次世代の健康問題と予防医学の将来展望
「予防医学研究連絡委員会報告」
平成12年5月29日
日本学術会議第7部
予防医学研究連絡委員会
この報告は、第17期日本学術会議第7部予防医学研究連絡委員会で審議した結果を取りまとめて発表するものである。
予防医学研究連絡委員会
委員長 高石昌弘(大妻女子大学人間生活科学研究所教授、国立公衆衛生院顧問)
幹事 大澤清二(大妻女子大学人間生活科学研究所教授)
奥山輝明(東京都教職員互助会三楽病院産婦人科顧問)
委員 小林修平(和洋女子大学家政学部教授)
近藤健文(慶応義塾大学医学部教授)
鈴木庄亮(群馬大学医学部教授)
高野 陽(東洋英和女学院大学人間科学部教授、国立公衆衛生院顧問)
村山正博(聖マリアンナ医科大学学長・教授)
対外報告書要旨
1.報告書名称
「次世代の健康問題と予防医学の将来展望」
2.報告書内容
(1)作成の背景
・社会情勢の変化と少子高齢社会の到来
・疾病構造の変化と予防医学の果たしてきた役割
・「健康日本21」構想と予防医学の将来展望
(2)現状及び問題点
・健康に関わる現代的課題
(生活習慣病など1次予防の視点からみた現代的課題と新興・再興感染症などの課題)
・生活習慣病など臨床医学と予防医学の接点の重要性
(臨床医学と予防医学との連携の実態−臨床医学関連学協会に対する実態調査結果にみる現状)
・医療経済的視点からみた予防医学の貢献
(少子高齢社会における医療費抑制の課題)
(3)改善策、提言等
・次世代の健康問題に関わる予防医学分野の役割の明確化と新しい体系の構築
(「健康日本21」構想の具現化に関わる保健医療政策と予防医学分野の連携の強化)
・予防医学分野における人材養成の体系化
(公衆衛生大学院構想の実現と予防医学に関する専門医制度の創設)
・予防医学分野における研究と国際協力の推進
(研究課題の検討と研究推進のための方策の確定並びに国際協力推進における予防医学の重要性の確認)
第17期予防医学研究連絡委員会報告
「次世代の健康問題と予防医学の将来展望」
目次
1.予防医学の概念とその役割
(1)予防医学の定義と概念
(2)わが国の予防医学の歴史とその果たした役割
(3)包括医療としての予防医学
2.健康問題の現状と今後の課題
(1)疾病構造の変化と現在の健康問題
(2)少子高齢社会をもたらした背景の分析
(3)今日の健康問題における予防医学の役割
3.臨床医学と予防医学の関連
(1)臨床医学における予防医学の必要性
(2)医療経済的視点からの予防医学の貢献度
(3)臨床医学と予防医学との連携の実態
4.予防医学分野における人材養成の体系化
(1)予防医学分野における人材養成
(2)予防医学分野における人材養成の方向性
5.予防医学分野における研究の推進
(1)予防医学の変遷と対応する技術
(2)予防医学の段階と予防の意義
(3)予防医学研究の課題
(4)予防医学研究の対象とひろがり
(5)予防医学研究において利用できる資料・データ
(6)予防医学研究の方法
(7)個別の疾病等の予防の課題(例示)
6.予防医学分野における国際協力の推進
(1)予防医学と国際協力
(2)開発途上国に対する国際協力
資料
1.予防医学の概念とその役割
(1)予防医学の定義と概念
予防医学は、一般に、治療を中心とした臨床医学との対比において、疾病の罹患を防ぐことを目的とした医学の領域として認識されている傾向が強い。しかし、今日の予防医学は、疾病の罹患予防を目的とするだけでなく、より広い概念を含むようになってい る。即ち、予防医学とは、疾病予防、傷害防止、寿命の延長、身体的・精神的健康の増進の科学といわれている。それに基づき、予防医学の領域は、@一次予防、A二次予防、B三次予防に区分される。
@一次予防とは、いわゆる健康な時期に、栄養・運動・休養など生活習慣の改善、生活環境の改善、健康教育等による健康増進を図り、さらに予防接種による疾病の発生予防と事故防止による傷害の発生防止をすることである。
A二次予防は、不幸にして発生した疾病や傷害を検診等によって早期に発見し、さらに早期に治療や保健指導などの対策を行い、疾病や傷害の重症化を防ぐ対策のことである。
B三次予防とは、治療の過程において保健指導やリハビリテーション等による機能回復を図るなど、QOL(Quality
of Life)に配慮することによって再発防止対策や社会復帰対策を講じることである。
このようにしてみると、予防医学は、治療医学と密接な関連性をもつということができる。わが国においては、一次予防,二次予防が、公的な保健活動として実践されている点も重要である。また、予防活動は、医学を基盤とした領域であることに違いないが、保健学、栄養学、看護学、教育学さらに心理学等の医学以外の多くの分野との連携の下に、確立され実践すべきものであることを認識しておきたい。特に、現代社会の新たな健康問題に対応して充実した予防活動を展開するためには、各分野の連携の重要性が強 調されている。
(2)わが国の予防医学の歴史とその果たした役割
わが国の予防医学の実践とその成果を具体的な保健活動の観点から検討したい。
わが国における戦前の主要な死因は感染症や栄養障害であり、死亡率も人口千対30前後を呈し、当然平均寿命も短かった。従ってわが国の予防医学も、他の先進諸国と同様に感染症と栄養障害に対する予防対策から始まったといってよかろう。わが国では 19世紀後期において、北里柴三郎、志賀 潔等が優れた細菌学の研究成果を挙げるなど、学界や行政においても感染症対策の必要性が認識され、伝染病予防法(1889年)、結核予防法(1919年)が制定されるなど、感染症対策を中心に予防医学の活動の基盤 が作られた。
また、感染症予防の主役である予防接種の開発と普及については、WHO(世界保健機関)の天然痘撲滅宣言にみるとおり、予防医学の成果が証明されている。さらに、わが国における予防接種に関する特記すべき出来事は、ポリオの激減にみることができる。即ち、1958年頃のポリオの大流行に際し、日本小児科学会・日本小児保健協会の協力を得て、政府は生ワクチンの導入に踏み切った。これにより、わが国では、それ以降、ポリオの発生は劇的に減少し、ポリオ患者は今日では皆無といってもよい。わが国の予防接種は、戦前の伝染病予防法を基盤に、戦後の予防接種法(1947年)によって実施されてきたのである。
次いで、力点の置かれた保健対策は、母子保健対策である。乳児死亡率が出生千対188.6(1918年)という20世紀の最高値を呈したように、20世紀の中頃までは、わが国の母子保健は決して高い水準にあったわけではない。当初の母子保健活動の目的は、妊産婦や乳幼児の死亡率の低下を図ることであった。しかし、母子の感染症や栄養障害による死亡は顕著な低下をみることなく、わが国は大戦を経験することになる。
第二次大戦後、GHQの強力な指導の下、公衆衛生活動を基盤とした予防医学の実践が本腰を入れられることになった。保健所法(1947年)などの各種の保健活動を支える法規が制定され、予防医学の実践としての保健対策が始動したといえる。その際、中心となったのは感染症対策や母子保健対策であった。新しいワクチンの開発とその接種の徹底を図り、栄養状態の改善を目的とした食生活指導が広範囲に実践された。また、地域における健康教育の一端として、新婚学級を通じての家族計画思想の普及が進み、妊婦や乳幼児期の健康診査を含む母子保健活動の充実が図られるなど、戦後のわが国の保健活動の方向性が確立された。さらに、経口感染症の予防に大きな効果があったのは、上下水道の普及をはじめとした生活環境の整備であり、わが国の保健状態の水準の向上に貢献した。もちろん、その背景には、臨床医学の急速な進歩があり、社会的には急激な経済成長、高い教育水準等があったことも否定はできない。
その後、経済の高度成長の反面、工業化をはじめとする産業構造が変革した結果、各地で大気汚染等の公害が発生し、住民に気管支喘息をはじめとする多くの健康被害がもたらされることとなった。残念なことに、これに対しては予防医学は各種の対策に協力はしたものの、必ずしもその機能を十分に発揮したとはいえない。
また、生活様式の変化に伴い、小児から成人に至るあらゆる世代に、肥満傾向の増加を招き、いわゆる生活習慣病(成人病)の発症につながった。1960年代からは、虚血性心疾患、脳血管障害や悪性新生物が主要な死因となり、その予防対策の確立が必要とされるに至った。生活習慣病に関連する予防活動は、一次予防、二次予防、さらに三次予防と予防医学の全ての領域が必要とされる。即ち、食生活を中心とする小児期からの生活習慣の改善(一次予防)、集団検診の実施(二次予防)、さらに発病後はリハビリテーションによる機能回復を図る(三次予防)、など予防医学の全ての分野の機能が包括されている。これらはなにも予防医学分野が独占して活動するのではなく、意識されているか否かは別としても、臨床医学の実践の中でも日常的に行われていることである。全国的にみると、乳幼児期・学齢期からの一貫した生活習慣病対策の必要性が十分に浸透し、医科系大学、医療保健機関、保健行政との連携の下で実践され、その効果を十分に上げている地域も多い。一方、モータリゼーションの進行に伴う生活様式の変化のため、交通事故等による傷害の課題が益々大きくなっていることも忘れてはならない。
さらに、1985年以降には、エイズ、腸管出血性大腸菌(例:O157)による感染や結核症など新興感染症や再興感染症などの問題が多発した。そのような時代的背景の下、伝染病予防法、性病予防法等の感染症に関する法規は、感染症に関する新しい法規として「感染症の予防及び感染症患者に対する医療に関する法律」という名称の法律に大幅に改正され、その予防対策が講じられるようになった。また、近年、結核患者の集団発生が問題になるなど、感染症対策についての世間の新たな関心も高まっている。さらに、若年者をはじめとして、性感染症の多発もみられ、その予防対策も今日においては重要な課題となっている。特に、性感染症は学齢期や思春期に拡がっており、この時期での健康教育や性教育を介して、早い時期からの予防対策が確立できるようにすることも必要である。このように、現代は、再び、感染症を通じて予防医学の重要性が認識される時代ともなった。このことは、健康の保持増進の原点には、「予防医学の存在を忘れることのないように」という歴史の教訓があるともいえよう。
以上述べたように、急速な少子高齢化に対応すべき保健活動として、予防医学と臨床医学は、共通の問題に対応する役割を果たすべきものと認識されなければならない。また、高齢者問題に対応すべき保健活動が、今日の保健活動で中心的に位置付けられていることでも明らかであり、これを推進するためには保健・医療・福祉の連携が重要であることが認識されるに至っている。
(3)包括医療としての予防医学
今日、多くの国民は、健康に非常に大きな関心をもつようになった。病気に罹らぬようにという意識に加え、健全な生活の確立という視点でも関心を示すようになってきた。 そこから、国民も健康の保持増進における予防対策の必要性について、自らまたは家族の健康問題と結びつけて認識するようになってきている。その背景には、地域や職場、学校、保育所等で実施される一次予防、二次予防さらに三次予防と区分できる予防医学の活動の充実、学校や地域における健康教育の実践などがあり、その効果は無視することができない。また、国民の教育水準の高さに基盤を置く健康志向意識の高まりも重要である。しかし、高度な健康状態が確保されると、健康問題に関心をもちながらも、その状態に慣れてしまう傾向もある。そこから脱するためには、医療従事者はいうまでもなく、今後も引き続き予防医学の必要性を広く国民に徹底させ、医療の場をはじめとしたあらゆる生活の場における各種の保健活動や健康教育の充実にも努めるなど、医療や予防活動によって構成される包括的対応の確立が必要となる。
今日の複雑な健康問題の解決に当たっては、高度な医学的知見に基づく対応も必要であることはいうまでもない。その一方、高齢者の保健対策にしても、乳幼児の健康問題にしても、予防医学の果たすべき役割がより一層大きくなることは否定できない。例えば、高齢者においては、充実した包括医療の確立が期待される。即ち、運動・栄養・休養を基盤にした健康づくり活動は不可欠であり、さらに疾病発生に際しては、早期発見・早期治療を進め悪化を防止し、リハビリテーションによって機能回復を促進し、QOLの向上を図るなど、体系化された一次、二次及び三次予防活動が実践されることが必要である。
精神面の健康の保持増進においても、包括医療は身体の健康問題と同様に確立される必要がある。また、その場合に、医学の分野のみでは十分な対応が叶わぬこともあり、心理学関連、リハビリテーション関連との連携は不可欠である。
さらに重要なことは、健康問題の解決には、医学分野に基本的方針の決定を委ねるにしても、医療と福祉との密接な連携が図られなければならないという点である。それと同時に、WHOのオタワ憲章(1986年)によるヘルスプロモーションの概念を導入することによって、新しい予防医学と公衆衛生活動の発展が望まれる。その時には、行政の力が不可欠なものとなり、国・地方自治体の予防医学に関する関心の向上と地域特性に応じた活動が期待されよう。
わが国における予防医学の実践活動は、政府主導型の国策として実施されてきた傾向が強い。国民も専門家も、それをむしろ当然のこととして考えてきた傾向があることは否定できない。しかし、民間の保健活動の充実とともに、住民の自主参加による健康対策の確立は、保健・医療・福祉の総合性に基づく、包括的な保健対策の広がりを示すものといえるのではないだろうか。その点からも、今後は、本格的な包括医療における予防医学の役割に対する期待が、より大きく広がっていくものと考えられる。
2.健康問題の現状と今後の課題
(1)疾病構造の変化と現在の健康問題
健康状態を集団レベルで評価するための指標のうち、最も具体的に表現しやすいのは身体的健康指標である。その中でも数値化されやすく代表的なものとして国レベルの基本的な健康指標となっている死亡率並びに有病率があるが、その死亡率・有病率の基本 的背景をなすのがその国の疾病構造である。中でも死亡率(並びにその反映である平均寿命)は比較的客観性が高く、国別の健康度を比較する最も主要な指標となっており、それに関与する死因を統計的に表現した死因別死亡率は、疾病構造を表すひとつの重要 なパラメーターとされている。
わが国の戦後約半世紀における死因別死亡率の変遷は、大きく区分して3つの段階に分けることができる。まず1965年までの結核を中心とした感染症による死亡率の急速な減少と脳血管疾患の増加である。第二の段階として、後者はやがて減少に転じ、これに代わって悪性新生物(ガン)及び心疾患による死亡率が増加し、死因の第一位が脳血管疾患から悪性新生物に取って代わられた。さらに第三の段階として、高齢者人口の相対的な増加により、この年代を特徴づける呼吸器系疾患、特に肺炎による死亡率の増加が見られるようになった。死因別死亡率には、一般に死亡率の高い高齢側の死因が大きく関与することになるが、そのような加齢による影響を除去した年齢調整死亡率に基づいてこれらの経過を見ると、悪性新生物及び心疾患の増加は必ずしも欧米先進諸国一般にみられるものほど顕著ではなく、特に女性では両者ともむしろ減少する傾向にすらある。現在、経済成長に伴う平均寿命の急速な伸長の中にあって、わが国が世界一の長寿国といわれるようになった原因は、感染症死亡の減少と同時に、このような先進国型の慢性退行性疾患による死亡率の増加の抑制にあったということができる。
ここで、予防医学の立場から特に指摘しておくべき点は、疾病構造における初期の主役であった感染症に対する予防施策と、最近におけるその主役である慢性退行性疾患に対する予防施策とは本質的に違いがあり、それは、後者において、一次予防の重要性が極めて大きいのみでなく、それが極めて困難で、その有効化を図るにはまったく新しい施策のパラダイムを必要としている点にある。
一方、有病率による疾病構造解析については、近年のわが国における医療費や介護などによる社会的負担の急速な埴大により、その重要性が高まっている。最近の患者調査によれば、全国の患者に基づく死因別有病率は高血圧疾患の有病者率が他を圧倒して高率であり、心臓病や糖尿病などがこれに続いているという現状である。これらの疾患はやはり前記の死因別死亡率に大きく関与している諸疾患とも深く関連しているものであるが、その発症原因としては遺伝的因子や環境因子とともに、近代的生活習慣があるともいわれている。このような疾患の一次予防策を強力に推進する立場から、1996年、これらの疾患群を「生活習慣病」と呼ぶよう、厚生省の公衆衛生審議会より提起があったところである。現在の健康問題に関する課題は、将来的に急速な蔓延の恐れが指摘されている新興・再興感染症と現実に疾病構造に大きく影響しているこれらの生活習慣病の予防に加え、急速に増加している高齢者の健康状態の管理に予防の重点が置かれるべきことは明らかといえる。
(2)少子高齢社会をもたらした背景の分析
最近、世帯当たりの子供の数の急速な減少が指摘され、高齢者人口の急速な増加とあいまって、社会保障の経済的基盤の崩壊の恐れが指摘され、いわゆる少子高齢社会対策の重要性が叫ばれるようになった。このうち少子の問題は、健康問題というよりは国民の意識や生活観の変化、さらには女性の社会進出といった社会経済的及び心理的背景が大きく関わっていると考えられ、予防医学の役割としては疾病が子育ての負担にならないよう、子供の健康管理のための環境整備といった面に置かれることになろう。
一方、高齢社会は平均寿命の延長が背景にあるのであって、そのこと自体はむしろ予防医学の成果といってもよいものである。問題は、生活活動機能の低下や易罹患性といった高齢期にある程度必然的に伴う健康問題が、高齢社会の課題であるという点にある。
この課題の解決、ないし改善は、高齢者本人の幸せはもとより、社会全体の様々な負担を軽減し、少子高齢社会のいわばネガティブな側面を軽減する上で重要な意義をもつといえる。では、このような高齢者に来しやすい健康上の問題の背景とはどのようなものであろうか。
高齢者の健康指標としては自立性、即ち周囲の人の助けを借りずに質の高い日常生活を営むことのできる能力の有無が、古くから用いられている。その自立性に大きく関わる要因として、具体的には老年性痴呆の予防と「寝たきり」状態の回避が2大課題として知られている。高齢者はまた、健康状態における個人差が大きいことも特徴であり、長期にわたる痴呆や「寝たきり」状態にあるものが少なくない一方、生理的老化による自然な死を迎えるまで活発な生活を営んでいる例も少なくない。このことは、前述のような自立性の低下状態が予防可能なものであるとの期待をもたせることになる。言い換えるならば、痴呆や寝たきりの背景にはどのような予防可能な疾病が基礎となっているかということである。アルツハイマー病のように、その原因にはなお不明なものもあるが、大多数は乳幼児期からその年齢までの食事、運動、ストレスなどの生活習慣に起因している脳血管性疾患、糖尿病、高血圧、動脈硬化症、さらに骨粗鬆症などである。
(3)今日の健康問題における予防医学の役割
これまで述べてきたことからも明らかなように、現在、予防医学に求められている喫緊の課題は、現代の日本人の健康面並びに社会経済面に大きく影を落としている生活習慣病の予防や高齢者の健康管理だけではなく、高齢者の社会経済活動への参入機能の向上を促進し、生涯にわたって生活習慣の改善を通した健康寿命の確保・延長を図り、活動的で質の高い高齢期生活の実現を支援するような新たな予防医学体系の構築と、その効果的推進である。当然ながら、新興・再興感染症対策も予防医学上極めて重要な課題であるが、前述のようなまったく新しいパラダイムによる予防医学体系が求められていること、また新興・再興感染症にとっても共通の背景といえる現代社会の生活習慣と免疫力の向上など、いわば「病気になりにくい身体づくり」が関わっていることなどを考えると、生活習慣の改善による疾病リスクの軽減を通した一次予防に関する施策の確立は、それらを包括した現代の予防医学の方向を示すものと考えてよい。現在アメリカで強力に進められている予防施策の新戦略である「ヘルシーピープル2000」や、わが国で現在その計画が具体的に策定された「健康日本21」は、まさにその一環であるといえる。これらの新戦略は、科学的根拠に基づいた数値的目標の設定と、その評価に基づいた生活習慣病対策に関する施策の推進など、科学的基盤強化による有効化を基本的な性格として共通に有しているからである。
一方で強調されなければならないのは、この新しい予防医学体系は決して二次、三次予防策を軽視するものではない点である。生活習慣病及びその周辺の慢性疾患対策は、なお早期発見、早期対策に依存せざるを得ぬ部分も少なくなく、また一方で慢性化し、固定化した疾病についてはその悪化の防止とリハビリテーションなどの重要性がますます大きくなりつつある。新体系は一次予防を中核とするが、これら二次予防、三次予防を機能的に包括したものでなければならないこともまた明白である。
以上のことから明らかなとおり、予防医学の分野がまず果たすべきことは、上記の保健施策の新たなパラダイム変換を支える、新しい予防医学の科学的体系の構築であると考える。この新体系は、従来の基礎医学、臨床医学、並びに社会医学といった体系の枠を越えた独立した概念として位置付けられるべきものであり、単なる境界領域として扱われてはならないものと考えられる。この概念は、いわば「病気にならない体づくり」であり、一種の「人間作りの科学」ともいえるものである。具体的には基礎医学における遺伝子レベル、分子レベルなどの近年飛躍的な成果を挙げた科学的な基盤とともに個体としての人間の個別性を基盤とした臨床医学的視点と、集団の健康と生活習慣に関わる疫学的視点に立脚し、さらには人間の行動科学に関わる健康教育に及ぶ包括的体系を意味するものである。中でも、前述の疾病の二次予防、三次予防に関わる体系の構築をも視野に置くとき、特に臨床医学分野との緊密な連携は極めて重要な要素となるだろう。
現在、わが国の新しい保健戦略として取り上げられている「健康日本21」は、なお行政的立場からの施策提言の色彩を濃く有しており、その有効化のための柱である科学的基盤の包括的な構築が不可欠であり、地方公共団体での具体化が強く求められているところである。そのための主役として、このような予防医学の新しい体系を構築する必要性が自明の理であるとともに、この構築が、長寿国として世界的に評価され、先進国、開発途上国の別なく、多くの国々から自らの保健施策構築の将来像として注目されているわが国の保健戦略のあり方として、世界の人々の現在から未来にわたる健康、いわば新たなミレニアムに向かう人類の健康を目指す努力の、マイルストーンとしての意義をも併せもつものと考えるのである。
3.臨床医学と予防医学の関連
(1)臨床医学における予防医学の必要性
臨床医学の主たる目的は健康障害の原因を同定し、可能ならばそれを取り除き治療することである。また、臨床医学の主要部分を占める治療医学は、特定病因説に基づき、生物学的方法論をもって健康障害の原因とその結果の関係を解明し、その原因を排除することにより患者の健康回復を支援することを目的としている。この治療医学の基本となる診断は、障害の治療のためのみでなく、障害の経過やその基盤となる健康や生活の質をも評価するものであるべきであろう。つまり診断は正常と異常との区別を行うことだけを目的としているものではない。これからの臨床医学においては、一次予防、二次予防、三次予防の概念に基づく、予防医学との連携が一層不可欠となるであろう。
今日の少子高齢社会の到来の中、乳幼児の健康問題のみならず、高齢者における健康問題は、単に老人の疾病対策の拡充だけにとどまるものではない。特に、老人医療費の高騰に配慮したとき、高齢者の健康問題には、小児期から生涯を通じて健やかに生きることの必要性を認識した上で、管理と指導を総合した保健活動の導入を図ることが重要となる。ここに、予防医学を基盤に据える必要性が臨床医学にとって大きいことを指摘することができよう。さらに、実際の健康障害に対しては医療を中心とした十分な対応のみならず、治療後も、その障害の再発防止や社会復帰、リハビリテーション等について生活面を中心としての教育的・心理的・社会的予防活動が必要となる。
また、臨床医学の担い手である臨床医は臨床医学の実践の中でも予防的活動を日常的に行いうる立場にあるので、予防医学の重要性により関心を持つことが必要である。そのためにも医師の臨床研修の中でどのように予防医学に対する教育を実施すべきかの検討が必要である。臨床医師教育の充実とこれに関わる行政の関与が機能的に進み、臨床医学の実践活動の中で、健康の保持増進や生活習慣の改善等が進められていくことが、今後の重要な課題であると考えられる。
(2)医療経済的視点からの予防医学の貢献度
今日、少子高齢社会における医療費抑制が社会的課題となっており、予防医学分野においても経済的評価の指標としての費用・効果比(コスト・ベネフィット比)、即ち、費用(実施の際の費用−不実施の際の費用)/効果(実施により生ずる効果−実施しなくても生じる効果)の比率を用いて検討されている。疾患によっては予防医学的対策の経済的効果には議論が多く予防医学の今後の重要な課題となっているものもある。
しかし、一般的にみれば、予防医学は事故や疾病による障害を少なくし、生産性を向上させ、医療や保護的福祉対策への依存を減らす点で経済的であると言えるし、健康寿命を延長することにより経済的効果も上昇すると考えられる。また、生活習慣病対策の関連において、予防活動の充実は医療経済の視点からも貢献度は高いと考えられる。
今日の予防医学は、急速に増加している高齢者の健康状態の管理にその重点を置くと同時に、一次予防及び二次予防の一層の充実を図るべきであろう。そして、臨床医は今後さらに三次予防を同時に心がけることの重要さを自覚しなければならない。さらに、正しい生活習慣を心がけることで疾病の発生を防ぎ得ることから、まず生活習慣の指導も基本となるであろう。今後は、ますます健康教育の重要性とそれに基づく生活習慣の改善による予防対策の必要性が理解され、これによって医療費軽減への貢献度を増大させると考えられる。
(3)臨床医学と予防医学との連携の実態
以上のような論理的背景の下に、本研究連絡委員会は予防医学と臨床医学の有機的な連携が国民の健康増進と疾病回復のいずれにとっても極めて重要であるとの認識から臨床医学関連の学協会に対して、予防医学との連携に関わる実態調査を実施した(巻末の資料1)。
調査内容は、(1)予防に関する研究・活動、(2)予防医学研究連絡委員会所属の学会との連携・協力、(3)予防医学概念の把え方、などであった。特に、(2)連携・協力についての調査結果は図1のとおりであった。過去5年間に健康障害の予防に関する研究を予防医学研究連絡委員会所属学協会と連携して行ったことがある(Q1)のは106学会中2学会(1.9%)で、同様に予防活動について(Q2)は4学会(3.8%)であった。また現在、健康障害の予防について連携して研究している(Q3)のは3学会(2.8%)、予防活動をしている(Q4)のも3学会(2.8%)であった。近い将来、連携して研究する計画があるとしている(Q5)のは3学会(2.8%)であり、連携して予防活動をしたい(Q6)とした学会は5学会(4.7%)であった。これらの回答からも分かるように、予防医学系と臨床医学系の学会の連携は特定少数の学会を除いては殆ど行われていないのが実情であった。しかし、今後どのような学会と連携すべきか(Q7)については26学会(24.5%)が具体的に予防医学系学会名を挙げており、連携するテーマいかんによっては大きな成果が期待されるところである。以下、連携テーマとして示されたものを回答されたままの表現で列挙する。
(なお、アンケートの回答に関しては各学会の回答担当者が記入しているので、学会によっては学会全体の意向を十分に反映したものではない場合があると思われる)
・小児肥満介入による小児成人病予防
(日本肥満学会→日本小児科学会、日本小児保健協会)
・成人肥満介入による生活習慣病予防
(日本肥満学会→日本総合健診医学会)
・先天代謝異常症を中心とする遺伝疾患の診断・治療・病態解明の研究
(日本先天代謝異常学会→日本小児科学会)
・PRSPによる髄膜炎蔓延の予防
(日本化学療法学会→日本小児科学会)
・感染症対策
(日本感染症学会→寄生虫学会、臨床ウイルス学会、熱帯医学会)
・小児の成長・成熟の異常
(日本小児内分泌学会→日本小児科学会、日本思春期学会)
・性分化・性成熟異常周産期医療体制の整備
(日本小児内分泌学会→日本小児科学会、日本思春期学会)
・周産期医療整備のための専門医療制度の検討
(日本新生児学会→母性衛生学会、助産学会、小児科学会、小児保健学会、小児精神神経学会)
・先天異常に関する諸問題
(日本先天異常学会→日本小児科学会、日本小児精神神経学会、日本衛生学会、日本公衆衛生学会、日本疫学会)
・全ての発達に関する問題
(日本小児神経外科学会→小児精神神経学会)
・大腸癌の早期発見および癌前期病変の同定
(日本大腸肛門病学会→日本消化器集団検診学会)
・登校拒否や多動症候群の発症の予防など
(日本児童青年精神医学会→日本小児精神神経学会)
・Type Aと心筋梗塞
(日本心身医学会→循環器心身医学研究会)
・医療従事者の結核死
(日本結核病学会→産業衛生学会、環境感染学会、看護科学学会)
・結核院内感染
(日本結核病学会→産業衛生学会、環境感染学会、看護科学学会)
・う蝕・歯周疾患の予防
(日本歯科保存学会→日本学校保健学会)
・心因性顔面痛の予防
(日本歯科保存学会→日本心身医学会)
・口腔衛生及び治療内容の広報による歯の保存
(日本臨床歯内療法学会→日本公衆衛生学会)
・歯周病予防
(日本歯周病学会→日本公衆衛生学会)
・ストレスコントロール
(日本顎頭蓋機能学会→日本ストレス学会、日本心身医学会)
・精神的健康を保つことがどの程度顎関節症発症につながるか
(日本顎頭蓋機能学会→日本ストレス学会、日本心身医学会)
・顎顔面の成長発育及び成長予測
(日本矯正歯科学会→日本小児科学会、日本思春期学会)
4.予防医学分野における人材養成の体系化
(1)予防医学分野における人材養成
予防医学分野における人材養成については、第15期予防医学研究連絡委員会報告として「公衆衛生大学院大学(仮称)構想について」がある。さらに第16期においても引き続き検討され、予防医学の領域の拡大に伴い関連マンパワーの職種の広がりとコメディカルというべき関連職種の役割の重要性が指摘されている。社会医学の立場から展開されてきた予防医学の実践活動は、医師(産業医、学校医等)、歯科医師、薬剤師、保健婦(士)にとどまらず、助産婦・看護婦(士)、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、栄養士、臨床検査技師等の医療職種、さらに養護教諭、健康教育関係者、健康運動指導士、保健統計関係者、建築衛生・衛生工学関係者、衛生管理者等多くの職種の協力活動によって展開されており、これらの幅広い人材の養成が必須である。
(2)予防医学分野における人材養成の方向性
わが国では全国80の大学医学部および医科大学に、名称は様々であるが、衛生学公 衆衛生学の講座が設置され、予防医学に関する学部及び大学院の教育が実施されてきた。また、厚生省の附属機関として国立公衆衛生院があり、国、地方公共団体等において予防活動に従事する技術者の教育が行われている。
予防医学分野における人材養成の方向性として以下の5点について述べる。
@公衆衛生大学院構想と予防医学の人材養成
文部省大学審議会は1998年10月「21世紀の大学像と今後の改革方策について」(答申)を取りまとめたが、その中で、新しい考え方として高度専門職業人養成に特化した実践的教育を行う新しい大学院の設置促進が取り上げられている。その1つとして公衆衛生分野にその設置が期待されるとし、これを受けて公衆衛生大学院(School
of Public Health)を設置する動きがあり、本年4月には京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻が開設されている。公衆衛生大学院は公衆衛生の実践的、学際的要素を適切に反映させるとともに、さらに国際的にも十分に認められる水準を備えたものであることが必要である。この意味では、従来WHOからSchool
of Public Healthとして認められている国立公衆衛生院の機能をも考慮しつつ、将来の望ましい公衆衛生大学院構想の中で予防医学分野の人材養成は幅広く実施されることが期待される。
A予防医学に関する専門医制度の創設
臨床医学の学会を中心に専門医、認定医、指導医の形で専門医制度が整備されつつあるが、予防医学分野においてもその必要性を検討すべきである。関連して医師の臨床研修義務化の動きがあり、この中で公衆衛生あるいは予防医学に関する研修の必要性と内容について議論が進められている。これが実施されることになれば指導医が必要となるが、どのように指導医を養成していくかについても問われてくることになろう。
B関連学会における予防医学の人材養成
これまで、予防医学分野では一部の学会を除き、各学会が人材養成にどのように関わるべきなのか十分に検討されていない。例えば、現在、日本公衆衛生学会においては公衆衛生人材委員会が設置され、公衆衛生分野の人材養成に学会がどのように関わっ ていくのかが検討されている。今後においては、関連学会が医師だけでなく予防医学に関わる幅広い人材養成にどう取り組んで行くべきなのか学会内部で十分に議論を尽くすことが求められよう。
C大学医学部及び医科大学における予防医学の人材養成
これまで中心的役割を担って来た衛生学公衆衛生学講座においては、量・質ともに十分な人材養成が実施されてきたとは言い難い。今後は大学医学部・医科大学卒業生の大部分が進む臨床医学の各領域においても、予防医学教育が拡充されて行くことを期待したい。これには医師の臨床研修の中で、どのように予防医学の教育を実施すべきなのかを含めて検討を進める必要がある。
D保健・看護・栄養・福祉・教育等大学における予防医学の人材養成
近年、予防医学に関わるこれらの大学や学部が大幅に増加しつつある。特に1998年4月で看護系大学だけでも64校に達し、今後もさらに新設が見込まれている。卒業生数も医学部・医科大学を上廻るようになってきており、これらの大学においても予防医学分野の人材を養成していくことが期待される。
5.予防医学分野における研究の推進
(1)予防医学の変遷と対応する技術
再び予防医学の変遷に研究の視点から目を向けることにしよう。
18世紀前半のペスト、コレラ、赤痢、腸チフスなどの急性伝染病の時代には、環境浄化と社会的隔離が主要な技術であった。
顕微鏡の利用と細菌学の進歩によって個別の伝染病対策が進み、ワクチンの開発・利用も行われた。医療技術とその社会的適用は、車の両輪として19世紀半ばからの1世紀の間に急性慢性伝染病の制御に大きな成功を収めた。20世紀後半からの抗生物質の相次ぐ開発はこれに拍車をかけた。急性伝染病に次いで現在再び問題とされている結核症も、当時は数十年の間に激減した。
特に、乳幼児の感染症死亡の激減によって平均寿命が延びた。感染症の後に、がん、肥満、運動不足、動脈硬化による高血圧、脳卒中、糖尿病、心臓病など、いわゆる成人病(生活習慣病)が中心課題となった。また、これらの疾患及び老年人口の増大により日常生活能力disabilityのケアと予防のニーズが増大した。
生活習慣病の予防のためには、禁煙指導等も含めて個人の特性と運動、栄養、肥満などのライフスタイルの対策・対応が必要となった。老人介護と福祉には、財政的裏付けとコミュニティ挙げての組織的な取り組みが必要となった。
急性伝染病から老人のハンディキャップまでのニーズの変化に対応する技術は、医学生物学的技術から、社会全体の参加・取り組みの必要性までの変化に対応するであろう。現在は、個人を入り口とした教育技術、行動科学的方法、及び社会の組織・管理技術が重要となっている。
(2)予防医学の段階と予防の意義
予防医学は、冒頭に述べたとおり疾病の自然史natural
history of diseaseのうち、いわゆる疾病前期の健康な時期に疾病の発生を防止すること(一次予防)、不幸にして発生した疾病を早期に発見して早期に対策をとり、疾病を進展させないようにすること(二次予防)が最も大きな柱となる。疾病の治療の過程においても、患者への保健指導とQOL配慮を充分行うことによって、病気の再発防止と本人の生き甲斐QOLを確保すること(三次予防)も必要である。
一次、二次予防は、わが国では従来、法的裏付けないし公的予算措置を伴っていたため、いわゆる健常者集団を対象に行政レベルの公衆衛生活動として、予防接種、健康診断などとして行われることが多かった。三次予防は、臨床医学の場で臨床各科の医師等が経験的に行うことが多かった。それでも、外科の術後のQOLの観点から予防的措置が早期に1980年頃からとられ始めた。
一次、二次、三次予防のうち、最も効果があるのは言うまでもなく一次予防である。しかし、最も需要(demand;人々の要望)が乏しいのもこの一次予防である。例えば、喫煙は現在の日本人男性の肺がん死亡の90%以上の原因となっているので、禁煙の効果は死亡率の低下と寿命の伸長及び医療費の節減に大きく寄与する。しかし、喫煙者は分煙、節煙、禁煙をあまりして欲しくないのである。従って現在の疾病の一次予防にはかなり意識的な社会的はたらきかけと行動の変容を促すことが不可欠である。しかし、これはかなり困難な課題である。
現代の我々の健康を維持している決定因子(determinants)の60%は、環境、食事、活動、休養、その他のライフスタイルである。遺伝要因が25%、そして治療の成果は15%程度と言われている。マスコミを含めて一般の人々は臓器移植などに過大な関心をもつことが多いようである。しかし、禁煙、運動、体重管理などの自らの日常の生活行動にこそ、疾病を防ぎ健康を維持する最も重要な要因があることを忘れてはならない。専門家の評価と一般人のリスク評価の認識のずれを正す必要があろう。
予防医学の活動は、個人レベル、集団レベル、国レベル、国際レベルに分類できる。また、地域、職域、学校の3つの生活場所での予防活動にも分類できる。保健・医療・福祉の立場から捉えた対象者としては一般生活者、ハンディキャップ者、傷病者、施設入所者、患者などにも分類できる。専門性の点から、一般生活者、専門実践者、行政担当者、専門研究者、教育者などの分類もできよう。
(3)予防医学研究の課題
現在の予防医学の課題は寿命の伸長ではなく、「生き生き長生き」を目指す、即ちQOLの向上と健康な期間の伸長であろう。この考えは、2000年に策定された厚生省の10カ年健康増進政策「健康日本21」計画でも強く打ち出されている。
現在のわが国の予防医学の課題として、次のものが挙げられよう。
@一般
喫煙対策、肥満対策、新興・再興感染症予防、交通事故防止、麻薬対策、自殺予防、 精神保健対策、運動・活動推進、ホームレス対策、失業者の健康保持、予防活動の経済効果の算定
A母子保健・学校保健
保育所の拡充、ぜんそくとアトピーの予防、小児虐待問題、学校保健管理、学校保 健教育、思春期保健、女性の性と生殖に関する健康・権利擁護
B産業保健
労働安全衛生、職業病予防
C成人・老人保健
生活習慣病対策、老人の能力低下防止、介護における予防対策
D生活環境
環境汚染による健康影響防止、廃棄物処理、地域環境・住居環境の改善、交通網の整備と運輸
E社会保障制度
保健医療福祉サービスヘのアクセス、保健医療福祉関連の諸施設の整備
F精神保健
飲酒対策、麻薬対策、ストレス対策
G国際保健
予防医学における開発途上国への支援
(4)予防医学研究の対象とひろがり
国と地方公共団体による「健康づくり」、「健康増進」計画に沿ったものにする。
「プライマリケア(Primary Care)」の中で、
「健康推進(Health Promotion)」の中で、
「健康都市運動(Healthy City Movement)」の中で、
「新ゴールドプラン10ヵ年計画」の中で、
「健康日本21」計画の中で、検討する。
(5)予防医学研究において利用できる資料・データ
・既存の厚生・労働衛生・学校保健統計、特にそのデータベース
・がん・脳卒中などの疾病罹患登録データの利用
・保健診療レセプトの利用
・健康診断データの利用
(6)予防医学研究の方法
・厚生統計の解析
・個別の疫学調査によるリスク要因の検出とリスク評価
症例対照研究、前向き(追跡、コーホート)研究
・健康リスク評価・マネジメント・コミュニケーション
既報の文献資料から、テーマ毎に総説を作る。
健康リスクの判明しているものについては、その利用の方策について研究する。
健康リスクの判明していないものについては、新たに研究戦略を立てて解明へ。
・環境リスク評価・マネジメント・コミュニケーション
既報の文献資料から、テーマ毎に総説を作る。
環境保健指標の開発と利用方法
環境測定データの利用
医学生物学的試料の保存
(7)個別の疾病等の予防の課題(例示)
・母子保健及び学校保健関係
・循環器疾患の予防
・がんの予防
・老人の寝たきり・痴呆・骨粗鬆症の予防
・感染症の予防
・能力障害の予防
・精神保健−小児虐待、ストレス、薬物依存、飲酒問題
・歯科保健−小児の齲歯予防、歯周疾患、高齢者歯科
・難病の三次予防
・健康づくり事業における予防活動−特に栄養、運動、休養
・健康診断事業における予防活動−受診率、保健指導
・健康教育活動と疾病予防
6.予防医学分野における国際協力の推進
(1)予防医学と国際協力
人口動態が多産多死から少産少死へと変化することを人口転換(demographic-transition)というが、現在の先進諸国はこの人口転換によって、人口は横ばいないし微減に推移し、老年人口の割合が高い。人口転換に前後して、環境と食生活の改善と疾病構造の変化があり、それらをもたらした教育の普及と経済の高度成長がある。
疾病構造は、感染症、下痢腸炎、結核、栄養失調、性病、周産期疾患などから替わって、肥満、高血圧、脳卒中、心臓病、糖尿病、労働災害と職業病、大腿骨骨折、リウマチなどが主要なものとなる。開発途上国では前者が、そして先進国では後者が主要な傷病である。先進諸国においてもかつては言うまでもなく前者が主要なものであった。このような疾病構造の変化を人口転換にならって健康転換health
transitionあるいは疫学転換epidemiologic transitionという。
健康転換前の社会では、予防医学の中心課題は感染症であった。感染症の予防は小児の生命を救い、これによって平均余命の急激な伸長が実現する。予防接種や経口補液の予防効果を目の当たりにした開発途上国の人々は、科学技術の素晴らしさを認識し、受容し、協力するようになる。WHOとハーバード大学の調査によると、1990年時点における感染症死亡は、既に世界全体の死亡の35%と半数を割り、非感染性疾患が55%を占めるに至った。
(2)開発途上国に対する国際協力
伝統社会における疾病は、下痢腸炎、肺炎、結核、栄養失調、肝炎、周産期疾患、事故傷害など原因のはっきりしているものが多い。上下水道の整備、生態系の回復と栄養改善、予防接種、プライマリケア、職業病予防、安全対策など特異的予防(specific
protection)と呼ばれる鍵と錠前の関係にある予防諸対策が有効である。従って、先進国からの特定の技術協力・援助、各専門家による保健指導、診療保健所設置などの予防施策が功を奏する。
例を示すと、1980年のインドネシアにおける出生千当りの乳児死亡率は、ある山村で180、同年の全国の公式統計で90、1994年の全国の公式統計で53と低下の一途をたどっている。この背景には、生産と生活の近代化が急速に進んだことがある。即ち、具体的には上下水道の整備、衛生思想の普及実践、近代教育を受けた助産婦の保健所配置と伝統的な産婆の近代教育、隣組への経口補液の配置、離乳と乳児栄養の改善、予防接種、臨床診療所の設置などが挙げられる。同国では、乳児死亡が減少し始める前から家族計画も行われていたが、全国に普及したのは少し遅れて1980年代半ば以降であった。1985年から10年余り高度経済成長が続き、1年当たりの人口増加率は、1970年代が2.32%、1980年代で1.98%、1990−95年の5年間が1.66%、そして1995から2000年に至っては、1.01%(予測値)と急速に低下しつつある。感染症予防が成功し、健康転換が始まると、人口増加の抑制が社会に受け入れられるようになる。人口増加の抑制は、社会の近代化と環境問題の解決に欠かせないものである。最近では開発途上国でも、先進国と同様、肥満、齲歯、近視等の生活習慣病や環境汚染による健康影響、交通事故なども問題になっている。このことは、感染症などの伝統的疾病にも近代的生活習慣病にも、開発途上国ではニーズがあるということを意味する。
一般に、先進国からの資金供与、食料、資材、医薬品、病院建設援助、保健医療援助などの協力(assistance)、及び開発途上国との情報、技術、人的交流などの交流(collaboration)が、極めて有効に行われる基盤が開発途上国にはあり、即ち、「極めて有効に」とは費用効果関係が極めて大きいということである。
従って、疾病予防の立場から途上国に対して交流や援助を行うのは、グローバリゼーションの時代の課題でもあり、あらゆる面から先進国、開発途上国各々にとって望ましいことであると言える。
平成11年2月10日
日本学術会議登録
臨床医・歯学系学術研究団体代表者殿
予防医学についてのアンケート(ご依頼)
日本学術会議第7部会員
予防医学研究連絡委員会
委員長 高石昌弘
時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、当委員会では、少子高齢化の進む21世紀に向けて、予防医学に関する新しい発展の方向を模索しておりますが、その中で臨床医・歯学系学術研究団体のお考えを参考にすべきとの意見がまとまりました。
つきましては、下記の要領で次のアンケートにご回答いただきたく、ご多用中恐縮ですが、よろしくお願い申し上げます。
記
1.調査対象
第17期日本学術会議第7部関連研究連絡委員会に登録された学術研究団体(以後、学会と略称)のうち医学歯学分野の臨床系学会の学術担当役員、又は庶務(総務)担当等、学術担当に替わる役員
2.ご回答期日
平成11年3月末日までにご回答ください
3.記入者のご氏名は公表いたしませんが、連絡の必要上ご記入ください
4.第17期予防医学研究連絡委員会委員は次のとおりですが、本件についてのお問い合わせは連絡先は下記のとおり
*印の高石又は大澤にお願いいたします
*高石昌弘 大妻女子大学教授・人間生活科学研究所長 |
〒102−8357 千代田区三番町12 大妻女子大学人間生活科学研究所 Tel.03−5275−6049(高石) 03−5275−6047(大澤) |
☆予防医学研究連絡委員会所属の学会は次のとおりです。
社会医学研究会 全日本鍼灸学会 日本医学教育学会 日本衛生学会 日本栄養改善学会
日本疫学会 日本学校保健学会 日本環境感染学会 日本看護科学学会 日本寄生虫学会
日本公衆衛生学会 日本行動医学会 日本更年期医学会 日本産業衛生学会 日本消化器集団検診学会
日本小児科学会 日本小児保健協会 日本助産学会 日本心身医学会 日本臨床スポーツ医学会
日本総合健診医学会 日本体力医学会 日本熱帯医学会 日本病院管理学会 日本臨床ウイルス学会
日本民族衛生学会 日本ストレス学会 日本母性衛生学会 日本思春期学会 日本小児精神神経学会
予防医学についてのアンケート
T.「予防医学」に関する研究や活動について
1.これまで、貴学会で推進された健康障害の予防に関する主な研究課題を挙げて下さい。
2.これまで、貴学会で推進された健康障害の予防に関する主な活動を挙げて下さい。
3.現在、貴学会で推進している健康障害の予防に関する主な研究課題を挙げて下さい。
4.現在、貴学会で推進している健康障害の予防に関する主な活動を挙げて下さい。
5.今後、貴学会で必要と思われる健康障害の予防に関する研究課題を挙げて下さい。
6.今後、貴学会で必要と思われる健康障害の予防に関する活動を挙げて下さい。
U.「予防医学」関連の組織との連携について(該当する番号を○で囲んで下さい)
1.過去5年の間に貴学会では、予防医学研究連絡委員会所属の学会(前ページの☆参照)と
協力して、健康障害の予防に関する研究を行いましたか?
2)に○印をした場合には( )内に代表的なもの1件を記入して下さい
1)したことがない
2)した (件数 件) (連携学会名 )
(内容 )
2.過去5年間に、貴学会では、予防医学研究連絡委員会所属の学会と協力して、健康障害
の予防に関する活動を行いましたか?
2)に○印をした場合には( )内に代表的なもの1件を記入して下さい 以下、3から1まで同様です
1)したことがない
2)した (件数 件) (連携学会名 )
(内容 )
3.現在、貴学会では、予防医学研究連絡委員会所属の学会と協力して、健康障害の予防に関する研究をしていますか?
1)したことがない
2)した (件数 件) (連携学会名 )
(内容 )
4.現在、貴学会では、予防医学研究連絡委員会所属の学会と協力して、健康障害の予防に関
する活動をしていますか?
1)したことがない
2)した (件数 件) (連携学会名 )
(内容 )
5.貴学会では、予防医学研究連絡委員会所属の学会と協力して、健康障害の予防に関する研
究を計画していますか?
1)計画していない
2)計画がある (件数 件) (連携学会名 )
(内容 )
6.貴学会では、予防医学研究連絡委員会所属の学会と協力して、健康障害の予防に関する活
動を計画していますか?
1)計画していない
2)計画がある (件数 件) (連携学会名 )
(内容 )
7.今後、貴学会として健康障害の予防対策の研究を実施する上で、どのような予防医学研究連絡委員会所属の学会と連携すべきとお考えですか?
1)特にない
2)ある (件数 件) (連携学会名 )
(内容 )
8.貴学会では、健康障害の予防対策の研究を実施するうえで、どのような医・歯学以外の研究分野と連携していますか?
1)特にしていない
2)している (件数 件) (研究分野名 )
(内容 )
9.現在、貴学会では、健康障害の予防対策を推進していくうえで、どのようなコメディカル
の職種と連携していますか?
1)特にしていない
2)している (件数 件) (職種名 )
(内容 )
10.今後、貴学会では、必要と思われる健康障害の予防対策の効果を挙げるために、どのような職種と連携すべきでしょうか?
1)特にない 3)わからない
2)ある (件数 件) (職種名 )
(内容 )
11.貴学会では、健康障害の予防対策の研究の向上を図るうえで、行政機関との連絡がありま
すか?
1)特にない
2)ある (件数 件) (行政機関名 )
(内容 )
V.「予防医学」の概念について
1.貴学会の活動において、予防医学的な考え方は必要ですか?(該当する番号を○で囲んでください)
1)非常に必要,2)必要,3)余り必要でない,4)全く必要でない,5)わからない
2.貴学会では、「予防医学」に関する次の用語について、どのように理解されていますか?
1)一次予防( )
2)二次予防( )
3)三次予防( )
学会名( )
記入者役職( ) ご氏名( )
ご協力ありがとうございました。
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