開発プロジェクトと予想される研究内容は以下の通りである.併せて医用生体 工学がカバーする主な技術マッピングを表1 に示す.また,予算額は人件費を含めて, 年150 億円で,5 年間の総予算750 億円程度である.( )内は人件費を含む年 間推定予算額を示す.プロジェクトや予算については外部評価によって5 年毎に見直 しをする.

1)生体システムと機能代行(10 〜30 億円/年) ・システム生理学,統合生理学:フィジオーム,細胞バイオメカニクス,組織工学, 生体材料,ハイブリッド人工臓器,埋め込み型人工臓器,再生医工学,生体内代用器 官,バイオニック治療

2)生体機能の無侵襲計測と高度画像技術(10 〜30 億円/年) ・生体光工学,光CT ,生体磁気工学,磁気刺激,脳磁図,心磁図計測と逆問題解, 高インテリジェントセンサー,バイオセンサー,生体物性,高精度組織機能画像,極微小生体画像,放射光,超音波,ファンクショナルMRI ,PET ,SPECT 等に 関する新世代画像診断装置,放射線治療装置(リニアック,定位的放射線治療装置, 陽子線/重イオン治療装置),放射線治療計画支援装置,画像診断支援装置(PAC S ,Teleradiology )

3)低侵襲治療機器および治療支援(10 〜30 億円/年) ・機能的電気刺激,医用マイクロマシン,超小型センサー,小型体内埋め込み治療器, カオス検知埋め込み型除細動器,DDR ,遠隔操作手術,手術支援システム,仮想外 科・コンピュータ外科

4)高齢化・過疎化社会対策医療技術(10 〜30 億円/年) ・福祉・介護装置(システム),遠隔地医療システム,在宅介護システム,福祉工学, ロボット工学,人工感覚器,失禁制御,健康管理工学(健康医学,在宅健康診断) このほかに,

5)医療情報関係(10 〜30 億円/年) ・デジタル形態データベースや医学汎用(電子化)言語システムの構築,医学知識ネ ットワーク,ゲノム情報処理,診断支援システム

6)人材の育成(2 〜5 億円/年) ・セミナ開催,旅費宿泊費,海外交流が必要である.

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【10 】結言
 
 近年生命科学分野における研究の重要性が叫ばれ,そのさまざまな推進計画が実現 されつつある.これは生命科学の分野が極めて広大であり,この分野の研究成果に人 類の未来が懸かっているからに他ならない.この分野の一端を担う医用生体工学は21 世紀の人類の健康と福祉のためにすでに述べたように極めて重要で緊急を要する具体的な課題を抱えている.

 またわが国の医療分野では基礎研究の充実と新しい産業 の振興をうながし,国民のQOL の向上をはかる必要がある.そして,平和産業を振興し,21 世紀の人類の健康と福祉のために国際社会への貢献という役割を果たさな ければならない.高価な医療機器を使用しながら低い自己負担で均等で高質な受療機 会を保障するわが国の医療体制を維持するためにも,萌芽的研究成果を産業レベルに 結ぶ実用化研究を推進しなければならない.

 さらに,医用生体工学は工学や医学・生 物学など種々の領域にまたがるために,広い視野に立つ教育とかつ国際化時代にふさ わしい活動を行う必要もある.とりわけ,1999 年9 月日本エム・イー学会の国際 上部団体であるIUPESM が ICSU への加盟が認められ,その国際的貢献義務 はさらに増した現状にある.また,米国NIH のBECON の例に見るように,海外 での医用生体工学の研究は活発である.

 このような国内外の状況のなかで,抱える重要課題や緊急課題を効率的に解決する ために,医用生体工学研究機構(仮称)を緊急に設立することを提言する. 日本学術会議では,第6 期以来学術の長期的洞察のもとに生命科学の将来像につい て検討し,近接領域との関連性を考慮しながら,いくつかの研究所設立勧告を行なっ てきた.その結果,基礎生物学研究所や生理学研究所などが実際に設立された.生体 工学基礎研究所(仮称)についてもすでに1975 年に日本学術会議は政府に対して 設立を勧告している.
 第5 部人間と工学研究連絡委員会医用生体工学専門委員会および第7 部医療技術 開発学研究連絡委員会は,国立医用生体工学研究機構(仮称)設置の必要性と緊急性 に鑑み,今回の報告書を提出するものである.


文献[ 1] 第16 期日本学術会議第5 部医用生体工学研究連絡委員会・第7 部医療技 術開発学研究連絡委員会報告「医用生体工学の現状と展望」,1996 年2 月

文献[ 2] 金井 寛:医用生体工学における重要研究・開発課題に関する提案,BME Vol.11,No.7,84-91,1997

資料[ 3] 日本学術会議医用生体工学専門委員会主催:ME フォーラム「医用生体工 学の新しい研究の流れと実用化研究」資料,1999 年12 月

資料[ 4] 第5 部人間と工学研究連絡委員会医用生体工学専門委員会「医用生体工学 における重要研究・開発課題の提案−緊急に解決すべき課題−」,2000 年5 月

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