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会議概要

Sustainable Well-Being:共通理解の確立のために

早稲田大学政治経済学術院教授、日本学術会議副会長 鈴村興太郎

 Science and Technology for Sustainability を共通テーマとする日本学術会議の国際コンファレンスは、2003年以来5回にわたって毎年開催されてきています。各年の会議はそれぞれ固有の焦点テーマを定めて企画され、重要な成果を挙げてきているのですが、このシリーズを一貫して通底する《持続可能性(sustainability)》という基本概念に対して、日本学術会議の知的資産として継承されるべき標準的な理解は、いまだに確立されているようには思われないのが現状です。この基本概念は、第20期日本学術会議の軌道を敷いた第18期の中間報告『日本の計画 Japan Perspective』と第19期の声明『日本の科学技術政策の要諦』においても、日本学術会議の将来構想の中枢に据えられています。それだけに、第6回持続可能性コンファレンスの企画に携わるこの機会に、《持続可能な福祉(sustainable well-being)》という焦点テーマを設定して、その関わりで将来も日本学術会議の活動の基礎として継承可能な意味を持続可能性という基礎概念に賦与するという目標が、プログラム委員の間で合意されました。そのため、基調講演をお願いする招待講演者には 持続可能な福祉に関して傾聴すべき見識と関連する業績をお持ちの内外の研究者を招聘すること、日本学術会議の3つの部が、それぞれの専門研究を背景とするセッションをひとつずつ編成して、持続可能な福祉の諸側面を相補的に解明することが、プログラム設計の基本方針となりました。日本学術会議は人文学、社会科学、自然科学の全分野を包摂する日本の科学者コミュニティの代表機関でありますから、このような企画を立てて実行するにはまさに相応しい適格性を備えていると、私たちは自負しています。それのみならず、2008年7月に洞爺湖で開催されるG8サミットにおいて、グローバルな資源・環境の持続性と人間の福祉の向上を視野に収めて、主催国としてリーダーシップを発揮すべき日本であるだけに、持続可能な福祉概念に関する共通理解の確立に貢献することは、日本学術会議が背負うべき責任であると私たちは考えています。

 歴史を振り返りますと、《持続可能性(sustainability)》の概念は、国連が設置した『環境と開発に関する世界委員会』(通称『ブルントラント委員会』)が1987年に作成・出版して、国連総会で採択された報告書 Our Common Future にその起源を持っています。この概念は、1992年の国連環境・開発会議(リオ・地球サミット)においても、基本概念として採用されています。ブルントラント委員会が提唱した持続可能性の概念は、一見すると非常に簡単・明瞭です。持続可能な発展経路とは、「将来世代がそのニーズを満足させる可能性を損なうことなしに、現在世代がそのニーズを満足させる」という性質―《世代間衡平性(intergenerational equity)》―が維持される発展経路に他なりません。私たちが確立を試みる持続可能な福祉概念は、国際的に広く承認されている考え方と明確なインターフェイスを持つことが望ましいことは当然ですので、私たちの試みの出発点をブルントラント委員会による持続可能性の概念に設定することは、きわめて自然な選択であるように思われます。この概念は、整合的な功利主義者は誕生の時点だけで異なる人々を差別的に処遇すべきではないと主張して、《匿名性としての衡平性(equity as anonymity)》の考え方を確立した功利主義哲学者ヘンリー・シジウィックに通じる考え方に基づいています。この考え方から出発して、どのように新たな方向へと持続可能性の概念の一層の充実を図るかが、今回のコンファレンスのひとつの課題となるのです。

 《福祉(well-being)》の概念それ自体も、今回のコンファレンスで基礎的な吟味と再構成の対象とされる必要があります。経済学者を始め、多くの人文学者、社会科学者の標準的な福祉観は、ジェレミー・ベンサム以来の功利主義の伝統に根差して、暗黙のうちに《厚生主義(welfarism)》的な情報的基礎に立脚していることが多いといって、おそらく差し支えはないと思われます。ひとの福祉は、ひとの幸福感、満足感、欲求充足の程度など、主観的な達成感―《厚生(welfare)》―と不即不離に結びついて理解されてきたのです。シジウィックの功利主義的厚生哲学を継承したアーサー・ピグーの【旧】厚生経済学の場合には、この点は改めていうまでもなく当然のこととされています。ライオネル・ロビンズの批判を浴びて【旧】厚生経済学が瓦解した廃墟に、経済政策の理論的基礎の新たな建設を試みた【新】厚生経済学の場合にも、経済システムや経済政策の是非の判断を基礎づける福祉の概念は、社会を構成する人々が享受する厚生 を排他的な情報源として、システムや政策の帰結を評価する立場に依拠して構成されていました。この意味において、厚生経済学の【新】と【旧】を分断する分水嶺は、あくまで厚生主義の内部に存在していたのです。

 これとは対照的に、ブルントラント委員会による持続可能な開発が中核に据える概念は、非厚生主義的な《ニーズ(needs)》です。実のところ、ピグーの主著『厚生経済学』にも、まさしくニーズの概念に言及したとしか思われない記述があったことを、私たちは記憶に留めておく価値があると思います。応用厚生経済学を意義深いエクササイズとするためには、厚生のように主観的な満足ないし欲求充足の概念を越えて、満足の根源あるいは欲求充足の手段などに注目する必要があることが、功利主義者ピグーによってさえ認識されていたことが、なにげなく書かれたこの一節に示唆されているからです。とはいえ、ブルントラント委員会以降のニーズの概念への注目によって、私たちは福祉の情報的基礎を確かに捉えたといってよいかと問われれば、アマルティア・セン以降の福祉の経済学の洗礼を受けた研究者ならば、依然として留保の余地の存在を指摘するに違いないと思います。今回のコンファレンスでは、厚生主義やニーズの考え方を踏まえつつ福祉の概念の一層の拡充の試みを企てること、世代間の衡平性を満たす持続可能な福祉に対して分析的であると同時に具体的な論脈で適用可能な理解を確立することを、私たちは重要な課題として意識しています。

 2つの基調講演と第1部(人文学・社会科学)の構想に委ねられるセッションでは、このような持続可能性概念の拡充を通じて、《持続可能な福祉》の改善を目指す社会・経済政策の基礎設計を構想する予定です。その際に、現在世代とひとことでいっても、地球上の立地と資源賦存状態の差異、経済発展段階の差異、政治・社会機構の差異など、そこには多くの異質性が含まれていること、さらには将来世代の規模と人格的特性は、先行する世代が行う選択の連鎖次第で《可塑的(malleable)》であることなどに、的確な考慮を払う必要があると、私たちは考えています。

 持続可能な開発に対する内在的な制約として、ブルントラント委員会報告は《環境の能力限界》に対する正当な考慮をつとに要求しておりました。人間中心主義の持続可能性の概念を先験的に拒否するディープ・エコロジーの立場とは一線を画して、人間の福祉を中核に据える持続可能性の概念とその達成のシナリオを構想する場合でさえ、環境の能力限界を無視して持続可能な福祉を追求することは、明らかに不可能です。第2部(生命科学)の構想に委ねられるセッションでは、生態系との共生可能性を含み、環境の能力限界を的確に考慮した持続可能な福祉のためのアクション・プランを検討する予定です。

 ところで、持続可能な福祉概念が確立されたとしても、この意味の福祉の実現に対して障害となる二重のリスクが存在することを、私たちは明確に意識する必要があります。第1のリスクは、福祉の持続的な達成水準を低位に押しとどめる慢性的な貧困であります。第2のリスクは、福祉の持続的な追求に対して突発的な障害要因となる自然的・社会的なハザードであります。第1のリスクに対する社会的安全装置の設計と実装は、第一義的に第1部(人文学・社会科学)の課題であろうと考えられますが、第2のリスクに対する社会的安全装置の設計と実装は、第一義的に第3部(理・工学)の課題であると考えられます。持続可能な福祉のためのアクション・プランには、これら二重のリスクに対して耐震性を備えた安全装置の設計と実装が含まれるべきであることはいうまでもありません。第3部の構想に委ねられるセッションでは、この設計と実装に関わる幅広い検討を行うことになる筈です。

 このような基本構想に基づく日本学術会議の国際コンファレンスが、持続可能な人類の福祉の推進のために、科学と技術の《理》と《知》を組織的に活用するシナリオの創出に貢献できることを、企画にあたるプログラム委員会の私たちは切望しています。