著作物再販制度の存廃問題について(会長談話)


平成8年10月17日

日本学術会議会長

伊藤正男

 

 独占禁止法が定める「著作物再販売価格維持制度」(いわゆる著作物再販制度)については、目下その特例を見直す取り組みが、公正競争および規制緩和の見地から公正取引委員会を中心に行われつつある。しかし、著作物の「法定再販」制を見直し、その存廃を法律上決定するということは、独占禁止法の基本理念である自由かつ公正な「競争政策」のあり方にかかわると同時に、学術書を含む著作物の社会的普及の状況を大きく左右する。そのような意味においてわが国の「文化政策」にも深く係わっていると認められる。日本学術会議は、第5常置委員会による検討を基に、本第124回総会において本問題の審議を行った結果、以下の希望を強く表明するものである。
 第1.本問題に関しては経済政策と文化政策との総合的な政策調整を図るべく、この点につき本問題に関係をもつ政府諸機関が積極的な協議をすること。
 第2.日本社会全体としての適正にして十分な取り組みを促進するため、その協議内容の情報を十分に公開して国民的論議の場に供すること。
 第3.上記の協議に際し、現にきわめて困難な状況にある学術書の出版条件を改善するよう考慮すること。

[説 明]

はじめに
 現行の独占禁止法が定める「著作物再販売価格維持制度」(いわゆる著作物再販制度)については、近年その法定特例を見直す取り組みが公正取引委員会を中心に行われつつあり、これに対し新聞・出版界等および文化庁は、著作物の定価販売を良しとする立場から「法定再販」制の存続を強く望んでいる。
 日本学術会議においても、この問題がわが国の経済秩序とともに学術・文化に深く関係する以上、十分な関心をもって検討していくことが必要であると考えられた。たまたま平成7年2月に自然科学書協会から日本学術会議に対し本問題に関する申入れもあり、「学術情報・資料に関する」第五常置委員会を主として、本問題は今期における日本学術会議の検討課題の1つに位置づけられた。
 第五常置委員会は、公正取引委員会と文化庁の担当者から説明を聞くとともに、新聞・出版界を代表する諸団体の意見聴取を行って、本問題に対する検討を続けた。日本学術会議第124回総会は、この委員会からの報告を踏まえて審議し、以下の所見を取りまとめた。

1 著作物再販問題に関する経緯の概略

(1) 独占禁止法(独禁法)は昭和28年の改正以来、その第24条の2第1項により、商品を生産・販売する事業者がその小売等の再販売の価格(再販価格)を決定・維持することは、公正取引委員会の指定する商品について例外的に認められるとし、あわせて同条第4項によって、「著作物を発行又は販売する事業者」が行う正当な再販価格の決定・維持はこれを直接個別的に法認している。この後者の「法定再販」の対象となる「著作物」は従来、@書籍・雑誌、A新聞、およびBレコード・音楽用CD等、であると解釈されている。
(2) ところがかねて公正取引委員会(公取委)では、メーカー等が小売価格を決めるような再販価格制(再販制度)は、公正競争秩序および消費者の利益の見地から問題を含むとしてその縮小に努め、平成3年からは政府の規制緩和策との関連で、著作物を含めた再販制度の抜本的な見直しに取り組み、業界実態調査を行っている。そして平成7年7月における公取委内の「政府規制等と競争政策に関する研究会・再販問題検討小委員会」の中間報告において、つぎの指摘がなされるにいたった。「再販制度が本来独占禁止法上原則的に違法な行為を例外的に許容するものである以上、……国民各層が納得し得るような明確かつ具体的理由が必要である。」「これまでの関係事業者の主張等を前提とする限り、再販制度が店頭陳列の充実、戸別配達の維持など消費者が商品を購入する機会の確保等を通じて我が国の文化の普及等の効果をもたらすかどうかについて、疑問があると考えられるものである。」
(3) これに対し、かねて著作物再販制度の存続を唱えてきた新聞・出版界の代表者と文部省・文化庁の関係者とによって構成される「活字文化懇談会」は、平成7年6月、再販制度による著作物の定価制(全国同一価格)がわが国の文化水準の向上にかかわる「活字文化」振興のために必要であるとの見解を発表している。また、上記の公取委内研究会の中間報告に対して反論し、著作物再販制度の撤廃に反対する諸見解が、日本新聞協会(平成7年10月)、日本書籍出版協会・日本雑誌協会(同年12月)、日本出版取次協会(同年同月)、日本文芸家協会(同年同月)、音楽文化懇談会(平成8年2月)などから表明されている。それらに共通する意見の主旨は、著作物は人類の文化的資産として国民の知る権利を充足させる媒体であり、再販制度に支えられるその定価制は、著作物の多様性と低価格および全国一様的普及に資するもので、その再販制度の廃止は売れ筋優先を促進して著作物の種類を減らし、小さい出版社・書店の倒産や新聞の戸別配達制を失わせる恐れが強い、というものである。
 なお、政府筋における本問題の結論的取り組みは今後にゆだねられ、その最終決着は平成9年度末までと予定されていると伝えられる。

2 著作物法定再販の存廃問題は経済政策および文化政策の両方に関係する

(1) 公正取引委員会筋における考え方は、メーカー等による再販価格の決定・維持は独禁法上の公正価格競争の原則に反して本来違法であり、したがって著作物の法定再販も現実に弊害が多くなり合理的理由を欠くにいたれば当然廃止すべきだ、という法的原則論に立っている。なるほど、経済的生産に基づく商品の取引については、そうした原則がそのまま妥当するであろうが、知的生産物である「著作物」は、学術研究業績や文化活動表現ないしマスメディアという広義の文化的価値を持ったきわめて特殊な商品であるため、それに再販制度を法認するかどうかは、単に商品流通実態の評価の問題をこえて、「文化法」(文化に関する諸立法)の原理につながる「文化政策」の課題でもあると考えなければならない。
(2) もっとも、著作物も商品流通によって社会的に普及するものである以上、独禁法に基づく公正競争原則および消費者利益保護の原則に服すべきであろう。しかし著作物商品の場合には、定価制か小売価格競争かという問題についても、それが文化・学術の発展とどうかかわるのか、とりわけ、値引き販売による購買者の経済的利益とともに、再販制度・定価制に根ざす読者の文化的利益享受の可能性といった点を特別に考慮しなければならないであろう。
(3) 加えて、独禁法は現に著作物再販についてはこれを直接に法定する制度を採っているため、これを削減する法律改正をするかどうかは、まさにわが国全体における立法政策の問題にほかならない。公取委も元来「競争政策」の推進を意図しており、再販制度の今日的見直しはいわゆる「規制緩和」策と関連している。それに対し「文化政策」の立場から見るときには、「規制緩和」としての法定再販の廃止が、その後は再販制を禁止することによって著作物の作成・販売に関し著作者・編集者・発行者に対する新たな法的規制になりうる、という問題点もあろう。
(4) かくして、著作物法定再販の存廃という課題は、形式的には独禁法上の関係規定の維持または改正という問題であるが、実質的には、少なくとも公正取引委員会所管の「競争政策」および文化庁所管の「文化政策」に同時に関係していると認められる。
 このことを、憲法上の人権の種別に照らしてみるならば、「競争政策」は経済的市場を通して財産権や消費者権などの経済的人権にかかわるのに対して、「文化政策」はいわゆる“思想の自由市場”を通して表現の自由や知る権利という精神的人権に関係しているので、本問題もその両種の人権に関連していることになろう。

3 著作物法定再販の存廃は政府および国会の総合的な政策調整判断により決すべきである

(1) 著作物法定再販の存廃が「競争政策」と「文化政策」とにまたがる問題であるならば、両政策の根本的な相違から、その立法面での解決に当っては、政府および国会における政策調整の総合判断が不可欠であると考えられる。欧米諸国において著作物再販をめぐる状況が結果的に多様に分化している事実は、そのことを如実に物語っていると言えよう(ドイツには著作物法定再販が存し、フランスにも現在書籍の法定再販が存するのに対して、アメリカでは著作物再販制は一般に行われていない)。なお、こうした異質な政策間の総合調整という問題は、現代国家においてはしばしば必然的に発生するところとも言える。
(2) 今日のわが国における著作物法定再販の見直しとその存廃をめぐっては、賛否両論が存し、両者の間で同一事項についての認識や評価が大いに分れている。その主だった係争事項は次のようである。
 @出版著作物の価格の高低と再販制度の存廃とはどう関係するか、Aわが国における出版著作物の流通実態に見出される弊害の如何と再販制度との因果関係、B法定再販を廃止した場合、小さい出版社・書店の淘汰や新聞宅配制の消滅にいたるか否か、C書籍・雑誌の店頭品揃えと注文処理の実態は再販制といかに関係するか、Dわが国の書籍・雑誌は返品付き委託販売制が一般的であり、これが真正の販売委託契約となれば小売値も「再販価格」には当らないということをいかに見るか、E定価販売または小売価格競争は出版著作物にとっていかなる文化的意味合いを有するのか、F学術書の刊行難と再販制の存廃はどう関連しているか、G出版物の価格競争による売れ筋本優先や紙面劣化の可能性はどうか、Hフランスにおいて1979年に書籍再販が廃止され81年に復活された経緯をどう見るか、I学術書や一般雑誌など著作物の文化的多様性についてどう考えるか。
 たしかに、これらの係争事項に関しては、再販制度との因果関係や再販廃止後の状況予測が困難であり、とりわけ文化的な状況判断にかかわる事柄については計量的な認定になじまない部面が多いと見られる。そこで、それらの係争事項について最終的にどう見るかは、まずは政府における総合的調整的な政策判断にゆだねられる問題であろう。
(3) その場合、本来異質である「競争政策」と「文化政策」の両者にまたがって適正な総合調整判断を行うためには、公正取引委員会および文化庁等の関係政府機関の間において積極的な協議を尽す努力が、必要不可欠であると考えられる。本問題が形式的には公正取引委員会のみの所管事項であるとしても、上記の理由から、本問題の妥当な立法的解決に当っては、内閣の指導に基づき、公取委と文化庁をはじめ文化政策関係官庁との公的協議がなされるべきである。
 そして、その政府内協議の内容を十分に情報公開し、国民的論議の場に供すべきである。
(4) 著作物法定再販の存廃について、政府ないし国会が総合的な政策判断を行おうとする場合、著作物の販売に購読者として日常的に接するとともに、それに伴う文化的享受をしている一般国民の意向を適切に参酌することが望まれる。さらに、本問題の性格上、学術・文芸の著作物に主体的にかかわる学術・文芸関係者の所見については、それとして尊重されてしかるべきであろう。
 日本学術会議としては、本問題の全体がわが国の文化・学術に広く深くかかわる点にかんがみて検討を進めているが、とりわけ学術書の出版への影響について強い関心を有している。
 元来、学術研究の成果や資料を発表する書籍・雑誌である「学術書」の出版条件の如何は、「科学技術創造立国」をはじめ学術政策に直接関係している。もっとも今日、情報・通信の高度化により非活字メディアの比重が高まりつつあるが、なお学術全般にとって活字印刷物である学術書の重要性は大きい。そこで日本学術会議としては当面、著作物法定再販の存廃をめぐる政策調整において、現にきわめて困難な状況にある学術書の出版条件を、けっして悪化させることなく改善させる方途について、政府は特別な配慮を示すべきであると希望する。