代表派遣会議出席報告

会議概要

  1. 名 称  (和文)   哲学系諸学会国際連合運営委員会
          (英文)  Steering Committee of the International Federation of Philosophical Societies
  2. 会 期  2012年10月15日~19日(5日間)
  3. 会議出席者名  佐々木健一
  4. 会議開催地  ベナン共和国ポルト・ノーヴォ市
  5. 参加状況  参加国数:16カ国、19名
    (この会議は、FISPの business meeting とアフリカ高等研究センター主催の国際会議「グローバル化した世界において思惟を求める挑戦」を合わせたかたちのもので、この数字はFISP運営委員会だけのものです)。日本人参加者は佐々木健一

会議内容

日程及び会議の主な議題

10月14日 参加者(FISP運営委員)到着
10月15日~17日午前・午後 開会セレモニーとコンフェランス
10月18日 運営委員会
10月19日 見学会
10月20日 参加者帰国

運営委員会の主要議題は、会長、事務局長の会務報告(特に、国際哲学デイ、国際哲学オリンピアードを含むUNESCOとの関係)、出納係の会計報告、2013年のアテネ大会のための諸問題、現委員のうち来期の候補者となる人びとの確認、FISPへの新規参入申請審議など。

 

会議における審議内容・成果

最重要テーマは来年のアテネにおける世界哲学会議の開催であり、昨年来、ギリシアの財政問題が深刻な危機感を与えてきたが、これに対応して今年の1月に可能な委員たちがアテネを訪問して現状認識をあらたにし、最終的に計画を変更しない決断をしている。今回の委員会でもその順調な(多少の遅れはある)準備状況が報告された。FISPが抱えている持続的な問題では、相変わらず「世界哲学の日」をめぐるユネスコの政策に対する危機感が新たにされ、可能な対応策をとるべきことが議された(ユネスコは、後援してきた唯一の人文系の雑誌『ディオゲネス』への補助をもカットしている)。また、次期の委員会の構成に関して、現委員のうち次期の候補者となる人びとが確認された。

会議において日本が果たした役割

運営委員会という性格上、国単位での役割というようなものはない。

その他特筆すべき事項(共同声明や新聞等で報道されたもの等)

特にない。

会議の模様

来年のアテネにおける世界哲学会議を以て、今期の委員会は終わる。アテネの政治・経済状況の問題は残るものの、準備は順調に進んでいることが報告され、今期の委員会は主要任務をほぼ完了しつつある、と言えよう。ここでは、同時開催されたシンポジウムと、垣間見たベナンあるいはアフリカの哲学や文化、社会の状況について少し報告しておきたい。

このシンポジウムを企画し、FISPの委員会を招いてくれたのは、アフリカ高等研究センター所長でFISPの運営委員の1人であるポーラン・ホントンヂ教授である。氏はパリで教育を受け、最初の外国人ノルマリアンと言われる秀才で、かつてベナンの文科大臣を務めたことがある。教授は「アフリカ哲学史」を解明することを年来の悲願とし、今回の企画もその一環をなしている。FISPの委員会と同時開催されたのは「グローバル化した世界において思惟を求める挑戦」を主題とするものだが、その前の一週間は「地域的な会議」として「魔女信仰の発展への影響」を主題とするシンポジウムが開かれていた。「魔女」という主題は少なくともわたしには驚きだが、その趣旨を聴くと、その問題のリアリティを認識することができる。邪悪な魔力を具えた人びとが存在するという考えは、社会のなかに漠然とした不安や不信の雰囲気を醸成し、そのような人々が政治家を支配し、裁判さえ事件をまともに扱わずに魔女を原因とすることで済まされる、というような現実がある。「グローバル化された世界」における思想の役割に関する問題意識も、根はひとつで、いわゆるポスト植民地の時代においてこそ、アフリカ人には自らのアイデンディティを問うことが最優先の課題となっている。このシンポジウムに出席して、日本人にとってアフリカが非常に遠い存在であるのに対して、ヨーロッパ人にとっては極めて近しい存在であることを実感した。また、グローバリゼーションという世界の状況に向かい合ううえで、西欧的に考えるよりも、その地域性に拘らざるをえないアフリカの視点に立つことが、日本人にとっても重要ではないか、との思いを強くした。

ベナンは少なくとも日本人にとって観光地ではない。数日の滞在では、その社会の表層を見たにすぎないが、強い印象を受けた点を報告したい。最初に驚いたのは、空港にトイレがないことだが(通関まえのエリアにひとつ〔便器がひとつ〕あるだけ)、これはベナン人たちの生理的要求に対応しているにもせよ、インフラの整備の状況を示しているに相違ない。つぎの印象はものすごい数の車の通行で、あわせて二人乗りのバイクも非常に多い。この交通量が社会の活気をつよく印象づける。しかし、町中には、建設途中で放置された建物を多く見かける。空港のあるコトヌーから首都ポルト・ノーヴォに通じる道路は、西アフリカを横断する幹線ということだが、おそらくポルト・ノーヴォの入り口あたり、道路の両側に湖か沼かが広がる。この湖畔に、大きな建物が建設中で、看板によれば、国会議事堂ということだ。しかし、作業が中断されて相当の年月が経った様子で、そのまま建設を続けることができるのか、と素人ながら疑念を覚えた。それでも、人びとの表情は明るく(特に子供たち)、町中に活気がみなぎっている。宿泊したのは、セミナー・ハウスのようなところで、委員会はそこの会議室で行われたが、シンポジウムの会場はポルト・ノーヴォの中心地にある「国立図書館」で、朝晩、大学のバスで送迎された。公共の交通手段がないので、スケジュール通りに動くほかはない。知り合ったフランス人の社会学者で、アフリカ研究を専攻しているミシャロン氏の教えてくれたところでは、タクシーの役割を果たしているのはバイクが多く、そのドライバーは目印として、町ごとに決まった色のシャツを着ている、ということだ。コトヌー=ポルト・ノーヴォ間には、かつて鉄道が通じていて、その軌道が道路脇に残っている。これもミシャロン氏によれば、これは植民地経営をしていたフランスが敷設したもので、いわゆる狭軌よりもさらに幅が狭い。今でも、空港近くでごく一部分が利用されているとのことだった。

シンポジウムの会場は「国立図書館」だが、主催団体のアフリカ高等研究センターはここを本拠としている。昼食の場所としても使われた閲覧室から推測するに、図書館としては貧弱と言わざるをえない。初日には、民俗舞踊の出迎えがあった。昼食に言及したので、食事について書いておこう。朝食は完全にフランス式、つまり極めて簡素で、ジュース、パンにコーヒーもしくは紅茶、バター。ジャムがごちそう。朝食と夕食は同じワンプレート式で、魚(肉もないではないが、魚が断然よい)とつけあわせの野菜に白米のごはんという組み合わせだ。魚はいつも同じという印象だが、知らない種類で、右にふれた湖水で漁がおこなわれているので、淡水魚かと思う。同じ魚が、道路脇でも無造作に売られていた(道路脇はおそらく自然に形成されたと思しきマーケットになっている)。小骨も固いが、身は締まっていて美味。ちなみにワインはまれで、アルコールは主としてビールで、地元のものもあった。

シンポジウムには、アフリカ中の哲学者たちの期待が寄せられた。多くの人びとがホントンヂ氏の思いを共有しているように思われた。アフリカからの参加者は、目算で30人くらいかと思われた。FISPの委員会に参加するようになってから、ホントンヂ教授には尊敬と親愛の感情を覚えてきたが、このシンポジウムに参加しているアフリカの哲学者たちが、本格的な学問的訓練を受けている人びとであることに、つよい感銘を受けた。研究報告のなかで傑出していたのは、セネガルの Aloyse Raymond Ndiaye 氏(なんと発音するのか分からないが、仮にヌディアイェと表記しておくが、間違いについてはヌディアイェ氏にお赦しを乞う)で、老年の意味についての発表だった。特にグローバル化された社会のなかでは、老人は機能的システムに順応できないし、医療費や年金などで荷物とみなされることが多い。しかし、アフリカの伝統では違う。老人は知恵の伝承者で、社会はそれを大切にしてきた。氏自身キケロを参照しているように、老年を積極的に捉える見方は、世界各地にあったものと言えようが、おそらくアフリカ社会ではそれが現に生きている。グローバル化された世界に対して、旧い思想としてではなく、異文化的な思想として発信する資格が、アフリカにはある、と思われた。アフリカ社会の個性に関わる問題としては、上記のミシャロン氏が提起した、民主主義がアフリカ社会に適したものなのかという疑念にも強い説得力がある。長年、アフリカで教え生活してきた氏は、移植された民主主義がアフリカ各地で政治的混乱を引き起こしてきたことを知っているからである。

ヨーロッパの哲学者たちの報告のなかでは、ハンス・ポーザー氏(ドイツ)のものに言及しておきたい。グローバル化した社会には今までとは異なる責任がある、という主張で、環境問題はもとより、インターネット上の風評の流布などについて考えるにつけ、新しい責任概念の形成が不可欠と思われる。このような観点をもっていなかったわたしは強く共感した。しかし、少し時間が経ってみると、責任という概念が通用しないからこそのグローバリズムなのではないか、という考えの方がつよくなっている。

最後に、見学で訪れたアボメー王宮とベナンの自然についてふれておきたい。アボメー王宮は、ポルト・ノーヴォから100キロ以上北にある。FISPの女性秘書がアレンジしてくれて、大学のバスで訪ねた。道は悪くはないが、よくもない。猛スピードで飛ばして3時間くらいかかった。10月は小さな雨季とのことで、夜に雨が降った。アボメー行きの途中、湖水があるあたりで土砂降りの雨に会った。ベナンは思っていたよりも緑が豊かで、この湖水のあたりの風景は素晴らしい。王宮はユネスコの世界遺産に登録されている。城壁も建物も土地の赤土で塗り固められていて、全体が赤茶色。建物に施されたレリーフを素晴らしいと思った。なかは博物館になっていて、さまざまな民俗的な用具が展示され、ガイドの説明つきで見てまわる。もっとも強く感じたのは、そのガイドが奴隷取引の過去にまったく言及せず、人びとが旧王室にいまも敬愛の念を抱いているらしきことだった。奴隷として売られたのが、王国の人びとではなく、戦争で得た捕虜だったからなのか。このタブーに関係するためか、その近隣との戦争の事実も言及されなかった。

次回開催予定2013年8月初旬

ホントンヂ教授のあいさつ
ホントンヂ教授のあいさつ

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