21世紀における地盤環境工学
―新たなdisciplineの創造に向けて―


「社会環境工学研究連絡委員会地盤環境工学専門委員会報告」


平成12年4月24日

日本学術会議
社会環境工学研究連絡委員会
地盤環境工学専門委員会


 この報告は,第17期日本学術会議社会環境工学研究連絡委員会地盤環境工学専門委員会の審議結果を取りまとめ発表するものである。

[地盤環境工学専門委員会]
委員長 落合英俊(九州大学)

幹事 寺師昌明(鞄建設計)
宮崎祐助(広島工業大学/*椛蝸ム組)

委員足立 紀尚(京都大学)
石井武則(共立建設梶^*NTT都市開発梶j
國生剛治(中央大学)
龍岡文夫(東京大学)
中村浩之(東京農工大学)
三田地利之(北海道大学)
(*は,発令時の所属)


要旨画面へ

目 次

はじめに

第1章 地盤環境工学の体系化に向けて
1.1 地球環境と地盤環境
1.1.1 地球環境問題概観
1.1.2 環境と地盤の関わり
1.2 地盤環境工学の意義
1.2.1 地盤の機能と役割
1.2.2 地盤環境工学の必要性と学問体系
1.2.3 地盤環境工学の基礎学問と関連分野

第2章 地盤環境工学の役割
2.1 地盤環境の重要性の認知
2.2 研究・教育と人材の育成
2.2.1 研究の方向
2.2.2 教育と人材育成

第3章 地盤環境の評価と基準
3.1 評価・検証技術確立のための基本方針
3.2 環境基準の現状
3.2.1 地盤・地下水の汚染について
3.2.2 廃棄物について
3.2.3 地盤沈下について
3.3 評価(項目)と基準(値)
3.3.1 地盤・地下水の汚染について
3.3.2 地盤沈下について
3.3.3 自然の保護と再生について

第4章 提言の実施に向けて

むすび


はじめに

 環境,防災,廃棄物処理などの社会問題が顕在化する中で,環境の構成要素としての「地盤」の重要性が強く認識されるようになってきた。

 地盤は,本来,多面的な機能(荷重支持機能,保水機能,通気機能,浄化機能,養分の貯蔵機能,緩衝機能など)とそれに基づく様々な役割(生活・社会基盤施設を整備する場,多様な生物が生存する場,地下水を涵養する場,食料等を生産する場,廃棄物を受け入れる場など)を有しており,次世代に引き継がねばならない人類の貴重な財産である。

 しかし,近年の人間活動は,経済性と効率を至上とした開発の歴史の中で地盤が持つ多面的な機能と役割に十分な注意を払わずに,主に生活・社会・産業基盤施設を整備する場として利用してきたために,地盤環境の悪化が顕在化しつつある。

 次世代以降の持続的開発の可能性を損なわないようにするためには,環境と調和した地盤の利活用を図ることが不可欠である。
 そのためには,地盤に関わる環境の現状を正しく評価し,環境変化のメカニズムを理解し,将来の変化を予測して適切な対応を図る学術,技術が求められ,地盤を多様な視点から総合的に理解する学問の体系化が必要である。

 第16期に発足した「地盤環境工学研究連絡委員会」は,今期から社会環境工学研究連絡委員会の中の「地盤環境工学専門委員会」として活動を継続してきた。
 委員会においては,日本学術会議第17期活動の基本的方向,「多数の領域を要する学術全体を俯瞰的に見る視点の重視」の立場から,地盤に関わる総合的な工学領域としての新しい「地盤環境工学」の構築に向けて議論を進めてきた。
 本報告はその結果を取りまとめたものである。

第1章では,地盤環境工学の体系化に向けて,地球環境問題を概観し,地盤との関わりを考察するとともに,地盤環境工学の必要性と学問体系の枠組みについて述べている。

第2章では,地盤の機能と役割を再評価し,「国民や社会の地盤環境に対する意識の向上」に貢献する地盤環境工学の構築と,そのための研究の方向,教育と人材育成のあり方について述べている。

第3章では,地盤環境問題を現実の施策として取り組む際の大枠としてのアプローチを提示し,地盤に関わる代表的事項について,現行の環境基準と今後の方向を示唆している。

第4章では,本提言の実施に向けて,様々なセクターが地盤環境の視点から,国民の安全と安心のためにどのように貢献すべきかを述べている。

 本報告が関連機関,特に関連学協会で活用されることを期待している。

平成12年4月24日
地盤環境工学専門委員会
委員長 落合英俊

TOP


第1章 地盤環境工学の体系化に向けて

1.1 地球環境と地盤環境

1.1.1 地球環境問題概観

 1972年ストックホルムで開催された国連人間環境会議において,地球を宇宙船「地球号」と認識することの重要性が示された。
 すなわち,一人一人の生活や一国の生産活動はその国の環境ばかりではなく,地球環境へ多かれ少なかれ影響を及ぼすから,「地球号」の安全で持続的な(sustainable)飛行のためには,環境への影響に一層の思慮深い注意を払いながら行動することが大切であり,環境の擁護・向上が平和や経済社会の発展と相並び調和を保って追求されるべき目標である旨の「人間環境宣言」が採択された。

 地球環境問題を考える場合,「地球環境問題は自然科学と現代社会の中間に横たわる政治的性格をたっぷり含んだ巨大領域として扱うべきだ」とする光本の視点1)は重要である。
 さらに光本は,地球環境問題が「自然科学(地球物理,気象,生態,海洋など)と社会科学(経済,金融,法制度,行政,国際政治など)とを融合させる動機をもち,なんらかのかたちで政策立案(エネルギー政策,産業構造調整,国際交渉など)に結びつかざるを得ないため,研究の成果の立体的・効果的な動員と並立する諸価値を公平に評価しきる誠実さが求められる」と述べている。

 石2)は,地球環境悪化問題を,生態系崩壊(生物的環境)とエネルギー・物質系の攪乱(物理化学的環境)に大別した。
また,生態系を自然生態系と半自然生態系に区分し,これらに属す砂漠化,浸食,土砂崩れ,塩害,表土浸食,水汚染などの  環境破壊は再生(renewal)可能な資源であると位置づけている。

 一方,エネルギー・物質系の攪乱は,非再生資源と考え,エネルギー循環による地球の温暖化,海面上昇,異常気象や物質循環(環境汚染)による土壌汚染,地下水汚染,オゾン層破壊を挙げている。

 さらに,地球の抱える緊急環境問題は,森林,水産,水など1972年のローマクラブの報告書「成長の限界」では問題とされなかった「再生可能資源」の急激な悪化であって,賢明に利用しさえすれば枯渇させずに永久に利用できるが,過去30年間のあまりに性急な収奪の前にどれをとっても崩壊寸前にあるという事実である。

 しかし,森林破壊を例にとれば,現代の収奪の急激さは目にあまるものの決して新しい問題ではない。
 わが国の森林面積は国土の68%に達するが,中国のそれはわずかに5%である。
それは,文明発祥の地,エジプト,メソポタミア,インド,中国などでは数千年前から森林破壊が進められたことに加え,乾燥地帯に位置するとともに再生(renewal)の科学の発展がなく自然の姿が変わっていたに過ぎないという認識である。



地球環境問題と地盤との関係(地球環境悪化の構図,石 弘之より)




 光本は,地球環境問題を三つの問題群に分類している。

 第一は,森林破壊や砂漠化のように現地での対応策が明確な課題群であって,国境という観念には無関係に実施することが可能であるもの。

 第二は,酸性雨のように被害の事実と汚染源が明確であり技術的対策は可能であるが,国境・国益が壁となって効果的対応策の立案が困難な課題群である。

 第三は,地球温暖化やオゾン層の破壊のような問題で,発生源は明確であっても被害が地球全体に波及する課題群である。
この問題群からも理解できるように,地球環境問題は先進国間でも問題となると共に,重大な南北問題でもある。

 すなわち,先進国は高度な生活レベルを維持している一方で,種々の汚染物質を多量に排出する傍ら原材料の発展途上国依存による森林,自然環境の破壊を通して地球環境への圧力を加えている。
 また,発展途上国は貧困と爆発的人口増加に対応するため,食料,燃料確保のための農地の開墾,過放牧,伐採などにより森林を破壊し,土壌浸食,砂漠化を進め生活の場や水資源の喪失さらには地球規模の気象や水資源の分布の変化にも影響を与えるに至っている。
 したがって,先進国は地球環境への圧力を軽減する政策や技術開発をたゆまなく進めるのみならず,環境汚染とその克服の経験と技術の世界共有財産化を図り,発展途上国の「自立性」環境管理能力の育成を支援する義務を負っている。

 いずれにしても,問題の本質を究め,地に足を着けた堅実で着実な研究とその成果の実際問題への適用が重要である。
まさに,アメリカの環境団体のキャッチ・フレーズである「Think Globally,Act Locally」が,その解決にあたっての基本姿勢といえよう。

1.1.2 環境と地盤の関わり
 地球環境問題を概観したが,それは地盤(地圏)とも密接な関係をもっている。
わが国における環境問題の戦後史は,1955年(昭和30年)以降の飛躍的経済発展と裏腹に生じた負の遺産としての,7公害(大気汚染,水質汚濁,土壌汚染,振動,騒音,悪臭,地盤沈下)の社会問題化から始まったといってよい。
 ここで注目すべきは,当時問題となった7公害の内の3つ(土壌汚染,振動,地盤沈下)までが,その現象の正しい理解に地盤の知識を必要不可欠としていることである。 
 これら公害に対して,1967年(昭和42年)には「公害対策基本法」を制定すると共に官民一体となる取り組みによって,公害の解消に努め,相当の成果を挙げたことは紛れもない事実である。

 しかしながら,先に述べたように環境問題は単に一国の公害問題ではなく,地球規模での問題として捉えられ,冷戦に代わる国際問題へと拡大したのである。
 この間,「成長か環境か」または「開発か環境か」といった二者択一的な不毛な論争にも明け暮れていたが,人類の生存を前提とすれば,開発と環境は二者択一的なものではなく,二者をいかに調和させるべきかの観点に立脚すべきである。
これに対する一視点として,1987年(昭和62年)に開かれた「環境と開発に関する世界委員会」の報告書「 Our Common Future 」において「持続可能な開発(Sustainable Development)」が提唱された。
 すなわち,現代のわれわれが行う開発は,次世代以降の持続的開発の可能性を損なうことのないように,環境資源を残すことのできる開発に限定すべきであ
ることを示したものである。

 工学,特に土木工学(Civil Engineering)は,人類の福祉,幸福および利便を増進し,健康で文化的な生活を確保するために,われわれ人間の生活共同体の存続と発展に関わる防災施設を含むあらゆる基盤施設(Infrastructure)の創生(生む,create,creation),保生(生かし続ける,sustain,sustaining),再生(蘇らせる,renew,renewal)に関する学問と意味づけられるから,その理念と環境とは相反するものでは決してない。

 一方で,社会基盤の整備(建設)という行為が直接に地球の表面を改変することで,環境に大きな負のインパクトを与える可能性が高いことも事実である。

 土木学会は1994年に「土木学会地球環境行動計画 ―アジェンダ21/土木学会―」を策定・発表している。
 また,社会基盤整備の相当部分を担務する建設省は,1993年に公布施行された「環境基本法」の理念を踏まえて1994年に建設行政における「環境政策大綱」をとりまとめ,事業における“環境の内部目的化”を打ち出している。

 前項に紹介した石の分類を振り返ってみよう。
 生物的循環,エネルギーと物質循環のいずれをとっても,地盤(地圏)がその循環の一翼を担っていることは当然である。
 しかし,その中でも特に,現象の理解と対策の選定に地盤の知識が必要不可欠となる課題は,砂漠化,浸食,土砂崩れ,塩害,地盤沈下,表土浸食,農薬(による地盤や地下水の)汚染,廃棄物(の建設資材としてのリサイクルや地盤中への処分),土壌汚染,地下水汚染と,広範多岐にわたっていることが指摘できる。
 また,この分類に明示的には示されていないが,地震等の自然災害による地盤の変状が及ぼす環境への影響の問題は,時として人命に直接の影響を及ぼす。
 また,人類の生活・生産・そして放射性物質の隔離などを目的とした新たなフロンティアとして地下空間の開発が進められようとしているが,これに伴う地盤環境の問題(掘削に伴う周辺地盤の変形や地盤沈下に繋がる地下水位低下の問題に留まらず,掘削に伴う嫌気性微生物等地下の生態系への影響,地下の地層の空気暴露による酸素の大量消費や有害ガスの発生の可能性,等)も地盤に関わる科学技術で予見し対応を考えるべき重要な課題と言えよう。

 地盤工学は,地盤という視点に立ち,土木工学,建築学,農業工学,地質学等の既存の工学と密接に連携しつつ発展したものであって,われわれに有用な生活・社会基盤と環境を創生し,保生し,再生する学問分野である。
しかし,その中から環境の視点や配慮が欠如すると環境問題を惹起することになる。

 従来にもまして人類の生活環境,さらには地球環境をも念頭に置き健康で文化的な生活の場を確保するために,工学技術等の自然科学的手法をその根幹とする,種々の地盤(地圏)に関連する環境問題,都市問題,防災問題の解決を図る学問分野として,既存の地盤工学と環境に関わる様々な学術体系を融合した地盤環境工学の体系化が望まれる。

 すなわち,環境の創生,保生,再生の視点を常に強調し,地盤の有する機能特性(植物生産機能,浄化・遮蔽機能,建設資材機能,窯業原料機能,埋蔵文化財保存機能,自然教育・教材機能,アメニティ機能)を駆使することによって,生活・社会・環境基盤のさらなる整備を果たすと共に地盤に関連する環境問題の解決に貢献することが期待される。


参考文献
1)光本昌平:地球環境問題とは何か,岩波新書331,1994.4
2)石 弘之:地球環境報告,岩波新書 592,1998.12
3)安田善憲:環境考古学事始―日本列島2万年,NHKブックス365,1980.4
4)津野 洋,西田 薫:環境衛生工学,共立出版株式会社,1995.6
5)松井 健,岡崎正規:環境土壌学―人間の環境としての土壌学,朝倉書店,1993.2


1.2 地盤環境工学の意義

1.2.1 地盤の機能と役割
 環境基本法に基づき1994年に閣議決定された「環境基本計画」には,「人類存続の基盤である有限な環境を,健全で恵み豊かなものとして維持していくには,大気,水,土壌及び生物等の環境構成要素が良好な状態に保持され,その全体が自然の系として健全に維持されることが必要である。」と記されている。

 人間の活動空間は,地球の大きさからみればごく薄い表面部分にあるが,その活動を支える地盤の表層部に存在する土は,様々な大きさの土粒子とその間隙から成り立つ多孔質の材料であり,間隙には水と空気が存在している。
 土は大気・水・多様な生物と連携し,きわめて多面的な機能をもって自然環境そして生活環境に重要な役割を果たしている。

 すなわち,土は保水機能・通気機能・浄化機能・養分の貯蔵調節機能などの多様な機能を持ち,またそれらを総合化したものとして優れた緩衝能力を有しており,本来,環境の変化によく順応していく力を備えている。
 このため,土は植物の生育環境を与え,植物と土との共生関係が地上のすべての生物生存の基盤をなすとともに生物循環の場を提供し,かつそれが食糧生産の場としての安定に寄与している。
生態系から与えられるこれらの恵みは,多数の生物が介在した水や栄養分の循環,分解,およびその分解物を貯留あるいは再循環する能力によっている。
 地球規模の生物循環,物質循環を考えるとき,地盤はその重要な環境要素であり,物質循環のかなめとも言える大きな役割を果たしている。

 土の演ずる役割は,地球的規模の循環機能にとどまらない。
 土の持つ浄化機能と貯蔵機能に期待して,人間の生活,生産活動の結果生じる廃棄物を受け入れる場として利用され,局所的な環境汚染に対しても大きな関わりを持っている。
 土中に投棄された産業・生活廃棄物は,微生物による分解,複雑な酸化・還元反応などいわば生化学的処理を経たのち,土中水の移動などを通じて土中に拡散し,地下水を含めた周囲の環境に影響を及ぼしている。
 工場跡地や廃棄物埋立て地周辺の地盤および地下水の汚染によって,人体に深刻な影響を及ぼしかねない事例が増大しつつあるのは周知の通りであるが,日常的に発生する大量の生活廃棄物の処理方法として埋立て処分に大きく依存しているのも事実である。

 一方,地盤は本質的に建造物等の荷重を支える能力を有しており,建設資材としての機能と相まって人類の発展に不可欠な生活基盤,生産基盤となる諸施設を整備する場として利用されてきた。
特にこの半世紀ほどの間の社会基盤施設の整備は圧倒的なスピ−ドをもってなされ,人類は生活レベルの向上とともに極めて 多くの利便を手に入れることができた。
 また,一定の「安全性」を確保した上で「より速く」「より経済的に」という要望は,技術の面での多大な進歩をもたらし,その基礎をなす学術の面においても大きな発展をみた。
 しかし,その一方で,経済性と効率を至上とする開発の歴史の中では,地盤の持つ多面的な環境要素としての側面に十分な注意が払われず,環境を損なう開発が繰り返されてきたことも事実である。
様々な社会基盤施設の整備において,力学をベ−スとした経済性と安全性が重視され,しかも,その時々に着目してきた対象領域の広がりはプロジェクト規模にとどまり,地域のレベル,ましてやグロ−バルな視点で開発と環境を共生させる視点には欠落があったと言わざるを得ない。

 人間活動の結果として,すでに顕在化している,あるいは,将来生じるであろうと予想される,地盤環境の悪化を抑制するためには,地盤の物理的・化学的・生物的性質を統一的に把握することが不可欠である。これらの諸性質が,対象とする物質の循環に個別に係わっているのではなく,互いに,強い相互作用を及ぼしながら,その循環に関与しているからである。

 以上の観点から,これまで地盤工学分野で蓄積されて来た地盤内の流体・熱移動や地盤の安定性に関する調査・解析技術に加えて,多種多様な汚染物質の地盤中での挙動や生物・化学的変化等に対応し,地盤環境の保全という消極的効果に止まらず,地盤環境を改善し,新たな地盤環境の創造につなげるために,従来の地盤工学の枠組みを越えた新しい技術が要求される。


1.2.2 地盤環境工学の必要性と学問体系
 以上のような背景から,多面的な機能と役割を持つ地盤と人間との間に位置し,その融和を図りながら「持続可能な開発」の実現に貢献するための学術・技術として,地盤環境工学という新しい分野の重要性が1980年代から認識されるようになり,日本学術会議の中に地盤環境工学専門委員会が設置されたのも,この新しい工学領域の発展をはかり,もって社会に貢献しようという意識の現れである。

 生物の生存場としての地圏・水圏・気圏と生物は,土をかなめとした物質循環によって互いに強く結びついている。
したがって,環境問題を考える時に「地盤に関わる問題」という形で切り離して考えることは本来不可能で,前述のような地盤の役割を考えるとき,地盤環境工学はきわめて広範でかつ多様な問題を対象とすることになる。

 従来,ともすれば「プロジェクトのため」であった地盤工学技術を「快適な環境の創生と保生・再生のための学術・技術」と位置づけ,従来の力学中心から化学,生物学,環境工学,農学との融合をはかりつつ,地盤環境の保全,再生,創造のための学問体系を構築し,これを教育カリキュラムにも反映させる必要がある。

 そもそも地盤工学(=Geotechnical Engineering)は土の力学と岩の力学を中核として地震工学や地質学等様々な周辺の学問や技術を総合することで,伝統的な地盤に関わる問題を予測し,解決する工学であり,当初は安全で経済的な国土整備のために,ついで防災・減災のために,そして近年では,環境の保全・修復・改善のためにと対象領域を拡大しつつ,社会ならびに社会環境の発展に寄与してきた。

 地盤環境工学(=Geotechnical and Geoenvironmental Engineering)は,上記のように本来広範かつ学際的である地盤工学を,特に環境との接点で注目した場合の切り口である。

 地盤に関わる技術者が単に生活・社会基盤の整備のためのプロジェクトの達成に役立つ工学に基礎をおいて活動するだけでなく,人類の生活環境および地球環境を念頭に,常に環境の創生・保生・再生の観点を重視しつつ,多様な環境に関わる学問(土壌科学,微生物学,化学,化学工学,生態環境工学,毒物学等)を援用・統合して,地盤の有する特性を駆使しながら環境への様々なインパクトを最小限にするための予測並びに問題を解決し,新たな環境を創造するための工学と位置づけられる。

 すなわち,地盤環境工学が検討の対象とする領域は,従来の土質・基礎工学を内包し,これに関連する環境科学,防災科学などとの学際的な広範な領域を対象とするものであり,環境(工学)と地盤(工学)を結ぶ学問領域である。


1.2.3 地盤環境工学の基礎学問と関連分野
 地盤環境工学は,旧来の力学に重点の置かれた分野に加えて,総合技術としての環境工学の要素から成り立つと考えられる。したがって,地盤工学としての基礎学問に加えて,環境工学の基礎となる幅広い学問分野が地盤環境工学を支え,これに新しい関連分野が加わる。

1)地盤環境工学の基礎学問
 地盤環境工学技術者に必要な基礎学問として,たとえばFang(1997)は,土質力学,基礎工学に加えて微生物学,生物学,化学工学,風土学,土壌水理学,土壌物理学,土壌化学,物理化学,毒物学,統計学,法令等を挙げている。
これに加えて,地球科学や応用地質学を挙げるべきと考えられる。
 なぜなら,地球そのものの存在が,地圏・水圏・気圏・生物圏の微妙なバランスの上に成り立っていること,したがって人類が生存を続けるには,地球そのものの理解が重要であることを認識する事からスタ−トすべきであり,地盤の成り立ちなどに関する知識の重要性を再認識する必要があると考えられるからである。

2)伝統的土質力学と基礎工学
 上記の基礎学問の上に立って,地盤環境の創生,保生,再生に関わる実際の工学上の問題解決のために依然として重要な位置を占める。
 実際の挙動を正確に予測するためのよりどころとして,古典的土質力学の正確な継承と再評価が必要である。

3)新しい分野とその関連分野
 新しい分野として,当然ながら環境工学が最も重要であるが,環境工学は応用的色彩が強いので,その基礎をなす前掲の諸学問分野との連携に重点が置かれるべきで,これによって新しい関連分野への発展へとつながる。

4)社会科学,人文科学との連携の必要性
 地盤環境工学は,将来の世代が豊かな環境を享受する権利を支える学問体系の一つと位置づけることができ,基本的には自然科学の立場から地盤に関わる環境問題に理論的・技術的背景を提供して貢献しようとするものである。
 しかし,冒頭で述べたように,地球環境問題は政治的なあるいは社会科学的な色彩も強く,問題への対応は様々な価値観に対する公平な判断をベースとして組み立てられる必要がある。
 また,次の世代に守り伝えるべき良好な自然環境の中には,“里山”に象徴される地域の伝統的な文化と不可分の半ば人工の自然環境も少なくない。 
 地盤環境工学の確立に携わる科学者,技術者,研究者が,その目標設定までを,自然科学の世界で完結して求めることは不可能である。 
 社会科学,人文科学との適切な連携が,研究,教育,実践の様々な局面で重要となろう。

 地盤環境に直接携わるか否かを問わず,宇宙船「地球号」の舵取りをする科学技術に関わる研究者・技術者が共有すべき倫理観や,行動規範を社会科学や人文科学との連携で醸成していく努力が必要である。


参考文献

1)Fang.,H.Y. (1997)Introduction to Environmental Geotechnology, CRC Press

TOP


第2章 地盤環境工学の役割

 20世紀に飛躍的に進展した技術に支えられて経済活動は急激に拡大し,人々の生活の利便性は多いに向上し,生活はたいへん豊かになった。
 しかし,個人の物質的な豊かさが満たされた一方で,社会生活においては地球環境問題,都市問題に代表される様々な厳しい問題が生じてきた。
 それらはいずれも自然(生物を含む),人間,社会に深くかかわる問題であり,個々の要素がお互いに作用を及ぼし合う複雑な問題である。
 21世紀においてその解決のための技術進展が強く期待される分野であるが,人工物と異なり,自然,人間,社会はそれ自身が不確定な要素を多く含んでおり,未知な部分が多い。
 したがって,まず,その特性をよく理解することが必須であり,そのための基礎研究と人材の養成が重要である。
また,それらの問題は個人を含む社会生活に対するものであるために,解決に対する社会全体の強い意思と支援が必要である。
 そのためには自然や人間に対する社会の関心を高めることが不可欠であり,産官学の有機的な連携が大切である。

 地盤環境工学は,地球の基本要素として多面的な機能と役割を持つ地盤と人間との間に位置する学術,技術であり,社会的側面が強い学問である。
 その特徴を活かして,環境,防災,廃棄物処理など社会に対する問題の解決に貢献することが求められる。


2.1 地盤環境の重要性の認知

 現代社会が抱える環境,防災,廃棄物処理などの社会問題において,地盤環境はその根源で深く関わっており,その解決のためには,まず,地盤環境の重要性を正しく知ることが不可欠である。
 ここで,地盤環境とは地盤が本来持っている多面的な機能と役割を指し,地盤環境工学はその機能と役割のための学術,技術である。

 地盤は地球上で人間が生活をしていくために欠かせない基本的要素である。地盤は地球を構成している地殻のうち,人間が利用しているごく表層の部分であり,大気,水とともに地球上で生物が生存していくために必要不可欠である。
 地盤の表面近くに在る土は固相,液相,気相から成る多孔質の材料であり,その間隙に存在する液相,気相に依存して,多種多様な生物が土の中に生きている。

 これらの生物は,有機物や無機物として土中に蓄えられたエネルギーを消費,利用する過程で物質を分解することによって,地球上の物質とエネルギーの循環に大きく寄与している。また,水は生物生存の基本物質であるが,南極,北極等の氷を除いて,地球上の淡水の大部分は地下水,宙水として地盤内に蓄えられている。
 地盤は多孔質の土から構成されることによって地球の水瓶としての重要な機能を有しており,生物の生存を根源で支えるかけがえのない貴重な存在である。

 地盤はまた,人間が地球上で生活をしていくに必要な種々の生活,産業,社会基盤施設を整備する場として利用されてきた。
 これは,地盤の構成材料である土がせん断力に抵抗する能力を本質的に有しており,このせん断抵抗力によって地盤は地表に加わる荷重を安全に支えることができるためである。
 しかし,この荷重支持能力は地盤固有の値でなく,種々の条件によって変化する。
 地盤は生物生存の基本要素であるが,不動,不変なものではなく,動くもの,変わるものである。
 このことを正しく理解することが,環境,防災等の問題解決にとって重要であるが,専門外の人には必ずしも十分に理解されていない。
 地盤の機能と役割を明確にした学問体系としての地盤環境工学を構築し,地盤の特性を社会に対して積極的に説明していくことが望まれる。

 環境の構成要素としての地盤の特性を理解することも大切である。地盤は人間が地球上で生活をしていく場であり,社会活動そのものに大きくかかわっている。
 様々な施設や構造物を支える場,作物生産を行う場,地下水を蓄える場,廃棄物を受け入れる場であり,また,多様な動植物が棲息する場でもある。
さらには,われわれの生活を脅かす自然災害も,その多くが地震,液状化,地すべり,斜面崩壊,地盤沈下などのように地盤そのものの災害である。

 地球表面を覆っていた岩石は長い年月をかけた風化作用によって土へと変化し,土ができたことによって,初めて多様な動植物の棲息する場が確保され,人間生活に欠かせない豊かな自然をつくり出している。
 土の構造は多孔質で,複雑,不均質であるが,そのことに基因して,土は保水機能,通気機能,浄化機能,養分の貯蔵調節機能などの多面的な機能を持ち,また,それらを総合化したものとして優れた緩衝能力を有しており,本来,環境に良く順応してゆく力を有している。
 そのことによって,地盤は生物循環と植物成育機能を持ち,豊かな自然環境を根源で支えている。
 このような地盤が本来持っている多面的な機能が失われたり,損なわれたりして,役割を果たすことができなくなると,それは直ちに人間生活,社会生活,自然環境に悪影響を及ぼすことになり,地球環境の悪化へと連動していくことになる。
 すなわち,地盤は地球環境問題の素因であると同時に誘因でもある。
 そこに地盤環境の特徴があり,解決の難しさがある。

 環境要素としての地盤に関係した重要な特性として,地盤およびその構成材料である土は外部の環境の変化に対してゆっくりと反応し,また,場合によってはその反応を打ち消して元の状態に戻ろうとする性質がある。
 この遅い反応,元の状態を維持しようとする力は前に述べた土の緩衝能力に基因するものであり,地球環境の急激な変化を制御する役割を果たしている。
 われわれが地盤を生活の場とするとき,この緩衝能力の範囲内において地盤を上手に利活用する技術を持つことができれば,「開発か保全か」という二者択一ではなく,「持続可能な開発」の実現を可能とすることができるであろう。

 その一方で,地盤の緩慢な反応・復元特性のマイナス面も忘れてはならない。
 例えば,地盤の緩慢な反応は,地盤が汚染されるとその修復には長い時間を必要とすることを示唆しており,また,地盤が力学的に安定するか,あるいは安定させるためには,長い年月と多大な労力を要することを示している。
 それだけに,地盤の機能と役割に対する正しい理解が重要となり,「地盤環境に対する意識向上」への地盤環境工学の貢献が期待される。

 地盤は自然の生成物であり(埋立などの人工地盤であっても自然の生成物である土や岩を用いている),身近すぎる存在であるために,地盤が持っている様々な機能と役割に対する認識はきわめて薄く,地盤は単に「土地」という資産でのみ,その価値が評価される風潮がある。
 都市で生活する人にとっては,土に触れること自体が少なくなり,地盤とそれを構成する土の存在感は非常に低い。
地盤と土に関する正しい知識が現代社会が抱える環境問題,防災問題,都市問題などの解決に必要不可欠であることはすでに繰り返し述べたとおりである。
 まず,国民と社会が,地盤の存在とその重要性について強い関心を持つことが必要であり,そのための方策として,「土地」という資産価値の評価法を見直すことも検討すべきであろう。
 評価項目として地盤環境の要素,例えば力学的安定度,汚染度,修復度などを採り入れることが考えられる。
 そこでは,評価項目に対する学術,技術的な根拠を社会に説明する責任が伴うべきであり,地盤環境工学がその役割を担うべきであろう。

 土地は地表の境界線を基にして評価されるが,地盤は連続しており地盤環境の問題に地表の境界線は関係ない。
地盤環境の攪乱は個人の土地の範囲に止まることはなく,必ず周囲に影響を及ぼすことになる。
 地盤環境の重要性認知とともに,地盤は,われわれ人類がもっている数少ない資源の一つであり,社会の貴重な共有財産であるという認識を広く国民,社会に定着させることもきわめて大切である。


2.2 研究・教育と人材の育成

 地盤環境工学が環境,防災,廃棄物処理など社会に対する問題の解決に貢献するうえでもう一つの重要な要因は,研究・教育と人材の育成がある。

2.2.1 研究の方向
 地盤環境工学は,地盤環境の創生,保生,再生のための学問分野であり,地盤に関わるきわめて広範でかつ多様な問題を対象としている。
 実際問題の解決のためには,力学を主体とした従来の地盤工学と化学,生物学,環境工学,農学との融合や社会科学,人文科学との連携が求められ,多くの専門領域を統合した学際的な技術が必要である。

 技術は「持続可能な開発」を可能とするための有力な道具である。
持続可能な開発の基本構図は,基盤として生存があり,次に安全に対する要求,その上に利便性があり,頂点に快適性がある三角形である。
 利便性や快適性のみが追及,拡大されると,その部分が肥大化して不安定な状況になり,よって立つ生存や安全基盤までが脅かされることになる。
 技術が安定した三角形構図を維持していくためには,全ての技術に環境の要素を採り入れ,環境を軸にした技術を再構築することが必要である。
 地盤環境の分野では,地盤を多様な生物,中でも現在と未来の人間が生活する場として捉え,地盤が本来持っている多面的な機能と役割を明確にして,目指すべき地盤環境技術の方向性を整理し,具体的な研究開発を行わねばならない。

 地盤環境技術の対象分野は次のように区分されている。
@積極的により良い地盤環境を創造するための技術
A人間活動が地盤環境に悪影響を及ぼさず,さらに修復・浄化するための技術
B自然災害による人間生活の危険の防止・軽減のための技術

都市問題を例にして考えてみる。
 現代の都市は廃棄物処理,大気汚染,交通渋滞,景観,地震に対する脆弱さなど様々な社会問題を抱えている。
地下空間の開発,利用はこれらの都市問題を解決し,より豊かな社会生活を送るための場として都市を再生する有効な方法である。
 地下空間の安全と環境対策が最大の課題となるが,既存技術の応用だけでは解決できず,新たな研究開発が必要される課題が多くある。
 地下は地上と異なり,閉じた空間であるために,総合的な視点から問題に対処することがとりわけ重要となる。
 まず,上の区分にしたがって総合的な視点から研究開発すべき課題を整理することからはじめ,それに基づいて学術的な理論構成の提示と技術の開発が行われるべきであろう。

環境施策のための技術開発研究も必要である。
 開発と環境の調和を図る施策としてミチゲ−ション制度が国際的に普及しようとしている。
 ミチゲ−ションにおける対策と手順は,開発計画によって環境への影響が認められると,まずその影響を回避すること,次に影響を最小化することを検討し,それでも影響が避けられない場合に最後の手段として代償を考えることになる。
 いずれの対策においてもそれが行われる場所の特性が重要になり,その場所の地盤環境が深いかかわりをもってくる。
 環境を改善,創造するためのハード技術だけでなく,環境の影響度合いを調査,予測し,対策効果を評価するためのソフト技術においても地盤環境は基本的な影響因子となっている。
 今までよりもさらに環境を重視した政策が進められていくなかで,ミチゲ−ション,あるいはそれに習った考え方の適用が増えていくことが予想され,ミチゲ−ション技術のための地盤環境にかかわる基礎研究,応用研究,技術開発研究の進展が望まれる。

廃棄物の再資源化に貢献する技術開発研究も急がれる。
 人間生活,社会生活の結果として排出される廃棄物の量は年々増加しており,それらをいかに資源として再利用するかは廃棄物問題の対応策として大きな課題である。
 地盤は廃棄物を受け入れる場として重要な役割を果たし,埋立処分場の建設や跡地の有効利用に地盤工学技術が大いに活用されているが,限りある国土の中で埋立処分場の建設には限度があるので,処分場に搬入される廃棄物の量を削減することが必要である。
 そのための方策の重要な柱の一つとして,廃棄物を地盤材料として再資源化する技術の進展が望まれる。
廃棄物の多くは有形物であり,破砕や裁断,あるいは焼却をしても,地盤工学的には粗粒材とみなすことができ,他の地盤材料に比べても遜色のない力学的特性を有している。無害化処理が基本であるが,地盤材料の力学的欠点を補うための補強材料や軽量化材料,あるいは透水性の改善材料などとして活用できる可能性は大きい。建設廃材,鋼さい,廃プラスチック,廃タイヤ,石炭灰,ごみ焼却灰などが該当しよう。
 また,貴重な自然材料である砂が地盤改良材料として使用されているが,今のまま使用していくといずれ枯渇することになるので,その代替材料として,廃棄物を利用することも検討すべきであろう。
 無害化処理においても,完全な無害化は達成できないとしても,地盤の緩衝能力や緩慢な反応特性を活用すれば,新たな処理技術の展開が期待される。

 地盤は,地球の基本要素として,また重要な環境要素として,環境,防災,廃棄物処理など社会に対する問題の根源で深いかかわりをもっており,問題の解決には社会全体の強い意思と支援を必要としている。
 また,不確定な要素を多く含み,未知な部分が多い自然(生物を含む)に関わる問題であるために,基礎的研究が不可欠である。
 このため,地盤環境に関する研究は実用的であり,かつ基礎的なものとなる。
 大学,国の研究機関,民間等が有機的に連携し,基礎と応用を調和させた研究体制の構築が望まれる。
 産官学の専門家から構成される学会はそのイニシアチブをとるべきであろう。


2.2.2 教育と人材育成
 新しい世紀に向けて,「産業技術を伸ばすための人材育成教育の変革」が産業界から強く求められている(日本学術会議第5部対外報告,平成7年12月)。
 その理由として,独創的な産業技術を創出するような指導がない,産業技術に興味を持つように指導されていない,グロ−バルな視点からの見方ができない,先端的な基礎技術が教えられていない,ことなどが挙げられている。

 わが国の工学系大学の卒業生は専門技術者としての素養が身についていないだけでなく,能力も磨かれていないという認識である。

 そして,産業技術の教育に関する大学への要望として,考えて新知識を生み出すことへの教育,技術の価値を高く認めさせるような教育,インターンシップなど産学の連携教育の強化,システムを統合化できる人材の育成などを強く要望している。それを受けて同報告は,「教えるよりは育てる」ことの重視を提言している。

 この提言は,従来の工学教育においては,既存の学問体系にしたがって教えることに重点を置いてきたので,考えることをしない人間が出来上がってきたという反省に立っている。
技術の芽となる新しいイノベ−ションを創出するためには,独創性,創造性の豊かな人材の育成が大切であり,学問重視の教育から,人の教育も同じように重要した教育への転換を強く求めている。

 現在,精力的に導入準備が進められている日本技術者教育認定機構(JABEE )による「技術者教育プログラムの認定制度」は,この提言の趣旨に沿ったものであり,早くわが国に定着することが望まれる。

 自然や社会に関わる他の問題と同様に,地盤環境の問題も不確定な要因を多く含んでおり,既存の一つ一つの専門領域だけでは解決が難しい。
 いくつかの専門領域を統合した新しい技術の創出が必要であり,大学においてそのための教育が行われることが望まれる。
地盤環境工学の教育は,ヨーロッパやアメリカではすでにカリキュラムの中にしっかりと組み込まれている。

 第3回環境地盤工学国際会議(1998年)では,地盤環境工学の教育をテーマとしたワークショップが開催され,ヨーロッパとアメリカの教育の実状が討議されている。
 アメリカでは調査の時点(1998年)で,地盤環境工学が正規の科目として少なくとも21の教育プログラムに組み込まれており,また,関連科目(環境化学工学,水文学,地質学など)のなかにも数多く採り入れられている。

 わが国では,カリキュラムに地盤環境工学を持っている大学は極めて限られており,欧米の先進国に大きく立ち遅れている。
地盤の機能と役割を明確にし,地盤環境の創生,保生,再生のための学問体系の構築が急がれる理由である。

 大学などの高等教育機関における教育の実施にあたっては,自然や社会と深いかかわりをもつ地盤を対象としていることから,実際の地盤や地盤材料の特性を現地調査,実験などを通して自ら修得し,結果の意義を考察できる素養を身につける教育を基本にしたものにすべきであろう。
 そのためには,インターンシップのような産学の連携教育を採り入れた教育が有効である。
 それとともに,産官学の共同研究や,教育,研究を担当する教官の流動性もきわめて大切である。
 産官学の技術者,研究者の自由な転出が,社会的に不利になるのではなく,むしろ有利になるシステムができれば,教官の流動性にとって効果的である。

 ここでも産官学の研究者,技術者から構成される学会の貢献が望まれる。
 専門家集団としての特徴を活かしてモデルカリキュラムや教育評価法の提示,さらには技術者,研究者の継続教育の実施等を通して,地盤環境工学の教育の普及や人材育成に寄与すべきであろう。
 また,前述の技術者教育プログラムの認定制度において,既存の領域分野に加えて学際的,総合的分野も評価対象とすれば,地盤環境工学のような新たな分野の進展や人材育成にとって大いに効果的である。

 国際的な技術者資格として創設準備が進められているAPEC エンジニアの登録分野に見られるように,Geotechnical Engineering(地盤工学)は,外国では,Civil Engineering(土木工学)とは独立した技術分野として確立されている。これは対象とする地盤が工学,理学,農学の広範な分野に及び,学際的であるためと考えられる。
 地盤環境工学は,力学を主体とした地盤工学と環境科学,防災科学などを結ぶ広い領域を対象としており,社会的側面がさらに強い分野である。
 総合工学としての学問分野,技術分野を構築するとともに,地盤環境工学を専門とする研究者,技術者を育成することが必要である。
 そこでは,地球の基本要素,環境要素としての地盤の重要性を強く認識させる教育,倫理観を養う教育が特に重視されるべきである。

 地盤環境工学を専門とする技術者には,地盤は人類がもっている数少ない資源の一つであり,社会の貴重な共有財産であるという認識を強く持つことが求められる。
 このような責任ある技術者を育成するためには,公的な技術者資格,すなわち,技術者が高度の専門的知識や技能を必要とする職業に就く能力を有することを公的機関が認定する資格を,高等工学教育と連動させることが大切である。
 技術者としての基本的素養は,技術者を目指して大学等に入学したときから,そのための教育を受けることによって,真に身についたものになるからであり,また,技術者としての能力の基礎も,大学等での教育によって培われるからである。
 さらに,技術者が継続的に素質を向上させる教育も必要不可欠である。
 欧米の技術先進国の技術者資格要件には,一定の質の技術者教育と継続的な専門教育が組み込まれており,国際化が急速に進展する中で,国際競争力の強化を基本に置き,技術者資格の国際的な整合性を図ることが急がれる。

TOP


第3章 地盤環境の評価と基準

 本章では,地球環境を保全・再生する上で地盤環境工学の分野がなすべき当面の課題である地盤環境の評価と検証技術の整備および環境基準の設定などについて述べる。

3.1 評価・検証技術確立のための基本方針

 21世紀における建設産業は,地球環境を考慮した計画,すなわち,環境調和型に立脚したものとなろう。
 地盤環境工学の分野においても,環境調和型に対応できる技術の整備と開発が要求されることになる。
 具体的には,環境変化の将来予測技術であり設計評価技術,およびこれらの精度・性能の検証技術などである。

 また,環境に調和していくための規制も当然設けられることになる。
 しかし,未成熟な技術に基づいて設定された法規制は,技術の進歩を大きく阻害する恐れを包含している。
 適切かつ有効な法規制を設定するためにも完成度の高い評価・検証技術が必要となる。

 そして,21世紀において地盤環境工学に要求されることは,国民の信頼が得られる精度と性能を有する設計・評価技術,およびこれを検証する技術の整備と開発である。
 評価・検証技術の確立は,国民の安全と安心を護るためにも不可欠なものであり,国は,そのための施策の策定および実施に係わる指針を早期に明示する必要がある。

 以下に,評価・検証技術確立に向けての二,三の提言を述べる。

 まず,評価・検証技術確立に向けてのスタートは,事象の現況を把握するための調査から始めるべきである。
 地盤環境の状況,土砂災害の経歴を持つ環境等の状況を正確に把握するための観測と監視を継続して行う体制を構築し,環境の悪化・汚染などそれぞれの状況変化の原因と,それに至るメカニズムを解明するデータを得る必要がある。
この調査は,調査法の研究から始めることになり,調査そのものも息の長い長期的な視点をもって取組むことになるので,国は強力な主導力をもって推進させるべきである。

 地方自治体は,環境や自然災害問題には直接的に関与しており関心も高く,豊富な経験と人材を有していることから,この環境調査の中心的な役割を担う存在である。
 また,民間企業や学会等の諸団体も独自の技術と活動形態を有しており,環境調査を推進する上で不可欠な存在となる。
また,環境変化のメカニズムを解明するデータは,我が国のみならず世界的に不足しており,そのデータ収集は世界共通のテーマでもある。
 したがって,世界は協力して必要なデータの収集に努めていくことが必要であり,その実施のための国内基盤の整備が重要となる。
 我が国は,極東に位置する先進国として,東アジア地域を始め,西太平洋地域などでのモニタリングを率先して行っていくべきであろう。

 地盤環境の汚染や土砂災害の発生のメカニズムと原因の追求が,未来予測や災害の未然防止に関する評価技術に不可欠なものであることは言うまでもなく,前述したデータの活用が評価技術の成熟度を高めていくことになる。
環境変化の原因とメカニズムの解明,および評価技術の開発は,国および民間の研究機関が一貫した姿勢の下に継続的に担当していくことが必要である。

 評価技術の開発には,日本の風土・風習に対する考慮も重要となり,極東に位置する日本固有の特性を世界に主張し,技術的優位に基づく国際競争力強化へと結びつけていくことも視野におくべきである。
勿論,必要に応じての国際協力に基づく技術開発および研究レベルの相互向上を図るための人材交流・情報交換などが円滑に行えるような体制作りも重要な措置である。

 評価技術の開発に当っては,開発したそれぞれの設計・評価法に精度・性能の目標値を明示し,モニタリングによる追跡調査を義務付けることを提言する。
 モニタリングの担当は,技術の開発機関が主導し地方自治体や民間団体がこれを補佐する形態が望ましい。
 モニタリングは,内容によっては50年,100年といった長期間におよぶモニタリングから,国際間におよぶものもあり,文字通り国家的事業として基盤整備しておくことが必要である。
 モニタリングによって検証された評価技術は,補正修正の作業を加えて,その精度・性能を高めていくことになる。
 このようにして検証,整備された評価技術は,その精度・性能を含めて広く国民に情報を開示し,国民の安全と安心を与えることへとつなげていくことも重要なことである。

 地盤環境工学の発展は,環境の保全と再生,あるいは,土砂災害などの未然防止と分かちがたく結びついている。
 国民の要求するこれらの事象について,その現状を調査把握することによって原因とメカニズムを解明し,その影響評価,将来予測および対策などの一連の作業を国民の信頼を得られるような精度と性能においてなされなければならない。
 地盤環境工学における評価技術およびこれを検証する技術の発展は,国民の安全と安心を護る上で大きなウエイトを持つものといえ,国および関連学協会は,この技術確立のための基本方針を速やかに策定し実施すべきであると考える。

 以上の提言をまとめると次のようなフロー図となろう。


評価・検証技術確立のための提言






3.2 環境基準の現状

 前項では,地球環境を保全・再生する上で必要となる評価・検証技術の開発施策について述べたが,本項では,地盤環境問題が取り上げれられてから今日までに我が国が制定してきた基準の経緯と現況についてふれる。1)

3.2.1 地盤・地下水の汚染について
 地盤の汚染に関するわが国の行政的・法的対応は非常に遅く,「農用地の土壌の汚染防止等に関する法律」(1970年)にカドミウム,砒素,銅の環境基準が定められていたに過ぎなかった。
 この法律は有害物質による農作物生育の阻害の防止を目的としたもので,環境汚染の防止という考えを打ち出した法律としてはむしろ,廃棄物埋立による土壌汚染を扱う「有害な産業廃棄物に関わる判定基準を定める総理府令」(1973年制定,1992年改正)が重要であろう。

 その後,市街地における化学工場や研究所跡地の土壌汚染が顕在化するにつれ,「市街地土壌汚染暫定指針」(1986年),「有害物質が蓄積した市街地等の土壌を処理する際の処理目標」(1990年)が定められ,1991年には農用地と市街地の双方を対象とした「土壌の汚染に係る環境基準」が制定された。

 汚染物質の排出あるいは汚染可能物質の仕様を規制する動きとしては,農業に関する取り締まりが早く,「農薬取締法」(1951年)に基づいて使用規制が規定されている。
 人工化学物質汚染に関しては,各機関により指定3種類(トリクロロエチレン,テトラクロロエチレン,トリクロロエタン)の物質の排出管理目標が1984年に定められている。
 一方,建設工事に関連するものとしては薬液注入による地盤改良工事を対象に「薬液注入工法による建設工事の施工に関する暫定指針」(1974年)が規定され,劇物,フッ素化合物を含まない水ガラス系の薬液に限って使用を許可し,施工時の水質監視項目および水質基準を定めている。

 一方,地下水環境・土壌環境と密接に関する「水質汚濁に係る環境基準」(1971年)は直ちに達成維持されなければならない「人の健康に関する環境基準」(1993年に18年ぶりに改定され有機化学物質15項目が追加された)と,利用目的に応じて定められる「生活環境に係る環境基準」とからなる。
 この環境基準の告示を受け,「水質汚濁防止法」(1970年)に基づく排出水(排水または廃液を排出する特定施設を設置する工場または事業所から公共用水域に排出される水)の汚染状態の許容限界(排出基準)や,「下水道法」(1958年)に基づく公共下水道に排出する場合の水質基準が定められている。

 水質汚濁につながる底質の汚染については,水銀とPCBに汚染された「底質の暫定除去基準」(1975年制定,1988年改定)があり,該当する汚染底質はこれにより除去工事をうける。
公共水域の水底土砂を海洋に埋め立て処分する際にも水底土砂の有害性の判定のための評価基準の設定が必要である。


3.2.2 廃棄物について
 「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(1970年)では公害防止のための廃棄物の処理,処分のあり方が示されている。
最終処分に関しては「一般廃棄物の最終処分場及び産業廃棄物の最終処分場に係る技術上の基準を定める命令」(1977年)が定められている。
 「有害な産業廃棄物に係わる判定基準を定める総理府令」には有害物質に係る判定基準が定められており,判定基準を越える廃棄物は「有害な廃棄物」として無害化処理あるいはセメントによる固形化処理等を施すことが義務づけられている。

 「環境白書」によると不法処分された産業廃棄物の総量は1991年で200万トンに上ると推定され,その大半は建設廃材である。
 構造的な廃棄物問題の現状を見直すべく,「廃棄物処理法」が1992年に大幅改正され,廃棄物の排出の抑制と適正な分別,再生等が明示され,特別管理廃棄物が新たに規定された。
 また,廃棄物の有効利用を目的とした「再生資源の利用の促進に関する法律」(1991年)が定められた。
 特に大量に排出している建設系廃棄物について,不適正処理の防止と有効利用,環境保全を目的として「建設廃棄物処理ガイドライン」(1990 年)が厚生省より出されている。
 さらに全国で約160にものぼる市町村(1991年7月時点)で「残土条例・要項」が策定されている。

 放射線廃棄物に関しては,「原子力基本法」(1955年)の規定に基づき以下の法律が定められている。
放射性廃棄物の処分に関しては「核原料物質,核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(1957年)により(埋設)処分の事業に関しては「核燃料物質または核原料物質によって汚染された物の廃棄物埋設の事業に関する規制」(1988年)により,その技術基準については「核燃料物質等の埋設に関する措置等に係る技術的細目を定める告示」(1988年)によりそれぞれ規定されている。


3.2.3 地盤沈下について
 地盤沈下に関するものとして「工業用水法」(1956年)と建築物用地下水の採取の規制に関する法律(ビル用水法)」(1962年)がある。
 これらの法令は地下水の過剰汲上げによる地盤沈下を未然に防ぐために定められたものであり,大阪や東京を中心に指定された地域での地下水の採取に関する規制が定められている。

 その他,地盤環境・建設に関わりを持つ基準としては,土砂災害・浸食,粉塵公害,地下工事での酸欠防止,悪臭防止,騒音・振動規制に関するものなどがあげられる。

 以上のような基準・法令は地盤環境の保全・復旧などを通じて人間は勿論,全ての生態系の安全と持続的繁栄を図るための具体的な規制手段としての重要な役割を持っている。

 このような規制・基準が整備されてきた契機は残念ながらほとんどが環境影響の顕在化によってきたのがこれまでの経緯である。経済・産業の急速な発展にともない,新技術や新製品の開発・市場拡大が先行し,その環境影響評価やリサイクル対策が後回しにされてきたのが原因であるが,その傾向はいっこうに改善されてはいない。地盤環境の面でも,顕在化を待っての対策ではなく,将来の社会変化を見越しての基準・規制の整備が望まれる。

 さらにこれからますます高まる国際化の中で地盤環境の面でも国際貢献の拡大を図ることが重要であり,わが国の貴重な経験を国際基準作りと対策に反映させ,発展途上国型の地盤環境問題の解決と先進国型の問題の回避をめざす必要がある。


3.3 評価(項目)と基準(値)

 地盤に関する環境問題は地球規模で発生することは稀で,殆ど地域的な問題と考えて良い。
 したがって,問題が発生している地域の人々の力で解決が可能である。
 問題を発生させないため,もしくは問題を拡大させないため,あるいは問題を排除するための検討に際しては,適切な評価項 目と評価基準を定め,合理的な手法で正しい評価を行う必要がある。
地盤に関わる環境問題は種々あるが,ここでは以下の問題に絞って考察する。


3.3.1 地盤・地下水の汚染について
 我国では1890年代の足尾銅山から流出した銅による渡良瀬川流域の汚染に始まり,その後,農用地,工場跡地,廃棄物処分場,研究施設などの土や地下水から種々の汚染物質が検出され大きな社会問題になっている。

 環境基本法(1993年)では環境基準を設定することを定めている。
環境基準は,人の健康を保護し生活環境を保全する上で維持することが望ましいとされるもので,土壌の環境基準としてカドミウム,鉛,六価クロム,トリクロロエチレン,ベンゼンなど25 物質について規定されている。
評価は,環境庁告示「土壌の汚染に係る環境基準について」に示されている方法により検液を作成し,検液1 リットル中の評価物質の検出量に基づいて行う。

 この他,農用地については「農用地土壌汚染防止法」があり,カドミウムは米中,銅と砒素は土壌中の許容限度が規定され,それ以上の場合は対策地域に指定され対策計画を定めることが義務づけられている。
市街地の土壌汚染に関する法律はないが,「土壌・地下水汚染の調査・対策指針」(1994年)がある。
この中で重金属についてはカドミウムなど9物質,有機塩素系化合物等についてはジクロロメタンなど10物質に対し基準値が規定されている。
 この基準値は前述の「環境基本法」と同一であるが,調査した結果基準値を超えている場合はその量に応じて対策方法が定められている。
 また,この指針には市街地に漏出した農薬についても有機燐など5物質に対し基準値を示している。
しかし,これは通達であり民有地等に関しては強制力がないので,対象物質を加え,基準値や対策方法についてさらに検討した上で法律化すべきである。

 有害物質は「環境基本法」に指定された25種類に限るものではなく,ダイオキシンをはじめとする環境ホルモンと呼ばれる物質や今後生成されるであろう新たな化合物に対しても問題が生じる前に許容値を定め,排出規制をする必要がある。

 汚染された土壌を処理する方法としては,汚染物質を封じ込める方法,除去する方法,分解無害化する方法がある。
これらの技術はまだ確立されておらず,より完全で,簡便かつコストがかからない方法の開発が望まれる。
そのためには地盤工学,水理学,化学,物理化学,農学,生物学,微生物学,毒物学などの幅広い学問分野の研究者の協力が必要とされる。

 いずれの方法を行うにしても実施後のモニタリングが重要で許容値以下であることを確認し続けなければならない。

 汚染土壌に関して,浄化を義務づける基準値と浄化の目標とする基準値が考えられる。
前者は,人間の健康への影響のみでなく環境や生態系への影響も考慮して厳しいものにすべきである。
また,後者は,極力0に近い値を設定すべきであろう。
土壌汚染は蓄積性の汚染であり,土壌や地下水の環境への影響が将来的には人間にも危害を及ぼすことになるからである。


3.3.2 地盤沈下について
 地盤沈下は自然現象と人為的現象に大別できる。前者は地殻変動や地震により生じるものであり,後者は地下水の汲上げ,埋立て,盛土,掘削工事などにより発生するものである。
ここでは後者のみを対象とする。

 地下水の汲上げは工業用,建築物用,水道用,農業用,消雪用,工事用で行われている。
 1997年度までに地盤沈下が認められている主な地域は37都道府県62 地域となっている。
 1997年度で年間2p以上沈下した地域は9地域,239ku,年間4p以上沈下した地域はなかった。
 1978年度に比べると年度により増減はあるが,著しい沈下地域の数及び面積は大幅に減ってきている。
 これは「工業用水法(1956年)」,「建築物用地下水の採取の規制に関する法律(1962年)」や多くの地方条例により規制が行われた成果である。

 地下水汲上げによる地盤沈下を生じさせないためには,地盤沈下が予想される地域においては汲上げ規制を強化し,観測井により地下水位を監視しそれを下げさせないことが肝要である。

 埋立てや盛土による地盤沈下は避けられないので,あらかじめ沈下量を予測し,それに適応可能な各種の対策を講じておく必要がある。

 掘削工事に伴う地盤沈下は極力少なくなるように計画を立てる必要がある。
しかし,影響範囲は工事現場周辺に限られ,沈下量の予測や対策の検討もし易い。
ただし,地下水の汲上げについては影響範囲が拡大するおそれがあるので,工法について十分な検討を要する。

 許容できる沈下量は地域の事情により異なってくるので,それぞれの状況に応じて,有害な影響が出ない範囲で設定すべきであろう。


3.3.3 自然の保護と再生について
 自然は長い時間を経て形成されたものであり,それを破壊すると再生は極めて難しい。
 したがって,構造物を建設する場合には,極力自然を壊さないように配慮すべきであるが,やむをえず自然を破壊する必要が生じた場合には可能な限り原状に近い形に復元するよう計画することが望ましい。

 自然を定量的に把握するため,環境庁では5年に一度緑の国勢調査として動植物の分布状況,藻場・干潟の分布状況などを調査しているが,確実に自然林や藻場・干潟の減少が進んでいる。
 「自然環境保全法」,「自然公園法」,地方条例で環境保全地域を指定し,自然を改変する行為を禁止したり,建築,土地形状の変更等の行為について環境庁の許可を必要としたり,自治体への届出を義務づけたりして規制している。「環境影響評価法」が1999年6月に全面施行となった。

 本法では道路,ダム,鉄道,飛行場,発電所,埋立て・干拓,土地区画整理事業等の面的開発事業のうち,規模が大きく,環境影響が著しいものとなるおそれのある事業について環境影響評価手続きの実施を義務づけている。
 しかし,評価方法及び評価基準については具体的に示されていないため不公平が生じる恐れがある。今後は,これらを明確にしていく必要があろう。

 埋立て・干拓では海岸線の美しさが失われるとともに,鳥,魚,貝,海藻,珊瑚礁といった貴重な野生生物に悪影響を与えるおそれがある。そこで,開発に先立ち実態調査を行いこれらの生物の種類・数量等を把握しこれを維持する努力を要求すべきである。
 開発によりそれらが失われる場合には他の場所に高精度の評価技術をもって得た等価な環境状況の再成を求めていくことが必要である。

 一方,すでに自然が破壊されている場合には過去の自然環境を取り戻すための修復事業を行うことも検討しなければならないが,それをどのように実施していくか今後の課題である。
 自然環境を完全に維持することは不可能で,自然環境をどこまで保全するか,自然の価値をランク付けし,それぞれに応じた規制と尊守すべき規準を明確にする必要があろう。


参考文献
1) 地盤環境工学入門 社団法人 地盤工学会
2) 安田火災海上保険(株)他編:土壌汚染と企業の責任 有斐閣
3) 環境庁:平成11年度環境白書 総説,各論

TOP


第4章 提言の実施に向けて

 地球環境は気圏,水圏,地圏の大きな循環の中にあり,人為的に引かれた国境線を超えるグローバルな問題である。
 1992年リオデジャネイロ会議が持続可能な開発を基本理念として「アジェンダ21」を採択したことは記憶に新しい。
 グローバルな環境の保全と調和のとれた開発は,国家地域間の利害にも関わり容易な課題ではないものの,人類の財産ともいえる良好な環境を次の世代へ引き継いで行くためには,様々な分野で着実かつ積極的な取り組みが求められている。

 1章では,先ず地球環境問題を概観し,地盤との関わりが極めて広範にわたっていることを述べた。環境に多大な影響を及ぼす可能性をもつ建設の分野では,従来から土木工学や地盤工学が地盤に関わる問題に取り組んできた。
 しかし,プロジェクト規模の空間内で経済性と安全性とを重視してきた従来の取り組みには,開発と環境を共生させる視点に欠落があったことは否定できず,既にそれに対する反省も芽生えている。
 他の環境問題に比して地盤に密接に関わる環境問題は比較的に国家地域間の問題を避けてローカルに取り組みやすく,その解決は直接的に国民の安全と安心に貢献するものである。
 このため,新たな工学の体系として,力学に基盤をおいた地盤工学と環境に関わる学問との接点として地盤環境工学を提言した。
 地盤の持つ様々な機能を総合的に考える自然科学を基盤とする学問である。
 しかし依然として当面する経済的効率や当面する快適さへの追求と環境の維持とはベクトルが合致し得ない局面が多々予想され,社会科学や人文科学との連携や,多くの人が合意できる“環境倫理”の確立も求められる。

 2章では,多様な生物の生活の場であり,貴重な資源としての地下水の涵養の場であり,様々な環境負荷を浄化する場でもあった地盤の役割を再評価している。
 地盤ならびにその構成材料である土は,環境の激変に対して緩慢に反応し制御する機能をもつ反面,ひとたびその機能を損なうと修復にも多大な時間を要することを歴史が教えている。
 「国民や社会の地盤環境への意識向上」へ地盤環境工学は貢献することが望まれる。
 また,地盤環境の創生,保生,再生のためには,具体的に取り組む社会の強い意志と,技術と技術者が必要であり,その背景となる理論構成が必要である。
 未知な部分の多い自然(生物を含む)を対象とし,様々な価値観との相克を含む分野であるだけに,新たな学問体系を組み立て,推進し,実践に移していくためには,基礎研究の促進,人材の育成と教育が急務である。
 また,責任ある技術者を育てるためには教育と連動した技術者資格が必要であり,絶え間ない継続教育が必要であり,かつ,その様な資格の国際的な整合を図ることの重要性を指摘した。

 3章では,地盤環境問題へ現実の施策として取り組む際の大枠としてのアプローチを提案し,次いで現行の基準類の幾つかを紹介し,今後の方向を示唆している。
 環境問題への取り組みは,地盤環境の現状を適切に判定(調査)することから始めるべきであり,環境要素に対する調査・試験が重要である。
 次いで,設定した地域における環境要素に係わる将来予測が必要となる。
 既に,許容される基準値を超えた現状に対しては,対策を検討しその効果を予測することとなる。
 また,効果は長期的な観測によって判定する(評価・検証)することとなる。
 この一連の流れの中で,地盤環境工学の果たすべき役割,すなわち,適切な環境要素の選定と基準値の設定,精度の高い調査技術,複雑な環境予測手法の開発,モニタリングの技術と体制,判定技術の精度を高めていく努力が望まれている。

 最終章となる本章では,今回の提言で論じてきた地盤環境工学の役割の締めくくりとして,社会を構成する様々なセクターが,地盤環境の観点で国民の安全と安心のためにどのように貢献すべきかを考えることとしたい。
 キーとなるイッシューは,地盤環境工学の体系化,人材の育成,法整備への理論的背景の提供,行政施策への提言,施策実施の上での技術的裏付けの提供,市民への啓発,関連する個々人の役割である。

 大学,国研などの高等研究機関の果たすべき役割の一つは自明であり,地盤環境という観点での持続可能な開発を可能とするために,学術的な理論構成と技術を提示することである。

 未解明な問題が多いため基礎研究が重要である。環境問題は,既存の多くの学術体系を連携,総合し,新たな価値観(倫理観)で取り組むべき課題であるため,俯瞰的な研究プロジェクトの実行と,それに対する積極的な資金の投入が急がれる。
研究にあたるべき人材は単一の大学・単一の学部・学科に捕らわれるべきでないことは言うまでもない。
 急変する世の中の動きから遊離しがちな従来の大学人のみを研究の人材として流用するのではなく,産業界や官界からも積極的な人材登用を計ることが望まれる。
 しかし,本質的とは言えない障害も多い。近年改善されつつあるものの,大学や国研の人材登用や業績評価の仕組みの見直し,文部省や科技庁を代表とする機関の研究資金配分の仕組みの見直し,人材の流動化を妨げる従来の年金システムや雇用 制度の見直しも避けて通れない問題であろう。
 また,この様な研究と並行して,次世代を担う人材の育成も高等教育機関としての大学の使命である。
 
 立法府は,環境に関わる法制の整備を進めてきている。
 今後も,環境と対峙しがちな産業,建設に関わる法と環境の保全に関わる法の整合性を計るための膨大な法体系の継続的な見直しを進める必要があろう。
 さらには研究,教育,NGO,NPO活動にかかわる法の見直しを含む視野の広い活動が望まれる。
 一方で,地盤環境工学はこのような法整備にバックボーンを与えるものでなければならない。
 また,地盤環境に関わる学術団体や個人としての科学者,技術者は,関連する法の整備にあたって積極的に発信する責務がある。

 地盤環境に関わる大規模な国土の改変を行う行政機関(建設省,国土庁,農水省,運輸省,各自治体など)は,従来型の施策に着実に見直しを加えつつある。
 建設省の環境政策大綱に示された「事業における環境の内部目的化」がその代表であろう。
 しかし,その歩みは遅い。その理由の一つは,従来の行政機関の役割が単一の目的指向型であったことと無縁ではないであろう。
 2001年の省庁統廃合に期待するところもあるが,政策決定のプロセスにメスを入れることも必要である。高度に専門家集団である行政機関が,「知らしむべからず,寄らしむべし」で進めるには,環境という分野はあまりに学際的であり,ある種,倫理的であるからである。施策のアカウンタビリティーを高めるためにも,施策の立案段階からの情報公開が望まれる。

 情報公開に対しては,地盤環境工学に関係する学術団体(個人としての科学者・技術者を含む)は積極的に提言する必要がある。
 情報公開はこの種の提言や一般市民の賛否の声を招くために行うもので,それによる行政の速度の低下は民主主義の対価である。
 真に緊急のものについては別途の対応も可能である。

 地盤環境に関わる科学者,技術者は,上記のように様々な局面で職業倫理に基づいて個人として地盤環境問題に発言する責務がある。
 個々人の個別の局面での小さな試みが大きな流れをいずれは形作るものと期待されるからである。
 また,科学者,技術者には地域の住人としての役割も期待したい。
 サイエンスボランティアとして,一般市民への啓発活動,草の根での環境のモニタリングなど,Locality の高い活動の領域は広い。
 地盤環境に関しては小規模な人間の営為,すなわち,公園の植生の選定,小さな河川の改修が生態系に影響を及ぼしたり,希少種の生存を妨げる可能性は高いからである。

 NGOであり,かつNPOである学協会の役割は大きい。
 地盤環境工学の学術の振興,評価に先ずは大きく貢献する必要がある。
 同時に専門家集団として,社会に対して専門領域から貢献する必要がある。貢献のあり方は前述の施策立案段階での提言に始まり,施策実施にあたっての技術的裏付けとしての評価・判定に関わる指針の提案もある。
 一方で,地盤環境に携わる責任ある技術者を育成するためには,高等教育と連動した公的な技術者資格の整備が重要であり,その資質をさらに高め,かつ維持するためには,継続教育が必要である。高等教育の認定や,生涯教育に学会が寄与することも重要である。
 学協会を構成する個々人は,専門領域の科学者・技術者であると同時に,行政府にあるいは企業にあるいは大学に属しており個人の倫理観と生活の間で揺れ動く存在であることは否定できない。
 しかし,集団としての学協会の立場からは積極的な提言も可能となる。また,学協会の市民に対する啓発活動も政策提言と同様に重要である。

 オピニオンリーダーとして絶大な力をもつマスコミの役割も大きい。
ヘッドラインニュースとして,あるいはスクープとしての地盤環境問題の取り上げもあって良い。
 しかし,定点の継続的報道,解説の充実が望まれる。専門的な知識の裏付けには地盤環境工学に関わる学協会を利用すればよい。
 言い換えると,地盤環境工学に関わる学協会はもっとマスコミと提携する動きが必要であろう。

 地盤環境の問題は,従来,ややもすると土壌汚染の問題と地下水汲み上げに起因する地盤沈下の問題に限定的に理解されてきた。
 しかし,1章,2章で述べたように,地盤は様々な形で人間を含む多様な生物の生活の基盤となっており,水圏や気圏と連鎖している。
 地盤は次の世代に健全な状態で引き継いでゆくべき人類共有の財産であることの再確認が何にもまして重要である。

TOP


むすび

 17期の地盤環境専門委員会では,新たな工学領域として“地盤環境工学”の創設を提言した。

 従来の力学を基盤とした地盤工学に,土壌科学,微生物学,化学,化学工学,生態環境工学,毒物学,等を援用・統合すると共に,社会科学,人文科学とも広く連携するものである。 そして,地盤環境工学の実践の例として幾つかの課題をとりあげ,現状と将来の方向性を論じた。
 最後に,創設される地盤環境工学ならびにこの領域で活動する様々な機関,団体,科学者・技術者個々人の役割に言及した。

 関連学協会には,本報告を活用していただき,地盤環境の重要さの啓発,地盤環境に関わる高等教育プログラム,指針の策定,技術者の生涯教育など,この分野の活動の具体化に取り組んで頂けるよう働きかける予定である。

 また,地盤環境にインパクトを与える事業に関わるすべての機関や関連企業にも参照して頂くよう強く希望したい。

TOP