医用生体工学における重要研究・開発課題の提案
−緊急に解決すべき課題−



「人間と工学研究連絡委員会医用生体工学専門委員会」

平成12 年5 月29 日
日本学術会議


 この報告書は,第17 期日本学術会議人間と工学研究連絡委員会医用生体工学専門委員会の審議結果をとりまとめて,医用生体工学専門委員会の報告書として発表するものである.

人間と工学研究連絡委員会医用生体工学専門委員会

委員長
 金井 寛(上智大学理工学部教授)

幹 事
 跡見 裕(杏林大学医学部教授)

幹 事
 上野 照剛(東京大学大学院医学系研究科教授)

幹 事
 佐藤 俊輔(大阪大学大学院基礎工学研究科教授)

委 員
 曾我 直弘(日本学術会議第5 部会員,滋賀県立大学工学部教授)

委 員
 井街 宏(東京大学大学院医学系研究科教授)

委 員
 杉下 靖郎(簡易保険福祉事業団東京簡易保険総合健診センター所長 ,筑波大学名誉教授)

委 員
 土肥 健純(東京大学大学院新領域創成科学研究科教授)

委 員
 中林 宣男(東京医科歯科大学生体材料工学研究所教授)

委 員
 林 紘三郎(大阪大学大学院基礎工学研究科教授)目 次


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目次

序 文

1 .計測情報処理関係

2 .バイオメカニクス・生体機械工学関係

3 .生体材料関係

4 .細胞組織工学関係

5 .人工臓器関係

6 .治療関係

7 .健康・福祉関係

8 .医療情報関係


序 文


 本委員会は日本学術会議第15 期(1991 ―1994 )から17 期(1997 ―2000 ) までの長期に亘って医用生体工学の体系化について審議してきた.これに関連して医用生体工学 の重要研究・開発課題についても討議を続けて来た.もちろん研究・開発は自由に行われるべき であるし,重要度についても順位付けされるべきものではないが,我が国の経済的・人的資源と 先進諸外国の状態を考えると,ある程度重点的に経済的・人的資源を投入せざるを得ない.

 21世紀に向けて,わが国が生き残る道としては高度な科学技術が最も重要ということで,国 としての施策がいろいろと検討されてきた.1995 年には科学技術基本法が成立,これに従っ て1996 年には科学技術基本計画(5 年間に17 兆円の予算決定)が策定された.

 日本学術会議第5 部(工学)では,この法案が有効に活用される為の最も重要な対策の一つと して,研究すべき重要なテーマを科学技術基本計画に盛り込むことを考え,1996 年末に,第 5 部長から第5 部の各研究連絡委員会に対して,重要研究テーマを検討し提出するよう要請があ った.これを受けて,1996 年12 月に本委員会の前身医用生体工学研究連絡委員会委員が中 心となってこの問題を検討し,これまで蓄積された検討結果を利用して短期間に「医用生体工学 における重要研究・開発課題の提案」(* 文献[ 1] )を作成し,1997 年1 月に第5 部長に提 出した.

 この提案では,わが国の医用生体工学の研究レベルは,研究環境が悪いにも関わらず欧米先進 諸国の中でも最高のレベルにあるが,独創性や萌芽的研究を産業まで育成してゆく点では問題が 多いことが指摘された.また,心臓ペースメーカのような付加価値の高い製品が製造できず,外 国からの高価な器械に頼っていることは,単に経済的な理由だけでなく,将来非常な勢いで発展 するであろうと思われる治療機器や人工臓器に関する,基本的な経験を積むことが出来ないとい う点で今後の研究開発に非常に大きな問題となることも憂慮された.

 もう一つの問題は社会との関連である.医療の高度化に伴って,医療経済,医の倫理,医療の 安全性,高齢化社会,南北問題などの深刻な問題が起こってきた.21 世紀には医用生体工学は このような社会的な問題の解決に力を入れるべきであろうし,相当に貢献出来ると思われる.

 以上を考慮して,下記三分野を重点研究・開発課題として取り上げた.
(1 )治療工学に関する研究・開発(人工臓器,生命維持装置などを含む)
(2 )生体機能計測に関する研究・開発(健康・福祉の向上のための計測を含む)
(3 )医用細胞工学に関する研究開発(分子生物学や遺伝子工学と臨床医学の橋渡し)

 これらの分野が重点研究・開発課題であることに異論は無いと思われるし,これらの研究・開 発には医用生体工学の殆ど全ての研究分野のサポートが必要であろう.この意味では,この三分 野を選定しただけで十分とも思われるが,もう少し細かく見るために, 第17 期(1997 ―2 000 )に名称が現在の医用生体工学専門委員会に変ってからも引き続き重要研究・開発課題の 討議を続けてきた.このたび,下記の八分野について検討結果が得られたので「医用生体工学に おける重要研究・開発課題の提案−緊急に解決すべき課題−」として報告する.先の「医用生体 工学における重要研究・開発課題の提案」とともにお読みいただきたい.

1 .計測情報処理関係
2 .バイオメカニクス・生体機械工学関係
3 .生体材料関係
4 .細胞組織工学関係
5 .人工臓器関係
6 .治療関係
7 .健康・福祉関係
8 .医療情報関係

 なお,健康福祉関係の研究・開発は社会情勢から考えて極めて重要で,急ぐ必要があるが,ま だ学問体系も整っていないので重点課題を選定することは無理と考え,今回は簡単に纏めたが, 近い将来精力的に纏めなければならないであろう.

 近年の科学技術の進歩は予測を遥かに超えるほど速いので,この提案もそう遠くない時期に見 直さなければならなくなると思われる.重点課題については継続的に討議する事が重要である. またこの様な討議は,出来るだけ開かれた形が望ましいので,関連各学会の希望者が参加して意 見が述べられるような機会を作ることが望ましい.

 本報告書の作成に当たっては上記の本委員会委員の他,多数の方からご意見を頂いたことに感 謝致します.特に,堀 正二教授(大阪大学)と田中 博教授(東京医科歯科大学)のご努力に 感謝致します.
* 文献[ 1] 第16 期日本学術会議医用生体工学研究連絡委員会「医用生体工学における重要研究 ・開発課題に関する提案」,BME 11 (7),pp.86-91,1997

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1 .計測情報処理関係

 すべての科学と技術は強度や量の計測に始まる.計測の対象となる現象は個別の分野によって 様々であり,計測の方法についても一般的には言及できない.この意味で計測の重要性を特定の 物理量や個別の例を挙げながら論じることはできない.しかしながら,医用生体工学分野での計 測として一般的にどこに重点を置くべきか考えておく必要がある.医用生体工学分野における重 点研究・開発課題はすでに文献[ 1] につぎの3 点にあると述べられている.

(1 )人とのインターフェイスを意識した計測法(非侵襲,非接触で生体深部情報,生理機能情 報を計測するシステムの開発)
(2 )高度な先端技術による計測(これまで困難とされてきた生体計測を先端的科学技術により 解決)
(3 )健康・福祉のための計測(健康・福祉の計測には生体システムの挙動や,機能の理解と新 しい視点での計測法の開発が必要).

医 用生体工学における重点研究・開発課題は文献[ 1] に簡潔に要約されていると考えられるので,本報告ではそれを補足するにとどめる.

 健康・福祉計測では,精度もさることながら,トレンドにも重点を置くべき[ 1] である.生物の一般的原理はホメオスタシスであるといわれているが,むしろホメオダイナミックスが原理であ る.われわれは時空間の4 次元世界に住んでおり,生物の状態の記述に時間のファクターを取り 入れることは重要である.これは,生体計測がスタティックなものではなく,時間軸の上でなさ れなければならない,すなわち,トレンドにも注意を払わなければならないことを意味する.現 代はストレスの多い社会である.それは人々が複雑なシステムの中で生活することを余儀なくさ れているからに他ならない.過度のストレスはヒトの生理心理的なバランスを壊すものであり, 疾病のもとになる.ヒトのストレスの状態を計測する方法の開発はまた現代社会において重要で ある.こうした意味で,個人情報の時間的変化をデータベース化することが,健康・福祉計測で は重要であろう.

 健康・福祉計測では,テレメトリシステムの開発も重要であろう.行動モニターは健康人のみ ならず高齢者にとっても必要である.GPS の利用など今後の研究課題である.在宅医療の普及 には,双方向情報ネットワークの構築が課題であろう.高齢者にとっては,社会への参加意識が もてることが生き甲斐でもあろう.単に疾患時における在宅医療の推進にとどまらず,健康なと きにあっても地域社会とコミュニケーションが可能なシステムの構築が高齢者にとっては必要で あり,またそれが結果的には医療経済にとっても一定のよい効果をもたらす. 高 度生体機能計測に関する補足として次をあげておく. 脳 に関する研究は米国や欧州連合では「Decade of the Brain 」を政策の柱にかかげ積極的に推 進が図られている.

 日本でも第16 期日本学術会議が脳研究の重要性をアピールし,政府に勧告 して「脳の世紀」プロジェクトが発足した.それをうけて首相を議長とする科学技術会議が,「脳 を知る」,「脳をつくる」,「脳を守る」の3 つの目標を設定した.この中で,「脳を守る」という目 標はエムイー学会のひとつの目標であり得る.もちろんこれらの目標は独立に推進されるべきで はなく,「脳を守る」ためには「脳を知る」ことが必要である.こうした目標を達成するために基 本的に重要なことは,まず脳に関する種々の計測であろう.脳に関しては機能の計測もさること ながら,形態的な計測も重要である.形態計測に関してはX 線CT ,MRI などが有用である. X 線CT やMRI は医療に応用されてから20 数年しか経ていないが,この間に,性能が著しく 改善され,価格も安くなって,総合病院程度の規模の病院で設置できるようになった.現在これ らは非侵襲的な体内の可視化手段として医療に欠かせないものになっている.とくに,アルツハ イマー病や,パーキンソン病などに代表される難病は数多くあるが,病理の究明のためには,脳 内を形態的に観察することが極めて重要である.

 脳の機能的計測も,「脳を守る」という目的達成のために重要である.これには,fMRI やP ET などが利用できる.しかし,例えばPET では放射核種を用意する必要があり,どんな病院 でも手軽に利用できるというわけではない.また,fMRI やPET は機能計測用として使うに は,時間分解能という点で若干問題がある.今後の改善が待たれる.最近SQUID による脳磁 気計測が盛んになされるようになってきた.現在148 チャンネル全頭型のものまであり,言語 活動や軽度の運動にともなう脳内活動の高い時間・空間分解能での可視化(誘発脳磁気計測)に 役立っている.脳内活動部位の同定を精度よく行うためには,いわゆる逆問題をどう解決するか が最重要課題となっている.

 新たな方法の開発も重要である.光CT ,放射光を利用した可視化法の開発も近い将来の課題 である.
 生体内の臓器や器官の可視化技術は進歩してきている.しかし,可視化とはヒトの視覚のおよ ばない対象を,視覚的に表現することによって理解を促すものであり,種々の意味で見えないも のを見えるようにする技術である.この場合,計測法の開発ばかりでなく,計測結果を画像とし て可視化する技術の開発が重要である.

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2 .バイオメカニクス・生体機械工学関係
 
 力学系学理に基づいて生体の構造と機能を解析し,応用する研究領域はバイオメカニクス(Biomechanics )と呼ばれる.自然界の多くの現象は,力学法則の支配下にあることから,生体 の仕組みと働きの力学解析は不可欠である.また,種々の技術,とりわけ機械工学技術が,材料 力学,流体力学,熱力学,構造力学などの力学を基盤とするのと同様に,医用生体工学技術にお いても力学は基礎学問領域として極めて重要である.

 バイオメカニクスの研究領域が急速に発展を見せたのはここ4 半世紀のことであるが,基礎生 物学・医学のみならず,臨床医学,リハビリテーション医学,運動・健康科学,医用機器開発な どの分野に貢献する多くの成果が上げられてきた.これまでの基盤的研究を一段と発展させるた めには,今後以下に述べるような研究を重点的に取り上げる必要があると認識されている.

 細胞や生体分子の機能は,それらの形態や力学物性と密接に関係する.とくに最近,細胞が応 力やひずみなどの力学的負荷を感受し,種々の生物学的反応を示すこと,これには遺伝子などが 関係すること,生体の形質や形態形成にメカニカルストレスが大きな役割を果たしていることな どが次第に明らかになってきている.生命現象の本質に迫り,種々の生理現象や病態の解明には, 生体分子・細胞のバイオメカニクス(Molecular and Cellular Biomechanics )或いはメカノバイ オロジー(Mechanobiology and Mechano-transduction )の研究が不可欠である.またこの研究で は,生体分子モータなど生体分子機械(Biomolecular Machine )も対象となり,生体のミクロな 機能の解明のみならず,マイクロ・ナノマシンやセンサーなどの工学技術の開発にも大きく貢献 する.

 またこれと関連して,力学や設計工学の観点から見ると生体は極めて合理的に設計(最適設計, Optimal Design )されている.また種々の生体現象は力学的環境に密接に関係しており,力学負 荷の変化に反応して組織や器官は機能的に適応(Functional Adaptation )し,自らを再構築(リ モデリング,Remodeling )する.このような現象の正確な解析,解明は,生命現象の本質に迫り 得るのみならず,組織形成を目指す生体組織工学(Tissue Engineering )の技術や,その他の医 学治療法,リハビリテーション技術の開発,画期的な工学設計法の開発などに応用できる.

 従来は,血液循環系や呼吸系など流れを伴う生体現象は,固体力学と流体力学の立場からそれ ぞれ個別に研究されてきた.しかしながら,これらの系では,壁と流れの相互作用が各種問題に 重要な役割を果たしていることが次第に明らかになってきている.最新の高度な計測,解析,計 算技術によって,生体現象における固体−流体相互作用(Solid-Flow Interaction )の研究が可 能になってきており,今後の発展が期待されている.

 また医用材料の開発研究は非常に活発に進められてきたが,デバイスの設計段階になると種々 の問題が生じ,実用にいたらない場合が多い.これまであまり考慮されてこなかった大きな問題 の一つは,材料と生体の間の力学的適合性(Biomechanical Compatibility )であり,これを考え た合理的な材料設計,構造設計はほとんど行われてこなかった.生体に埋め込まれる材料の力学 的性質が,結合される生体と大きく異なると,境界において種々の問題が生ずる.これらは例え ば,小口径人工血管や人工関節の設計で大きな問題となっており,早急に解決しなければならな い課題である.

 さらに動物実験や実験シミュレーションでは取り扱うことができないような問題に,計算機を 利用したシミュレーション,すなわち計算バイオメカニクス(Computational Biomechanics )が 大きな威力を発揮するものと期待されている.例えば,筋繊維の分子動力学,細胞と流れの微細 領域における相互作用,脊椎機能と疾患の解析などがあげられる.また,種々の機能を有する材 料や,正確で精密な計測・実験機器,ロボットなどの最新の工学技術を利用した,血液循環系, 呼吸系,関節,脊椎などの機械的シミュレータ(Biomechanical Simulator )の開発が待たれてい る.これらは,問題の多い動物実験に代わる評価法として将来的な需要は極めて多い.

 最後に,我が国はすでに高齢化社会に入っており,また生活水準の向上に伴って高福祉社会の 実現が求められている.身体運動代行・補助機器,リハビリテーション機器,福祉機器など,高 齢化社会,福祉社会に対応する機器の技術開発には,各種工学技術やバイオメカニクスの知識が 必要である.このような社会と技術が絡む問題の解決には,総合工学,基盤工学としての機械工学が大きな役割を果たす.

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3 .生体材料関係

3 .1 ポリマー材料
 薬剤等の助けを借りても,自己修復できない組織や機能を持つ患者の障害を軽快するために人 工材料を利用するニーズが年々高まっている.特に新薬の開発には限界があるとも言われており, これからの医学の進歩にとって生体材料の進歩発展に期待するところ大である.生体工学の中で の生体材料の重要さは,これまでの工学における材料工学と同じと考えるべきであろう.さらに は社会の近代化に貢献してきた工学ではあるが,近年科学技術の進歩が生体や生態系に与える負 の影響についても学ぶ必要性が強調され始めている.人類ばかりでなく将来の地球を考える観点 から未来に貢献できる新しい型の医用生体工学の研究や教育を行う組織を確立することが急務で ある.特に強調したいのはこれまでのエム・イー学会の殻を破り,工学,生物学,物理学,化学, 医学など生命に関係するあらゆる分野の将来像を描きながら,お互いが補強し合えるような組織 の創設が理想的であろう.

 これまでの生体材料は,既存の汎用材料の中から生体に悪影響を及ぼさず,加工性に優れた材 料を流用し,それなりに医療の現場で必要不可欠なデバイスとして広く利用されてきた.医療に はメリットが大きければ多少のデメリットには目をつぶってメリットを追及せざるを得ない場合 がある.これは生体材料の研究者にとって厳しい点でもある.また死に直面した患者,障害を克 服できない患者にとっては,厚生省の認可などは問題とせず,研究途上の生体材料でも適用して 欲しいと願うのもごく自然である.これまでの医用生体工学は生体情報の計測,解析,蒐集が中 心であり,研究成果はそれなりに医療の発展に貢献してきた.回復不能な障害のある患者を積極 的に救う努力にしても,システム的にバックアップする方向であり,材料の開発により障害を克 服する研究はあまり見あたらないと思う.

 人工臓器の飛躍的発展は新しい生体材料の開発無くしては望めない.これの登場により医用生 体工学分野の研究も飛躍的に発展することは,工学における新素材の活躍から十分認識できると 考える.時間はかかっても生体の構造や機能を代替できる生体材料の分子設計から始めることが 重要であろう.合わせて新素材の開発には,従来の評価法ばかりにとらわれず,新しい評価法を 見出しながら確実に評価を正しく行う必要があることは論を待たない.これまであまり重要視さ れてこなかった研究として生体組織につなげられる生体材料をあげたい.生体情報の計測におい ても,情報を体外に取り出す方法,得られた情報の正確さの保証には疑問点のあるところである.

 例えば現在の血液学は抗凝固剤共存下での学問であり,生体の中にある血液の情報と計測された 情報が一致しているか保証はない.血液と接触する面での血液の挙動を十分知らなくては,生体 内の血液の情報を正確には計測できない.そこには真の意味の抗血栓性材料が幾つか創り出され 研究者に提供されなければならない.抗血栓性材料の開発は人工血管や人工心臓の解決に必須で あるというだけではなく,現在のエム・イー学会の存亡を賭けて緊急に解決しなければならない 研究テーマであると信ずるのである.人工血管や人工心臓の臨床応用を考えるとき,かならず生 体の血管につながなくてはならない.人工臓器のトラブルは人工臓器そのものの働きに起因する ものもあろうが,血管との吻合部にまつわるトラブルは共通した問題点なのである.

 また近代医学の発展を支える生物物理学や生物化学など基礎医学の領域にとっても,生理活性 を持つ色々なタンパク質を取り扱うことが必須であり,これらの分析技術の向上に役立つような 研究機器の開発にとって新しい生体材料の進歩は大きく貢献するものと確信している.

 有用な新しい化合物と新しい分析技術の開発により,科学技術の進歩がもたらされてきた歴史 からみて,生体工学の飛躍的発展を願うならば,新しい化合物を作り,評価する研究体制の整備 を強く勧める.

3 .2 無機系材料
 従来から,無機材料や金属材料は,生体内でも優れた耐摩耗性,耐食性を示すことから,歯や 人工関節などの部位における補修材料として古くから使われてきた.近年,これらの生体不活性 材料と異なり,ある種のセラミックスは,生きている骨と自然に結合することが見出され,生体 活性人工骨として実用化されるようになった.また,ある種のセラミックスは,腫瘍部を局部的 に放射線照射するのに適していることが見出され,癌治療材料として実用化されるようになった. さらに,ある種のセラミックスは,その粉末をある種の液体と混ぜると,数分間流動性を示し, その後固まり,骨と結合することが見出され,生体内に注入して骨欠損を修復する材料として実 用化されるようになった.

 このようにセラミックスは,歯科材料,抗菌材料,生体成分分離精製材料,医薬徐放材料,バ イオセンサー,バイオリアクターなどとしても大きな役割を果たし得るものとして期待されてい る.しかし,残念ながらこれらの新しい試みはすべて欧米で始まったものである.最近では日本 でも人工関節や人工骨の研究が盛んになり,日本独自の製品も生み出されるようになってきたが, 日本における医用セラミックスの研究は大部分,医学研究者によって担われており,材料研究者 によってではない.すなわち医学側からのセラミックスへの期待は大きいが,これに応える材料 研究者,技術者,企業は少ない現状にある.現在,日本の医用材料は80 %以上を輸入に頼って おり,その費用の社会保険に占める割合はきわめて高いと報告されている.高齢化社会を迎え, この分野の技術開発に対する需要は急速に高まっている.

 一方,生体組織の中には,骨や歯のように無機の固体物質を主要構成物とするきわめて巧みな 三次元構造体があり,しかも,これらは常温常圧で作られている.従って生体内の反応に倣えば, 高度に構造制御された新規な機能性材料を,加熱処理を用いることなく常温常圧で合成すること ができるのではないかと期待されている.このようなソフトケミストリーは単に新しい生体材料 を生みだす手段としてのみならず,環境・エネルギー的に優しい化学プロセスをもたらす可能性 がある.

 これらの背景の下で,今後の重要課題として,天然の組織により近い人工関節・人工骨・人工 歯に適したバイオセラミックスの開発,セラミックスと生体構成物質の相互作用の基礎的研究な らびにその人工臓器・医薬除放材・バイオセンサー・バイオテクノロジーなどへの応用,バイオ セラミックスの生体内安定性と高機能電磁気的性質を生かした癌局所治療材料の開発,生体内反 応に倣ったバイオミメティック法による新規な単独あるいは複合体材料の常温常圧における合成 を挙げることが出来る.

 これらの課題を具体的に進めるためには次のような研究が望まれる.まず,力学的に優れたバ イオセラミックスの開発としては,力学的強度,耐摩耗性に優れた人工関節用セラミックスの開 発,骨と結合する性質(生体活性)と力学的性質において天然骨により近い人工骨の開発,鋳造 可能で,力学的性質と化学的耐久性に優れ,しかも外観が天然歯に近い人工歯セラミックスの開 発などが,次に,生体適合性の高いバイオセラミックスの開発としては,数分間流動性を示し, その後固まり,骨に近い力学的性質と生体活性を示す骨修復用セメントの開発,血管を介して腫 瘍部に送り込み,腫瘍を局部的に直接放射線治療するのに適したセラミックス微小球の開発,血 管を介して腫瘍部に送り込み,腫瘍を局部的に加熱して治療するのに適した強磁性セラミックス 微小球の開発,ヒトに無害で抗菌性を示すセラミックスの開発,患部に局部的に医薬品を長期に 亘って放出するセラミックス担体の開発などが,さらに,高機能性セラミックスの開発としては, 蛋白質等の生体構成物質を選択的に分離,精製するのに適したセラミックスの開発,特定の酵素 を担持して,化学反応を行わせるバイオリアクターに適したセラミックの開発,生体構成分の変 動を敏感に感知し得るバイオセンサーとして適したセラミックの開発などである.

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4 .細胞組織工学関係

 臓器移植法制定下での脳死移植の1 例目が成功裡に施行され,臓器移植医療が発展の兆しを見 せているが,欧米ではすでにドナー不足による移植医療の限界が認識されており,本法に代る再 生医療が注目されている.組織や臓器の再生医療はその実用化が端緒についたばかりであるが, 21 世紀医療の重要な柱として注目される理由は,次世紀医療の目標が長寿・延命から生活の質 (QOL )の改善にシフトされること,欠損機能の高水準補充療法として組織や臓器の再生が最 も実用性が高いこと,創薬や医療機器の開発と共に国際的医療産業構想の一翼を担うことなどが 期待されるからである.

 人工臓器・人工組織はほぼ完全に人工材料のみに依存し,臓器移植は他者の生体組織に依存す るのに対し,組織工学による再生医学は生体物質・細胞と人工材料のハイブリッド組織に依存す るため,生体適合性,機能性に優れ,生産性,保存性においても実用性を確保しうることが期待 されている. 近年,分子生物学・遺伝子工学の進歩により,細胞分化・増殖・形質変換の分子メカニズムが 解明されるようになり,それらの制御が可能となりつつあること,生体材料(バイオマテリアル) の開発やバイオメカニクス・生体工学の進歩により,医療ニーズに応じた生体材料開発の実現性 が高まりつつあるため,両者の融合による組織工学は生体の機能と構築を再現する次世代の重要 な研究領域であり,特に以下の研究分野を重点領域として取り上げるべきであると考える.

(1 ) 生体最適材料の研究・開発
 組織工学で重要な人工生体材料には,組織の基盤となる人工マトリックス素材,成長因子キャリ アー,隔離膜などがあるが,組織適合性,生体内条件下での機能性,耐久性(生体吸収性)が問 題となる.現在,コラーゲン,ゼラチンなどの生体高分子材料の他,ポリグリコール酸,ポリ乳 酸などの合成高分子物質が使用されているが,さらに臓器特性,生体内環境特性に適した生体材 料の研究開発が望まれる.

(2 ) 生体組織・細胞と人工生体材料との相互作用の研究
 細胞を中心とした生体組織は,膜組織を介して外界または他の組織と接するが,チャネルやギャ ップ接合を介して機能的接合を行っている.生体組織と人工マトリックスや人工膜とが機能的接 合を可能にするメカニズムは未知である.この接点で,物質輸送や情報交換が如何になされるか を明らかにし,チャネルや受容体の機能を代行するメカニズムを人工生体材料に付与する技術が 必要であり,生物領域研究との協調体制の確立が不可欠である.

 これらの重点研究領域の推進と共に組織工学を再生医療として実現するためには以下の支援体 制の整備も重要である.

(1 )ヒト組織・細胞バンクの設立
 組織工学を利用した人工組織や人工臓器の開発には各種臓器のヒト細胞が利用されることが期 待されている.これらの組織・細胞はドナーからの提供によるが実用に供するには無菌化・培養・ 加工・保存のプロセスが必要であり,各段階で高度な専門技術が要求される.米国では赤十字社 の他,多数のベンチャー企業が参入して体制の整備がなされつつあるが,わが国も産学共同でヒ ト組織・細胞バンクの設立が必要である.

(2 )組織工学を支える人材の育成
 わが国の組織工学研究はいまだ揺籃期にあり,専門研究者や技術者の層は極めて薄い.しかし, 本領域は次世紀の医療産業の重要な柱となることは必至であり,関連研究者の育成が重要である. 日本エム・イー学会や日本組織工学会,日本バイオマテリアル学会などの関係学会の積極的な貢 献が望まれる.
 現在,血液・骨・皮膚・血管については,再生移植医療に活用されている.肝臓や膵臓の他, 筋肉・神経・心臓の移植はドナー不足から限界があり,血液,骨,皮膚,血管などが有望と考え られる.組織工学が21 世紀前半の医用生体工学における重要研究分野となるのは必至である.

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5 .人工臓器関係

(1 )人工臓器の現状と問題点
 不治に陥った生体臓器を人工の臓器で置換することは患者やその家族はもちろんのこと,臨床 医にとっても長年の夢であった.このような人工臓器への夢は科学技術,工学技術の進歩と共に 具現化され,1940 年代から1960 年代にかけて次々と臨床応用が試みられるようになった. そして,その中のいくつかは今日不完全ながら臨床医療に定着し,現代医療には欠かせない治療 手段として多くの患者を救済している.日本人工臓器学会の集計によると,1996 年1 年間に 使用された人工臓器の数は,人工弁6,837 個,人工血管8,696 本,ペースメーカ13,60 1 台,膜型人工肺12,967 セット,補助循環・補助心臓18,567 例,人工腎臓18,258, 968 本,人工肝臓・血漿交換255 例,人工膵臓1,481 例,人工骨・関節18,759 例, 人工中耳・内耳228 例,人工水晶体590,357 個,人工皮膚7,028 枚に及んでいる.し かし,現在の人工臓器はあくまで開発途上で使用されているものであるため,その本来の目的で ある体内に埋め込んで半永久的に生命や機能の維持・再現をするという点からはほど遠く以下に 示すような多くの問題点を抱えている.すなわち,
1 )生体臓器の機能を100 %再現していな い(生きるためのminimum の機能しか備えていない),
2 )大きい,重い,硬い,拘束がある,
3 ) センサ機能がほとんどない,
4 )生体の状態に応じた自動制御が出来ない,
5 )エネルギー効率 が悪い,
6 )長期にわたって不具合の危険に曝されている(血栓,溶血,石灰沈着,出血,感染, 合併症,抗凝固剤などの薬の副作用),
7 )装着感が快適でない(制御,騒音,振動など),
8 ) 耐久性に限界がある(機能的,機械的),
9 )その装着がハンディキャップの代名詞にされている (機能の不完全さ,人工臓器に対する意識と社会体制の欠如,支援設備等の不備)などである.
これらの主な原因は,これまで人工臓器の開発研究には国としてのプロジェクトの関与が全くな く,個々の人工臓器が科研費など各省庁の個人レベルの予算や民間企業のボランティア的協力に よりバラバラに行われてきたためと考えられる.

(2)人工臓器の新しい展開とそれに必要な周辺科学技術
 現在の人工臓器の壁を破るには,発想を豊かにして目標を再設定することが重要である.人工 臓器の将来像を考える時,21 世紀の前半位までの近未来の人工臓器とそこから先の遠未来の人 工臓器の二つに分けて考えるべきであろう.前者は現在の科学技術の発展の中で十分に可能性が 見出されるものであり,ある意味では現在の人工臓器の最終目標とも考えられているものである, すなわち,
1 )体内埋め込み化,
2 )生体適合化,
3 )多機能化,
4 )自動制御化,
5 )高耐久 性化,
6 )ハイブリッド化などであり,
長期のプロジェクトの下に研究費,マンパワー,それを 受け入れられる面積を確保することによって実現可能と考えられる.

 一方遠未来の人工臓器とは, 思い切り夢を膨らませたもので,現在の科学技術やその延長では実現の見通しが全く立たないも のである.例えば,1 )機能の複合化,2 )自己診断や自己修復が可能,3 )ワンタッチ装着・ 交換機能,4 )異所,分散化,5 )フレキシブルでソフト,6 )生体にない機能の付加などが考 えられる.しかし,これらを念頭に置きながら近未来の人工臓器を研究開発することは,より高 い技術的ニーズを提供することになり,科学技術の発展の上から考えても極めて重要なことであ る.

(3 )人工臓器研究開発への長期の大型予算投下の意義と効果
 人工臓器というものが一昔前の夢物語から現実に臨床にある程度使える目処がついてきた今, 今後の研究開発に長期の大型予算を投じることは以下のような意義がある.
1 )患者の安全性を 確保できる,
2 )患者のQOL を向上できる,
3 )臨床医学に新しい治療体系を導入できる,
4 ) 人工臓器を治療機器から健康機器へと脱皮さすことができる.

また,その波及効果として,
1 ) 細胞生理学,循環生理学,神経生理学,病態生理学など基礎医学や循環器,呼吸器,代謝臓器, 脳神経などの臨床医学の解明に大きな研究武器を提供する,
2 )高信頼性部品,高耐久性部品・ 材料,高信頼性・小型センサー,生体適合性材料などが他の医学や工学分野で様々に応用可能で ある,などが期待できる.幸いなことに,世界を見渡しても人工臓器全体の国家プロジェクトを 有している国は現段階では全くなく,唯一米国で長期の人工心臓開発プロジェクトがあるのみで ある.従って,もしも大規模な長期の国家プロジェクトが我が国で発足できれば,国際協力研究 を含めて技術創造立国を目指す我が国がこの分野で世界の研究と製品のイニシアチブを取れるチ ャンスとなる.そのためには,年間150 〜200 億円,10 年間で約2,000 億円の予算規模 が必要である.

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6 .治療関係

(1 )21 世紀の新治療学
 19世紀までの臨床医学は投薬による治療が主であり,それを支え発展させてきたのは基礎医 学や薬学である.20 世紀からは工学も参加し,特に20 世紀後半からは,工学技術の発展に伴 い数多くの医療機器が開発され,20 世紀医療の飛躍的発展を支えてきた.21 世紀を迎える現 在,基礎医学や薬学,さらに遺伝子科学等の成果を臨床医学に結びつけるのに工学の役割は大き く,また,内科系,外科系を問わず患者に優しく,かつ医師にとっても処置しやすい21 世紀の 新治療技術の開発にも工学は必要不可欠である.

(2 )臨床医の新しい目と手
 医療において,患者の状態を的確に読みとる経験豊かな目と器用な人間の手の役割は大きい. しかし,人間の目と手に物理的・機能的限界がある以上,それに頼る現在の治療にも当然限界が ある.このような限界を打破して治療に伴う患者や医師達の様々な負担を軽減し,医師が夢見る 新しい治療の実現には,人間の目と手の能力を超える新しい目と手が必要となる.特に,様々な 三次元医用画像は医師に新しい目を提供し,手術支援ロボットなどの外科的処置機器は医師に新 しい手を提供する.この医師の新しい手と目は,低侵襲治療や遠隔手術といった21 世紀の新し い医療分野を開拓し,かつ飛躍的に発展させる.

(3 )三次元医用画像
 低侵襲な外科的処置を行うためには,小さな切開傷から安全確実に病変部位に到達する必要が ある.しかし,切開部が小さいほど患者への侵襲は少なくなるが,その反面,患部へのアプロー チは困難となり危険性は増す.そのため,患者の三次元再構成医用画像を用いて術前のコンピュ ータシミュレーションや術中のナビゲーションは,治療を安全に確実に遂行するのに重要である. こ のような観点から21 世紀の三次元医用画像に期待される成果としては,
1 )治療前後にお ける診断と患者管理,
2 )治療計画と治療シミュレーション,
3 )患者への適切なインフォーム ドコンセント,
4 )治療過程における情報提供,
5 )医学教育や専門医教育の充実,および,
6 ) 新らしい治療技術の開発,などがある.

 一方,この種の機能実現に必要な医用画像に関する研究としては,
1 )各種医用画像の取得,
2 )生体機能画像計測技術の開発,2)画像処理技術の研究開発,
3 )三次元画像の再構成の研究 開発,
4 )複数三次元画像の統合に関する研究開発,および,
5 )三次元画像と三次表示の研究 開発,などがあり,いずれも重要な研究分野である.

(4 )体腔内治療における支援機器
 限られた狭い体腔内で様々な処置を行うには,患部において処置するための処置機器と,その 処置機器を患部に安全に到達させるためのナビゲーション用機器の研究開発が必要である.これ らの機器の実現には,ロボット工学やメカトロニクス工学の技術が不可欠であるが,この種の支 援機器は,外科医のように鋏やメスを持って従来の手術行為を真似するものではなく,目的とす る処置,要求される機能,実現可能機能とから設計されるべきものである.また,その機器開発 に付随して,処置に関する技術,感覚情報の取得と提示,治療空間の確保などの研究開発も重要 である.さらに,これらの機器が医療用ということで,その安全性,信頼性,および材料自身の 問題なども十分に研究開発する必要があり,産業用ロボットの安易な医療応用は危険である.

(5 )研究予算
 本研究遂行に必要な予算は,総額約4 ,000 億円と推計されている.

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7 .健康・福祉関係
 21世紀には医療に関する重大な社会問題として,医療経済,人口の老齢化,平等で質の高い QOL (生活の質)などの健康・福祉に関する問題が表に出てくるであろう. 医 療経済やQOL の問題に関しては,出来るだけ健康を保つことが最も重要で,この面での医 用生体工学の役割は大きい.

 福祉に関しては,老人福祉と障害者福祉があるが,この問題についても医用生体工学の貢献が 期待されている.特に介護保険が実施されることから,介護に関して真剣に取り組むことが必要 となろう.

 これらの問題についてはこれまで計測,バイオメカニクス,治療,などの章で既に説明されて いることが多いのでここでは特に重点研究・開発課題を取り上げない.

 健康・福祉の分野は古くから医用生体工学の重点研究課題として多くの研究者に研究されてき たが,立派な研究開発でもQOL と両立しない機器が多く実用されているものは少ない.

 この様なことを考慮して健康・福祉領域を体系化して考えることが重要となる.この様な取り 組みはまだ始められたばかりで,重要研究・開発課題を選べるほどまとまっていないので,ここ では挙げないが,近い将来検討しなければならないようになるであろう.

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8 .医療情報関係

(1 )現状と必要性
 医療情報や情報/計算医学と呼ばれる分野は,すでに20 年以上の歴史をもつ分野であるが, 現在では取り扱う範囲も広がり,医療,医学における諸課題を情報的な見方から扱い,情報技術 を駆使して解決しようとするアプローチ全体を含む分野と考えられてきている.とくに最近はコ ンピュータのマルチメディア化やネットワークの発展とともにこの分野も急速に進歩した.

 しか し,米国のように国立機関(National Library of Medicine )がイニシャティブをとって長期的 プロジェクトを進行させ, デジタル形態データベース(VHP :Visible Human Project )や医学汎 用(電子化)言語システム UMLS (Universal Medical Language System )あるいは医学知識ネッ トワークなど,基礎となるデータベースや電子化知識/用語ベースなどの構築を推進しているの に対して,我が国では各研究者ごとの単発の研究の集合があるだけで,今後の発展の基礎となる 医学の情報化資源の構築計画は存在しない.

 この分野ではとくにこれらの今後のこの分野の基礎 になる事実ベースや電子化学術資源の構築が急務である.  さて医療情報のコンピュータ化や情報科学の医療応用は,主に 1 )情報学(インフォマテックス)に関するもの 2 )計算(コンピューティング)に関するもの がある.情報学に関するものは,医学概念論・知識とその表現,コミュニケーションなど,計算 に関するものは医用画像処理,医用人工知能などがある.このそれぞれについて要素的な技術研 究と応用的なシステム開発がある.

(2 )医学・医療の計算科学的課題

1 )生体のデジタル再構成学と仮想生体医学
 人体のデジタル形態/生体力学/生理機能データベースの構築 米国ではDigital Human Project によってVHP の継続を計画している.3D 形態学だけでなく生 体力学特性,循環機能などの生理的特性も含めた3D 形態/機能人体再構成データベースは,デ ジタル解剖教育,VR 手術,コンピュータ外科,患者インフォームドコンセント,生体力学モデ リング,医用画像処理,遠隔医療,Virtual Hospital のなどの基礎システムとして必要であり, 人体のデジタル再構成学とその基礎データベース構築の必要性は高い.またこれらは生体を計算 機上に再構成するという仮想生体医学Virtual Biomedicine という新たな分野を切り開くもので ある.

2 )診療過程の情報モデリングと知能的診療支援システム
 診断や治療がどのような情報の過程であるか.近年のオブジェクト指向分析や情報モデリング によってその構造を明確化することは,具体的には電子カルテシステムなどをはじめとする医療 情報システムを診療活動に適合的に構築開発するための基礎理論となる.またその認知的側面に 注目して診療という医学知識処理過程を明らかにすることは人工知能やファジー/ニューロ計算 機を用いた知的診療支援システムの基礎となる.さらに診療過程の統計分析や逆問題処理など数 理的な視点からの取り扱いによる診療支援システムも重要である.

3 )ゲノム情報処理,バイオインフォマティックス
 近年のヒトゲノム解析計画などにより大量に蓄積された情報より,情報処理して生命機能につ いての発見を行う情報手法の開発は我が国ではとくに必要とする分野である.

(3 ) 医療・医学の情報学的課題

1 )医療概念科学(医学概念・知識・ターミノロジー)と標準化
 これらの表現と利用に関する一般論は,医療・医学情報の標準化をもたらし医学知識ベースや 医学文献システム,医療情報システム開発の基礎となる.

2 )情報ネットワーク技術の医療応用と遠隔・在宅医療
 情報ネットワークのセキュリティ技術・マルチメディア通信技術の発展と医療への応用,第2 世代インターネットなどの遠隔医療への応用などの新しい通信技術の医療への応用はこれからの ネットワーク時代の医療の新たな姿を構築するものである.具体的な医療のネットワーク(臓器 移植ネットワーク,がん情報ネットワーク)の発展と開発における最新通信技術の利用なども課 題となる.

(4 )その他
 医学情報教育CAI ,医療技術アセスメント,医療経済評価,インフォームドコンセント,患 者病歴データベースなどの医療社会的な情報科学応用,また医薬品の分子設計,生体分子構造予 測,生物医学統計などの医薬領域での情報応用など.

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