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第9回国際中欧・東欧研究協議会世界大会 開催結果報告
1 開催概要
(1)会 議 名 :(和文)第9回国際中欧・東欧研究協議会世界大会
         (英文)he Ninth World Congress of the International Council for Central and East European Studies
(2)報 告 者 :第9回国際中欧・東欧研究協議会世界大会組織委員長 下斗米伸夫・沼野充義
(3)主   催 :国際中欧・東欧研究協議会(ICCEES)、日本ロシア・東欧研究連絡協議会(JCREES)、日本学術会議
(4)開催期間 :2015年8月3日(月)~ 8月8日(土)
(5)開催場所 :幕張メッセ国際会議場(千葉県千葉市)  神田外語大学(千葉県千葉市)
(6)参加状況 :48ヵ国 /1地域・1310人(国外793人、国内517人)


2 会議結果概要
(1) 会議の背景(歴史)、日本開催の経緯:
国際中欧・東欧研究協議会The International Council for Central and East European Studies(以下略称のICCEESを使う)は、1974年に創設された、世界各国のロシア(旧ソ連)・中東欧地域研究学会を糾合した協議会(アンブレラ組織)である。日本からは、ロシア・東欧学会、日本ロシア文学会、日本スラヴ・東欧学会(JSSEES)、ロシア史研究会、比較経済体制学会、日本スラヴ学研究会の6団体の加盟する日本ロシア・東欧研究連絡協議会(JCREES)が、日本の代表機関としてICCEESに参加している。
ICCEESは創設以来、原則として5年に1度、世界大会を開催してきた。これまでの世界大会の開催地と参加者数は以下の通りである。ただし、第5回大会までのデータは、記録が残っていないため一部不詳。また第6回以降については日本人参加者の数をカッコ内に記した。

ICCEES世界大会の歴史 開催地と参加者数
開催期間開催都市(国名)参加国数参加者数( )内は日本人数
第1回1974年9月4-7日バンフ(カナダ)不詳不詳
第2回1980年9月30日-10月4日ガルミッシュ-パルテンキルシェン (西ドイツ)321,415
第3回1985年10月30日-11月4日ワシントンDC(アメリカ)413,095
第4回1990年7月21-26日ハロゲイト(イギリス)不詳約2,400
第5回1995年8月6-11日ワルシャワ(ポーランド)不詳約1,400
第6回2000年7月29日-8月3日タンペレ(フィンランド)48約2,000(21)
第7回2005年7月25-30日ベルリン(ドイツ)49約1,800(35)
第8回2010年7月26-31日ストックホルム(スウェーデン)591,247(61)
第9回2015年8月3日―8日千葉市幕張(日本)49 (48カ国+1地域)1,310(517)
日本のロシア(旧ソ連)・中東欧研究者は、ICCEES発足当初よりこの組織に関わってきたが、日本でのこの分野での研究水準の高まりとともに、国際的に積極的に活動する日本人研究者も増え、また東アジアの日本・中国・韓国三カ国の研究者の連携も始まり、2005年のベルリン世界大会の後、東アジア、特に日本での開催の可能性が検討されるようになった。そして2010年7月、ストックホルムでの第8回世界大会におけるICCEES理事会・総会で次回日本開催が決定された。
日本での開催が支持されたことの背景には、それまでICCEESの世界大会が一貫してヨーロッパまたは北米で行われてきたことに対する批判的な見方があった。しかし、それにもまして決定的な要因となったのは、東アジア、特に日本でのロシア(旧ソ連)・中東欧研究の水準が高まり、国際的にも高く認知されたということである。2009年2月に札幌(北海道大学スラブ研究センター)で開催された第1回スラヴ・ユーラシア研究東アジア大会が成功し、2010年ストックホルムICCEES世界大会の日本人参加者が飛躍的に増えたことなどが、日本での大会開催という機運を後押ししたと言えよう。

(2) 会議開催の意義・成果:
【アジアで初めての大会】
第9回中欧・東欧研究国際協議会世界大会は、ロシア(旧ソ連)・中東欧地域研究の世界最大規模の国際会議である。1974年の第1回から数えて今回の大会で9回を迎えるが、それ以前はすべてヨーロッパまたは北米で開催されてきた。幕張で開催されたこの第9回大会は、欧米以外の場所で初めて行われた大会であり、ICCEESにとって歴史な意義を持つものとなった。欧米から遠い日本で従来通りの参加者数を確保できるか、主催者側には不安もあったが、長い準備期間を通じて幕張大会の意義を世界の学界関係者に積極的にアピールした努力が実って、従来の大会と遜色のない1310名の参加者を集めることができた。その大半が遠路はるばる来日した海外からの参加者であったことを考えると、今回の大会は規模の観点から見ても成功であったと評価できる。 【日本からの国際発信と国際交流の活性化】
ロシア(旧ソ連)・中東欧研究は近年日本においても飛躍的な発展をとげ、様々な分野で個々の研究者の努力を通じて、国際的な交流が活性化しているが、全体として見ると、まだ言語や制度上の壁もあって、国際的には広く認知されているとは言いがたい。しかし、この分野最大の国際会議を日本で開催し、多くの日本人研究者が報告し、討論に参加したことにより、今回、日本におけるロシア(旧ソ連)・中東欧研究の水準の高さを国際的にアピールすることができた。会議は全面的に英語またはロシア語で行われ、日本の研究者の研究成果を国際発信するまたとない機会となった。
組織委員会および日本の関連諸学会は特に若手研究者がこの大会で発表することを奨励したため、多くの若手が国際的な学術交流の現場に日本にいながらにして参加することができた。この経験は若手研究者に、今後のさらなる国際的学術活動の展開をうながすものとなった。
日本の研究者にとって、世界の第一線の研究者たちとこの機会に交流できたことは学問的な大きな刺激となり、今後の日本におけるこの分野の国際的水準での発展につながるものと期待される。その一方で、外国から来日した研究者たちにとっても、これまであまり広く知られていなかった日本の高い研究水準と優れた研究者を知ったことは大きなプラスであったと考えられる。ロシア(旧ソ連)・中東欧研究における学術交流は、この幕張の大会を直接のきっかけとして、今後世界的にますます活発になることが期待される。
【アジアからの視点】
この大会がアジアの日本で行われたことの直接的な効果は、欧米で開催されていた従来の大会に比べて、ロシア・中国・中央アジア・モンゴル・インドなどからの参加者の比重が飛躍的に大きくなったことに現れている。そのおかげで、従来の大会ではともすれば欧米の研究者の視点からやや一方的にロシア・中東欧を見る傾向があったのに対して、今回の大会はロシアやアジアの研究者の視点も欧米の研究者と拮抗するくらいに打ち出された。
その結果、ロシア(旧ソ連)・中東欧研究におけるアジアおよびロシアのプレゼンスを高め、欧米の見方だけを偏重するのではない、真にグローバルな性格を持つ大会となった。またロシアをめぐる様々な問題については、政治・経済・国際関係はもちろんのこと、宗教・文学・芸術などの分野においても、欧米の研究者とロシアの研究者の見解が食い違うことがしばしばあるが、今回の大会は欧米とロシア双方からの多くの参加を得て建設的な対話をすることができ、日本が言わば、学問的に欧米とロシアを媒介する場となりうることを示した。 【社会への還元】
今回の大会は、ロシア(旧ソ連)・中東欧との文化交流や政治・経済・国際関係上の様々な関係を視野に入れたものであるため、専門的な研究者だけでなく、日本の経済界から一般市民にまでいたるまで幅広い層の関心を惹くものとなった。そういった関心に応えるため、千葉商工会議所の協力を得て、事前にロシア・中東欧に関する「ユーラシア世界を知るための市民教養講座」を全9回にわたって開催し、延べ約450人の聴衆を集めた。
また会期中には、「元首相サミット――中国、ロシア、韓国、日本の元首相が中国台頭を論ずる」(8月3日、日本から福田康夫元首相、韓国からハンスンジュ元外務部長官・元駐米大使、ロシアからセルゲイ・ステパーシン元首相が参加)、国際シンポジウム「スラヴ文学は国境を越えて――ロシア、ウクライナ、ヨーロッパと日本」(8月7日、世界的に著名なスラヴ圏の作家シーシキン、クルコフ、ウグレシッチを招待)、特別シンポジウム「制裁とビジネス」などが学会外の広範な聴衆にも開かれた形で開催され、政治・経済・文学に関わる日本の様々な層の関心に応えた。 準備・実施の過程においては、地元の千葉との緊密な協力関係を重視し、千葉県、千葉市、千葉商工会議所、神田外語大学、ちば国際コンベンションビューローの関係者各位から多大な物質的・精神的援助を賜った。それに対して、組織委員会の側からも、研究成果の還元・学術的啓蒙といった面で様々な努力を行った。具体的には、上記の千葉市民を主な対象とした市民教養講座や、会期中に公開で行った複数のシンポジウムの他、学会運営のための市民・学生ボランティアの積極的活用、千葉商工会議所主催「まち歩きガイド」への協力などが挙げられる。
【外部からの評価】
大会終了後、組織委員会の要請に応えてICCEES幹部やその他の学会長などから幕張での世界大会についての感想・コメントなどが寄せられた。また事務局はEメールとフェイスブックによって一般参加者から感想を求めた。それらの回答を見ると、大会運営および学術的プログラムの両面にわたっておおむね高い評価を受けたことが分かる。以下、代表的なコメントを抜粋する。 ・ICCEES前会長Graeme Gill(シドニー大学教授)「大部分のパネルの水準が非常に高く、知的な刺激にあふれたものでした。今まで私が参加した中でも最も良く組織された学会の一つでありました。私個人としても、またICCEESの前会長としても、組織員会全員とその努力に祝辞を送りたいと思います。この地域(アジア)でのICCEESのさらなる発展のための、最高のスタートを切ったと思います。」
・ICCEES会長Georges Mink(パリ大学教授)「全ての組織員会の皆様、日本の学者、そして学生の尽力のおかげで大会は素晴らしいものとなりました。私が知る限り、最も内容が豊かで多様な学会でした。このことはEC(執行委員会)とIC(国際委員会)の全ての同僚達のあいだで共通する意見であると確信しています。このような巨大学会の運営は非常に困難なものですが、全ての特別企画、パネルの高い学術的水準、そして並外れたスタッフの献身的活動により、私たちは大きな満足を得られました。」
・モンゴル・スラヴ学会代表Altai Dulbaa教授「第9回ICCEES世界大会の開催期間中のホスピタリティに感謝いたします。また組織委員会メンバー、その他日本の学者やボランティアの素晴らしい働きにお礼を申し上げます。」
・中国スラヴ学会(CAEERCAS)会長Li Jieng Jiei 氏「第9回ICCEES幕張世界大会のような巨大規模の国際学会を素晴らしく組織された日本の友人たちに敬意を表します。」
・韓国スラヴ学会代表 Seongjin Kim教授「大会全期間を通じての温かい歓迎と準備に対して、組織委員会の皆様に敬意を表します。猛暑の中で働いた学生たちにとりわけ感謝申し上げます。」
・ICCEES副会長Andrii Krawchuk教授(サドベリ大学)「大会運営全般について――全てよくオーガナイズされていた。参加募集、プロポーザル、参加登録、トラベルインフォメーション、e-mail対応、情報のアップデート等、ウェブサイト運営もスムーズだった。パネル・セッションは定刻どおり指定された場所で行われた。飲料水も十分に用意されていた。」
批判的なコメントとしては、討議のための時間配分、会場のロケーションと暑さ対策などに関して改善の余地がある旨の意見が一般参加者から若干寄せられたが、それらはおおむね技術的な問題に関わるもので、大会組織・運営・プログラム全般については高く評価するものが多数を占めた。

(3) 当会議における主な議題(テーマ):
ロシア、旧ソ連圏、中欧・東欧諸国をフィールドとする研究者によって、政治、経済、国際関係、歴史、社会、法学、文学、言語、芸術、宗教など数多くの専門分野にわたる報告がなされた。国際秩序の変化(特にウクライナ危機)、エネルギー問題、移民・ディアスポラ問題、(満州への亡命ロシア人、シベリア抑留の問題を含む)、移民と社会ネットワーク、ユーラシア政治体制の力学、ロシア・ナショナリズム、イスラーム共同体と国家の問題、アラル海危機、旧共産圏における環境とエネルギー保障の関係、古儀式派、ロシアにおけるジェンダー、ウクライナ言語政策、全体主義と文学、亡命作家、戦争映画における敵の表象、紛争とメディア(SNS)の役割等について、最新の研究成果報告と活発な議論が行われた。

(4) 当会議の主な成果(結果)、日本が果たした役割:
大規模で多分野にわたる大会であったため、以下では主要研究分野ごとに、日本人研究者の果たした役割を適宜指摘しながら、具体的な学術的成果を略述する。
政治学・行政学・社会福祉
プログラム編成の便宜上、政治学と行政学・社会福祉は分けられていたが、分野としても近接しており、参加者にも重なりが多いのでまとめて扱う。この分野では計41のパネルとラウンドテーブルが組織された。そのうち政治学分野が33、行政学・社会福祉分野が8であった。テーマ的には、政治体制論、政治エリート、ロシア・ナショナリズム、ロシア地方政治、ウクライナ政治、社会保障制度、などが目立ったテーマである。
前回のICCEES大会と比較すると以下のような特徴がみられた。第一に、世情を反映して、ウクライナ政治を扱うパネル・ラウンドテーブルが多く、活況を呈した。そのウクライナ政治のパネルを大会後半に配置したことで、大会の最後まで緊張感があまり途切れなかったのはいい効果をもたらしたと思われる。第二に、上級経済学院の研究者を中心として、ロシアからの参加者が増えた。現地の研究者が研究をリードするのは本来当然であり、歓迎すべきことである。ただし、ロシアからの参加者は、財政的な問題からキャンセルが多く、パネルがいくつか流れてしまったのは遺憾であった。第三に、ロシアの地方政治を扱ったパネルが多かったのは、1990年代から研究が盛んになったこの分野が、しっかりと定着したことを示しているように思われる。第四に、地域的には東欧地域を扱う報告があまり多くなかった。これまでのヨーロッパ開催とは異なり、日本での開催であることが影響したのかもしれないが、加えて、この地域の政治研究が、善かれ悪しかれ旧ソ連諸国の政治研究とかなり位相を異にしてきている反映なのかも知れない。なお、法学関係の関与が皆無であったことは残念であった。
歴史学
歴史学は、各カテゴリー中で最多の90セッションがもたれた。内訳はパネルが78、ラウンドテーブルが12である。テーマは、経済史、政治史、軍事史、外交史、帝国史、文化史など、満遍なく扱われていた。時代についても同様で、中世史、帝政史、革命史、ソ連の各時代、ポスト・ソ連期についてうまく分散していた。内容は総じて水準が高く、かつ、研究動向の最先端を示すような論題がいくつも取り上げられていた。たとえば、20世紀初頭ロシア帝国の精神医学、冷戦期ソ連の対外経済関係、英雄および敵の表象、満洲のロシア人社会、ソ連の科学技術史、ハプスブルク帝国の地域史、ユーゴスラヴィアの大衆文化などを挙げることができる。また、とくに多かったテーマとしては、ロシア帝国の地方統治システム、第一次世界大戦およびロシア革命、ソ連の民族統治政策、日露関係などがあげられる。
他のカテゴリーと同様、日本の若手研究者の参加が目立ち、とくにパネル組織者として積極性を発揮した事例が多々見られた。英語での報告・執筆を前提とした、新しい世代が日本のロシア・東欧史研究において台頭していることがよく窺えた。
境界研究・超域比較
境界研究・超域比較のカテゴリーに入るものは、パネル提案である7つ(20報告)、個人提案に基づいて学術委員会により組織された3パネル(10報告)、1ラウンドテーブル(報告者は2名)である。司会や討論者を含めた登壇者の出身国としては、ドイツの11名をはじめ、ロシア・フィンランド・英国(以上各5名)が目立ったほか、スロヴァキア・ポーランド・エストニア・ブルガリア・アラブ首長国連邦・カザフスタン(以上各1名)といった顔ぶれからも分かるように中東欧出身の研究者が並んだ。内容的にも「ドナウを超えた跨境的共生」(I-2-4)、「中東欧における越境協力と超域化」(I-4-4)といったパネル名に見られるように、中東欧を事例として扱ったものが多かった。
なお、日本を拠点とする研究者の登壇は15名を数えた。そのうち、岩下明裕(北海道大)やA. ツィガンコフ(サンフランシスコ州立大)が報告したパネル「ロシア対外政策における空間とアイデンティティ」(IV-1-4)や地田徹朗(北海道大)が組織した「アラル海危機と(跨)境界問題」(IV-2-4)は、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターが主導する「境界研究ユニット」の成果の一端を示すものとして興味深い内容となった。
文学
文学カテゴリーでは、計45のパネル(パネル提案23、個人提案を束ねて組織委員会が編成したパネル22)と4つのラウンドテーブルが行われた。発表数は計134にのぼった。ドストエフスキーやナボコフ、ベールイといった古典的作家をテーマにしたパネルがそれぞれ複数組まれる一方、歴史学や社会学など、隣接諸分野との学際性を志向するパネルも目立った。とりわけ、旅や亡命・移民、翻訳など、国家や言語の境界を文学(者)がいかに越えたかというテーマが数多くみられた。ロシア文学をめぐるパネルが主体ではあったものの、東欧や、さらに中央アジアやモンゴルの文学に関するパネルが組まれたことは画期的だった。「マイナー」な対象を専門とする研究者のネットワークを形成することは、国際学会の重要な目的であり、ICCEESの対象領域の広さと大会規模の大きさは、この目的に資するところ大であったと思われる。
哲学
哲学カテゴリーでは、計7のパネル(パネル提案3、個人提案を束ねて組織委員会が編成したパネル4)が行われた。発表数は計19であった。比較的小さなカテゴリーではあるが、各パネル・発表のテーマは著しく多様であり、ロシアの宗教哲学といった伝統的テーマから、ソ連時代の哲学者たちのマルクス・レーニン主義への態度といった政治史に関わるもの、現代のロシア・東欧における価値観の衝突と融和といった時事的なものにまで及んだ。さらには、哲学という学問の特性上、「現代における人間の彷徨について」や「歴史の終わりについて」といった、ICCEESのカバーする地域性には捉われないような発表もあって、大会の射程を広げていた。どの
パネルも少人数のかなり固定した聴衆のもと行われてはいたが、その分、カテゴリー内での人的交流は密なものになった。大規模学会と小規模な研究会の長所がともに発揮されたといえるだろう。
言語学・言語教育
言語学関係は15パネルおよび2ラウンドテーブル(計39報告)、言語教育関係は5パネルおよび2ラウンドテーブル(計21報告)であり、両分野合わせて全体に占める割合は4.6%と低調に見える。しかしそれでも報告者の合計は、スラヴ語研究の国際学会と同水準かそれ以上であり、若手から大家まで様々な世代の研究者が参加しており、一定の成功を収めたと言える。両分野ともにロシア語を中心とするスラヴ諸語に関わるテーマが多く、従来の古典的な言語研究・言語教育論に加えて、文献学、文学、社会学、歴史学、政治学、文化人類学、心理学といった両分野に隣接する分野とを融合させる多種多様なアプローチも見られるなど、言語を軸とした学際的研究への関心も高まっていることが感じられた。今回は当該分野における東欧・旧ソ連諸国(ロシア以外)からの参加者が比較的少数であり、結果としてロシア関係の報告の割合に偏りを感じざるを得ないものとなったので、今後はより適当なバランスが求められる。また、地域研究に接点の無い言語研究者はICCEESを知らないので、当該分野の全体的なレベル向上のために、いかにこういった研究者を巻き込んでいくかということが課題である。
社会学
社会学カテゴリーでは4つのパネルと1つのラウンドテーブルが組織された。日本開催ならではといえるのが、北海道内外のアイヌを取り上げたラウンドテーブルであろう。パネルは応募段階からすべて個人提案であり、他のパネルとの統合や解体を経て上記の数まで絞られた。地理的にはロシア、ウズベキスタン、バルト諸国を対象とし、テーマも個人および集団の行動、住民の健康、宗教(イスラーム)など多様であった。
経済学
本大会において経済関係のパネルは、キャンセルとなったもの、他の分野のパネル(社会学関係)に統合されたもの)を除いて、20個開催された。その他、一般向けの公開シンポジウム(「制裁とビジネス」)およびブック・パネル(Shinichiro Tabata ed., Eurasia’s Regional Powers Compared : China, India, and Russia, Routledge, 2015)がそれぞれ一つずつ開催された。20のパネルの内容を分類すると、「労働・人口」4、「経済成長・技術進歩」1、「天然資源」3、「国際経済関係」1、「マクロ経済」3、「企業・技術革新・近代化」5、「金融」2、「農業・土地」1となる。
普通、経済関係の国際学会では、マクロ経済や国際経済に関する統計的・数理的分析が主流を占めるのだが、本大会では、むしろ、労働者や企業の現場に焦点を合わせた叙述的(descriptive)な研究が多かった(もちろん、すぐれた統計的・数理的な研究発表も少なくなかったが)。本大会全体の学際的雰囲気に促されて、参加研究者の問題関心も純粋な経済学研究を超えた範囲に拡大していたのだと推測できる。また、ロシア・東欧地域のみの研究にとどまらず、それを中国や日本の歴史や現状と比較するような報告も多数あり、それが、活発な議論を誘発したことを強調しておきたい。ここにアジアで初めて開催された本大会の積極的意義があったように思える。
人類学・民族学
人類学・民族学カテゴリーに分類されたエントリーのうち、実際の大会で成立したのはパネル11(このうち5パネルは組織委員会による編成)、ラウンドテーブル1であった。このカテゴリーが大会全体に占める比率は3.09%だが、実際には民族紛争や民族政策、言語政策、宗教研究など、関連する内容で別ジャンルに分類されたものも多い。   本分野に分類され、かつ成立したものを見ると、民族の伝統と文化を巡るアイデンティティ政治、移住などの人口移動に伴う異文化接触・異文化体験・共同体構築、エネルギー資源の採掘と牧畜民や移住者の生活の関係など、現代社会における諸問題を反映したものが多い。また日本の研究者を中心に組織されたロシア・スラヴ民俗学(フォークロア学)パネルの存在が際立つ。対象地域としては、ロシア各地と中央アジアが多く、その他、モンゴル、フィンランド、ベラルーシ、スロヴェニアなどがあった。
  旧ソ連圏では伝統的な分野としての民族学・民俗学が一大勢力を築いているが、国際性と政治性、批判的精神が問われるICCEESのような国際会議への参加者は少ない。その意味で、本会議で日本のロシア・スラヴ民俗学(フォークロア学)研究者が幅広い分野での報告を組織したことは、その層の厚さとチャレンジ精神をアピールするよい機会となった。これに対して、日本の文化人類学者のうち、非スラヴ系諸民族、つまりシベリア・極東・中央アジアの諸民族を研究している層の参加は不十分であった。これはICCEESがロシアと東欧をメインとする地域研究であると認識されていることや、JCREESを通して募集活動が展開されたことと関係しているのだろう。
宗教研究
宗教研究カテゴリーに分類されたエントリーのうち、実際の大会で成立したのはパネル4(このうち1パネルは組織委員会による編成)、ラウンドテーブル4(このうち2つが組織委員会による編成で、そのうちの1つは報告者1名だけ)であった。またこれとは別に、組織委員会で編成した報告者1名ラウンドテーブルが、報告者欠席で当日キャンセルとなっている。このカテゴリーが大会全体に占める比率は3.23%だが、人類学や歴史学、哲学に分類されたものも多い。
  本パネルに分類されかつ成立したものを見ると、ロシア正教とイスラームに関する報告が多いが、特にロシア正教と国家との関係に注目したものが目立つ。イスラームについては、ローカルなムスリム共同体に着目したものが多かったが、これはおそらく紛争関連のトピックがコンフリクト研究などに分類された結果であろう。
  宗教関係で歴史に分類されたものも含めると、今回の大会では日本や中国における正教やイスラームに関する報告が多かったことが、一つの成果として挙げられよう。一方で、シャーマニズムや自然崇拝など、日本人が比較的得意とする民族宗教に関する報告が少なかったのは残念である。
芸術・映画・メディア
「芸術・映画・電子メディア」のカテゴリーでは、計22のパネル(パネル提案11、個人提案にもとづくパネル11)と2つのラウンドテーブルが行われた。それぞれのパネル数は、芸術13、映画5、電子メディア4である。芸術の分野では、クラシック音楽やバレエといった伝統的なジャンルを扱うパネルから、音響複製技術が音楽に与えた影響、ポスト共産圏のノスタルジーなど、多様なテーマについて議論された。映画の分野では、ロシア映画研究を中心に、観光産業におけるビデオの使用や、発表者自らが撮影した映画の上映も行われた。電子メディアの分野では、冷戦期のテレビ研究からTwitterなど現在のソーシャル・ネットワーキング・サービスを扱うパネルまで、政治とメディアの関係を扱う報告が多かった。本分野のパネルおよびラウンドテーブルは、比較的小規模な集まりとなることが多かったが、それゆえに議論への参加へのハードルが低かったことが特徴的である。歴史や政治の領域と密接にかかわるパネルでは、それぞれの分野の専門家が積極的に質問を提起しており、分野を越えた学術交流の機会となったと思われる。また、伝統的な芸術研究の枠組みにおいても、異なるフィールドを対象とする研究者との活発な議論が行われた。
国際関係
幕張世界大会は、ウクライナ危機の真只中でプロポーザルが集められ、開催された。そのため15のパネル・ラウンドテーブルがウクライナ危機を扱ったものとなった(ここには、ウクライナの内政一般、歴史、民族学などを扱ったものは含まない)。世界の注目を集める問題が大きなウェイトを占めたこと自体が重要であり、マスコミからの参加者もウクライナ危機のパネルに出席する場合が多かったようである。
中央アジアの安全保障やユーラシア統合を扱ったパネルとラウンドテーブルの合計数は22で、ウクライナ危機関連よりも多かった。これこそまさに、世界大会がアジアで開催された意義である。その反面、ユーゴ紛争、非承認国家、コーカサスのテロなどを扱ったパネルは少なく、欧米で開催される学会とは異なるものとなった。

(5) 次回会議への動き:
ICCEESは既に2014年6月、Norwichで開催された執行委員会において、2020年の第10回世界大会の候補地として、モントリオールを推薦することを決定していたが、今回の幕張大会の会期中に開催されたICCEES国際カウンシル会合がこれを正式に承認した。ICCEESが世界組織である以上、欧州、アジア、北米、旧共産圏で開催国のローテーションをはかるのが理想であろう。幕張大会は、ICCEES史上初めてのアジアにおける大会として、このような世界組織にふさわしいあり方に向けての転換となったという点でも意義を持つものだった。
幕張大会の後、次回大会までの重要な課題として残されたのは、研究成果の出版がある。大会でいかに多くの優れた研究成果が報告され、活発な討論が行われたとしても、それだけでは言わば「打ち上げ花火」に終わってしまう恐れがあるからである。大会での報告と討論をもとに論文が活字になり、学会誌に掲載され、また単行本になることによって、本大会の成果が広く世に問われ、永続的な影響力を持って学界の発展に貢献することになる。そのため組織委員会は、事後的な成果物刊行も大会実施の重要な一部と見なし、出版経費の一部も予算に計上した。
ただし本大会では多様な分野にわたって膨大な報告が行われたため、これまでのICCEES世界大会の場合と同様、その全体をすぐにまとめて刊行することは不可能である。組織委員会は、今後の本格的な論集刊行という事業は国際母体機関であるICCEES(国際本部)および共催者である日本ロシア・東欧研究連絡協議会(JCREES)両者に委ねることとし、両組織がそれぞれ編集主体となって本大会で行われた研究発表からテーマ別に選りすぐって、欧文・和文二系統の論文集(総計で10巻程度にのぼることが想定される)を今後2年から3年程度の時間をかけて編纂・出版することで合意した。

(6) 当会議開催中の模様:
本大会には1310名が参加した。参加者のうち日本人が517名であったのに対し、外国人は793名で、日本国内で行われる国際学会としては、外国人の比率の高さが際立っていた。国別にみると、多い順にロシア(166名)、アメリカ合衆国(112名)、ドイツ(67名)、フィンランド(49名)となり、あわせて48カ国・1地域からの参加があった。
333のパネル(1名の司会、3名の報告者、1~2名の討論者から構成される研究報告セッション)、46のラウンドテーブル(1名の司会、4~5名の報告者による討論セッション)、あわせて379のセッションが行われた。1セッションの時間は90分である。また夕刻には組織委員会の企画による様々なイヴニングプログラムが行われた。 具体的な会議のタイムテーブルは以下の通り。
月 日午 前午 後
8月3日(月)登録受付登録受付
開会式
オープニング・セッション
ウェルカムパーティー
8月4日(火)パネル
ラウンドテーブル
パネル
ラウンドテーブル
レセプション
8月5日(水)パネル
ラウンドテーブル
パネル
ラウンドテーブル
本部企画イヴニングプロラム(国際シンポジウム、特別シンポジウム、特別セッション)
8月6日(木)パネル
ラウンドテーブル
日本文化体験プログラム
パネル
ラウンドテーブル
日本文化体験プログラム
本部企画イヴニングプロラム(特別シンポジウム、パネル討論会)
8月7日(金)パネル
ラウンドテーブル
パネル
ラウンドテーブル
本部企画イヴニングプロラム(特別シンポジウム、国際シンポジ ウム)
8月8日(土)パネル
ラウンドテーブル
閉会式
フェアウェル・パーティー
(7) その他特筆すべき事項:
2007年のICCEES執行委員会は、2015年世界大会の開催地として最初に立候補したフランスのリヨン市で、下見を兼ねて行われた。その後、フランスのスラヴ研究者は世界大会招聘を断念した。この頃から、ICCEES執行委員であった松里公孝(当時北海道大学スラブ研究センター教授)は、2015年世界大会を日本に招致することを検討し始めた。ICCEESはそれまで世界大会を一貫して西欧または北米で行ってきたのだが、世界組織としてはそろそろ欧米以外の場所で大会を開催する潮時ではないか、と考えられたためである。
日本誘致案に勢いをつけたのは、2008年2月にソウル大学で日中韓のスラヴ学会長が集まって行った第1回<サミット>会合だった。この<サミット>では、2015年の第9回ICCEES世界大会を「東アジアのいずれかの都市」に招聘し、それが実現された場合は、東アジア・スラヴ研究者コミュニティ共通の名誉とみなし、主催組織を共同で支援するという合意が行われた。
しかし、2008年7月にストックホルムで開催されたICCEESの国際カウンシルでは、英国スラヴ東欧学会がグラスゴーを開催地として2015年世界大会を招聘する意思を表明した。それに対抗して、日本サイドでは国際的実績を作る努力を続け、2009年2月に札幌(北海道大学スラブ研究センター)で第1回スラヴ・ユーラシア研究東アジア大会を成功させた。
そして2009年4月に松里が、ちば国際コンベンションビューローの提案を受けて、第9回ICCEES世界大会の開催候補地として具体的に千葉市幕張を検討し始め、日本政府観光局ともコンタクトを取った。こうした準備の結果、幕張で世界大会を開催できるという見通しが立ち、2009年5月にトロントで開催されたICCEES執行委員会において、幕張を2015年世界大会開催地として国際カウンシルに推薦するという動議が満票で可決された。幕張がそのように強く支持された背景には、世界大会が既に5回連続ヨーロッパで開催されており、欧米の外に一度も出ていっていないことに対する批判があった。ICCEES執行委員会は、欧米中心主義的ではないスラヴ・ユーラシア認識を構築する必要性を感じるとともに、最近の東アジアにおける研究者コミュニティの発展を高く評価したのである。
2010年のストックホルム大会には、日本から61名、韓国から20名以上が参加したほか、それまでICCEESとは疎遠であったインド、トルコからの参加もあり、ICCEES史上初めて、アジアのプレゼンスを印象づける大会となった。そしてこの大会会期中に招集されたICCEES国際カウンシルは、2015年世界大会の開催地を幕張とすることを正式に承認した。このストックホルム大会でICCEES会長に選ばれたグラム・ギル・シドニー大学教授は、2011年3月に幕張を視察した。
ICCEESの慣例では、世界大会2年前のICCEES国際カウンシル・執行委員会は、準備状況の視察も兼ねて開催予定地で行うことになっている。この慣例に従い、2013年7月のICCEES執行委員会、国際カウンシルは幕張で開催された。その際、組織委員会は準備状況についてICCEES幹部から高い評価を得るとともに、具体的な助言を受けた。この年は、スラヴ・ユーラシア研究東アジア・コンフェレンスが大阪経済法科大学で、藤本和貴夫学長の尽力により開催されることになっていた。そこで日程を幕張での行事に連動させるよう予め調整し、ICCEES幹部の多くが幕張後、大阪に移動してスラヴ・ユーラシア研究東アジア・コンフェレンスで報告を行った。このコンフェレンスは、2年後に「多くの西と多くの東の出会い」というコンセプトを掲げて開催されることになる幕張世界大会の予行演習の絶好の機会となったのである。


3 市民公開講座結果概要
(1)開催日時:
シリーズ1(全4回)2015年5月20日(水)、5月27日(水)、6月3日(水)、6月10日
シリーズ2(全5回)2015年6月13日(土)、6月20日(土)、6月27日(土)、7月18日(土)、7月25日(土)
(2)開催場所:千葉商工会議所研修室(千葉県千葉市)
(3)主なテーマ:
シリーズ1の全体テーマ「今後のユーラシア動向」コーディネーター:下斗米伸夫(法政大学)
 個別のテーマ・講師は以下の通り。
 5/20(水)ウクライナ動乱後のユーラシア 講師:松里 公孝(東京大学)
 5/27(水)ユーラシア取材30年――旧ソ連の激動と日ロ関係を追いかけて 講師:   大野 正美(朝日新聞社)
 6/3(水)ウクライナ危機とロシア経済の展望 講師:蓮見 雄(立正大学)
 6/10(水)新興国カザフスタンの光と影 講師:岡 奈津子(日本貿易振興機構アジア  経済研究所)
シリーズ2の全体テーマ「ロシア東欧の文化と芸術」コーディネーター:沼野充義(東京大学)、野中進(埼玉大学)
 個別のテーマ・講師は以下の通り。
 6/13(土)文学のヴィジョン、音楽のエクスタシー 講師:望月哲男(北海道大学)、 亀山 郁夫(名古屋外国語大学)
 6/20(土)目と耳の快楽 ― ロシアの美術と詩歌 講師:鴻野わか菜(千葉大学)、坂庭淳史(早稲田大学)
 6/27(土)踊るロシア、観るロシア ― バレエと映画 講師:村山 久美子(舞踊史・舞踊評論家)、佐藤 千登勢(法政大学)
 7/18(土) 暮らしと食へのまなざし ― ロシアの歴史と食文化 講師:池田嘉郎(東京大学)、沼野恭子(東京外国語大学)
 7/25(土)【シンポジウム】スラヴ文化の広がり ― ウクライナ・ポーランド・旧ユーゴスラヴィア 講師:V・スロヴェイ(翻訳家・通訳)、松尾梨沙(東京大学大学院生)、亀田真澄(東京大学)、司会:沼野充義(東京大学)
(4)参加者数、参加者の構成:各回30~70名、全9回総計(延べ)約450名。一般市民、学生、研究者など。
(5)開催の意義:ロシア(旧ソ連)・中東欧研究に焦点を合わせた、日本では前例のない大規模国際学会であるため、地元千葉の市民にこの分野の意義を理解していただき、また市民の関心に応えるために、この大会の組織に関わる様々な分野の研究者が、市民の関心に応えて、ボランティアとして講義を行った。大会で扱う分野が社会科学・人文科学のほとんどすべてにわたるため、全9回の連続講義とし、第1シリーズ「今後のユーラシア動向」(全4回)では主として政治・経済について、第2シリーズ「ロシア東欧の文化と芸術」(全5回)では文化・芸術に関して幅広くカバーし、ロシア・中東欧を知るための総合的な入門講座として意義のあるものになった。様々な分野についてこれだけの第一線の研究者をそろえて連続講義を行うことは、一大学の枠内の授業ではなかなかできないことであり、様々な分野の専門家が連携するこの大会の組織委員会ならではの充実した内容の講座になった。
(6)社会に対する還元効果とその成果:
特に大会の行われる千葉への地域的還元という面を重視したため、千葉県の関係者との連携を重視しながら準備を進めた。会場は千葉商工会議所の厚意により、千葉市内の同会議所研修室を使用した。広報については千葉市の協力を得、千葉市の「市政だより」に講座の案内を掲載していただいた。全9回で延べ約450名の聴講者があり、その大部分は千葉および首都圏の市民であった。聴講者は皆大変熱心で、質問も多く出て、活発な議論も行われた。ほぼ毎回行ったアンケートの結果を見ると、90%以上の聴講者が無料でこのように充実した講義が行われたことに満足し、ロシア(旧ソ連)・中東欧地域に関する新たな知見を得たと回答している。今後ももっとこの種の講座を続けてほしいという要望も多く寄せられた。ロシア(旧ソ連)・中東欧地域に関する総合的な入門講座として、社会的啓蒙の役割を十分に果たしたものと思われる。
(7)その他:
実施にあたっての、共催・協力関係は以下の通り。
共催 日本ロシア・東欧研究連絡協議会(JCREES)、国際中欧・東欧研究協議会(ICCEES)幕張世界大会組織委員会
*6月13日、7月25日の2回は、科研費基盤(A)越境と変容-グローバル化時代におけるスラヴ・ユーラシア研究の超域的枠組みを求めて(研究課題番号:25243002)との共催。
協力 千葉商工会議所(会場提供)、千葉市(広報協力)
入場無料

4 日本学術会議との共同主催の意義・成果
第9回国際中欧・東欧研究協議会(ICCEES)世界大会開催に当たっては、日本学術会議の大西隆会長、花木啓祐副会長、そして事務局の関係者の皆様に、大会準備や共同主催申請の様々な局面で強力な支援をいただいた。8月3日に幕張メッセ国際会議場で開催された開会式では、花木副会長から日本学術会議を代表してご挨拶いただいただけでなく、内閣総理大臣からの祝辞をいただくこともできた。
大会の共同組織委員長である下斗米伸夫および沼野充義は、それぞれ日本学術会議の第19期および第23期の連携会員であり、共同主催の申請から実施までの長い期間を通じて、日本学術会議との連携に努めた。その他、日本学術会議の会員・元会員の中には、今回の大会に専門的に関わりの深い研究者が少なくなく、顧問として組織委員会に助言をし、広報・募金活動に協力するなど、様々な形で大会準備に貢献した。。
共同主催は、財政面においても本大会組織の大きな支えとなった。日本学術会議には神田外語大学の会場使用料および招へい外国人滞在費の一部を国費負担していただき、組織委員会の金銭的負担が軽減された。国費負担による滞在費援助の恩恵を受けた特に重要な企画としては、以下の二つがある。
・「日韓ロ元首相サミット」(The “Summit” Meeting of the Former Prime Ministers of Russia, Japan, and South Korea: The Global Pivot to Asia and the Rise of China)――これは8月3日幕張メッセ国際会議場でオープニング・セッションとして開催された大会のメインイベントの一つであり、日本から福田康夫元首相、ロシアからセルゲイ・ステパーシン元首相、韓国から韓昇洲元外相が参加したが、このうちステパーシン氏と韓氏の滞在費の一部は国費負担である。
・特別シンポジウム「変化する東西関係における北極海と極東」――8月5日神田外語大学で開催された組織委員会企画。ロシアの政治学者フョードル・ルキヤノフ氏、ノルウェーの外交官オルフ・スベルトロープ氏、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学教授ケント・カルダー氏、日本の田中伸男氏(笹川平和財団理事長)が参加したが、このうちスベルトロープ氏とカルダー氏の滞在費の一部も国費によって負担された。
滞在費の一部援助をしていただいた招へい外国人は総計14名にのぼったが、これらの外国人はいずれも大会で重要な役割を担い、大会の成功に貢献している。
第9回国際中欧・東欧研究協議会世界大会は、ICCEESの40年以上の歴史を通じて初めてアジアで行われた画期的な大会である。海外からの参加者たちからも今回の大会は、準備、運営、プログラムなどのすべての面で高い水準のものとして評価された。このような大会の成功が日本学術会議との共同主催に多くを負っていることをここに改めて記して、感謝の念を表明したい。






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