交通事故調査のあり方に関する提言
−安全工学の視点から−


「人間と工学研究連絡委員会安全工学専門委員会報告」


平成12年3月27日

日本学術会議
人間と工学研究連絡委員会
安全工学専門委員会


 この報告は、第17期人間と工学研究連絡委員会安全工学専門委員会の事故調査方法検討会での審議結果を安全工学専門委員会において取りまとめ発表するものである。

[安全工学専門委員会]

委員長 田村 昌三(東京大学大学院新領域創成科学研究科)
幹事 小松原明哲(金沢工業大学工学部人間系)
菅原 進一(東京大学大学院工学系研究科)
委員 小川 輝繁 (横浜国立大学工学部物質工学科)
小林 英男(東京工業大学工学部機械宇宙学科)
花安 繁郎(労働省産業安全研究所)
松岡 猛(運輸省船舶技術研究所システム技術部)
向殿 政男(明治大学理工学部情報科学科)


[事故調査方法検討会]

メンバー 松岡猛(運輸省船舶技術研究所システム技術部)
井口雅一((財)日本自動車研究所)
池田博康(労働省産業安全研究所機械システム部)
上原陽一(横浜安全工学研究所)
大音透(いわき明星大学理工学部)
小川輝繁(横浜国立大学工学部物質工学科)
小野古志郎((財)日本自動車研究所安全研究部)
垣本由紀子(鹿児島県立短期大学)
小松原明哲(金沢工業大学工学部経営工学科)
柴田碧(日本大学)
清水克彦(荏原製作所法務部)
田村昌三(東京大学大学院新領域創成科学研究科)
松本陽(運輸省交通安全公害研究所交通安全部)
向殿政男(明治大学理工学部情報科学科)
室崎益輝(神戸大学工学部建設学科)



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目次

T はじめに
1.交通事故調査の意義
2.今までの論議の経緯

U 事故調査方法の現状
1.わが国における事故調査の現状
(1)航空事故
(2)鉄道事故
(3)道路交通事故
(4)海難事故
2.諸外国の現状
(1)米国NTSB
(2)英国HMRI
(3)ドイツ国
(4)国際組織

V 交通事故調査のあり方と課題
1.事故現場・証拠の保全
2.調査機関の目的と中立性
3.裁判による事故の解明の限界
4.事故調査における人間要因の考え方
5.職業人と非職業人
6.インシデント(前兆事象)分析の必要性
7.情報公開の原則
8.継続的研究の必要性

W 提言
1.調査機関の設置
2.事故調査の性質
3.責任追求のあり方
4.刑事免責制度
5.初動調査体制
6.事故情報の公開
7.交通事故対策研究費
8.道路交通事故への対応
9.非職業運転者対策

X 解決すべき問題
1.調査機関の位置付け
2.調査機関の権限
3.捜査機関との関係
4.免責制度
5.被害者感情


T はじめに

1.交通事故調査の意義

 現代社会は航空機、鉄道、自動車、船舶等の交通機関が発達し、人間の利便性の向上、社会の繁栄・発展に重要な役割を果たしている。しかし、その反面、個々の移動機構は高度・複雑化し、システム規模も巨大化してきている。そのため、ひとたび事故や障害が発生すると、多数の人命が失われ、社会経済活動を混乱させるなど、甚大な影響を及ぼすようになった。我々の記憶に新しい事故として次の様なものがある。

(例1)・信楽高原鉄道事故(1991年5月14日)死者42名、重軽傷者614名
 開催中の世界陶芸博覧会は会期を残して中止となり、鉄道開通まで約7ヶ月を要した。

(例2)・中華航空機墜落事故(1994年4月26日) 死者264名
 出動した消防関係の車両117両。事故対応で活動した人員は空港事務所職員406人、消防職員546人、愛知県医師会等医療関係者300人、愛知県警1700人、自衛隊員1900人あまりに上った。

 一方、自動車事故などのいわゆる道路交通事故については、関係者の多大な努力により事故による死者数は横這いあるいは減少してきているものの、それでも人口10万人あたり年間8人の尊い人命が失われており、決して看過できる状況にはない。ひとたび交通事故に巻き込まれると、それまでの幸せな家庭は直ちに崩壊し、一家の経済的基盤を失った家庭は、悲しみに暮れるまもなく、明日からの暮らしそれ自体がたちゆかなくなることすらもある。

 大量・高速移動という便益をもたらしたのが科学技術であるのなら、その負の側面である交通事故(安全問題)の対策を考えることも、また科学技術の責務である。
交通機関における安全対策の基本としては、万一不幸にして起こってしまった事故を教訓として再び同様の事故を発生させないための調査・分析が重要であることは議論の余地の無いところであろう。

 交通事故が発生すると、警察など司法による事故調査がなされることが一般的である。
その活動においては、事故の原因が特定個人(法人)の故意または過失によるものかを吟味し必要により加害者に法的な措置を加えるための捜査と事故防止を目的とした調査が行われているが、それらの間の区分が必ずしも明確になっていない。また、捜査結果は裁判の証拠として用いられる場合を除き公開されることは一般にはないため、捜査結果を事故対策に利用することは困難となってくる。

 一方、欧米では、後述の様に、事故再発防止の観点からの事故調査機関が、中立機関、あるいは行政機関として存在し、調査・分析・勧告を行うなどの機能を果たしている場合が多い。

 安全にかかわる工学的な課題については、機械工学、システム工学、人間工学をはじめとして多分野にわたる学際領域としての研究がなされてきている。そこで、本委員会は交通事故調査の問題点とその対応策を考察、検討して、今後の交通事故調査のあり方、情報公開、適切な事故調査機関等の諸方策を提言するものである。


2.今までの論議の経緯

 日本学術会議主催の第28回安全工学シンポジウム(1998年)において信楽高原鉄道事故の事故調査のあり方に関する報告があり、活発な質疑応答・議論が持たれた。
そこでは安全確保についての貴重な議論がなされ、今後の交通事故調査方法についての問題提起がなされた。

 これを受けて、第17期の「人間と工学研究連絡委員会 安全工学専門委員会」は、交通事故調査のあり方、調査結果の情報公開、第三者的な交通事故調査機関の必要性等について広く論議してきた結果、社会の中におけるこの問題の重要性を認識するに至った。

そこで、安全工学専門委員会の下に「事故調査方法検討会」を置き、安全工学の視点からの交通事故調査方法のあり方について検討を重ねてきた。
その間、第29回安全工学シンポジウム(1999年)ではオーガナイズド・セッション「安全工学の観点からの交通事故調査」を設け、広く一般からの意見も聴取し、この報告書の参考とした。

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U 事故調査方法の現状

1.わが国における事故調査の現状

(1) 航空事故

 航空事故はひとたび事故が発生すると社会的インパクトが大きいため、1974年から常設の調査委員会が事故調査委員会設置法に基づいて原因究明・再発防止を目的として運輸省内に設置されている。組織は運輸大臣の指揮命令を受けない形となっている。
さらに、間接的ではあるが強制力のある調査権がある。
委員会は審判は行わず調査、勧告のみを行う。

 航空事故調査委員会では民間機、民間機−自衛隊機の事故までの調査を扱う。
航空事故調査委員は定員5名任期3年で学識経験者が就任しており、運輸省内に調査委員会事務局が置かれ、20人規模の調査官が分析に当たっている。

 航空機にはボイス・レコーダー、フライト・レコーダー、デジタル・フライト・レコーダー等が備えられており、事故原因解明にとって有力な情報が得られることが航空事故調査の特徴と言える。

 自衛隊機のみが関与する事故は防衛庁内部に調査委員会が設置される。委員会は現地調査と最終結論を出す航空事故調査委員会とに分かれている。現地調査は専門家から構成される「航空安全管理隊」が担当し、事故発生後6 時間以内に現場へ到着できるよう現地派遣集団が常設されている。


(2) 鉄道事故

 大規模事故の発生件数が比較的少ないため、従来鉄道事故についての常設の事故調査機関は存在しなかった。鉄道事業者には運輸大臣への事故の報告が義務づけられている。
しかし、過去において重大な事故が発生したときは調査委員会が設置され、運輸省による調査が行われた。その場合の委員には外部の学識経験者も含まれている。

 ただし、刑事責任を追及する目的の警察の調査が実質的に優先されたため、証拠物件の調査に一定の制約が生じる場合もあった。

 現在、運輸技術審議会内に7名の学識経験者よりなる事故分析小委員会が置かれている。
特大事故、特異な事故が発生したときは別途運輸省鉄道局内に事故調査検討会が設置されて調査にあたる体制となっている。


(3) 道路交通事故

 道路交通事故は非職業人である一般人が加害者である場合が多い点で、他の交通事故と状況が異なっている。
道路交通事故は年間約85万件発生している。
事故調査はもっぱら警察により責任所在の明確化を主目的として行われている。

 また、交通事故調査は国や民間よりも第三者機関が行うべきだという世論もあり、(財)交通事故総合分析センターが道路交通法に基づいて設立されている。

 平成5年から茨城県つくば地区で年間約300件程度、平成9年からは全国を対象として年間約100件程度の交通事故例調査を行っている。実際の交通事故例から、運転者・同乗者・歩行者等の道路利用者、道路交通環境、車両、救急・救助、医療(傷害状況)等の総合的な観点から詳細、かつ、科学的な調査を実施し、事故防止、被害軽減など、交通事故防止対策に資するための基礎資料を収集している。

 調査対象の事故については、警察の行う交通事故捜査と並行して調査されている。この分析センターで実施している個別事故の調査結果(ミクロデータ)は、情報提供者との外部提供に対する了解事項とプライバシー保護、あるいは非訴訟目的利用等の観点から外部提供は行われていないが、その分析結果は「交通事故例調査・分析報告書」として毎年公表されている。

 さらに、このミクロデータは調査体制等により調査件数に限りがあるため十分な統計データを得るには至っていないものの、これとは別に関係官庁から全国の自動車事故データ、運転免許データ、自動車登録データ、道路センサスデータの提供を受けて交通事故統合データベースを構築し「交通事故の防止および被害の軽減」を目的とした活動を行っている。


(4) 海難事故

 海難事故が発生した場合、司法判断に向けての海上保安庁による調査と行政採決を行う海難審判庁による調査とが行われる。また、事故の性格から必要に応じて地方自治体等の公共機関、保険機関、所属船社等の独自調査が行われることもある。

 海難審判は原因究明、再発防止を目的としており、審判庁は運輸省の外局となっている。
審判官53人、理事官41人、副理事官9人の陣容で審判を行っている。
原因の探求が困難な場合、学識経験者が審判官に加わることがある。

 理事官職務の調査は強制権はなく、特に外国船の場合は必要な証拠が得られないことがある。
また、審判のための証拠としては、海上保安庁等で公権力を行使して得た調書は使用されない。
懲戒裁決がなされる場合は受審人に対しては免許の取り消し、当該部門について1ヶ月以上3年以下の業務停止、戒告が行われる。
特定海難関係人(例えば造船メーカー等)に対しては勧告がなされる。

 犯罪が関与したと思われる時は海上保安庁が捜査する。
強制力があり、拘束、現場保全が可能で、裁判は地方裁判所で行われる。


2.諸外国の現状

(1)米国NTSB

 米国は1966年に連邦運輸省を設立した際に運輸省内にNTSB(National Transportation Safety Board)を設立した。その後、1974年にNTSBは独立政府機関に改められた。
 NTSBは運輸事業の運営について規制、財政援助、直接関与の権限は持っていない。
そのため完全に客観的な立場から、事故調査・勧告を行うことができ、以下のような特徴をそなえている。

(a) 航空事故の場合、調査に協力しないと罰金を科したり、協力するよう裁判を提起できる等、強力な調査権がある。

(b) 議会に対して運輸の安全に関する勧告を含めた報告書を毎年提出する義務がある。

(c) 運輸長官宛てに改善勧告が出された場合、長官は90日以内に回答する義務がある。

 対象とする事故は、航空事故、道路事故(踏切事故を含む)、鉄道事故、パイプライン事故、重大な海運事故、その他大災害・再発可能性のある事故である。

 NTSBには他の機関に優先する調査権限が法律で与えられており、事故の発生後、鉄道会社、メーカ、政府機関等事故に関係する当事者も参加して調査にあたる。事故の原因に最も近いところにおり、技術的な知識を持ち事実確定、証拠収集をもっとも効果的に行えるのは当事者であるとの立場をとって調査に主体的に関与させている。
 しかし、指揮監督を取るのはあくまでもNTSB であり、調査結果を分析・評価し、報告書を出すのもNTSB となっている。

 事故調査には弁護士等の司法関係者が関与することは許されておらず、NTSBの調査結果を責任追及のための裁判資料として利用することや、NTSBの調査官を裁判に召喚し証言を求めることは法律で禁じられている。

 事故調査の完了後、改善勧告を行う調査報告書を発表するが、事業者への対応は監督官庁の任務、権限となっている。

 また、1997年の組織変更により渉外広報局が渉外・広報および家族支援局と改められ事故犠牲者の遺族らに対してさまざまな支援活動を行うようになった。

 NTSBは5人の委員で構成されており、スタッフは総計約400人である。1998年度の予算は約4,600万ドルでそのうち鉄道事故関係の部門は約216万ドルであった。
NTSBが1年間に行う事故調査の件数は約2500〜3000件で、そのうち鉄道関係約100件、道路事故約700件、航空事故は軍用機を除く発生した全ての事故で約2000件となっている。調査期間は事故の大小により異なるが、大事故の場合、10〜12ヶ月、その他の事故の場合は5〜8ヶ月となっている。


(2)英国HMRI

 1974年の労働健康安全法に基づき健康安全委員会(Health and Safety Commission )が設立され、航空と海運を除いた工場労働者の安全、鉄道事故調査、原子力施設の安全までの広範囲な部分をカバーする活動を行っている。

 鉄道事故調査はHSC 内の鉄道監督局(Her Majesty's Railway Inspectorate )が行っている。HMRI は運輸省から独立した機関であるが、鉄道の安全性に関する規則の制定権、日常的な監督権をも有した事故調査機関となっている。

 英国内8都市に合計29人の地域駐在監査官が配置されており、事故の連絡を受けた後2〜3時間で事故状況を把握し、調査の必要性を判断する。
現場検証は鉄道警察(BTP)が実施するが、HMRIはBTPに対して証拠集めの協力を求めることができ、検事に近い権限を持っている。
 事故要因が技術上の問題の時はHMRIが調査主体となり、事故要因が犯罪行為の場合はBTPが調査主体となる。

 また、HSE(Health and Safety Executive)は保健・安全研究所HSL(Health and Safety Laboratory:スタッフ約400人)を有しており、独自に事故原因や証拠の分析を行うこともできる。
 HMRIは調査結果に基づき再発防止のための勧告を出し、レポートとして公表している。
さらに、勧告の実施を監視するために抜き打ち的な巡回監査(Spot Check)が行われている。


(3)ドイツ国

 現在、航空機事故の場合は独立機関、海運事故の場合は連邦が原因調査を担当している。一方、鉄道事故の調査は鉄道事業者と連邦鉄道庁(EBA)とが並行して行っている。
EBAの調査は重大事故を主体に実施されるが、事業者の調査義務を監視するために中小事故についても抽出的に実施される。

 EBAは法的な捜査権限を有してはいないが、列車運転記録などの証拠物件の確保と関係者の事情聴取を行っている。
EBAの調査は技術的な調査が主体となっている。
警察も犯罪の面から調査を行うが、証拠物件の確保は早いもの勝ちであり、互いに確保した証拠を提供する義務はない。

 鉄道事業者、EBAで事故原因の分析ができない場合は、中立的な第3者機関に委託することになる。
調査報告書には、原因分析の他に事故統計に基づく類似事故との比較、類似事故の再発可能性の評価およびその減少対策が含まれる。

 道路交通事故の分野においては、連邦道路交通研究所BAS't (Ministry of Transport, Building and Housingに所属) がハノーバ医科大学に委託して、交通事故の予防及び被害軽減のための基礎資料を収集すべく、警察による事故捜査とは別個に、詳細な事故調査分析を行っている。


(4)国際組織

 1993年10月に米国、カナダ、スウェーデン、オランダ(鉄道事故調査委員会および道路事故調査委員会)が加わりITSA (International Transportation Safety Association)が設立された。その後ニュージーランド、フィンランド、旧ソ連邦共和国が加盟し現在に至っている。

 活動の目的は(1)他国の事故調査機関の経験に学び運輸の安全性の向上、(2)独立性を持つ調査機関による運輸事故の調査についての情報提供、(3)運輸事故の原因、安全勧告、技術や方法論等についての情報交換、(4)重要な安全勧告の実施状況の情報交換、(5)定期的な会合の開催、である。

 なお、1992年における日米英の鉄道事故発生率を比較すると、列車運行100万キロあたりの死亡者数はそれぞれ、0.33、1.19、0.16となっている。

 日米の大きな事故率の差はATSの搭載率がそれぞれ95%、6%となっている安全設備面における差に起因しているものと考えられる。事故調査機関の充実度が現場の安全設備整備に直接的に反映しているわけでもない点にも問題がある。
航空事故の場合は、NTSBや各国の事故調査委員会からメーカー・航空会社に出される指示はかなりの実効性をもつと考えられる。

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V 交通事故調査のあり方と課題

1.事故現場・証拠の保全

 事故が発生した場合はすみやかに専門家が現場へ到着し、事故原因解明にとり必要な証拠を保全しなくてはならい。
そのためには専門的知識を有する人間により構成される常設の組織が適切な場所に設置される必要がある。
現状でも、航空事故調査委員会内の調査官、航空自衛隊内の航空安全管理隊、全国8箇所に設置された地方海難審判庁内の理事官等が存在し、一定の機能を有している。

 このような機関が組織化されていない輸送量の多い交通機関(鉄道、道路運送など)も多い。
また、道路交通事故はもとより、交通事故においては、地元の警察が現場へ急行して捜査・調査にあたっているが、犯罪行為の捜査と、事故防止のための調査との区分を明確にしないまま混然と行っているのが現状である。

 したがって、すべての交通事故(輸送機関)において、交通事故調査を目的とした専門家が現場へ急行できる体制が必要であり、さらに十分な証拠保全のための他機関に優先する「調査権」が必要となってくる。

 ここで言う調査権には、「事故に関連する場所へ立ち入ること」、「事故の現場に、支障がないと認める者以外の者が立ち入ることを禁止すること」、「事故に関係のある物件・現場の保全を命じ、又はその移動を禁止すること」、「事故に関係のある物件の提出を求め、又は提出物件を留め置くこと」、「関係者に出頭を求めて質問すること」、「必要に応じて関係者を拘束すること」等の権限が含まれる。


2.調査機関の目的と中立性

 事故調査機関は中立性を保つことが望ましい。
すなわち、事故の当事者である輸送機関組織自身による調査には限界がある。つまり、調査内容によっては刑事罰または民事の損害賠償の対象にもなりかねないことから、どこまで事故原因の真相の解明が行われているか、真実性、信頼性、公平性の点で疑問が残る。被害者やその遺族による調査にも限界がある。
おおむね技術的、専門的知識を備えていることは希であり、一私人であるため諸資料の入手や関係者からの聴取が困難である。

 国・行政が行う調査では、前二者に比較すれば公平性、専門性に優れていると言えるであろう。
また、現在道路交通事故について実施されている第三者機関((財)交通事故総合分析センター)による調査も中立性の観点からは望ましい形態と言える。

 各種の事故調査のうちには恒常的な組織でないために速やかな対応ができない場合、専門性においてやや不十分である場合、調査における法律的な根拠が不明確な場合、それに伴い調査権限に限界がある場合、事故調査の目的に安全性向上、再発防止以外の行政的処分を含んでいる場合もある。


3.裁判による事故の解明の限界

 刑事裁判というものは事件の責任者を明らかにして責任者に刑罰を与えるところに第一の目的がある。
したがって、事故の原因を明らかにするといってもそれは起こった事態と責任者の意思・判断・行為との因果関係を証明するための調査に力点が置かれることになる。

 例えば、餘部鉄橋列車転覆事故(1986年)は強風警報が鳴っていたにもかかわらず、現場の職員らが列車の運行を止める処置を取らなかったことが原因で起こったが、その背景には、餘部鉄橋の強風事故防止設備の不備・欠陥、CTC指令員への強風時の対応についての指導・教育の欠如、規定と異なる運用の習慣、幹部職員がこれらの状況を放置していた組織の体質等の問題点があった。
 しかし、神戸地裁の判決ではこれらの問題点を指摘してはいるが、刑事責任を問われた現場職員の情状の材料として述べられているだけである。
刑事裁判とは異なる事故原因調査の場が必要である。

 当然、この事故調査は犯罪捜査のために使われてはならないという立場を明確にする必要がある。このことは既に、航空事故調査委員会設置法の事故調査のありかたでも述べられている。


4.事故調査における人間要因の考え方

 交通事故においては、事故起因源として人間が関係する場合が多い。
その関係の仕方は直接的加害者としての過失、故意または怠慢による関係もそうであるし、また、一見、機械要因、道路要因、自然要因などによる不可抗力の事故と見えても、整備不良、道路設計不良、また自然要因への対処不良(例:北海道トンネル岩盤崩落事故(1996年)、餘部鉄橋列車転覆事故)など、設計、製造、整備などにかかわる人間要因が深くかかわっていることも多い。

 どれほど自動化の進んだ複雑なシステムにおいても、その運用において人間がかかわっており、その運用者としての人間に適合しないシステム設計がなされているのであれば、事故の原因になり得る。(例:中華航空機墜落事故)さらに、直接的加害者が公共輸送機関の一員である場合には、その服務のさせ方が事故を招来する重大な要因となっていることもある。

 一般に、第三者への人身事故を伴う交通事故においては、被害者の加害者に対する処罰要求感情が生じる。また、公衆災害などの大規模事故に至った場合においては、一般社会も事故の起因者をはじめとする関係者の処罰を望むものである。
これは社会一般のもつ自然な感情である。しかし、事故に至ったメカニズムの解明と、再発防止を目標とする事故調査において、そのような感情を排除して、事故に至った人間行動を引き起こした背景諸要因を虚心坦懐に分析し、有効な教訓と対策を引き出すことが安全性向上につながる道と言える。

 別の言い方をすると、事故調査においては、事故に至るまでに関与した人間行動の解明を行うことが責務であり、当事者の責任追及を念頭におく司法捜査とは一線を画す必要がある。
人間行動が関与する事故においても事実究明を目的とするという立場を確立すれば真相究明が容易となり、類似事故の再発防止、安全向上にとり貴重な事実が明らかとなる。

 通常の運転操作をしていながらなおかつ事故が発生してしまった場合、つまり、うっかり・ぼんやり、勘違い、操作ミス、対応の遅れ等の意図しない人間行動が原因となった事故では、その人間行動の背景にある問題点を明らかにし、当事者の責任追及はしないこととする。

 ただし、定められた法律・規則を守らない、常識に照らし当然すべき注意を怠った等意図した逸脱や故意の違反により事故を引き起こした場合は当然責任は問われなければならない。

 あきらかに責任を問われる行動があった場合でも、特異な事故・未解明の事故が当事者の証言により解明され、将来起こるかも知れない大事故を未然に防ぐ効果がある場合には刑事免責のシステムを導入する事は有用である。
そのためには、刑事免責の基準を明確にして広く合意を形成し、公正なる運用をすることが重要になってくる。

(参考)人間には物事を大局的に捉え、また、少ない情報から直感力を駆使して常識に反しない判断を下す能力が備わっている。それゆえ、あらかじめ想定されていない事態に遭遇しても臨機応変・適切な処置を期待することができる。
 一方、人間は、長時間の単調な作業の繰り返しは不得意としており、創造性の裏返しとして定められた手順だけを繰り返すことを苦手とする、思い込みをする、過剰自信から規則違反行為をするなどの特質も持っている。
 このような特質を考慮しない輸送機器設計、道路設計、運転者管理、規則制定などをおこなうことは、人間(運転者)に過度の負担を強いることとなり、その結果、所定の行動をとることができないという、いわゆるヒューマンエラーを犯させることとなる。


5.職業人と非職業人

 交通機関を運転する人間には大別して2 種類ある。つまり、運転を職業としている人々とそれ以外の人々である。職業人は通常長期の専門的訓練を受け、高度の技量を持っているとともに、大事な人命を預かっているという心構えがしっかりとしており普段から慎重な運転を心がけている。
 それに対して非職業人は個々人の差が大きく職業人ほど専門的な教育を受けておらず、また気軽な気持ちで運転に携わっている面が見られる。

 鉄道の運転に携わっている人々はほぼ100%職業人であろう。航空機では、非職業人が操縦しているケースは、小型飛行機、ヘリコプター、グライダー等を自家用として使用している場合に見られる。船舶はプレジャー・ボートの運転者はほぼ非職業人であり、また漁船の操縦者も操縦する事ではなく漁が職業である点から非職業人としての面が強いと言える。そのため船舶では非職業人が操縦に携わっている場合がかなり多いと考えられる。

 自動車の場合、個人が通勤・行楽に使う場合は非職業人と言える。
また、酒屋の主人が配達のため車を運転する場合も運転そのものにより収入を得ているわけではないので非職業人と言える。

 各交通機関における職業人と非職業人が関与した交通事故件数の比率を調べてみると、それぞれ、航空機(1:2.0)、自動車(1:14.6)、船舶(1:3.2)となっている。

 航空機は1997年におけるわが国の事故総数中で自家用と分類されているものを非職業人の操縦とした。
自動車は1998年の統計で第1当事者、第2当事者の車両を事業用、自家用、その他で区分したデータから、事業用を職業人、自家用を非職業人として算出した。船舶は1997年における要救助海難船のうちプレジャーボート、漁船を非職業人の操縦とした。

 これで見ると、鉄道事故以外は非職業人が関係した交通事故のほうが多くなっているが、特に道路交通事故においては圧倒的な比率になっている。


6.インシデント(前兆事象)分析の必要性

 大事故には至らない不安全事象、前事故事象ともいわれているインシデントの分析から重要な情報が得られる。
大事故が発生する以前に危険要因を探り出して未然に大事故の発生を防止することが可能となるが、発生してしまった大事故の分析からでは得られない種類の情報も得られる。
 大事故発生時には、当事者の死亡あるいは黙秘、機材の損壊により事故発生の真のプロセスを解明することは困難となる場合が多い。

 事故分析には客観的妥当性が求められ、分析者の論理に基づく論理的整合性が重視された事故報告となる。
しかし、実際に発生したインシデントのプロセスにはさまざまな偶然的、非論理的、非合理的な要素が関連し、通常の経験則による推理が当てはまらない場合が多々ある。
 インシデント分析の場合には、発生に関与した者による詳細な報告が容易に得られるので、人知を超えた潜在的な危険要因を事前に把握し、大事故発生防止にとり貴重な情報が得られる。


7.情報公開の原則

 事故調査機関の調査結果は広く公開されることが望ましい。
それは、以下を考えれば明らかである。

 旧ソ連邦では事故・災害の情報は国家機密の上位にランクされていた。そのためいったん発生した事故が教訓として他の現場で生かされてこなかった。
 そのためチェルノブイリ原発事故(1986年)、ウラルの核惨事(1957年)、宇宙開発における事故、鉄道事故、航空機事故、アルメニア地震(1988年)による建築災害など事故・災害が続発していた。
これらは情報公開の大切さを裏面から実証している例となっている。

 インシデント分析の結果を公開することも安全性向上に寄与すると考えられる。
米国では1976年から飛行安全報告システム(ASRS)がNASAにより創設され、NASAにより分析された結果が月間公報「コールバック」として提供されている。
 このシステムの創設と連動して米国における航空事故率は減少した事実が見られる。わが国においては、インシデントの報告制度は各航空会社内には存在しているが一般への公開はなされていない現状である。

 情報公開においてはプライバシー保護を前提とするのはもちろんであるが、それとともに事故やインシデントを進んで公開するということは、危険を覆い隠す体質を改め、安全向上に寄与することである、という国民の理解、意識が十分成熟していることも必要となってくる。


8.継続的研究の必要性

 事故発生時臨時に専門家が事故分析・調査を実施するのではなく、日頃から継続的に分析方法、事故事例分析、インシデント分析、データベース構築、ヒューマン・インターフェイス、サバイバル・ファクター等の交通事故の防止、安全性向上に関連した研究を行っていく必要がある。

 このためには、交通事故対策研究費の様な枠組みを作り、ポテンシャルの高い研究組織に研究を依頼するシステムをつくるのが適当であろう。
 これにより基礎的な研究を含めた事故対策に関する継続的な研究を広く国内の研究所等の機関で実施することが可能となる。研究項目選定、研究費配分、研究評価、研究成果活用はしかるべき組織(運輸省あるいは将来の国土交通省等)が中心となり行うのが適当であるが、交通事故調査・分析には「人」、「機械」、「道路環境」、「管理」、「教育」、「医療」等多方面の分野が関係してくるのでこれらを適切に統括できることが重要となってくる。


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W 提言

1.調査機関の設置
 交通事故の原因調査と再発防止への勧告を行う調査機関はすべて常設とする。

2.事故調査の性質
 交通事故調査は犯罪捜査のためのものではない事を明確にする。

3.責任追及のあり方
 通常運転時の事故発生に関与した当事者の責任は追求しないという立場を確立する。

4.刑事免責制度
 国民のコンセンサスを得られれば、刑事免責のシステムを導入する。

5.初動調査体制
 事故現場・証拠の保全を確実なものとするため、専門家により構成された初動調査機関を一層充実させる。この初動調査機関には、犯罪が関与していない場合は、他の機関に優先する調査権限を与えることとする。この調査結果をもとに事故調査委員会が事故分析、原因の究明、勧告・報告書の作成を行う。

6.事故情報の公開
 事故調査結果は遅滞なく公表される必要がある。国民の生命にかかわる情報はプライバシーを除いて、企業機密や利害に関係なくすべて公表されるべきである。さらに、インシデントの報告・公開制度も充実させる。ただし、調査結果は責任追及のための裁判資料としては利用できないこと、調査官は裁判に召喚し証言を求められないことを明確に規定する。

7.交通事故対策研究費
 交通事故対策研究費の様な枠組みを作り、事故分析・対策に関する継続的な研究を広く国内の研究所・機関で実施することを可能とする。

8.道路交通事故への対応
 道路交通事故は毎日多数の事故が,全国至る所で発生しているという点で他の交通事故と状況が異なっている。 交通事故の発生を最も速やかに察知できる警察が、司法警察の行う犯罪捜査と併せて、行政警察において交通事故調査の専門家を育成し各警察署等の現場に多数配置する等の事故調査を専門的に行う体制を確立する。

9.非職業運転者対策
 特に道路交通事故に顕著に見られる非職業人が関与する事故低減のため早急に、
 @一般人の運転において緊張状態の長時間持続を強制しない交通システムの確立、
 A非常時における人間行動バックアップ・システムの整備、
 B一般市民に人間特性を十分理解させる安全教育の徹底、の方策を進める。

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X 解決すべき問題

 上記の提言の実現においては、各方面、とりわけ司法行政との調整が必要となることも多い。
以下の問題は、工学領域だけでは解決が困難なことがらであり、各方面との議論が強く望まれるものである。
しかしながら、安全で安心できる社会を構築するための事故調査目標、つまり「事故再発防止」の実効性のためには、これらの諸問題は乗り越えるべきものと考える。


(解決すべき問題)

1.調査機関の位置付け
 調査機関は、その中立性が望まれる。
それゆえ、国の機関とは別に位置付けることも一方策である。しかしながら、調査機関の勧告を実効あるものとするためには、運輸行政機関の一機関とすることがむしろ望ましい面もある。調査権限との関係もあり、調査機関の位置付けに関しては議論が残る。
 さらに、すべての輸送機関を対象とする機関を一つ設けるようにするか、あるいは輸送機関別の調査機関とするかは、調査能力、調査の実効性との関係から検討を要する。
なお、国の機関とした場合でも司法機関に属させないことは論をまたない。

 調査機関にはしっかりとした財政面での支援を与える必要がある。財政基盤なくしては組織が十分機能を果たせない結果となってしまう。


2.調査機関の権限

 一般に事故が発生した場合には、司法機関が司法調査を行い必要な証拠類を押収する権限を有する。
事故調査機関を実効あるものとするためには、他機関に優先する調査権を与えることが望ましい。
 その場合には新たな立法が必要となる。
 さらには、NTSBに見られる改善勧告権あるいは行政命令権も望まれる。


3.調査機関との関係

 事故調査と犯罪捜査が重なり押収されるべき証拠類が同一となった場合は、どちらが優先されるべきであるかが問題となってくる。
 どちらが優先されたとしても、優先されなかった側には不都合が生じてくる。原則として犯罪が関与していない場合は事故調査に優先権を与える。

 犯罪が関与した場合は純粋な事故原因解明ではなくなるので調査主体を犯罪捜査機関とする。
 調査開始時点で犯罪の関与が不明の場合はどちらかが主体となって調査を遂行せざるを得ない。
 調査進行に伴い事実が明らかになり調査主体を変更する場合には、すみやかに証拠類を新規調査主体に引き渡す必要がある。

 この様な協調、主体変更がスムースに行えるかは疑問の残るところである。さらに調査目的が変更になった場合、遡って資料等を収集することが不可能になっている事態も出てくる。捜査機関との協調は必要であるが、一方で司法協力機関の立場が強くなり調査機関としての中立性が損なわれるおそれもある。


4.免責制度

 事故の真の原因を探るためには、関係者の証言が欠かせない。
 しかし、その証言をすることにより、自らに刑事責任が及ぶ恐れがあるときには、有効な証言は得にくい。
 事故調査に重要な証言を得る場合には、それが刑事責任の追及の材料とされないことを保証する(免責する)必要が出てくる場合があり得るが、刑事免責はわが国の司法制度の中には確立されていない。
 現状の法制度のもと、免責を与えないで証言を得た場合、仮にその証言が重大な犯罪行為を含むものであった場合には、それを司法当局に通報しないことは犯人隠匿となるおそれもある。

 現在検討されている刑事免責制度とは性質は異なるが、交通事故調査においても積極的に免責制度を導入する必要がある。
そのためには、明確な免責の基準、免責制度についての合意の形成、公正なる運用方法の確立が必要となってくる。

 さらに、調査員が裁判あるいは国会等の証人として召喚された場合には、それに応じないことを許す身分的保証が与えられることまでを考える必要があろう。


5.被害者感情

 交通事故において、事故に見舞われた被害者は、いわゆる加害者の処罰を望むのが、一般的な自然な感情である。
事故調査においては、事故に関与した当事者の責任を追求することを目的としたものではないとはいえ、調査の結果が公開され、加害者の存在が明らかとなった時何の処罰もなされないとなると、被害者感情を著しく軽んじることになる。
事故調査の趣旨が社会的に受け容れられ、社会的な支持を得るための努力が必要である。

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