■文学研究者(文学史家)の道をなぜ選んだか
第1部会員 平岡敏夫
  小学校5年生のころに俳句や短歌らしきものを書きつけ、6年生のとき、太平洋戦争がはじまったことに影響されたのか、ドイツのリヒトホーヘン撃墜王について三連から成る詩を作った。陸軍少年飛行兵学校に入校、一年半で敗戦。文学好きの性向から国語教師になろうとしたが、一九五〇年の朝鮮戦争勃発と共に、再軍備反対闘争に加わり、マルクス、エンゲルスをかじり、病院のサークルにチューターとして出たり、山村工作隊にも加わったり。その中で自分が他人の足で立ったり座ったりしていることの嫌悪が生まれて来て、受売りでなく自分で調べ、確かめ、できるだけ自分の足で立とうとして大学へ進学、文学研究の道を選んだ。国語教師の仕事と共に日本文学、とくに近代文学の研究を、明治初期の新聞を一枚、一枚めくるところから始めた。


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