アジアの化学・化学技術の振興について


「化学研究連絡委員会報告」

平成11 年9 月20 日

日本学術会議
化学研究連絡委員会


 この報告は、第17 期日本学術会議化学研究連絡委員会の審議結果を取りまとめ発表するものである。

化学研究連絡委員会
委員長
櫻井英樹 (日本学術会議第4 部会員、東京理科大学理工学部教授)

幹 事
大瀧仁志 (日本学術会議第4 部会員、立命館大学理工学部教授)
安部明廣 (日本学術会議第5 部会員、東京工芸大学工学部教授)
池上四郎 (帝京大学薬学部教授)

委 員
赤岩英夫 (日本学術会議第4 部会員、群馬大学学長)
合志陽一 (日本学術会議第4 部会員、国立環境研究所副所長)
廣田榮治 (日本学術会議第4 部会員、総合研究大学院大学学長)
吉 原經太郎(日本学術会議第4 部会員、北陸先端科学技術大学院大学材料科学専攻教授)
曾我直弘 (日本学術会議第5 部会員、滋賀県立大学工学部教授)
笛木和雄 (日本学術会議第5 部会員、東京大学名誉教授)
山本明夫 (日本学術会議第5 部会員、早稲田大学大学院理工学研究科教授)
上野民夫 (日本学術会議第6 部会員、京都大学大学院農学研究科教授)
児玉 徹 (日本学術会議第6 部会員、信州大学繊維学部附属農場教授)
橋本嘉幸 (日本学術会議第7 部会員、(財)佐々木研究所所長)
石谷 炯 ((株)東レリサーチセンター代表取締役社長)
岩崎不二子(電気通信大学電気通信学部教授)
岩澤康裕 (東京大学大学院理学系研究科教授)
魚崎浩平 (北海道大学大学院理学研究科教授)
小尾欣一 (日本女子大学理学部教授)
茅 幸二 (岡崎国立共同研究機構分子科学研究所所長)
北川禎三 (岡崎国立共同研究機構分子科学研究所教授)
志田忠正 (神奈川大学理学部化学科特任教授)
山口 兆 (大阪大学大学院理学研究科教授)
足立吟也 (大阪大学大学院工学研究科教授)
岩原弘育 (名古屋大学理工科学研究センター教授)
荻野 博 (東北大学大学院理学研究科教授)
北川 進 (京都大学大学院工学研究科教授)
黒田玲子 (東京大学大学院総合文化研究科教授)
干鯛眞信 (東京大学大学院工学系研究科教授)
熊丸尚宏 (安田女子短期大学生活科学科教授)
高木 誠 (九州大学大学院工学研究科教授)
柘植 新 (名古屋大学大学院工学研究科教授)3
寺部 茂 (姫路工業大学理学部教授)
中村 洋 (東京理科大学薬学部教授)
松本和子 (早稲田大学理工学部教授)
秋葉欣哉 (広島大学理学部教授)
岩村 秀 (学位授与機構教授)
植村 栄 (京都大学大学院工学研究科教授)
大塚栄子 (北海道大学名誉教授)
大東 肇 (京都大学大学院農学研究科教授)
岡崎廉治 (日本女子大学理学部教授)
古賀憲司 (奈良先端科学技術大学院大学物質科学教育センター教授)
竹内敬人 (神奈川大学理学部教授)
竜田邦明 (早稲田大学理工学部教授)
奈良坂紘一(東京大学大学院理学系研究科教授)
村井真二 (大阪大学大学院工学研究科教授)
山本嘉則 (東北大学大学院理学研究科教授)
磯部 稔 (名古屋大学大学院生命農学研究科教授)
魚住武司 (明治大学農学部教授)
折谷隆之 (東北大学大学院農学研究科教授)
二木鋭雄 (東京大学先端科学技術研究センター教授)
諸岡良彦 (福井工業大学工学部教授)
山村庄亮 (慶応義塾大学理工学部教授)
瓜生敏之 (帝京科学大学理工学部教授)
蒲池幹治 (福井工業大学工学部教授)
国武豊喜 (理化学研究所フロンティア研究グループディレクター)
小林四郎 (京都大学大学院工学研究科教授)
野瀬卓平 (東京工業大学大学院理工学研究科教授)
西 敏夫 (東京大学大学院工学系研究科教授)
西島安則 (京都大学名誉教授)
畑田耕一 (福井工業大学工学部教授)



日本学術会議第17 期化学研究連絡委員会報告
アジアの化学・化学技術の振興について −概要−

 わが国は第二次世界大戦後、科学技術を基盤とした驚異的な復興により今日では世界でも有数の経済大国に発展し、経済並びに科学技術の面において世界の最先端をいくまでになった。

 わが国は経済の発展に伴って、アジア諸国と様々な方法によって交流を進めてきた。特に二国間協力、留学生の受け入れ、研究者の交流、国際研究集会の開催等を通じて多くの実績を挙げてきている。しかし、アジア諸国にはまだ解決されなければならない多くの課題が残されている。

 中堅研究者の能力が一層発揮されるべき土壌の育成や先進国から支援された機器の有効利用等は、これらの問題点の一つであろう。

 また、わが国では優れた研究者を集めて研究グループを形成し、比較的潤沢な研究資金のもとに、集中的に研究を進める方式が採られるようになって、多くの研究分野が急速に進展したが、アジア諸国ではまだこのような方式を採用するに至らず、研究の伸び悩みを感じさせる場合が少なくない。

 こ れらの観点から、わが国はアジアの主導的立場に立って、アジア諸国に対して科学推進のための十分な支援態勢をもつことが要請されよう。またその形態も、これまで行われてきた様々な制度を補うものでなければならない。

 アジア諸国の緊急課題を解決し、さらに応用分野のみならず基礎科学においても進展を図り、中堅研究者の活性化を行い、さらに機器の一層の有効利用等を配慮した研究組織の確立が急務であろう。化学は、自然科学の諸分野の中で最も工業生産と結び付きやすく、経済活動と連動しやすい分野である。また、物理学、生物学などの他の自然科学の分野と交流するのに最適な位置にある。

 さらに、アジア諸国が必要としている農学、医学、食物学等の諸分野の根幹をなす学問領域である。化学の部門はアジア諸国のどの大学、研究機関にも設置され、広く研究、教育が行われており、これに携わる研究者・教育者も非常に多い。これらの観点から、現時点でアジア諸国において共同研究を実施するのにもっとも適当な分野が化学であると考えられる。

 将来的にはアジア諸国の発展を見据えて、自然科学のみならず人文・社会科学をも含めた全体的な組織を設立し、化学はその一分野を担う役割をもつことがより適当であろう。しかし現段階では、まず化学の分野を推進することとし、それを核にして将来的に他の分野にも発展させていくことが最も妥当な方法であろうと考えられる。

 上記の考えに基づき、我々は日本が主導的立場に立ってアジア諸国の発展に貢献するため、最初の試みとしてアジア化学・化学技術推進機構(仮称、以下「アジア化学推進機構」という)の設立を提案するものである。

 アジア化学推進機構の目的はアジア諸国の抱える化学的諸問題のうち特に重要と思われる課題について、研究者を集め期間を限り集中的に研究を推進し優れた成果を挙げるとともに、中堅研究者の人材養成を図り、さらに得られた成果や問題の解決策をアジア諸国に供与し、それらの研究を通じてアジア諸国の国益を高めることである。

 こ れまで我々は化学研究連絡委員会内のみならず、日本化学会、アジア学術会議、第16 期および第 17 期日本学術会議におけるアジア問題に関連する特別委員会、APEC 関係、アジア化学会連合等の様々な場所でこの問題を検討し、関係団体から強い支持を得てきた。この計画の資金としては政府開発援助(ODA)の資金を活用することが望ましいと考えられる。タイ国の Chulabhorn Research Institute はこの計画の実現に向けてキャンパスの一部利用と建物の提供の可能性を示唆してきている。同国はアジア諸国の中でも極めて親日的で、わが国との学術交流も活発であることから、この計画遂行のパートナーとして最も適当な国であると考えられる。

 また研究期間終了後、次のプロジェクトでは使用しない機器を適当な方法でプロジェクトチームが本国に持ち帰ることを認めれば、機器の有効利用につながるのみならず、機器に熟達した研究技術者を育成することが出来る。なお当面の計画としては、1 チーム 5 --10 名程度の研究者と若干名の研究補助員(アジア各国の大学院生、ポスト大学院生)とし、各チームの研究期間は3 -5 年程度とし、毎年 3 --5 件程度のテーマを採択する。また、研究費には人件費、研究設備備品費、消耗品費、研究旅費、謝金、その他研究に必要な経費を含むものとする。1テーマ当たり年間経費はおよそ1 億-2 億円程度であろう。アジア各国から申請された研究計画については、アジア化学推進機構内に審議委員会を設置し、同委員会において検討、採択する方式が有効であろう。

 アジア化学推進機構は化学的諸問題を取り扱うので、対象となる国は化学の研究・教育がある程度の水準に達している国でなければならない。情報の伝達、機構運営に対する協力態勢から勘案して、当面アジア化学会連合(FACS)に所属している学会が含まれている国を対象とし、漸次必要に応じてアジアの範囲を拡大していき、参加できる国の再編成を行うのがよいであろう。

 建物は研究実験棟、研究センター棟(主として共通大型機器を設置する)、管理棟、宿泊施設、その他の必要な建物とする。これらは必ずしもすべて別棟である必要はない。研究実験棟は上記計画の規模からみて約1 -2 万m2 程度である。また、この研究実験棟はタイ国が提供する可能性がある。必要とする経費には、建物・共通する大型研究機器・コンピュータなど設立当初から必要とする経費、初年度に必要とする経費(初度調弁費)、毎年必要とする経費、新しいテーマが選択される度に必要とする経費がある。高精度NMR 、4軸X 線結晶解析装置、レーザー光源、大型計算機等の共通大型機器は設立当初から必要不可欠なものであろう。

 必要とする経費は、概算で、研究実験棟の建設費として 10-20 億円、共通設備およびその附属設備の建設・購入に年間 4-5 億円程度が必要であろう。宿泊施設の建設には 5億円程度は必要であるが、もしタイ国にこの機構が設置されるならば、既成の設備を利用することが可能であろう。研究実験棟と宿泊施設がタイ国から提供される場合には経費は大幅に削減される。1 チームの研究経費は年間1-2 億円程度と考えている。この他に管理職員、事務職員等の人件費として年間 2-3 億円程度が必要であろう。

 本計画は日本化学会、日本学術会議アジア・太平洋地域における平和と共生特別委員会(第16 期)アジアのダイナミズムの多面的検討特別委員会(第 17 期)、アジア学術会議(第 2 回ー第 5 回)、National Research Council of Thailand 、Chulabhorn Research Institute 、アジア化学会連合、アジア太平洋経済協力会議 ((APEC)科学・工学・技術円卓会議等の賛同、支援をえて日本学術会議化学研究連絡委員会がその活動報告として審議の結果をとりまとめたものである。われわれはこの提言が速やかに実現されることを熱望するものである。


アジアの化学・化学技術の振興について

日本学術会議第17 期化学研究連絡委員会


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目 次

1.まえがき

2.提言

3.アジア化学・化学技術推進機構の目的

4.アジア化学・化学技術推進機構の概要
 4.1 これまでの経過
 4.2 設立資金と立地条件
 4.3 アジア化学・化学技術推進機構の運営方式
 4.4 アジア化学・化学技術推進機構の設立により期待される効果

5.アジア化学・技術推進機構の計画に関する詳細
 5.1 プロジェクトチームの規模と期間
 5.2 チームの数と研究経費
 5.3 テーマの選択
 5.4 アジアの範囲と参加できる国の定義
 5.5 建物
 5.6 必要とする経費

6.結語



1.まえがき

 わが国は第二次世界大戦後、科学技術を基盤とした驚異的な復興により今日では世界でも有数の経済大国に発展し、経済並びに科学技術の面において世界の最先端をいくまでになった。このことは科学の進歩によって化学、物理、生物学などの基礎科学が深く融合し、物質のもつ原子・分子レベルの機能が先端的技術に活用できるようになり、様々な革新的技術産業が発展したことに大きく依存している。

 一方、世界各地域では政治・経済の混乱や社会的諸問題のために、いまだに飢餓と貧困、戦争と革命の嵐の中におかれているいくつかの国々がある。わが国はこれらの国々に対して可能な援助を行う責任をもっている。特にアジア・太平洋地域の諸国はわが国の近隣諸国であり、古くから種々の文化交流を行ってきている。

 アジア・太平洋地域の諸国は多様な民族、文化、風土を背景に近年大きな経済的発展を遂げてきている。しかし、この数年にみられたアジア地域における経済的混乱はアジア・太平洋地域における経済基盤の脆弱さを表現しているとも考えられる。この中でわが国はアジア地域の一員として、アジアの経済とそれを支える科学技術の発展のために、格段の協力をしなければならない。

 わ が国は経済の発展に伴って、アジア諸国と様々な方法によって交流を進めてきた。特に二国間協力、留学生の受け入れ、研究者の交流、国際研究集会の開催等を通じて多くの実績を挙げてきている。しかし、アジア諸国にはまだ解決されなければならない多くの課題が残されている。中堅研究者の能力が一層発揮されるべき土壌の育成や、先進国から支援された機器の有効利用等は、これらの問題点の一つであろう。また、わが国で優れた研究者を集めて研究グループを形成し、比較的潤沢な研究資金のもとに、集中的に研究を進める方式が採られるようになって、多くの研究分野が急速に進展したが、アジア諸国ではまだこのような方式を採用するに至らず、研究の伸び悩みを感じさせる場合が少なくない。

 日本を含めてアジアの経済は工業生産に支えられているといっても過言ではない。わが国は戦後基礎科学の発展とその工業への応用が極めて円滑に進行したため、今日のような目覚ましい発展を遂げることができたが、その背景にはアメリカ等の先進国の様々な支援があったことを忘れることはできない。特に科学の面では、戦後の厳しい研究環境に直面したわが国の大学教員等に対して、フルブライト財団その他の機関から財政的援助が得られたことが今日のわが国における科学発展の基礎となっていることは周知の事実である。

 こ れらの観点から、わが国はアジアの指導的立場に立って、アジア諸国に対して科学推進のための十分な支援態勢をもつことが要請されよう。またその形態も、これまで行われてきた様々な制度を補うものでなければならない。アジア諸国の緊急課題を解決し、さらに発展途上国ではなかなか困難な基礎科学の進展を図り、学位を取得していながらその後の研究の遂行に十分な環境を与えられていない中堅研究者の活性化を行い、さらに国際支援などで供与された高価な機器の一層の有効利用等を配慮した研究組織の確立が急務であろう。

 化学は自然科学の諸分野の中で、最も工業生産と結び付きやすく、経済活動と連動しやすい分野である。また、物理学、生物学などの他の自然科学の分野と交流するのに最適の位置にある。さらに、アジア諸国が必要としている農学、医学、食物学等の諸分野の根幹をなす学問領域である。化学の部門は、アジアのどの大学、研究機関にも設置され、研究、教育が行われており、これに携わる研究者・教育者の数も非常に多い。これらの観点から、化学はアジア諸国において共同研究を実施するのに最も適当な分野であると考えられる。将来的にはアジア諸国の発展を見据えて、自然科学のみならず人文・社会科学も含めた

 全体的な組織を設立し、化学はその一分野を担う役割をもつことがより好ましい。しかし現段階では、まず化学の分野を推進することとし、それを核にして将来的に他の分野にも発展させていくことが最も妥当な方法であると考えられる。

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2.提 言

 上記の考えに基づき、我々は日本が主導的立場に立ってアジア諸国の発展に貢献するため、最初の試みとしてアジア化学・化学技術推進機構(仮称、以下「アジア化学推進機構」と呼ぶ)の設立を提言する。この機構においてアジア諸国における重要な問題点を化学および化学技術の立場から解決することを計画する。

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3.アジア化学推進機構の目的

 アジア化学推進機構の目的は、アジア諸国の抱える化学的諸問題のうち特に重要と思われる課題について、研究者を集め、期間を限り集中的に研究を推進し、優れた成果を挙げるとともに、中堅研究者の人材養成を図ることである。さらに、得られた成果や問題の解決策をアジア諸国に供与し、それらの研究を通じてアジア諸国の国益を高めることである。このことは、アジアにおけるわが国の寄与をアジア諸国に強く認識されることとなり、長期的にみて大きな国益につながるものと信じられる。

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4.アジア化学推進機構の概要

4.1 これまでの経過

4.1.1.日本化学会

 アジア諸国に対する化学に関する支援・交流の重要性については既に 1993 年に日本化学会国際交流専門委員会において認識され、アジアの化学に関する研究を推進する目的で、「アジア化学推進機構」の設立が提案された。ついで1994 年から始まった日本学術会議第15 期化学研究連絡委員会において同提案が検討され、引き続き第 16 期および第17 期化学研究連絡委員会で検討が続けられた。第 17 期化学研究連絡委員会はこれまでの諸討議の結果を踏まえて、関連する部および特別委員会との共同により、アジア化学推進機構設立を日本学術会議を通じて日本政府に要望する意向を固め、まず化学研究連絡委員会報告としてこれまでの検討結果をまとめることとなった。

4.1.2.アジア学術会議

 そ の間、1995 年に開催された第 2 回アジア学術会議においてアジアの発展に関する非公式な討議が行われ、その席上アジア化学推進機構(当時の名称)の設立が提案された。この提案は関係者の関心を呼び、第3 回アジア学術会議(1996 年)のアカデミック・シンポジウムにおいて始めて公式に提案され、アジア学術会議で検討されることになった。第4回アジア学術会議(1997 年)ではフィリッピンとインドネシアの代表からアジア化学推進機構設立構想に支持が表明され、さらに大韓民国も支援の意向を示した。1998 年の第 5 回アジア学術会議では、これまでの成果を総括し、議長サマリーに「(アジアの持続的発展の目的実現のための)最初の段階として、アジア学術会議は、アジア化学・化学技術推進機構設立に関する提言に同意した」と記録された。

4.1.3.日本学術会議特別委員会関連

 第 16 期および第 17 期日本学術会議においてはそれぞれ「アジア・太平洋地域における平和と共生特別委員会」および「アジアのダイナミズムの多面的検討特別委員会」が設置された。アジア化学推進機構に関する問題は第16 期の「アジア・太平洋地域における平和と共生特別委員会」のヒアリングにおいて発表され、人文・社会科学分野に比べて自然科学分野が国際的にまとまりやすい構造をもっていることが特に人文・社会系委員に理解された。このヒアリングの結果が第3 回アジア学術会議における学術シンポジウムでのアジア化学推進機構構想の発表につながった。また、第17 期ではすでにアジア化学推進機構構想は各委員に十分に理解されており、アジアのダイナミズムの多面的検討特別委員会において今後の支援が約束された。

4.1.4.アジア化学会連合 ((Federation of Asian Chemical Societies;FACS)関係

 アジアにおいては、アジア諸国の化学会が様々な情報交換、研究交流を行うことを目的に1979 年にアジア化学会連合が設立され、活動している。同連合はアジアの化学者を包含する組織であるため、アジアにおける化学に関する活動を行う場合にはその支援が不可欠である。アジア化学推進機構構想は、1996 年の同連合総会において提案され、全面的支持を得ることができた。

4.1.5.アジア太平洋経済協力会議 ((Asian Pacific Economic Cooperation;APEC)関係

 1998 年 4 月にマレーシアのクアラルンプールにおいて開催された「APEC 科学・工学・技術に関する円卓会議」において、日本学術会議は 3 名の代表委員(第 4 部:大瀧、第 5部:曽我、富浦各会員)を派遣し、アジアにおける人材養成と機器の有効利用の観点からアジア化学・化学技術推進機構の設立を提案した。この提案は、APEC 円卓会議に出席した各国委員の大きな賛同を得て同会議として強く支持されるとともに、議事録にもその旨が記録された。

4.2 設立資金と立地条件

4.2.1.設立資金

 アジア化学推進機構設立のための資金としては、日本国政府の援助を期待されているが、政府開発援助(Official Development Assictance;ODA)の資金の活用がもっとも望ましいと考えられる。

4.2.2.立地条件

 ODA の資金を活用するならば、わが国内にアジア化学推進機構を設置することはできない。また既に発展途上国の範疇に属さないとみなされる国々(韓国、シンガポール等)に設置することもできない。条件としては、発展途上国の中で、政局が比較的安定し化学のレベルが高く、さらにわが国との関係においては友好的で距離的にも格段に離れていない国が望ましいであろう。

 これらの観点から、アジア諸国の中でアジア化学推進機構を設立するにはタイ国が最もふさわしいと考えられる。特にタイ国の第3 王女である Chulabhorn 王女は有機・生物化学者であるとともに、Chulabhorn Research Institute の名誉所長でもある。さらに、同王女は、第2 回アジア学術会議にご出席になり講演を行ったほか、アジア化学推進機構をよくご理解いただいている。

 そこで、1997 年3 月に日本学術会議化学研究連絡委員会幹事であり、アジア学術会議の実行委員でもある大瀧仁志立命館大学教授がNational Research Council of Thailand (NRCT)および Chulabhorn Research Institute(CRI)を訪問し、本計画について討議した。また、タイ化学会長始めタイ化学会の主要会員にその意向を尋ねた結果、NRCT は全面的に支援を約束し、CRI はキャンパスの一部を設立場所として提供する用意があり、さらに、建物の一部を提供する可能性があるとの意向が示された。またタイ化学会は計画が具体化された段階でその協力の方法は検討するが、基本的には全面的に協力態勢を採ることを約束した。

4.2.3.タイ国との学術交流

 タイ国は古くからわが国と深い交流があり、これまで多くの共同研究、留学生交流等が行われてきている。日本学術振興会のデータによれば平成 9 年度の学術交流に関しては、総計 2416 件が実施されているがその50.7 %(1224 件)がアジア地域であり、そのうちの197 件(アジア全体の16.1%)はタイ国との交流である。この数字は中国(366 件、アジア全体の29.9%)についで第 2 位である。

 また、タイ国にはChulalongkorn 大学や Mahidol大学など自然科学の分野で高いレベルを保っている大学があり、さらに、国際的大学院大学としてAsian Institute of Technology (AIT)がバンコック郊外に設立されている。これらの大学や大学院は国際的人材供給源となる可能性がある。
 Chulabhorn Research Institute は、生物科学(生物化学、生物医薬化学等)を中心とする研究所であり、現国王の60 歳の誕生日の記念に化学者である王女のために設立された研究所である。バンコックの国際空港にほど近い広い敷地には、研究所の他に国際会議場や研究者の宿舎等が設置されている。その敷地はアジア化学推進機構のような国際的研究機関が設置できる十分な広さがあり、かつ研究会の開催や研究者の宿泊等については十分な施設と収容能力があるものと見られた。

4.3 アジア化学推進機構の運営方式

 アジア化学推進機構の運営方式については、これが設立されるならばその際に政府および関係機関で十分に検討されるであろうが、当面、次のような方式が望ましいのではないかと考える。

4.3.1.建物、機器類、研究費

 経 費は、基本的に政府開発援助 ((ODA)を活用することが望ましいと思われる。また建物の一部はタイ国側から提供される可能性がある。事務経費、研究経費、研究者・事務担当者等の人件費はODA 資金で運用されるのが望ましい。研究費の中には国際研究集会の実施、諸外国での国際研究集会への参加旅費、機器の保守管理費等が含まれるものとする。

4.3.2.研究課題、プロジェクト方式

 解 決されるべき研究課題はアジア諸国の研究者を通じてアジア化学推進機構に直接申請される方式が望ましい。採択された課題については、わが国で現在実施されている大型プロジェクト研究に則った方式が適当であろう。すなわち、テーマの採択とともにプロジェクト・リーダーを採用し、そのプロジェクト・リーダーの指揮の下に研究機器の購入、共同研究者の採用等を行う。プロジェクト・リーダーは当該課題がプロジェクト終了後も適当な国において継続的に研究が続けられるような方式を念頭において当初から計画をたてることが望ましい。さらにこのような視点に立って広く人材を選ぶことが必要である。

4.3.3.研究機器の有効利用

 プロジェクトは 3 --5 年で終了するものと考えられるが、そのプロジェクトで購入した機器のある部分は次のプロジェクトでは使用しない可能性がある。このような場合には、必要があれば研究の継続と機器の有効利用のために、プロジェクト・リーダーに引き継がれ本国において研究が継続されるように配慮することが望ましい。この方式は、使いなれた機器を継続的に使用するのであるから、簡単な故障は自らの手で修理することが可能であり、現在発展途上国でしばしば見られるような高価な機器の非有効的利用を解決する一つの方策となるものと考えられる。

4.3.4.プロジェクトの期間

 研究期間は 3-5年が適当であろう。

4.3.5.研究成果の評価

 研究成果に関しては、毎年審査を行い、研究計画の延長や中止等の決定が行えるように考慮する。研究成果は適当な方法により、随時公表するとともに、毎年成果報告会を行い、広くアジア諸国の研究者からの評価を受けるものとする。また、研究成果報告集の刊行を計画する。

4.3.6.国際研究会の開催、国際研究集会への参加

 アジア諸国の多くはまだ経済的に十分な状態に到達していないため、研究者、特に若手研究者の国際的レベルでの活動に大きな支障をきたしている。アジアにおける科学的研究の進展を妨げている原因の一つはこの点にあると考えられる。アジア化学推進機構ではプロジェクトに参画している研究者が一層国際的視野をもち、世界の一流の研究者と交流し討論を行えるような機会をつくることが極めて重要であると考えられる。そのため、同機構主催で国際研究集会が実施できるような方策を計画し、さらに、国外の国際研究集会に参加し研究発表をする経費が研究経費に含まれることが望ましい。

4.3.7.日本人研究者の参画

 アジア化学・化学推進機構の各プロジェクトに日本人研究者をCo-Leader あるいは Sub-Leader として参画させることが有効ではないかと考えられる。日本人研究者としては現役の国公私立大学の教員、国立研究機関の研究員、名誉教授等を当てる。この制度により、アジア化学推進機構とわが国との情報交換がより円滑になると期待される。アジア各国の研究者にアンケートをおこなった結果では、このような制度の導入に反対する意見は皆無であった。

4.4 アジア化学推進機構の設立により期待される効果

 アジアの国々の諸問題のうち、

a)自国に十分な能力をもった研究者が不足している。また、かつては有能な研究者であったが、自国の研究設備が十分でないため、その能力が十分に発揮できる機会をもちにくい研究者が見受けられる。彼等はしばしば自費で先進国の研究者の援助をうけて研究を遂行しようと努力するが、そのようなことが可能な研究者はきわめて限定されている。アジア化学推進機構では多くのすぐれたプロジェクト・リーダーが一堂に集まって研究を遂行しているので、容易に各分野の優れた研究者と討論する機会が得られる。また国際研究集会等を通じて研究交流を活発に行うことは、アジアにおける研究者の育成に大きな役割を果たすことが期待される。またかれらは次世代の研究指導者になりうるので、アジアにおける科学的研究の持続的発展につながる。

b)アジア諸国においては、国際協力事業団 ((JICA)などの援助によりしばしば高価な機器を購入することがあるが、その保守管理の条件が十分でないため、一旦故障すればそのまま放置されてしまうか、あるいは故障を防ぐために使用せずにただ単に展示しているにすぎないと思われるような場合さえ見られる。研究遂行に必要な研究費に機器の保守管理費を盛り込むことにより、機器の一層有効な利用が期待される。

c)アジア化学推進機構では、研究期間終了後次のプロジェクトでは利用しない機器は適当な方法でプロジェクトチームが本国に持ち帰ることを認めようとしているが、この方式では既に使いなれた機器を利用するため簡単な故障は研究者が自ら修理することができ、機器の再利用につながるのみならず、機器に熟達した研究技術者を育成することが出来る。

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5.アジア化学推進機構の計画に関する詳細

 ここで述べられる詳細は計画に関する希望であり、具体化される際には各種の討議、予算的制限等により変更される可能性は大であるが、これまでの化学における各種プロジェクト等の経験をもとに、望まれる規模、経費、方式等の詳細を示しておくことは、今後の計画の具体化に際して有用なものと考えられる。

5.1 プロジェクトチームの規模と期間

 1 チームは 5 --10 名程度の研究者と若干名の研究補助員(アジア各国の大学院生、ポスト大学院生[いわゆるポスドク])からなる。1 チームの研究期間は3 -5 年程度とする。

5.2 チームの数と研究経費

 毎 年 3-5 件程度のテーマを採択する、1 テーマは1 チームから構成される。研究費には人件費、研究設備備品費、消耗品費、研究旅費、謝金、その他研究に必要な経費を含む。1 テーマ当たり年間経費はおよそ1 億-2 億円程度であろう。

5.3 テーマの選択

 アジア各国から申請された研究計画については、アジア化学推進機構内に設置された審議委員会において検討し、採択される。審議委員会は若干名の委員からなり、同機構の外部からの委員も含まれるものとする。

5.4 アジアの範囲と参加できる国の定義

 アジアの領域を定義することは必ずしも容易ではない。しかしアジア化学推進機構は化学に関する問題を取り扱うことから、化学の研究・教育が一定の水準に達している国でなければならないであろう。情報の伝達、機構運営に対する協力態勢から勘案して、当面アジア化学会連合(FACS)に所属している学会が含まれている国を対象とし、漸次必要に応じてアジアの範囲を拡大していき、参加できる国の再編成を行えばよいであろう。

5.5 建物

 建物は研究実験棟、研究センター棟(主として共通大型機器を設置する)、管理棟、宿泊施設、その他の必要な建物とする。これらは必ずしもすべて別棟である必要はない。研究実験棟の部分は上記計画の規模からみて約1 -2 万m2 程度と概算される。研究実験棟はタイ国が提供する可能性がある。

5.6 必要とする経費

 必要とする経費には、建物、共通する大型研究機器、コンピュータなど、設立当初から必要なものと、初年度に必要な経費(初度調弁費)、毎年必要とする経費、新しいテーマが選択される度に必要となる経費等がある。高精度NMR 、4 軸X 線結晶解析装置、レーザー光源、大型計算機等の共通大型機器は設立当初から必要不可欠なものとなろう。概算によれば、研究実験棟の建設費として 10 -20 億円、共通設備およびその附属設備の建設・購入に年間 4 -5 億円程度が必要であろう。

 宿泊施設の建設には 5 億円程度は必要であろうが、タイ国にこの機構が設置されるならば、既成の設備を利用することが可能であろう。研究実験棟と宿泊施設がタイ国から提供される場合には経費は大幅に削減される。1 チームの研究経費は年間1 -2 億円程度と考えている。この他に管理職員、事務職員等の人件費として年間 2--3 億円程度が必要であろう。

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6.結 語

 本計画は日本化学会、日本学術会議第4 部、第 5 部、アジアのダイナミズムの多面的検討特別委員会、アジア学術会議、NationalCouncil of Thailand 、Chulabhorn Research Institute 、アジア化学会連合、アジア経済協力機構 ((APEC)科学・工学・技術円卓会議等の賛同、支援をえて日本学術会議化学研究連絡委員会がその活動報告として審議の結果をとりまとめたものである。われわれはこの提案が速やかに実現されることを熱望するものである。


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