■何故医学を志したか |
第7部会員 藤村重文
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人間が成長する過程で自分の将来の目標を明らかにできる原動力は、個人のもって生まれた資質と経験や自分を取り巻く環境因子にも大きく影響されるのは間違いない。私は三男二女の末っ子として生まれ、当時国民学校と称した小学校時代に太平洋戦争があり、3年生の時には将来ゼロ戦乗りになりたいと宣言したのを記憶している。終戦近くに近郊の田舎に疎開し、虫や蛙などを採って独りで遊ぶ機会が多かった。当時は漠然と科学者になろうと思っていた。戦後間もなく戦災の焼け跡が生々しい仙台に戻った。中学2年の時に生まれて初めて手術(虫垂炎)を受けたが、旧陸軍軍医殿による手術の激烈な痛みは今も忘れることができない程である。医学を志すことになったのはその時期である。研究では1963年肺移植の道にのめり込み、37年間その研究テーマは変わることはなかった。2000年東北大学退官の3日前に日本で初めての脳死肺移植を手がける機会を得たが、これは運としかいいようがない。自分の目標を達するためには、根気を支える鈍気とともに、独りだけでは無理なことから、他人を忖度する気持をもつことも大変必要なことと思う。 |