わが国の獣医学教育の抜本的改革に関する提言


「獣医学研究連絡委員会報告」


平成12年3月27日

日本学術会議
獣医学研究連絡委員会


 この報告は、第17期日本学術会議獣医学研究連絡委員会の審議結果をとりまとめて発表するものである。

第17期獣医学研究連絡委員会

委員長 高橋貢(第6部会会員、麻布大学名誉教投)
幹事 唐木英明(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)
幹事 板倉智敏(理化学研究所脳科学総合研究センターグループディレクター)
委員 植村興(大阪府立大学農学部教授)
委員 徳力幹彦(山口大学農学部教授)
委員 濱名克巳(鹿児島大学農学部教授)
委員 平井克哉(岐阜大学農学部教授)
委員 松山茂(社団法人日本獣医師会専務理事)
委員 山根義久(東京農工大学農学部教投)
委員 若尾義人(麻布大学獣医学部教授)


対外報告の要旨(獣医学研究連絡委員会)

わが国の獣医学教育の抜本的改革に関する提言

(1)作成の背景

@ わが国の獣医界では終戦後の学制改革以来、30数年間にわたって獣医学修業年限 延長の請願を行ってきた。その結果、1971年に日本学術会議の総会決議で「獣医学修業年限延長について」勧告が出された。

A この勧告にもとづいて国立大学獣医学科は、相互に統合再編整備等を行い獣医学部を設置して、社会の要請が高い臨床・応用獣医学等の実務教育を充実することを前提として、獣医師法の一部改正ならび学校教育法の一部が改正され、獣医教育の修業年限6 年に延長された(1984年)。

B しかし、国立大学獣医学科の統合再編整備は、各大学間で合意が得られず、獣医学部の設置は据え置かれた。そのため社会の要請が高い実務教育が充実されず、学術的で実務能力の高い獣医師の養成が極めて困難な状況にあった。


(2)現状及び問題点

@ 社会経済の発展にともない獣医師に対して社会の広範囲な分野から、動物医学として多面的で学術的に高度な学識と技術が要請されている。

A しかし、現在の獣医学科における教育体制では、社会のニーズに対応できる実務的で高度な動物医学の教育は極めて困難な状況にある。

B EU諸国が獣医学教育を統一して国際化したことで、わが国においても国際的に対応できる獣医学教育の転換と充実が強く迫られる状況にある。

C わが国の獣医学教育を社会のニーズに対応して実務教育主体性に転換し、国際的な教育レベルに到達しなければ、社会的に大きな影響を及ぼすと同時に、先進国から日本の社会文化の軽度が問われることになる。


(3)改善策と提言の内容

@ 社会的な実務教育の要請ならびに国際的獣医学教育の統一に対応するために、獣医系大学においては獣医学教育の抜本的な改革として、獣医学の教育・研究は獣医学部において行うものとし、学術的に高度で実務能力の高い動物医学教育とすべきである。

A そのために、文部省はこれについて再検討を行い、国立獣医系大学においては獣医学科の統合再編整備または自助努力等によって、十分な教育資源を備えた獣医学部を構築し、現状では極めて不十分な臨床・応用獣医学問連の実務教育を行う施設・設備ならびに教員の充足を図り、動物医学教育の実を挙げるよう提言する。


〔本件問合せ先〕
獣医学研究連絡委員会委員長 高橋 貢(麻布大学名誉教授)
連絡先  町田市つくし野3−25−2   TEL・FAX O427−96−4825


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目次

提言要旨

T 獣医学教育の歴史
1 )獣医学教育機関の変還
2 )獣医学教育内容の変還
3 )獣医学修業年限の延長

U 国内・外の獣医学教育の現状
1 )わが国における獣医学教育の現状
2 )欧米における獣医学教育の現状

V 獣医学教育改善の取り組み
1 )国・公立大学獣医学協議会
2 )私立獣医科大学協議会
3 )全国獣医学関係大学代表者協議会
4 )(財)大学基準協会獣医学教育研究委員会
5 )(社)日本獣医師会
6 )日本学術会議獣医学研究連路委員会

W 獣医学教育の改善と将来展望
1 )国立大学獣医学部の構築
2 )私立大学獣医学教育内容の充実
3 )今後における獣医学の展望

X わが国の獣医学教育の抜本的改革に関する提書



提言要旨

(1)新制大学における獣医学教育

 わが国の獣医学修業年限は、第2 次大戦後の抜本的学制改革の際に、GHQから医学・歯学と同様に6年教育を勧告されたが、当時の獣医界では諸般の事情から、4年制の新制大学にとどまらざるを得なかった。また、修業年限4年制大学の獣医学科における教育では、専門教育が2年であり、改革前における高等専門学校の専門教育3年よりも少なくなった。
したがって、戦後の混乱期における獣医学教育内容は極めて貧弱なものとなった。

 その後わが国の経済復興にともなって、産業動物、小動物あるいは獣医公衆衛生等の各分野で、動物医学としての個体診療あるいは衛生管理の充実が強く求めらるようになり、4 年制の獣医学修業年限では、社会の要請に対応し得ない状況に立ち至った。


(2)獣医学修業年限の延長

 わが国の獣医界は、戦後一貫して獣医学修業年限を延長し、社会的な要請ならびに国際的レベルに対応できる獣医学教育の向上を主張し、永年にわたって請願運動を続けてきた。
その結果、1971 年(昭和46 年)に日本学術会議から「獣医学修業年限延長について」の勧告が出された。
この勧告にもとづいて国立大学は再編整備を行い、とくに臨床・応用獣医学等の実務教育を充実することを目的として修業年限を延長することとなった。
しかし、獣医学の修業年限を一挙に6年制とすることは諸般の事情で困難であったことから、獣医師法の一部改正によって大学院修士課程を利用し、積み上げ方式によって暫定的に修業年限を6年とし、獣医学の6年教育がスタートした。
ついで、1983年に学校教育法が一部改正され、獣医学修業年限が6牢一貫教育となり、大学院修士課程が廃止され標準修業年限4 年制の博士課程が設置された。

 このように形式的には獣医学修業年限が6年に延長されたが、実務教育の裏付けとなる教員数ならびに講座数の増設は極めて不十分であった。
これに対応するために各国立大学は相互に獣医学科の統合再編整備を行い、スケールメリットを図って獣医学部を設置するための検討が行われたが、直ちには実現せず、修業年限6 年制の実施には間に合わなかった。
そのため所期の目的であった臨床・応用獣医学等の実務教育を充実するための施設・設備ならびに教員等の充足は実現しなかった。
その結果、教育時間数が延長されて基礎獣医学は教育・研究ともにある程度は充実したが、実務教育はほとんど変わらず、とくに多くの国立大学においては、獣医師国家試験出題科目の17科目に対応できない体制で教育が行われてきた。
そのため実務教育教員の負担増が大きく学生の教育に大きな支障をきたしているのが実状である。
1983年学絞教育法を一部改正し獣医学修業年限を6年に延長した際に、文部省は、国立大学獣医学科の統合再編整備については、一時中断するとしても機会があれば再開して獣医学部を設置するものとし、現在においてもその方針は変更されていない。


(3)獣医学に対する社会的要請

 わが国の社会的成熱と経済の発展にともなって、獣医学に対する社会的な要請は欧米諸国と同様に産業動物分野、小動物分野、野生動物分野、獣医公衆衛生分野、環境衛生分野、人と動物の関係分野、動物愛護関係分野あるいは動物介助療法(アニマルセラピー)等で、獣医学に対して多岐にわたって多様な要請がなされている。
とくに動物の疾病に関しては、動物の種別毎に個体の診療各科にわたって専門的で高度な動物医療が要請されている。
しかし、現在の獣医学教育では、これらの要請に応えられるだけの教育体制が整備されていないため、実務教育が極めて貧弱であることから獣医師の技術的または学術的な未熟に対する社会的な批判が強い。

 また、基礎獣医学や野生動物学では、地球的または国際的な視野で人と動物の共生を図るために国際的な学術交流が求められている。

 一方、このように多面的で多様性のある社会的要請に対する獣医学の将来性に大きな魅力と関心が高まり、獣医学専攻を目指す入学志額者が増加し、国・公・私立を問わず10数倍の入学率が長期にわたって続いている。
このように優れた人材を多数受け入れている大学の獣医学科では、これらの人材育成に対する責任は極めて重いことを痛感していると同時に、社会的な要請と国際的に対応できるような教育が強く求められていることも深く認識している。


(4)欧米の獣医学教育

 わが国は戦後に急速な経済復興を遂げて先進国となったが、獣医学の教育内容に関しては欧米諸国の獣医学教育レベルに到底及ばないのが現状である。
 欧米諸国における主な国の獣医系大学の数はアメリカ27校、カナダ校4校、イギリス6校、フランス4校、ドイツ6校、イタリア10校、スウェイデン、ノルウェイ各1校、オーストラリア5校、韓国10校、タイ3校、マレーシア1校等であるのに対し、わが国では16校となっており、諸外国に比較して獣医系大学が圧倒的に多い。

 欧米諸国の獣医学修業年限は、各国の事情によって多少異なるがおおむね6〜7年で、そのうち専門教育は4〜5年であり、臨床や応用獣医学の実務教育が中心となっている。
そして動物医学として多分野にわたり高度で学術的な専門教育が行われている。
実務教育の内容は、卒前教育によって実社会で直ちに役立つ獣医師としての専門教育である。
また、卒後教育としてインターン制度、レジデント制度、専門医制度が確立している。
しかし、欧米諸国においても各大学の教育内容に格差があることから、EU諸国は獣医学教育基準の統一について10数年前から検討し、1998年にその統一が実現した。

 これにともなってわが国の獣医学教育も実務教育の充実を図り、早急に欧米の獣医学教育水準に引き上げなければ、欧米諸国の獣医学教育に立ちおくれるだけでなく、家畜やその他の動物あるいは畜産物等の輸出入検疫、動物の新興・再興伝染病の防御、動物性輸入食品の安全性確保あるいは学術情報の交流等において、国際的に重大な支障を来すおそれがある。
また、動物愛護に関する教育レベルが低いことは、先進国を自認するわが国の社会文化の程度が問われることになる。


(5)獣医学教育の抜本的改革に関する提言

 以上のような国内・外の獣医学教育事情ならびに社会からの多面的な要請と国際的な趨勢に対応するため、今後におけるわが国の獣医学教育について、次のような抜本的改革を提言する。

1.社会的な実務教育の要請ならびに国際的獣医学教育の統一に対応するために、獣医系大学においては獣医学教育の抜本的な改革として、獣医学の教育・研究は獣医学部において行うものとし、学術的に高度で実務能力の高い動物医学教育とすべきである。

2.そのために、文部省はこれについて再検討を行い、国立獣医系大学においては獣医学科の統合再編整備または自助努力等によって、十分な教育資源を備えた獣医学部を構築し、現状では極めて不十分である臨床・応用獣医学関連の実務教育を行うための施設・設備ならびに教員の充足を図り、動物医学教育の実を挙げるよう提言する。

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T 獣医学教育の歴史

1)獣医学教育機関の変還

 わが国で西洋獣医学の教育が始まったのは1878年(明治11年)駒場農学校でヤンソン教授が、札幌農学校ではカッター教投が獣医学教育を行ったのが最初である。その後1883年大阪獣医学講習所、1884年に岩手県宗獣医学校が開設され、1885年(明治18年)に獣医師免許規則が公布されて、行政的にも農商務省に畜産・獣医課が設置された。

 1890年に東京帝国大学(現東京大学)に獣医学科が設置されて、大学4年制の獣医学教育が開始された。
 また、1907年に東北帝国大学農科大学(現北海道大学)にも獣医学講座が開設された。
 1893年には陸軍獣医学校が設立されて、軍馬のための獣医師養成が行われた。
 その後、各地の農学校に獣医科が設けられ中等教育としての獣医学教育が行われたが、1902 年に盛岡高等農林学校に獣医科が設けられ、1930〜1938年にかけて東京高等獣医学校、麻布獣医専門学校、日本高等獣医学校など私立の中等教育が専門学校教育に改組されて獣医学教育が行われた。

 また、1935年に、東京高等農林学校が創立され獣医学科が設置された。
その後、縣立の農学校が高等農林学校となり宮崎、鳥取、鹿児島、帯広、大阪、岐阜、宇都宮が高等農林学校となり獣医科が設置された。

 また、1944年に慶応獣医畜産専門学校が設立された。

 このように獣医学教育は馬医や伯楽による東洋医学を応用した時代から、明治時代に西洋獣医学が導入されて、中等教育の農学校における獣医学教育を経て、高等教育の専門学校または大学において獣医学教育が行われてきた。

 1949年(昭和24年)に日本の教育が抜本的に学制改革された際に、それまで行われていた農学校獣医科、高等農林学校獣医科、検定獣医師制度、獣医手制度等が廃止となり、GHQの獣医学修業年限6年の勧告を受けたにもかかわらず、諸般の事情から4年制の新制大学獣医学科となった。

 この時、宇都宮高等農林学絞の獣医学科と慶応獣医・畜産専門学校が廃校となった。
従って新制の4年制大学は、東京大学農学部獣医学科、北海道大学農学部獣医学科、帯広畜産大学獣医学科、岩手大学農学部獣医学科、東京農工大学農学部獣医学科、岐阜大学農学部獣医学科、山口大学農学部獣医学科、鳥取大学農学部獣医学科、宮崎大学農学部獣医学科、鹿児島大学農学部獣医学科の10校となった。

 また、公立大学として大阪府立大学農学部獣医学科1校、私立大学として日本大学農学部獣医学科、日本獣医畜産大学獣医畜産学部獣医学科、麻布獣医科大学獣医学部獣医学科の3校で計14校が4年制の修業年限で獣医学教育を行うこととなった。

 そして時期は異なるが国立大学2校、公立大学1校、私立大学3校には大学院修士課程と博士課程が設置されたが、他の国立大学8校には修士課程のみが設置された。

 その後、1964年に酪農学園大学酪農学部に、1966年に北里大学畜産学部に獣医学科が新設され、現在は国立10大学、公立1大学、私立5大学に獣医学科が設置されている。このうち獣医学部となっているのは北海道大学、酪農学園大学、麻布大学の3校のみである。

 1973年獣医師法の一部改正、1984年に学校教育法が一部改正になって、獣医学修業年限が6年一貫教育となり、大学院は修士課程を廃止して博士課程の標準修業年限が4年制となった。

 但し、大学院博士課程を設置しなかった国立大学8校では、岐阜大学と山口大学の2校を拠点絞として東・西の連合大学院博士課程が漸定的に設置された。


2)獣医学教育内容の変還

 明治碓新によって西洋文化の導入と共に乳肉用家畜ならぴに役用家畜が導入され、農業生産の発展にともなって畜産業も発達すると同時に、これらの動物の診療あるいは乳肉食品の衛生管理に西洋獣医学の必要性が認識され、太政官布告として獣医免許規則が公布された(1885年)。
一方、軍当局においては、兵器としての軍馬の診療に、あるいは食品衛生管理に獣医師の養成が必要であったことから、職業軍人としての獣医師が養成された。

 このような時代背景から当時におけるわが国の獣医学の教育内容は、家畜伝染病に関する診療あるいは予防に関する基礎的な研究が主体であり、臨床は軍馬を主体とした教育内容であった。

 しかし、第二次世界大戦後の混乱期を経て、農業や社会構成の変化から獣医師に対する社会的な要請も次第に変ってきた。
また、法的な整備も行われ、獣医師法を中心として農林水産分野では家畜伝染病予防法、家畜改良増殖法、農業災害補償法、獣医公衆衛生分野では、と畜場法、食品衛生法、狂犬病予防法、動物愛護法あるいは薬事法などが整備された。

 さらに最近では医学における感染症の予防および感染症患者の医療に関する法律にも獣医師の責務が明記された。獣医師の社会的な活動分野も農林水産分野、小動物臨床分野、野生動物関係分野、動物愛護関係分野、獣医公衆衛生分野、パラメディカル分野、環境衛生分野、人と動物の関係分野あるいは海外協力関係分野と広範囲にわたり、獣医学教育に対する社会的な要請も、その時代によって次第に広範囲で多岐にわたるようになってきた。

 さらに、日本の経済復興と科学の進歩発展によって、労役に使用された牛・馬は農機具に転換したが、動物蛋白資源として蒙畜の生産が急速に進展し、産業動物の診療ならびに予防に対する獣医学術に関する要請が強くなり、産業動物臨床医学が急速に発展した。

 また、犬や猫その他の愛がん動物が次第に増加し、経済的に豊かになり伴侶動物(コンパニオンアニマル)が増加したことから、小動物臨床医学は欧米の獣医学の導入によって著しい発展を遂げてきた。

 しかしながら、戦後における獣医学修業年限は、4年制の大学教育に改変されたが、獣医学教育内容の充実は進展しなかった。

 4年制教育の前期2年間は教養課程の教育で、専門教育は後期の2年間だけであり、改変前の専門学校における専門教育よりも改変後の専門教育時間が減少する結果となった。

 また、戦前の獣医学における専門教育のうち、臨床教育は陸軍獣医学絞が実務的な教育を行っていたこともあって、各専門学較や大学における臨床教育や獣医公衆衛生等の応用獣医学の教育は極めて貧弱なものであり、家畜の伝染病に関する基礎獣医学の教育が主体であった。
 この教育体制は戦後における修業年限4 年制大学ならびに6年制大学に移行しても依然として変らなかったことに、今日における獣医学教育体制の大きな悔みと問題が生じている。


3)獣医学修業年限の延長

 第2次大戦後の抜本的学制改革が行われた際に、GHQから獣医学教育の修業年限は医学・歯学とともに6年制を勧告された。
 医学・歯学は6年制に移行したが、当時のわが国における家畜頭数や軍人獣医師の廃退による獣医師数の余剰あるいは教育費用等の事情によって、獣医学教育の修業年限は4年制大学へ移行するに止まった。

 また、欧米のような狩猟民族と我われのような農舛民族との違いあるいは動物に対する宗教的な観念もあり、当時のわが国においては、今日のような獣医師の活動分野の拡大が想定できなかったことが、一挙に修業年限を6年制に移行できなかった大きな理由であった。

 当時の獣医学関係者が欧米の獣医学事情に精通していたとすれば、GHQの勧告を容易に受け入れ、今日のような獣医学教育の混乱を招くことはなかったであろうと反省される。

 修業年限4年制大学の獣医学科における専門教育期間が2 年間であり、そのうえ従来から家畜の伝染病を撲滅することを目的とした教育の流れから、基礎獣医学の教育に多くの教育時間が割かれたため、産業動物臨床や小動物臨床あるいは獣医公衆衛生等の実務教育の時間数が全体の1/3にも満たない状態であった。

 さらに、実習や演習に要する施設・設備の不備と、実務教育を行う教員の絶対的な不足から、社会の要請に対応できる教育は不可能な状態であった。
 このために、学生は国家試験に合格し、獣医師の資格を取得するにとどまり、現場で働く獣医師は就職してから、個別に卒後教育を受けて実務的な勉強をする状態であった。

 また、現場では大学の教育・研究に対する期待が持てず、自から欧米に研修や視察に出掛け、自助努力によって獣医学術の向上を図ったり、外国文献や雑誌あるいは専門書の翻訳等によって、欧米の学術を広く取り入れるようになった。
その結果、大学の獣医学教育に対する社会的な批判が一層高まってきた。
 とくに小動物臨床分野では、戦後の約40年間で現場では著しい発展を遂げてきたのに、各大学におけるこの分野の教育体制は依然としてあまり変っていない。

 また、実務的に貧弱なわが国の獣医学教育では、当然、欧米諸国に対応できず、大学卒業の獣医師資格をもっていても、欧米諸国での研究や留学あるいは視察等で相手国と接衝した場合、教育年限の点で相手国と同等の資格とは認められなかった。

 このように、修業年限4 年制大学の獣医学教育では、将来ともに欧米諸国と同等のレベルに達しなければ、国際的に問題が生ずると同時に、わが国においても社会経済の発展によって獣医学術の向上に対する要請に対応できないことは明らかであった。
 このことから獣医学の発展だけでなく、社会的に専門的な知識人としての獣医師の養成に大きな問題が起こることを懸念して、戦後一貫して獣医学の修業年限を6年に延長する努力が続けられてきた。

 その経緯は1950〜1965年にかけて、主として文部省に対してさまざまな角度から獣医学修業年限延長の請願運動を行ってきた。
 ついで、1966〜1974年にかけて、日本学術会議において獣医学修業年限延長の必要性を訴え、1971年11月9日付けで日本学術会議がこれを承認し、内閣総理大臣に対し「獣医学教育年限の延長について」勧告が出された(資料1)。
この勧告から3年後の1975年6月に文部省に「獣医学教育改善に関する調査研究会議」、7月に農林水産省に「獣医師問題検討委員会」が設けられ、これによって農林水産省は獣医師法を一部改正し大学院修士課程積み上げ方式で、修業年限6年の教育を受けた者に獣医師国家試験受験資格を与えることとした。

 これによって文部省は、漸定的に大学院修士課程を利用した修業年限延長とし、獣医学教育基準(表1)が作成され、局長通達として各獣医系大学に獣医学教育修業年限の延長が通達された。
しかし、このような漸定的な修業年限の延長を是正するために、1978年に文部省に第2次調査会「獣医学教育の改善に関する会議」が設けられ、国立大学の統合再編整備を行い獣医学部を設置することが検討されたが、各較ともに意見の統一が見られなかった。

 続いて1981年に文部省に第3 次調査会「獣医学の改善に関する調査研究会議」が設けられ、国立大学の統合再編整備による獣医学部の設置は当面困難であるが、6牢一貫教育の整備は諸般の事情から急ぐ必要があるとして、学位教育法を一部改正し、農学部獣医学科のまま6年一貫教育を行うこととなった。
そして1983年6月24日に文部省令第23号、文部省告示第88号として獣医学科のまま学部6年制の獣医学教育基準(表2、3)が提示された。
 また、各大学における獣医学科の講座数と入学定員が明示(表4)されて、獣医学修業年限は小規模ながら6年一貫教育となった。

 このときに、各大学に設置されていた大学院修士課程は廃止され、国立2大学、公立1大学、私立5大学には標準修業年限4年制の大学院博士課程が設置され、他の国立8 大学には漸定的に東・西に拠点校を置く連合大学院が設置された。

 このように日本学術会議、日本獣医師会、大学基準協会、全国獣医学問係大学代表者協議会、さらには大学間の非公式会議等が頻繁に開催され議論がなされたことによって、農林水産省および文部省が重い腰を上げることになり、念額であった6年一貫教育の体制が形式的には一応整った。しかし、獣医学修業年限延長の最大の目的であった統合再編整備による獣医学部の設置、そして臨床や応用獣医学等の実務教育を行う施設・設備ならびに教員の充足は据え置かれたまま19 年間を経過して今日に到っている。

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U 国内・外の獣医学教育の現状

1)わが国における獣医学教育の現状

 獣医系国立大学10校のうち、北海道大学は学部学生定員40名で獣医学部を構成しているが、他の9校は学生定員30〜40で農学部獣医学科であり、講座数または研究室数が9〜17、公立1校は15、私立5校は17〜26であり、大学間によって講座数または研究室数に大きな格差がある。

 また、卒業に必要な教育時間数は182単位としているが、講座数または研究室数や教員数ならびに教育の施設・設備の不備から、教育内容も大学間の較差が大きい。
 そのために教員と学生とのコミニュケーションが必ずしも良好な関係にあるとは限らなかったり、教授される学生側に不満が生じている場合も少なくない。

 さらに教員は182単位の教育時間数を消化するために、かなり多くの科目数と教育時間を担当し、過重な教育負担を強いられることになり、教育の質的な低下を来す結果を招いている。

 また、獣医師として専門的で高度な知識人を養成するには、実務教育あるいは体験教育が絶対に必要であるが、そのための教育施設・設備や教員数の不足から、全体の教育時間数のうち教養課目を含む専門教育の約2/3 が講義であるのに対し、実習や演習のための時間数は約1/3に過ぎない。
 この比率は欧米の獣医学教育に比較して正反対であり、実務教育の成果が挙らない大きな理由になっている。基礎獣医学は教育年限延長によって、欧米に比較して優るとも劣らない教育体制が整備された。
 しかし、臨床または応用獣医学の教育体制は極めて不十分であり、実社会に出て実際に役立たない獣医師という批判の原因ともなっている。

 また、わが国の獣医学教育体制は、卒後教育としてインターン制度やレジデント制度あるいは専門医制度が設置されておらず、実務教育の支援体制が欠除していることや、獣医師国家試験は筆記試験が中心であり実務試験がほとんど行われていないことも、臨床や応用獣医学等の実務教育の効果が挙がらない大きな理由となっている。


2)欧米における獣医学教育の現状

 諸外国における主な国の獣医系大学はアメリカ7校、カナダ4校、イギリス6校、フランス4校、ドイツ6校、イタリア10校、オーストラリア5校、スウェーデン、ノルウェー各1校、韓国10校、タイ3校、マレーシア1校等であり、家畜頭数や飼育動物頭数あるいは畜産規榎等に比較して、わが国の獣医系大学16校は圧倒的に多い状況にある。

 欧米諸国の獣医学教育は、教養課程を含まない専門教育が4 〜5年であり、社会的には医学と同様に高度な専門教育がなされていることから、獣医師の社会的な地位が高い。

 獣医学部に入学する学生は、米国では多くの場合bachelor を取得しており、欧州では高校での選抜条件がかなり厳しく、獣医学の専門教育を受ける以前に理系または生物系あるいは教養の単位を取得することが義務づけられている。
 獣医学部に入学して専門教育4 〜5年のうち、2 〜3年間は動物病院や牧場あるいは獣医公衆衛生の現場での実務教育が行われており、獣医学部を卒業して獣医師の資格を得た卒業生は、社会に出て直ちに役立つ獣医師として、実社会で十分に活耀できる程度の教育がなされている。

 このような獣医学教育はDepartment またはVeterinary Schoolとして独立しており、日本のように獣医学科単位の教育体制をとっている国は他にみられない。
 また、実務教育を行うための教育施設・設備あるいは教員や教育支援体制が充実しており、教育・研究にかかわるスタッフは学生数に対して約2 倍程度である。
 そして実務教育は小人数制でrotation system による実地教育が多い。

 また、欧米ではインターン制度、レジデント制度あるいは専門医制度が確立しており、高度な教育体制が整備されている。
さらにこれを支援する獣医看護士制度も確立されている。

 米国における獣医師資格(D.V.M )を取得するにはUS board とState boardに合格しなければならない。
 ヨーロッパては獣医科大学の卒業条件を満たせば国家試験がない国が多い。
 しかし、いずれも実務教育の成果に重点を置いた試験または卒業認定はかなり厳しいものである。

 このような教育体制にありながらEU 諸国ならびに北米、カナダの問では、獣医学教育基準が統一されている。
その背景には動物の伝染病予防、食品とくに動物性食品の安全性の確保、食糧や動物あるいは人の交流による伝染病の防御、人獣共通感染病の防御、新興・再興性感染病の防御、コンパニオンアニマルの高度医療やアニマルセラピー、野生動物保護あるいは動物愛護の問題等について、国際的に共通した学術をもって対応しなければならない状況下にあるからである。
東南アジアのフィリピン、マレーシア、タイ、インドネシア等では、従来からヨーロッパの獣医学教育体制の影響を強く受けていることから、EU諸国の獣医学教育国際基準の統一化が比較的容易な状況にある。

 しかし、中国、台湾、韓国そして日本では、現状の獣医学教育体制である限り、実務的な臨床または獣医公衆衛生等の応用獣医学教育に大きな格差があり、これが転換されない限り国際的な獣医学教育の統一化に対応できない状況にある。
したがって今後EU 諸国または北米、カナダ等から獣医学教育の国際化を迫られる可能性が高い。

 また、先進国を自認する日本の獣医学教育が欧米諸国の獣医学教育に比較して著しく劣ることは、国際的な対応について非難を受けるだけでなく、わが国における動物医療の高度化、動物性食品の安全性確保、獣医公衆衛生・環境衛生、野生動物医学あるいは動物愛護に関する教育レベルの低下が、日本人の生活に大きな影響を及ぼすことは欧米諸国の例をみても明らかであり、日本の社会文化の低さが問われることにもなる。

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V 獣医学教育改善の取り組み

 学絞教育法の一部改正により、獣医学教育の修業年限が6年制となり大学院標準修業年限4年制の博士課程が設置された。
しかし、教育年限延長に伴う教育施設・設備、教員数ならびに教育内容の充実については、国・公・私立大学ともに漸定的な改善が図られたのみで、抜本的な改善が行われずに今日に至っている。

 とくに国立大学においては、獣医学科9〜10講座で6年制教育を行っていることから、獣医学教育の必須科目や獣医師国家試験に出題される17 科目の教科を全て教育することが困難な状況にある。

 また、教育支援体制が整備されていない状態では、実務教育の教育内容が質的に低下し社会で役立つ獣医師としての人材養成が困難な現状にある。

 獣医業界または一般社会においては、獣医学修業年限が6年に延長されたことによって、これまで以上に専門的で高度な獣医師としての期待が大きい。
 そして動物に関する診療や予防の面では産業動物臨床、小動物臨床、野生動物医学等において、各種動物毎にそれぞれの診療科目で多岐にわたって専門的で高度な動物医療が要請されている。
 また、動物医療以外に獣医公衆衛生分野、環境衛生分野、人と動物の関係分野あるいはアニマルセラピーや動物愛護関係分野ならびにパラメディカル分野においても、獣医師として高度な学識をもつ専門的な活難が期待されるようになった。

 一方では10 数年前から提案されていたEU諸国における獣医学教育基準の統一が実現したことから、わが国における獣医学教育をこの基準に合わせて国際化しないと、今後における諸外国との畜産物や動物性食品の検疫あるいは獣医学情報等の交流に大きな支障を来すおそれが生じてきている。

 このような状況を抜本的に改善するために獣医学関係諸団体が卒前・卒後の獣医学教育の内容充実に向けて、多大な努力を重ねている現状である。

1)国・公立大学獣医学協議会

 東京大学、北海道大学、帯広畜産大学、岩手大学、東京農工大学、岐阜大学、山口大学、鳥取大学、宮崎大学、鹿児島大学の国立大学10校と、大阪府立大学の公立大学1校の計11校の獣医学科の代表者を会員とする国・公立大学獣医学協議会が、1999年3月をもって計45回開催されている。

 国公立大学11校の学生定員は30〜40名であり、教員1名当たりの学生数は1.4〜0.6名である。講座または研究室は、北海道大学が4大講座17研究室、東京大学2大講座12研究室、他の国立8大学は9〜10講座で教員数は21〜49名、公立1大学は15講座で教員数59名である(いずれも平成10年度)。

 この協議会では国・公立大学の獣医学科における獣医学教育と研究その他の関係事項について協議し、教育・研究の改善や情報交換が行われてきた。
 そして獣医学修業年限の6年一貫教育が実施されてから17年間にわたり、獣医学の教育内容を充実する方策についてさまざまな議論を重ねてきた。

 その結果、各大学の獣医学科では現状のままでは社会の要請ならびに国際的な獣医学教育基準の統一化に対応できないことは明白であるとして、統合再編整備または自助努力によって獣医学部を構築し、獣医学教育内容の充実を図ることでコンセンサスが得られている。


2)私立獣医科大学協議会

  酪農学園大学獣医学部獣医学科、北里大学畜産獣医学部獣医学科、日本大学生物資源学部獣医学科、日本獣医畜産大学獣医畜産学部獣医学科、麻布大学獣医学部獣医学科5校の代表者によって私立獣医科大学協議会が構成され、私立大学としての獣医学教育・研究の充実、その他について協議し情報交換に努めてきた。そして基礎獣医学中心的な教育体制から実務的な臨床または応用獣医学の教育体制を充実するための努力がなされ、動物臨床センターの施設・整備を充実している大学もある。

 また、私立5大学では酪農学園大学獣医学部ならびに北里大学獣医学科は18 、日本獣医畜産大学獣医学科は17、日本大学獣医学科は22、麻布大学獣医学科は26の講座または研究室が設置されており、大学院博士課程もそれぞれ設置されている。
 しかしながら、私立大学5校の学生定員は80〜120名であり、これに対し教員数は41〜56名で、教員1名当りの学生数は1.9〜2.9名で、国立大学の約2倍である。
 このように、各大学ともに教育施設・設備や教員数が必ずしも十分とはいえないことから、各大学の創意工夫と自助努力によって教育内容の充実を図ろうと努力している。


3)全国獣医学関係大学代表者協議会

 国 ・公立大学獣医学協議会ならびに私立獣医科大学協議会の合同会議が全国獣医学関係大学代表者協議会である。
この協議会は1999年4月で第70回となるが、約30年間にわたって獣医学教育に関するさまざまな議論が行われてきた。
とくに獣医学修業年限が6年に延長されてからは、国・公・私立大学ともに教育内容の充実について精力的な議論を重ねてきた。
そして1998年8月に大学基準協会でとりまとめられた「獣医学教育に関する基準」について次の2点で合意した。

1)本協議会は「獣医学教育に関する基準」の速やかな実現にむけて最大限の努力をする。
2)本協議会は「獣医学教育に関する基準」を実現するための各大学の努力を全面的に支壊する。

この合意に基づいて本協議会は各大学における獣医学教育内容の改善について、さまざまな支援ならびに協議を行ってきた。

 また、1998年9月7日付をもって、本協議会を筆頭に国公立大学獣医学協議会、私立獣医科大学協議会、日本学術会議獣医学研究連絡委員会、(財)大学基準協会獣医学教育研究委員会、(社)日本獣医学会、(社)日本獣医師会の連名で文部省高等教育局長宛に「獣医学教育の充実について」の要望書を提出した。

 さらに本協議会会員を研究分担者として1999年度科学研究費基盤研究A(代表者:唐木英明)の交付を受けて、獣医学教育の抜本的改善の方向と方法に関する研究が開始されている。


4)(財)大学基準協会獣医学教育研究委員会

 大学基準協会における獣医学教育問題に関して、1947年に獣医学教育基準分科会が設置されたが、1983年に獣医学教育研究委員会に改組され、現在に至るまで約52年間にわたって継続している。
 その間、1949年に「獣医学教育基準」が決定され、これがその後、数回にわたって改訂されたが、1983年に学校教育法の一部改正にともない、獣医学修業年限が6年制となったことによって、獣医学科における専門教育科目(表3例示)が承認され、これが文部省告示による獣医学修業年限6 年制の獣医学教育基準となった。
 ついで、1986年に「獣医学教育に関する基準およびその実施方法」が改訂され、1988年に「獣医学に関する大学院基準」およびその解説が決定された。
 委員会は引き続き獣医学教育の向上に関する検討を重ね、1990年から「獣医学教育に関する基準」の改訂に取り組み、1997年に獣医学修業年限6年制の学部教育基準として大幅な改訂を行い、現在、各大学は、この改定された基準にしたがって教育内容の充実を図る努力がなされている。

 また、EU諸国の獣医学教育基準の統一化が実現したことから、大学基準協会は3名の委員をヨーロッパに派遣し、ミュンヘン、ベルリン、ゲントの各大学の獣医学部を視察してEU 獣医科大学の評価基準を調査した。
さらに、現在は「獣医学大学院の教育に関する基準」の改定と、獣医系大学の外部評価に関する基準の作成に取り組んでいる。


5)(社)日本獣医師会

 日本獣医師会は、1947年頃から全国獣医学関係大学代表者協議会、大学基準族会獣医学教育研究委員会あるいは日本学術会議獣医学研究連絡委員会等と連携を保ちながら、農林水産省や文部省等の行政機関と接衝し、獣医学の修業年限延長の請顧に協力してきた。

 一方、獣医師の卒後教育や生涯教育に多大な努力を払うと同時に、獣医学教育に関する社会的な要請の現状調査を行って、多方面から貴重な資料を提供した。

 とくに1998年に公表した獣医学修業年限6 年制獣医師に関するアンケート調査の結果は、卒前教育の教育内容とくに臨床と公衆衛生分野の基礎知識と技術的教育が極めて不充分で、卒業生の質に対する実社会の大きな不満が環示された。
 また、獣医系大学の教員に関するアンケート調査では、獣医学修業年限6年制発足後の国立大学における講座数または研究室あるいは教員数の手当が、全く計られていないかまたはわずかに計られているを含めて85 %にも達し、設備については73%以上が不充分だとしている実状が示された。
 各大学の獣医学教育の内容は、国・公・私立大学ともに全ての面で不充分であるが、とくに国立大学においてはその差が著しいことも明らかにされている。


6)日本学術会議獣医学研究連絡委員会

 本委員会では、獣医学教育ならびに獣医学研究に関する連絡協議を行ってきた。

 第16期の獣医学研連においては「獣医学教育の内容充実について」獣医学教育改革の経緯、国・公立大学獣医学協議会、全国獣医学関係大学代表者協議会、大学基準臨会獣医学教育研究連結委員会、(社)日本獣医師会の代表者のヒアリングと総合討論を行い、これを取りまとめた。

 また、「21世妃における獣医学の研究動向について」畜産試験場、家畜衛生試験場、獣医公衆衛生、小動物臨床の代表者のヒアリングと総合討論をとりまとめた。
そしてこれらの資料を日本学術会議に登録している学協会と獣医学教育ならびに試験研究機関等に配布して、獣医学教育ならびに研究の相互連絡と協力を要請した。

 第17期においては獣医学教育の改善と国際化に関する課題として、国立大学の統合再編整備に関する報告や大学基準協会、全国獣医学関係大学代表者協議会、ならびに日本獣医師会等の報告を受け、これについて協議を進めてきた。
そしてこの課題をとりまとめ獣医学研究連絡委員会の対外報告を行うこととした。

 また、全国獣医学関係大学代表者協議会との共催で獣医学教育に関するシンポジウムを開催し、国・公・私立大学の獣医学教育の現状と将来展望について討議した結果、国・公・私立大学ともに速かなる獣医学教育の充実を図らなければ、獣医学に対する社会的な要請ならびに獣医学教育の国際基準化に対応できないとの結論に達した。

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W 獣医学教育の改善と将来展望

 1983年に文部省令第23号、文部省告示第88号で定められた大学設置基準に提示された修業年限6年制の獣医学教育基準としての単位数は、一般教育科目、外国語科目および保健体育科目については48単位、専門教育科目については134単位の合わせて182単位(4,200時間)以上の修得が卒業要件となっている。
 1単位をA単位(15時間)とすれば2,730時間、日単位(30時間)とすれば5,460時間、C単位(45時間)とすれば8,190時間となる。

 現在わが国の獣医系大学では、講義はA単位を、実習または演習をC単位としてこれを組み合せ、卒業要件の182単位を満たす教育が行われており、総時間数にして約4,000時間を越えているのが実情である。

 欧米の獣医学教育時間数は、専門教育時間数が少なくとも3,500 〜5,000 時間以上となっているが実務教育が多いことから実際には5,000 〜6,000 時間以上となっている。
教養課目時間数は含まれていない。

 しかしながら、欧米の獣医学とわが国の獣医学教育で大きく異なるのは、講義時間数と実習または演習時間数である。
欧米では総時間数の約1/3が講義時間数であり、2/3が実習または演習時間数である。
これが実際に社会に出て活躍できる高度な専門的学術を有する獣医師の養成に大きく役立っている。

 わが国においてはその反対で、実習または演習時間数が総時間数の1/3程度に過ぎないため、理論的な知識はあつても実社会で役立つ専門的な実務教育が不足し、獣医師として未熟な活躍しかできない大きな原因となっている。
その理由は実習または演習を多くするには施設・設備が必要であり、また、教員数の増加や動物飼育等の支援体制が必要となることである。

 わが国の獣医学教育が何故に講義主体となったかについては、基礎獣医学は講義または実験室内での実習で賄うことができるが、臨床や応用獣医学では、動物病院やフィールドでの実習または演習が必要となる。
 また、そのための施設・設備と機動力そして動物飼育等の支緩体制ならびに実務経験のある教員が必要である。
同時に、小グループ制による教育でなければ実際の教育効果が挙らないために、さらに多くの教員が必要となることから、実務教育の実施が困難であるため、これを講義に置き換えて教育していることにある。

 したがって、わが国の獣医学教育内容を抜本的に改革して、獣医師として社会の要請に対応できる高度な獣医学教育を行って国際化を図るには、臨床・応用獣医学等の実習または演習に重点を置く実務教育に転換することが急務である。
それには実務教育の施設・設備(とくに動物病院)を拡充し、実務教育を行うスタッフの増員と支援体制の充実を図るべきである。
これらの抜本的な改革が各大学の自助努力や国立大学の統合再編整備によって実施されるとすれば、現在の社会的要請に対応できるだけでなく、わが国の獣医学は学術的に多面的で飛躍的な発展が期待されると同時に、国際的にも広範囲な活動分野を開発することができる。


1)国立大学獣医学部の構築

 わが国の獣医学教育内容を転換し、社会の要請に対応できる高度で専門的な獣医師の養成ならびに欧米の獣医学教育基準の統一に対応するためには、現在の農学部獣医学科における教育体制では不可能である。

 また、現在の獣医学科における教育体制では、実務教育が極めて不十分であることから、獣医師として実社会の要請に対応できないという批判が強くなるばかりでなく、獣医師としての社会的責任が問われることになる。

 国家試験に合格した獣医師が独立して社会活動を行うためには、獣医系大学における卒後教育制度が確立されていないために、個人開業獣医師や就職先の現場で卒後教育を受けることになるが、このような卒後教育は獣医学として学術的な偏りが生じ、広範囲で多岐にわたる高度な卒後教育とはなりにくい。

 そこで日本獣医師会では、実態調査のうえで大学と提携し卒後教育や生涯教育を計画しているが、これも大学の実務教育ができる施設・設備や教員が絶対的に不足している現状ではかなり困難である。

 また、わが国にはインターン制度やレジデント制度も確立していないことから、実務教育の支援体制を整えることも困難である。
 そこで、国立大学の獣医学科は自助努力によって獣医学部を構築するかあるいはスクラップ アンド ビルド方式によって統合再編整備を行い、獣医学部を構築し附置施設として獣医臨床センターあるいは先端的動物研究センターを設置し、実務的な教育・研究を図ることが急務である。獣医学部を構築するに当たっては、国立大学の独立行政法人化の問題や各大学における農学部再編の動きあるいは大学院重点化の課題も十分に考慮する必要がある。

 しかし、獣医学科における獣医学修業年限が6年一貫教育となっている現在の教育体制では、新しい獣医学部における教育体制として実務教育を主体とした教育内容に転換しなければ意味がない。

 地域に密着してきた各大学の獣医学科が、新たな獣医学部を構築するために自助努力または統合再編整備を行うには、当該大学の学部教授会において十分な議論を行ったうえで、確固たる合意が得られるように努力しなければならない。
また、地域社会や卒業生の理解と協力が必要である。

 さらに統合再編整備によって獣医学部を構築する場合は、受け入れ大学と多方面にわたる折衝も必要である。
 また、1983年の法改正によって獣医学修業年限を6 牢とした際に、文部省は獣医系国立大学の統合再編整備については一時中断するとしても、機会があれば再開して獣医学部を設置するものとし、現在においてもその方針は変更されていないとしていることを踏まえて、それぞれの大学が対処すべきである。


2)私立大学獣医学教育内容の充実

 現在、国・公・私立大学の獣医学科を卒業し、獣医師として社会に出る人数は毎年約1,000名である。
 そのうち約7割が私立大学の卒業生である。
 したがって、社会の要請や国際的に対応できる獣医師の学術的な質を高めるためには、私立大学における獣医学の教育内容を充実することが、極めて重要な課題である。

 また、動物あるいは畜産物の輸出入検疫や人獣共通感染病の予防、あるいは輸入禁止動物の監視等の実務を行っている獣医師、あるいは小動物臨床や動物愛護に関わっている獣医師の多くは私立大学の卒業者である。

 このように現場で実務的な仕事についている獣医師が、諸外国の獣医師と同等の教育を受けていることが、国際化の時代には極めて重要なことである。
 したがって、私立大学においては、各校の教育理念と特徴を生かしながら、獣医学教育内容の転換を図って実務教育をさらに充実し、社会の要請ならびに国際的な変化に対応できる高度な学術を有し、実務的に優れた獣医師を養成することが重要である。


3)今後における獣医学の展望

 獣医学および獣医師の果すべき役割は、これまで述べてきた臨床分野、公衆衛生分野、基礎獣医学分野に加えて、次のような発展が期待されている。

 ヒューマンアニマルボンドは人と動物の関係学として、家畜を含めてあらゆる動物と人の関係を科学的に検討し、人と動物が良好な環境で共生できる状態を硬索することである。
 また、動物の生命倫理を確立することによって人命の尊厳を学習し、動物愛護の精神培養によって豊かな人間性を創生することも、社会的には重要な獣医師の責務である。
 さらにアニマルセラピーは、さまざまな弱者のために、獣医師の活動が期待される分野であり、先進国として少子・高齢化あるいは循環型社会構成の変化にともなって、獣医師の社会的活動が重要視されるであろう。

 野生動物医学は、傷病治療だけでなく、環境破顔による野生動物絶戚の保護あるいは種の保存に関する科学的な技術の開発が期待される。
 また、野生動物の害獣化防止対策や環境劣化についても科学的な保護対策が要求される。
 さらに地球環境の保全には生物学的な指標、とくに哺乳類の生態行動が科学的な指標となることから、国際的な獣医学術と情報交換が重視される。

 わが国の社会構成は、少子・高齢化の急速な進展にともなって生産人口が減少し、農業、林業、水産業、畜産業等一次産業の後継者不足による生産基盤の崩壊が、将来、わが国の食糧問題を深刻化する可能性がある。
この場合、他国からの輸入食糧とくに動物性食材や魚貝類の衛生管理あるいはその他の食品の安全性確保、そして家畜その他の動物における感染病予防対策は極めて重要な課題となる。
とくに生産地から食卓までの動物性食品の衛生管理は、国際的な獣医学術レベルで対応しなければならない時期をむかえている。

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V わが国の獣医学教育の抜本的改革に関する提言

 獣医学教育に関する歴史的な背景ならびに社会からの獣医学教育に対する多面的な要請と国際的な趨勢に対応するために、今後におけるわが国の獣医学教育について、次のような抜本的改革を提言する。

1.社会的な実務教育の要請ならびに国際的獣医学教育の統一に対応するために、獣医系の大学においては獣医学教育の抜本的な改革として、獣医学の教育・研究は獣医学部において行うものとし、学術的に高度で実務能力の高い動物医学教育とすべきである。

2.そのために、文部省はこれについて再検討を行い、国立獣医系大学においては獣医学科の統合再編整備または自助努力等によって、十分な教育資源を備えた獣医学部を構築し、現状では極めて不十分である臨床・応用獣医学関連の実務教育を行うための教育施設・設備ならびに教員の充実を図り、動物医学教育の実を挙げるよう提言する。

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総学庶第1683号  昭和46年11月9日
内閣総理大臣 佐藤 栄作殿

日本学術会議会長 江上 不二夫

写送付先:大蔵,文部,厚生および農林各大臣,大学基準協会長,国立大学協会長,公立大学協会長,日本私立大学協会長,日本私立大学連盟会長,私立大学 懇話会長

獣医学修業年限の延長について(勧告)

標記のことについて、本会議第59回総会の議に基づき、下記のとおり勧告します。



 最近,わが国における畜産の重要性がいよいよ増大するに伴い,家畜疾病の予防についてはいうまでもなく,家畜ならびに畜産物に由来する人間の疾病の予防が,またきわめて重要な課題となり獣医学の向上,獣医師の實質の向上が社会的に強く要請されるに至っている。
現在、わが国の獣医学の修業年限は,教養および専門教育を含めて4年であって,上記の要請を満たすにははなはだ不十分である。
一方世界の62か国の実情を見るに,獣医学教育においては,専門教育に4〜7年の年限を費やしている。
上記の社会的要請にこたえ,かつ,わが国の獣医学並びに獣医師の實質を格段に向上させ,国際水準にもおくれをとらぬようにするためには・獣医学修業年限を,専門教育4年を含む6年に延長することが緊急に必要である。
政府は,すみやかに学校教育法第55条・大学設置基準(文部省令)の改正等,上記目的達成のため必要な措置を講じられたい


(理 由)
 獣医学は家畜の疾病の診断・治療および予防を行なって,畜産の発展を推進すると共に,家畜ならびに畜産物を人間生活に利用する際に重要な課題となる。
人事共通伝染病・寄生虫病等の予防および食品衛生の観点から,家畜に由来する人間の疾病を未然に防止するという使命をもっている。
したがって,獣医学の研究教育において,基礎獣医学・臨床獣医学・家畜衛生学・獣医公衆衛生学等,きわめて広汎学問の研究と教育が必要であり,かつ,これらを十分に修得した高い實質の獣医師を養成することがきわめて重要である。

 特にわが国における現行の獣医学修業年限は,教養および専門教育を含めて4年間にすぎないために,この根幹的な獣医学の専門教育を行なうにも,修業年限が絶対的に不足している。
獣医師は国民の生命財産に直接関与する職務に従事するので,獣医師の国家試験の基準を高め,国際的水準の獣医師を養成するためには,諸外国と同様に,少なくとも,専門教育の年限を4年に延長し6年間の大学教育を行なう必要があることは,20年前から関係者によって運動が続けられていたが,いまだに4年の大学教育のままに放置されている。

 最近におけるわが国の食生活の上では,畜産食品の消責が急激に増しており,これに伴って家畜飼養頭数は急増を続け,さらに外国よりの家畜および畜産物の輸入は年々増加している。このような事情に関連して,海外悪性伝染病の予防,集団飼育化に伴う家畜衛生上の新たな技術問題,食品衛生の万全等のために獣医師の責務はますます重くなってきた。

 また,最近において,食品添加物,合成食品,新薬,農薬の安全性のための動物実験が重視される
に至っているが,この分野においても獣医学ならびに獣医師の責務が増大している。

 これらの事情によって明らかなごとく,獣医学教育は獣医学術の進展に伴う内容の高度化ばかりでなく,その範囲も著しく拡大されなければならない。諸外国における獣医学教育では,専門教育だけに4〜5年が割当てられているのが一般であり,中にはスウェーデンのごとく,専門教育のみに7年が費やされている大学もある。専門教育年限が2 年余に過ぎないわが国の獣医学教育は,獣医科大学を有する62か国のうち最も短かく,したがって,わが国の獣医師は国際交流に際してもはなはだ不利な立場に置かれている。

 この機会には本会議は,獣医学の研究を振興し,高い實質の獣医師を世に送るために,獣医学教育を6年制に改善することを,すみやかに実現するように政府に勧告するものである。



表1 修士積上げによる6年教育の学部における専門教育および大学院修士課程における授業科目(昭和53年〜58年入学生)

 大学院修士課程においては、上記のほか、専門別または職域別に必要な分野の教育を行うため基礎獣医学、臨床獣医学、獣医公衆衛生学またはその他の応用獣医学のいずれか1 分野に関して専修教育を行うものとする.専修教育は授業科目の授業と研究指導とし、授業科目の授業については15 単位経度実施することが望ましい.これらの内容については、各大学がその特色を生かし、地域的、社会的要請に対応できるよう配慮するものとする. (昭和52 年6 月8 日大学局長通知)


表2 学部6年制獣医学教育の基準(昭和59年入学生より)



表3 獣医学教育に関する専門教育科目(例)



表4 各大学の獣医学科の講座数および入学定員