災害に強い社会をつくるために
- For Disaster Resilient Society -


「社会環境工学研究連絡委員会自然災害工学専門委員会報告」


平成12年4月24日

日本学術会議
社会環境工学研究連絡委員会
自然災害工学専門委員会


 この報告は、第17期日本学術会議社会環境工学研究連絡委員会自然災害工学専門委員会の審議結果を取りまとめ発表するものである。

[社会環境工学研究連絡委員会自然災害工学専門委員会]
委員長 松尾 稔(名古屋大学総長)

幹事 大町 達夫(東京工業大学 大学院総合理工学研究科 教授)
松本勝(京都大学 大学院工学研究科 教授)

委員 金沢 敏彦(東京大学 地震研究所 教授)
河田恵昭(京都大学 防災研究所 教授)
神田順(東京大学 大学院工学研究科 教授)
塚越功(慶応義塾大学 大学院政策・メディア研究科 教授)
二宮洸三(東京大学 気候システム研究センター 客員教授)
廣井脩(東京大学 社会情報研究所 教授)
福岡捷二(広島大学 工学部 教授)


要旨画面へ

目 次

第1章 安全(防災)のレベルの考え方と社会的合意形成
1.1 わが国の防災対策の歩み
1.1.1 災害対策基本法と防災基本計画
1.1.2 防災意識の変遷 
1.1.3 総合防災への取り組み
1.2 防災対策の現状と問題点
1.2.1 低頻度巨大災害と対策
1.2.2 想定外力の取り方
1.2.3 直接被害と間接被害
1.3 防災対策の限界と課題
1.3.1 防災対策の限界と問題点
1.3.2 社会的合意の必要性
1.4 行政責任と自己責任
1.4.1 防災投資の効用の最大化
1.4.2 最適配分の達成手法
1.5 災害研究者の任務
1.5.1 災害科学,災害技術とは
1.5.2 防災技術の高度化と専門家の養成
1.5.3 設計上の課題(特に技術者の責任と倫理)
1.5.4 施工品質の問題(自主管理と第三者検査)
1.5.5 緊急事態における危機管理
1.5.6 防災教育の重要性
1.6 提言

第2章 観測による実態把握と設計への応用
−自然災害工学研究,及びその成果活用における観測資料の問題点と提案−
2.1 緒言 
2.2 観測資料の重要性 
2.2.1 現象の把握とモデル化における観測データの役割 
2.2.2 未解明災害現象の発生要因と機構の早期解明 
2.2.3 原データの重要性 
2.3 研究成果の活用における観測資料の重要性 
2.3.1 既存環境の安全性とその診断方法
2.3.2 現実対応 
2.4 観測及び観測資料の現状と問題点
2.4.1 データ公開,交換に関するルールの必要性
2.4.2 自然観測の限界と防災に向けた活用の展望
2.5 有効かつ効率的な観測展開のための提案
2.5.1 横断的観測体制と公開性の確立
2.5.2 評価と公開との連動 
2.6 資料の有効活用のための具体的提案 
2.6.1 免責の問題 
2.6.2 費用負担の問題 
2.6.3 公的資金による日常的取得データのオンライン化とデータベース化 
2.6.4 資料センター等のシステムの問題 

第3章 情報の価値と役割 
3.1 はじめに 
3.2 事前情報 
3.2.1 危険度情報の公開
3.2.2 地震予知情報,とくに長期確率評価の意味について 
3.2.3 気象情報としての事前情報の役割 
3.2.4 土木工学分野における災害の事前情報の整備状況 
3.2.5 建築分野における災害の事前情報の整備状況 
3.3 発災時,発災直後の情報 
3.3.1 災害時の情報伝達体制 
3.3.2 危機管理のための情報処理 
3.4 復旧期の情報 
3.5 まとめ

結言 

参考文献 



第1章 安全(防災)のレベルの考え方と社会的合意形成

1.1 わが国の防災対策の歩み

1.1.1 災害対策基本法と防災基本計画

 わが国の国土は,古来,山紫水明と言われ,美しく豊かな自然に恵まれている.
しかし同時に,地震,津波,台風,地すべり,火山噴火,干ばつ,豪雪など多種多様な自然災害の脅威にも常にさらされ,過去に何回となく尊い人命や貴重な財産が奪われてきた.

 1961年に策定された災害対策基本法は,1958 年の狩野川水害と1959 年の伊勢湾台風高潮災害を契機に策定された法律であって,当時としては画期的な法律であった.
 しかし,守るべき対象は国土,身体・生命,財産に限られ,この財産の被害への対処は公的なものに限られ,個人財産は対象外というのが阪神・淡路大震災までの公式見解であった.
 しかし,この震災後,100万円を上限とする個人補償が可能となり,この震災へ遡及して適用されている.
 災害対策基本法は,『二度と同じ災害を繰り返さない』ことを掲げている.
 現代のように社会構造が激変し,より高度化,複雑化する背景にあっては,被災様相が変わるのは当然であり,防災事業への先行投資が必要になっている.
 とくに1998年と99年に全国的に発生した洪水・高潮氾濫,土砂災害で露呈したように,高齢社会における被害の出方が従来と変わってきており,それへの対応が緊急課題となっている.
 しかし,阪神・淡路大震災を契機に部分的に改正された内容は,この震災で発現した内容に限られている.
 そのために,たとえば,東海地震や南海地震のような広域災害,首都圏地震のような被害の激甚さに対しては不十分であることが指摘されている.

 また,防災基本計画については阪神・淡路大震災の直後に全面改定されたために,予防と応急対策に比べて,復旧・復興対策の内容が極めて不十分であって,この部分を再度改訂する必要がある.
 その時期は阪神・淡路大震災の復興がほぼ終了し,問題点が明らかになってそれへの対応策が適切であることが検証された後が考えられる.


1.1.2 防災意識の変遷

 わが国では,1960年代以降,死者千人を超える自然災害が発生しなかったことや,その間,社会全体にインパクトを与える異常な外力が直撃しなかったこともあって,防災を行政任せにする風潮が強く,行政側もそれを敢えて否定しない態度を取ってきた.
 そのため,かつての水防体制に見られた自助・共助の精神は,衰退が顕著であり,また都市化に伴うライフスタイルの変化,とくに隣人とのコミュニケーションを敢えて必要視しない考え方がこれを助長してきたと言ってよい.

 近年,防災意識の変化をもたらす最大要因は環境問題であると言える.
 すなわち,自然との共生を考えるとき,防災だけを考えた公共事業を推進できなくなっている.
 1998年に改正された河川法はその典型である.
 防災に最大のプライオリティが付与されないということは,間接的には最悪の場合,被害の発生をある程度認めるということであり,防災から減災への転換がすでに始まっていると考えてよい.
 しかし,危険度をどのレベルで担保すべきかについては,防災関係者で議論が始まったばかりである.
 防災と環境をどのように調和させるかは今後に残された課題であるが,わが国ではともすれば極端に振れる傾向がある.
 とくに,過去に長期にわたって大規模な災害が起こっていないことだけを根拠に,既存の施設で十分であるという議論が各所で起こっている.
 この場合,忘れてならないのは,過去30 年程度の激越な都市化によって都市や周辺の環境が大きく変貌している点である.災害の異常な誘因,すなわち外力が働かなくても,素因,すなわち私たちの社会の脆弱性が極めて大きくなっていると言うことである.
 情報の公開はこの点に関しても極めて重要な課題である.


1.1.3 総合防災への取り組み

 防災とは,被害を出さないための工夫であり,減災とは被害の出るのは避けられないが,できるだけ被害を低減しかつ短期化する試みであると言える.
 自然の威力が大きくなればなるほど被害は大きくなるから,ある程度の大きさまでの自然外力は構造物で被害抑止を図り,それを超過する外力に対しては被害を最小に抑えかつ短期化するという被害軽減が求められる.
 近年,情報の活用による被害軽減の考え方が台頭し,その適用例として防災地理情報システム(DIS)の整備が進められている.
このシステムは,現状では早期被害把握を目的とする,災害対応の支援ツールであると考えられている.

 災害を防止,軽減するアプローチをハードとソフトに分別する場合にも,防災の基本をハード防災(構造物により防災をはかること)におくことが一般的に多い.
 しかし巨大な防災構造物の建設は,コストの増大や生態系や環境への悪影響などの関係で実現が容易でない.
 そのため,ハード防災でまかなえない部分,主として超過外力の部分をソフト防災(非構造物により防災をはかること)で担おうというのが近年近年の総合防災の考え方である.

 英語のemergency managementという言葉は,日本では危機管理と訳されているが,リスク・マネジメントとクライシス・マネジメントの両方の意味をもっている.
 そして前者は災害前を,後者は災害後を対象としている.
 米国の連邦危機管理庁では,時計モデルと呼ばれる,時間的に事前対策としてのミティゲーション(被害抑止),プリペアドネス(被害軽減),事後対策としてのレスポンス(応急対応),リカバリー・リコンストラクション(復旧・復興)の4つのフェーズを提示している.
 これら4つのフェーズを被災する住民側から見れば,生命の安全確保やその後の人生や生活の再建という事柄が重要であるから,事後対応のとくに社会的な側面が重要になる.
 さらに,事前対策と事後対策のウエイトをどうするかは,各国でも問題となっているが,後述する財源の問題やコストパフォーマンスの観点から被害軽減の割合が今後大きくならざるを得ない状況にある.

 戦後のわが国における激しい都市化は,1958年の狩野川水害で一挙に首都圏で防災上の諸課題が顕在化し,その防災対策として1977年の 総合的な治水対策の策定を見た.
 これは洪水の処理を河道に限定せず,流域を視野に入れて制御するという画期的な内容のものであった.
 1998年と99年に全国的に発生した洪水氾濫災害は,一方では異常豪雨に原因があるが,他方では都市化に伴うこれまでの治水策が決して“総合的”になっていないことを示している.


1.2 防災対策の現状と問題点

 我が国で対象とすべき自然災害としては,地震,水災害,地盤災害,台風や竜巻などによる強風,火山,火災,雪等が考慮されなければならないが,ここではこれらのうち主に,地震災害と水災害について述べる.

1.2.1 低頻度巨大災害と対策

 日本では,死者がおよそ千人以上の災害を便宜的に巨大災害と定義し議論されてきた.
 このように定義すると,たとえばわが国で620年以降に記録された地震災害419件のうち,巨大災害は発生件数では33件(7.9%)に過ぎないけれども,犠牲者数では,逆に96%と大半を占めることになる.
 津波,高潮,洪水氾濫災害についても同じような特徴が見出される.
 この事実は,長期的な視点から自然災害による犠牲者を減らすには,巨大災害の被害軽減,すなわち,『減災』を図ることが有効であることを示している.

 巨大災害を被害額から考える場合,社会に与えるインパクトの大きさが必ずしも絶対的な金額の大きさだけでは決められないことや,物価上昇率を考慮して修正する必要があることなどから,これまでほとんど定義的なものは提案されていない.
 絶対額で評価すれば,圧倒的に先進国での災害が巨大災害の上位に位置する.
 たとえば,阪神・淡路大震災は,直接被害だけでおよそ1000億ドルに達し,20世紀に発生した自然災害の世界最大に位置している.

 通常,巨大災害は異常に大きな自然の威力(外力)により引き起こされるが,人間の寿命年数や構造物の耐用年数のうちにそれが発生する確率は極めて低い.
 そのため,わが国のような災害常襲地帯でも,巨大災害の経験はほとんど忘れ去られ,毎回不意をついて襲われることになる.
 たとえば,瀬戸内海各地の津波災害である.
 1707年及び1854年の南海トラフでの巨大地震(いずれも推定されている地震マグニチュードは8.4)による津波が来襲し,被害が発生している.
 1983年の日本海中部地震津波の場合にも,事前に「日本海側では津波は発生しない」という共通理解のようなものが防災関係者に存在していた.

 今後どのような巨大災害がわが国で起こり得るかと考えてみると,人的・物的被害が未曽有となる危険性のある2,3の例を挙げるてみると,つぎのようになる.
1)関東地震(プレート境界型),:起これば現時点で最大約15万人の死者と約400兆円の被害が想定されている.

2)東海地震・南海地震とその津波:2035年頃までにそれぞれ単独で,あるいは連発で発生すると考えられている.

 もし,同時的に起これば震度5 弱以上の地震動が茨城県と新潟県を結ぶ線上から以西の広域で観測され,津波が伊豆半島以西の太平洋沿岸と瀬戸内海を襲う.

3)三陸津波:この海域ではおよそ50から60年に1回,津波が発生しており,前回の昭和三陸津波が1933年であることを考えると,すでに危険域に入っていると言える.

4)利根川・荒川,淀川氾濫:前者は1947年のカスリーン台風による氾濫災害の再来である.
 これらの氾濫では,市街地のみならず地下空間も水没の危険があり,そうなれば,長期的に湛水して,経済被害は想像を絶する.
 1999年7月に起こったJR博多駅前の地下街の浸水災害はこの前兆とも言える.


1.2.2 想定外力の取り方

 わが国では,防災対策における想定外力(計画外力という)の設定においては,次の2種類の数値のいずれかが採用されている.

1)既往最大値:
 わが国では,前述のようにおよそ千人以上の死者を発生させた巨大災害は,各種災害ごとに,いずれも20数回を数える.
 各地方を考えた場合には,それらは最頻度の場合でも,平均100年以上に1度しか起こらないことになる.
 わが国で明治時代以降に被害を受けていない地域では,地域防災計画の対象とする外力に入っていない例がある.
 問題は,地域防災計画の担当者に,既往最大という概念が『自分がこれまで経験しかどうか,もし経験したのであればその中で最大のもの』というように間違って理解されている場合である.
 1999年9月24日に熊本県不知火町で起こった高潮災害は,その典型であろう.
 高潮警報が発令されていたにもかかわらず町長は避難勧告を出さなかった.
 むしろ土砂災害の方を注意していたと町長は述べている.
 しかし,有明海や八代海は高潮常襲地帯の一つであり,その歴史的な認識があれば,そのようなことは起こらなかったはずである.
 町関係者の誰もが過去に高潮災害を経験していないという事実が,高潮は起こらないという考えに結びついたのである.
 過去,20年以上にわたって避難勧告を出した経験のない市町村では,その発令の基準が未整備ということも相まって,現象の発生,進行に比べて避難勧告が遅れがちであることにとくに注意を必要としよう.


2)確率統計値:
 わが国に109水系ある一級河川では,計画高水流量の決定に確率的概念が採用されている.
 たとえば,再現期間200年の洪水とは,流域に200年に一度の降雨があった場合の河道流量であり,ダムなどによる洪水調節量を引いたものが計画高水流量とされる.
 ところで近年この算定過程に無視できない非定常要因の存在がわかってきている.
 それらは,流域の都市化による出水率の上昇や,地球温暖化を主因とする降雨強度と累積降雨量の増加に,起因すると考えられている.
 前者は利根川水系に代表されるように,過去の最大洪水流量はこの100年間におよそ5倍になっており,その最大の原因は流域の都市化という構造変化である.
 近年は地方の中核都市で起こっており,2級河川の治水の最大課題となっている.
 後者は気象極値の出現が,近年より顕著になっているという事実である.たとえば1900年以降,わが国で1時間降雨強度が100mmを超えた事 例の発生数の経年変化は,95年まで毎年1ないし2カ所,96,97年:3カ所,98年:4カ所,99年:10 カ所であり,明らかに増加のトレンドが存在している.
 しかも,観測された地点は都市もしくはその近傍が多い.したがって,統計解析の前提のエルゴート性が破綻してきており,再現期間の見直しが必須と言える.
 しかし,現状では,河川の治水施設の整備水準は各河川によって,また同じ河川でも地域によって大きな差があり,むしろその差の解消の方が緊急の課題とも考えられている.


1.2.3 直接被害と間接被害
 災害による被害としては,社会インフラや建築物などの直接被害と,経済被害や人生,暮らしの被害などを含む目に見えない間接被害に大別される.
 阪神・淡路大震災では,前者はおよそ10兆円と評価されているが,後者については未だ社会的に認知された値はなく,わずかに『人命の社会的価値』に着目した解析によって,この被害が経年的に継続するという特徴を考慮して,およそ10兆円あるという指摘にとどまっている.

 わが国のように今後高齢社会にますます進むと,被害からの回復や復興の速度が遅くなることが懸念される.
事実,人的被害についてはほぼ同じスケールであった1959年の伊勢湾台風高潮災害は,阪神・淡路大震災よりも国民総生産や国家予算に与えたインパクトが大きかったが,復興は非常に早かったと指摘されている.
 そのようなことから,間接被害の評価方法の確立とともに,その復旧・復興の多様なプログラムの提示が,この阪神・淡路大震災での試行を踏まえて確立されていかなければならない.
 2000年1月,兵庫県と神戸市はそれぞれ復興事業の検証作業を実施したが,その内容の過半数は社会科学が対象とするものである.
 大規模災害からの復旧・復興では,暮らしや人生の再建も極めて大きなウエイトを占めることを示していると言える.
しかも,それらの回復にはおよそ20年程度必要なこともわかってきており,長期化災害への取り組みも防災学の新しい課題となっている.


1.3 防災対策の限界と課題

1.3.1 防災対策の限界と問題点

 各種の自然災害から得られた貴重な教訓を活かして,従来から主として国や自治体などの行政主導による種々の防災対策が進められてきた.
 しかし,未だに自然災害の根絶からはほど遠い状況にある.
 これは,自然災害に関連する科学技術の発達が不十分であるためだけでなく,防災対策を実施する上で行政側の人的,物的資源は限られており,一朝一夕には十分な事前対策が行えず,効率的な緊急対応の体制づくりもできないためでもある.
 しかも近年の都市化,高齢化,国際化,情報化などに見られる大きな社会的変化は,自然災害に対する効果的な防止軽減対策を進めていく上で,従来とは抜本的に異なる技術的開発や社会的対応の必要性を強めている.

 第二次世界大戦後,わが国は急速に戦後復興を成し遂げ,日本の各地に近代的な大都市が形成されてきた.
 この過程で都市化,すなわち都市の郊外へ新規市街地を拡張する都市開発が盛んに行われた.
 その結果,都市は肥大化するとともに新しい種々の危険要因を内蔵することとなり,災害の発生や波及効果が予測不可能なほど都市構造が複雑化した.
 一方,近年は,既成市街地の再編・再整備へと都市づくりの重点が移行してきたが,既成市街地には最近の防災基準に適合しない,いわゆる既存不適格の建物が多く存在するため,それらの機能診断や補強・改修が防災対策上の重大な課題であることが,阪神大震災など近年の都市災害により明らかとなっている.
 さらに阪神大震災では,情報網が発達した近代的大都市といえども激甚災害に見舞われると,被害の全体的状況の早期把握は極めて困難であり,国や自治体の応急活動は大幅に時間的に遅れること,防災関連機関の緊急対応能力が不十分であることなども明らかとなった.

 高度経済成長期には人間活動のあらゆる面で効率,機能が重視され,それなりの成果を上げてきた.その反面,短期的な費用対便益を重視するあまり,高齢者や身体障害者,幼児・児童,外国人などの災害弱者に対する配慮が不十分であった.
 また大規模災害を被った地域社会の再建支援では,物的被害に対する復旧・復興に多くの社会的関心が向けられ大幅な財政措置も講ぜられたが,被災者が受けた心の傷を癒やし精神的立ち直りを支援するための努力は,欧米に比較して日本では極めて不十分であった.
 このような被災者救援の面では,国や自治体は単独で十分な貢献をする知識も資源も有していないため,公的セクターはボランティアや非営利団体,地域コミュニティなど民間セクターとの連携協力が不可欠であること,しかし現状ではそれが円滑に機能しないことなども明らかとなった.

 このようにわが国の自然災害対策は,従来さまざまな側面から限界が指摘され,早急な解決が必要とされていたが,それらが未解決のままに阪神・淡路大震災に見舞われた.
 さらにその後も大規模自然災害の危険性は衰えを見せず,わが国をはじめトルコ,ギリシャ,台湾,ベネズエラなど世界中の至る所で社会の安全を脅かし続けている.


1.3.2 社会的合意の必要性
 防災の基本は「自分の生命や財産は自分で守ることである」と,従来繰り返し指摘されてきた.
 しかしわが国では,市民が行政主導の防災対策に依存し自助努力を怠るという体質から抜けきれていない.
 そのため,全国にある自主防災組織も十分機能していると言えない状況にある.
 甚大な犠牲を払った阪神・淡路大震災では,この防災基本原則が多くの被災者に改めて強く認識され,震災復興のまちづくりの支柱として活かされようとしている.
 具体的には,地域コミュニティによる自律と連帯(パートナーシップとネットワーク)を防災まちづくりの目標とする地域活動が芽生え,住民参加型の生活再建プランが模索され,現実に展開されている.
 地域コミュニティの自律と連携を目指す,このような防災活動の理念は,環境との共生や持続的発展をめざす都市づりや,住民参加による協議型まちづくりなど,環境重視や人間重視という今日の世界的気運とも適合する防災対策の基本理念として重要である.
 また,活力の溢れた防災対策を確実かつ円滑に進めるための基本的枠組みとしても大きな意義がある.従来,国は防災基本計画を策定し,それを受けて自治体が地域防災計画を策定して,それらを目標とする防災対策が官から民へ,一方向的に実施される傾向が強かった.
 その結果,全国の地域防災計画は,各地域の自然条件や地域社会の特性を皮相的にしか考慮せずに,画一的で市民に魅力の乏しい,実効性の裏付けのない内容となり,住民の防災意識が低迷を続けた.
 今後,自然災害に対して強い社会をつくるためには,旧来の方針を転換し真の防災性に富んだ自律と連携が可能な地域コミュニティの形成をはかることが必要である.
 そして,そのためには自然災害のあらゆる局面における地域コミュニティの防災機能について社会的合意を形成し,官民各レベルの了解のもとに明確な行動指針を準備しておくことが不可欠となる.
 すなわち,防災計画の策定から実施までの各段階で公的セクターと民間セクターとが双方向的な協議を繰り返し,各セクターの責任と役割などについて社会的合意を形成しつつ,防災対策を実施していくことが望まれる.



1.4 行政責任と自己責任

 阪神・淡路大震災で露呈したように,大規模な災害において被害をゼロにすることは不可能である.
 そこで,社会的に許容できる被害の程度についての合意形成が必要となる.
 そして,それはコストと関係するために,どの程度の経費をだれが負担するかという問題に変わる.
 また,被害の発生を前提とするわけであるから,誰が責任を持ってそれに対応するかという問題も生じる.
 すなわち,行政責任と自己責任の境界を決定する必要がある.
 そこで,ここでは防災投資の観点からこの課題を考えてみる.


1.4.1 防災投資の効用の最大化
 今後の防災投資については財源制約が一層強まることが予想される.したがって,最適な財源配分による効用の最大化が,防災投資の目指すべき一つの方向であると考えられる.

1)選択的集中投資
 国土防災施設については,重点投資ではなく選択的集中投資が必要となる.
 すなわちわが国の全地域について防災レベルを向上させつつ,特に緊要な地域,危険度の高い地域については更に一段の向上を図るという考え方を重点投資と定義すれば,そうした防災投資は現在及び将来の財源事情からみて,もはや取り得ない.
 わが国が置かれた地理的条件及び人口と経済の過密過疎の現状においては,重点投資が防災投資総体としての費用便益を大いに減殺することは明らかだからである.
 限られた財源による防災投資が社会にもたらす効用,即ち国民生活の向上と経済の安定性に対する効果を最大とするためには,「ある地域,あるラインを守り,ある地域,あるラインは守らない」という厳しい取捨選択,即ち選択的集中投資こそが必要となる.
 そして選択的集中投資のためには,防災投資の意思決定プロセスの改革と自己責任原則の形成が必要となる.
 意思決定プロセスについては後述するとして,自己責任原則とは,社会としての選択を行った結果に伴う不利益あるいはリスクは,社会として当然甘受しなければならないということである.
 そして,そこに防災対策に人命の価値も含めた費用便益の観点を導入する必要性が生じる.

 自己責任原則が貫徹されなければ,防災投資の効用の最大化は維持されない.なぜなら防災施設を整備しなかったことの不利益が行政の責任とされれば,行政は選択の変更を余儀なくされる.
 行政は総花的投資という防衛行動に傾斜し,より効用の少ない防災投資をも敢えて行うであろう.
 その結果,合理的,客観的であった当初の選択による所期の効用は減殺される.
  この自己責任原則の欠落が,防災投資の効用の最大化を妨げる.
 但し現時点では,その選択が必ずしも明確な基準によるものではなく,また公表されていないという問題があり,この点も意思決定プロセスの改革の対象である.


2)ハードとソフトの最適な組合せ
 防災という政策目的の達成手段は,防災施設の整備というハード的な手法だけではない.
 立地規制,開発規制,住民への情報提供と教育による最適防災行動の形成,災害時の救助システムの構築等,いわば社会システムによる対応,即ちソフト的な手法が同時に用いられなければならない.
 そして,ハードとソフトへの最適費用配分,つまり両手法の最適な組合せが,防災支出の効用最大化のために不可欠となる(したがって以下,防災投資と呼ばず,防災対策と呼ぶ).
 それは当然,人と経済のリアロケーションというソフト的な対応を伴う.つまり,現存する防災施設の性能,維持管理費等の状況,現在及び近い将来実現可能な防災投資,防災技術を前提とした人と経済の再配置が必要となる.
 しかしそれは,国民生活の向上と安定した経済発展のための人と経済の望ましい配置とトレードオフの関係になる可能性がある.

 わが国では,防災は専ら行政の役割との意識が強いこと,及び防災投資についてもその経済的波及効果に強い関心がもたれることもあって,こうした分析は行われず,ハードに偏った問題解決手法が好まれる.
必 要なのは,「ハードな防災施設は,ソフトな社会防災システムの一部に過ぎない」との発想の転換である.
 そして国土利用計画,都市計画,行為規制及び前述の自己責任等からなる社会総合防災システムの形成が急がれねばならない.


1.4.2 最適配分の達成手法
 防災対策についての最適資源配分の問題は,実は先ず財政支出及び民間支出の内どれだけを防災対策に投じることが社会的及び個人的効用を最大化するかという問題である.
 ここでは,防災対策内における最適資源配分に限定する.

 ソフトとハードの最適な組み合わせを得たとして,次にそれを実現するための意思決定プロセスについて考えてみる.
現状では,防災対策は市場財となっていないから,意思決定プロセスだけが資源配分を決定する手段である.
 したがって,そのプロセスが政治的圧力や主観的利害関係等によって歪曲されることなく,当初の合理的,客観的選択の結果が最終段階においても維持されることが最適配分に不可欠な要素である.
 そのために必要な項目は,つぎのようである.


1)地域による中長期計画の策定
 まず,地域における防災投資と社会システム,即ちソフトとハードの如何なる組合せが,その地域の防災目標と社会的厚生水準の向上を最も効率的に実現し得るかが明示されねばならない.
 次にそのソフトとハードにおける多種多様な政策手段についての整備計画が,優先順位をもって時系列的にかつ個別具体的に示されねばならない.
 そしてそれらに必要な財源もまた時系列的に対応させ,それが財政全体の中長期的な収支と整合性を持っているものでなければならない.
 この場合,地域及び地域住民に対しては判断に必要な全ての情報が与えられなければならない.
 地域に判断を委ねることによって,前述の自己責任原則の形成を促進する効果が期待できるからである.
 加えて防災対策の財源についても,地方に移管される必要がある.自己責任原則の前提は,自らの負担において自ら決定することで完結するのである.


2)計画の予算に対する優越性
 防災対策を計画によって確定するには,その計画を法律化することが適当である.
 そして合理的,客観的選択の結果を最終段階においても維持するためには,その法律は予算の上位に位置づけられることが望ましい.
 予算に対しては,その計画を毎年の歳出に忠実に再現する忠実義務を課すこととするのがよいが,財政収支の健全性を確保するため,毎年の歳入の変動に応じた調整の権限は付与しておく必要がある.



1.5 災害研究者の任務

1.5.1 災害科学,災害技術とは

 自然科学としての災害研究(災害科学)の内容は,

1)災害の原因(誘因と呼ぶ)となる自然現象の実態と予測の研究
 現象それ自体の特性(強さ,頻度)と発現メカニズムの解明,予測手法の開発
2)現実的な現象監視,予測システムの構築とその実効力限界の明示の技術の開発
3)現象監視予測情報の社会への有効な伝達技術の開発
4)自然現象(外力)に対する構造物の反応過程の解明
5)外力に対して耐久力のある建造物の開発
6)外力に対する現実的な耐久力の限界明示技術の開発
7)想定被害を最小化する事前対策技術の開発とその限界の明示
8)想定被害を最小化する事後対策技術の開発とその限界の明示

などに大別できるが,実際には相互に密接な関連性がある.
 各々の分野の研究者が有効に協力する為には,まずこれらの何が問題であるかを明白にしなければならない.
 これが,本来の学際的研究としての災害科学の出発点となろう.
 なお,自然科学以上に社会科学としての災害研究の内容も多岐にわたっているが,この分野の研究者は驚くほど少ない.
 両者の研究成果の融合が図られなければ,真の防災学は確立できない.


1.5.2 防災技術の高度化と専門家の養成
 上述のように災害科学技術の内容は,多岐にわたる.そのため,それらに対応する専門分野の内容も多岐にわたり専門家の種類(役割)も多種多様であり,災害科学技術の向上には,多くの分野の密接な協力と交流が必要である.
 一方,各分野においては基礎と応用の両面で先端的掘り下げが基本的に重要である.

 防災技術は現実に適用されてこそ価値が発揮されるものである.
 したがって関連技術の高度化は,大学や研究室の閉じた社会のみでは実現できるものでなく,各専門分野について厚い階層的構造をもつ技術陣なしには達成できない.

 このような観点からすると,災害科学技術分野での研究者層は現状では十分厚いとは言えず,その充実が急務である.
 そして,その充実のためには,各分野の専門家者を養成に適したカリキュラムの充実も急がれる.

 なお,災害科学技術の専門家にしても,企業体に属する場合と公的機関に属する場合では,その任務役割は大きく異なる.
 とくに日本では,後者の場合に,専門技術者が充分にその機能をはたすためには,法規的基盤と資格を持つことが必要である.
 今後は,これらで社会的な立場と身分を保障された専門技術者層の養成を目指すべきである.


1.5.3 設計上の課題(特に技術者の責任と倫理)
 あらゆる自然外力に耐えうる建造物は,現実にはありえない.
 そこで,当該の建造物がどの程度の外力に対してどれだけの耐久力を持ち,災害時にどれだけの破損を受けるかを明示することが求められる.
 ここに技術者の責任と倫理が問われることになるが,この問題は技術者個人の人格レベルの議論に矮小歪曲させるべきでない.

 この責任と倫理に関する議論の実効を高めるためには,第一義的に,オーナー,発注者,施工者(多くは法人)の責任と倫理が問われなければならないし,その法規的根拠が必要である.
 その基盤を明確にした上で,次に技術者の責任と倫理が問われるべきである.


1.5.4 施工品質の問題(自主管理と第三者検査)
 当該の建造物が,どの程度の外力に対してどれだけの耐久力を持ち,どれだけの破損を受けるかの明示が設計の段階でなされ,それに対応した施工がなされたとき,施工品質はまずは所有者によって自主管理されるべきと考えられるが,現実には問題があとを絶たない.
 問題が発生した場合,公的第三者による検査が不可欠となるが,現状ではこれとても問題が多く,より拘束力を持つ公的第三者検査が望まれる.
 阪神・淡路大震災の後,建築確認申請の書面通りに戸建て住宅が建てられたかを追跡調査した大阪・堺市では,書面審査後,施主の希望を受けた施工業者による改造が多く行われ,それらほとんどが建物の耐震性を弱めていることにつながったと指摘されている.
 これなどは現行法規の抜け道となっている例である.行政が竣工検査を実施できる体制でないことが,このような矛盾をもたらしていると言える.

 さて,設計基準や施工管理基準を満足して建設された構造物が,災害に遭遇して明示された耐久力を発揮しない場合の事例も少なくないと予想される.
 このような場合の責任をどこに求めるかも重要な問題である.この問題を曖昧にとどめる限り,責任と倫理に関する前進は期待できない.


1.5.5 緊急事態における危機管理
 危機管理の機能向上をはかる場合,緊急事態のもとで有限の人的,物的資源を最大限に利活用し,波及被害を最小化することが目標とされる.
 この場合,次の3つの側面から検討する必要がある.

 第1は,「想定した危機」に想定したとおりの対処できるかの観点による,実態に即した管理能力である.
 各機関,各組織の危機管理体制は,実際にこの初歩的な能力を検証していないことが多い.

 第2は,想定した自然外力に対して果たして「想定した危機」の範囲に抑えられるかについての能力である.
 設計上は想定外力により,破損しないはずのインフラ施設が損傷することがまれではない.
 この場合,「想定した危機」の品質にあるのか,あるいは,設計にあるのかが問題である.
 いかに危機管理とは言え,その背景には多くの基本情報がある.基本情報の責任を忘れて,危機管理にのみ責任を負わせる,悪い風潮がみられる.

 第3は,現時点の危機管理能力の限界を超えた場合の状況の予測と対応である.
 現実を直視することなしには,危機管理のレベルアップはありえない.
 また,非現実的な危機管理を空想すべきではないし,完全な危機管理があると安易に扇動すべきではない.

 いずれにしても,この3種類の危機管理についての現実的な有効な品質管理手法の確立と導入が急がれる.


1.5.6 防災教育の重要性
 災害にねばり強い,回復力の早い社会を実現するためには,つぎの3要素の実現を図る必要がある.
 それらは,1)災害を知る,2)社会の弱いところを知る,3)防災対策を知る,である.
 阪神・淡路大震災では,あまりにも被害が大きすぎたので急遽,3)についての検討が行われてきた.
 それまでの約30年間,わが国では局所的な災害による悲劇はあったものの,全体としては幸運な時代を経験してきたと言える.
 その間,学術的な検討を除いて,これら3つについては社会的にほとんど考慮されることがなく,場当たり的な対応にならざるを得ない情況であった.

 防災の基本となるこれら3要素の組合せの重要さ,すなわちバランス感覚こそこれからの私たちの社会に必要なものであろう.
 そのためには,社会が準備しなければならない長期にわたる教育プログラムの開発が重要である.
 これまでのこの分野に関する知見を援用すれば,小学校高学年における災害のメカニズムに関する正確な理解がまず必要である.
 しかし,現実には教育する側に果たしてその必要性の理解とそのような知識があるのかと問えば,はなはだ疑問視せざるを得ない.
 災害のメカニズムを理解することは決して難しいことではなく,平易な言葉の代わりに難解な式でしか表現できない専門家にも大きな責任がある.


1.6 提 言
 20世紀の最後の10年間を考えると,この期間,世界は大きく変動し,また変動し続けているといわなければならない.
 地球規模での冷戦構造の崩壊に始まり,政治,経済,産業構造を含むあらゆる分野で世界の枠組みが大きく転換しようとしている.
 行政改革,大学の教育研究組織の変革,以前には考えられなかった大企業の倒産や合併そして再編と,その例は枚挙にいとまがない.
 現在はあらゆる分野における“パラダイムの転換期”である.
 “パラダイムの転換期”であることを,学術分野の変革と言う点で考えると,生命科学,環境そして本論の主題である防災など,どの問題を取り上げても,これらが19世紀から20世紀を通じて確立してきた学術分野をまたぐ,複雑で広範な問題を含んでいることが明確である.
 これらは,複合研究領域の融合,俯瞰的学術分野の創出等種々の用語で表現されているが,その内容は従来から言われている学際研究といった枠組みを超えて,これらの問題が新しい学術分野の創出を要請している.

 したがって,「次の4半世紀に行うべき防災に関する研究は何か」と問われれば,それは生命科学や環境がそれぞれに1つの学術分野の創出を必要としているのと同様に,防災もまた”防災学”と呼ぶべき学術分野を必要としており,“防災学”の創生をまず第1に挙げなければならないであろう.

 防災学は,工学,理学,経済学,法学,社会学,医学を含む広範な研究分野の結合を必要とし,次のような分野を持つべきであろう.

(1)災害の事前: 災害リスクの管理(リスクの認識,計量,処理,管理)
a.リスクの認識と計量:被害額の算定方法,防災投資効果の計量,
b.リスクの情報公開:適切な情報量,開示の方法,行政の役割と個人の役割,防災教育
c.リスク管理(リスクの回避と予防,軽減):工学的被害対策と社会的被害対策,建設規制と防災,構造物の設計・施工・維持管理技術
d.リスク処理(リスクの保有,保険,その他):天災vs.人災(「瑕疵」の有無),地震保険,防災の適性水準,安全に対する社会の意識調査と許容レベル

(2)災害の事後: 災害危機管理に関する研究
a.発生初動体制
b.救援体制
c.復旧体制: 個人補償,メンタルケア

 防災のようにこれに係る価値基準が多岐にわたり,また多種多様な制約条件を含む大規模な問題では,多目的下で可能な解を系統的に検索し,トレードオフ関係を考慮しつつ意思決定を支援できるような,画期的なシステムの開発が必要であると思われる.
 このシステムでは,唯一の解(The Unique Solution)を示す必要はなく(またそれは可能でもない),当面比較的衝突(Conflicts)の少ない解を追究する,換言すると,状況の変化に応じてより衝突の少ない解があればこれに乗り換えることにも同意するといった行動を許容することを前提として選択できることが必要である.
 したがってこのシステムでは,可能な解を複数検索したり,制約条件や価値基準の変化に対する解の感度を即座に提示したりできる必要がある.
このような解は,当面の衝突が比較的少ない解と言う意味で,“Less Conflicting Solutions:LCS ”と言うことができるかもしれない.

 防災を始め生命科学,環境等の問題は現時点で,多面的な価値観や制約条件について言及されることは多いが,多目的な状況下での意思決定の方法と言う点では,見るべき提案は未だに姿をあらわしておりず,この分野の研究は,極めて重要なものと思われる.

 以上述べたようなLCSを求める多目的,多制約条件下での意思決定システムは,理想のものであり,当面の研究分野としての防災学では,実際に適用できるところから実施に移すといったプラグラマティックな態度が重要と考えられる.
 これは特に防災の問題では基本的な重要性を持つと考えられるので,この点に関連して災害の特徴の1つであるローカリティについて一言,言及しておきたい.

 防災は基本的に個々の災害を取り上げると,地域の自然的・社会的条件に強く支配される極めてローカルな現象であると言える.
 このようなローカリティーをもつ問題では,抽象的・一般的に問題を解析するだけではその効果を発揮することは難しい.
 個々の具体的な災害に対して,個々の地域における住民の啓発は欠かせない.
 このために防災教育や防災訓練を,地域の非政府組織(NGO)の活動や,ボランティア活動とリンクさせて行くことは極めて重要であり,この方面の研究と,その成果の適用は,防災レベルの社会的合意形成に不可欠の要素である.
 情報の開示なども,このようなローカルな活動にリンクさせて,いかに適正な量と形でこれを開示して行くか研究して行かなければならない.

 構造物の設計,施工と維持管理に関する研究について言えば,情報開示や防災水準の合意形成に大きな可能性を持つ性能規定型設計法の 開発と普及,施工品質管理を含む材料の耐久性の評価や向上に関する研究,耐用年数を迎え始める多くの社会基盤施設関連構造物の維持・管理等が重要であろう.

 科学史・科学哲学の研究者として著名な村上陽一郎氏は,最近「安全学」1)という新しい学問分野の創出を提案されている.
この提案は「防災学」とも密接な関係を持つと思われ,また極めて示唆に富んだものであるので,ここに引用してこの提言の結びとしたい.

 「近代社会が,そのことを社会全体として合意したか否かは問わず,「開発」あるいは「進歩」という価値を選択してきたことは明らかである.
そして興味深いことに,近代社会の生育とともに生育してきた近代の科学・技術も,結果的にではあったかもしれないにせよ,そうして選択された価値に奉仕してきた.
 近代科学が目指した方向は,開発や進歩そのものを目標としたわけではないが,しかし,物質とエネルギーを基本概念に据えることで,まさしく開発や進歩を支えてきた.
 今人々の目は,物質とエネルギーの重要性の減っていないことを認めつつも,しかし生命へ向かっている.
 本来ならば物質とエネルギーに次ぐ第3の基本概念となった情報も物質とエネルギーの制御に貢献するべき運命にあったはずだが,この半世紀ほど,むしろ生命現象の中での概念操作の方に,意味合いをシフトさせている.(中略)
 このようなシフトが認められるとすれば,生命を扱う科学が,物質とエネルギーと情報という概念だけで十分であるかどうか,議論のあるところである.
 そして,19世紀から20世紀の社会が物理学のモデルで動き,その結果として「開発」と「進歩」へと向かったのであれば,21世紀の社会は,生命のモデルにしたがって「安全」に向かって動く,あるいは動くべきである,ということになる.」(村上陽一郎著「安全学」1)より)

TOP


第2章 観測による実態把握と設計への応用
 −自然災害工学研究,及びその成果活用における観測資料の問題点と提案−


2.1 緒 言

 観測データに基づく自然災害の実態把握とその成果の設計への応用が「自然災害防止・緩和軽減のための工学・技術」に不可欠である事は言うまでもない.
 また実際に得られた観測データは,別途実験室で実施されたあるいはコンピューターによるシミュレーションによる自然外力と構造物とのインタラクションについての特性と,メカニズム解明のための研究成果とのキャリブレーションを行う意味でも極めて重要である.
 本章をまとめるため,現在運用あるいは,利用されている観測ネットワークの現状と問題点を調べた結果によれば,現状では実態把握と応用の両面において観測データは不十分であり,その充実が急がれている.
 当委員会としても,この現状と必要性を国および社会に訴え,可能な改善方策を提案しなければならない.

 しかしながら,問題の全てが,国家的社会的体制の不備にあるわけではなく,研究者サイドにも問題がある.
現状改善のためには,観測に対する社会的理解と評価を得る必要があり,そのためには研究者サイドでも下記の反省が必要である.

 災害のたびに,データの不足に研究者の責任を転嫁し免罪符とする安易な傾向がある.
 そもそも,完全なデータセットはあり得ない.
 もし事前にデータの不足を認識しているならば,性能限界の未確定,未確認,未想定を明示する責任があるはずである.
 これらが明示出来ないことは,研究の限界も分らないことを意味する.

 観測による実態把握の意義目的と内容を明確に意識する必要がある.意義目的と内容が不明確のまま,何でも欲しいという非現実的な要求をする研究者が少なくない.
 台風災害を例に取れば,その発達機構の研究や進路予報のために必要な観測網と,局地的強風把握のための観測網は同一
ではない.

 観測の充実を要求するなら,期待される学問的成果と災害防止・緩和軽減についての貢献の見通しを社会に対し明示する事が必要である.

 上記の視点を欠いたままでの,すべてをデータ不足に転嫁し,なんでも欲しいという発想から研究者が脱却しなければ,社会の支持を受けて自然災害工学が発展することは望めない.


2.2 観測資料の重要性

2.2.1 現象の把握とモデル化における観測データの役割
 そもそも自然災害の理解のためには,自然現象それ自体の実態の把握,発現メカニズムの解明が必要であり,その研究は気象学,地震学,地球物理学等の理学的観点から進められている.
 観測はそれらの研究の基盤であることは言うまでもない.その成果により,理学的な現象のモデル化と予測がなされるに至っている.

 しかしながら,「理学的な現象のモデル化と予測」と「一般社会通念,あるいは工学的なモデル化と予測」との間には大きなギャップがあり,しばしば誤解と混乱を招き,観測の社会的評価の低下さえも招いている.
 現在,一般社会通念にほぼマッチする予測としては,気象短期予報があるのみであると言える.
今後は,工学・理学の間で情報交換をより積極的に行い,両者の間の共通認識を高めることが必要であろう.

 激しい自然現象が発現したとき,それが自然環境に及ぼす影響過程も複雑である.
たとえば,台風や梅雨前線がもたらした降雨が,どのように浸透し自然斜面の崩壊をひき起すか?地震において震源から伝播する弾性波が,各 地域の地盤でどのような特性の振動をひき起すか?などはその一例にすぎない.
 外力に対する応答のモデル化と予測の研究は理学的,工学的観点から進められているが,このカテゴリーの研究の基盤となるのも観測データである.
さらに,自然環境体それ自身のバックグランド的特性に関するデータの蓄積も不可欠である.

 さて,上述の事象を外力として受けた人工構造物の応答のモデル化と予測の研究は自然災害工学研究の中核的課題であるが,個々の人工構造物はそれぞれの反応特性をもつので,より個別的かつ精密な観測データが必要である.
 外力に対する反応を論ずるには各構造物についての力学的特性の情報が既知でなければならない.
 しかしながら,現実の外力と各構造物の多様性の故に,一般的なモデル化と予測には,大きな誤差が伴うはずである.研究者はこの点に留意して社会的発言しなければ,観測の社会的評価を失うであろう.

 上記の各研究分野で必要とされる観測の内容は重なる部分もあるが,異なる部分も大きい.社会,国に観測の充実を要望するにあたっては,その目的,期待される学問的,社会的成果を明確に表明しなければ,社会的信用を失い今後の研究発展を阻害する事になることを自覚しなければならない.


2.2.2 未解明現象の発生要因と機構の早期解明
 従来から発生している災害については,不十分ながら観測体制がとられデータの蓄積も進んでいる.
 しかしながら,近代的観測の歴史は100年にも満たず,我々が体験していない自然現象や災害も多数ある.
 それが,たまたま発現した時「新種の事象,災害」として受け止めるのは正しくない.観測の要求に際しては,観測対象とする事象の時間スケールの説明を省いてはならない.
 また,精度は不十分でも過去データの保存活用が不可欠であり,したがってその管理体制が必要なことも主張しなければならない.

 一方,社会生活の変化,開発に伴う自然環境の変化,新しい建造物の出現等により,過去に経験しないタイプの災害も発生している.
 たとえば,人工地盤の液状化現象,大深度地下構造物の破損,地下街の被災,通信網の障害などは,その例である.

 上記の2種類の未解明現象は,内容は異なるが,我々にとって未経験であることは共通している.
 あらかじめ,可能性を想定し観測網を展開し,あるいは,基本情報の収集を急ぐ必要がある.


2.2.3 原データの重要性
 多くの観測システムでは,そのシステムの主目的に応じて最適の形態にデータを処理し保存している.
しかし,他の観点,問題意識から調べる場合には,処理(加工)データのみでなく,原データが重要になることが少なくない.
貴重なデータの多目的活用の為にも原データの保存と公開が必要である.

 しかしながら,原データ量は膨大でその処理と長期保存は各機関の現状では不可能に近い.
これを実現するには,なんらかの,資金的,制度的な仕組み,さらに望むらくは専門システムが不可欠である.



2.3 研究成果の活用における観測資料の重要性

2.3.1 既存環境の安全性とその診断方法
 前節で述べた自然災害事象のモデル化や予測が一定の限界の範囲で出来たと仮定したとき,その成果が,直ちに,既存環境の安全性を診断する方法の確立や既存環境の安全性の向上に結びつくであろうか?例えば,ある大震災地域近傍の地震動記録が取れ,被災構造物の諸元と社会環境条件がすべて知られ,モデル化と,診断方法が出来たとして,それが将来の他地域に適用できるであろうか?

 適用するためには,起こるべき地震の震源,規模,振動の性質,各地域の地盤特性,構造物の諸元,社会環境条件が与えられなければならない.
 おそらくは,幾種類かのシナリオをつくり推定誤差幅を付けての診断となろう.それは科学的には正しいが,社会一般の要望にかなう診断とはかなり乖離したものであろう.
 さらに,震源近傍地震動記録は不充分であり,被災建造物の本当の諸元も不明であるという現実もある.
 何時どこで起きるかも不明な大震災にこのようなデータを取る体制が現実に可能であろうか?

 この事情は津波災害でも同様であり,社会的に意味の有る長期的危険評価は可能であろうか?
また地震発生直後になされる量的津波予報と災害軽減対策とのリンクは,いかなるものであろうか?


2.3.2 現実対応
 前項では,かなり厳しく,かつ悲観的に現状を評価した.
 これは,一部の非現実的かつ無責任な研究の風潮に対しての批判である.
 現実の社会では,all or nothing の思考はありえないから,夢物語や傍観者的マイナス思考の評論は無用である.
 現実には,限られたデータでモデル化し,既存環境の安全性を誤差幅付きで診断する方法の確立や既存環境の安全性の向上を図るのが我々の任務であり,これまでもそれなりの成果を上げてきた.

 ここで,観測が災害軽減に非常に有効である具体例をあげよう.
 高速道路における雨量データ,のり面の地形データ,地質データ,変状データ,及び既往災害データに基づく適切な異常降雨時の通行規制基準の設定は災害の軽減と回避のために極めて有効である.
 このような観測データを専門委員会等で公開し検討することにより,効果的な基準を設定することが可能になっている.

 我々は,まず既存のデータで可能な研究と対応の範囲,および,さらなる観測の強化によって期待される進展を具体的に明示することによって,観測体制に対する社会の支持を獲得しなければならない.



2.4.観測及び観測資料の現状と問題点

2.4.1 データの公開,交換に関するルールの必要性
 上述のように,自然災害関連の研究の対象と目的は多様であり,各々の機関がその任務分担に応じて最適と思われる観測を行ってきている.
もちろん現在でも,政府機関,国立研究所,国立大学等の間では,データの相互交換,あるいは観測の重複を避けるための調整は取られている.

 とは言え,建築,土木,電気など異分野で地方自治体,公共事業体,企業など観測が個別に行われていることへの社会の不審と不満があることは事実である.
 しかし,これを単純に組織のエゴイズムと決めつけるだけでは問題は解決しない.
観測が各組織で個別に行われている背景理由としては;
i) 外部からの制約なしに効率的な観測体制を取りたい(部外システムと連動すると,業務が付加され複雑となる.システム更新,変更,休止等が強く束縛される).
ii) 設置条件,精度など自己の業務に必要とされる以上の要求をされる.
iii) 組織の責任範囲外の業務であるので正規業務としての裏づけがない(予算人員の問題)
iv) 特にオンライン交換においては,欠測の責任を本来業務の責任を超えて不当に追求される.
等の無理からぬ事実があり,これらの問題の解決なしには,発展は望めない.

 上記の問題を少しでも改善し,データ公開と交換を促進し,さらには横断的観測システムにまで発展させるには,単なる精神論だけではなく,最小限のルールの確立が必要である.
 これについては2.5で提案する.

 ここでは,データ公開・交換を結果的に阻害することにつながる独善的研究者の問題を再度注意しておきたい.
 研究熱心のあまりではあろうが,他の組織に本来任務を超えた精度や確実性を要求し,あるいは,本来任務とは関係の無い欠点をマスメデアで批判するなどの行動がそれである.


2.4.2 自然観測の限界と防災に向けた活用の展望
 観測技術は日進月歩であり,科学技術の観点,理学的観点からは限界はない.
事実,新しい科学的知見は急激に増加しつつある.

 問題は2.2で述べたように,その知見が社会通念からみた実利ある情報提供につながるか否かであり,更にはその情報が実際に活用されるかどうかである.

 観測のもたらす「人類の知的財産の充実」と「短期的に見た実利,実益」とについて研究者が社会に正確に説明し,理解されない限り,観測の長期的充実はありえない.

 観測の充実,研究の発展により,表記の情報の精度と内容は進歩するであろうが,社会通念の望む(現実には科学の観点からみて現実離れした社会的要望があるが,実は,現実離れした社会通念も一部の無責任な研究者の発言によって涵養されたものである)情報にどこまで近づくかは疑問である.
 科学者は得られると期待される知見と出されるであろう情報について社会に告知するにとどまらず,その活用の方策についても説明し提案する必要がある.
それをしない限り,たとえば余震確率評価,活断層長期評価,東海地震関連情報等の防災に向けての活用や,観測の展開を望めないであろう.



2.5 有効かつ効率的な観測展開のための提案

2.5.1 横断的観測体制と公開性の確立
 望まれる観測体制をとるには,多くの財源を要する.
 このため国家的観点から最も効率的,組織的な調査観測体制をとる必要性がある.
 この際,何が主目的であるかの共通認識が不足していると,非効率的な巨大組織となり,縄張り争いになる.
 現在でも研究対象と目的は多様であり,又多様性が将来発展に繋がる事を否定すべきではない.実質的な科学的議論に基づく意志決定と調整のできる組織による,計画の策定が望まれるが,これまでの実態を見ると容易なことではない.


2.5.2 評価と公開との連動
 多くの観測項目があり,また重点地域があり,かつ資源は有限であるから,計画には重点が有り,取捨選択や計画の変更も生じよう.
 観測の評価には多くの観点があることに留意しなければならない.
 例えば,データそのものの価値と,ある時点でそれから得られた情報の評価は,本来次元の異なるものである.
 データの評価は広いユーザーによってなされなければならず,この点でも評価と公開との連動がはかられる必要がある.



2.6 資料を有効活用するための具体的提案

2.6.1 免責の問題
 2.4で指摘したが,現在データ公開を阻害する原因の一つは,独善的研究者による過度の責任追求である.
その組織の任務分担以上の責任や拘束は要求すべきではない.
 任務分担と免責は当初に文書で公的に確認すべきことであり,それを超えたマスコミなどを通じての個人的研究者による過度の責任追求などはあってはならないし,その防止策も必要である.

2.6.2 費用負担の問題
 観測それ自体は言うにおよばず,データ管理にも多くの労力と費用が必要である.
 私企業,公共事業体はいうまでもなく,地方自治体,政府機関や大学でも,データの外部提供は必ずしも業務として位置づけられていない.
 データの円滑な公開交換のためには,合理的な費用負担の原則を確立しなければならない.
 海外でも,国により,各種データごとに様々な費用負担の形態があることが参考になろう.

2.6.3 公的資金による日常的取得データのオンライン化とデータベース化
 現在でも,多くの機関が相互に日常的にオンラインデータ交換を行っている.
 また,各機関では,それぞれの必要に応じてデータベース化を行っている.
 もし可能の範囲でも,データ交換のオンライン化とデータベース化が進展すれば大きな発展である.

 この促進のためには,あらたなルールの導入と公的資金の注入が望まれる.この新制度のもとで,データフォーマットなどの統一が図られることが望まれる.

2.6.4 資料センター等のシステムの問題
 データの種類と総量は指数関数的に増大しつつ有る.
 また,加工データのみならずオリジナルデータに対する要望も多い.
 さらには,長期間にわたるデータの保管も迫られている.
 このような要請に各機関が個々に対応する事には限界があり,資料センター等のシステムの確立が望まれ
る.

 近年計算機システムや電子媒体の進歩が急速なため,常にその時点のシステムにデータを移しかえる作業も必要であり,その業務量は非常に大きい.

 なお,予算的,組織的,制度的な裏づけが必要なだけではなく,日本ではデータ管理者に対する科学的社会的評価が低いのは大問題であり,一部には補助職扱いにする風潮さえある.
 この点でも,日本の研究者の持つ歪んだ価値観を改めない限り,真の意味の資料センターの確立は不可能である.

TOP


第3章 災害情報の価値と役割

3.1 はじめに
 本章では災害低減にあたり,災害に係わる各種情報に関して,その価値と役割という視点での分析を試みる.
以下の各節では災害防止の観点からの事前情報,災害時の情報,災害後に報告される事後情報に分けて考察する.
 一般に,災害に関するそれらのさまざまな情報は,主に研究者間での利用を目的に作られた一次情報と,その一次情報をもとに研究者間のみならず行政,企業,国民への伝達を目的として整理された二次情報からなる.
 その違いの認識は情報の供給を考える上で重要であるが,いずれの場合も作成者の権利保護と公開努力義務が伴うと考えるべき性質のもので,そのような認識のもとで,初めて良質な情報が適切に伝達されることが期待できる.
 このことは情報公開が社会において強調される今日,情報に価値を見出す誰もが共有すべき倫理である.

 災害に関して発信される情報は,個々人の経済的利害・制約を超えて機能する.
 そのため,情報授受に係わる一人一人の災害低減に対する役割の大きさをあらためて認識する必要があると同時に,それらの情報が必要なところに迅速に伝達されるべく,制度的に不都合の無いよう行政としての不断の努力が求められる.
 例えば,法律の意図としての建築物の安全性としては,「極めてまれな強い地震に対しても倒壊して人命に危険が及ばないこと」を確認するものであるが,国民は「安全性が保証されることは通常の生活に支障が無いこと」と理解する向きがある.
 また,鉄道や道路の地震時,台風時の安全性に対してもどのような事態に対して何が生じうるか説明することなく安全であるとされていることが多い.
 この様な理解の食い違いは災害低減に対して同質な情報が研究レベルと国民レベルで共有されていないことを意味するものである.
 企業や国民への十分な情報伝達の下で行政的判断の適切さを問うことが,より広範になされなくてはならない.
 本章では,そのためにいかなる情報の供給システムが必要かに関して問題を提起したい.


3.2 事前情報

3.2.1 危険度情報の公開
 わが国に発生する代表的な自然災害について,それらの事前情報の現状とその公開性をまとめてみると,以下のようになる.
 予めここで,危険度の用語が,一般に二通りの意味で使われており,ここでも,その点の区別を厳密に導入していないことを断っておく.
 それは英語ではHazardとRiskの両者に,日本語では共に危険性あるいは危険度という語をあてていることによる.
 すなわちHazardは地震や強風,波浪など自然災害につながる現象の物理量を確率と対応させて評価したものであり,Riskはその確率に災害が発生した時の被害量を乗じたものに対して用いる.
 したがって,確率が小さくても,波及効果も含めた想定被害が甚大であればRisk としての危険度は高くなる.
 一方,Hazard としての危険度は地理的場所によって自然現象の発生の様子が異なることによって,それを評価することに重点がおかれ,人口や施設の密集性や被害時の波及性などは含めない形で扱われる.
 情報の公開と言う意味ではそのいずれもが必要なことであり,今後区別した理解が一般化することにより,災害軽減の議論がより明確となることが期待される.

1)地震:阪神・淡路大震災の後,各都道府県で活断層調査が行われ,将来どの程度の規模(地震マグニチュード)の地震がどこで(震源位置)起こり得るのかについて情報が公開され,活動度についてはA,B,Cというランク付けが行われている.
 地震被害は,地震動の強さや構造体の強度に依存するので,震源断層の位置や破壊過程,地盤の構造や力学的性状,構造物の情報が重要である.
 被害想定作業を行った自治体では,このような情報は把握されているが,地域防災計画に記載されているにとどまっていることが多い.
 それがハザードマップのような形で公表されているのは,わずかに東京都23区や大阪市などの例があるに過ぎない.
 たとえば,南海地震や東海地震などのプレート境界地震は,100から200年周期で発生している.
 しかも,地震マグニチュードも8以上であり,比較的容易に被害想定作業が実施できる.
 一方,内陸直下の地震については,現在,起こった場合の最大地震マグニチュードに基づく被害想定作業が行われている.
 しかし,仮にそれらが地震を起こした場合,被害が極めて甚大になることが多く,実際上事前に対応する施策は,財政上等の理由からほとんど行われていない.
 このように自治体の対応はもとより,被災地の被害軽減に結びつく具体的な対策はほとんど実施されていないとともに,想定する地震の発生可能性についての情報が希薄である.
 都市における地震危険度の情報は,Hazardとしての差異がどの程度あり,Riskを考えた時に想定被害の内容の差異がどの程度か区別してまとめられる必要がある.


2)津波:わが国ではほとんどがプレート境界地震に伴って発生している.そのため,最大地震マグニチュードを設定した被害想定が実施されているが,その結果については防災関係者には公開されているものの,広報の形では公開されていないのが現状である.
 問題は近代以降,津波被害を経験していない地域の人々の意識と津波防災対策の遅れである.
 また,被災シナリオに対する洞察が欠けている.
 さらに,昭和の南海・東南海地震のマグニチュードがそれ以前のものより小さかったこともあって,津波の大きさはもとより到達時間についても,地域特性が軽視されているという問題が生じている.
 津波防災は,国の縦割り行政の弊害を受けて一貫性がなく実施され,その効果の総合的評価に欠けている.


3)高潮:大阪湾,東京湾,伊勢湾,有明海・八代海,周防灘などの高潮常襲地帯では,伊勢湾台風級の台風が過去の最悪のコースを通過すると想定して潮位偏差を求め,これを平均満潮位に加えて計画高潮を求めている.
 問題は,まず,伊勢湾台風級の台風の来襲確率を明らかにしていないことや,『過去の最悪のコース』が実は最悪でないことが見出されている点である.
 つまり,既往最大そのものの考え方の客観的な妥当性が検討されないまま使われている.
 しかも,これらは大都市を背後に控えた海域で行われているに過ぎない.
 つぎに,1999年の台風18号による高潮災害に見られるように,過去数十年間,高潮常襲地帯で高潮災害が発生していない場合,地域住民はもとより自治体などの防災関係者にも災害の認識が無くなっている事実である.そのため,高潮警報下で避難勧告が発令されないという問題がある.
 また,気象庁がそれぞれの地域で適用している簡易高潮予測式も,既往データに基づくものであって,台風のコースが特異な場合,適用に限界があることも分かっており,事前情報の精度に,研究成果が反映されていないという問題が残っている.


4)高波:気象観測データおよび気象予測データから波浪予測を実施し,これに基づく統計解析が一般化している.
 天気予報と同じく波浪予報が出されているのはこの成果である.
 なお,海岸・港湾構造物の設計における計画波浪の評価に関しては,波浪の極値(波高と周期)を発生させる気象条件の抽出に人為的な過誤が入る可能性があることや,大水深での防波堤などの設計法が未確立であることなどによって,構造物被害が発生する危険性が残っているなどの問題が残っている.


5)海岸侵食:これに関しては,事前情報が出された事例はない.
 つまり,典型的な事後対応型,逆に言えば開発先行型の事例である.
 とくに,漁港の修築や各種海岸施設の建設による沿岸漂砂の連続性の阻害に対して,原理的に確立した侵食対策工法が見出されておらず,しかも既存の工法に適用限界があることがほとんど関係者に理解されていない.
 また,最近,生態系の保存から,干潟や浅瀬の重要性が認められてきており,防護対策が適用されつつあるが,コスト負担が大きく,試行錯誤の状態である.
 広範な情報の公開による対応策の検討が求められる.


6)洪水:予測手法そのものは確立しているが,降雨の特性が近年大きく変化してきており,これまでのように河川の水位による洪水情報の出し方では時間的に間に合わない情況になっている.
 たとえば,1999年には1時間降雨量が100mmを超えた地点は10箇所にのぼり,それまでの年1,2箇所を大きく上回っている.
 レーダ雨量計などの情報による事前予報が必要であり,その情報をインターネットなどを用いてリアルタイムに公開する試みが始まったばかりである.
 また,洪水避難に伴うハザードマップの有効性も確かめられており,順次公開され,一部はNTTの電話帳にレッド・マップとして掲載されてきている.


7)台風:台風に特定しての風や雨の事前情報は一般的なハザードマップとして認識されるものになっていない.
 わが国では地形が海岸部からいきなり急峻な山地につながるなど複雑であり,しかもその平面的なスケールが台風のスケールに比べて小さいので,台風の陸地への接近に伴う風の場の時空間予測は極めて困難である.
 台風そのもののモデルについても個々の例に対しては新しい知見が蓄積し始めたところである.
 このため,局地的な強風の発生や高潮の数値予測の精度はよくないという現状である.
 このようなことを踏まえつつも,台風の進路予測の精度は近年上がってきているが,風や雨の予測がそのレベルに達していない.


8)土砂災害:近年の都市化により市域は災害脆弱性が大きい山麓や洪水氾濫原へと拡大しており,災害に遭う確率も大きくなっている.1999年の広島の土石流災害はその典型である.
 砂防ダムなどによるハード防災には限界があり,それを住民が理解できない場合,避難が遅れ,むしろ人的被害が大きくなるという問題が生じる.
 その例として,1997年鹿児島県出水市の針原川の土石流災害は事前に想定された規模の2倍以上の土石流が発生して,砂防ダムで阻止できず,人的被害が一挙に増大した.
 今後,立地規制とともに事前情報を充実させることになっているが,問題はその情報を得た住民が正確に判断して事前避難するかどうかに大きな課題が残されている.


9)火山噴火:世界の活火山中,一番短周期で噴火活動を継続している火山の1つにフィリッピンのマヨンがあり,過去300年間にわたりおよそ10年毎に繰り返している.
 しかし,わが国の火山ではこのような例はなく,数十年から数百年毎に繰り返す火山が多い.
 前者は桜島,後者は雲仙普賢岳が例として挙げられる.
 多発する火山に対してはハザードマップが作成されることが普通であり.
 これに噴火直前に火道をマグマが上昇する時に起こる火山性微動や微小地震の解析を加えて,火山噴火予想が出されている.
 近年,国内では危険度の高い火山地域に関してハザードマップが作られ,住民に配布されているほか,NTT の電話帳にレッド・マップとして掲載されている.本年3月末に噴火活動を再開した有珠山の場合には,地震観測や過去の噴火資料などをもとに噴火予想が正確に行われ,広報を 通じて周辺住民の安全な避難へ有効に活用された.
 今回のような災害関連情報の活用を通じて,被害の最小化を図ることが,今後,一層望まれる.


3.2.2 地震予知情報,とくに長期確率評価の意味について
 地震調査研究推進本部では地震調査研究委員会に長期評価部会を設置し,長期的な地震発生確率の評価手法および適用例について試案を公開し意見募集を行った(平成10年5月).
 もとより発生確率の評価は,過去の地震発生の痕跡やプレートの変位累積を拠り所としてなされるもので,その精度について研究者間でも議論のあるところである.
 従来,活断層に関する危険度情報に関しては,場所と規模についてはかなり特定できる場合でも,発生時期についての情報はあいまいな場合が多く,それゆえに安易に確定的に扱われがちという問題があった.
 たとえ幅のある推定であっても,特定の活断層の地震発生確率が活動成果として公表されることは,災害情報として有意義といえる.

 近年の災害低減に対するコストは,対策が考えられる限り大きなものになりがちである.
特にいくつかの巨大災害に関しては,想定し得る対策費用も想像を絶するものとなることが明かであり,したがって費用対効果の視点から,また  危険度の高さをもとに優先度を検討する場合に,確率情報は不可欠である.

 この種の情報は今後さまざまな形で公開され,災害対策の配分の判断に大きく役立つと考えられるが,研究としての自由な議論の場の確保と,それら成果の公開に対する行政のサポートが欠かせない.
 たとえばそれらの確率情報を災害安全のための要求水準の意思決定に反映する手法について,研究レベルでは多くの提案もあり一部には実務にも活用されているものの,一般には普及していない新しい考え方などについては,行政が活用法を積極的にPRするなどの対応を考えるべきである.
 海外,特に米国ではFEMAなどがそのような活動を積極的に行なっており,地方行政や企業,個人の災害対策費用支出の裏づけに役立っている.


3.2.3 気象情報としての事前情報の役割
 災害事前情報としての気象情報には,大別して二つのカテゴリーがある.
 その第一は長期間にわたって蓄積された観測データに基つく統計的情報である.
 過去のデータから推定される気象現象の最大強度,或る閾値の現象が出現する頻度,再現期間等は,最も重要な防災事前情報の例である.
 それらは多くの場合,ハザードマップの形で整理されて,二次資料として利用に供される.

 各地点について見れば,データの得られている期間は高々100年の程度であり,それからは,極めて稀な激しい現象についての統計的情報は 得られないとする見解もあるが,これは必ずしも正しい見解ではない.
 例えば,同一気候区かつ類似した地形にある多くの観測点のデータを用いれば,原理的には,100年をはるかに超える長期間についての推定が可能である.
 また,社会生活に対して致命的な災害は,年超過確率としては10−3から10−5を下回るような,まれな事象であることが多く,時間空間的な多くの情報からそのような低い確率の事象を推定することは極めて重要であり,少数の特定の事象を単純にあらゆるところに当てはめるような安易な条件設定は慎しむべきである.
 この種類の推計の研究,事前情報活用方法の研究は,近年取得情報量の増大と共に手法としての研究成果も蓄積されており,今後の研究と利用の一層の促進が期待される.

 その第二は,気象予測に基づく,天気予報,気象注意報警報など,災害の直前に出される情報であり,気象業務法の定めにより気象機関が発表する事前情報である.
 これは,タイムリーな避難,救援活動,応急対策など災害軽減,緩和のために必要かつ有用な情報である.

 この種類の気象情報のリードタイム(予測期間;現象発現の何時間前に出せるか)と予測精度は,対象とする現象のスケールによる.
 一般的に,大きなスケールの現象では,長いリードタイムが可能である.
 例えば台風の襲来は,24時間前にかなり高い精度で予測できる.
 これに対し,小スケールの現象(例えば 竜巻き)は,直前になるまで予測できない.
 なぜなら,大スケール現象に比較して,小スケール現象の時間的変化は急激だからである.

 また,当然のことであるが,リードタイムと予測精度は反比例の関係にあり,リードタイムが短いほど予報精度がよくなる.具体例をあげれば,梅雨期の豪雨の場合,九州の大雨は前日に正確に予測できるが,ピンポイントの高精度予測は前日にはできない.
 したがって,長いリードタイムの事前情報により準備をし,短いリードタイムの直前情報で臨機応変の対応をとることが大切である.
 リードタイムについての社会一般の認識に誤解があると,災害対策が過剰であったり過小になったりするので,情報提供側での情報の出し方にも注意が必要である.

 この気象情報の基本的性質については,気象機関が永年にわたって広報に努めているにもかかわらず,防災関係者や市民に充分に理解認識されていない.
 今後とも,気象機関が充分なリードタイムと高精度の予測情報の研究開発をすすめることが期待されるが,利用者サイドにも,情報の基本的性質を理解し,有効に活用する一層の工夫と努力が求められる.


3.2.4 土木工学分野における災害の事前情報の整備状況
 ここでは震災,風水害,火山災害,雪害に絞り,建設省防災業務計画2) (平成10年3月:建設省)の事前情報整備に関連した部分をごく簡単にとりまとめて紹介する.

1) 震災対策:地震危険度,特にHazard に関しては,地震発生や地盤情報を組みこんだ形で研究レベルでは十分な成果が期待されているにもかかわらず,ハザードマップとして一般の技術者の使用に供する形にはなっていない.
 これは諸外国と比較しても,極めて貧弱な状況である.
 理由の一つは,法律的な安全性に関する解釈が特定の地震に対する100%の安全を要求するものとなっているため,確率的な危険度の存在を行政が公開をためらっている面があるからである.
 この点は,研究成果の活用という点からも行政者の意識の早急な改善が求められる.
 道路施設,沿道斜面等の耐震性の点検を実施し,現状の把握につとめるとともに,災害情報システムの整備を進め,防災管理の情報化,防災カルテの作成など防災管理の高度化が進められている.津波に対しては,その危険性が予想される地域について,避難場所,避難経路の整備が図られている.

2) 風水害:緊急時における警戒避難等に資するため,浸水実績図,浸水予想区域図,洪水氾濫危険区域図等の作成や公表の推進と,これらの情報並びに避難地,避難路等を明示したハザードマップの作成や公表が推進されている.
 土砂災害に対しては,警戒避難態勢に必要な,雨量計,各種センサー等の設置など行い,危険地域住民への周知体制,災害予警報システムの整備等による情報の収集及び伝達体制の整備を行い,土砂災害危険個所等についての情報提供が行われている.
 また洪水,高潮の危険が切迫した場合には,気象官署などの関係機関と緊密に連携し,相互に情報交換することが図られている.
 技術者の間でも,強風や豪雨に関するハザードマップとその活用はある程度認識されているが,それが防災行政上の基礎情報として周知されているかについては,今後の課題となっている.

3) 火山災害:雨量計,ワイヤーセンサー,監視用テレビカメラ等の設置等火山噴火警戒システムの整備を推進し,火山噴火を迅速に把握するとともに,火砕流,溶岩流,泥流等の発生予測を行い,必要に応じて関係機関に対する情報提供が行われている.
 土砂災害危険個所の住民への周知体制,土砂災害予警報システムの整備等による情報の収集及び伝達体制の整備や,火山活動が活発なときには所管施設への重点的パトロールなどが行われている.

4) 雪害対策:雪崩危険個所では,雪崩監視装置の設置等警戒避難態勢の整備の推進及び警戒避難態勢に必要な各種センサーの設置等が推進されている.
 また,雪崩危険個所,土砂災害危険個所の住民への周知体制や土砂災害予警報システムの整備,気象情報等の収集装置の整備,きめ細かな気象情報や路面情報の提供等が進められている.
 豪雪情報に関してもハザードマップの活用が計られるべきであろう.


3.2.5 建築分野における災害の事前情報の整備状況
 自然災害のHazardとしての情報整備に関しては,土木工学分野と基本的に共通している.
 一方,建築分野においては,特に既存建築物の安全性についての確保が法律的にも十分されていないことが,阪神・淡路大震災をはじめ多くの建築被害の最大要因となっている.
 ここでは,その問題と今後のあり方を主にまとめる.

1)建築管理システムの必要性
 公的機関が建築許可または建築確認を行っているかぎり,一定程度の災害安全性は保証されている.
 しかし我が国の建築基準法がその冒頭で述べているように,これはあくまでも最低限度の基準であり,全ての災害に対しての安全を保障するものではない.
 また,現実の社会の中では,基準ができる前に建設された建築などのように,この最低限度の基準を下回る建築も存在する.
 したがって大規模な災害が発生すれば,ある程度の建築被害は避けられず,被災を前提とした応急・復旧・復興体制を事前に確立しておくことが重要になる.
 すなわち,被災後直ちに,被害状況の把握を行い,応急対応施設として利用しうる建築の見通しをつけることが要求されており,被災地および周辺の全ての建築情報が一元的に管理されていることが必要である.

2)今後の建築管理体制
 阪神・淡路大震災の被災状況は,GIS情報として整理されているが,これは,日本建築学会,日本都市計画学会等の調査グループの努力だけでなく,建設省建築研究所を中心として多くの人々が長時間を費やしてまとめた結果である.
 1994年のNorthridge地震では,事前に建築現況がGIS情報として整備されており,被災調査や応急対応に活用されたことと比較すると,阪神・淡路大震災における反省点として認識する必要がある.
 我が国の建築確認書類は,5年間の保存期間が定められているが,本来ならば,当該建築が存在する限り保存し,いつでも活用できることが理想である.
 さらに,建築増改築,利用形態の変動,所有権移転等の情報も,災害時の応急対応には重要な情報であり,法務,税務,建築,消防等関連行政部局ごとにデータ管理を行っている現状を改善し,一元的管理を行うようにすることが望まれる.
 また,全ての建築に定期的報告書を求め,工事業者からの工事報告と照合するシステム,抜き取りで実態調査を行うシステムなどにより,保管されているデータベースが常に実態に合うように管理されるべきである.


3.3 発災時,発災直後の情報

3.3.1 災害時の情報伝達体制
 災害発生時と避難・救援期における情報伝達の特徴は防災機関や住民の情報ニーズが極端に増大する一方,情報機器の破損などのため,情報供給能力が減少し,情報の需要供給にアンバランスが生ずることである.災害情報論3) (廣井脩著)では,その体制に関して,1)要員召集体制,2)被害情報の収集・報告,3)災害対応の指示・指令体制,4)住民に対する避難の勧告・指示の伝達体制,5)放送による防災情報・安否情報の伝達体制,6)組織外からの問い合わせ対策などを挙げてそれぞれの役割・意義を論じている.1),2),3)は組織内情報伝達,2),3),6)は組織間情報伝達,4),5),6)は組織−住民伝達としての性格を持ち,それぞれに応じた体制の整備が欠かせない.

 事前情報との最大の違いは,事前情報伝達が上部機関から下位機関へと一方向的であるのに対し,被害情報の汲み上げや指示に対する状況判断からのフィードバックなど双方向的な点であり,これが災害規模に応じてさまざまに変化するだけに,情報伝達の特性を把握して災害時に適切な判断処理がなされる様,事前に十分なシナリオ設定に基づく検討が必要である.
 放送ルートの適切な活用が不可欠であるが,放送政策が都道府県単位であることや聴取率依存性など,災害時における欠陥を「緊急警報放送システム」によって補う努力がされているが,都市や街区の構成に応じた市町村単位でのきめこまかな対応を予め検討されているかというと,まだまだ不十分である.
 誇大報道や流言蜚語の類は近年の災害では比較的避けられる状況となっているが,これも情報伝達体制の整備に対しての住民の認識と理解に多く拠っていると見るべきで,災害規模に応じた,情報伝達体制の周知が一層求められている.


3.3.2 危機管理のための情報処理
 都市地震災害で大混乱が起こっている最中の基本課題として,1)人命救助,2)消火,広域延焼阻止,3)避難,4)災害医療の実施,5)ロジスティックスの確保,および6)二次災害の防止,があげられる.
 大規模地震災害では,人命救助の担い手は近隣の住民であるが,住民は自分の周囲の被害しか判断できないという限界があることを十分理解する必要がある.
 それ以外の公的なセクターが上述の基本課題に円滑に対処するには,情報に関して,概括把握,収集,解析,共有ということが不可欠である.
 これは,地震災害だけではなく,洪水や土砂災害でも当てはまる.
 たとえば,1998年と99年に全国的に多発した洪水氾濫災害では,自治体の多くは避難勧告の発令の遅れがあったり,あるいは発令できなかった.
 これらは,的確な事前情報とそれを判断できる防災関係者がいなかったことに大きな原因がある.
 博多の地下街浸水や新宿区の地下室水没で犠牲者が発生したが,この分野の防災の必要性が行政機関にやっと認識されたというのが現状である.
 また,洪水・土砂災害では,高齢の被災者が屋内で被災する事例が急増しており,この事実からも事前情報の重要性が明らかである.

 災害応急対応が適切であるための条件とは,1)準備時間がある,2)予算がある,3)法律や条例として文章に書かれている,4)任務・役割分担がはっきりしている,および5)人員と指揮者がいることであると言われている.
 これらのどれか1 つでも不具合だと危機管理できないことになりかねないが,柔軟に対応してこそ危機管理といえる.準備時間を短くするには,1つは訓練があり,もう1つは仕事の流れを再検討し無駄を省く努力がある.
 予算については,今回の震災で支出した費目と経費を被災自治体が明らかにすることがまず必要である.
 将来想定される被災シナリオ,たとえば,河川の洪水・内水,高潮,津波の市街地氾濫と地下空間水没に対して先手を打って対策を明文化しておくことが重要である.

 なお,情報からみた震災後の3つの課題として, 1)震災直後の情報不足による弊害,2)被災者が必要とする情報の欠如,3)震災前の広報・啓発活動の不足,があげられる.
 まず,1)が原因となって,(1)行政の対応遅延,(2)災害規模の把握の遅れ,(3)被災者の初期行動の混乱,(4)多様な被災者必要情報への対応不足による弊害,(5)救助・救出活動の遅延,(6)電話回線の輻輳,(7)交通渋滞の発生等が起きた.

 次に2)に関しては,被災者が必要とする情報は,震災直後から時間とともに変化する.
 行政・マスメディア等による情報収集・発信が十分に機能していなかったため,被災者の情報ニーズの変化についていくことができなかった.
 これらの不足は,口コミ,張り紙,ミニコミ紙,パソコン通信等によってある程度カバーされたが,仮設住宅が先着順で決まるというデマが飛び,早朝から列ができるなどが起こった.
 また,全壊した世帯では,家をどうするかを震災後4日以内にほぼ意思決定しているが,この時点では行政から住宅情報はおろか仮設住宅に関してもほとんど情報が発信できていない.
 今後は全壊,半壊家屋に対する行政上の対策を事前に明文化しておくことで,災害直後の混乱を軽減すべきである.

 さらに3)に関しては,もし,事前の広報・啓発活動があればカバーできていた項目は,多岐にわたる.
 1998年と99年には各地で水害が発生したが,とくに都市に住む市民の中に,水防活動は都道府県の仕事と錯覚している人が圧倒的に多い.
 自治体全体にわたって,地震防災に熱を入れるあまり,風水害対策が手薄になっており,その隙を突かれて被害が拡大している面が指摘できる.
 災害発生に関する確率的な情報の行政における活用がなおざりにされがちである.

 そこで,情報課題を少しでも改善するためによりよい方向を目指す立場から,改善策を提案すれば,つぎのようになる.

1)データの収集・発信体制の整備:二重,三重化が必要であり,(1)コンビニエンスストアやガソリンスタンドなどを情報キー局に加える,(2)自治体職員や退職した土木技術者を情報収集員として任命し,また地域住民に対して行政が編集した情報を提供する,および(3)種々の画像による情報を提供する.

2)被害予測システムの整備:初期の被害把握を早くすれば,それへのロジスティックスの立ち上げも当然早くなる.防災地理情報システムが役に立つであろう.
 ただし,これを全庁的に日常業務で使わなければ,経費的に維持管理できないし,日頃使い慣れていないものは肝心のときに役に立たないことは自明である.
 なお,自衛隊には独自に被害想定を期待すべきものではないので,派遣要請を念頭に入れて,事前にそれを提供しておく必要がある.

3)データの発信方法の多重化と各メディア毎の役割分担:被災者へのテレビや新聞などの各メディアの特徴を生かしたデータ発信の整備と役割分担を通じて,被害報道から防災報道への質の転換を早急に実現する.

4)情報システムのネットワーク化:分散型・ネットワーク型のシステムを構築し,行政界をまたがるものにする.
また,センター機能を遠隔地のサブセンターによって支援する体制が必須である.

5)災害情報の共有化:行政,ライフライン企業,研究機関,被災住民間で同じ情報を共有することは,災害対応の基本である.

6)広域防災協力体制の強化:近隣自治体間のみならず遠隔地の自治体との協力は,広域災害では有効となる.前者のみでは共倒れになる恐れがある.

7)被災者情報の一括入力と管理:被災地でリアルタイムに被災者情報をコンピューターに入力することが,後々の災害対応を容易にする.ボランティアの活用が鍵を握る.

8)防災に関する知識の普及:これは,今後とくに重要な項目であり,つぎの内容で構成される.
(1)学校教育の場を活用した防災教育の実施,(2)災害危険区域,常襲区域の明示,特に定量的な危険度評価,(3)避難場所の明示と誘導,(4)住民用の避難時行動マニュアルの作成,配布,説明などのリスクコミュニケーション.

9)マスメディアに対するクライシスコミュニケーションによる対応:これは,災害後のあらゆる課題について考えなければならない点である.
とくに,マスメディアに対する窓口の一本化は是非必要であり,かつ災害対策本部や避難所での自由な取材の禁止や,それに代わる情報提供場の設定など至急改善する必要があろう.


3.4 復旧期の情報
 阪神・淡路大震災に関しては都市災害としての規模の大きさからも,その報告書はさまざまな主体から膨大な量がまとめられており,その活用は今後の災害軽減に大きな役割を担っている.
 情報が膨大なだけに,情報の性質,精度や一般性と特殊性の区分など,分野に応じた研究主体としての役割,行政としての役割を改めて検討し,活用できる情報に整備すべきである.
 各学協会にあっても精粗様々な情報の氾濫を避け,利用目的に応じた形に再構築することは多いに進めるべきであろう.
 特に,土木・建築物に対する要求安全性の見直しに関しても,災害直後の国民が冷静さを取り戻した段階で改めて十分な議論を行ない,行政としての適切な判断を提示し,法律や行政さらには管理システムに反映するべきである.

 通常時に市民が必要とする情報の全てが災害復旧期にも必要になるが,公的機関から発信される情報は,災害の規模,被災後の経過時期に対応して重要性の高い情報を選別して供給するべきである.
 震災後の生活支援情報は,従来の工学的災害情報としてはほとんど存在しなかっただけに阪神・淡路大震災の復旧過程は今後の災害情報として貴重であり,以下に整理してまとめる.
 被災の翌日から3日目くらいは,応急対応期から復旧期への移行期間であり,家族の安否に関する情報が優先されるが,生活支援情報としては,住居を失った人々への一時収容施設の開設状況,医療施設の開設状況,飲料水・備蓄食糧の配布拠点の開設状況が重要性が高い.

 被災後3日から1週間後くらいは,上記の情報および食料・衣類などの救援物資の配布に関する情報に加えて,交通・通信・供給処理施設など都市施設の被災状況と復旧の見込みに関する情報を供給し,被災者が自立復旧を考えるためのデータとするべきである.

 1週間から1ヶ月後くらいの時期では,さらに,被災建物の除却,修理のための情報,被災認定手続き,見舞金等支援資金や保険金の受け取り手続きの情報も重要になる.仮設住宅建設計画を公表し,入居申請手続きに関する情報も必要である.
 一時避難場所の生活も長期になると生活環境の改善が必要になり,このための情報も供給されなければならない.

 1ヶ月以降になると仮設住宅や修復した住居への移転が始まり,これに関連する情報が重要になる.
 また,被災者を含めた市民の自立的活動を支援する上で,都市施設の復興状況と各種産業の復興状況の情報は重要である.
 さらに,住宅の再建を考える人のための情報,とくに,復興まちづくりの基本方針と市民参加に関する情報は速やかに供給される必要がある.

 以上は,阪神・淡路大震災を参考にそれと同程度の被災状況を想定したときの公的機関による生活支援情報のあらましであるが,被災の程度が深刻な場合には,残された住民を被災地外へ移転させることも考えられるし,被災領域の規模が大きい場合には,救援・復旧に長期間を要することもあるので,復旧期の情報もこれに応じて弾力的に対応する必要がある.
 あらかじめ多くのケースを想定して情報供給体制を確立しておくことが望まれる.



3.5 まとめ

 災害情報を事前,発生時,復旧期に分けて,その価値と役割を論じ,災害軽減の為の問題提起を行なった.

 災害の事前情報としては,地震,津波,高潮,洪水,台風,豪雪,土砂災害,火山などについては,ハザードマップなどの形をとおしてある程度まとめられてきている.
行政においてもその公開を進めて来てはいるが,学会レベルでの充実した研究成果との比較においては,未だ極めて不十分であることが指摘できる.
 とくに地震関連については,確率的な危険度情報の活用を,費用対効果を念頭に置いた災害軽減政策おいて,より一層計るべきである.
気象情報は地震情報に比べて統計データの活用が計られている分野であるが,災害軽減のための対策としては,両者のバランスが欠かせ無いことからも,特に地震の長期確率予報にあっては今後の充実が期待される.
 また,確率的に想定されるさまざまな災害シナリオに対して被害予想を自治体レベルで整備すると共に,土木施設・構造物,建築構造物の維持管理や各種監視装置の整備は国の行政レベルで充実させていく必要性が高く,そのための研究開発支援が求められる.
地理情報システムの活用もその一貫で考えられる.

 災害発生時の情報伝達と処理に関しては,阪神・淡路大震災の教訓が参考となり,行政とメディアの連携をはじめとして,通常時と異なる危機管理のための情報伝達体制の確保が具体的な形で,各行政主体ごとにきめこまかに検討されなくてはならない.
 現状にあって,決して十分とは言えない状況で,災害情報の分散と集中の適切なシステム構築が求められている.

 復旧期の情報に関しても,阪神・淡路大震災の報告は膨大な量が報じられていながら,まだ十分に整理されたといえるもので無く,各種のハードな災害データの見なおしと共に,都市環境整備における要求安全性の議論喚起,災害後の生活に対する被害程度に応じた公的支援体制の確立などに,まだまだ多くの課題が残されている.

TOP


結言

 災害に対する恐怖はともすれば忘れがちになり,あれほどの甚大な被害をもたらした阪神・淡路大震災ですら,5年を経過した今,遠い出来事のように思われ,あの惨事が風化されようとさえしている.
 確かにあの地震では,多くのことを学び,種々の対策が講じられ,社会安全性(例えば,高速道路や高速鉄道高架橋橋脚の耐震補強や,構造物の耐震設計法の見直しなど)はある程度向上したのも事実であるが,一般家屋や永い経年を経た構造物は多く残っている現状からすれば,同様の被害が起こる可能性が多く残されている.

 また,近年の地球温暖化に伴う台風,ハリケーンなどの熱帯低気圧の巨大化のトレンドも一部で指摘されていること,さらには,高度化した都市における多様化した災害に対する対応はこれからも真剣かつ早急に考えなければならない事項であろう.
 勿論,これら巨大災害を完全に制御することは不可能であり,また経済的効果からも自ずから安全性レベルの向上には制約がある.
 そのために,本報告書で議論した,安全性のレベル,あるいは防災のレベルについて,社会的合意形成を得ることが重要であり,第1章の提言でも述べた“防災学”の創生が強く望まれるところである.
 我が国の“危機管理”に対する取り組みは欧米に比べ著しく遅れており,今後行政,教育,マスメディアにおいて積極的に展開されなければならない.
 最後に,本報告書を,自然災害に対するより適切な対応に役立てていただければ幸いである.




参考文献

1)村上陽一郎:安全学,青土社,1998.
2)建設省:防災業務計画,平成10年3月.
3)廣井脩:災害情報論

TOP