標準の研究体制の強化についての再提言


「標準研究連絡委員会報告」


平成12年3月27日

日本学術会議
標準研究連絡委員会


 この報告は,第17期日本学術会議標準研究連絡委員会の審議結果を取りまとめ発表するものである。


[標準研究連絡委員会]

委員長 飯塚幸三(潟Nボタ副社長)

幹事 今井秀孝(工業技術院計量研究所所長)
田村浩一郎(中京大学教授)[H9.9.1〜H10.7.8]
諏訪基(工業技術院大阪工業技術研究所長)[H10.7.9 〜H11.9.30]
神本正行(工業技術院電子技術総合研究所次長)[H11.10.1〜]

委員 大塚泰一郎(東北大学名誉教授)
川路神治(学習院大学教授)
河田燕(成蹊大学工学部長)
清水富士夫(電気通信大学教授)
服部晋(潟`ノー取締役)
藤本眞克(国立天文台教授)
三浦甫(静岡理工科大学教授)


要旨画面へ

目次

はじめに

1 .標準の研究に対する国の支援

2 .総合科学技術会議への期待

3 .各省庁における標準研究体制

4 .大学との連携

5 .民間機関との連携

別紙1 「標準の研究体制の強化についての提言」の概要

別紙2 「標準の研究体制強化についての提言」

別紙3 第16期提言書による改善例(工業技術院計量研究所の場合)

別紙4 


はじめに

 日本学術会議第5部は平成9年6月20日、「標準の研究体制の強化について」と題する提言を行った。
 その骨子は別紙1,その詳細は別紙2のとおりである。

 本提言の効果に関しては、別紙3に示す通り、国の取り組みに前進が見られ、研究体制の強化を図るための政策の検討、組織の設置、担当する国立研究所の研究費、定員、建物、施設など改良に向けての努力が始められているが、さらに広い視点での標準の整備と、そのために必要な標準研究の継続的な支援体制の強化などはこれからの課題である。

 特に、中央省庁の組織再編ととも、国立研究所の大部分が独立行政法人化されることが決まり、かつ現在の省庁の枠組みを越えた研究所の統合・再編は行われず、一方、標準研究の最大手の工業技術院の全研究所は単一の法人となり、標準部門はその中のひとつの領域として位置づけられることが決定されたので、我が国の国際的な地位と科学技術力にふさわしく、かつ欧米の国立標準機関と比肩できる標準体制の構築を期待して再度提言を行うものである。

 さらに標準に関連する国際的な活動は過去3年間にその範囲が一層拡大し、グローバル化した経済を支える貿易における公正な取引を変えるためにも、また例えば地球環境や健康など人類共通の課題に取り組むための科学技術の推進のためにも、新たな標準の確立と普及の必要性が著しく増大している。

 そのため1999年10月に開催された第21回国際度量衡総会ではメートル条約の下での活動を計量標準の相互認証制度の運営、バイオテクノロジー分野の計量への取り組みにまで拡げることを決議している。
したがって、国全体としての標準への取り組みと資源の活用はますます重大になってきており、我が国の標準を一元的に把握する部署の存在の必要性が一層高まっている。

 なおこの間に、前回の提言について、第4部物理学研究連絡委員会からも別紙4のような強い支持と施策の早急な推進についての要望が寄せられており、関係機関各位におかれては、以下の提言について十分に配慮の上、今後の施策に反映されるよう強く要望次第である。

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1.標準の研究に対する国の支援

 国立研究所が独立行政法人化された後も、基礎標準に関わる研究等についてはその基盤性の故に民間からの資金導入は困難であり、また校正サービスを財政の基盤とすることも事実上不可能と考えられるので、引き続き国が標準の研究と整備に必要な資金を充当すべきである。

 事実、海外の有力な標準研究所はいずれも資金の大部分を国の支援に仰いでいる。
 従って法人を所管する省庁は、科学技術および産業の発展と我が国の国際的な役割等を勘案した中期目標を設定し、その実現のために必要な資金を確保することが望まれる。

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2.総合科学技術会議への期待

 今回の中央省庁再編成の結果、一部の標準の研究・供給の所管は、当面いくつかの省庁に分散することがはっきりしたので、前提言で要望した標準研究・供給に関わる一元的な検討・調整ボードの新設は相変わらず必要と考えられる。

 具体的には、内閣府に設置が予定されている総合科学技術会議がその役割を果たすことが期待され、標準研究を国としての重要な研究分野の一つとして長期的な視点で調整・支援する枠組みが常設されることが望まれる。

 そのため、総合科学技術会議の下に、個別分野とは別に横断的・基盤的分野として計測標準を専管する部署が設置されることを期待する。

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3.各省庁における標準研究体制

 標準研究の多数を占める工業技術院の研究所は単一の独立行政法人になることが予定されていることから、新組織の中での標準研究グループは、一つにまとめた大きなグループとして柔軟な運営を可能とすることが強く望まれる。

 併せて、標準の研究はそれを支える物理、化学、工学の支援と、標準のユーザである各分野との密接な協力が不可欠であるので、他の領域のグループとの連携も大切である。

 その一方、先端分野の研究グループと違って長期的・定常的な業務として支援するとともに、当該法人が計測標準を担当する機関であることを外部に明確に示せるよう運営されることを期待する。

 また標準研究の一部を担当する郵政省傘下の研究所をはじめとして、他省庁傘下の研究機関についても、国際的動向や産業・科学技術からの要請に十分に応えられる研究体制の構築と運営が図られるとともに、研究所相互の更なる交流と連携が求められる。

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4.大学との連携

 新法人はその柔軟性を生かして大学との共同研究プロジェクトをとおした連携、人的交流を一層活性化するとともに、大学においても標準研究テーマの推進、教育カリキュラムでの標準関連プログラムの充実等により人材育成が強化されることを強く要望する。
 さらにこのためには現在の連携大学院制度をより一層充実させことも必要である。

 新標準のための基礎的研究は、標準の確立と維持に従事する独立行政法人の限られた人数の研究者のみに期待するのではなく、広く日本国内の大学、他研究所で自由な発想に基づき基礎研究を行う遍く多数の研究者に負うべきである。
そのため、新法人は学会等を通しての日常的な広報活動や情報交流により、標準の芽になると思われる基礎研究を掘り起こすとともに、大学や他研究所の研究費を支援できる機能を持つことが望まれる。

 とくに、大学における研究については、主要な資金源である科学研究費補助金の細目に学際的複合領域としての「標準」が欠落していることが意欲を失う理由の一つであり、今後、本研究連絡委員会の活動の拡大・強化に併せて、制度の改善に向けた方策が検討されることを強く要望する。

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5.民間機関との連携

 新法人は国立研究所と比べて民間との協力が容易となり、民間資金の導入も可能となると考えられるので、それらの利点を生かすべきである。
 しかしながら標準研究の成果として開発された新たな素子・装置等は大きな市場が期待できないことが多いため、国のプロジェクト等の成果も一度それが終わると維持供給が困難になってしまうことが多い。
 市場をグローバルに捉えつつ、維持供給が継続できるような支援についての配慮が必要である。

 またできあがった標準の利用については民間の標準供給機関・検査機関の一層の活性化と活用が必要である。
そのためこれらの機関の技術の向上と交流を図るため、さらに我が国の標準の供給システムと現在グローバル化の進展している品質・認証システムとの相互乗り入れ、あるいは国内制度との調和等数多くの問題を解決するため、産官学の関係者が一同に会して討議できるような総合的な全国計測標準会議を関係省庁及び新法人が主導して組織化することが望まれる。

以 上

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別 紙1

「標準の研究体制の強化についての提言」の概要

 第1章では標準のあるべき姿を述べ、第2章では我が国の現状に関してまとめ、そして、第3章では考察として、我が国の標準への取り組みの貧弱さが指摘されている。
最後に第4章で全体のまとめとして以下が提言されている。

1)中核となる国立研究機関における標準研究を抜本的に強化すること。
2)標準研究に関わる優秀な研究者の確保のために、大学がこの分野に強い関心 を持ち、標準の研究を活発に行うこと。
3)標準供給等に関しては熟練した技術者が必要であること。
4)公益法人・民間機関も含めて標準研究の成果の外部への供給が円滑に行えるための体制を整備すること。
5)標準研究における大学と国立研究機関との連携の重要性に鑑みて、必要により産業界も含めて標準研究を対象とする共同プロジェクトを進める制度の
拡 充を図るとともに、この分野での連携大学院制度の一層の活用を図ること。
6)標準に関わる基礎研究が大学において活発に行われるよう、標準研究を提案公募型の研究分野の対象として配慮すること。標準研究の学際性および標準に関わる教育についても考慮すること。
7)国としての標準研究のありかた、方向付け、重点領域の選定等に関して、一元的に且つ一貫性を持って検討・整備することのできる標準研究・供給コン トロールボード(仮称)を新設すること。

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別紙2

「標準の研究体制強化についての提言」

日本学術会議第5部


1.標準のあるべき姿

1-1.科学・技術と標準---標準の研究---
 科学は既知の知見から未知の世界を定量的に記述しようとする人間の探求心であり,技術は逆に既知の知見から出発してその応用を考える人間の向上心である.
いずれの分野においても,研究あるいは開発の対象となる事物・事象から必要な情報を取り出し,それらを定量的に表現することが根元的行為である.

 このとき『標準』は,抽出した情報の客観性や信頼性を保証する基準として定量的表現のための手段を提供するために,なくてはならない道具であり,科学と技術をつなぐ重要な役割を担っている.

 人間の探求心や向上心は,限りなく高度な世界を目標として定めるから,科学・技術の進展のためには,事物・事象のより広汎・高度な定量化・普遍化が常に求められている.
そのため,基準となる『標準』については,その時点の原理的限界をよく見極め,最新の科学的知見に基づき利用できる最高の技術を駆使しつつ,常にその精度をチェックし『標準』の開発・改善を進めて行かねばならない.

 ここで述べる『標準』とは,主として測定のための基準を意味しているが,それは長さ,温度,電気等の単位のいわゆる物理標準あるいは計測標準だけではなく,物質の決まった濃度を示す標準液,決まった組成・物性を示す標準試料等のいわゆる標準物質も含んでおり,さらに広義には,物理標準・標準物質を基礎として,あるいは関係者間の合意により規定される試験・検査・評価方法の基準・規格,さらには,基礎物理定数や物質定数などの「リファレンスデータ」(標準データ)も包含するものとする.

 広義の『標準』に含まれる基礎物理定数は元来物理学の体系そのものと密接な関係にあり,標準に基づくそれらの絶対値の決定は,物理学の根底を支えるものといえるし,また逆にその普遍性・恒久性によって計測標準の一義性を支えているともいえる.

 また,物質定数も物理学・化学等の理論を支えるとともに,その実験研究の基礎として,あるいは工学上の設計,試験・評価には欠かせないデータとして,標準に関係づけた精密な測定で値付けられていなければならない.

 したがって,わが国が科学の最前線を開拓し,あるいは自主技術を開発していくためには,これら『標準』の関わる範囲の広さとその中での重要性のために,諸外国から与えられたものを利用するだけでは常に後塵を拝することとなることを認識し,先進的で且つ国際的整合性の確保においても主役を演じられるような高度な「標準の研究」が常時継続的に行なわれる必要がある.

 『標準』が技術立国として持つべき最重要な共通技術基盤であるにもかかわらず,他分野に比べて「標準の研究」が正当に位置づけられて来なかったこれまでのわが国の体質は,標準関係者を失望させることが多かったが,国際社会の厳しい評価が以前にも増して激しくわが国に突き付けられるようになった昨今,はじめて『標準』に関わるわが国の体制の不備が,標準関係者以外にも認識されるようになってきた.

 すなわち共通な知的基盤としての「標準の研究」の重要性は,大学,国立研究所の標準関係者のみならず,多くの産業分野からも指摘されつつあり,例えば,半導体産業界からは,産官学の実効の伴う協力体制の強化並びにその下に展開させるシリコン半導体に関する基礎的な測定データのデータベース化を介し実のある国際貢献を実施することなどが提案されている(注1).
したがって,今や「標準の研究」は,科学・技術の基盤として,国の主導の下で産官学が連携して迅速かつ強力に実施すべき最重要課題として位置づけられる.

  注1)“日本の半導体産業と産官学協力”電気学会誌,Vol.116,No.7(1997),pp.422-426.


1-2.経済・社会と標準---標準の活用---

 標準は経済活動を広く且つ円滑に実施する上でも必須の基盤である.
歴史的に計量標準が商取引上のニーズから整備されてきたことは今さら述べるまでもないが,近年では,経済・産業のボーダレス時代の到来によって,素材のみならず,部品・製品の輸出入が拡大し,それらの品質の評価についての国際的に共通的な基準が必要となり,計量標準がその主役に躍り出ることとなった.

 国際貿易の拡大とともに,各国政府は自国産業の振興・保護の観点から貿易収支に強い関心を持ち,国際貿易の透明性と公正さを重視する国際風潮が生まれ,多国間協議の場でそのルール作りが行われるようになった.この新しいルールの中で標準に直結するものに,いわゆる品質システム規格(ISO-9000シリーズ),ISO/IECガイド25,58などがある.これらの規格の中では,製品の製造・試験・検査に使用される各種の計測器は,「国家標準にトレーサブルであること,すなわち,トレーサビリティ(注2)が確保されていること」が必須条件となっている.

 さらには,「国際的基準に適合して行われた試験結果は,それが技術的に同等な標準に基礎が置かれていれば相互にそれを認め合うこと」,すなわち「国際相互承認」が国際貿易の通行手形となった.

 その結果,標準は国際貿易のための戦略的武器として急浮上し,各国は官民挙げてトレーサビリティを確保し,標準とそれに基づく試験・検査の認定・認証体制を構築しつつある.
 残念ながらわが国では,標準研究の弱体化以上に,トレーサビリティ確保の体制が未整備なまま放置されてきたため,改めて校正システムを再構築することが,喫緊の課題となっている.

 注2)計測器の校正の流れを上流へ辿れば最後には国家標準へ到達すること.

 この遡上が国家標準まで切れ目のない状況を“国家標準にトレーサブルである”という.
さらにまた,標準は我々にとって身近な健康・医療をはじめ,環境保全,安全確保などにとっても不可欠な役割を果たしている.
例えば,血液中の成分の定量による診断や公害物質の濃度による管理などでは基準のきびしい管理が必要であり,標準に関わる研究と成果を利用するシステムの開発が強く求められている.


1-3.標準の研究と活用の実施体制----国立研究所と大学の連携----

 上述のように,標準は国の重要な基盤であるため,国家の科学技術力を傾注してそれを構築する必要がある.
この主役を演じる機関が国立研究所と大学であり,その連携である.

 わが国においても,大学は国立研究所の研究活動を支援する上でも,そこに優秀な人材を供給する上でも,常に標準の研究に関心をもち,互いに協力して行く態勢が必要である.

諸外国におけるこのような協力態勢は随所に見られる.以下に例を列挙しよう:

米国NIST/Boulder とJILA とColorado Univ.責任委託(注3)原子分光学
米国NIST/Gaithersburg とMaryland Univ.責任委託 熱工学など
ドイツPTBとBraunschweig Technical Univ.放 射線,原子分光
英国NPLとCranfield Univ.責任委託 精 密機械工学
オーストラリアNML/CSIRO とSydney Univ.力学標準,材料科学
デンマークFML とDenmark Technical Univ.責任委託 精密機械工学
イタリアIMGC及びIEN とPolytechnico di Torino とTorino Univ.力学標準,原子分光

(責任委託中には標準供給を大学側で分担実施しているものもある.)

注3)責任委託とは,大学が政府から特定の国家標準に関する研究・業務に関して委託を受けて,国家と同じ責任の下に,計量標準に関する国家責任を分担することを指す.
 単なる共同研究・分担研究ではない.

 特記すべきことは,大学に委託されたものと同じ範囲の研究・業務は,その国で,その量に関しては,政府機関では行われないことである.



2.わが国の標準の現状

2-1.政府の今までの対応とその影響
 戦後から1970年代中頃までは,標準の研究並びにその関連技術の開発は,おおむね欧米へのキャッチアップの時代であった.
 関係者の努力によって,標準の研究並びにその成果に基づく一次標準の設定に関しては,とくに国際度量衡委員会など国際的対応の面では,欧米のレベルに接近することが出来た.
しかしながらこの間,政府は一貫して「技術革新」こそが技術立国日本の取るべき道として先端的技術の開発に手厚く国家予算を充当してきた.

 結果として,知的基盤としての標準の研究は相対的に軽視され,この分野からの研究者・技術者の減少が最近まで続き,標準の維持・供給が弱体化して国内のニーズに対応できなくなっているのはもとより,標準の研究の「火種」までが消え去ってしまう恐れすら感じられる.

2-1-1.大学の現状
 わが国でも戦前から戦後の1970年代までは,後に述べるように,標準に関連した研究がいくつかの大学で行われてきており,基礎科学の分野で原子標準や精密測定に関係した講座や研究室が,国際的にも高い評価は受けていたが,それらはここ十数年の間に次々と消えて現在に至っている.
 さらに教育の面でも,科学・技術の基礎でありながら標準についての講義はほとんどの大学で忘れ去られており,標準に関心を持つ人材の育成が期待できない状況にある.

2-1-2.国立研究所の現状
 ほとんどの国立研究所は定員の削減により業務の重点化を余儀なくされているが,標準に関わる大部分の研究所では,真先に標準の維持・供給を担当する技術者が姿を消し,併せて,一次標準の供給に関与しつつ標準の研究に従事する研究者・技術者も激減した.

 15の研究所に約2500人の研究者を擁する通商産業省工業技術院の中で最も標準に関係の深い計量研究所の場合,現在,研究者118人,技術者38人で運営され,時間・長さ・質量・温度・物質量などの基本量の他,力・圧力・速度などの組立量,密度・粘度・熱伝導率・熱膨張率などの物性量の標準を担当しているが,研究者の減少を見れば,幅広く数えても昭和50年には研究者数133名の内85名すなわち比率で64%,昭和60年には研究者数125 名の内55 名で比率44 %,平成8 年には118名の内35名で比率30%と,定員削減の割合にも増して標準の研究従事者が減少していることが解る(注4).
なお,技術者38人は法定計量(検定,検査,型式承認など)の業務に従事する者である.

 このほか工業技術院では,電子技術総合研究所が電気,光,音,放射線などの標準を,物質工学工業技術研究所が標準物質を,また,資源環境技術総合研究所が熱量標準を担当している.
これらの関係部署においても,標準等以外の多くの研究課題に対処しなければならないため,標準に関与する研究者は計量研究所と同様減少の一途を辿っており,標準供給を研究活動の範囲として考えている研究者の数は,公的な数字(注5)をはるかに下回ると推測される.

 アジア太平洋計量計画(APMP)の文献では,工業技術院の中で標準の研究に従事する研究者であって,実務としてトレーサビリティに関与している研究者数は,全体で69人(注6)であるとされている.

 また,郵政省通信総合研究所の周波数標準部門でも,研究者の減少傾向は工業技術院の場合と同様で,昭和61年には25名であったものが,平成元年には22名,平成8年には15名となっている.
諸外国が相当数の研究者,技術者を標準の研究や供給に充当しているのに対して,日本のこの現状は科学・技術の基盤として誠に心細い状況であるといわねばならない.

注4)計量研究所の研究業務を具体的に示す組織規程には,約30種の標準が列挙されているが,量毎の平均担当者数を見積もれば,現状では1量当たり1名しか充当できない.

注5)工業技術院研究計画(平成8年度版),通商産業省工業技術院編,(財)日本産業技術振興協会.

注6)APMP Directory of National/Territorial Measurement Systems,June 1996 .


2-2.国際社会における現在の地位

 前にも述べたように,わが国の標準の研究は,かつてはレベルが高く,国際的にも高い評価を受けて来た.
例えば,戦前には,渡辺襄,今泉門助両氏(いずれも元計量研究所)がカドミウム光源等のスペクトル波長の測定で世界的水準の成果をあげた.
戦後には,基礎物理定数等では,霜田光一氏(東京大学名誉教授)による量子エレクトロニクスに基づく波長・周波数の量子標準(すなわち量子現象に基づく標準)の研究,原宏氏(元電子技術総合研究所,東京大学名誉教授)らによるプロトンの磁気回転比の精密測定,増井敏郎氏(元計量研究所)らによる元素スペクトルによる波長標準並びにリドベルグ定数の測定などがある.
また標準の研究では,大石二郎氏(東京工業大学名誉教授)らによる絶対零度の測定並びに温度標準の確立,小林好夫氏(元計量研究所)によるキログラム原器用精密天秤の開発と質量標準の確立,菅野允氏(元電子技術総合研究所,元玉川大学教授)らによるクロスキャパシタによる電気標準の確立,中村彬氏(元電子技術総合研究所)によるジョセフソン素子の研究,遠藤忠氏(電子技術総合研究所)による量子ホール抵抗標準,ジョセフソン電圧標準の確立などを挙げることが出来る.

 しかし残念なことに,前にも述べたような事情により,近年のわが国における新たな標準の開発・整備は,先進諸国に比べて十分な水準にあるとはいえない状況にある.
 メートル条約の下に設置された量別諮問委員会へは,各国から単位の定義改訂のための基礎となる,或いは単位の実現方法に関する技術論文が提出されるが,わが国からの論文で国際度量衡総会や国際度量衡委員会の決定や勧告に直結するものは,わが国の産業活動や科学・技術水準から見れば極めて少ないと言わねばならない.
 また,自然科学の分野での国際的な討論の場においても,精密・高精度のデ−タが日本の科学者から提出されることは,決して多いとはいえず,その結果として,ノーベル賞の受賞機会をみすみす失っていると指摘する声も多い.

 「標準は,よその国のだれかが作ってくれればよい.
自分達はそれを利用してその先の研究なり仕事をすれば良い」という態度は,いわゆる基礎科学ただ乗りとして批判されるべきであるが,それ以上に,科学・技術において一流たらんとするわが国が採るべき考え方ではない.
なぜなら標準は最先端の科学・技術研究の基盤として必要不可欠であるのみならず,国際社会における貢献という立場からいっても,また直接・間接に国の安全保障に役立つという意味からいっても不可欠であり,わが国は早急に現状を改善するための対応策をとる必要に迫られている.
 ちなみに国際的に認知されている国家標準の数(注7)が,米国の500,オーストラリアの170余,韓国の100余に比較して,日本の約30という数(注8)は,あまりにも少ない状況にある(付録:「諸外国の情勢」を参照).

注7)通産省委託:平成7年度総合開発計画調査「援助対象国の発展段階に即した技術移転方策の多様化に関する総合調査」,(財)国際開発センター,1996年3月.
注8)通商産業省機械情報産業局計量行政室の調べによる.


3.考察

 日本における標準の研究・維持・供給の現状がこのような事態になった原因はいろいろ考えられる.

まず第一にあげなければならないことは,標準の精度向上について科学者の多くが無関心であったことである.
 この分野の仕事は先端研究におけると同様の創意工夫を必要とする上に,多大の時間と労力をかけなければ成就しない.
 例えば,標準の精度をこれまでより1桁向上させるには,すぐれた創造性と大変な努力と費用が必要であるが,その割には,流行を追った先端研究等と比べて,結果に対する学会からの評価が必ずしも高くない.
 その上,ややもすれば研究論文の数に注目し勝ちなこれまでの評価システムからすれば研究者は一層不利な立場に立つことを覚悟せねばならず,報われない仕事はどうしても敬遠されがちである.
 このような分野は,意識的に,確固とした認識をもって育成・支援して行かなければならない.
第一級の標準の無いところに,第一級の科学的デ−タ・科学的研究が育たないことは銘記されるべきである.

 第二に,日本では輸入技術により手取早い経済発展を図るため,面倒でコストのかかるものを自主開発する余裕がなく,実用段階で必要な標準は外国,主として米国に依存して済ませてきたため,標準の研究・開発・供給の大切さについての社会的認識も低いまま今日に至ったという事情も指摘される.
 産業面では,日本の大きな企業は,それぞれが確かな社内基準をもち,徹底的な品質管理を自主的に行なって来た.
 一社の製品が製造・流通・消費の各段階でそれぞれ閉じた形になっていれば,これで十分であろう.
 しかしながら,経済がグローバル化した今日の世界状勢下では,世界的規模で製品・部品の品質基準が外から見える形で確立されていなければならなくなり,すべての計測・試験・検査機器が,国際的に相互承認された国家標準につながっていることを,明瞭にトレ−スできること,すなわちトレ−サビリティの重要性がやっと社会的に認知されるようになったものといえる.

 第三の原因として,わが国における標準の研究が,いくつかの異なる省庁傘下の異なる研究所や大学に分散しているという体制上の問題点も考えられる.
 それらの間の連携は必ずしも希薄であるとはいえないが,標準研究の重要性を主張できるような一体感のある組織にはなり得ず,決して望ましい状況とはいえない.
 その上,標準を所掌する各研究所においては,標準の研究が研究所全体の研究プログラムの中で,マイナ−な部分となっており,そのような環境では,標準の研究者の発言も弱く,研究員確保や予算の配分等の面でもとかく不利な立場に立たされることが多かったと考えられる.

 この議論は標準研究の体制のあり方につながるものであるが,研究組織論としては,
(1)上記のように標準研究担当部門を一元化すべきとする主張と,
(2)個々の標準研究部門はそれぞれの分野ごとの先端研究部門の一部として設置しておくべきであるという見方の両論がある.
後者の見解は,標準の研究はそれぞれの分野における科学・技術の進歩から刺激を受け,それらと密接に関係付けることによってはじめて飛躍と改善が図られるものであり,またそれぞれの分野からのニーズもいち早く受け止められるという考えに拠っている.

 上記の議論は,必ずしも二者択一ではなく,どのような範囲で考えるかによって多少の振れがあることは理解されるべきである.
 また,どのような形であるにせよ標準研究と先端研究とが相互に密接な関係を保つべきであることも疑いない.
しかしながら,後者の考え方で進めてきたわが国の標準研究が現在の弱体化に至った事実は厳粛に受け止めるべきであろう.

 以上ではわが国の標準研究が現状に至った理由を考察したが,さらにわが国では,開発・設定された標準の活用体制にも問題があることも指摘したい.

 標準が作られ,それが現場で使用されるまでには,いくつかの段階がある.
 この各段階には法制度的な規制がある場合が多く,システムはやや複雑である.
 その第一段階は,いうまでもなく『標準の開発・研究』である.
 これは一次標準を設定すること,それを高い精度で安定に維持すること,そして二次標準を検定・校正するなどのいわゆる標準供給の流れを作ることである.
 また,この設定には,新しい原理の探索,より高い信頼度,より普遍的な標準を求めて改良を試みることも含まれる.
 さらに標準が利用される末端に到達するまでには,校正事業・試験事業・品質管理・保証事業などを行う事業者を,各段階で国家が法的根拠に基づき認定していく制度(トレーサビリティ制度:注9)が必要であるが,これらのシステムがよく整備され一元化されていて透明性がよいことが国際的に要求されている.

 残念ながら,このような標準の受渡しの体制の面でのわが国の立遅れは,前にも述べたように,標準の研究以上に深刻であり,国際的な相互承認活動での主導的な立場がとれない状況が続いている.
一刻も早い体制整備が望まれる由縁である.

注9)校正・試験ラボ認定制度,法定計量制度,品質システム認証制度,各種国家工業規格の関連制度などを統合して,国家によって一元的に管理・運営される国家標準供給システム.トレーサビリティは上記各制度の技術的根幹に位置づけられる制度であって,このシステムの質に直結するものである.



4 .提言

 人類が共有すべき知的基盤の一つとしての標準は,単位の大きさを正確に実現するための計測標準,標準物質のほか,基礎物理定数やリファレンスデータを含む標準データなどの総称であるが,それらは,科学・技術の進歩に必要不可欠な基礎的要素であるばかりでなく,産業はもとより一般社会生活に至るまでの人間のすべての活動の基盤でもあり,その研究・開発は調和のとれた学術の発展ならびに経済・社会の健全な発展を支えていくために大きな役割を果たしつつある.

 併せてそれぞれの国の標準の水準はその科学・技術水準を反映するものであり,今日の国際的な環境のもとでは,標準研究も国際競争の一つのツールとなってきている.
 したがって,我が国の弱体化した標準研究体制を抜本的に強化することは,我が国自身の科学・技術の強化のためにも,また経済・社会の発展のためにも,さらには知的領域における国際貢献と,国際競争力の強化の両面での地位向上のためにも現在の喫緊の課題である.

 さらに多くの標準の研究は,その成果が広く活用されて始めてその意義を発揮するものであり,標準の供給体制の整備・強化が同時に推進されねばならない.

具体的には政府及び関係者が次の施策を早急に採るよう提言する.

1.中核となる国立研究機関における標準研究を抜本的に強化すること.
 そのために必要な予算・人員は他の分野と区別して考慮すること.
 すでに発足している科学技術振興調整費による知的基盤研究はこのような強化の一環として高く評価できるが,その中で標準研究については特段の配慮を払うこと.

2.標準研究に関わる優秀な研究者の確保のためには,大学がこの分野に強い関心を持ち,後に述べる国立研究機関との連携等も含めて,標準の研究を活発に行うことが望まれる.
 併せて標準の研究者には,それに相応しい評価基準を設定し優遇すること.

3.開発・設定した標準を維持し,かつ外部へ供給するためには,分野ごとに熟練した技術者が必要であり,優れた技術者を評価・優遇する制度を用意すること.

4.併せて公益法人・民間機関も含めて標準研究の成果の外部への供給が円滑に行えるための体制を整備すること.

5.標準研究における大学と国立研究機関との連携の重要性に鑑み,必要により産業界も含めて標準研究を対象とする共同研究プロジェクトを進める制度の拡充を図るとともに,この分野での連携大学院制度の一層の活用を図ること.

6.標準に関わる基礎研究が大学において活発に行われるよう,標準研究を提案公募型の研究分野の対象として配慮すること.その際,標準研究がしばしば学際的性格を持つことを特に考慮すること.
 また併せて大学等における標準に関わる教育についても配慮すること.

7.国としての標準研究のありかた,方向付け,重点領域の選定,標準研究成果の活用/供給体制の整備方策,標準に関わる人材の育成など,我が国の標準にかかわる施策全般を,既存の各省庁別の縦割り的な管理体制とは離れて一元的に且つ一貫性を持って検討・調整することのできる標準研究・供給コントロールボード(仮称)を新設すること.

その任務としては以下が考えられる.

(1)標準全般に関わる基本的政策
(2)標準の研究課題の選定・評価
(3)標準の研究成果の活用・供給体制の整備
(4)標準研究に関わる国際協力
(5)標準に関わる国際認証制度
(6)標準に関わる国際文書規格(法定計量を含む)

以上


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別紙3


第16期提言書による改善例(工業技術院計量研究所の場合)

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別紙4

標準研究連絡委員会委員長
飯塚幸三様

 拝啓 時下ますますご清栄の事お喜び申し上げます。
 さて物理学研究連絡委員会では、標準研究の重要さを認識し、前期の委員会より引き継いで今期の委員会でも、標準に関する研究の方法や研究の体制などにつき議論をしております。
合わせて昨今話題となっております国立研究所の独立行政法人への移行の問題についても、高エネルギー研究所の事例などとも考え合わせて、重大な関心をもち検討を重ねております。

 ところで我が国の有力な標準研究の機関である工業技術院傘下のいくつかの研究所についても、独立行政法人化への動きにともなって、再編成などの案が議論されているように聞き及びます。
また標準研究連絡委員会におかれては、数回にわたりこのことにつき討議を重ね、あらたな提言を準備されておられると伺っております。
物理学研究連絡委員会でも、ここ2回このことにつき討議いたしました。
討論の内容、物理学者としての認識などをお伝えして、標準研究連絡委員会のご活動を支援いたしたいと存じます。

 物理研究者は、このたびの研究所再編の動きを、前期第5部報告「標準の研究体制強化についての提言」に盛りこまれた趣旨に沿った強力な標準研究所を実現する一つの重要なステップとすべきと考える。

 標準研究、なかでも特に新しい物理標準設定の研究において、物理研究者の担うべき役割を改めて強く認識する。
この研究においては物理研究者と標準研究者双方の不断の努力と協力が必要と考える。

 標準研究者と物理研究者、国立研究所などと大学の間の協力が長期的に、効果的に行われるような仕組みとして、標準研究・開発を一元的にかつ一貫性を持って企画・推進・評価できるような組織が存在することを期待する。

 大学において標準にかかわる講義・講座・研究室が少なくなりつつある実情を考慮し、標準研究に直接貢献出来るばかりでなく、次代をになう研究者を養成するのに必要な要員・環境を大学に確保するよう努力すべきである。
そのためには講座の新設や博士研究員制度・連携大学院制度などの拡充・活用などを積極的に考えるべきである。

 研究所などにおける標準研究の現場が、若い物理研究者にとってさらに魅力ある環境となることが期待される。


 もとより好ましい研究環境は、外から与えられるものではなく、我々自身が勝ち取っていかなければならないものと認識しております。
このたびの研究所などの機構改革が研究者の望む方向に進むよう、我々も努力する所存ですが、標準研究連絡委員会におかれても十分にご議論いただけるようお願いする次第です。
また何らかのご示唆がいただければ、物理学研究連絡委員会でも、更に検討を重ね、必要な行動をとる所存であります。

敬 具

物理学研究連絡委員会委員長
長岡洋介
平成11年5月31日

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