未来社会を支える「統合的化学工学」の構築と
国際的ケミカルエンジニアの育成


「化学工学研究連絡委員会物質創製工学研究連絡委員会化学プロセス工学専門委員会報告」

平成12年2月28日

日本学術会議
化学工学研究連絡委員会
物質創製工学研究連絡委員会化学プロセス工学専門委員会


 この報告は、第17期日本学術会議化学工学研究連絡委員会、ならびに物質創製工学研究連絡委員会化学プロセス工学専門委員会が、同専門委員会に設けられた化学工学教育・人材育成小委員会と化学産業の将来検討小委員会の審議結果を取りまとめて発表するものである。

[化学工学研究連絡委員会]
委員長 橋本健治 (日本学術会議第5部会員、福井工業大学工学部教授、京都大学名誉教授)

委 員 小川浩平 (東京工業大学大学院理工学研究科教授)
    古崎新太郎 (九州大学大学院工学研究科教授、東京大学名誉教授)

[物質創製工学研究連絡委員会化学プロセス工学専門委員会]
委員長 橋本健治 (日本学術会議第5部会員、福井工業大学工学部教授、京都大学名誉教授)

幹 事 新井邦夫 (東北大学大学院工学研究科教授)
    三浦孝一 (京都大学大学院工学研究科教授)

委 員 今石宣之 (九州大学機能物質科学研究所教授)
    片岡 健 (ダイセル化学工業(株)顧問、大阪府立大学名誉教授)
    幸田清一郎 (東京大学大学院工学研究科教授)
    服部 忠 (名古屋大学大学院工学研究科教授)
    樋口敬一 (三菱化学(株)監査役)
    福田秀樹 (神戸大学大学院自然科学研究科教授)
    堀尾正靭 (東京農工大学大学院生物システム応用科学研究科教授)
    増田 優 (通商産業省工業技術院総務部技術審議官)

[物質創製工学研究連絡委員会化学プロセス工学専門委員会化学工学教育・人材育成小委員会]
委員長 幸田清一郎 (東京大学大学院工学系研究科教授)

委 員 今石宣之 (九州大学機能物質科学研究所教授)
    太田道昭 ((社)化学工学会事業企画室長)
    小川浩平 (東京工業大学大学院理工学研究科教授)
    谷山 巌 (JSR(株)顧問)
    谷垣昌敬 (京都大学大学院工学研究科教授)
    柘植秀樹 (慶応義塾大学理工学部教授)
    中尾真一 (東京大学大学院工学系研究科教授)
    長棟輝行 (東京大学大学院工学系研究科教授)
    橋谷元由 (日揮(株)渉外情報室参与)
    福島俊之 (三井化学(株)生産技術部部長補佐)
    福島 洋 (通商産業省基礎産業局非鉄金属課総括班長)
    古崎新太郎 (九州大学大学院工学研究科教授、東京大学名誉教授)
    堀尾正靭 (東京農工大学大学院生物システム応用科学研究科教授)
    増田 優 (通商産業省工業技術院総務部技術審議官)
    安井英夫 (鐘淵化学工業(株)取締役高砂工業所長)
    山口俊男 ((社)化学工学会事業企画室部長)

[物質創製工学研究連絡委員会化学プロセス工学専門委員会化学産業の将来検討小委員会]

委員長 新井邦夫 (東北大学大学院工学研究科教授)

委 員 井田久雄 (通商産業省中部通商産業局産業企画部長)
    池上 正 (旭化成工業(株)水島支社取締役支社長)
    泉洋一郎 ((財)化学技術戦略推進機構戦略推進部長)
    太田道昭 ((社)化学工学会事業企画室長)
    片岡 健 (ダイセル化学工業(株)顧問、大阪府立大学名誉教授)
    佐藤 晋 (ダイヤテックス(株)取締役)
    服部 忠 (名古屋大学大学院工学研究科教授)
    樋口敬一 (三菱化学(株)監査役)
    福田秀樹 (神戸大学大学院自然科学研究科教授)
    三浦孝一 (京都大学大学院工学研究科教授)
    美濃順亮 (花王(株)研究開発部門取締役)
    守谷恒夫 (住友べ一クライト(株)社長)
    山口俊男 ((社)化学工学会事業企画室部長)

(委員役職名は平成11年11月1日現在)


要  旨

(1)作成の背景
・21世紀の我が国の化学産業は、環境調和・物質循環型社会の構築に貢献するとともに、大量生産・大量消費型の汎用製品から、多様で高機能な製品への事業構造変革を、厳しい国際競争の中で推進していかねばならない。そのためには、化学技術の高度化と適用領域の拡大、化学工学の再構築、ならびに国際的に活躍できる人材育成の推進について、抜本的な対策が求められている。本報告はそれらの課題についての検討結果と提言を纏めたものである。

(2)現状および問題点
・環境調和・物質循環型社会を支え、化学産業の構造改革を推進するには、科学と工学が融合した質的にも高度で、広範囲の技術領域に対処できる「基盤技術」と呼ぶべき技術体系が必要である。それは、基礎研究と応用・開発研究を直線的に結合して産み出される技術ではなく、基礎研究・開発研究から生産プロセスに至る過程を統合的に整理・体系化することによって構築できる技術である。

・化学工学は、化学プロセスを要素技術に分解して、それらを種々の単位操作と反応工学として整理・体系化し、次いでプロセスシステム工学によってそれらを再構築する学術体系を構築してきた。しかし、今後は地球環境・物質循環から原子・分子レベルに至る多様なシステムの物質・エネルギー変換プロセスを対象にして、かつ物質創製にも貢献できる工学に再構築することが必要である。

・大学における技術者教育プログラム、および効率的・効果的な教育実施方法論が十分に確立されていない。また、技術者に対する生涯教育、国際的な相互認証による技術者の国際的流動化と権利擁護が行われていない。

(3)改善策、提言等の内容
・環境調和・物質循環型社会の構築と化学産業の創成のために、基本的で共通性のある「基盤技術」の開発を産官学が連携して推進する必要がある。早急に構築すべき基盤技術として、以下の6つの課題をあげる。

 @物質のメゾスコピックな構造を制御するための基盤技術
 A高分子材料精密製造プロセスの基盤技術
 B触媒を利用する基盤技術
 C超臨界流体を用いる基盤技術
 Dバイオテクノロジーを用いる基盤技術
 E物質循環のための基盤技術

・基盤技術を確立するための工学体系として、「統合的化学工学」を構築する。それは次のような特性をもつ工学体系である。

 @科学と工学を融合・統合した工学体系であり、物質創製、プロセス設計、操作条件の設定、装置設計という一連の業務に対処できる工学である。
 A物質の生産と処理のための新しい場の開拓に貢献できる工学である。
 B高度な精密構造制御や微細加工技術の開発に貢献できる工学である。
 Cミクロな現象の解明による新しい装置設計法の確立に応える工学である。
 D地球環境・物質循環という巨大なシステムから原子・分子レベルの微視的システムに至る多様なシステムの物質・エネルギー変換プロセスを対象にする工学である。

・これらの基盤技術の開発を産官学が協力して実践し、かつ、その研究・開発の過程で得られる成果を「統合的化学工学」の構築に結実させるために、「化学技術統合研究機構」の設立を提言する。

・ケミカルエンジニア教育、資格に関しては人材育成トータルシステムを提供できる実施体制が必要であり、その要として学会に基礎をおく「ケミカルエンジニア人材育成センター」の設立を提案する。このセンターはケミカルエンジニア教育プログラムの策定・審査・認定の機能を持ち、日本技術者教育認定機構(JABEE)と相補的に働き、技術者教育プログラム、技術者資格の国際的認証に関しても、この分野における中心的役割を果たす。さらに産学間の教育補完、技術者の生涯教育に対してネットワークの要としての役割を果たす。


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目次

第1部 未来社会を支える「統合的化学工学」の構築

1.緒言


2.従来の経緯と工学における化学分野の現状と課題
 2.1 第14期および第16期化学工学研究連絡委員会の提言と本報告書の目的
 2.2 工学における化学分野の現状と課題

3.「統合的化学工学」体系の構築に向けて
 3.1 化学産業の発展と化学工学の役割
 3.2 化学技術に対する社会・産業からの期待と「基盤技術」の重要性
 3.3 「基盤技術」の確立と「統合的化学工学」の構築

4.「化学技術統合研究機構」の設立に関する提言

 4.1 設立の趣旨
 4.2 目的
 4.3 体制と機能
 4.4 組織

5.おわりに


資料:21世紀の化学技術における研究開発課題とその基盤技術
 @物質のメゾスコピックな構造を制御するための基盤技術
 A高分子材料精密製造プロセスの基盤技術
 B触媒を利用する基盤技術
 C超臨界流体を用いる基盤技術
 Dバイオテクノロジーを用いる基盤技術
 E物質循環を達成するための基盤技術

第2部 未来社会を支える国際的ケミカルエンジニアの育成

1.緒言


2.従来の経緯と本報告書の目的


3.工学と技術を担う人材育成

 3.1 21世紀初頭の技術者を取り巻く状況
 3.2 従来の高等教育と技術教育
 3.3 あるべき技術者像
 3.4 あるべき技術者教育

4.ケミカルエンジニア資格と教育体制
 4.1 エンジニア教育の国際化
 4.2 ケミカルエンジニア教育のシステム
 4.3 大学・大学院における工学教育
 4.4 人材育成における学と産の相互協力体制
 4.4.1 インターンシップの推進
 4.4.2 大学における企業人講師の活用
 4.4.3 企業・社会人の再教育への大学の貢献
 4.4.4 企業への大学人派遣と研究・教育協力

5.ケミカルエンジニア人材育成センター構想

 5.1 アクレディテーションと「統合的化学工学」教育
 5.2 学と産の連携
 5.3 生涯教育

6.結言


謝辞


第1部 未来社会を支える「統合的化学工学」の構築

.緒言

 20世紀においては、人類史上未曾有な科学・技術の発展によって、大量生産・大量消費の社会が出現し、人々は物質的豊かさを享受することが可能となった。しかし、急速な物質文明の発達は、エネルギー・資源の枯渇、人口の大幅増加、地球環境問題の深刻化という三つの要因が複雑に交錯した極めて厳しい状況をひき起こしている。われわれは、このような状況を克服して将来にわたって人類社会の持続的発展を可能にする社会システムを実現しなければならない。そのためには、自然科学や工学のみならず社会科学も含めた学術の発展と、それらに基盤をおいた技術の発展が必要である。その中で、基礎化学、応用化学、化学工学と化学技術は、物質創製、ならびに物質変換とエネルギー変換に関する学術と技術であり、化学産業を支える基幹の科学・技術としての使命があると同時に、人類社会の持続的発展に貢献していく責務を負っている。

 21世紀の化学産業は、従来の大量生産・消費型の汎用製品の生産から多様でかつ高機能な化学製品の生産へと構造変革が迫られている。このような社会と産業の状況に対応するためには、従来にも増して、科学と工学の融合による統合的視点に立った化学技術の体系化が要求される。また、化学産業を支える化学技術の内容も従来の枠組みを越えて拡大・高度化されねばならない。

 一方、化学技術を支える化学工学は、主として化学プロセスを要素技術に分解して、それらを種々の単位操作と反応工学として整理・体系化し、次いでプロセスシステム工学によって、それらを再構成することにより独自の学術体系を構築してきた。しかし、拡大・高度化された化学技術の基盤の工学としての役割を果たすには、地球環境・物質循環といった巨大なシステムから原子・分子レベルの微視的システムに至る多様なシステムの物質・エネルギー変換プロセスを対象にして、かつ物質創製にも貢献できる工学に再構築することが必要である。それは、まさに、科学と工学の統合、ミクロとマクロの統合であり、「統合的化学工学」と呼ぶべき新しい工学の構築が要請されているのである。

 上記のような観点に基づき、化学工学研究連絡委員会、および物質創製工学研究連絡委員会に設けられた化学プロセス工学専門委員会の「化学産業の将来検討小委員会」では、(社)化学工学会および(財)化学技術戦略推進機構の協力を得て検討を重ねた。その結果、21世紀前半の早い時期に地球環境調和・物質循環型社会を実現すると同時に、厳しい国際競争に打ち克ち、未来産業の創成を効果的、かつ効率的に遂行するためには、従来の化学工学体系を統合的視点に立って見直し、社会と産業の発展に効果的に対応できる「統合的化学工学」として再構築することが重要であるとの認識に達した。さらに、その構築は、学界独自で行えるものではなく、産・官・学が一体となって、社会と産業が必要とする基盤技術の開発作業を実践することにより始めて可能となるものであり、それを実践する機関として「化学技術統合研究機構」と名付ける新しい研究組織の設立を提言する。

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.従来の経緯と工学における化学分野の現状と課題

2.1 第14期および第16期化学工学研究連絡委員会の提言と本報告書の目的

 日本学術会議化学工学研究連絡委員会では、かねてより、産官学が連携して境界領域にまたがる社会的諸問題について調査、討議を重ね、いくつかの横断的な重要課題を提起してきた。その成果として、第14期においては「地球生態工学」を提言し「地球環境産業技術研究機構」および「国際環境技術移転研究センター」の創設に、また、第16期では「環境調和型化学技術体系の創成を目指して」の提言を行い「化学技術戦略推進機構」の創設に寄与してきた。

 第16期化学工学研究連絡委員会の報告書では、今後、社会の持続的発展と産業の国際競争力強化のため推進すべき技術として次の5分野を挙げ、新しい化学技術体系の構築の必要性を提案している。
@共通基盤技術の研究の推進
A戦略的基盤技術の研究の推進
B個別技術分野の技術革新への支援
C基礎研究の充実と創造性豊かな人材の育成
D技術基盤(テクノインフラ)の整備

 化学プロセス工学専門委員会では、産官学のメンバーからなる「化学産業の将来検討小委員会」を設けて、第16期化学工学研究連絡委員会の提言を踏まえ、環境調和・物質循環型で、かつ、国際競争に打ち克てる化学産業の創成を効果的かつ効率的に実現するための具体的な方策につき、学術的、ならびに産業的な視点に立ち調査・検討した。

2.1 工学における化学分野の現状と課題

 自動車産業や電子産業等の多くの産業は用途の明確な製品群を対象としているため、製品開発(「何をつくるか」; "What to make")と生産プロセス(「如何につくるか」; "How to make")の関連が分かり易く、それらを支える工学の体系は両者が自ずと融合しており、産業の発展に対応して円滑に変革できる。

 これに対し、化学産業は社会が必要とする物質を多様な原料から原子、分子の無数の組み合わせを利用して合成し、それを多様な製造設備・工程を用いて製品化している。したがって、「何をつくるか」と「如何につくるか」の対応関係は多様で、複雑である。

 このような化学産業の特性から、それを支える学問体系として、主として「何をつくるか」に重点を置く基礎化学、応用化学と、主として「如何につくるか」に重点を置く化学工学が生まれてきた。我が国は、戦後、高分子製品をはじめとする各種化学製品の技術開発を、この両者を車の両輪として推進した結果、世界に並ぶ生産技術と化学製品群を有するに至っている。特に、我が国においては工学部に応用化学と化学工学が存在したことが、過去においては基礎化学、製品・用途開発分野と生産技術開発分野を効果的に結びつけ、化学産業の発展を促進させるとともに、工学における化学分野の教育と人材の育成に貢献してきたと言えるであろう。

 21世紀にあって、化学と化学工学が環境調和・物質循環型社会の構築と、多様な化学産業の発展に対応していくには、基礎化学、応用化学と、化学工学の連携体制や学と産の組織的、継続的な情報交換が益々重要になってきている。しかるに近年、応用化学がより基礎化学を指向し、化学工学が生産技術側に偏る傾向が認められる。そのような状況を改善し、社会と産業の期待に応えるには、従来にも増して化学と工学の協調・融合による化学技術の体系化と手法の確立が要求される。この新しい化学技術は、従来の枠を越え拡大された技術領域を統合したものである。

 もう一つの視点として、化学産業においては、「何をつくるか」と「如何につくるか」を、それぞれ個別の問題とみなして両者を直線的に結合するのではなく、研究開発の早い段階から生産に至る全過程で両者を統合しながら作業を進めることが求められている。即ち、製品開発と生産プロセスの構築の段階における相互の連携強化である。換言すれば、「何をつくるか」と「如何につくるか」の連携強化であり、それは科学(Science)と工学(Engineering)との高度な連携を意味することになる。この視点は、化学分野の学術においても必要である。

 以上の視点から、化学工学においては、今後は単に「如何につくるか」の立場に留まらず、物理学、化学、生物学などの諸科学ならびに応用化学の成果を十分取り入れ、応用化学者とあい連携して「何をつくるか」の過程においても貢献して行かねばならない。それは、まさに、新たに体系化すべき化学工学、すなわち「統合的化学工学」が担うべき役割でもある。そのような統合的化学工学の構築を具体的に進めるために、後述する「化学技術統合研究機構」の創設が望まれる。

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.「統合的化学工学」体系の構築に向けて

3.1 化学産業の発展と化学工学の役割

 学問は体系化された知識であって、それにより知識が公共化され、時間的、空間的伝達が可能になり、世代と国境を越えて伝承されていく。もちろん、体系化の進め方は学問によって異なる。現象の理解を最終目標とする自然科学(Science)においては、科学的発見や成果そのものが体系化に直接結びつく。これに対して、自然現象を応用して社会の発展に寄与することを目標とする工学(Engineering)においては、その目標を達成するために開発された生産技術などの成果が工学として体系化されるまでにはかなりの時間遅れが存在するのが常である。ここに、工学では体系を意識的、恒常的に進化させる必要性が生じ、それを実現するシステムを構築する意義が存在する。

 このような工学体系の構築が、産業の発展にとっていかに重要であったかを示す典型例は、約80年前の米国における化学工学の成立に見ることができる。当時の米国は、欧州に比べ化学産業では後進国であり、化学技術者の人材育成が急がれていた。そこで、当時の化学プロセスの設備・工程を科学的に解き明かし、化学のみならず、物理も数学も用い、さらには経済的観点と分類学的手法をも導入して、今日の化学工学体系の原形を誕生させた。その後、基礎化学、応用化学の成果と化学産業で開発された技術を絶えず取り込み、化学工学を意識的、恒常的に発展させてきた。その結果、米国では、化学工学は多くの革新的プロセスを成立させる基盤技術を支える工学として貢献し、米国の化学産業の世界におけるトップランナーとしての地位を揺るぎないものとしている。

 この米国の化学産業と化学工学体系の発展に見られるように、産業技術と工学体系の確立が相互に作用しあってお互いの発展を促進することは注目すべき事実である。この点において、我が国の化学産業では個別技術の革新のみに関心が集中し、革新的技術を生み出すための技術の体系化や、それを支える学問的環境の整備に極めて無関心であったと言わざるを得ない。

3.2 化学技術に対する社会・産業からの期待と「基盤技術」の重要性

(1)化学技術に対する社会からの期待
 化学技術は化学産業の発展に重要な役割を果たしてきたが、今や地球環境保全のための技術という役割も期待されている。当然、化学産業自身にあっては、原料・エネルギー調達から製品の廃棄に至る製品のライフサイクル全般において、省資源、省エネルギー、環境調和、安全を考慮した化学プロセスを構築することが化学技術に期待されている。化学技術は地球環境保全、循環型社会システム・ゼロエミッション型システム実現のための重要な技術でもあり、廃棄物処理、資源リサイクル、ダイオキシン、内分泌攪乱物質など化学物質の取り扱いや安全に関連した諸問題の解決のキイテクノロジーである。

(2)化学技術に対する産業からの期待
 世界の化学産業は大きな変革の時期にある。素材型化学品の事業においては、世界市場における支配力強化のために経営規模の巨大化を戦略としている。一方、高機能な特性が要求される特殊化学品の事業では、顧客である先端産業との連携が従来にも増して強固になりつつある。また、高機能化学品の事業に関連した加工型化学品へ事業拡大を図る化学企業も少なくない。メディカル機器、エレクトロニクス機器などは、精密構造制御技術や微細加工技術を含んだ広範な化学技術を期待している。

(3)期待される化学技術における「基盤技術」
 一般に化学技術は、科学的要素と工学的要素で構成されている。現象を科学的に解明し、あるいは新しい現象を見出して、それを技術として育成するために必要な要素が科学的要素であり、現象を実用化するのに必要な要素技術とシステム化の技術が工学的要素である。工学的要素から成る要素技術には、現象を制御するために必要な、相平衡、輸送物性、反応速度などの各種データの蓄積とそれらの推算に係わる学術が含まれる。

 21世紀の化学技術は、従来と比較してより広範囲の領域にわたる科学を基礎にしたものでなければならない。物理化学、無機・有機化学、高分子化学は言うまでもなく、量子化学、光化学、電気化学、生物化学、生化学、触媒化学、超臨界流体科学、地球化学などの幅広い自然科学を科学的要素とし取り入れなければならない。さらに、それらに付随して、界面・構造制御や超微粒子制御のような精密構造制御技術・微細加工技術も工学的要素として取り入れ、従来の個別的、断片的な技術を拡大・発展させたものでなければならない。

 このように、科学と工学を基礎にして構築されるべき21世紀の化学技術は、数多く多岐にわたる。しかし、それらの中には、多くの産業領域からの要望が高く、環境調和・物質循環型社会を支え、化学産業を発展させる上で、より基本的で、かつ共通性がある技術が存在するはずである、それらは「基盤技術」と呼ばれるべき性格をもつ技術である。

(4)早急に構築すべき「基盤技術」
 本報告では、つぎのような「基盤技術」の確立が重要であると考える。その概要を以下に述べる。内容の詳細については、“付属資料 21世紀の化学技術における研究開発課題とその基盤技術”を参照されたい。

@物質のメゾスコピックな構造を制御するための基盤技術
 21世紀の我が国の化学産業においては、従来の石油化学のバルク製品に加えて高機能性材料製品の製造のウェイトが増大すると考えられる。そのとき、材料に求められる機能は、マクロな平均的な特性機能のみならず、ミクロ・メゾスコピックな微細構造に由来する量子レベルの現象を制御する機能にまで及んでいる。現在、新規な機能性材料の創製に主眼がおかれたプロジェクトが実施されているが、微細構造の精密制御を、装置の最適設計、マクロな状態量・操作因子の最適化によって具現化する基礎技術の開発と学術基盤の体系化が急がれる。

A高分子材料精密製造プロセスの基盤技術
 高機能高分子材料の製造では、その組成と同時にミクロからマクロに至る構造が重要になり、その構造をどのように実現し、如何に制御するかが重要である。また、高分子材料の成形加工プロセスにおいては、一つの装置内で溶融、混合、反応、固化などの現象が同時に起こる複合操作が多く、それを設計・制御するための新しい方法論の確立が必要である。このように高分子材料精密製造プロセスの脱経験化、精密化を実現するには、ミクロな構造発現の機構を十分に理解し、かつ製造装置内の複合現象を解析し、その設計理論を組み込んだ基盤技術の整備が重要である。

B触媒を利用する基盤技術
 化学プロセスの革新の鍵は新規触媒の開発にある。触媒表面の活性サイトの構造、および分子・電子レベルでの触媒反応の機構が解明されると最適触媒の設計が可能になるはずであるが、環境調和・物質循環型社会を早期に実現するためには、知識べース・システムやニューラルネットワーク・システムのような情報科学的方法を利用する工学的な触媒設計法の援用も必要である。また、これまで蓄積されてきた触媒化学の知見を、工学的視点に立って整理することも必要である。一方、超臨界流体の利用、反応分離プロセスによる熱力学的制約の緩和、循環流動層や酸素透過膜を用いる非エアロビック酸化反応場の採用、さらに、光反応場と固体触媒反応場を融合させた新たな反応場の創出など、新たな触媒反応場の利用により、触媒開発の負担を軽減してプロセス開発を加速することも重要である。このような視点にたった触媒を利用する基盤技術の構築が必要である。

C超臨界流体を用いる基盤技術
 超臨界流体は、その物性の制御が容易であり、気相、液相では実現困難な機能の発現が可能であり、しかも、水や二酸化炭素などの環境に優しい物質を、種々の操作溶媒として使用することを可能にする。このような特性から、超臨界流体場における種々の新しい現象の発見やその化学技術への展開が期待される。すなわち、超臨界流体は、多くの分離に関する単位操作を革新するばかりではなく、溶液特性やミクロな溶液構造の制御性から晶析や反応などの新規な場としても期待される。しかし、超臨界流体の利用に際しては、高温・高圧条件に付随する操作性や経済性の向上、溶媒特性の制御技術など、開発すべき技術課題がいまだ数多く存在する。具体的には、超臨界相における平衡・輸送物性値の測定とデータベース化、流動、伝熱、相平衡、反応といった基礎的現象の測定と機構解明、溶媒機能を制御するための条件設定やプロセス設計に適用しうるデータの整理・定式化、などが必要である。さらに、超臨界流体を用いる新規な単位操作の開発も重要な課題である。これら研究成果を骨子とし、超臨界流体を用いる基盤技術を確立することが求められている。

Dバイオテクノロジーを用いる基盤技術
 最近、バイオテクノロジーは医薬などの高付加価値化学製品のみならず化学製品の製造に適用されるようになり、環境への負荷の低減および省エネルギー効果が期待される。さらに、バイオマス資源からのエネルギー、CO2固定化技術や環境修復技術、「組換え農作物」や「組換え種子」などによる新しいバイオ農作物の生産など、バイオテクノロジーの重要性が増している。このバイオテクノロジーを、広範囲の分野で適用できる基盤技術にするには、バイオプロセスにおける反応、分離、制御などの諸操作の設計・操作において、従来の化学工学的手法の適用に留まらず、生体分子の設計レベルを視野に入れた新たな設計手法を確立することが必要である。その実現には、分子生物学、生化学、微生物学や免疫学などの基礎科学の知識と遺伝子工学や細胞工学などの工学分野で開発された多くのツールを積極的に取り込んだ生物化学工学の創成が必要である。

E物質循環のための基盤技術
 社会の持続可能な発展を実現するためには、高度な物質循環システムを構築する基盤技術の開発が必要である。その達成には、要素技術とシステム化技術の統合が必要になる。廃棄物を資源として循環再利用するには、要素技術としては、化学・生物反応、分離、減容化、無害化、省エネルギーなどの技術が必要であり、システム化技術としては、環境、安全、エネルギー、経済性、ならびにLCA(ライフサイクルアセスメント)などの観点からの評価技術が含まれる。このような基盤技術の確立には、広範な学術、と技術を融合し統合化する必要がある。

3.3 「基盤技術」の確立と「統合的化学工学」の構築

 化学工学は、主として化学プロセスを対象にして、それらを要素技術に分解して横断的に眺めることによって、まず単位操作と反応工学として体系化し、ついでプロセスを再構成するためにプロセスシステム工学を体系化した。このようにして構築された化学工学は、石油化学工業の発展に大きく貢献してきた。しかし、21世紀には社会と産業からの化学技術への期待が一層高まり、それに応える新しい化学技術、すなわち基盤技術の確立が強く求められる。それに対応して、化学技術を支える化学工学も質的な変革を図り、新たな体系を構築して行かなければならない。このような21世紀に期待される新しい化学工学の特徴はおよそ次のようなものであると考えられる。

 第一に、新しい化学工学は、幅広い科学に基礎をおき、科学の成果を十分取り入れ、科学と工学を融合・統合した工学体系でなければならない。それは、化学プロセスを例にとるならば、従来の単位操作や反応操作に現れる単一的な要素技術あるいはそれらの線形結合的な技術ではなく、製品の特性発現という目的達成を念頭において、物質創製、プロセス設計、操作条件の設定、装置設計という一連の流れに対処できる工学である。

 第二に、新しい化学工学は、精密反応場、超臨界流体場、触媒反応場、光反応場などの物質生産・処理のための新しい場の開拓に貢献できる工学でなければならない。これらの場において、新規な現象を発見・解明し、それを制御・利用できる工学の展開がいま産業界・社会から強く求められている。

 第三に、産業界が今求めている重要な技術に、精密構造制御技術や微細加工技術がある。化学工学は、微細構造膜加工技術、超微粒子分散技術、製薬製剤技術やエレクトロニクス微細加工技術などの分野において、既に大きな役割を果たしつつあるが、新しい化学工学はより高度の精密構造制御や微細加工技術の開発にも貢献できる工学でなければならない。

 第四に、当然のことであるが、化学工学にとっては、プロセスを構成する機器・装置・プラントも重要な研究・開発の対象である。新しい場を設定し、新しい操作を実行して、幅広い各種のプロセスに対応して行くには、従来の機器・化学装置の枠を越えた機器・装置の開発と設計法の確立が不可欠である。たとえば、温度、圧力などのマクロ物性の時間的・空間的分布と核生成、分子の自己組織化などの特性を左右するミクロな現象との関連を解明した新しい装置設計法の確立が重要である。新しい化学工学はこれらの要請に応える工学でなければならない。

 すなわち、適切な形式と構造をもった機器・装置を採用することが製品特性の発現を左右する。特に、環境適合性と経済性を考慮にいれ、時間的・空間的分布をも制御対象にした温度、圧力変化と製品特性を左右する操作場のミクロな現象との関連の解明による新しい装置設計法の確立が重要である。化学工学はこれらの要請に応える工学でなければならない。

 以上、新しい化学工学の在るべき姿と特徴について述べてきた。それは、従来は関係が希薄である考えられてきた概念、あるいは直線的に結合すれば十分であると考えられてきた概念を、互いに融合し新しく統合することを意図した化学工学の体系であり、その意味で「統合的化学工学」と呼ぶべき工学体系であり、従来の化学工学体系を超えるものである。この「統合的化学工学」の概念は、従来の「何をつくるか」から「如何につくるか」への直線的な開発スキームではなく、基礎研究、応用研究、開発研究および生産プロセスの手法を融合・統合した画期的な研究開発手法を産み出す可能性を併せ持っている。

 化学工学が、上述のように質的な変革を遂げて「統合的化学工学」として再生することによって、化学工学の適用範囲を拡大することができ、それがさらに化学工学の進化・発展につながる。「統合的化学工学」は、物質とエネルギーの変換を伴う物理的・化学的・生物的な各種プロセスに幅広く適用できるであろう。また、地球規模での物質循環・エネルギー変換を取り扱う巨視的プロセスから精密構造制御を取り扱う微視的プロセスまでの幅広い分野のプロセス、化学品以外の生産プロセスも「統合的化学工学」の対象になるであろう。さらに、生物機能利用プロセス、生体模倣プロセス、精密構造制御・微細加工プロセス、半導体製造プロセス、物質循環プロセス、環境保全プロセス、エネルギー変換プロセスにも適用範囲が拡大されて行くであろう。また、このような特徴をもつ「統合的化学工学」は、21世紀に必要とされるケミカルエンジニアの教育・育成にも大きく貢献するであろう。

 過去のアメリカにおいて、化学工学と化学産業が相互に活力を与え合って、化学産業の興隆を成し遂げたように、「統合的化学工学」は上記の社会と産業の要請に応えつつ即効的かつ継続的に未来の化学産業の創成に貢献できる。このような「統合的化学工学」の学問体系は、大学の研究室における単なる学問上の興味による研究課題からは効果的、効率的には生まれるものではない。社会・産業から要望される化学技術の課題を対象にして、産官学が緊密に連携協力してそれらの技術の実現を根底から支える「基盤技術」を実際に確立する過程を通じて始めて、効率的に創成できるものである。換言すれば、基盤技術の確立を通して「統合的化学工学」の体系化を行い、体系化された「統合的化学工学」をさらに次の基盤技術の確立に適用する、という一連の作業によって始めて、社会・産業の要望に応える新しい工学体系が構築できる、と考えられる。

 これらの一連の作業を効果的かつ効率的に実行するための適切な方策として、次に示す「化学技術統合研究機構」と名付ける研究組織の設立を提言する。

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.「化学技術統合研究機構」の設立に関する提言

 「化学技術統合研究機構」という組織体を設立しようとする趣旨は、以下の通りである。

4.1 設立の趣旨

(1)基盤技術の確立と「統合的化学工学」の体系化の作業は、個々の技術課題について別個に行うのではなく、複数の課題について、相互に緊密に連携をとりながら同時に進めることが肝要である。その間、研究成果についての情報を相互に交換して討議・批判する作業を総合的にかつ継続的に実行することが必須である。

(2)上記の作業を効率的かつ迅速に進行させるために、産・官・学より派遣された化学工学、化学関連の工学の幅広い専門分野の研究者・技術者から構成される組織体を設けることが必要である。それによって、構成員相互の意見交換、討論に基づいた共通の認識が形成され、情報の共有化が進む。

(3)新しい組織は、「統合的化学工学」、および新しい技術開発手法の知的中心としての機能を持つとともに、産・官・学の間の、技術開発手法・問題意識の共有化、人材の交流を促進する上でも効果が期待できる。その上、「統合的化学工学」の学習・実践および技術開発手法の修得により、次世代の化学技術を担う人材育成を行える。

 以上のような活動は、個々の大学等の研究機関・企業間の情報交換や産・官・学の単なる共同研究・受依託研究では実行できない。関連する複数の産・官・学より派遣された研究者・技術者が集合して共同で作業することにより効率的に達成できる。

4.2 目的

 これまで述べてきた本研究機構の目的を要約すれば、以下の通りである。

(1)社会・産業からの要請に基づき、研究・技術課題を戦略的に策定し、その課題の達成に必要な化学技術とその基盤技術を明らかにする。(本報告書では、6つの基盤技術を早急に確立すべきであると提案している。)

(2)それらの基盤技術を実践的に確立し、その成果を「統合的化学工学」の構築に結実させる。

(3)基礎研究、応用研究、開発研究の各研究段階を個別的あるいは直線的結合の形式で行うのではなく、それらを統合化することによって、化学技術を迅速かつ効果的に確立する技術開発手法を確立する。

4.3 体制と機能

 先に述べた設立の趣旨を具体化し、その目的を達成するために、本研究機構は以下の体制と機能をもつ。

(1)本研究機構は、化学技術統合推進部門と、課題として設定された基盤技術ごとの複数の研究部門とからなる。

(2)化学技術統合推進部門は、本研究機構の中枢的機能を担い、以下の機能を果たす。

@各研究部門における研究の進捗状況を把握し、研究の推進とそれらの統合化をはかり、研究機構全体の運営についての総合的管理を行う。

A大学等の研究機関、国公立の研究機関、関連する学協会、化学技術戦略推進機構、官民の調査機関等の協調・ネットワーク体制を築き、そのセンターとしての機能を果たす。

B化学技術戦略推進機構と密接な関係を持ちながら活動を推進する。

C構築された「統合的化学工学」および技術開発手法の知的中心としての機能を持つ。

Dこの部門を学会内に持つことも考えられる。

(3)各研究部門はそれぞれの基盤技術の確立とそれに関連した統合的化学工学の構築に当たる。各研究部門は、国公立研究所、大学等の既存の研究機関や研究組織を母体としたセンター組織とすることも考えられる。この場合、各研究部門は適切な場所に分散して存在することもある。

(4)本機構の構成員は、国内外の大学等の研究機関、関連する企業から派遣された、化学と化学工学を中心とした研究者・技術者からなり、構成員の任期は複数年とする。

(5)本機構における研究成果を展開・実施する場合、従事していた構成員は出身母体に関係なくその実践に参加することとし、それにより産学官間の人事の交流を図る。

(6)本機構は、統合的化学工学を学習・実践し、新しい技術開発手法を修得した人材を育成する機能を果たす。

4.4 組織

 本研究機構は以下のように、化学技術統合推進部門と複数の研究部門から構成される。

1.化学技術統合推進部門
2.メゾスコピック構造精密制御工学研究部門
3.高分子材料精密製造工学研究部門
4.触媒分子反応工学研究部門
5.超臨界流体工学研究部門
6.生物工学研究部門
7.物質循環工学研究部門

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.おわりに

 21世紀の我が国の化学技術は、環境調和・物質循環型社会の構築に貢献し、多様で高機能な化学製品の生産への構造変革に対応することが求められている。そのためには、広範囲の技術領域に対処できる科学と技術が融合された高度な「基盤技術」の確立が必要である。それに対応して化学工学も、地球環境・物質循環といった巨大なシステムから科学と直結したミクロな先端技術に至る物質・エネルギー変換プロセスを対象にして、かつ物質創製にも貢献できる「統合的化学工学」に再構築することが必要である。「統合的化学工学」の構築は、社会と産業が要望する基盤技術の実践的開発の作業を通じて結実するものであり、それを実践する機関として「化学技術統合研究機構」と名付ける新しい研究組織の設立を提言した。本研究機構が中心となり、大学などの研究機関、関連する学協会、(財)化学技術戦略推進機構、官民の調査機関などと協調し、ネットワーク体制を整備して活動することも必要である。

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付属資料

21世紀の化学技術における研究開発課題と基盤技術

@物質のメゾスコピックな構造を制御するための基盤技術

 21世紀の我が国の化学産業が取り組むべき課題として、高機能性材料の創成が挙げられる。より高い機能を有する材料を使用することで、生活水準を低下させることなく、社会システムにおける物質循環量とエネルギー使用量を減少させうる。20世紀の量子力学の発展が象徴するように、今や材料に求められる機能は、バルク材料のマクロな平均的特性機能のみならず、ミクロ・メゾスコピック構造に由来する量子レベルの現象を制御する機能にまで及んでいる。例えば、原子、分子、原子核と電磁波の相互作用を通信、制御、測定などに応用する量子エレクトロニクスの分野では、分子の配位やその構造単位の形態制御が強く求められる。また、ナノサイズの微細粒子を包含する粒子からなる構造材料など、ナノスケールからマクロスケールまでの高次構造を精密に制御することも要求され、さらに金属、セラミックス、高分子材料等の異種材料のハイブリッド化も当然要求される。これらの材料の機能は、ナノサイズあるいはメゾスコピックスケールの粒子や結晶を分散させるのみでは発現されず、平面上あるいは3次元空間中に規則的に配列する必要もある。

 すなわち、「構造の制御」による材料機能の発現という新たなパラダイムヘのシフトが求められており、ミクロ・メゾスコピックな微細構造の1次、2次あるいはより高次の構造の精密制御を、装置の最適設計、マクロな状態量・操作因子の最適化によって具現化するプロセス技術が必要不可欠である。しかし、このようなプロセスに対する基本的な指針は現時点では存在しない。

 現在、多くの高機能性材料の開発を目的とするプロジェクトが提案され、実行されているが、その多くは新規機能材料の創製に主眼が置かれ、それを合目的的に生産する基盤技術の開発を主目的としたプロジェクトは少ない。その一方で、量子化学やそれに基づく計算化学の発展により、材料設計や反応設計の段階で、原子、分子、分子集合体の構造から量子効果を含む幅広い“機能予測”が可能になりつつある。このように、化学の理論体系が進展すればするほど、産業的競争力は、理論的に予測された種々の高機能材料を如何に速やかに生産し得るかに益々依存する。したがって、今後の化学系産業の発展には、物質のメゾスコピックな構造制御および複雑な高次構造を有する機能性材料の、期待される機能を最も効率良く発現する構造を精密に製造することを目的とした工学の視点からの基盤技術の開発と、その学術基盤としての「統合的化学工学」の体系化が緊急、不可欠と考える。

A高分子材料精密製造プロセスの基盤技術

 一般に高分子材料の製造プロセスは、モノマーから触媒を用いて重合した後分離操作を施して目的とする高分子素材を得る重合反応プロセスと、ブレンドした高分子素材を押出成形、射出成形などによって固体製品を得る成形加工プロセスに大別される。対象とする高分子素材や用いる装置が変われば製造・操作条件が大きく変わり、経験的な要素がいまだ大きなウェイトを占めている。ますます多様化する高分子材料の製造法に対応できる技術、工学の確立が21世紀の重要な課題である。

 従来の石油化学工業における化成品は流体の場合が多く、固体であっても構造を直接に意識しないという意味で流体的な物質であり、顧客品質として問題となったのは純度、不純物含有量などで表現される「組成」であった。それゆえ従来の化成品製造プロセスは、必要な組成を得るための方法論(組成制御の化学工学)を展開させてきたと言えるであろう。組成は普遍的で明確なマクロ特性であり、それの制御はマクロサイエンスの現象論によればよかった。

 一方、高機能材料製造の材料プロセスでは、顧客品質として「機能」が重要である。この機能は、組成に依存することは勿論であるが、もっと直接的に製品の持つ「構造」に依存している。この構造はミクロレベルの低次構造からマクロレベルの高次構造への階層的特徴を持ち、その分布も重要である。材料製造プロセスにおいては、この構造を如何に作り込めるか、如何に制御するかが問題であるが、化成品製造プロセスにおける組成に対して個別的で多様な特性であり、現在の化学工学の体系のみでは十分に対処できない。

 また、高分子材料製造プロセス、特に成形加工プロセスにおいては、一つの装置内で溶融、混合、反応、固化など複数の単位操作にあたる現象が同時に起こる「複合操作(Integrative operation)」が多い。ここでは複数の単位操作の単なる足し合わせでは対応できないことが多く、複合操作を設計・制御するための新しい方法論が重要である。

 このように、高分子材料精密製造プロセスの脱経験化、精密化のためには、ミクロサイエンスとしての構造発現を十分に知り尽くし、複合操作に対する新しい方法論を組み込んだ共通基盤技術の整備が重要であり、これを体系化した新しい「構造制御のための化学工学」を構築することが不可欠である。

B触媒を利用する基盤技術

 アメリカ合衆国のGDPの20%相当の化学品と燃料が触媒プロセスの恩恵を蒙っていると言われており、化学プロセスの革新の鍵が新規触媒の開発にあることは論を待たない。これまでは、化学者の見いだした“What to make”的なシーズをもとに、新製品のためのプロセス開発を行ってきた。しかし、今後は、省資源、省エネルギー、危険物質利用の回避や副生成物の削減など、プロセス自身の環境負荷の低減を目的としたプロセスの開発が要求されよう。このようなプロセス開発においては、工学の視点を持つ化学技術者が初期の化学的な段階から主体的に関与すべきであると考える。

 このような視点に立ったときの第一の課題は、触媒化学の工学的体系化であり、工学の目的をEngineering Designと定義すると、触媒設計法の確立である。1980年前後に「触媒設計」なる用語が喧伝されたが、概念の提唱に終わって十分に深化されるには至らなかった。あらためて、触媒設計の基本的なコンセプトを明確にし、科学から技術への橋渡しをする方法論の確立とそれに沿ったツールの開発が必要である。理想論的な観点から言えば、触媒の構造、特に活性サイトの構造および触媒反応の機構を分子・電子レベルで解明するための理論が構築できれば、その理論に則って最適触媒を設計することが可能なはずである。それ故に、触媒と触媒作用の理論的解明と理論に基づく設計法の確立を目指して継続的な努力を重ねる必要がある。しかしながら、このような理論的触媒設計法の確立にはかなり長い年月を要すると予想され、環境調和・物質循環型社会を早期に実現するためには別の方法論に立たざるを得ない。ここでは、緊急の課題として、経験論的なアプローチにもとづく工学的な触媒設計法の確立を提案する。

 触媒設計の方法論に関しては、知識べース・システムやニューラルネットワーク・システムのような情報科学的方法が経験論的な触媒設計のツールになりうることが学問的に示され、その有効性が国内外の企業によって確認されつつある。これらの知見とその後の情報科学の進歩をふまえ、情報科学的方法を触媒設計に応用するだけでなく、触媒設計のための情報科学的方法の展開までをも包含した形で、新たな触媒設計法の構築を開始すべきである。続いて行うべきことは、これまで蓄積されてきた触媒化学の知見を、このコンセプトと方法論に沿って体系化し、さらに欠如しているデータを蓄積することである。触媒に関しては、これまでに膨大な知見が蓄積されているが、化学の視点からの各論的な体系化が一定の範囲で図られているに過ぎない。系統的な触媒設計には、もう一方の側の体系化、工学の視点に立つ横断的な考えを中心とする体系化を推進する必要がある。

 第二の問題は、今後開発を要求されるプロセスは、化学的な難度が極めて高いものになると予想されることである。触媒には無限の可能性が秘められているとは言え、万能ではない。まして、国際競争力の強化のためプロセス開発のスピードアップを図るには、触媒にすべてを託すことは賢明ではない。新たな触媒反応場の利用により、触媒開発の負担を軽減してプロセス開発を加速することも可能であり、これまで不可能視されていた反応の実現も夢ではない。超臨界流体や反応性ガスを用いる反応雰囲気の化学的制御によれば触媒の著しい長寿命化が可能であり、特定成分を反応系外に分離・除去するメンブレンリアクターなどを用いると熱力学的制約を緩和できることが原理的に確認されている。また、高難度の選択酸化反応には循環流動層や酸素透過膜を用いる非エアロビック酸化反応場が有効であるとされている。さらに、太陽光の効率的な化学的利用のためには、光反応場と固体触媒反応場を融合させた新たな反応場の創出が必要である。これらの反応場の実現の鍵を握るのは、化学と工学の視点を併せ持った触媒の「統合的化学工学」の創成と共通技術の開発である。

 以上を総合して、新規触媒反応場の構築と触媒の工学的設計法の確立を目的とした触媒分子反応工学の創成を緊急の課題として提唱する。

C超臨界流体を用いる基盤技術

 21世紀の化学プロセスでは、環境・人体への影響が懸念される有機溶媒の使用を極力おさえ、エネルギー供給と物質循環、環境保全の要求に適合する化学システムの開発が要請される。

 従来の化学プロセスの要素技術は、制限された温度、圧力条件下での相の状態(気相、液相、固相)や相平衡の利用を前提としたものであったが、科学の進展により超臨界相をも積極的に利用していくことが望まれている。

 現在、超臨界流体の溶媒特性の解明が進行し、多くの分野でその利用に関心が深まりつつある。超臨界流体は、多くの分離に関する単位操作を革新するばかりではなく、溶液特性やミクロな溶液構造の制御性から晶析や反応等の新規な場としても期待される。さらに、超臨界流体の物性の制御性の容易さを考えた場合、気相、液相場では困難な機能を付与することが可能で、しかも、種々の操作溶媒として、水や二酸化炭素等の地球環境に豊富に存在する物質の使用が可能になる。すなわち、超臨界流体を用いる基盤技術の確立は21世紀の化学産業の発展を支える多くの化学プロセスの革新に寄与すると同時に、新規な物質の創製にも強力な手法を与えることにもなり、化学と工学が統合された化学技術の開発に期待されるところが大きい。

 これまでも超臨界二酸化炭素と超臨界水を利用した種々の反応やその特異な現象の探索およびプロセス開発に関する研究が多くの分野で行なわれているが、これらを基盤技術として確立するための強力な組織的研究は未だ行われていない。超臨界流体の利用に際しては、高圧あるいは高温・高圧条件に付随する操作性や経済性の向上、溶媒特性の制御技術等、開発すべき技術課題が多く存在する。

 現在、我が国における超臨界流体の研究は理学、工学の広い分野に拡大し、世界的に見てもその成果や人材は充実しており、基礎研究から応用開発研究さらにはプロセスの実用化までを包含した基盤技術の速やかな開発が可能な状況にある。

 このような基盤技術の開発には、次のようなアプローチが望まれる。すなわち、データの蓄積が殆ど行われていない超臨界相における平衡・輸送物性の測定を行い、データベース化を進める必要がある。また、流動、伝熱、相平衡、反応といった基礎的現象の測定・機構解明を行い、溶媒機能を制御するための条件設定やプロセス設計に適用しうるデータの整理・定式化を確立していく。さらに、従来の単位操作の分類に属さない新たな操作法について、開発、体系化を図る。これら研究成果を骨子とし、「統合的化学工学」の体系化を日指す。

Dバイオテクノロジーを用いる基盤技術

 環境・エネルギー問題を解決できる究極の社会システムは、環境調和・物質循環型社会を実現することであり、そのためには環境負荷を極力低減させるとともに再生可能な資源を有効に利用することが重要である。バイオテクノロジーにおけるゲノム解析や遺伝子工学などの技術の発展により、医薬などの高付加価値化学製品のみならず汎用化学品をはじめ生分解性ポリマーなどの大量生産品までバイオケミカルプロセスが応用されるようになり、環境への負荷の低減および省エネルギー効果が期待される。さらに、非石油系で再生可能なバイオマス資源を活用して得られるバイオマス・エネルギーは、“クリーンエネルギー”としての期待も大きい。また、生物の働きを利用したCO2固定化技術や環境修復技術なども環境破壊の修復技術として今後一層の重要性が増大するものと考えられる。

 食糧問題に関しても、「組換え農作物」や「組換え種子」などによる新しいバイオ農作物は、生育速度や収量などに優れ、良質で安全な食糧を安定的に供給することができる。また、耐寒性、対塩性、対乾性あるいは病虫害耐性などを付与した農作物の開発により極限環境地の耕地化や農薬の低減化が可能となり、食糧の確保のみならず環境修復にも一役を担うものと期待できる。生産方式においても、生育環境が人為的に制御され、収穫、出荷が計画的に行われる「植物工場」は、作物が効率的に大量生産できるので農業の工業化を著しく促進するものと思われる。

 このような新産業の創出や食糧、環境・エネルギー問題解決などの社会的なニーズに対し、バイオテクノロジーが基盤技術として用いられるためには、革新的なバイオプロセスの構築が不可欠で、そのためには生体機能を遺伝子、蛋白質などのレベルで解析し、生体分子の構造と機能の再構築設計する“科学”と反応操作や分離操作における装置設計から制御までのトータルシステムの設計を行う“工学”との融合化が必須の条件と考えられる。

 “科学”と“工学”との融合化を図るためには、“工学”側に偏っていた従来の化学工学を、生体分子の再設計の領域にまで拡大すべきである。すなわち、生体分子の設計レベルを視野に入れた新たな設計手法を確立すべきである。このようなパラダイムシフトにより、逆に“工学”側から“科学”側へ新たなシーズやニーズを提供することになり、技術のスパイラルアップが形成される。今後、新産業創出分野として期待される情報、電子や機械産業分野における技術、例えば遺伝情報のコンピューターによる解析・遺伝子設計、生体反応を利用したバイオセンサー、マイクロ加工技術とを組み合わせたバイオマイクロマシンなどの新たな技術はこのパラダイムシフトによりハイグレードな技術として創成されるものと考えられる。

 ここに述べた新しいパラダイムの構築を行うには、分子生物学、生化学、微生物学や免疫学などの基礎科学の知識と遺伝子工学や細胞工学などの工学分野で開発された多くのツールを積極的に取り込んだ統合的な生物化学工学の創成が必要であり、それは「統合的化学工学」の重要な一つの領域になるであろう。

E物質循環を達成するための基盤技術

 将来にわたって社会の持続可能な発展を実現するためには、高度な物質循環システム(ゼロエミッション)を構築する必要がある。このような物質循環システムの構築は、家庭内、個別企業に始まり、地域社会、企業集合体、国全体、さらには地球規模へと拡大されるべきである。当然のことながら、このようなシステムは、科学技術のみによって構築されるものではなく、効果的な政治・経済的施策、さらには個人のライフスタイルの変革などが相侯って始めて可能となるものである。また、想定する物質循環システムの規模によって、とられるべき諸施策、技術的対応は異なるであろう。ここでは、例として地域社会から大量に排出される廃棄物を資源として循環再利用するシステムを構築する上で、化学と工学に求められる基盤技術について考える。

 現在、地域社会から廃棄物として大量に排出されている物質は、一般に分子レベルでもマクロレベルでも化合物・混合物である。これらの廃棄物を資源として循環利用するためには、生産計画の時点から、流通ルート、回収方法、分離・選別方法などを考慮にいれたシステム的発想に基づいて製品を設計しなければならない。たとえば、材料としての循環を考えると、原点利用(衣類のように排出者自身が自己利用する)あるいは再利用(ビール瓶のように繰り返し利用する)にあたっては耐久性を重視した製品設計が、再資源化(アルミ缶のように原料として再利用する)あるいは資源転換(コンポスト化のように他の有価物に転換する)利用においては、資源への変換の容易さを考慮した製品設計が最も重要になる。ここで言う変換の容易さには複数の意味合いがある。たとえば、熱硬化性樹脂の場合には文字通りの化学的変換の容易さが、他の多くの材料では、再資源化にあたっての分離精製・高純度化の容易さが重要になってくる。物質循環システムを実現するためには、このような個別の課題を解決し得ると同時に、システムとしての最適な設計を可能とする手法、技術が不可欠である。これらの手法、技術は、物質循環を達成するための「基盤技術」として位置付けられる。

 上述の基盤技術は化学と工学の研究者・技術者が力を合わせて緊急に開発すべきもので、その内容・体系を現時点で論じることはできないが、既存の多くの要素技術、システム化技術を有機的に融合した技術と考えられる。要素技術としては、反応・化学処理技術、物質再資源化・再有用化技術、分離技術、減容化・削減化技術、無害化技術、物質回収化技術、バイオテクノロジー技術、省エネルギー技術などが、システム化技術としては、環境・安全、エネルギー強度、経済性のレベルでの評価基準の設定技術、物質管理工学、LCA(ライフサイクルアセスメント)などに基づくシステムの総合評価技術などが含まれるであろう。

 これらの要素技術、システム化技術を物質循環を達成するための「基盤技術」を高めるためには、「如何につくるか」を主題とする古典的な化学工学のアプローチに加えて、物質の本質を十分に理解した化学をベースとしたアプローチ、さらにはシステム的発想に立った工学的アプローチが有機的に融合されねばならない。このような観点にたった工学、すなわち「統合的化学工学」体系の確立は物質循環システムの構築に必須の条件である。

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第2部 未来社会を支える国際的ケミカルエンジニアの育成

.緒言

 21世紀の人類には、エネルギー・資源の枯渇、人口の大幅増加、地球環境問題の深刻化という極めて厳しい状況を切り開き、将来にわたって持続可能な社会システムを実現する責務が課せられている。この課題への積極的な取り組みを科学技術に求めて、我が国では「科学技術水準の向上を図ることが経済社会の発展と国民の福祉に寄与し、人類社会の持続的発展に貢献する」とした科学技術基本法(1995年)を制定し、独創的・革新的な技術の創成に資する科学技術の研究開発を重視する「科学技術創造立国」を目指している。

 一方、世界の主要先進国は日本と同様の認識を高めつつ、同時に産業の国際競争力が国家の基盤であるとの立場から、その強化により国民雇用の維持拡大を達成することを国家目標に掲げ、科学技術を経済発展に活用し国家利益に直結させる戦略的政策を推進しつつある。世界の経済は、エネルギー・資源の枯渇、人口の大幅増加、地球環境問題の深刻化という極めて厳しい状況下で産業、科学・技術、人材のグローバル化を図り、グローバルなスタンダードの中での公平な競争と個別の国家利害の追求を必然とする状況となっている。これまで日本は、世界の主要先進国に比肩すべく国内の産業基盤、科学・技術基盤、人材の育成を図り、高度の発展を遂げてきた。しかし21世紀を目前とする今日、日本独自の個性を保持しつつも、さらにグローバルスタンダードヘ対処する真摯な取り組みが不可欠の状況にある。

 本提言の第2部においては、技術・学術のあるべき新しい体系を取り扱った第1部と歩調を合わせて、高等教育のあるべき姿と人材の育成に関して考察を進めた。その上で、国際的ケミカルエンジニアの育成を目指し、「統合的化学工学」の教育のあり方と、学会に基盤をおく「ケミカルエンジニア人材育成センター」の構築を提言するものである。

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.従来の経緯と本報告書の目的

 人材育成は、社会の持続的発展を図るために、常に検討を加えるべき継続的な課題である。日本学術会議化学工学研究連絡委員会においてもかねてより、高等教育の視点から、人材育成を重要な検討対象としている。第16期化学工学研究連絡委員会においては、「創造性豊かな工学系人材の育成に向けて」の標題の下に化学工学系の人材育成に焦点を絞って報告を行っている。ここに化学工学は、従来の化学技術、特に装置設計や化学プロセスシステムの解析だけでなく、化学技術を取り巻く、材料工学、半導体技術、生物工学などの周辺の科学技術とも密接に関係する総合工学として位置づけられている。

 化学プロセス工学専門委員会は、第16期の活動を引き継ぎ、委員会内に産・学・官のメンバーからなる「化学工学教育・人材育成小委員会」を設けて、工学と技術を取り巻く国内外の急激な環境の変化、工学教育の変革を求める社会的要請の高まり、エンジニア教育の認定に関する国際的な動きなどを調査対象として選び、鋭意検討を進めた。本提言は、これらの調査結果に基づき、その上に立って「人材育成センター」の必要性を強く主張するものである。

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.工学と技術を担う人材育成

3.1 21世紀初頭の技術者を取り巻く状況

 21世紀には、社会・経済の一層のソフト化が進む。科学・技術のもたらす利便性の享受は当然のこととなり、その存在感を感じることが少なくなる。わが国
においては、同時に少子高齢化の進行、生産年齢人口の大幅減少が社会のあり方に大きく影響する。確かに大学への進学率が大幅に向上するものの、その高度教育社会は必ずしも知的水準が上昇することを意味しない。ややもすると、政治・経済に対する無関心、科学技術に対する認識不足が顕著になる惧れが少なくない。 このような状況の中では、教育のあり方は従来にも増して一層、社会の活性化を左右する要因となる。

 緒言に述べたように日本では、持続可能な社会システムを実現する課題への取り組みを科学技術に求めて、独創的・革新的な技術の創成に資する科学技術の研究開発を重用視している。しかしながら、「知の爆発」と言われた20世紀の終焉を目前として、バイオサイエンスなど一部の分野を除けば、従来の科学の方法論の延長線上に、新しい時代を予感させる科学技術の創成が見えているとは言い難い。これを切り開くためには、新しい時代にふさわしい科学技術とその方法論を構築し、新規産業の創成や発展を目指すと共に、これを支える人材の育成を図ることが、車の両輪として不可欠である。

 世界の主要先進国は、産業の国際競争力を、世界に共通の公平な競争環境の中から生み出そうとしつつある。これは当然、労働市場のグローバル化をも含んでいる。すなわち大学、企業を問わず教育、研究、技術開発などの専門領域で外国人の従業員が増加する。世界共通のルールで競争する分野では、日本人のみで業務を遂行していくことはあり得ない。世界的に労働市場の流動性が高まり、国際的に通用するエンジニアの育成が強く求められ、実力主義の定着、専門能力の重視が必然となる。逆に述べれば、専門能力重視と専門職化は技術者の社会的認知にとって追い風になるであろう。

 日本社会が活性化し、世界に向けて人類社会の維持・発展の重責の一端を担っていくためには、科学者の育成と同時に技術者の育成を行う必要がある。若者の理工科離れを防ぎ、積極的に科学技術に興味を持たせ、技術と技術者の社会的役割・地位を理解、向上させる仕組みを整備する必要がある。ここに大学を中心とした高等教育のあり方と、技術者を育てる生涯教育の方法論が真摯に議論される必要性がある。

3.2 従来の高等教育と技術教育

 従来のわが国の高等教育は工学においても、ややもすれば技術者よりは、研究者・学者の育成に重点がおかれてきた。これは日本が、欧米に迫いつけ・追い越せの歴史の中で、学術の振興が国家目標であったことからやむをえなかったといえる。同時に日本においては、大学などの高等教育に、技術者教育や実際にすぐ役立つ教育を必ずしも期待していなかった面もある。一方、大企業においては、終身雇用制度の中で、かなり系統的な工学・技術教育が行われてきた。同時に、大企業に対して、より専門化した中小企業が連携するという社会構造の中に、高度な技術者層の教育と育成が委ねられてきた面もある。活発な経済活動の中でのOJT(on job training)や、職務上必要な各種の資格取得を通した教育などが、これに含まれる。

 上述の社会的な教育システムの中で、優秀な技術者が育てられてきたことは十分評価に値する。しかし、企業や社会一般の経済余力の衰退や、雇用の流動化という社会・経済構造の大変革期に当たり、社会に開かれた国際的に通用する技術者を育成するシステムとして、従来のシステムが今後も有効に作動することは必ずしも期待できない。従って、これからの技術者教育をどのような社会的システムの中で、誰が責任を持って、どのような方法論の下で行っていくべきかは、緊急に検討すべき課題である。

3.3 あるべき技術者像

 真の革新的技術は科学の中から、あるいは科学の裏打ちがあって始めて生み出される。新しい科学的知見の発見が、20世紀ほどは期待できない21世紀の化学技術分野においても、科学的基盤の上に生み出された革新的化学技術が時代を先導し、社会の要請に応えていくことが望まれる。このためには、化学技術にも、多くの科学分野の知識・概念と方法論を取り入れる必要がある。量子化学的な視点、ミクロからマクロにまでつながる物質観、地球や自然に関する科学的認識などに基盤をおき、同時に、社会からの要請に的確に応答する等の工学的視野が、従来にも増して重要となろう。さらに科学的・技術的知識の高次構造化、情報のプラットフォーム化などの新規な方法論の展開が、新しい現象の発見をもたらし、さらに革新的な原理や概念を生み出し、新しい化学技術は、これらによって触発され生み出されるものと期待される。

 科学の知識や概念を社会につなぐ役割をするのが、エンジニアリングである。言葉や紙の上だけでは我々の生活は成り立たず、物を作り、運び、使い、処理をする必要がある。エンジニアリングとは、製造する、プロセスを運転する、処理を行うといった行為を対象とする。個々の行為を解析し、総括的かつ系統的に記述し基礎原理に立脚して学問体系としたのが、エンジニアリングサイエンス(工学の科学)である。化学工学、材料工学、機械工学などの分野で、従来の大学工学部で行われてきた主な授業内容がこれに相当する。一方、エンジニアリングにおける個々の所作は、科学的知識や概念を、目的に応じて具現化するデザイン(design)という行為を通して行われる。エンジニアリングデザインとは、例えば化学プラントを設計・建設するといった狭い意味に止まることではなく、デザインという行為を通して科学を具現化するという意味である。研究者の教育に重点がおかれた従来の大学工学部においては、ややもすれば不足していた部分である。21世紀の技術者には科学、エンジニアリングサイエンス、エンジニアリングデザインの各面を基本的に理解し、これらを総合し、実質的に運用できる人材であることが要請される。

 一方、グローバル化した社会における専門家の一員をなす技術者は、その専門的な価値判断の規範を、企業などの所属機関の利害におくという矮小化は、もはや許されない。社会は技術者をその所属機関と独立した個人として認め、技術者個々人は各々の能力・倫理において、自己の専門領域における判断を下す。この判断が企業などの行動を律する。このような方向へ社会のあり方が変革することが必然と考えられる。ここに見られる21世紀に期待される技術者とは、責任を果たす能力、専門性、倫理を兼ね備え、世界的な規模での共通の競争的環境の中で活躍できる技術者ということである。

3.4 あるべき技術者教育

 上記のような技術者像を想定すると、あるべき技術者を育てる工学教育とは、「科学的知識・概念・思考方法」を身につける、「エンジニアリングサイエンスをマスターしてエンジニアリングデザイン」へ至る、「技術者倫理」を涵養する教育ということになる。ケミカルエンジニアの教育は、科学と化学を視野に入れながら、エンジニアリングの基本を教育することにある。後者はエンジニアリングサイエンスのみを意味しない。技術者の仕事はデザインであり、そこが科学者と異なる所以である。この考えにたって工学の教育プログラムを考え、積極的にデザインするという立場から幅広く工学の必要性に迫ることが望まれる。

 一方、21世紀には大学教育一般のあり方も変わらなければならない。学習意欲のない、学習成果の上がらなかった学生は卒業させないということを当然のこととする、出口管理のきちんとした大学像を定着させることが必要である。入学させること即ち卒業させることではない。そして大学において、真の教育を施すと共に、学生自身も大学で学ぶという認識をしっかり持つことが要求される。一方、高度な奨学金制度の整備などの経済的施策が、学生の自立的な学習を保証する必要がある。このような実力主義に見合った大学の教育のあり方を実現することが必要である。

 また進歩の著しく速い社会において、技術者が長い期間にわたって活躍するためには、常に新しい知識や概念の吸収・消化が必要である。このためには、従来の企業内教育の枠を超えた技術者の継続的な教育、即ち生涯教育の新しいシステムの構築が重要である。

 さらに、21世紀に期待される独立指向の技術者にとっては、自分の能力の保証、出来ればその国際的な保証が必要である。このようにして日本で育成され認定された技術者が国際的な場の中で活躍することは、日本が科学技術創造立国として飛躍する一つの証しになる。

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.ケミカルエンジニア資格と教育体制

4.1 エンジニア教育の国際化

 科学技術の発展をになう創造性に富む人材育成が不可欠であり、さらに世界に通用するエンジニアの育成という明確な認識が必要となっているのは既に論じた通りである。日本の工学教育は、従来、大学では研究者・学者を育てる教育に重心があり、社会や産業界の要求するエンジニアを育成する視点に欠けていたといえる。日本の大学などでの工学の高等教育の質を確保し、向上を図りつつ、未来社会におけるニーズを反映した工学教育を実効あるものにし、国際的に通用する技術者を育成するには、工学教育のアクレディテーション(認定)・システムを確立することが必要になる。すなわちアクレディテーションによって、教育の内容を客観的に明示し、その一定以上の質を保証する。

 国際的に通用するエンジニアのアクレディテーション・システムの構築は、APECエンジニア枠組み合意(1997年)により、具体的な機構づくりへと加速されている。これを受けて、日本においても統一的基準に基づいて、大学等の工学教育プログラムの審査・認定を行い、日本におけるエンジニアリング教育の国際
的な同等性を確保すると共に、その質的向上を図ることを目的とした「日本技術者教育認定機構(JABEE)」が設立された(1999年11月)。

4.2ケミカルエンジニア教育のシステム

 ケミカルエンジニアは幅広い化学技術を、他の工学分野との連携をはかりながら推進する点に大きな特徴があり、その教育のアクレディテーションは他の工学分野に先駆けて検討することを要請されている。高等教育機関におけるケミカルエンジニア教育プログラムの認定問題とケミカルエンジニア資格問題は、ひとり大学などの高等教育の問題に止まらず、実はケミカルエンジニアの生涯教育の問題につながる。学会等の人材育成支援活動そのものの新しい体系化、そのフレームワークの構築が大切である。すなわち、大学などの高等教育のあり方を議論すると共に、今後、広い意味でのケミカルエンジニア教育に対して、次のような内容を扱う人材育成トータル・システムを提供できるような実施体制を構築する必要がある。

(1)ケミカルエンジニア専門教育プログラムの基準策定とプログラムの審査・認定
(2)ケミカルエンジニア資格の認定
(3)ケミカルエンジニア教育環境の整備
(4)ケミカルエンジニア生涯教育システムの構築

4.3 大学・大学院における工学教育

 従来の大学における工学教育は、エンジニアリングサイエンスの教育に重点をおき、必ずしもデザイン教育や職業・技術者倫理教育に十全の力を掛けなかった嫌いがある。21世紀の産業基盤を支える技術者を育てるには、後者の教育プログラムを、より一層重視していく必要がある。この目標は、学部段階においては教育プログラムの基準策定によって達成されることになる。一方、大学院修土・博士課程において、学術研究に重点をおいた研究者・学者の養成を図ることの重要性が弱まることはない。しかし、これに平行して、より高度の技術者養成のスクーリングを中心とした教育プログラムが用意されることも考慮に十分値する。学術研究と技術者教育プログラムの両者を適切に組み合わせ、大学院生、特に博土課程学生の広い視野や、柔軟性に富んだ将来性を確保することもまた重要である。

 学部、大学院両者において、エンジニアリングデザインや、技術者倫理など、あるいはさらに技術経営などの教育を如何に実行するかは、技術者を育てる工学教育の要となる。これらは、ひとり大学人だけで果たせるものではない。これまで大学などの高等教育機関と社会・企業の役割分担と協力のあり方の検討は不十分であった。本来、工学における人材育成に対して、学と産との確たる相互協力体制が果たす役割は大きく、そのあり方を考察し、その関連を含めて人材育成トータル・システムの実施体制を構築していく必要がある。

4.4 人材育成における学と産の相互協力体制

 学と産の相互協力体制の主要な形態として、近未来的に対処できるのは、インターンシップと大学における企業人講師の活用である。これらは既にある程度の展開が行われている。今後、さらに密接な学と産の連携の形態が考慮されなければならない。

4.4.1 インターンシップの推進

 インターンシップとは、「学生が在学中に自らの専攻、将来のキャリアに関連した就業体験を行うこと」である。その意義は「学校と産業界などが連携して学生の高い職業意識を育成し、主体的な職業選択と専門能力の向上のための多様な機会を提供することにより、次代を担う学生の職業人としての成長を社会全体として支援していくこと」にあるとされる。インターンシップの現状は、平成9年度において工学系学部・学科などの全体の34%で現場実習などの名でインターンシップを授業科目に取り入れており、またインターンシップ学生を受け入れている企業は全体の11%である。

 インターンシップに期待される利点は以下のとおりである。まず学生にとっては、職業選択について考える契機となる、専門領域についての実務能力を高め学習意欲を刺激する、などの利点がある。大学にとっては、学生に職業選択への積極的取り組みを促せる、企業の最新情報などを把握できる、などの利点がある。企業にとっては、企業側からの学校教育に対する要望を大学や学生に伝えられる、大学等との連携関係が確立できる、学生を実践的な人材として育成することに賛助できる、などの利点がある。一方、問題点も多い。すなわち、学習内容の設定や実習前後の適切な指導、アルバイトなどの就労との明確な区別、実習中の責任の所在の明確化、採用・就職活動との明確な区別、参加希望者に開かれた制度の確立、企業の好・不況に影響されない定常的な運営、などがあげられる。

 以上、種々の課題は残されているものの、インターンシップが就業体験として広く社会に認知される方向にある現在、将来的には、社会に大きく根を下ろした制度となるであろう。

4.4.2 大学における企業人講師の活用

 企業人を大学の工学教育に活用することは、多くの大学では従来から行われていることであり、そのメリットは極めて大きいと判断されている。その最たるメリットは、大学教官では補えない実務的内容を教育できることにある。実務的内容とは、実用化されている技術の実体にとどまらず、技術政策・経営、研究開発・管理、知的財産のあり方などの幅広い概念を意味する。逆にまた、企業人にとっても大学における教育経験は、実務的知識の体系化に役立つ。日本が、21世紀の科学技術創造立国を目指すには、企業人講師の活用はさらなる拡充・活性化が不可欠である。

4.4.3 企業・社会人の再教育への大学の貢献

 社会人の大学・大学院入学制度の整備は、社会人の再教育にとって寄与するところが大きい。特に新規な知識・概念・体系的な学術の再吸収は、大学に再度、籍をおくことによって初めて効果的に行われる。逆に、社会人の学生が大学にもたらす実務的内容は、企業人講師には及ばなくとも、大学における教育に資するところは大きい。ここにも教育の双方向性の一例を見ることができる。

 社会人学生・大学院生の積極的受け入れに当たっては、同時に通常の学生・大学院生の側からの経済的な公平感に十分留意する必要がある。高度の奨学金制度の整備やティーチングアシスタント制度の充実などが、学生・大学院生の自立的な学習を保証するのみでなく、社会人学生に対する不公平感を取り除き、社会人学生と共に学ぶ意識を醸成する。

4.4.4 企業への大学人派遣と研究・教育協力

 インターンシップや企業人の大学派遣による、学と産の人材育成の連携をさらに一歩進めるものとして、企業への大学人の長期の派遣がある。これは研究協力を通して達成される研究の実績のみならず、大学人が、現場に必要な工学的課題を体感的に認識できる点と、企業人への直接的な教育による人材の再教育に資する点が大きい。しかし、限られた大学の人的資源を考えるとき、学と産の協力体制がどの程度であることが妥当かは、今後の多方面からの検討を必要とする課題である。

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.ケミカルエンジニア人材育成センター構想

「企業(社会)−学会−大学−個々の研究者・技術者・学生」の関連の視点で、未来へ向けた工学分野の高等教育、技術者教育を考えると、学会の果たすべき役割は大きく、学会には、従来は比較的比重の低かった人材育成への寄与が強く期待される。ここに、アクレディテーションの実施、学と産の連携、生涯教育の重要な担い手として、学会に基盤をおいたケミカルエンジニア人材育成センターを提言したい。

 人材育成センターの基盤を学会に求めるのは、以下の理由による。すなわち、

1)学会には、研究と教育の両面で果たすべき役割がある。

2)学会自らが教育などを実施する機能は持たないが、技術者、研究教育者の集団として、人材育成のあり方を内外に提示し、集団を先導していく必要がある。

3)人材育成のトータル・システムは、「教育問題の総合構想策定」に基づいて作られるべきである。アクレディテーションに関する業務は当然のこととして、これに加うるに、専門教育の実をあげるためのインターンシップや企業人の大学講師派遣、大学人の企業派遣と生涯教育への貢献などの構想の実現がその目的である。このような機能は、卜ータル・システムとして一元的に運営されないと実効性が発揮できない。

4)総合的な課題は学側だけでなく、産側からも参画して議論の上、構想策定に当たらなければならず、そのための場としては学会が最適である。この総合構想を基礎にして、人材育成トータル・システムを構築し、運営する実施機関として、学会に基盤をおいた人材育成センターを設置するのが望ましい。

 人材育成センターの必要性と課題は、アクレディテーション、学と産の連携、生涯教育に関して、以下のように論ずることができる。

5.1 アクレディテーションと「統合的化学工学」教育

 4.2において提案された、ケミカルエンジニア専門教育プログラムの基準策定とプログラムの審査・認定およびケミカルエンジニア資格の認定は従来、日本の教育・研究システムの範疇にはなかったものである。このためアクレディテーションに関しては新規なシステムの構築が必要である。

 グローバルスタンダードの中で通用する技術者の育成が喫緊の課題である今日、日本においても早急に、国際的な技術者の相互認定システムの構築を進め、認定制度の整備とその実現が求められる。このアクレディテーション・システムにおいて人材育成センターとJABEEは相補的に働くことが期待される。まず人材育成センターは、幅広くトータルな人材育成をその専門分野で行うことに責任を持つ立場であり、その観点からアクレディテーションに関する機能を分担遂行する。JABEEは各学会の連合体の統合機関として、全体の仕組みの運営・管理を行い、各学会は統一された仕組みの中でそれぞれの学会に適合した形で認定を実施するのが望ましく、カバーすべき範囲が異なると考える。

 アクレディテーションにおけるケミカルエンジニア専門教育のプログラムの基準は、3.4で議論したように、未来へ向けたケミカルエンジニア教育におけるキーワードに基づかなければならない。すなわち、「科学的知識・概念・思考方法」を身につける、「エンジニアリングサイエンスをマスターしてエンジニアリングデザイン」へ至る、「技術者倫理」を涵養する教育ということである。このキーワードは、米国ABET(Atreditation Board for Engineering and Technology)に代表される、現在の国際的なケミカルエンジニア教育の理念と大きな食い違いはない。従って、国際性、即応性の立場から、現時点で世界に通用する、ケミカルエンジニア専門教育プログラムの基準策定が、まずもって、わが国においても実施されるべきであろう。

 しかし、化学技術を支える教育プログラムの実質的内容は、時代の変遷に応じて発展的に変化すべきものである。第1部で論じた「統合的化学工学」は、その実現のために、現在の世界の標準的なケミカルエンジニア教育をさらに発展させた専門教育プログラムを必要とする。「統合的化学工学」は基礎および応用研究手法と生産手法を共通な要素技術とする「統合的化学技術体系」の構築にその基盤をおくべきであるが、対応した工学教育もこれを明確に認識したものになる必要がある。その具体的な教育プログラムは、学会に基盤をおいた人材育成センターにおいて、その内外からの各種の論議の集大成として継続的に検討され、必要に応じて更新されるべきである。その結果が、アクレディテーションのための「統合的化学工学」専門教育プログラムの基準として結実すべきである。ここに提案される基準が世界に通用することが期待される。

5.2 学と産の連携

 大学などの高等教育機関と企業との連携に関し、学会における人材育成センターの果たすべき役割は、その組織化と情報の集約にある。

 インターンシップ制度には利点と共に多くの問題点が存在することを4.4.1で述べた。これらの問題解決には個々の大学、企業も努力する必要があることは勿論である。しかし、それぞれの専門分野ごとの特異な事情も勘案すると、専門分野ごとの管理・調整にあたる組織が不可欠である。例えば、インターンシップに参加希望する学生に十分対応できる受け入れ企業の確保とマッチング(企業側の指定校願望の調整)、学習内容の標準化と指導体制の確立、修了生に対する何らかの認定制度の確立、実習中のトラブル・責任問題の処理体制の確立、採用・就職活動との明確な切り離し策の確立など、一大学・一企業では解決できない問題がある。また大学における企業人の活用の面では、多くの大学では以下のような問題を抱えている。すなわち、非常勤講師を活用する予算枠が少なく、また講師の労力に見合った報酬が少ないという問題がある。この問題解決には、学内外での予算捻出努力が必要であり、個々の大学の問題という色彩が強いが、共同してこれにあたることも考えるべきである。また、適切な講師の選考が難しいという問題がある。この問題はそれぞれの専門分野によっても異なる状況にあるが、個々の大学では解決できる範囲が限られており、何らかの共通の組織があれば解決できる。例えば、非常勤講師としての資格認定、企業人講師のデータベース作成などは、個々の大学の対応を超えており、当該組織があればその恩恵を享受できる。

 社会人の大学・大学院入学、あるいは大学人の企業への長期派遣などを実りあるものとし、同時に個人や個々の企業・大学の過度の負担を軽減するためには、多岐にわたる相互の情報が整理され、有効に利用されることが重要である。ここに人材育成センターが、そのネットワークの要として有効に働くことが期待される。以上のように多数の大学、企業が相互に発信する情報を集約してこれを有効に利用し、問題解決には共通的に対処するためにネットワークの要として活動する、学会に基盤をおいた人材育成センターが不可欠であろう。

5.3 生涯教育

 技術者の生涯教育は現時点では、いずこにおいても、ほとんど責任を持った対応がなされていない。アクレディテーション制度の導入によって、認定されたコースを取得していないが技術者として認定を希望する人材をいかにして教育するか、また有効期限付きの資格認定がなされたときに必要となる、何らかの再教育に積極的に対応していくことが必然となる。特に後者においては、絶えることなく新しい知識や概念を吸収することができ、集中した自由に利用できる高度の情報を与えるシステムを整備する必要がある。大学との連携の下で、社会人入学制度の有効な活用を補助するネットワーク作りなども考慮の対象となろう。このような系統的な取り組みを可能とする人材育成センターが不可欠となる。

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.結言

 21世紀における、世界における日本の位置と役割を理解し、経済的・人的変化を予測し、さらに21世紀に目指すべき方向が「統合的化学工学」に基礎をおいたものでなければならないとの認識に立ち、人材育成のあり方を考察した。その結果に基づき、高等教育と生涯教育の要として、「ケミカルエンジニア人材育成センター」の設立を提言する。このセンターの特徴は以下のように要約できる。

・基盤は産学の専門家集団としての学会におく。
・技術者の認定と技術者の生涯教育に主体的な役割を果たす。
・専門教育プログラムの基準策定には専門家集団として、また技術者資格に関しては日本技術者教育認定機構と相補的な役割を果たす。
・産学間の教育補完、技術者の生涯教育に対してネットワークの要としての役割を果たす。

 ここに提言した人材育成センターの設立や運営に当たっては単一の学会の問題としては解決しきれない多くの課題も残されている。技術者教育を学会の重要な機能の一つとみなし、その制度的な裏付けを与え、経済的な支援を可能にすることが要請される。このためには、日本学術会議、関係各省庁、関連教育機関、産業界・企業など、多方面からの総合的・具体的なさらなる検討と支援が必要である。予算を含めた国家的規模での検討と同時に、関連各位の主体的参画を強く期待するものである。

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謝辞

 本提言書の第1部ならびに第2部の作成に当たっては、(社)化学工学会の全面的なご協力を得た。特に、化学工学会産業部門委員会内に設けられた拡大化工研連支援連絡会議(委員長:片岡 健 ダイセル化学工業(株)顧問)、ならびに化学工学会教育部門委員会内のケミカルエンジニア教育・資格問題ワーキンググループの委員諸氏には、多大のご支援とご協力を得た。また、(財)化学技術戦略推進機構のご協力も得た。ここに記して謝意を表したい。

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