化学の将来構想


「化学研究連絡委員会」

平成11 年11 月29 日

日本学術会議
化学研究連絡委員会 化学将来構想小委員会


 こ の報告は、第16 ,17 期日本学術会議 化学研究連絡委員会 化学将来構想小委員会の審議結果を、化学研究連絡委員会において取りまとめて発表するものである。

第16 期日本学術会議 化学研究連絡委員会(所属は第16 期発足時のもの)

委員長
井口洋夫   岡崎国立共同研究機構長

幹事
大瀧仁志   立命館大学理工学部教授
櫻井英樹   東北大学理学部教授
本多健一   東京工芸大学芸術学部学部長

安積徹     東北大学理学部教授
石谷炯     東レリサーチセンター常務取締役
小尾欣一   東京工業大学理学部教授
茅 幸二     慶応義塾大学理工学部教授
川崎昌博   北海道大学電子科学研究所教授
志田忠正   京都大学理学部教授
廣田榮治   総合研究大学院大学副学長
御園生誠   東京大学工学部教授
山口 兆    大阪大学理学部教授
吉原経太郎 分子科学研究所教授
池田重良   龍谷大学理工学部教授
冨永博夫   埼玉工業大学工学部教授
赤岩英夫   群馬大学工学部教授
高木 誠    九州大学工学部教授
富永 健    東京大学大学院理学系研究科教授
中川照眞   京都大学薬学部教授
目黒 熙    東北大学農学部教授
四ツ柳隆夫  東北大学工学部教授
宇田川重和  千葉工業大学工学部教授
岩原弘育    名古屋大学工学部教授
北川 進    東京都立大学理学部教授
武居文彦    東京大学物性研究所教授
中村 晃    分子科学研究所教授
干鯛眞信    東京大学工学部教授
山本明夫    早稲田大学理工学部教授
村田一郎    福井工業大学工学部教授
金岡祐一    富山女子短期大学学長
橋本嘉幸    東北大学名誉教授
池上四郎    帝京大学薬学部教授
岩村 秀    東京大学大学院理学系研究科教授
岡崎廉治    東京大学大学院理学系研究科教授3
生越久靖    京都大学大学院工学研究科教授
竹内敬人    東京大学教養学部教授
徳丸克己    筑波大学名誉教授
鳥居 滋    岡山大学工学部教授
村井眞二    大阪大学工学部教授
森 謙治    東京大学大学院農学生命科学研究科教授
山本嘉則    東北大学理学部教授
米光 宰    岡山理科大学理学部教授
内田盛也    帝人株式会社顧問
内藤 博    共立女子大学家政学部学部長
松野隆一    京都大学農学部教授
大城芳樹    近畿大学理工学総合研究所教授
折谷隆之    東北大学農学部教授
上野川修一  東京大学大学院農学生命科学研究科教授
桑原保正    京都大学農学部教授
玉置晃弘    三井東圧化学株式会社総合研究所所長補佐
諸岡良彦    東京工業大学資源化学研究所教授
西島安則    京都大学名誉教授
安部明廣    東京工芸大学工学部教授
井上祥平    東京理科大学工学部教授
今西幸男    京都大学工学部教授
遠藤 剛    東京工業大学資源化学研究所教授
国武豊喜    九州大学工学部教授
辻田義治    名古屋大学工学部教授
中浜精一    東京工業大学工学部教授
畑田耕一    大阪大学基礎工学部教授


第17 期日本学術会議 化学研究連絡委員会
委員長
櫻井英樹  東京理科大学理工学部教授

幹事
大瀧仁志   立命館大学理工学部教授
安部明廣   東京工芸大学工学部教授
池上四郎   帝京大学薬学部教授

廣田榮治   総合研究大学院大学学長
吉原経太郎  北陸先端科学技術大学院大学材料科学専攻教授
石谷 炯    (株)東レリサーチセンター代表取締役社長
岩崎不二子  電気通信大学電気通信学部教授
岩澤康裕   東京大学大学院理学系研究科教授
魚崎浩平   北海道大学大学院理学研究科教授
小尾欣一   日本女子大学理学部教授4
茅 幸二    岡崎国立共同研究機構分子科学研究所所長
北川禎三   岡崎国立共同研究機構分子科学研究所教授
志田忠正   神奈川大学理学部化学科特任教授
山口 兆    大阪大学大学院理学研究科教授
山本明夫   早稲田大学大学院理工学研究科教授
足立吟也   大阪大学大学院工学研究科教授
岩原弘育   名古屋大学理工科学研究センター教授
荻野 博    東北大学大学院理学研究科教授
北川 進    京都大学大学院工学研究科教授
黒田玲子   東京大学大学院総合文化研究科教授
干鯛眞信   東京大学大学院工学系研究科教授
赤岩英夫   群馬大学学長
合志陽一   国立環境研究所副所長
熊丸尚宏   安田女子短期大学生活科学科
高木 誠    九州大学大学院工学研究科教授
柘植 新    名古屋大学大学院工学研究科教授
寺部 茂    姫路工業大学理学部教授
中村 洋    東京理科大学薬学部教授
松本和子   早稲田大学理工学部教授
橋本嘉幸   (財)佐々木研究所所長
秋葉欣哉   広島大学理学部教授
岩村 秀   学位授与機構教授
植村 栄   京都大学大学院工学研究科教授
大塚栄子   北海道大学名誉教授
大東 肇   京都大学大学院農学研究科教授
岡崎廉治   日本女子大学理学部教授
古賀憲司   奈良先端科学技術大学院大学物質科学教育センター教授
竹内敬人   神奈川大学理学部教授
竜田邦明   早稲田大学理工学部教授
奈良坂紘一  東京大学大学院理学系研究科教授
村井眞二   大阪大学大学院工学研究科教授
山本嘉則   東北大学大学院理学研究科教授
曾我直弘   滋賀県立大学工学部教授
笛木和雄   東京大学名誉教授
上野民夫   京都大学大学院農学研究科教授
児玉 徹    信州大学繊維学部付属農場教授
磯部 稔    名古屋大学大学院生命農学研究科教授
魚住武司   明治大学農学部教授
折谷隆之   東北大学大学院農学研究科教授
二木鋭雄   東京大学先端科学技術研究センターセンター教授5
諸岡良彦   福井工業大学工学部教授
山村庄亮   慶応義塾大学理工学部教授
瓜生敏之   帝京科学大学理工学部教授
蒲池幹治   福井工業大学工学部教授
国武豊喜   理化学研究所フロンティア研究グループディレクター
小林四郎   京都大学大学院工学研究科教授
野瀬卓平   東京工業大学大学院理工学研究科教授
西 敏夫    東京大学大学院工学系研究科教授
西島安則   京都大学名誉教授
畑田耕一   福井工業大学工学部教授


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目 次

要旨

1 .はじめに

2 .化学将来構想小委員会の活動

3 .研究体制

4 .研究環境

5 .教育

6 .人類社会と化学

7 .化学の研究課題:ケーススタディ

8 .おわりに

9.提言



提言:大学及び大学院の抜本的な改善に向けて−−国立大学を中心として−−

要旨

 第13 期日本学術会議、化学研究連絡委員会では化学の将来構想:「全国的視野に立つ化学の新しい研究体制について」をとりまとめた。それから約10 年が経過した。

 この間、化学を含む学術情勢は大きく変化した。この状況をふまえ第16 期化学研究連絡委員会は、化学の今後のあり方を広い観点から再検討することが緊急の課題であると判断し、「化学将来構想小委員会」を設置して化学の将来構想をとりまとめることとした。

 小委員会は、化学及び関連分野について関係する広い課題を包括的に検討することとし、(1 )化学の学問的位置づけ、(2 )化学の役割(学術的、社会的)、(3 )化学の研究課題、研究動向、(4 )化学の研究・教育、(5 )化学の意義と将来動向を検討項目として取り上げ、必要に応じてヒヤリングを行って審議を深めた。

 また「化学の将来」、「化学の研究体制」、「新しい分析化学の目指すもの」、「生物学からみた化学への期待」、「材料と化学−研究の進め方と人材育成」、「大学学部及び大学院における化学教育」、「化学の将来構想」の8 つの討論会を開催し、化学及び周辺分野の研究者を招聘して討議を重ねた。

1 .研究体制
 分子科学研究所に続いて錯体、基礎有機、高分子等の大学共同利用研究所設置に向けて一層の努力を重ねるとともに、分子科学研究所に広く化学全体に対する機能的役割を期待する。一方、大学学部、大学院に対して、少子化等の社会構造の急速な変化、限られた資源の有効利用等を念頭においた抜本的な改組を示唆する。基礎学問としての化学の研究に
は助手を含む若手研究者の確保等基本的な諸条件の充足が不可欠である。

2 .研究環境
 研究費における主要な問題点は配分方式と評価である。化学にとって、さらに重要で緊急な課題は施設である。研究環境の最大の問題といっても過言ではない。

3 .教育
 知識偏重教育の弊害を認識し適正な修得を図ること、また初中等教育における理科担当教師の資質を格段に向上すること、高等学校の課程から入学試験による過剰な圧力を除去しその本来の役割を担保すること。大学学部では、リカレント教育等学生の多様化に充分対応した体制が不可欠で、その状況をふまえて大学院の体制を構築しなければならない。
博士前期(修士)課程のカリキュラムを一層整備することが喫緊の課題である。専門の教育と同時に広い視野、柔軟な思考力が求められる。

4 .人類社会と化学
 化学の成果が社会の中に一層広く深く取り込まれる。化学についての正しい理解を一般社会人に徹底し、環境・安全の保持を図ることは化学者の重大な責務である。

5 .今後化学が取り上げるべき研究課題
 化学研究連絡委員会委員、化学将来構想小委員会委員を含め111 名の研究者に標記課題についての執筆を依頼し、55 名から回答を得た。化学研究の今後の方向について重要な示唆がえらた。

 6 .諸外国における化学の研究・教育の動向
 数ケ国へ小委員が出張した際調査を行い、不十分ながら情報を収集した。

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1 .はじめに

1 −1 .化学将来構想小委員会の設置

 第13 期の日本学術会議・化学研究連絡委員会(以下「化研連」と略称;委員長:長倉三郎)は昭和63 年(1988 年)3 月25 日に「化学研究推進機構」の構想を中核とした報告:「全国的視野に立つ化学の新しい研究体制について」をとりまとめた。

 それ以来約10 年が経過した。この間、学問領域の間、国と国の間の交流が一段と活発になり、化学という限られた学問領域においても、そのあり方について広い観点からの検討が緊急な課題となった。

 そこで、第16 期日本学術会議[平成6 年(1994 年)7 月〜同9 年(1997 年)7 月]化研連(委員長:井口洋夫)は、化学の将来構想を再検討する時期が到来したと判断し、化学将来構想小委員会を設置して構想のとりまとめを行うこととした。

 小委員会の構成は以下の通りで、10 名の委員全員が第16 期化研連の委員であった。(括弧内は1998 年11 月現在の職を示す。)

赤 岩英夫(群馬大学学長)
安 積 徹(ミネソタ州立大学秋田分校理事)
安 部明廣(東京工芸大学工学部教授)
生 越久靖(福井工業高等専門学校校長)
北 川 進(京都大学大学院工学研究科教授)
桑 原保正(京都大学大学院農学研究科教授)
干 鯛眞信(東京大学大学院工学系研究科教授)
〇 廣田榮治(総合研究大学院大学学長)
村 井眞二(大阪大学大学院工学研究科教授)
諸 岡良彦(東京工業大学資源化学研究所教授)
[ 〇印:委員長]

 小委員会設置にあたって、従来の化学将来構想策定が研究所設立等ハード面からの研究体制推進に重点がおかれていたのに対し、現状では化学に関係する広い課題を取り上げることがより適切であるとの認識に立ち、小委員会の任務として

(1 )化学の学問的位置づけ、
(2 )化学の役割(学術的、社会的)、
(3 )化学の研究課題、研究動向、
(4 )化学の研究・教育、
(5 )化学の意義と将来動向

を中心に広く検討を行い、化学及び周辺分野の研究、教育の発展に資することとした。平 成9 年(1997 年)7 月、第17 期の日本学術会議が発足した。これを受けて、同年10 月に化研連が改組され、委員長に桜井英樹が選出された。平成9 年(1997 年)11 月25 日に第1 回の化研連全体会議が開催され、その席上、上記の化学将来構想小委員会は第17 期も引き続き活動を継続することが了承された。委員のうち、安積 徹、生越久靖、桑原保正の3 委員は第16 期をもって化研連委員を退任したが、小委員会の構成は変更しないことが承認された。

1 −2 .化学研究連絡委員会における将来構想策定の基本方針

 化学の将来構想については、1960 年代より化研連を中心に精力的に検討され、具体的にとりまとめられた。その中心は、大学共同利用機関の設置である。1975 年、岡崎に分子科学研究所が設置され、これを一つの拠点としてさらに「錯体化学研究所」、「基礎有機化学研究所」等の設置準備が進められた。

 分子科学研究所発足後に化研連で行われた将来計画策定の重要項目に「化学研究推進機構」がある。最初の成案は1976 年12 月にまとめられ、1980 年10 月に改訂された。この機構は、調査企画センターと中核研究所群(分子科学研究所等)を中心に、適当な研究グループを構成して時限付き(7 年程度)のプロジェクト研究を行い、化学研究の推進を図るとともに、これに必要な研究施設と技術部を備えるというものである。

 一方、化学の研究動向を踏まえた研究体制の問題が、文部省科学研究費特定研究「学術研究動向調査研究」の化学班で取り上げられ、その調査結果が1984 年3 月の報告書にまとめられている。そこには、将来取り上げるべき個々の化学研究課題の他、大学における研究体制と「化学研究推進機構」が論じられている。上述したように、第13 期日本学術会議化研連報告「全国的視野に立つ化学の新しい研究体制」は、この「化学研究推進機構」を柱としたものである。

 さらにこれらの将来構想の一貫として「化学研究ネットワーク」があり、1994 年6月27 日に報告書が提出されている。

 本化学将来構想小委員会は、以上に述べたこれまでの将来構想とりまとめを充分に踏まえ、以下のような基本方針で活動することとした。化 学が基礎的な学問の中でももっとも基幹的なものの一つであるとの認識に立ち、化学の果たすべき役割、化学の現状と問題点、化学の将来等化学に関する重要事項を幅広く取り上げることとした。

 ただし、研究所についての構想は、上にも述べたように、すでに先の化研連で充分な検討が行われ、また実行に移されている。現在でもその基本方針に大幅な検討、修正を加える必要性は認められないので、その構想実現に向け引き続き一層の推進を図ることとした。すなわち、研究所についての検討は、現状認識を踏まえた構想実現に向けての具体策を提案するに止めることとした。本小委員会は、大学を中心とした教育研究体制に焦点を合わせ、これに関連して小学校、中学校、高等学校における教育や社会の中での化学等の問題を広く取り上げることとした。

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2 .化学将来構想小委員会の活動

2 −1 .平成6 〜7 年度における準備活動

 将来構想小委員会の設置は、平成7 年(1995 年)1 月21 日に開催された第16 期化研連第1 回拡大役員会において化研連委員長より提案され、これに基づいて小委員会委員の選出と委員受諾確認が行われた。この結果に基づいて、日本学術会議に小委員会の設置が申請され承認を受けた。

 まず平成7 年度は、小委員会委員長が小委員会委員の所属している大学、機関を訪問し、化学関連分野の先生方と、化学における教育・研究の現状と問題点、改善方策、将来への展望等について自由に討議し、教育・研究の現場の意向を充分汲み取ることとした。具体的には、以下の6 つの大学において懇談会が開催された。

[6 大学における懇談会での論点メモ]

(a )化学の学問的位置づけ
 周辺領域への発展が、最近とみに著しい。化学から他の領域へ発展する研究者が増えるように、分野の間の壁を一層低くする工夫が必要である。周辺領域への発展は結構なことであり、これからは‘‘greater chemistry ’’を目指すべきである。し かしながら他方において、化学の基礎学問としての重要な役割を強く認識し、それを担保するよう、とくに教育面において、努力を重ねることが肝要である。

(b )人材育成、若手研究者養成
 化学だけでなく、関連分野の発展のためにも、化学者(あるいは化学的な素養を充分備えた研究者)の育成は不可欠。そのためには、日本学術振興会の特別研究員を含め、奨学金の一層の充実を図る。また博士課程修了者や博士研究員の就職を確保しなければならない。

(c )教育
 大学と高等学校の間のギャップが深刻になりつつある。大学での化学教育についていけないものが増えている。高等学校側では、教師の資質、教科書、カリキュラム等に改善すべき点が多い。大学入学試験が問題であるが、大学側から改善できることも少なくない。また大学の‘‘大衆化’’大学の現場が対応できていないことが問題である。専門家の養成とそれ以外の学生の教育を両立させるという大変難しい課題が未解決である。

(d )教育研究環境
 [ 実験室のスペース]化学研究室の面積不足は深刻で、危険な状態である。化学実験には、安全面から一定以上のスペースが必要不可欠である。この点を関係方面に周知徹底し、理解を求めることが肝要である。面積の基準に特例を設けるよう努力すべきである。[ 研究費配分]‘‘採択されやすい’’課題に資金が流れすぎる。もっと基礎的に重要な課12
題を採択するように配分方式を工夫しなければならない。

(e )研究教育体制
 人事の流動はきわめて重要である。しかし任期制については意見分布が広い。教 授:助教授:助手=1 :1 :2 の小講座方式は、化学の研究を行うのに適当なサイズである。しかし、大学院重点化等により助手が振り替えられ、現在1 :1 :1 あるいは1 :1 :0 に変わりつつあり、大問題。人事の硬直化をも引き起こしている。大講座制度は、研究グループの単位をむしろ小さくしており、巧く機能していないことが多い。一 方において、現在の助手は、若手研究者の独立を促し、独創性を発揮させる点において大変問題な制度であり、また身分的にも職能的にも、博士研究員やTA との関連において抜本的な検討が必要になっている。講師等への変更を模索すべきである。博 士研究員は、研究グループが分野を変えるときにきわめて重要な役割を果たす。日本における研究活動が流動性を欠いている理由の一つは、博士研究員制度の不備にあったといえる。これを一段と充実すべきである。

(f )社会における化学:化学者の責任、安全問題
 社会が化学の正しい役割を充分理解できるよう、化学者の一段の努力が求められる。化学のイメージは公害等の問題から依然暗い。化 学薬品等に対する安全性に対して、化学者はもっと積極的な役割を果たすべきである。一つの具体的な提案は、「化学士」の制度を国が制定し、企業に化学士の雇用を義務づけることである。留 学生の受け入れや学者の交換等を通じた諸外国、とくにアジア諸国との交流は今後ますます重要になる。留学生は厳しい審査を経て受け入れ、教育の実を挙げるようにすべきである。

(g )新しい物質観の構築
 化学の重要な目標の一つは、人類に新しい物質観をもたらすことである。

2 −2 .活動の基本方針

 平成8 年(1996 年)から本格的な活動を開始し、以下の課題を取り上げることとした。

(a )化学の学問的位置づけ:関連分野との協力
(b )今後発展が期待される化学の研究課題
(c )化学の研究環境:研究費、施設、設備
(d )化学における研究体制:大学と研究所
(e )化学教育:小学校、中学校、高等学校における教育、入学試験、教科書、大学、大学院における研究教育
(f )化学の社会的役割:環境、化学薬品管理、化学のPR

課 題(b )は、化学本来の学問的な中心課題であり、将来構想委員会での討議により解答をだすべき筋合いのものではない。これについては、適当な人材を選び、それぞれの学問的な立場から化学研究の将来について自由に意見を述べるケーススタディを行うこととした。

他 の5 個の課題については、小委員会を開催して、現状の解析と問題点の洗い出しを行い、その結果を踏まえて改善策や将来像を模索する。そのためには必要に応じて、それぞれの課題に適当な方々を小委員会に招聘してヒヤリングを行う。また中小規模の討論会を開催して、多くの方々から率直な意見を伺う。以上のことを基本として、将来構想の策定を進めることとした。

2 −3 .平成8 年度
 平成8 年度は、化学に関する多様な課題を概観し、問題の本質を的確に把握することに努めた。そのために、課題をいくつかに分類し、それぞれについて小委員会を開催し、ヒヤリングを併用しながら、討議を重ねた。[小委員会]を8 回、[討論会]:「化学の将来」を開催した。また、化学における今後の研究課題について、6 名の小委員会委員によるケーススタディが行われた。

2 −4 .平成9 年度
 平成7 年度、8 年度の活動の結果、化学における教育・研究の現状、問題点と今後進むべきおおよその方向が浮かんできた。そこで、平成9 年度は、中ないし小規模の討論会を開催し、研究課題を含む特定のテーマについてさらに検討を加えることとした。[小委員会]を3 回、[討論会]:「化学の研究体制」、「新しい分析化学の目指すもの」、「生物学からみた化学への期待」、「材料と化学−研究の進め方と人材育成−」の4 件を開催した。また「海外の動向調査]3 件の報告が寄せられ、「ケーススタディ]1 件の報告があった。

2 −5 .平成10 年度
 [小委員会]を4 回、[討論会」:「大学学部及び大学院における化学教育」、「研究体制と評価システム−評価制度の特徴と研究者側からみた合理性−」、「化学の将来構想」の3 件を開催した。また[海外の動向調査]1 件の報告があり、[ケーススタディ」47 件の執筆があった。

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3 .研究体制

 太平洋戦争終結後の日本における化学の研究体制の整備は、1960 年代の理工系拡張政策の一環として、大学の化学系教室における講座増設や大学付置の研究所の設置等を中心に進められた。こうして新設された研究所の典型的な例が大阪大学付置の蛋白質研究所である。研究体制の整備は物理学を先頭にさらに推進され、大規模な研究所の構想が登場してきた。高エネルギー物理学研究所である。その規模はもはや大学付置の範疇を越えた。

 そこで、大学共同利用機関という大学から独立した組織が提案、採用された。1970 年代の始めのことである。高エネルギー物理学研究所は、教授会や評議会といった大学固有の運営方式に馴染まない大規模の研究を推進するための組織として登場したが、続いて設置されたいくつかの大学共同利用機関にあっては、設置の理由はかなり異なっており、また様々であった。その中で比較的共通している大きな理由の一つは、「研究者層が厚く、すでに世界的にも優れた研究業績のある分野を選び、そこに国が資本を集中投下して、研究のピークを形成しよう」というものである。

 これによって、当該分野のみならず、周辺の領域の活性化も併せて狙ったわけであるが、この見通しはきわめて適切で、目的はかなり良く達成されたといえよう。大学共同利用研究所の構想が持ち上がった1960 年代では、先進諸国と比べると、いまだ大学の整備は著しく遅れており、このような状況を抜本的に、しかも効率よく改善する方策が強く求められていたのである。

 全国共同利用という概念は、恐らく京都大学人文科学研究所で創始された共同研究に端を発しているのではないかと思われるが、1960 年代にはすでに大学付置で全国共同利用の研究所が設置されている。大学共同利用機関の創設にあたって、共同利用の機能を取り入れるのになんらのためらいも無かったのではないか。

 その中心的な思想は共同研究である。分子科学研究所の創設準備段階でも、共同利用の真の意義が真剣に論じられた。そのときの結論は、「研究所で行われる研究が傑出していれば、研究所外にいる当該領域の研究者が研究所の優れた研究に惹きつけられて研究所を中心とした研究活動に参画する、これが真の共同利用である」というものであった。

 化学分野の最初の大学共同利用機関として、1975 年に分子科学研究所が岡崎の地に創設された。これに続いて、錯体化学研究所、基礎有機化学研究所を設置するのが、当時化学の分野で策定された将来構想であった。しかし多くの学問分野から大学共同利用研究所の設置要望が続き、その対応に手間取っているうちに、日本を含む世界の経済状況が悪化し、折角の構想実現が遠のいてしまったのは大変残念なことである。引き続き実現に向けて努力を重ねることは云うまでもないが、同時に平行して他の多くの施策に意欲的に取り組むことも大切である。

3 −1 .大学、大学付置研究所、大学共同利用機関、化学研究ネットワーク

 化学の分野は広く、それぞれの領域あるいは研究課題によって、研究グループのもっとも適当とされるサイズは様々であろう。一つの標準的なモデルは、グループリーダーを中心にパーマネントスタッフ3 名程度、これに博士研究員、大学院学生等の若手研究者、さらに1 〜2 名の支援職員(技官あるいは秘書)を加え総計10 ないし15 名のグループが15単位ではないか。これを基本とするならば、研究体制は大学あるいは大学院を中心に展開することができ、大規模な研究所は必ずしも必要ではないのではないか。

 もちろん、化学においても分野によっては、シンクロトロン軌道放射、核磁気共鳴、赤外分光、ラマン分光、質量分析、各種レーザー等々決して小規模とは云えない多くの機器が必要で、上記グループがこれら機器を、全部とは云わないまでも、取り揃えるのは容易ではないし、経済的にも効率的とは云えない。研究の中枢機関をおく理由が無くなったわけでは決してない。

 さらに大切なことは、以下にもふれるように、いくつかの重要な事項において中心的な役割を果たすことが期待されているのである。ただ云えることは、分子科学研究所が構想された1960 年代とは状況は大きく異なってきており、大学においても、上記のような規模の機器を設置し、維持、管理することが不可能ではなくなってきていることである。

 そ れでは分子科学研究所の任務は終わったのであろうか。分子科学は、化学の中の多くの領域とは異なって、放射光施設、大型レーザー装置等々、大学の中の1 研究グループでは到底購入維持できない機器を多数必要とする分野である。それだけでも十分な存在理由があると考えられるが、その他にも重要な役割が期待されているのである。分子科学研究所に続く化学関連の大学共同利用機関として期待されている錯体化学研究所は、現在のところ分子科学研究所の付属研究施設、また基礎有機化学研究所は九州大学付属の研究センターとなっており、それぞれ活発な活動を行ってはいるが、残念ながら独立機関としては認められていない。

 1960 年代に策定された化学の将来構想はそのうちのごく一部しか具体化していないのである。その実現には、錯体化学や有機化学の研究者を中心とした関係者の一段の努力に待つところが大であるが、分子科学研究所の責任も重大である。分子科学研究所は、化学将来構想の実現に向け化学者全体の輿望を担って発足したが、そこには後続の研究所設立に尽力するという約束事があったのである。この重大事を決して忘れてはならない。

 1960 年代から30 年余が経過し、この間の環境変化が本来の構想実現を著しく困難なものにしている。しかしながら、当初構想は長期的な目標として、それを充分ふまえた上で、当面の目的を設定すべきではないだろうか。多くの分野に対して化学が果たすべき重要な役割を考えるとき、当初の目標の実現困難さを理由に、その他の打つべき施策を等閑に付すことは許されないのである。

 そ れでは現在から近い将来にわたって、分子科学研究所や錯体、有機基礎両研究施設、あるいはその他化学関連の大学付置研究所等になにを期待したら良いのであろうか。また期待できるのであろうか。これらの研究所は、当然のことながらそこで活躍している研究者が運営の全責任を負っているのであるが、これらの研究所の将来には周辺領域を含む化学全体が関わっているのである。これらの研究所がそれぞれの責任領域で一層活躍することを期待すると同時に以下のことを化学全体の課題として取り上げたい。

 従来化学の将来構想は、日本化学会でのインフォーマルな討議を出発点とし、日本学術会議・化学研究連絡委員会での検討を経て取りまとめられてきた。本将来構想小委員会もそのような線に沿って活動している。しかし、この手続きには重大な欠陥がある。いささか極言になるが、これらの活動にはほとんど経費的な裏付けがないのである。

 日本全体の重要な課題であるにもかかわらず、討議の場を充分用意できないのである。日本では、とかくその場限りの対策に追われ、将来にわたって構想をまとめることがなおざりにされてきた。いつもアメリカ等先進諸国での動向を見て、それらの後追いをしてきたわけである。これではいつまで経っても学問的後進性を脱却できない。将来構想を十分な討議の上にとりまとめる手だてを考え、実施に移すべきときが到来している。

 その一つの方策として、分子科学研究所及び大学付置の共同利用研究所の機能の見直しを提案する。一つは連絡調整であり、もう一つは学術動向調査である。物理学や生物学等周辺領域との連携協力はもちろん積極的に推進すべきであるが、根幹をなす化学分野の活動を総合的な視点から捉え組織化し、しかるべき資源を配分して、そのさらなる活性化に資することは、さらに重大なことである。分子科学研究所を始めとする共同利用研究所群が、このような目的のためにネットワークを構築し、これを通じて化学分野の総合的な連携協力に尽力することを期待する。

3 −2 .大学学部及び大学院

 太平洋戦争終結後、いくつか大きな学制改革が行われた。1950 年にスタートした新制度はそのもっとも大きなものの一つである。一種のエリート教育を指向していた旧制高等学校が廃止され、代わってアメリカの教育制度に範をとったと云われている教養課程が導入された。新制度のもう一つの特色は大学院の充実であろう。ここでもアメリカが模範とされた。

 旧制度では有名無実に等しかった大学院が新制度になって飛躍的に増強され、これによって日本における学術研究、とくに化学を含む自然科学研究のポテンシャルは画期的に向上した。しかし、もう一つの特色であった教養課程は、当初の華麗なスタートにも関わらず、その後急速に色あせてしまった。平成3 年、大学審議会はカリキュラムの大綱化と大学院重点化を基本とする大学改革の基本方針を答申した。

 審議会が本来意図するところではなかったが、この答申を機に教養部の解体が急速に進んだ。現在、大学院重点化はすべての大学で実現されたわけではなく、未だ進行中であり、完成された後の状況を検討するにはいま少し時間が必要である。しかし、教養教育担当の責任の所在があいまいとなり、大多数の教官が学部教育に背を向けて大学院での研究のみを指向すれば、結果は自ずから明らかである。

 高等学校から大学学部への教育の連続性は阻害され、学部教育も空洞化しよう。これでは、教官が大学院での研究にいくら努力を注いでも、大学院生の素質は低下し、後継者すらえられなくなってしまう。大変な事態となろう。こ の状況を変革し、教育、研究を軌道に乗せ、一段と活性化する方途には多くの選択肢があろう。

 以下に、「提言」で述べられている提案を一つのたたき台として、上記の深刻な状況を打破するための新しい方途を探ることとする。科 学研究費が多くの関係者の努力により毎年増額され、これに加えて平成8 年度からは出資金が登場した。これらの配分方式には抜本的に改めなければならない点が多いが、研究費の総額は現在の日本の経済状況からすると満足すべきものに近いのではないか。

 むしろ問題は、この研究費を、優れた研究者がその傑出した研究能力により独創的な研究課題を追求するのに、如何に有効に配分して画期的な研究成果を挙げるよう計らうのかである。そのためには適材を適所に配置する流動的な研究体制が必要不可欠である。現在の大学院重点化方式では、学部教育の負担増を考えると、到底十分な対応が難しい。多くの教官はいまだに学部と大学院を切り離すことに強く抵抗しているが、自分が両方の責任を充分果たしているか否か、あるいは可能か否かを真剣に反省すれば、結論は自ずと明らかであろう。

 大学学部では教官は90 %以上のエネルギーを教育に注がなければ十分な成果は望めない状況である。一方、重点化された大学院においても、現在のような中途半端な活動では、国際競争の先頭に立つことは到底望めない。抜本的な制度改革を導入しなければ、日本の高等教育、研究は崩壊してしまう。

 抜本的な改革を論ずる前に、一人の研究者の研究寿命がどれくらいの長さであるかを考えたい。もちろんこれは人によって異なり、また研究分野にも左右される。しかし平均すると、10 年ないし15 年間、十分な研究費の配分を受けて研究に集中できれば、その研究者がもつアイディアのかなりの部分が具体的に試されることであろう。

 そこで研究に十分な資質をもつ教官には、その大学在任中に少なくとも1 回、恵まれた研究環境において研究に専念する機会を与える。残余の期間は教育、または管理運営、研究連絡・調整等に専念する。研 究の場を、教育をはじめとするその他の活動の場から切り離し、人事の流動化を図るのが上策であろう。例えば、大学学部をもっぱら教育中心の場とし、大学院を研究中心に組織する。10 ないし15 年を研究の標準的な期間とすれば、大学院の任期はこの期間によって決まってくる。すなわち教官は、原則として大学に所属し、上記一定の期間大学院に出向する。

 大学院の人事を固定すれば、大学院と学部で「格差」が生じ、教養部の失敗を繰り返すことになろう。大 学院の組織には研究科を廃し、10 ないし30 名の教授あるいは助教授からなる専攻を中心に運営する。専攻の期間は評価機関の審議によって決定されるが、15 年を越えないこととする。専攻設置の期間が終了したときは、スタッフは原則としてそれぞれの所属していた大学に戻るが、他の大学や他の大学院に移動することは妨げない。ただし、他大学院に移ったときは、元の大学のポストは保証されなくなる。

 大学院には、学長、副学長を始め少数のスタッフをおき、専攻の設置と終了をはじめ専攻に関する連絡、調整にあたる。大 学院の予算は科学研究費補助金等の外部資金によりまかなう。これらの研究費の申請、採択は、大学院と大学学部で別々に行うこととし、大学院には採択率、充足率ともに特別な配慮をして、そこでの研究が徹底して遂行できるように計らう。また新しい専攻のスタートにあたっては、初期投資を充分に行い、活動が早期に軌道に乗るよう配慮する。

 スタート後の昇任、転出、補充等の人事は、関係大学と協議の上行う。大学院は、大学5 校に1 校の割合で設置する。すなわち大学の教官のうち約1 /5 の人材が大学院に出向し、研究と大学院教育に専念する。大 学学部では、専門に応じた「教室」と異なった専門の教官の集まりである「教官団」の2 種類の組織をおき、教育と研究にあたる。個々の学生の資質に応じた木目細かい指導を基本とするが、教室ではそれぞれの専門の研究を推進し、大学院に進学する学生にそれぞれの分野で必要とする基本的な重要事項を教授する。

3 −3 .化学の研究室

 すでに述べたように、化学を中心とする分野では、研究グループはリーダーを中心に2〜3 名のパーマネントスタッフ、博士研究員、大学院学生、それに1 〜2 名の支援職員、合計10 ないし15 名程度から成るものが標準と考えられる。グループリーダーが教授であれば、パーマネントスタッフは多くの場合助教授や助手であろう。しかし助教授はアメリカの準教授に並ぶものであって、研究においては独立した活動ができるように制度的な保証を与えるのが順当であろう。

 しかし学部教育では経験を積むことが重要で、教授と連携して担当することが好ましい場合が多い。臨機応変な対応が望ましい。従来から化学の教育では、助手が要の役割を果たしてきた。すなわち化学実験では実地での手ほどきによらなければ修得が困難な技法が多く、そのため助手の存在が不可欠なのである。

 しかし、助手をとりまく人事環境が著しく変化してきている。大学院の充実、日本学術振興会特別研究員等の博士研究員の著しい増加(ポストドクター1 万人計画は達成間近である)等により、助手の地位が相対的に押し上げられている。助手という名称が不適切であるとの指摘がなされて久しい。現在、キャリアーパスとしての助手の講師への格上げが国立大学協会などで論じられている。

 日本では若手研究者がなかなか一人立ちさせてもらえず、これが日本の研究から活力を奪い、独創的な研究の出現を困難にしているとの指摘がある。その通りである。助手の地位では自由度が充分には保証されないので、将来性のある若手人材をいち早く助教授や教授に昇任させるよう配慮することが大切である。

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4 .研究環境

 化学の研究・教育をめぐる環境は、未だに多くの改善すべき点を残してはいるが、最近著しく整備が進んだといってよいであろう。今後は、量的な整備に引き続き努力を傾けることはいうまでもないが、次第に質的な整備に重点を移していくべきではないだろうか。いわゆるソフト面での改善が一層もとめられよう。

4 −1 .研究費

 国の予算の伸びが厳しく抑制されている昨今においても、科学研究費補助金は毎年10 %に近い増加となっており、平成11 年度予算では1300 億円を越して、目標の2000 億円に向け順調に進んでいる。科 学研究費の大部分は、いわゆるbottom-up 方式によって配分されている。

 これは長年の研究者の変わらぬ主張によって築かれた結果であり、特に大きく評価されるべき点である。最近導入された出資金による研究費の多くが、top-down 方式を主としているのと良い対照をなしている。

 国の経済状態が厳しさを増すと、研究のアカウンタビリティが求められるようになり、研究費配分にも目に見える成果、とくに実用的な成果を保証するような安全な方式が採られがちになる。研究課題の選択から、研究担当者の選考まで、「効率」の良さが重要視される。確かにこのような方式を採用すれば、それなりに「成果」が得られることもあろう。しかし長い目で見たとき、学術の進展に大きなバイアスがかかり、取り返しのつかない事態を招きかねない。

 学問の健全な進歩はそれほど甘いものではない。それどころかこのような要請は大きなマイナスをもたらしかねない。こうした学問の特質を広く社会に周知徹底させることは、研究や教育を預かる者が果たすべき大きなそして重要な任務であり、役割である。

 bottom-up, top-down いずれの方式をとるにせよ、研究は、
(1 )分野あるいは課題の設定、
(2 )申請の採択と担当者の人選(事前評価というべきもの)、
(3 )中間や事後の評価、の3 段階から成り立っている。

 重要なことは、それぞれの段階を別々の独立した組織(委員会)が担当することである。これらの組織の間の連絡調整は不可欠ではあるが、あくまでもそれぞれの独立性を担保した上で、それぞれの任務を遂行することが肝要である。

 評価については歴史が浅く、経験不足であることは否めない。しかしその困難さを理由にこれをないがしろにすることはもはや許されない段階に到達している。このことを明確に認識することが大切である。申請課題の査定、いわゆる事前評価を行う際には、課題の内容自体の評価とともに担当する研究者のポテンシャリティが問題になろう。

 ここで留意すべきことは、研究(とくに基礎的な研究)には不確定要素がつきものであって、誰人もその結果を十分に予測することはできないということである。ただしすでに類似の研究が多数行われていて、その分野の活動がルーティーン化しているときは、それなりに厳しい評価が与えられなければならない。そうではない斬新な研究計画に対する事前評価の場合、留意すべき大切なことは、プロジェクト設定に対して適切なアドバイスを与え、より大きな成果達成への可能性を高めることである。中 間評価に際しても、研究がより有効に進行するように助言することを基本としたい。

 これに対し、研究終了後の評価は、担当研究者が今後行う課題申請の採択にあたって重要な参考資料となるものであることはいうまでもない。しかしながら、ここでも研究者をエンカレッジする方向での評価を基本とすることを忘れてはならない。これは甘い評価をすることとは全く異質の話である。

4 −2 .施設、設備

 国が定めたいわゆる基準面積では、化学実験を行うにはきわめて不十分であって、しばしば危険な状況すら現出する。この問題は、日本化学会や化学研究連絡委員会等でしばしば指摘され、調査検討の対象になった。その結果をふまえて、文部省をはじめ関係各方面に現状の説明が行われ、基準面積が25 %増加された。これはきわめて大きな成果である。

 しかしながら、大学によっては、敷地内に余裕がなく、折角の基準面積が生かされていない。実験室の狭隘の状況は解決からほど遠く、化学系研究室の施設問題の中では、依然最大の課題である。

 昨今、研究室等における毒物事件が社会的問題となっているが、薬品管理の点からも、施設の面積確保は喫緊の課題である。一 方、設備については、核磁気共鳴、質量分析、赤外・ラマン、X 線等々の機器はかなり充足したといってよいであろう。問題は、これらの大型機器の設置場所、維持費あるいは更新費、保守管理要員等である。以前から指摘されていることであるが、大型機器のリース制度を本格的に考えるべきときが来たのではないか。

4 −3 .支援体制

 科学技術基本法が制定され、基本計画が決定されて3 年が経過した。その結果、支援職員も急速に増強されている。博士研究員は1 万人計画がスタートし、すでに9 割近くが達成されている。TA ,RA の制度も、まだ不十分な面が多いが、次第に普及しつつある。

 しかしながら、博士研究員は、少子化の問題、アカデミックポストの不足、企業等への進路制限等の問題があり、これ以上の増員は新たな社会問題となろう。一つの解決は、名誉教授等の高齢者の登用である。平均寿命の伸びにより社会が急速に高齢化しているが、学問の世界ではこれに対する対策が著しく遅れている。社会の人口分布の変化を視野に容れた抜本的な対策が喫緊の課題である。事 務体制にも変革が要請されている。
 国立大学の場合、公務員の定数が大幅に(20 %)減らされようとしている。人材派遣等を活用して対応することの他、事務処理方式自体を抜本的に簡素化することが必要である。

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5 .教育

 化学を始め「理科」を中心に教育の現状と問題点を取り上げ、その解決策を提案する。

5 −1 .小学校・中学校における教育

 初中等教育では、中央教育審議会等で提唱されているように、「ゆとりある教育」を実現したい。知識偏重に落ち込むことなく、自然に親しみ個性を伸ばすよう計らうのが肝要である。しかし残念ながら、現実はしばしばこの理想からほど遠い状況にある。そ の原因の中でもっとも大きなものの一つは上級学校への入学試験選抜である。
社会の価値観に深く根ざしており、解決は容易ではない。しかし、大学や高等学校の努力によって弊害を軽減することはある程度可能であり、少しでも実行に移すべきである。近い将来押し寄せてくる小子化が変革への一つのチャンスである。生徒一人一人の個性を充分見極め、各人にもっとも適した指導をする。木目の細かい対応を実現したい。

 も う一つの問題点は、本当の意味で理科を担当できる教師の養成である。自然についての知識だけではなく、自然そのものに取り組める教師を育てたい。現在の養成課程では、真の理科教育が軽視され、担当できる教師は育っていない。「理科離れ」は生徒の問題ではなく、教師養成課程の現状が如実に物語っているように、これも社会の価値観、ものの考え方に由来している。教育学部等における教員養成カリキュラムに理科実験を大幅に取り入れる等抜本的な改革を実現したい。

5 −2 .高等学校における教育

 高等学校が、小学校から大学・大学院に至る学習課程全体の中でどのように位置付けられているのか、現状では充分なコンセンサスが得られていないように見受けられる。中学校で義務教育が完了するが、高等学校への進学率は100 %に近くなっている。この事実を充分に踏まえた高等学校の課程を用意しなければならない。

 自由選択の名の下に、限られた数の教科を、必要以上に詳しく教える傾向がある。全体的なバランスを欠いた無責任なカリキュラムである。その最たるものは、文系と理系の早期分離である。高等学校入学の時点でいち早く理系、文系の選択を生徒に強いることは大変な問題である。

 高等学校3 年間は、生涯に一体なにをしたいのか、そのためにはどのような分野に進み、そこでなにを学ばなければならないのか、いろいろな角度から、様々な情報や助言をふまえて熟慮し、そのあげくに自分の進むべき方向を見定める、このようなことに費やしたいものである。こ のもっとも根本的な目標設定をふまえた上で、個々の教科を考えなければならない。

 理科では、基礎的な科目の基本的な課題に集中すべきである。物理学と化学、これに数学が必須で、これらを基本に据える。生涯の目標を見定めるためには、個々の事項ではなく、それぞれの学問の本質、すなわちものの見方、考え方を、これらの基礎的な学問を通じて充分に学ぶことがなによりも大切である。決して知識に偏ってはならない。こ れらの基礎的な学科の基本を充分理解した上で、生物学や地学を含む科目を「総合理科」といった形で教授するのが良い。

 ここでは、食料、健康、生活、環境、気象、天文・宇宙等々身近で興味ある、しかし人間として極めて重要な事項について必要不可欠な知識を与え、常にこれらの課題の本質を正しく理解できるよう指導する。大 学及び大学入試センターは、高等学校の教育に対する充分な理解に基づいた入学試験、センター試験を用意すべきである。ここでも通り一遍のペーパーテストではなく、生徒個人個人の個性が充分把握できるような方策(例えば面接や作文等)を導入すべきである。センター試験では、試験会場確保の都合上、物理と生物、化学と地学がそれぞれ一組にまとめられているため、それらのうちの1 科目ずつしか受験できない。これは本末転倒の典型例である。近い将来改善されるとのことであるが、当然のことである。

5 −3 .大学学部における教育

 高等学校から大学への進学率はすでに40 %を突破した。数年後には60 %に達すると云われている。研究をもっとも重視する「研究大学」といえども、狭い専門科目の教授に終始するようなことはもはや許されない。大学のおかれている環境の変化を明確に認識すべきである。

 今後は、様々なバックグラウンドをもった学生の多様なニーズに見合うカリキュラムを用意し、個々の学生にもっとも適した教育を個別に行うこと、すなわち少人数の多彩な教育を指向すべきである。こ のような状況を踏まえると、大学学部はその活動の力点を研究から教育へ大幅に移すこと、研究は大学院を中心に機動的に行うこと、この2 点を中心とした改革が必須と考える。

 一つの選択肢は、付録に記す提案:「大学及び大学院の抜本的な改善に向けて」である。この案では、学部の教官は、それぞれの専門に従って「教室」に所属するが、それと同時に異なった専門の教官10 名程度から成り立つ「教官団」にも属する。この教官団が、個々の学生に木目細かい指導を行うと同時に、各教官はそれぞれの専門に基づいた講義を、専門外の学生にも理解できるように行う。

 一般教育科目が不人気であった一つの大きな原因は、‘‘一般教育’’の教師という本来存在しない職に無理に人材を配し担当を任せたことにある。この点を充分に認識せずにいたずらに従来のような形で一般教育科目を復活させても、学生の関心を惹くことは期待できない。前者の轍を踏むだけである。真の専門家が、それぞれの分野での重要な成果を、学生を含め他分野の人達に分かるように紹介することがもっとも良い一般教育となるであろう。さらに重要なことは、教養教育は年齢に依らないことで、‘‘大人’’なっても常に研鑽を積むことが必要不可欠なことである。教官といえども学生同様常に‘‘教養’’の涵養に努め、一般教養科目を、学生だけでなく自分の課題でもあるという認識に立って、その充実に取り組まなければならないのである。

 高等学校卒業時までに各学生が学習する内容に大きな差異ができてしまうことはもはや避けられない。今後は、新卒学生の比率が下がり、社会人学生等リカレント教育に対する需要が大きくなろう。大学はこれらの事実を自明、当然のこととして受けとめ、適切に対処することが求められている。

 すでに述べたように、多様な学生に木目細かい個別的な対応をする以外に選択の余地はないのである。また学生は本来資質的に多様なのである。具体的な方策としては、クラスの数を増やし、レベルや興味に応じたカリキュラムを組む。教官側の入念な対応があって始めて学生に厳しい学習が要求できる。節度のある教育がなによりも求められているのである。

 平 成10 年10 月26 日に出された21 世紀の大学像についての大学審議会の答申は成績評価を厳密に行うよう求めている。これは当然のことである。現在では、学生、教官だけでなく、卒業生を受け入れる企業を始め社会全体が、大学における成績評価を全くといって良いほど評価していないし、期待すらしていないように見える。成績評価を厳格に行うべきであるという論調すらきわめて低い。これでは真面目に成績評価をしようという教官は孤立してしまう。このような状況を根本的に変革することは不可能に近い。ここにも日本社会のものの考え方、哲学が顔を出し、大学における成績評価の実行を著しく困難なものにしている。こういった状況にある日本と良いコントラストにあるのがアメリカで、その制度は透明である。受講届提出の段階からきわめて厳格であり(当たり前のことであるが)、学習は真剣勝負そのものである。成績は点数で明確に表され、grade point average (GPA )として、卒業や大学院受験の資格、さらには就職にももっとも重要な判定材料となり、学生の将来を大きく左右するのである。そ れでは日本にもアメリカの制度をそのまま導入すれば良いものであろうか。仮にある大学の中の一部で始めても、定着することは難しい。なれあい、もたれあいに馴れ、節度を失った日本社会は学生の気質までスポイルし、ある種の科目では厳しい教官の講義を避け、もっとも単位取得の容易な道を探索する有様である。改革は単純には達成できない。ここでも、木目細かい学生・教官の接触が出発点となる。

 前記教官団が活躍する場がここにある。成績評価を単なる数字などで表すことは、しばしば有害無益な結果に終わる。個々の学生の資質を、多角的な面から分析、理解し、充分な資料に基づいて判断しなければならない。大切なことは、どの学生にも固有の優れた資質があることを確信し、その発見、伸張につながるような判定を下すことである。学生の資質を的確に把握し、それに基づいた日本固有の優れた成績評価方式を開発することが喫緊の課題である。

5 −4 .大学院における教育

 日本の学問には独創性が欠如していると言われれている。確かに日本で生まれ育ち、世界を席巻した学問は、皆無ではないが、きわめて限られている。また日本在住の研究者が中心になって書いた論文は、研究者あたりの数では世界的にもトップクラスに入るが、引用回数あるいはインパクトパラメータでは20 位を割るという深刻な統計がある。

 このような事実から、日本人は、すでに確立された知的資産を取り込み消化することには長けているが、独創性を欠いた人種であるとされてきた。果たしてそうであろうか。現在まで採られてきた教育、とくに高等教育や研究の制度に大きな欠陥があるのではないか。独創性の欠如よりも、むしろ制度に対する構想力不足が問題なのではないか。

 ‘‘根回し’’という日本固有の言葉に見られるように、日常的な些末事を巧妙に処理あるいは回避することは得意であるが、長期的な見通しに立った基本方針の策定は不得手で、おろそかにしてきたのではないだろうか。現在、社会が世界が大きく揺れ動き、激しく変化している。このような時こそ、高等教育・研究の制度を根本的に見直し、日本の特質に合致したユニークで優れたものに変革していく絶好の機会ではないだろうか。

 それには斬新なアイディアを喚起し、多角的な面から充分な検討を加え、その結果に基づいて試行的な実験を行うのが有効であろう。そのような試みに資するため、ここに化学を中心とした一つの大学院教育制度を提案する。高 等教育・研究には、分野あるいは課題についての広さと深さ、制度の面での安定性と流動性、といった相反する2 面がある。ある特定の分野で世界的に認知され評価されるような成果を挙げるには、一つの課題についての深く掘り下げた探求が必要である。

 しかし、狭い範囲の課題について精緻な研究を行う傾向は、自然科学を中心に近年とくに顕著となり、学界に強固な‘‘縦割社会’’を形成してしまった。もちろん、この傾向を全面的に否定することはできない。実際、特定の課題を深く追究することによって、画期的に新しい分野が展開されたこともある。しかし、ようやく分野間の壁の厚さのもたらす弊害が認識されるようになってきた。その領域でいかに優れた業績と評価されても、それ以外の分野から全く無視されてしまえば、なんらの発展も期待できず、その成果は死滅する。

 縦割社会の弊害を防止する策は、学術交流、人事交流であるが、その基礎をなすものは広い視野に立った教育である。教育とは確立した知的財産を次の世代に継承していく行為とする考えがある。学問は常に新しい展開をみせる。したがって、このような考え方に従ったとしても教育は徐々に変化する。しかしながら、この捉え方は明らかに静的固定的に過ぎ、初中等教育においてさえ、極端な場合には教育活動の沈滞を招きかねない。

 いわんや教育と研究がきわめて密接な大学院においては、到底受け入れ難い考え方である。そこでの教育はダイナミックかつ流動的でなければならない。知識の伝達継承だけではなく、実践的な教育活動が重視される。学 生が大学学部から大学院への進学を志すとき、大学院で行われている研究の内容、そしてそれを担当している研究者のものの考え方を広く国内外にわたって調査し、進学先を決定するようにすべきであり、また教官はそのように指導しなければならない。

 自分の所属している大学内に設けられているからといって、なんらインセンティブや見通しもなく、そのまま大学院へ進学するようなことは絶対に避けなければならない。なお提言では、大学と大学院を制度的に切り離しており、安易な大学院進学が自動的に抑制されよう。現 在の大学院課程は、前期(修士)課程2 年と後期課程3 年から成り立つものを標準としている。前期課程にはスクーリングが重要な部分を占めている。この形態は勿論検討の余地があろう。

 しかし、学生の個性に応じたフレキシブルな運用さえ担保されれば、一つの基準として妥当なものである。そういう前提で考えると、教育の大部分が前期課程で行われるのは順当で、研究に密接した博士論文の作成は後期課程の主目標に委ねられる。前 期課程の教育プログラムは、10 ないし30 名の教授または助教授を中心的なスタッフとする専攻単位で用意するのが妥当である。

 しかし、当該専攻内のみで閉じたカリキュラムは全く好ましくない。関連専攻とタイアップし、相互乗り入れが可能であるように配慮する。もっとも基本的で重要なことは、専攻としてどのような教育目標をたてるかということ、すなわちその専攻を修了した学生が基本的要件として何を身につけていなければならないかを明確にしておくことである。その目標を総合的に充分達成できるカリキュラムを、スタッフの間の徹底した討議、意見交換によって作成準備しておくこと、その際学問的な深さと同時に広さを担保することを忘れてはならない。

 さらにカリキュラムが固定した魅力に乏しいものになっていかないように常に検討を加え、その改善向上に努めなければならない。スタッフはこの作業がもっとも重大な責務の一つであることを強く認識しておかなければならない。従来カリキュラムは担当する教授または助教授の意向に個別に委ねられ、それらの間の連係、調整は完全に欠落していた。これでは総合的な視点での教育は望むべくもない。論外である。

 前期課程、後期課程を通じて心すべきことは、大学院学生の教育研究活動が、指導教官の研究グループのルーティーン的な活動に堕してしまわないことである。もちろん、グループの活動から大きく外れることにはいろいろな困難を伴うことであろう。しかし、学生が新しい方向を見いだしたときは、それがデッドエンドに終わることが明白な場合を除いて、チャレンジを勧めるようにしなければならない。場合によっては、指導教官が新しい試みを教唆することさえ必要である。研究にあっては、新味の乏しいものは無価値に近いという当たり前のことを実感させなければならない。

 新しいチャレンジは、新しいことを学びながら行われるものであって、教育的観点からも推奨されるべきものである。博 士論文の審査は透明でなければならない。これを担保する一つの方策は、すでに多くの機関で実行に移されているが、指導教官が少なくとも主査にならないことである。場合によっては、審査委員から外すこともありえよう。学生の自主性と指導教官の責任とが微妙に関連する問題であり、慎重な取り組みが必要である。外部から審査委員を招くことは、すでに多くの大学で行われている。またいくつかの国で実行されているように、外国の適当な研究者に意見を求めることも検討に値しよう。

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6 .人類社会と化学

 近代科学は西欧において生まれ育った。現在では、その影響は世界の隅々まで行き渡っているが、活動の中心は依然欧米にあると云ってよいであろう。近代科学の基礎にはヘレニズムとキリスト教があると云われている。また通説になっているように、デカルトに始まる近代合理主義が、科学の発展を支えたのは事実であろう。

 イスラムの世界やインド、中国などの東洋諸国も長い歴史をもち、その間高度の文化を生み出してきた。しかしこれらの地域は、近代科学の生誕、成長にとって掛け替えのない何らかの重要な因子を欠いていたのであろうか、錬金術や占星術等近代科学の種となりうる活動が無かったわけではないが、ついに科学の花を率先して咲かせることはなかった。化学の祖先と云われている錬金術とそれから進んだ alchemy も、当初は世界のいくつかの地域で興ったが、ヨーロッパを中心とした地域でのみ近代、現代の化学へと結実したのである。しかしながらその成果は今や全世界に広まり、人類社会を大きく変えようとしている。

 近代科学の重要な1 員である化学も、この動向に大きく参画してきた。ただ心しなければならないことは、当然のことながら、人類あっての化学ということである。化学の影響が大きく深く人類社会を左右する今日、化学者は社会と化学の接点に鋭い注意を向けなければならない。また化学が人類自身にとってどのような意義をもつものであるかを深く省察しなければならない。

6 −1 .人類の生活と化学

 朝目覚めたときから、我々は無意識のうちに化学の力を借りて行動を開始する。歯ブラシ、練り歯磨き、石鹸は云うまでもなく、水道の蛇口も場合によってはプラスチックでコートされている。これらは化学が生み出したものだ。朝食の食卓でも、食器や調味料の容器に始まり、食物自身にも化学工業の手が伸びている。衣、食、住、諸道具、自動車、数え上げればきりがない。

 人類の生活‘‘改善’’に対する化学の寄与は想像以上である。なかでも太平洋戦争後華やかに登場し石油化学工業の影響が大きい。以 上は物品を主に取り上げたが、エネルギー節約にも大きく寄与している。冷蔵庫、空調設備、照明器具、飛行機や電車、自動車等の交通手段。これらは化学製品の使用によって断熱特性や軽量化が大幅に向上し、エネルギー消費を画期的に削減した。エネルギー問題が一段と厳しくなることが予想される21 世紀には、エネルギー効率はさらに向上されるであろう。

 しかしながら、今後は生活の利便性を犠牲にしても、環境に配慮した観点からの取り組みが要請されるようになろう。食 料生産の高効率化を目指して種々の薬品が使用されるようになって久しい。‘‘害虫’’の駆除である。しかしようやく残留する農薬の影響が憂慮され、薬物の使用を制限するようになってきた。あるいは性誘引物質を用いて生殖システムを攪乱する方法が取って代わろうとしている。

 生産効率向上のための遺伝子操作も、様々な危惧の念を払拭仕切れないまま、実用段階に入った。人 類は病原菌対策としてペニシリンを発明し、以来多種多様な抗生物質を作って、大きな成功を収めた。しかしながら、これに対して最近耐性菌が登場し、大きな問題になっている。新しい戦略が待望されているが、難題である。こ のようにいくつかの深刻な問題が登場してはいるが、化学はもはや人類の生活を維持するのに不可欠となっている。問題の解決も化学の力なしには達成されないであろう。

6 −2 .環境・安全問題

 オウム事件が大きな契機となって毒物、劇物に対する認識が高まってきた。これに刺激されたかのように、いくつかの大学、研究所、企業で、飲料用の湯が入ったポットに毒物を投入するという悪質な悪戯が頻発している。さらに砒素化合物をカレーに混入して大量殺戮を図るという大犯罪が起こってしまった。化学薬品の管理は大変厄介な問題で、とくに活発な研究を行っている研究室では至難の技である。

 しかし、化学者以外に薬品の管理を責任をもって引き受ける者はいないわけで、この意味で化学者の責任は重大である。「化学士」という資格を国家試験によって導入し、企業等薬品を扱う団体にその雇用を義務づけるという案がある。化学士は、薬品の管理だけでなく、それぞれの持場で働く従業員に薬品に対する正しい理解が普及するよう努めることを職務とする。しかしそのような専門家が認知されていない現状では、化学を専攻した者がその任にあたらなければならない。その際大切なのは、本来の研究活動や業務を妨げないような薬品管理体制を確立することである。難しい問題であるが、何とか解決の道を探ることが必要である。

 医療用薬品も多くの問題を孕んでいる。その中の多くは化学者が取り組むべきものである。産業廃棄物は環境問題の中のもっとも中心的な課題で、全地球的な観点からなおざりに出来ない深刻なものである。今後の産業は、資材をリサイクルするという視点なしには存在を許されなくなろう。現在使用している材料も逐次リサイクル可能なものに置き換えたり、あるいは新しいリサイクル技術を開発して、処理するようにしなければならない。

 地 球大気のオゾン層が破壊され、オゾンホールが出現した。その原因がフロンの分解で生成する塩素であることが指摘されてすでに25 年になろうとしている。幸い憂慮された皮膚ガンの発生は未だ明確には報じられていないが、オゾンホール自体は、フロンの製造が厳しく規制されているにも関わらず、消滅にはほど遠い現状である。

 もう一つの問題として地球の温暖化が憂慮されている。こちらは二酸化炭素等のいわゆる温室(green house )ガスが原因とされているが、現象の複雑さのために未だ充分な理解ができていない。ここでも化学者の責任が問われ、問題の所在を明確にすることと、もし本当に問題であれば、その対策が要請されよう。

 最近になって広く認識されるようになったさらに深刻な課題は内分泌性攪乱物質(通称‘‘環境ホルモン’’)である。この原因となったPCB やダイオキシン等の物質は化学が創出したものであり、この問題の元凶が化学と云われても反論することはできない。

 しかし、ここでも化学でなければ問題を解決することは不可能であろう。まず問題の物質を高い感度で迅速に分析する手法を確立することである。さらに北極にまで拡散したと云われているこれらの物質を濃縮、除去する方法を創出することである。分析化学の大きな、やり甲斐のある研究課題である。

6 −3 .化学の啓発活動と一般社会人に対する化学の教育

 高分子化学、石油化学等太平洋戦争後、化学は人類の生活向上の第一線に立って活躍し、賞賛と感謝を一身に集めた。しかし、企業活動が活発に、また大規模になるにつれて、処理を怠ってきた産業廃棄物がいくつかの深刻な問題を引き起こし、化学のイメージは急速に悪化の一途を辿った。

 いわゆる公害問題である。1970 年代には、化学は優秀な若者を引きつけることができなくなってしまった。全世界共通に化学が直面した深刻な問題である。しかしながら、この公害問題の克服自体も化学なくしては解決しないことが次第に明らかになり、多くの化学者の努力が稔って正しい方向が見え始めている。

 化学製品のリサイクルや廃棄物の適切な処理を保証する手法が発明され、実用に供されるようになった。これらの業績は化学のイメージ改善に大きく寄与することであろう。社会に対して化学をPR する際には、大いに強調しなければならないことである。「 化学を勉強するには亀の子を覚えなければならない」などと云って、昔から化学を毛嫌いする人が少なくなかった。

 確かに化学を専攻するには、物質をある程度は記憶しなければならない。しかしすべての学問に共通していることと思うが、完全な丸暗記は有害無益であることが多い。化学といえども、多彩な物質を貫く重要事項があるわけで、それらを正しく理解してさえいれば、個々の物質を一々記憶する必要は無い。必要がある度に適宜文献やデータベースを参照すれば充分である。

 高等学校や大学学部で、化学専攻を志していない学生に化学を教えるには、とくにこのような点に留意することが肝要である。すなわち物質の化学的性質をグローバルに把握出来るような教育を心掛けるべきである。それがあれば社会人になっても、化学物質に対して適切な対応ができよう。

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7 .化学の研究課題:ケーススタディ

 特定の学問分野の将来とは何であろうか。恐らくその領域で今後どのような活動が行われるかであろう。化学の場合も例外ではない。どのような課題を巡ってどのような研究が行われるか、これがその将来である。従って将来構想策定における最大の課題は、今後化学としてどのような研究課題があり、それらにどのようにして取り組んで行くのかである。

 このもっとも基本となる活動を成功させるためには、現在の教育・研究体制をどのように改善していかなければならないのか、周辺分野との協調をどのように図って行くのか、若手研究者をどのように育てたらよいのか、社会になにをどのように還元していけばよいのかといった問題を平行して取り上げていかなけれならない。

 しかし、もっとも根元的な問題は、今後化学がとりあげるべき研究課題は何かということである。こ の根本問題は、当然10 名の将来構想小委員会委員だけでは解決できない。試案を提出することすらできない素性のものである。現在一段と流動性を高めている諸々の社会的・経済的・人的条件を十二分に踏まえた上で、化学の分野のすべての研究者が自由な発想から取り上げるのが真の研究課題である。

 しかし、環境は時々刻々動いており、時間をかけて化学の研究者全員から率直な意見を聞き出すことは不可能である。そこで、日本に在住している化学の研究者から適当な方々を選び出し、今後化学の分野で発展が期待される課題について自由に記述していただくこととした。

 化学研究連絡委員会委員61 名は化学関連分野を代表する研究者であるので、まずこれら委員の方々に執筆をお願いすることとした。これに加えて、化学将来構想小委員会委員の周辺で、この問題について適切な意見をお持ちの方々、また化学研究連絡委員会委員では充分カバーできないと思われる分野から適当な方々を選び寄稿をお願いすることとした。このようにして、結局111 名の方々にケーススタディを依頼した。実際に執筆していただいたのは55 名で、全体の丁度半分であった。すべて大変貴重な見解である。原稿を再録することはスペースの都合によりできないので、以下に標題と執筆者名を掲げる。


7 −1 .溶媒抽出化学(赤岩英夫)
7 −2 .スピン化学(安積 徹)
7 −3 .錯体化学(北川 進)
7 −4 .化学生態学、その誕生、現在と展望(桑原保正)
7 −5 .分子性金属クラスターの化学(干鯛眞信)
7 −6 .金属タンパク質の構造と機能を再現する錯体の化学(諸岡良彦)
7 −7 .高分解能高感度分光法(廣田榮治)
7 −8 .有機化学反応の総合化の提案(山本尚)
7 −9 .今後発展が期待される化学の研究課題(山本嘉則)
7 −10 .生体機能関連化学(杉浦幸雄)
7 −11 .均一ポリマーの化学(畑田耕一)
7 −12 .新しい共役電子系を持つ有機・金属複合系の合成と物性(中村晃)
7 −13 .化学を越えるもの(磯部稔)
7 −14 .化学反応動力学:基礎物理学から化学への飛翔(鈴木俊法)30
7 −15 .超分子化学・高分子化学とナノ化学(国武豊喜)
7 −16 .化学の研究課題(志田忠正)
7 −17 .ケーススタディ‘‘無機化学’’(荻野博)
7 −18 .原子分光分析化学分野での今後の課題(熊丸尚宏)
7 −19 .分離分析化学の展望(寺部茂)
7 −20 .日本発の食と健康の科学−食と薬の接点をなす食品因子の解明に向けて−(大東肇)
7 −21 .生物資源とポスト石油化学(上野民夫)
7 −22 .高分子化学の立場からみた今後発展が期待される化学の研究課題(蒲池幹治)
7 −23 .強相関ソフトマテリアルの科学(西敏夫)
7 −24 .これからのX 線構造化学(岩崎不二子)
7 −25 .21 世紀の分析科学の目指すもの(澤田嗣郎)
7 −26 .強磁場化学(谷本能文)
7 −27 .有機合成を指向する有機金属化学(村橋俊一)
7 −28 .ナノスケールアンテナ分子の設計と光エネルギーの変換(相田卓三)
7 −29 .規則性ナノ空間を利用した新しい触媒化学(岩本正和)
7 −30 .複雑系組織としての高分子凝集体:その構造物性相関の分子論的解明(田代孝二)
7 −31 .理論化学(平尾公彦)
7 −32 .分子のダイナミクスの理論化学(高塚和夫)
7 −33 .強光子場の化学−新しい分子光科学の展開(山内薫)
7 −34 .新分析法が望まれる化学の分野(梅澤喜夫)
7 −35 .ケミカルサイエンスの推移(村井眞二)
7 −36 .無機化学・分析化学の将来を考える(松本和子)
7 −37 .高温超伝導と材料科学(北澤宏一)
7 −38 .分子集合組織体の構築と機能発現(岩村秀)
7 −39 .「高分子らしさ」を追求する科学の位置付けについて(安部明廣)
7 −40 .高分子の分子形状と分子物性(則末尚志)
7 −41 .化学と環境(生越久靖)
7 −42 .今後発展が期待される化学の研究課題について(小林速男)
7 −43 .生体高分子の合成と高次構造研究(大塚栄子)
7 −44 .今後発展が期待される化学の研究課題(北川禎三)
7 −45 .表面の原子・分子および組織集団の化学創出と反応制御(岩澤康裕)
7 −46 .今後発展が期待される化学の研究課題(小島憲道)
7 −47 .表面錯体化学−現状と展望(芳賀正明)
7 −48 .化学の将来構想について(中林宣男)
7 −49 .ケイ酸塩化学の新展開(黒田一幸)
7 −50 .14 族高周期元素基礎化学のこれからの研究課題(吉良満夫)
7 −51 .複雑系の化学−化学と物理の融合(岩原弘育)31
7 −52 .巨大分子鎖が形成するソフトな秩序と乱れの構造−ブロック・グラフト共重合体の単分子および多分子会合体−(野瀬卓平)
7 −53 .デンドリティック高分子−新規機能複合材料−(柿本雅明)
7 −54 .今後発展が期待される化学の研究課題(菅原正)
7 −55 .星間化学の研究(川口建太郎)32

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8 .おわりに

 平成6 年末、第16 期日本学術会議化学研究連絡委員会委員長井口洋夫先生から、化学の将来構想のとりまとめを命じられた。それ以後すでに4 年余が経過しようとしている。化 学のような基礎的で大きい分野については、10 年くらいの周期で、その将来に関する構想を充分検討し、それに基づいて将来計画を立案することが必要不可欠と考える。その意味で、今回の将来構想の検討は時宜をえたものと云えよう。

 しかし、10 年の周期の間も、不断に分野の活動状況を点検し、進むべき方向について検討を重ねることが肝要である。昨今、世界的な規模で社会・経済情勢が流動的になり、その対応に追われている。しかしその困難さを理由に将来構想の策定をおろそかにすれば、これは正に衰退への道を辿ることに他ならない。

 本報告書でも再三指摘しているように、最近とみに化学周辺分野、とくに生物学や材料科学の発展が著しい。来世紀もこの傾向はしばらくは継続するものと思われる。この事実は、基礎科学としての化学の役割の重要性を物語っているもので、周辺領域との共同研究を推進することは云うまでもなく、それらを支える基礎科学としての役割を見失ってはならない。

 従来の研究・教育体制に適切な検討を加え、これを一層堅固でしかも柔軟性に富むものにするよう努力を惜しんではならない。さらに、社会との接点にも充分な気配りをして、基礎学問としての一貫性を堅持するとともに、時代の要請に的確に答えていかなくてはならない。具体的には一般社会人に化学の基礎を充分理解していただくよう努力すること、また幼児から大学生に至る若年層が正しい化学的視点を確実に取得できるように教育プログラムを展開することなどを具体化しなければならない。

 基礎科学を担当するものの責務である。化 学の将来を常に広い角度から検討するには、それなりの場が必要である。化学研究連絡委員会は本来このような事項を担当するものと考えられるが、残念ながら現実には充分な活動を担保するだけの基盤を欠いている。なんらかの支援措置が必要である。

 本報告書で示唆したように、大学共同利用研究所がそのような場を用意するのが良いであろう。化学将来構想小委員会が活動上に感じたもう一つの困難は、調査機能の欠如である。例えば諸外国における化学及び関連分野の教育・研究動向を的確に把握することは、現体制では著しく困難であった。

 本小委員会では、委員が外国に出張した機会に調査を依頼することとした。その結果4 件の報告が寄せられ、貴重な情報となったが、もちろん充分とは云えない。この点も大学共同利用機関を中心に検討、具体化されるべき課題の一つと考える。本 報告書の作成にあたっては、討論会や小委員会に多数の方々のご出席を仰ぎ、講演をお願いした。ご多忙中にもかかわらず、ご承引いただき、大変貴重な情報、助言をいただくことができた。ここに記して深甚な謝意を表したい。

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提言:大学及び大学院の抜本的な改善に向けて
−−国立大学を中心として−−

1 .問題点

 大学を取り巻く環境(社会)が著しく変化している。この激しい流れに対する大学の対応はいつものことながら大変鈍く、多くの人たちの目には改革への努力不足と映る。そのために少なからず不信感を引き起こしているわけである。云うまでもなく、真理の追究を本分とする大学人は、いわれのない変化に徒に流されてはならない。しかしながら、激動の根元を的確に把握しその本質を充分承知した上で、これに適切に対処しなければ、大学といえどもその存立を許されなくなるであろう。

 昨今グローバル化といった表現で国際性が強調されている。国と国との壁は確実に低くなりつつあり、特殊性を主張固執する国は国際社会から隔絶されてしまう。このことは経済、貿易の面で顕著であり、適切な国際対応を欠く国は存続すら難しくなってきている。

 学問の世界も例外ではない。それどころか学問における国際性は当たり前のことであり、国際的に通用しない学問は学問ではないといっても過言ではないであろう。それでは国の境界は完全に除去されるものであろうか。未来永劫にわたってそこまでは到達しないという保証はない。しかしながら、当面それぞれの国で自ら解決しなければならない事項は少なくなりそうもない。殊に教育はその最たるものである。高等教育に関連して研究も例外ではない。ここに国立機関の存在意義がある。経済的に苦しくなると、とかく国が本来やらなければならないことまで無定見に制限しようとする。そのような貧しい考えに囚われていれば、行く先はじり貧の一途である。心しなければならないことである。

 国の知的活動の中心として、人材育成、基礎研究振興等国立大学が負うべき責務は重大である。しかしながらその責任を充分果たすためには、大学として解決しなければならない重要な問題が少なくとも三つある。その第1 は学生の大衆化である。この問題は世界中の多くの国々が直面しているものである。2 番目は、最初のものとも関連するが、教養教育が等閑に付されていることである。最後の問題は、日本における研究(とくに基礎研究)が著しく遅れていることである。残念なことであるが日本人として真剣に受け止めなければならない大問題である。

(1 )大衆化
 大学への進学率が50 %に達しようとしている。小子化がその増加に拍車をかけるであろう。2010 年には60 %に及ぶといわれている。これに加えて、リカレント教育に対する潜在的需要がある。先進国の中で日本ほど大学入学者に占める高等学校新卒業者の割合の多いところはないとのことである。この文化的性向は早晩変化するであろう。そうなれば、識者の指摘を待つまでもなく、大学の性格が根本的に変わる。個々の学生の興味や能力に応じた木目の細かい教育が求められよう。教官の意識革命が要請されている所以である。しかし、現在のシステムのままで、単に教える側が意識を変えればそれで充分であろうか。明らかに組織上の工夫が必要であろう。

(2 )教養教育
 教養教育は新制大学を特徴づける課程上の要として登場した。しかし、学問の専門化が進むに伴い、教養課程は軽視され、専門教育に重点が移されていった。これに拍車をかけたのが、大学院重点化であり、カリキュラムの大綱化である。後者による教養教育の縮小は、大学審議会が本来指向したところではなかったが、多くの大学は教養部を改組して学部とし、教養科目担当教官も等しく大学院教育に参加させる方向をとった。このことは、久しく冷遇されていた教養部教官の立場からは当然の要請である。結果として教養教育はなおざりにされた。しかしながら、一方において現代学問の狭さが重大な批判にさらされている。今後は、深いが、きわめて狭い知識や経験をもった人材よりも、広い視野に裏打ちされたバランス感覚の優れた人材がますます必要となろう。そのためには教養教育が必要不可欠で、これをいかにして再構築するかが大問題である。

(3 )知的活動の向上
 発表された研究論文数の国別統計がある。日本はアメリカに次いで世界第2 位で、アメリカの約半分である。研究者の数も約半分であるから研究者あたりにすると量的にはアメリカと遜色ない。ところが、その論文の引用回数あるいはインパクトパラメータを比較すると著しく劣っている。このような質的な点での比較では、先進国といわれている国はおろか、その他の多くの国よりも劣っているのである。そのような状況からも容易に予測されるように、日本で生まれ育ち世界に広がった学問は、皆無ではないかもしれないが、非常に少ない。このような基礎的学問における後進性はどのような原因に基づくものであろうか。日本人は独創性に欠ける人種であると云われる。しかし、これは結果の説明に過ぎない。原因の解明が必要である。人事の流動性の欠如、予算の不足、設備の老朽化、研究資源の非効率的な配分、競争的な環境の不在等々が挙げられている。以 上3 つの問題点を念頭に置いて、国立大学の大学学部及び大学院の制度を改革するための試案を以下に述べる。提案の根幹は、大学院と大学を別の組織とし、教官は大学に所属し、その中の一部(20 %程度)が大学院に出向して、10 〜15 年の間大学院の研究教育に専念する。その後は原則として元の大学に戻る。というものである。いうまでもなく、研究は大学院を中心に行い、大学は教育に大部分のエネルギーを注ぐ。

2 .大学学部:「縦糸・横糸論」

 各教官はそれぞれの専門に応じて、従来と同様「教室」に所属する。しかし学部は設けない。すなわち教室単位での運営を基本とする。一 方、異なる専門の教官が集まって「教官団」を組織する。一つの「教官団」のサイズは10 名程度とする。教官団に責任者をおき、人事、予算、連絡調整等について責任を負う。従 って、各教官は、専門に基づいた「教室」と、異なる専門の教官から成る「教官団」の二つの所属をもつことになる。すなわち縦糸と横糸からなりたつ組織である。このような組織は英国のカレッジシステムに類似している。「教官団」の予算は校費、学生経費を、「教室」の予算は科学研究費を含む外部資金を、それぞれ基本とする。「教官団」は、4 学年で合計数十名の学生を受け入れる。個々の学生にもっとも適合した進路、カリキュラムを示唆し、木目細かい指導にあたる。

2−1 .大学学部付置の大学院
 大学学部には原則として大学院はおかないが、高度専門職業人の養成を主目的とした修
士課程をおくことができるものとする。

3 .大学院大学
 大学院大学には、学長、副学長等の少数の専任教官をおき、種々の企画、環境整備、連絡調整等にあたる。これら以外のすべてのポストは、大学学部から出向してくる教官のための「流動教官」とする。

 大学に所属する教官は、10 〜20 の研究グループから成る専攻の案(各研究グループの分野、担当者等を明記)を作成し、当該大学院大学にその設置を申請する。このような案は、大学院大学に設けられた設置審議会で審査され、採否が決定される。各専攻は、スタートから7 〜8 年を経過した時点で審査を受け、その結果に応じて10 〜15 年で終結するものとする。常に新しい学問領域を新しい場所で取り上げる制度である。学際化、国際化を推進する一つの効率的な方式である。大学院大学におかれた専攻には、科学研究費等の研究費を優先配分する。

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