諸外国における法学研究者養成制度


「比較法学研究連絡委員会報告」


平成12年4月24日

日本学術会議
比較法学研究連絡委員会


要旨画面へ

目 次

1.はじめに

2 .各国の状況の概観

3 .整理および若干のコメント


1 .はじめに

 日本学術会議比較法学研究連絡委員会は、わが国において法学教育のあり方が問われている折から、法学研究者養成という面に焦点をあてて、諸外国における状況を調査することとした。
 その結果、ドイツ、フランス、ポーランド、アメリカ、中国、韓国の6ヶ国について現状を把握することができた。

 これらのうちドイツとフランスについては、委員である広渡と滝澤がそれぞれ主として情報収集にあたったが、その他については、ポーランドをミハウ・セヴェリンスキー(ウッチ大学教授)、アメリカをダニエル・フット(ワシントン大学教授)、中国を王雲海(一橋大学講師)、韓国を文光三(プサン大学教授)の各先生が講師として参加され自国の状況を詳細に説明して下さり、極めて有益であった。

 この場を借りて、改めて厚くお礼申し上げたい。

 なお、一部については基礎法学研究連絡委員会および法学政治学教育制度研究連絡委員会とも連携を図って、研究会の場を設けたことを申し添えておきたい。

TOP


2 .各国の状況の概観

 対象とした6ヶ国は、固有の歴史的背景を有し、それぞれの社会的条件を踏まえて法学研究者養成制度を展開している。
各国には独自の特徴的制度として注目される事項が少なからず存在しているが、以下では共通して議論となる問題に焦点を絞って扱うことにせざるをえなかった。
 ところで、法学教育が学部の学問教育中心か大学院レヴェルの実務教育中心か、教員養成が資格重視か自由競争かといった基準により、ヨーロッパ大陸諸国(ドイツ、フランス、ポーランド)とアメリカでは根本的に異なる。
またアジア(中国、韓国)では、いずれとも違った独特の制度構築を試みている。
 便宜的に3つの大きなグループに分けて、それぞれにつき前提をなす大学制度、ついで法学教員養成制度そのものの順で述べたい。


(1) ヨーロッパ大陸諸国

A 大学制度
 大学教育は公教育を中核として構成されており、その結果大学制度は国により程度に差はあっても画一的な性格を強く帯びている。
 そのことが資格取得を重視する法学教員養成制度にも反映していると思われる。
 ドイツにおいては教育・文化高権が基本的に州に属していることから、大学のほぼすべてが州立大学である。
 法学部はこのうちの総合大学に設置されており、その数は80ほどである。
 フランスは中央集権の国であって、この国情を反映して国立大学のみであるが、およそ40の大学に法学部に相当する法学系の教育研究単位が設置されている。
 ポーランドにおいては連帯革命ののち数の上では私立大学が上回っているが、法学部を擁する総合大学はすべて国立大学であり、10校程度である。
 これらの諸国にあっては、宗教系などごく少数の私立大学についても、国立大学に準じた取扱いを定める、学位の認定は国立大学が独占して行うなどにより、画一性が確保されている。

 公教育主義から導きだされる各国に共通する特徴として、ドイツやフランスにおいては学生に定員制が採用されていないことがある。
 すなわち、入学試験は課されておらず、大学入学資格――ドイツではアビトーア、フランスではバカロレアと称される――を有する者はどの大学で勉強するのも原則として自由である。同様にして、中途で大学を変わることも何ら差し支えない。
 他方、高等教育には国民の誰でもアクセスすることが権利として認められていることから、無償で与えられるのであって授業料は徴収されることがない。
 これらの原則に対してはポーランドについては修正が施されており、入学試験を行うかどうかは大学によって異なる。
 また授業料についても、国立大学で全日制に入れなかった人を夜間部に入れる際有料としたり、全日制の学生でも落第したり留年した場合、落とした科目数に合わせて授業料を徴収することが行われている。

 教育課程は、学部教育を中心に編成されている。
 そこでは学問的な法学教育が中心となっており、法曹として直接役立つ実務教育は別に予定されており、これとは距離を置いている。
 大学での勉強の結果取得できる資格については、伝統的に国家が関与する程度が強く画一性がみられるが、具体的形態は国によって相当に異なる。
 ドイツにおいては、大学の任務は授業を行って単位を認定することに限定されており、日本流にいう学部卒業、すなわち法学士号を授与する制度がない。
 資格試験は第1次国家試験に集約されている。また大学院が研究者養成のために特別に組織されておらず、後継者養成を制度的に担保する体制はない。博士論文執筆が研究者となる必要条件であるから、教授との個人的結びつきが必然的に重要となる。
 フランスは、2年間で大学一般教育免状−法学、さらに1年間で法学士、さらに1年間で法学修士、さらに大学院での1年の研究コースで高等教育免状、同じく専修コースで専修教育免状が取得できるというように、細分化された国家資格が用意されている点に特徴がある。
 これらを修了して更に教授の指導の下に博士論文の執筆が研究者となる必要条件であるから、この段階に至って初めて教授との結びつきが必要となる。
 しかし、概ね大学院での専攻とそこにおける研究論文(メモワール)の指導により既に道筋がつくことになる。
 ポーランドは学部が5年間で『マギステル』となることができるのに対して、大学院は修士課程が2年、博士課程が4年というように長期にわたり教育課程が組織されている。
 修士号、博士号が法学教員となる資格要件であるため、研究者を志望する者は大学院という制度的枠組の中で勉強を続けることになる。


B 法学教員養成制度
 法学部をおえたのちに執筆する博士論文の執筆が基礎資格としていずれの国でも不可欠の前提となっている。法理論面で学問的業績がなければならないということである。
 またその後は、教授資格を取得して教員としてのキャリアに就く点でも共通する。
 大陸諸国では大学制度全体が国家の管理の下に画一化されているため、法学教員養成についても資格要件が客観化されている。
 ただし、その具体的態様は、先に述べた大学院がどの程度組織されているかにも係わり、国により多様である。

 ドイツにおいては、大学院がまったく制度化されていないため、専攻に応じて教授との個人的接触が極めて重要となる。
すなわち、第2次国家試験の最上位合格者であれば、教授のいわば雑用係である私的な助手を務めながら、博士論文(ドクター・アルバイト)をその指導を受けながら仕上げることになる。
 その合格後は、一般的には大学教員としての助手になり研究を続けながら教授資格論文(ハビリタツィオン・シュリフト)を執筆する。
 法的にはこの論文は義務づけられておらず、これと同等の学力を示せば足りるとされているが、大部分の者がこの論文を完成させている。
 連邦法(大学基本法)の規定する一般的制度によれば、教授までのキャリア・パスとして助手(任期3年)、その後は上級助手(任期4年)、さらに任期6年の講師がある。
 教授のみが任期なしの終身の身分保障を享受する。助手と上級助手については教授が採用権限を有する。
 総じて私的な助手時代を含めて教授の力が強い徒弟制度の趣きを残している。
 これに対して、講師と教授については公募制がとられており、厳正な審査手続に服することになる。
 なお公募の際は自己の大学出身者は採用しないという点がドイツの特徴である。
 もっとも、これは最初の赴任大学についてであって、呼び戻し人事は差しつかえない。その結果引き抜きや異動が多くみられ、そこに業績に基づく市場原理が働いているとみうる。

 教授就任までのいわば下積みの研究生活が長いのはポーランドも同様であり、ドイツよりもさらに一層の忍耐が要求される。
まず修士号を有していれば助手に任命され、その任期は8年である。助手在任中に博士論文を仕上げると助教授(Doktor Habilitowang)に任命され、その任期は9年である。
 助手および助教授に対応する別の職種として講師および主任講師もあるが、こちらは任期がない特殊な身分であり、ここでは考慮外とする。
 助教授在任中に教授資格論文を完成させることにより、期限のない教職に就任する資格が生じ、副教授(Profesor Habilitowang)となる。正教授(Profesor Doktor Habilitowang)となるためには、さらに別の論文を仕上げることのほか弟子に博士論文を書かせた経験を有するといった教育歴も要件とされており、厳重な実績をつむことが必要である。
 このように教授となるために業績をあげさせるインセンティヴは十分機能しているが、教授になった時にはもう年齢的に先がみえているという弊害も指摘されている。

 この点でフランスは、国家試験によるエリート職団の形成に特徴があり、両国と状況がかなり異なる。フランスでの大学院に相当する高等教育免状を取得した者は、助手を務めながら博士論文(テーズ・ド・ドクトラ)の執筆に努める。
 助手は契約教員であって、終身の身分保障はない。
 博士論文に合格すると、講師および教授の競争試験への受験資格が生じる。
 講師については大学区ごとに試験が実施され、合格すると任用が行われる。講師に任期はないが、研究業績や教育実績だけでは一切教授への途は開けない。
 教授については全国画一で教授資格試験(アグレガシォン)が実施され、極めて難関とされる。
 これに合格すると講師を経ることなく教授への任用が行われる。
 こうした国家試験万能主義には弊害も指摘されており、近時は講師経験を有する者が別試験により教授資格を取得する途が設けられた。
 教授資格者は、最初は地方大学に赴任する。
 したがって教員の異動は、パリ大学など有力大学による呼び戻しのかたちで、一方通行型で行われている。
 その際に教授資格試験の席次が重視されるのも、試験国家フランスの特質である。

 教授の社会的地位は、大陸諸国においては一般に高い。ドイツにおいてとりわけこの傾向は顕著であり、研究室や事務スタッフといった物理的研究環境にも恵まれている。フランスは役職つきでない限り個人研究室がないなど物理的研究環境はかなり劣っている。
 ただし、公教育主義を採用しており公務員であるから、どこでも給与そのものが特別に高いというわけではない。
 とりわけ経済的に困難にあるポーランドにおいては、名誉はあるとはいえ収入が低いため、私部門に転職してしまう人が少なからずあり、また副業を行うのは当然とされる。
 その対象としては私立大学の非常勤講師が中心であり、ほかに若手では弁護士兼業が、ベテランになるとそのほかに企業の法律顧問や行政への関与もみられる。


(2) アメリカ

A 大学制度
 学部レヴェルでも、法学部というものはないけれども一定の法学科目が開講されており、この教育を担当する教員もいるが、ここでは扱わない。
 対象とするのは弁護士になろうとする者を教育する大学院レヴェルのロースクールであり、これが中心的に専門家養成のための法学教育を担っており、全国に160校ほどある。
 ロースクール教員は医学校(メディカルスクール)、商業学校(ビジネススクール)など他の大学院レヴェルの専門学校で教えることはあっても、学部の法学教員を兼ねることはほとんどない点に特徴がある。

 ロースクールには州立と私立が区別される。
 もっともロースクールが設置されていない州もあり逆に複数もつ州もあって、これは重要な区別ではない。
 ロースクールは、設立主体の相違に拘らず、弁護士養成という目的から、またアメリカ法律家協会による認可および評価の手続から、共通する性格をもつからである。むしろエリート・ロースクールと非エリート・ロースクールの区別がやや重要であって、これは州立か私立かとは一致しない。
 すなわち、エリート・ロースクールには理論的研究や基礎法にも力を入れているものが多く、また等しく実定法教育であっても、エリート・ロースクールは連邦法を中心に、非エリート・ロースクールは地元で仕事をする者が多いことから州法を中心に教育するといった違いがある。またエリート・ロースクールの中には、特定の法分野の研究に強いといった特色を有するものが少なくない。

 教育課程は、弁護士資格の取得を目ざすことから、学問的というよりも実務教育中心に編成されている。
 ロースクールそのものが大学院レヴェルに設置されているのであって、これと別に研究者養成のための課程が設けられているわけではなく、研究大学院制度は充実していない。
 アメリカでロースクール教員になろうとする者は、一部の基礎法学専攻者などを除けば、博士号の取得を目ざすことはまったくない。
 博士号の取得制度はもっぱら外国人留学生のためにあると言ってよい。かくしてロースクールは、自らの後継者を養成するためのシステムをもっておらず、このことがアメリカ独特の法学教員養成制度に結びついていく。


B 法学教員養成制度
 アメリカでは、州公立と私立のロースクールが競合して存在しており、かつ画一的な法制度が教員養成について規律しているわけでもない。
 そこで事実上の傾向を指摘することになる。
 教員のあり方は、伝統的な終身在職型の実定法科目担当者と、近時多くみられる終身在職権(テニュア)のない各種実務科目担当者とで大きく異なる。

 実定法科目担当者として最初に就職する際には、第1に有名なロースクールの出身者であること、第2に在学中の成績が優秀であること、第3に在学中に法学雑誌を編集した経験があること、第4に最高裁判所または有名な高等裁判所の裁判官の調査官を務めたことが重要な基準となる。博士号を有することはまったく要件とはされず、研究業績もそれほど重視されない。
候補者はロースクールを出て法曹として仕事をしているわけであるから、論文執筆にばかり力を注いでいる暇な実務家はむしろ評価されない。
 採用は欠員が生じた場合に口コミや各種の広告といった手段により公募する。
 応募者に対して書類や論文審査により第一次のスクリーニングを行い、この合格者に対してさらにインタヴューが行われる。
 口頭審査が重視される点は、論文業績の審査を中心とするわが国と相当異なる。
 場合によっては研究発表も課せられる。
 その後選考のための審査会および教授会の決定を受けて当局者が条件の交渉を行い、最終的に採用となる。
 教員は、助教授(assistant professor)、準教授(associate professor)、教授(professor)が区別されるが、助教授制度を止めたロースクールが多い。
 任期は学校によって異なるが、助教授で2−3年、準教授で4−6年である。
 期限までに終身在職権を取得して教授に昇進しなければ、別の職場を探さなければならない。
 別の職場としてはほかのロースクールもあり、教員の移籍はこの要素によっても活性化されている。
 昇任にもヨーロッパ大陸諸国におけるような客観化された資格要件はない。
 一般には研究業績、学生評価を含めた教育実績、行政への寄与の三部門における評価の総合であるが、やはり研究業績が中心となる。
専門性の著しい一部の科目を除いて、担当科目は流動的であり、全体として法律家としての幅広い識見が重視される。

 近時は技術教育の充実を目ざして、終身在職権のない各種の教員も置かれるようになっている。
 臨床教育担当、口頭弁論術担当、書面作成術担当などであり、身分としては講師(lecturer)と主任講師(senior lecturer)に分かれる。
 採用の資格や前職は特定の法実務に通暁した者や単なる卒業生と職種に応じて多様であり、終身在職権付きの場合と比べて一層特定の道筋があるわけではない。

 最近の傾向としては、法と経済学、法と医学、法と文学のような科目が増加しており、これらの科目の担当者は、関連する隣接諸科学の学位を有することが多い。
 いわゆるジョイント・ディグリーである。
 また、もともと法曹としての実務経験を大抵の者が有しているが、より幅広く司法省、公正取引委員会、州政府などでのキャリアを有する者が、その特別な経験を生かして採用される例が近時増えている。

 ロースクールの教員の社会的地位は、同じ法律職である裁判官・検察官と比べて決して高いわけではなく、また弁護士と比べて高収入が得られるわけでもない。
 研究が好きである者、教育に熱意をもった者が目ざす職業といえる。近時アメリカでは大学教授の定年制が違憲となったため、これら教えることを生きがいとする老教授が退職しないことに伴う問題が深刻化している。
 一般にアメリカは転職が多い社会であって、弁護士から大学教員への転身や大学教員から弁護士への転身が多いが、大学間での引き抜きや異動もかなり多くみられる。
 弁護士との兼職は労働時間の20%、週1日に限って許容されているところが多い。


(3) アジア諸国

 アジアの各国は、ヨーロッパ大陸諸国やアメリカと比べて、いわば近代化に伴って欧米に範を求めつつも独自に大学制度の構築を試みており、別に考える必要があろう。
 対象としたのは中国と韓国のみであるが、中国では文化大革命の際にほぼ壊滅した法学教育制度が本格的に再建されつつあり、他方韓国は近時法学教育が質量ともに大幅に拡充している。


A 大学制度
 中国では、4年間の学部課程を有して法学士号を授与しうる学部が法学部として認められ、こうした学部を有する大学は、総合大学、単科大学の別はあるが全国に70ほど存在している。
 ほかに法学科のみをもつ大学や3年間の学部課程を有する大学もある。
 すべて国立大学であり国家の関与は強いが経営的には国家予算が不十分で、独自に運営費用を獲得する必要があり、大都市に所在する有名大学かそうではない地方大学などではあらゆる面で格差は大きい。
 韓国では、4年間の学部課程を有する大学校に法学部に相当する法科大学が設置されている。
 国立が20校、私立が60校の合計80校ほどがあるが、国立、私立の区別にかかわらず有名大学か否かで格差が大きい。
 短期の課程を有する専門大学には、法学専攻は設けられていない。

 教育課程は、いずれの国においても学部のほか長期間の教育を担う大学院を設けており、ヨーロッパ大陸諸国(ポーランドを除く)やアメリカと異なる。
 中国では学部が4年間であって、講義科目の履修に加えて裁判所や弁護士事務所での実習を義務づけており、さらに卒業論文を完成させて最終試験に合格しないと法学士号が授与されない。
 大学院は修士課程が3年間、博士課程が同じく3年間となっている。大学院は高度の専門教育を行うため設置は厳格に規制されており、国が指定した大学につき、かつ国が資格認定した担当教員が在職している専攻についてのみ開設可能とされている。
 なお大学院では、外国大学院における在籍を3 年間のうち1年間につき算入することを認める連合培養制度がある。
 韓国では学部が4年間であって、大学院は修士課程が2年間、博士課程が3年間となっている。
 ヨーロッパ大陸諸国やアメリカからの日本への留学生が日本法研究者にほぼ限定されているのに対して、中国や韓国からの留学生ははるかに多数でありまたより広い専攻であるのは、地理的状況、語学力や日本法との関連性といったことの他に、こうした大学院制度のあり方に負うところが大きいと考えられる。


B 法学教員養成制度
 中国でも韓国でも法規によって採用や昇進の基準や手続がかなり詳細に定められているが、中国は昇任について韓国は採用についてとりわけ厳しい現実がある。
 まず中国については、教員は講師、助教授、教授に分けられる。
 講師への採用の資格要件としては、法学部を卒業しており、品行に問題がなく、学力のみならず体力を含めて教育能力があることの3点であって、とくに難しくはない。
 大学院制度が整備されていなかったこともあって、研究能力を実証する大学院修了や法学博士等の取得が必ずしも要件となっていない。
 採用にあたっては、応募者から競争試験などで選考して決めるのではなく、公募に対して有資格者は大学側と個別に交渉をなして採否が決まる。
 採用側は大学当局者と学部長といったメンバーが参加し、教授会は関与しない。
 基本給そのものは概ね確定しているので、それ以外の面、研究条件や生活条件全般について交渉し、需要供給関係に基づく 合意が成立した場合に採用となる。生活条件には住宅の手配のほか、家族の受け入れや保険制度まで含まれる。
 北京大学など有名大学は高飛車で、勤務歴を要求したり住宅の世話はあまりしないなど条件を厳しくしている。
 採用基準は客観的ではなくファジーなものにならざるをえない。
 縁故や恣意が入り込みやすいといえる。

 これに対して、中国における昇進の要件は極めて厳しい。助教授昇任の場合を例にとるならば、とくに優秀と認められる例外の場合を除いて、次の4つの要件が必要となる。すなわち、第1に時間的要件があり、これは取得している学位により異なる。
 すなわち、学部卒12年、修士修了5年、博士修了2年とされている。第2に研究業績であり、量と質の両面がある。
 有名大学では質も問われるが、一般には約35万字以上という執筆著書・論文の活字量が問題とされる。第3 は教育実績であり、年間約200時間の授業と学生評価を含めた教育効果である。
 第4は品行である。
 これらの要件をすべて満たした者について、さらに慎重な手続を踏んで認める。
 すなわち、学科、学部、全学学術審査会と審査があり、その決定には3分の2以上の賛成を必要としている。
 こうして倍以上の候補者から選抜されるため、ハードルが高い。
 教授については、さらに最終的に文部省による承認も課されている。大学間における人事異動は少ない。
 清華大学など有名大学が引き抜き人事をすることがみられるが、これに対しても地方大学の反発が強い。

 韓国ではむしろ採用時が厳しい。
 教員は専任講師、助教授、副教授、教授に分けられる。
 それぞれについて一定の研究業績と教育実績とが要求されており、専任講師については2年と1年の合計3年である。
 ちなみに助教授は2年と2年の合計4年、副教授は3年と4年の合計7年、教授は4年と6年の合計10年である。
 そこで専任講師になるためには、大学校を卒業したのち修士2年の課程を終えて修士号を取得すれば前者の要件を満たし、1 年間非常勤講師を務めると後者の要件を満たしたことになる。
 しかし現実には、各大学は専任講師の応募資格として博士号の取得を要求しており、応募者は博士課程を経たのちに博士論文に合格し、しかも自分の専攻分野の空ポストを目ざして非常勤講師をしながら機会を待つことになる。
 韓国では研究助手の制度がなく、また非常勤講師の時間給が低いため、こうした博士号を有する失業者である「博失」は社会問題化している。
 高学歴失業者の増加現象は他の学問分野でもみうけられるが、就職時の年齢上昇のためいきなり助教授採用もめずらしくなくなっている。

 採用は新聞やインターネットを利用した公募原則がとられており、専攻科目を特定して応募者をつのる。
審査の基準は、専攻の適合性、研究業績、教育実績、人物評価といった配点科目でチェックし、総合的にもっとも優秀な者が採用される。
 とりわけ専攻の適合性と研究業績が重視される。
 ほかに、出身大学、留学経験、国家試験の合格などがさらにプラスの判断材料であり、たとえば司法試験に合格していれば修士号のみでもよいとしたりする。
 そのため、外国で学位を取得することを目ざす者も多い。
 助教授以上は内部昇任が多く、引き抜き人事は多くない。
 移籍の場合には、以前の地位に見合った資格での処遇となる。

 大学教員の社会的評価は、中国の場合決して高くない。
 これは社会主義国家建設にあたって、法治主義の否定や知識人軽視政策がとられていたためである。
 文化大革命後のここ20年ほどの間に開放政策で修正が図られてきたが、文系学問を低くみる傾向は今日でも根強く残っている。
 給与そのものは公務員に準ずるが、福祉関連の待遇は十分でなく、研究費や図書など施設面はいまだ貧弱である。
 研究へのインセンティヴは、昇進における業績審査や大学当局による評価が中心である。
 そこでもっとお金を儲けたい者は、弁護士や実業の世界に転進することになる。
 助教授であれば弁護士資格が生じるからである。
 大学の予算が全体として不足している弊害がここに現われており、大学経営者や学部長の力量は、主として利益創出能力にかかわる。
 すなわち、一方では通信教育、研修コース、在職しながら論文を仕上げる在職学位制度などを積極的に導入して授業料収入を増やす、他方では寄附を集めるといった手法である。
 こうした状況下においては個人による利益創出も当然であって、規制する法規はない。
 非常勤講師を依頼し合ったり、弁護士を兼業する者が少なくない。
 大学の隣にその教員が関与する弁護士事務所があるといったことは、ごく普通にみられる。

 韓国においては、中国とはまったく逆に大学教員の社会的評価は極めて高い。
 両班の文班の伝統で、試験で優秀な者が尊敬されてきたという歴史と無縁ではない。
 また今日高学歴志向で大学院進学者も少なくないが、この学歴社会の頂点にいるためであり、またいわゆる安定職場であるからである。
 もっとも、給与がそれほど高いというわけではない。

TOP


3 .整理および若干のコメント

 2において紹介した各国の状況は必ずしも固定的なものではなく、近時も様々な変動がみられる。

 一方でポーランドや中国では連帯革命や文化大革命以後の政策転換により、法学教育を全面的に再構築するかたちで現在も進行中である。

 他方で伝統を有する国でも、たとえばドイツでは1976年に大学民主化の方向で、さらに1998年には大学経営合理化の方向でかなり抜本的な改革が試みられている。

 しかし、それぞれの国において、大学制度のあり方にせよ法学教員養成制度にせよ、かなり明確な基本理念に基づいて運用されている点で共通する。

 翻ってわが国では、いずれの面についてもそうした方向性といったものが、明示的に打ち出されていないことはもとより、全体的な傾向をうかがい知ることすら困難であるように思われる。
多 様性さらにいえば混迷が支配している。

A 大学制度
 まず大学制度のあり方については、ヨーロッパ大陸諸国では公教育の伝統が根付いており、これに由来する制度上の画一的性格が顕著である。
 教育は無償で提供され、各大学による入学試験も存在しない。
 また法学教育の内容としては、職業教育の前提となる学問教育でありかつ広義の法実務家養成のための基礎教育である。
 これに対して、アメリカのロースクールは州立と私立が並立し、また入試制度の結果エリート校と非エリート校が生じ、一見したところ多様のようにみえる。
 しかし、弁護士養成のための実務教育機関ということで共通し、アメリカ法律家協会が関与し、弁護士試験によってスクリーニングされることにより、間接的に相当程度の実質的な画一性が担保されている。

 わが国では、設立主体により国立、公立、私立大学が区別され、これに応じて授業料にも文部省による規制にも相違が大きい。
 エリート校と非エリート校の格差も明白であり、わが国ではそれがたとえば司法試験に百名以上の多くの合格者を出す大学と1名もいない大学というかたちで極端に示される。
 さらに規模や大学院の有無など極めて多様であり、こうした現実の格差を踏まえて、法学部であってもそもそも法曹養成を目ざさないなど教育理念も各大学により大きく異なる。
 この点で中国や韓国の状況と類似し、アジア的多様性といえるのかもしれない。
 なお、近時は国立大学にエリート校を制度化したことをうかがわせる大学院重点化をなした法学部も出現している。
 またいわゆる「ロースクール構想」では、これをもつ大学を選抜する方式を採用するならば全法学部を巻き込んで分極化がさらに進むことが考えられる。

 ところが、現時点でのわが国の各法学部は形式的にはまったく平等であり、等しく学士号を授けるのである。
 学位の認定権が完全に各大学の自由に委ねられているため、実体は法学部出身ということで画一的品質をもつ学生を社会に送り出すことを放棄している状況である。
 これは、良く言えば社会の極めて多様なニーズに合わせた法学部卒業生を供給する、いわばつぶしのきく人材養成の機能を果たしているといえる。
 また固有の法曹界以外にも人材を供給するシステムは、ヨーロッパ大陸諸国の法学部でもみられる。
 しかし根本的な相違は、ヨーロッパでは専門性を示す学位の価値が評価されてこれが将来の職業と直結するかたちで機能しているのに対して、わが国での実態はこれを無視して成り立っている点である。会社が採用にあたって出身大学を問題にする、社内の新人研修という名の再教育が重視される、大学外で取得する英検や各種の国家資格が学士号よりも幅を利かす本末転倒な状況は、法学士号の資格としての無力を示している。

 また平成12年度より法学検定試験が発足する予定であるが、これも法学士号の無力という同じ現象の反映であろう。法学部卒業生の品質管理という根本的な点の見直しが、諸外国との比較から何よりも必要と考えられる。
 いわゆる「ロースクール構想」では、このコースにつらなる学生の質は確保されるようになり、その点で一定の評価ができよう。
 しかし、その数は現在の法学部生のせいぜい1割程度であって、残りの9割という大多数の教育の問題は残される。

 わが国の法学教育の他の極めて大きな特徴は、法曹養成と制度的に関連づけることがまったくなされていないことである。
アメリカのロースクールはまさにそれのみを目ざすのであるが、ヨーロッパ大陸諸国のように学部中心に学問的教育を旨としてきた国でも、法曹のための国家試験の資格要件として明確に位置づけられている。
 法学部は、西洋では神学部、医学部とともに、中世における大学創設以来専門職を養成する使命と伝統をもつ学部と考えられてきた。

 わが国での法学部が、ヨーロッパ大陸型を一貫してモデルとしてきたにもかかわらず、現在では法曹資格とまったく無関係になっているというのは、比較法的にみて例がない。

 いわゆる「ロースクール構想」の実現にあたっては、学部法学教育の法曹養成との関連を明確に示すことが不可欠であり、同時に公務員、研究者、企業に進む者を含めた学部法学教育全体の将来像も示されるべきであろう。


B 法学教員養成制度
 法学教員養成制度は、大学制度と連動する面が強く、ヨーロッパ大陸諸国では博士号取得や教授資格試験のように画一化された資格要件が存在している。
 学問的業績を中心として客観化された基準に拠っているため、透明性が高い。中国や韓国においても、採用や昇任にあたっての資格要件が共通して定められており、実際の運用でも手続上かなりの画一性が認められる。
 アメリカがこうした基準を制度上一切設けていないことで特筆すべきであるが、社会的流動性が高く市場の競争原理が働きやすいことがあって、公募制に基づく業績主義が機能している。
 また昇任については終身在職権制度により等しく規律されている。

 わが国では、法学教員養成制度という面でも極めて多様である。
 まず採用にあたっては、公募制も非公募制もあり、非公募制の実態は捉えにくい。
 公募制であっても、要求される資格は大学により異なるとはいえ明示されようが、選考基準や選考手続となると客観的なかたちで示されることは少なく、透明度は低い。
 形式は公募制であるが、現実には候補者が予め絞られているというように、建前と本音が食い違っている場合も指摘されている。
 実質的な決定権限の所在については、とりわけ私立大学においては、理事会ないし理事長個人といった経営者との力関係に応じて、教授会や学部長の関与の程度が千差万別である。

 法学教員養成の機関については、博士前期(修士)、博士後期(博士)課程を通じた大学院が中心である。
 しかしこれについても学部助手制度や修士助手制度を活用している有力な大学があり、一元的な道筋を示すことは不可能となっている。
 選考基準としては学問的業績が重視されるのが一般的であり、大陸型に含めてよいと思われる。
 ところが、先に述べたように大学格差があるため学位に基づく客観的評価が困難であること、博士号取得が極めて難しいこと、 学部助手制度のようにまったく異なる発想が存在することなど障害が大きく、現状では客観化された画一的基準による業績評価を打ち立てにくくしている。
 また、従来は法学部相互の教員の異動も少なく、とりわけ有力大学が純血主義を採っており、市場原理が働かない状況にあった。

 採用後の教員の身分や待遇、昇任に際しての要件や手続も、同様に各大学により大いに相違している。
また兼職については、国公立大学では公務員としての身分からほぼ一律であるとしても、私立大学ではこの対応も様々である。
ただ、これまでは概ね年功序列が重視されており、研究業績や教育実績に対する評価が十分でなかったという点では共通する。
この欠点については、自己点検・評価制度の導入により改善への試みが始まっている。


 日本の大学制度は、文部省のいわば護送船団方式の下に、大学設置基準で画一的に規律されてきたとされる。確かに校地面積とか開講科目数、教員数とか蔵書数といった形式面の最低基準では、とりわけ設置にあたってそうであったかも知れない。
 しかし、逆に学位や教員の質といった本質的な部分では、かえって永続的なかたちでは規制されてこなかった。
 法学教員の養成・採用・昇進制度についてモデルを示すことができない多様な状況は、そのことの表現である。
 諸外国の制度を参考にして、この状況を改革するとすれば二つの道筋が考えられる。
 一つはヨーロッパ大陸型の画一化を図ることであろう。
 この場合には既に存在しており新たな基準を満たしえない法学部や学生の扱いが極めて難しい。
 他の一つは規制緩和により護送船団方式をやめて大学間で自由競争をさせ、実態を反映させた差別化を進めることであり、これがわが国における昨今の基本的潮流であろう。大学設置基準の大綱化は、こうした方向を示している。
 同時に、国立大学では、エリート校を制度化したことをうかがわせる大学院重点化をなした法学部も出現している。
 いわゆる「ロースクール構想」も設置大学の選別を意図するものであるとすれば、私立大学を巻き込んで法学部の分極化を制度化することになろう。
 しかし、従来の見せかけの均一性を打破することに伴う混乱は、極力避ける努力をなすべきであって、また同時に改革の先のあるべき姿が提示されなければ、単なる弱小大学の切り捨てとなり無責任であろう。

 諸外国のあり方を参考にするならば、規制強化、規制緩和いずれの方向を採るにせよ、目ざされるべきは実体と資格を一致させ、また国民に説明がつき、かつ判りやすい制度の構築であるべきであろう。
 そのことが資格の客観性と制度の透明性を高めるために必要であり、ひいてはその専門職に対する信頼を高めることになるからである。

 法学研究者養成について言えば、将来的にはたとえば研究者養成コースを有する大学院で勉強し、博士号を有する者を公募するシステムが、各大学において一元的に採用されることが望ましいといえようか。

TOP