第7部 キーワード群

18期−15
日本人のための健康体力指標の標準化、及び健康増進・疾病予防のための身体活動に関する推奨・指針作成への提言


1.疾病と身体活動(運動)の意外な関係
 身体活動量と疾病との関係は多くの疾患について調べられている。例えば、身体活動量と冠動脈疾患の発症・死亡件数との間には負の相関関係が認められており、身体活動量が多い人では冠動脈疾患の発症やそれによる死亡の危険度が低いことが明らかになっている。これまでは高強度の運動、すなわちランニングやテニスといった6Mets以上の激しい運動を行うことが必要であるといわれてきた。しかし、高強度の運動は、その人の体力や運動の頻度などによっては、健康障害を引き起こす可能性があることが指摘されていた。最近の研究によると、それほど激しい運動でなくても、歩行、ウォーキングなどの3Mets程度の運動をよく行っているグループの冠動脈疾患の発症の相対危険度が、特に日常的に運動を行っていないグループより有意に低いことが明らかになっている3)。このことは、中等度の運動であっても十分、冠動脈疾患の発症予防になるということを示している。
閉じる  topへ

2.身体活動が循環器疾患予防に及ぼす影響のメカニズム
 身体活動・運動が冠動脈疾患の原因のひとつである動脈硬化の予防に有効であるメカニズムとして、運動が、糖代謝異常、脂質代謝異常、高血圧など、動脈硬化に関与している個々の因子に対して改善効果を示すことが明らかになっている。また、近年、運動が生体内の抗酸化能を高めることで、動脈硬化病変形成の主役となる酸化LDLの生成に対して抑制的な効果を示すことも確かめられている。更に、近年、動脈硬化発症と進展に対する危険因子の集積、すなわち高血圧、上半身肥満、耐糖能異常、高脂血症(高中性脂肪血症、低HDLコレステロール血症)などの危険因子を同時に有する病態、いわゆるmetabolic syndromeといわれる病態の重要性が認識されてきている。このmetabolic syndromeの上流には、内臓脂肪蓄積があり、これが重要な因子であることが指摘されているが、身体活動・運動は、この内臓脂肪蓄積を抑制する最も有効な手段の一つと考えられている。すなわち、身体活動・運動によって内臓脂肪蓄積を減少させることによって、metabolic syndromeに伴う種々の危険因子を一括して改善させることが可能となると考えられるのである。
閉じる  topへ

3.身体活動と骨密度
 身体活動はこれらの循環器系疾患だけでなく、骨密度の維持・増加や高齢者のADLの向上、心理的ストレスの軽減等のメンタルヘルスに対しても大きな影響をもつことが明らかになりつつある。
閉じる  topへ

4.身体活動と神経細胞
 最近の脳科学は、身体活動によって脳の神経細胞が活性化あるいは新生さえすることを明らかにしている。例えば、動物実験では、運動が海馬の神経幹細胞からのニューロン新生を促進すること、脳由来成長因子を増加させてシナプスの成長を促進すること、ヒトでは、歩行などの運動の定期的な実施により高齢者やうつ病患者、パーキンソン氏病患者等において脳の認知学習機能が向上することなどが明らかにされ始めている。
閉じる  topへ

5.身体活動と癌の発生
 がんに対する身体活動の影響については、「世界がん研究基金と米国がん研究機関による栄養とがんの関連のまとめ」(1997年)によれば、身体活動は大腸がん、肺がん、あるいは乳房がんの発症数と負の相関を示している。
閉じる  topへ

6.身体活動と長寿命化
 最近の生命科学研究は、身体活動・運動がタンパク質の適正な合成分解に必要不可欠なタンパク質であるαBクリスタリンなどのストレスタンパク質を増加させ、それが寿命の延伸につながるという分子レベルのメカニズムをも明らかにしている。
閉じる  topへ

7.健康的な都市環境づくりの政策−ヨーロッパの事例
 早くから高齢化が進んだヨーロッパの国々においては、1880年代より健康づくりを健康的な都市環境づくりとして政策を推し進めてきた。その結果、スポーツ・運動の社会的基盤、すなわちミニゴルフなどの手軽なスポーツを行える公園広場、ジョギングやハイキングコース、体育館、スポーツ施設などが地域に定着し、人々が手軽に利用できる社会的施設がよく整備されている。人々は、日常生活においても、自転車をよく利用し、週末や休日にはハイキングをおこない、クアハウスやサウナに出かけるといった行動が一般化している。個人の健康的な運動習慣の普及定着とともに、このような社会的施設の充実などの環境へのアプローチもまた重要であり、わが国におけるデータの蓄積と対策の推進が望まれる。
閉じる  topへ


18期−47
わが国のヘルスプロモーションにおける地域支援のあり方


1.北海道の現状−医療費日本一
 北海道は特徴ある地方のひとつである。他の都府県と比較して北海道が目立つ点は、食料自給率日本一である。年間一人当りの医療費の高さが、この10年間日本一を続けてきたことである。一人当りの医療費が高いということは、喜ぶべきことなのか、憂えるべきことなのか。道民が医療にお金をかけられるということは、それだけ裕福なのだろうか。経済的な余裕が、そうさせているのであれば結構なことである。しかし一方で、不健康だから医療にかかるのだとすると、健康を害している原因が何であるのかを明らかにしなければならない。
 実は老人医療費も北海道は突出している。これも年間一人当りの数値であるが、常に低医療費を保っている長野県などの2倍近い金額である。これに関してはいくつかの分析がある。ここでは代表的な論文を紹介しておこう。
 ひとつは現北海道医師会長飯塚弘志氏が、1990年に発表したものである1)。飯塚氏は当時、道医師会の常任理事を務めておられた。「本道一人当りの医療費が高い原因は老人の入院患者が多く、入院日数が長いことによる」との分析結果を示した。説明要因としては、全国の平均値と比較し、医療機関の分散度が大きいこと、離婚率が高く、人口密度が低いことをあげている。これらの背景としては、産業構造の変化、経済不況、社会心理的要因があることを考察し、社会文化的視点を重視すべきことを述べている。
閉じる  topへ

2.山陰地方の現状と課題
 山陰地方(鳥取県、島根県、山口県北部、兵庫県西北部)では、戦後50年、国際化、情報化、高齢化、科学技術の革新などを背景に、農山村社会も著しく変貌し、地方都市部と中山間地域の格差が顕著になる一方、都市と農村の生活格差の均等化、ライフスタイルの多様化が進んでいる。一方、国際的な潮流として、先進国では、ヘルスプロモーションが大きなうねりとなり、WHOの提唱するHealthy City and Communityの潮流と絡みながら、健康で文化的な人間尊厳と自己実現を志向する住民主体の活動が展開されている。 山陰地方の農山村の生活実態を俯瞰すると、緊要な社会的要請となっているのは、生活環境条件の地域格差、過疎と農業荒廃を背景とした地域産業力の低下、全国の先端を行く少子高齢化現象、中山間地域を中心とするコミュニティアパシーと医療・福祉・教育などの生活基盤の劣化への政策である。住民と行政の協働、パートナーシップに基づく活動のコアは、人間の尊厳に価する地域づくり、都市と農村の融合(都邑連合)、住民との協働による質の高い地域医療福祉づくりである。
閉じる  topへ

3.世界における健康づくりの潮流
 1970年代から1990年代にかけて、アメリカ、イギリス、北欧諸国では社会ニーズ、医療費の激増、医療技術の飛躍的進歩に対応するため、ヘルスケアの構造的再編、健康なライフスタイルの重要性が医学領域で強調され、食生活をはじめ健康な生活環境、生活の質(Quality of Life)が重視されるようになった。マーコックはかって日本を土建国家(Construction)、大量消費国家(Consumption)、支配管理国家(Control)の3C国家と呼んだ。戦後50年体制といわれる中央集権システムは、日本を驚異的経済発展に導いた。住民の生活環境は近代化し、多くの領域でナショナルミニマムは達成された。一方、低迷する経済成長、枯渇する生産資源、深刻化する環境問題に加え、絶えざる技術革新、情報化社会の進展、市民意識の多様化、能力を高めた大衆の社会参加、市民社会の成熟は、従来の中央制御システムによる集権的コントロールの限界を示すことにもなった。国・県という縦割りのトップダウン的中央司令塔機能は衰え、「地方分権」の流れが加速している。
 健康行政や福祉行政でも国・県・保健所・福祉事務所という中央集権的・管理主義的な縦割り制御システムにより、かっては感染症対策や生活困窮者救済に成果をあげてきたが、現在では制度そのものが腐朽化し、「無知なるもの市民」というパターナリズムに代わり、生活者主体の新たな「地方分権」の動きが、公・民双方から希求されている。このような時代のニーズは、治療医学や予防医学の境界を越えた地域支援、健康なまちづくりへと収斂しつつある。さらに、地域社会のニーズの多様化を背景に、住民自身が自らの健康を自己制御する能力を身につけ、健康なライフスタイルのあり方を求めるようになった。
閉じる  topへ

4.沖縄の現状−沖縄パラドックス
 長寿国日本のなかで沖縄県は特に長寿者が多い地域として知られている。沖縄には元気な高齢者が多いことは事実である。しかし、沖縄県は日本の47都道府県中で国民所得は過去から現在まで常に最下位であり、集団の健康度や平均寿命はその経済水準により決定するとする社会的傾斜説(Evansら)に矛盾すると言われている(沖縄パラドックス)。従って、なぜ沖縄には元気な長寿者が多いのかという事について検討が種々なされてきているが、主として沖縄の人々のライススタイルや食習慣について焦点が絞られてきた。その結果、注目すべき多くの事柄が明らかにされてきている。現在生存している長寿者や現在の沖縄の人々のライフスタイルや食生活等を解析することは正確な多くの情報を伝えてくれる。現在の長寿者の長寿の要因として重要な過去のライフスタイルや食生活等の検討を抜きに長寿について考察することはできない。しかし、過去の情報の収集や解析は困難で、様々のbiasが統計データ収集に際し認められる。統計データの収集方法上の問題、特に数や不的確な資料が問題となる。さらに自分たちの住む郷土を悪く思われたくないという感情等もデータの正確さを損なう大きな要因になっている。種々の困難さはあるものの実像を明らかにし、今後のヘルスプロモーションの課題を可能な限り明らかにする必要がある。
閉じる  topへ

5.中高年の健康増進に関する課題
@50歳〜70歳代の悪性新生物による死亡率は高く、特に男女ともに60歳〜75歳の肺・胃・大腸がん、女性では40歳〜50歳代の乳がんに対する一次・二次予防対策は今まで以上に積極的に行わなければいけない。
A中高年の自殺死亡率とうつ病罹患率の上昇は、日本社会の大きな「ひずみ」の部分になっている。この年代の社会的・経済的支援の裏づけが優先されなければ、心身の健康維持は不可能であろう。職域にある者にはメンタルヘルスケアを、また、職域を離れた者にも明るいゆとりある老後の生活設計に希望を与える精神的な支援策を考える必要がある。
B日本人の男性の喫煙・飲酒習慣は心疾患・脳血管疾患・糖尿病などの生活習慣病の根源ともいえる。最近の健康教育が60歳代後半の禁煙・節酒効果を上げてきている感はあるが、吸わない・飲まない習慣を推進する必要性は大きい。
C現在の中高年者の最も恐れていることは、自分が要介護者になる不安である。そのために、いま、何をすればよいか真剣に考える人が多くなっている。IT革命がもたらした医療情報を求めて、「自分の健康は自分で守る」手段を模索している姿が垣間見られる。健康意識調査から、さらに深く掘り下げて、何が一番求められているか検討する必要がある。
閉じる  topへ


18期−50
医療の安全に関する諸問題について


1.教育の改善−提言1
 医療従事者が医療事故を起こすのであるから、これら従事者に対して医療事故を減少させるための方策についての教育が肝要である。
 その対象者は医師、歯科医師、薬剤師、保健婦、助産婦、看護師、歯科衛生士、歯科技工士、診療放射線技師、臨床検査技師、理学療法士、作業療法士、視能訓練士、臨床工学士、義肢装具士、救急救命士およびそのほかの医療従事者などで、そのほかの医療従事者の中には事務職員も含まれる。また医育機関においては、卒業前の学生も対象となる。
 医育のため、しっかりした教育のシステムを整備する必要があり、責任者を決め、安全教育のカリキュラムを作成する必要がある。対象者の範囲が広いので、各職種に対応したプログラムが必要であるが、各職種間を連係するミ−ティングの設定も必要であり、各自が自由に意見を述べることが出来る雰囲気も大切である。
 カリキュラムは医療水準の維持を考慮した上で、事故、過誤の防止対策および危機管理を重点にしたもので、単なる講義形式でなく、全員が参加する問題解決型学習が望ましい。教育の効果も評価し、その職場に不適切な者が明らかな場合、人事管理面の対応も必要となる。
閉じる  topへ

2.質の向上と意識改善−提言2
 安全な医療の遂行のためには、医療関係者の質の向上と意識改善、つまり危機意識をもつことが急務である。
 職種の違いや職制上の関係を問わず、お互いに意見を自由に交わし合うことが医療関係者の質の向上に重要であり、不可欠である。このためには医療現場の組織のみならず、製薬業界、医療機器業界をも含んだ俯瞰的な観点から医療を見直すことも必要で、これらのことを実行し、その結果を素直に受け入れる柔軟な意識の持ち方も医療関係者に求められている。
閉じる  topへ

3.組織の改善−提言3
 安全な医療を行うためには医療関係者の質の向上のみならず、病院全体としてこの問題に取り組む必要がある。このため病院の管理責任者はリスクマネ−ジメントを組織として構築するためのリ−ダ−シップを発揮し、事故防止委員会や同専門部会を設け、インシデントリポ−ト、アクシデントリポ−トの作成と処理、そしてそれによる改善策の策定を速やかに行わせる必要がある。
 また実際に事故が発生した時の対処についての具体的なマニュアルの作成も急務である。
閉じる  topへ

4.労働環境の改善−提言4
 最近の医学、医療の進歩による医療の内容も高度先進化し、また複雑化してきた。このため医療関係者は他職種の人よりも強いストレス下に長時間労働しなければならない立場におかれている。このことが慢性疲労、さらには集中力欠如、注意散漫などを招き、最終的には事故の発生へと結びつく。
 しかし医療従事者、中でも医師の勤務実態を詳細に調査した報告はない。最近研修医が過労で死亡したが、「自動車運転者の労働時間等の改善のための規準」と同様に、医師の労働条件に言及した「医療関係者の労働時間等の改善のための規準」についても詳細に規定されることが望まれる。
閉じる  topへ

5.医療事故調査機関の設置−提言5
 従来、医療事故が発生しても、それらの多くは原因の徹底的究明がなされないことが多く、そのため同様の事故が繰り返されてきた。このため事故調査機関の設置が不可欠であろう。この機関は独立、公正を保ち、調査の過程を公開して透明性を高めることが求められ、また各分野の専門家の参加も必要であろう。
 現在、医療事故ないしそれが疑われる場合、多くの地域では直接所轄警察署へ届けられているが、必ずしも適切でなく、暫定措置として各医療施設ないし各地域に第三者を加えた事故相談所を設置し、患者からの苦情を処理することが必要であろう。
閉じる  topへ


18期−55
睡眠学の創設と研究推進の提言


1.睡眠障害と健康問題
 現在、睡眠障害については国際分類により90近くの診断名があげられている。不眠は神経症、うつ病、精神分裂病など精神科疾患において必発症状であるばかりでなく、初期症状や増悪因子として極めて重要である。また睡眠時無呼吸症は特に有病率が高く、高血圧、糖尿病を併発するなど呼吸、循環器領域でも重要な疾患である。さらに、多くの身体疾患では睡眠障害を併発する場合が多い。このような睡眠障害はそれ自体が問題であるばかりではなく夜間の睡眠障害により身体・脳の修復、成長、免疫といった睡眠の機能が障害され、昼間の活動性が十分に達成されないことに注目すべきである。このような睡眠・覚醒障害の病態を明らかにし、この成果を予防、治療に応用することは国民の健康維持に重要な課題である。
閉じる  topへ

2.睡眠障害と社会経済問題
 社会生活を営むにあたって眠気の強い状況では作業能率や学業成績の低下がみられ社会経済的損失を招く。これまで産業事故や交通事故の多くが深夜や早朝に眠気と関連して起こっていることが報告されている。このような夜間勤務や交代勤務の問題は今後ますます増加する。このためアメリカでは睡眠障害国家諮問委員会が設立された。
 1993年に発表されたこの委員会報告によれば、睡眠障害や睡眠不足により引き起こされる事故の経済損失は年間5兆円にのぼると推定されている。さらに睡眠障害は心筋梗塞、脳梗塞の増悪因子として重要であり、睡眠障害の予防で節約しうる医療費は1.6兆円とされる。このように睡眠障害の予防は大きな経済効果をもたらす。わが国でも睡眠障害について米国とほぼ同じ様な状況にあることが予想される。
閉じる  topへ

3.睡眠と脳
 脳科学の側面からみると、睡眠は単なる活動停止の時間ではなく、脳を持つ生命体に特有の能動的な生命に必須の生理機能が営まれる時間域である。すなわち睡眠は生体防御技術を備えた生存戦略であり脳が高次情報処理機能を発揮するために睡眠は必須である。さらに記憶の固定、再生、消去といった極めて重要な情報処理が睡眠中に行われ脳の総合機能として積極的に睡眠が起こるのである。
閉じる  topへ

4.睡眠障害とプリオン病
 睡眠研究に分子生物学的アプローチを導入する先鞭を着けたのは、遺伝性睡眠障害である家族性致死性不眠病(Fetal Familial Insomnia, FFI)を発見したイタリアBologna大学のE.Lugaresi教授らの研究チームである(Lugaresi E,et. al., N Engl J Med,315:997-1003,1986)。この遺伝病は成人になってから発症し、視床を中心とした神経細胞の変性を起こし、数年後には完全な不眠状態に陥り、最終的には死に至る悲惨な病気である。彼らは、FFIの原因遺伝子を同定し、いわゆる「プリオン病」の一種であることを証明した(Monari L,et. al., Proc Natl Acad Sci USA, 91:2839-2842, 1994)。プリオン蛋白質は我々の体内に存在する蛋白質であるが、病原性の変異型プリオンが脳内に入ると、野性型プリオンを病原性プリオンに次々と変化させ感染すると考えられている。FFIのプリオン蛋白質は、178番目のアスパラギン酸がアスパラギンに変化していることが特定された。しかしその発症機構は依然不明であり、変異型プリオンを大量発現するトランスジェニックマウスや、プリオン遺伝子を欠損させたノックアウトマウスを用いた研究が精力的に行われている。
閉じる  topへ

5.睡眠と免疫機能
 人間の免疫機能が睡眠といったいどのような関係にあるのであろうか。私達は風邪をひいたり、外傷を負ったときに眠くなる。実はこれらの症状の背景には免疫系の活性と徐波睡眠が密接にかかわていることが最近明らかにされた。
 免疫作用は血液にあり、特に白血球にある。免疫をになう直接の細胞としては、この他に、脳内に白血球に似た働きをする細胞がある。免疫システムには2つの機構があって、B細胞による体液性免疫とT細胞による細胞性免疫である。前者は抗原に対して特異的な抗体を産生することによって行われる。後者は抗原に接したT細胞自身が分裂・機能分化して感作T細胞となりキラ−T細胞として直接的に細胞を破壊する。また、食作用を示すマクロファ−ジも活性化させるとT細胞のように抗原に抵抗するためのタンパク質を産生・分泌する。これをモノカインと呼ぶ。最近様々な細胞が抗原を異物と認識してそれに抵抗するための物質を産生していることが解ってきた。このように物質を総称して免疫関連液性因子(サイトカイン:cytokine)と呼ぶ。サイトカインが病原微意生物と戦っているときに脳神経ではどのような反応があるのであろうか。これを端的に表している症状として風邪をひいたときの症状があげられる。寒気、頭痛、食欲不振、嘔吐そして発熱である。特に発熱すると眠くなるような一種の睡眠欲求を覚える。サイトカインで治療中の患者にも上の副作用に加えて睡眠の増加がみられる。感染時の眠気の正体もサイトカインが原因しているといわれている。
 このように、病原体微生物の侵入により宿主の免疫応答が活発になると、活性化したT細胞やマクロファ−ジからサイトカインが産生されて病原体への抵抗・破壊作用を示すばかりでなく積極的に睡眠を増加させる。このとき、サイトカインによって誘発されるのは徐波睡眠である。実際にインフルエンザウイルスを動物に静脈から接種すると、4〜8時間後に脳波の徐波活動の増加とともにノンレム睡眠が15%増加するという報告がある。サイトカインの多くに睡眠作用が認められる。また、様々な細菌毒の侵入刺激でサイトカイニンが誘発・産生されることがわっており、それらの睡眠調節作用が盛んに研究されている。その結果、免疫反応に関連した多くの物質に睡眠活性が見いだされている。
 このように睡眠と免疫の関係は今大きくクロ−ズアップされている。打撲・捻挫、花粉症を起こしたときに眠気を催したりするのは、免疫系が活発に作動していると考えられ、生体防衛反応として理解される。免疫反応は脳神経系とくにホルモン系と密接に関係しており、末梢の免疫系から中枢への情報伝達が上行するように、脳からも免疫応答への指令が下行している。中枢から免疫系への下行信号は殆どの場合自律神経系である。脳の交感神経に障害があると細胞性および体液性免疫機構が抑制される。とくにストレスホルモンは免疫機能の低下に深く関係していると言われている。しかし、その詳細はまだ明確になっていない。
閉じる  topへ


18期−65
医学研究からみた個人情報の保護に関する法制の在り方について


1.外科領域と個人情報保護と事故予防の関係
 外科領域の外傷という臨床部門は、その治療学もさることながら、工学・医学・社会学その他の協力による予防対策がきわめて重要である。その際に、外傷をおった患者の臨床データのみでなく、交通科学、スポーツ学、その他種々の分野のデータと照合することにより、有機的に検討し、さらなる事故の予防対策を講じることができる。しかるに交通事故に関しては、人体損傷を発生した時点における詳細な事故メカニズム〈道路状況、交通環境、運転行動、車体と加害部位その他〉の資料は、これまで被害者のための守秘義務を守る立場から、医療の側にまったく情報開示されてこなかった。これでは重症頭部外傷・胸部外傷・腹部外傷又は死亡症例の医学的資料を交通外傷の予防に役立てることができない。交通事故対策は現在きめこまかい戦略が必要な状況にあるので、これまで開示されてこなかった交通事故に関する被害状況などの情報の在り方についても、検討されるべきである。今回検討されている個人情報保護に関する様々な制限が加われば、外傷の予防医学は、学際間情報の癒合がなされず、現在以上の進歩が期待できないものとなり、社会の安全性への寄与は不可能となる。
閉じる  topへ

2.個人情報を蓄積、結合して実施する必要のある医学研究の例
 ・高血圧患者の血圧管理目標値設定の根拠を得るためには、高血圧患者の性、年齢、血圧値、栄養、運動、休養、アルコール、喫煙などの生活習慣の情報をデータベース化して、個人ごとに脳卒中や虚血性心疾患(急性心筋梗塞や狭心症)を発症したかどうか経過を経時的に観察する研究(疫学用語ではコホート研究という)が必要である。その結果として、血圧値ごとに、脳卒中や虚血性心疾患の危険度(リスク)が計算され、適切な血圧管理目標値が明らかとなり、根拠に基づく予防が可能となる。
 ・脳卒中を起こした患者に対する優れた治療法を明らかにするためには、脳卒中を起こした患者を登録して、治療方法、リスクファクター(高血圧、高脂血症、糖尿病、喫煙など)などをデータベース化して、生死の別、再発の有無、社会復帰の程度などに関して、患者を特定する個人情報を利用してフォローし、検討する必要がある。その結果、何等かの手術の適応とその可否、リハビリテーション開始の時期や程度について詳しい指針を確立したり、患者の社会復帰を一層促進するために大いに貢献できる。
閉じる  topへ

3.全数調査が必要な医学研究の例
 薬剤市販後調査には、@使用成績調査、A特別調査、B市販後臨床試験、C副作用・感染症自発報告などがあり、以下のような場合には個人が特定できるようにした全数調査が必要となる。
(例1)高血圧患者に対して降圧薬Aを投与する場合、Aによる未知の副作用(例えば、癌の高率発生等)の調査をする必要があるが、この場合、未知の副作用を確実に拾い上げることが重要であり、脱落例についても集計・解析しなければならない。
(例2)オーファンドラッグ(希少疾病用医薬品等)の使用が不可欠な患者においても、これらの薬剤の効果や副作用を調査する必要があるが、この場合も、症例数が少ない上に、症例が欠けることで調査の意義が消失する。
(例3)すべての薬剤に対して、他種薬剤や服用期間、疾患等との関連などにおける効能の過剰・減衰反応、副作用などの調査が必要だが、例えば癌患者が対象から漏れた場合には、癌患者における薬剤の効能や副作用が不明となる。
閉じる  topへ

4.個人情報保護と倫理的原則に関する倫理綱領の作成
 個人情報保護と倫理的原則に関する倫理綱領を作成することは、ヒトを対象とした医学研究を実施するすべての学術団体が取り組むべき課題と認識しております。ニュルンベルク綱領(医学的な実験には被験者本人の同意が必要であることなどを明らかにした「道徳的・倫理的・法律的概念を満たすために従うべき基本的諸原則」、1947年)やヘルシンキ宣言(世界医師会でまとめられた「ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則」、1964年ヘルシンキ大会で採択、75年東京、83年ベニス、89年香港、96年南アフリカ、2000年エジンバラで修正)等を参考にし、各学会で関連する事項を織り込んだ倫理綱領が求められると考えます。その際に、
(1)研究の目的は学問上の真理の追究であること
(2)研究の遂行に当たっては対象者の人権を尊重すること
(3)生命倫理と個人情報保護の両観点を尊重し研究を遂行すること
以上の3点が必須項目となります。
閉じる  topへ