産業動物におけるクローン個体研究に関する指針


「畜産学研究連絡委員会、獣医学研究連絡委員会、育種学研究連絡委員会報告」


平成12年3月27日

日本学術会議
畜産学研究連絡委員会
獣医学研究連絡委員会
育種学研究連絡委員会


 この報告は、第17期日本学術会議畜産学研究連絡委員会、獣医学研究連絡委員会及び育種学研究連絡委員会が、畜産学研究連絡委員会に設けられたクローン産業動物研究マニュアル小委員会の審議結果を取りまとめて発表するものである。


畜産学研究連絡委員会
委員長 渡邉誠喜(第6部会員、東京農業大学農学部教授)

幹事 大島光昭(名城大学農学部客員教授)
矢野秀雄(京都大学大学院農学研究科教授)

委員 奥村純市(名古屋大学大学院生命農学研究科教授)
近藤敬治(北海道大学大学院農学研究科教授)
佐藤英明(東北大学大学院農学研究科教授)
菅野茂(東京農工大学農学部教授)
菅原七郎(北里大学獣医畜産学部客員教授)
田中一栄(東京農業大学農学部教授)
山本禎紀(広島大学生物生産学部教授)


畜産学研究連絡委員会クローン産業動物研究マニュアル小委員会
委員長 渡邉誠喜(第6部会員、東京農業大学農学部教授)

幹事 大島光昭(名城大学農学部客員教授)
高橋貢(第6部会員、麻布大学名誉教授)
矢野秀雄(京都大学大学院農学研究科教授)

委員 金田義宏(東京農工大学農学部教授)
河野友宏(東京農業大学農学部教授)
佐藤英明(東北大学大学院農学研究科教授)
菅原七郎(北里大学獣医畜産学部客員教授)
館鄰(麻布大学獣医学部教授)
角田幸雄(近畿大学農学部教授)
村松晉(社団法人畜産技術協会参与)


獣医学研究連絡委員会
委員長 高橋 貢(第6部会員、麻布大学名誉教授)

幹事 板倉智敏(理化学研究所脳科学総合研究センター)
唐木英明(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)

委員 植村 興(大阪府立大学農学部教授)
徳力幹彦(山口大学農学部教授)
浜名克巳(鹿児島大学農学部教授)
平井克哉(岐阜大学農学部教授)
松山茂(社団法人日本獣医師会専務理事)
山根義久(東京農工大学農学部教授)
若尾義人(麻布大学獣医学部教授)


育種学研究連絡委員会

委員長 武田元吉(第6部会員、玉川大学農学部客員教授)
幹事 原田久也(千葉大学園芸学部教授)
村松晉(社団法人畜産技術協会参与)
委員大石孝雄(農林水産省畜産試験場育種部長)
大澤勝次(北海道農業試験場地域基盤研究部長)
梶浦一郎(農林水産省果樹試験場企画連絡室長)
古賀克己(九州大学農学部教授)
佐藤光(九州大学農学部教授)
田島正啓(林野庁林木育種センター育種部長)
日向康吉(採種実用技術研究所研究部長)
藤本文弘
前田芳実(鹿児島大学農学部教授)
山崎文雄(北海道大学名誉教授)



産業動物におけるクローン個体研究に関する指針

1.はじめに

 平成9(1997)年2月27日発行の英国の科学雑誌Nature第385巻に、英国のウイルマット博士(Ian Wilmut)(ロスリン研究所)らにより、ヒツジにおいて、成体から分離した培養乳腺細胞の核を除核した未受精卵に移植することにより、移植核由来の健全な産子を得ることに成功したことが報告された。
 このことは、世界的に体細胞クローニングに関する生物学的論議のみならず、倫理的、社会的論議を引き起こした。
 また、ヒツジ以外の動物における体細胞クローニングに関する研究も活発に行われている。

 我が国では、平成10(1998)年7月5日に、角田幸雄博士(近畿大学農学部)らにより、石川県畜産総合センターの協力のもとに、ウシ成体雌の卵管細胞の核移植によって、世界に先駆けて、分娩に至る成体細胞核由来の双子牛が作出されたことが報道されて以来、ウシにおける多数の成功例が報告されている。

 更に、平成10(1998)年7月23日発行のNature誌に、米国の柳町隆造博士(ハワイ大学医学部)のもとで、若山照彦博士(東京大学大学院農学生命科学研究科)によりマウスにおいて、セルトリ細胞、神経細胞、卵丘細胞などから得た核を、除核未受精卵に顕微注入法により注入し移植することにより、多数の体細胞クローン個体の作出成功に至ったことが報告された。
 これらの成果により、体細胞核移植技術が農学・医学分野で実用技術として用いられる可能性が急速に高まりつつある。

 こうした背景のもとに、体細胞クローニングの研究に関する行政的対応の必要性が世界各国で認識され、平成9((1997)年2月24日の米国大統領による国家生命倫理諮問委員会に対する検討要請を端緒として、仏国、英国をはじめ欧州各国で検討が行われ、ヒトの個体作出を禁止する、ないしは、国家予算による助成を行わないなどの指針等を採択している。

 我が国では、平成10(1998)年6月15日付で、科学技術会議が「クローン技術に関する基本的考え方について」と題する中間報告を出し、更に、平成11(1999)年11月22日には科学技術会議生命倫理委員会クローン小委員会が「クローン技術による人個体の産生等に関する基本的考え方」の取りまとめを行った。

 また平成10(1998)年7月3日には学術審議会から「大学等におけるクローン研究について」(報告)が提出された。
 これらに基づいて、文部省は平成10(1998)年8月31日、「大学等におけるヒトのクローン個体の作製についての研究に関する指針」(文部省告示第129号)を告示した。
 何れも、ヒトのクローン個体作製を目的とする研究、ないしは、作製をもたらすおそれのある研究を禁止している。

 本来、農学分野におけるクローン産業動物に関する研究は家畜の育種改良を目的として行われてきた。
 体細胞クローン技術の確立は、家畜の効率的育種を可能にし、大量に、そして安価な畜産物の生産に貢献することが期待されている。先述の、科学技術会議報告、科学技術会議生命倫理委員会クローン小委員会報告、学術審議会報告の何れもが、ヒト以外の動物クローン研究を推進することをうたっている。

 また、平成10年9月に総理府が行った「クローンに関する有識者アンケート調査」の結果も、ヒトのクローン個体作出については大多数の人が反対であるのに対して、農学分野での応用については多くの人が賛意を表しており、社会的にも認知され易いことが示されている。

 こうした背景から、今後、農学分野における体細胞クローニングによる個体の作出は、諸外国の動静からみても、強力な研究の推進が望まれる。

 しかし、一方で、動物に関する研究と、ヒトに関する研究を完全に分離することは困難な点があり、例えば、ヒトの細胞核をヒト以外の動物卵細胞質内へ移植する実験などの、いわば中間領域の問題が生じている。
また、技術の拡散とともに不測の事態が生ずる可能性も憂慮される。

 従来から、クローン産業動物に関する研究、並びにこれに関連した研究は、畜産学、獣医学、育種学、及び、その他の分野の多数の研究者によって活発に行われており、この動向は、今後ますます強くなるものと予測される。

 そこで、クローン研究を担う、畜産学研究連絡委員会(畜産学研連)、獣医学研究連絡委員会(獣医学研連)、育種学研究連絡委員会(育種学研連)の研究者が、充分な社会の理解のもとに研究を進め、畜産業を通して人類の福利の増進に貢献することができるよう、自らを律する姿勢を示すべく、ここに指針を表明する。



2.基本姿勢

 クローン産業動物に関連する研究に当たってすべての研究者は、生命科学の見地から真に価値のある研究を推進するとともに、動物福祉と人類への貢献との調和を図り、究極的に人類の福利増進に貢献する見地から、その健全なる発展を図るものである。
 これらの目的を達成するために、研究に当たっては、以下の基本姿勢を遵守する。

(1)国の策定する法律、規制、指針、ガイドライン等を遵守する。

(2)諸外国の法律、規制、指針、ガイドライン等については、特定の宗教や文化的基盤に基づくものでない限り、充分に配慮し、基本的且つ普遍的な条項については、国内の法律、規制、指針、ガイドラインに準じて遵守する。

(3)上記(1)(2)に抵触する恐れのある研究、 社会的ないし倫理的な論議を呼ぶ恐れのある研究については、関連学会並びに、一般社会の理解が得られるよう充分配慮する。

 そのために、実施に先立ち研究機関ごとに倫理委員会等を設置して、実験の科学的必要性、意義のほか、社会的影響、倫理的側面に充分検討を加える。
 倫理委員会等の審議の内容は、文書として記録、保管し、開示の要求があれば速やかにこれに応ずる。
 疑義のある問題については、所属機関長等を介して所轄官庁の意見を求める。



3.今後の研究のあり方

 クローン動物研究に代表される、動物バイオテクノロジー研究の発展は、21世紀に向けた我が国の動物産業の将来展望に極めて重要な意味をもつ。
 欧米諸国を中心に、現在、応用生命科学の研究は飛躍的な発展を遂げつつあり、これに対処するために、我が国でも真剣に対策を立案・実行する必要がある。

 新たな世代の健全な知識欲、探求欲の啓発、先取の意欲に富んだ次世代の研究者の養成、創造性の高い研究遂行は、我が国の動物産業のみでなく、応用生命科学の発展全般に極めて重要な意義をもつ。
 この見地から、特に、以下の点について積極的な推進活動を行う。

(1)クローン産業動物研究に関する啓発と教育活動

 クローン産業動物研究並びに、動物バイオテクノロジーの展開に関して、一般社会の健全な理解を得るために、啓発活動、教育活動を推進し、社会的偏見や過大の期待を是正する必要がある。
 また、クローン産業動物研究の生命科学全般における位置に関して、応用に偏することなく、基礎研究レベルから、それら生命維持のメカニズムについても、知識の普及を図り、応用生命科学を志望する中・高等学校生、大学生の健全な知的成長を支援する。
 また、文系の学生に対して、バランスのとれた、正確な知識の普及を図り、社会全般の知識水準の維持向上を図る。

(2)クローン研究を含む先端的動物バイオテクノロジーの研究機構の設置我が国における、先端的な動物バイオテクノロジーの発展には、伝統的な畜産学、獣医学、育種学の関連諸分野に加えて、発生学、生殖生物学、細胞生物学、分子生物学、遺伝学、行動学、生態学など基礎生命科学を含めた、強力な研究体制の樹立が不可欠である。

 今回のクローン動物作出の成功の陰には、英国で、1960年代にガードン博士(J.B.Gurdon)によって行われた、アフリカツメガエルにおける体細胞核移植による個体作出成功以来の、長い基礎研究の伝統がある。

 更に、英国における細胞周期、クロマチンの発現制御機構等に関する、分子・細胞生物学的基礎研究の伝統と蓄積がなければ、今回のヒツジにおけるクローン動物作出の成功は有り得なかったと言っても過言ではない。

 また、もし近い将来、家畜ゲノムの飛躍的な展開とともに、分化を遂げた細胞核の再プログラミングの分子機構が解明されれば、更に画期的なバイオテクノロジーが開発される可能性が高い。
 動物バイオテクノロジーの他の分野でも、同様のことが言える。

 今後、我が国が、欧米諸国に伍して新しいバイオテクノロジーを開発し、動物産業の発展を図るためには、強力な研究体制を備えた先進的な応用動物科学の総合研究機構の設立が不可欠である。

 畜産学研連、獣医学研連、育種学研連は、このような認識のもとに、上述のような研究機構の設置に向けて、強力且つ積極的な運動を推進する。

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