附属文書(個別報告資料)目次

○テクノロジカル・イメージと変質する日常−美学的な観点から−(淺沼委員)
○環境と感性−景観の問題を中心に−(淺沼委員)
○学問の理論性と社会性(渡邊幹事)
○文科系の純粋基礎研究の重要性(渡邊幹事)
○現代における哲学の社会的役割(渡邊幹事)
○経済学における実証理論と規範理論(大山委員)
○学術と社会−経済学の視点−(大山委員)
○地震予知と火山噴火予知・・・・・理学と工学のはざま(荒牧委員)
○「科学者の社会的責任」をめぐって(長岡委員)
○学術の社会的役割と教育(長岡委員)
○学術の社会的役割−物理学の場合(長岡委員)
○社会における科学・技術の共有−地球・資源・エネルギーの工学の立場から−(小島委員)
○第5部研究連絡委員会の改編について(三井委員)
○工学の社会的役割について(三井委員)
○食料・エネルギー・環境(高倉委員)
○農学分野における社会的許容性の事例(武田委員)
○公衆衛生学の社会的役割をめぐって(角田委員)
○生命倫理について(裄V幹事)
○日本学術会議の社会的役割−『日本学術会議50年史』を手掛かりに−
 (加藤幸三郎 日本学術会議50年史編集室長、第3部会員)

○新しい科学論の挑戦−学術の社会的役割との関係で−
 (竹内啓20世紀の学術と新しい科学の形態・方法特別委員会委員長、第3部会員)

○政策過程研究の課題と方法−−学術の社会的役割との関連で−−(武藤博己 法政大学教授)


学術の社会的役割特別委員会
委員(第5部)
三井 恒夫

第5部研究連絡委員会の改編について

1.はしがき

 第5部においては、第16期より社会の変化に伴う学術の動向に対応して、研究連絡活動を一層活性化するよう、研究連絡委員会の改編について検討を行ってきた。

 研究連絡活動の活性化をはかるためには従来の専門領域別の研究連絡委員会の体制を、学術の変化に適合するように改めることと、従来必ずしも明確でなかった領域別研連と課題別研連の役割を解明することが必要である。

 第17期に入ってから、第16期に得られた改革案に沿って、必要な規則の改正などの諸手続を進め、1998年10月の総会において正式に承認され発足することとなった。新しい研究連絡委員会の組織は別表のとおりである。

 以下、第5部研究連絡委員会の改編のねらいと具体策について紹介する。

2.研連改編のねらい

(1)学術の活動は、歴史的に細分化・専門化がすすみ、数多くの専門領域が誕生している。特に工学関係ではその傾向が顕著である。一方、現実に製作され運用される人工物や人工物と社会・人間との関係では、専門化された領域を越え、それら相互の学際的な分野に対する考察が殊更重要となって来ている。こうした学術の動向に適合して、学際的な活動が達成できるよう課題別研連の体制を改めた。

(2)これに伴い研連の重要な役割である、日本学術会議と関連学協会との連絡調整については、領域別研連が担当することと明確化し、連絡調整業務の充実をはかることとした。

(3)社会の急激な変化に伴って、第5部として早急に研究を行うべき課題について、機動的に応ぜられるよう、課題別研連に時限付きの研連枠を設けた。

3.研連改編の具体案

(1)学際的な研連の設立
従来の専門領域の課題別研連を改編することとし、まず学際的な領域の研究活動に適するつぎの、新しい8つの研連(俗称 ユニオン研連)を設置した。

表


なお、課題別研連の行う研究連絡活動とは、つぎの通りである。

(イ)重要課題についての現状分析、将来予測、将来計画の立案及び研究条件の整備の検討
(ロ)複合又は学際分野の研究の促進のための連絡、調整
(ハ)国際学術団体対応または国際的協力事業等に関する国内委員会又はこれに準ずるものとしての業務
(ニ)以上の活動成果を必要に応じて討議資料、対外報告、場合によっては要望、勧告などの形でのとりまとめ

(2)関連学協会との連絡調整の役割明確化
従来領域別研連でも行っていた研究連絡活動は、すべて課題別研連に移行し、領域別研連は、日本学術会議の重要な役割の一つである関連学協会との連絡調整を主目的とするよう改めた。これに伴い会員推薦機能をはじめ、登録する学協会相互間ならびにこれらと日本学術会議との連携を一層密にすることとした。これにより領域別研連は従来のままとするが、その構成委員は、会員と幹事2名(非会員)とし総数では67名とした。ここで減少した委員数を課題別研連にわりあてた。(このため課題別研連の総数は411名となった。)

(3)機動的な研連活動
従来、領域別、課題別とも研連が固定化され、弾力性がなかった。このため、新しい研究活動の課題が生じた場合でも決められた研連の中で実施せざるを得なかった。今回 課題別研連に、上記ユニオン研連(俗称)のほか、「標準(従来通り)」、「工学教育」、「工学国際団体」という常置の研連とともに時限付きの研連を2つ設けることとした。時限付き研連は、時代の変化により必要となる新しい研究活動を機動的に実施するものとして、第17期においては、「工学研究・評価」ならびに「社会・産業・エネルギー」の2つの課題を実施することとした。これらの研連は活動を終了すれば、新しく生ずる課題に対応した研連を設置し活動を開始することとなる。

(4)専門委員会の活用
新しい研究活動に対応するため、研連より弾力性のある専門委員会を活用することとした。専門委員会はこの程規則が改正され、研連とほぼ同等の機能を果すことが出来るようになった。即ち、研究成果を研連と同様、総会への提案や、対外報告を行うことが出来る。このため別表に示すように、ユニオン研連に48の専門委員会を設置し、研究活動を活発化することとした。

4.むすび

第5部においては第16期から研連のあり方について会員全員で審議し、第17期の初頭新しい研連を発足させ、その下で関連学協会との連絡調整や研究連絡活動を実施している。

 すでに、領域別研連において関連学協会との連絡調整を円滑に行うこととしたため、「平成12年度科学研究費補助金の審査委員候補者の推薦」にあたって、第4常置委員会の意向に沿った機動的な対応が行なわれたほか、従来は、任期一杯かかって報告書をまとめる習慣であった研連の中で、特に研究目的が明確である時限付き研連においては、集中的な審議を行い、対外報告を1年程度でとりまとめている。

 即ち、「社会・産業・エネルギー研連」は、平成11年2月22日、「21世紀を展望したエネルギーに係る研究開発・教育について」の対外報告を発表した。その中で、「エネルギー研究開発戦略の確立」と「エネルギー学の創出、進展」を柱とした提言を行った。また、「工学研究・評価研連」は、平成11年3月31日、「工学研究の評価の在り方について」の対外報告を行った。その中で、「工学研究の評価の基本的考え方」と「工学研究の評価の在り方」を提示した。

 研連の活発化の一例を紹介したが、他の研連における研究活動も、いずれその成果が公表されるものと期待している。

 以上、第5部が実施した研連改編の状況を述べて来たが、日本学術会議研連の見直しの御参考となれば幸いである。

別表

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学術の社会的役割特別委員会

      委員(第5部)
        三井 恒夫

工学の社会的役割について

1.はしがき −「工学」とは

 わが国においては明治の初頭、工学寮工学校が創設され、これが帝国大学工科大学から東京帝国大学工学部に発展した。「工学」はその頃より親しまれてきた用語である。にも拘わらず、「工学」の定義は必ずしも明確でない。最近の文献から「工学」に関する解説を引用すれば、次の通りである。

・「工学は自然に存在するものを利用可能な素材と意味づけ、それを人間にとって有用なものに改変するために役立つ知識及びその適用法の体系」 (「自然科学は、自然に関して得られた基本的知識と眼前の現象を説明するためにその知識をどのように適用するかについての体系」)(1)

・「工学とは、過去・現在・未来の現実社会における技術に関する学問」である。技術は文明の根幹をなすものであるから、工学が社会・経済・制度等と本質的な係わりをもつのは自明である。(2)

・「工学とは数学と自然科学を基礎とし、ときには人文社会科学の知見を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問である。工学は、その目的を達成するために、新知識を求め、統合し、応用するばかりでなく、対象の広がりに応じてその領域を拡大し、周辺分野の学問と連携を保ちながら発展する。また、工学は地球規模での人間の福祉に対する寄与によってその価値が判断さる。」(3)

2.工学と技術

(1)技術
 人類がこの世に存在した頃より、食物を手にしたり、エネルギー(火)を発生させたりするため、道具(石器、鉄器)を作り始めた。これにより、人智による様々な技術が生まれた。また、動力は当初は人間の力であったが、やがて牧畜の力を利用し、さらには水車、風車の機械力を利用するようになる。こうしたことに伴い、技術が進歩した。現在にも残るエジプトのピラミツドは約4000年以前に建設されたものであるが、約140mにものぼる高さに石を積み上げる工法を編み出している。しっかりした幾何的構造を持っているし、東西南北の向きもかなり正確であるという。未だ「工学」が学術として形成されていない頃から、技術は先行してこうした人々が編み出し継承して行ったと見てよい。

 18世紀末から19世紀前半の産業革命の時代になると、後述する「工学」の体系化により各種の技術が進展する。石炭が発掘され、新しいエネルギー源となり、ワットの蒸気機関によりエネルギー変換効率が向上し、鉱山、製鉄、紡績、造船といった産業が発展拡大して行く。

 19世紀以降になると、ファラデーの電磁気理論を基礎とした電動機、発電機が開発され、たやすく動力が得られる事となり、やがて電子通信、鉄道、航空機から、エレクトロニクス、コンピュータによる情報革命を迎え、エネルギーも原子力が利用されるなど技術を中心とした豊かな便利な幸せな人間社会が到来した。

 しかしながら一方において、こうした進展がもたらした様々な環境影響も無視する事が出来なくなり、社会の発展と人間・生命との狭間において、様々な深刻な問題が提起されている。その解決に当たっては、技術を越えて、思想的、社会的、政治的な広い視野からの考察が求められている。

(2)工学
 当初人間が生きるために考案した幾種もの道具は、「工学」の背景を持つものでなく、人間の「わざ」が作り出したものである。18世紀の後半、ヨーロッパにおいて「わざ」を教える土木学校、工学学校、鉱山学校、高等工芸学校など各種の教育機関が誕生し、やがて、こうした技術を一括した「ポリテクニーク」として、しかも数学、物理学、天文学などの理論を基礎として教育する工科大学が開校する。1794年フランスに設置された「エコール・ポリテクニーク」が、それである。つづいて、ドイツ(1815〜1855年)、イギリス(1828年)にも工科大学が設置され、アメリカにおいてはやや下った1865年マサチューセッツ工科大学(MIT)が誕生する。日本においては、アメリカにそれ程遅れることなく、1873年(明治6年)に工学寮工学校が設置され、後に1919年東京帝国大学工学部に発展することとなる。

 総合大学に工学部が当初より設置されるのは欧米には見られなかったことで、このことがわが国の工業の進展に大きく寄与したことは間違いない。このように、18世紀から19世紀にかけてヨーロッパにおいて生まれた工科大学によって「工学」が誕生したと見ることが出来る。

3.工学と社会

 「工学」は学術の中では社会とは極めて近い距離にある学術である。即ち、「工学」は社会に有用な人工物を提供し社会の発展に寄与し人類の福祉に貢献するための学術体系であるからである。社会はこのように「工学」によって有用な人工物を得て、限りなく便利となり、住み易くなった。社会はこうした人工物を通し、「工学」の恩恵を受けていると言える。

 しかし一方において、人間が考案した道具は使い方によっては人間同士の争いの道具としても使われることとなる。近年の民族間、国家間の争いの道具は工学の発展に伴って、高度化、精緻化しているが、実はこうした目的のために研究が進められ、技術が限りなく向上すると言った現象が見られる。不幸にも核兵器は、そのような過程で発展した人工物である。

 また、人工物を生産する時に排出される化学物質、汚染物質が地球環境を汚染し、用を果たした後の廃棄物は、その量が増大するため社会に様々な悪影響を加えることになる。

 こうしたことから「工学」は社会にとって邪悪なものであると評価を受けることもある。

 このため、「工学」はその原点に戻って、そうした人工物と人間の関係を問い直し、人工物を設計する際、人工物が人間、社会、環境に及ぼす影響を評価し、障害をもたらすことのないようにすることが求められている。このような観点から工学倫理を確立し、「工学」が社会的責務を持つことが殊更重要となって来ている。

 「工学」のもう1つの課題は、「工学」が機械工学、電気工学、土木工学等、多くの専門分野に細分化されていることである。東京大学の工学部では、その数が20学科に上っている。さらに、一つの専門工学分野においても細分化が進んでいる。例えば電気工学分野では、高電圧工学、電力系統工学、電気機械工学、電気通信工学、電子情報工学、電気材料工学などに分化される。このように、専門化、細分化は「工学」の進展に伴って必然的に生ずるもので、その結果、専門領域の「工学」が深化し、体系化し、発展を遂げてきたのである。これに伴い、各専門領域の工学者が育って来たが、狭い限られた専門領域に係わる「工学」にしか眼を配らない専門家が数多くつくられている事も否定出来ない。

 一方において、社会における人工物は細分化された専門領域の「工学」単独ではつくりあげる事は出来ず、様々な専門工学の組み合わせによって出来上がるものである。最近では、社会のニーズが高まり、航空機、ロケット、原子力発電所あるいはコンピュータによる情報ネットワークなど、数多くの要素技術から成る「システム技術」で構築されている。さらに、こうした人工物は構造的に複雑であるばかりでなく、地域的にも人間と密接な関連を持ちながら、世界的に拡がりを持つ巨大な人工物となっている。

 このため、「工学」がつくり出す人工物は、人間、社会と密接不可分なものとなり、設計、製作、運用にあたり、社会科学、人文科学の知見を取り入れ、真に人間にとって有用な人工物を作り上げる事が大切である。

 こうした観点から、自然科学と、社会科学、人文科学とを相互に関連づけ、さらにこれらの学術を統合した新しい領域の学術が必要となって来ている。即ち、専門領域の学術とともに、これらを俯瞰的に見る学術を構築する事が重要となって来ている。

 情報、環境、エネルギーなどの分野においては、その必要性が高まっている。

4.「工学の社会的役割」の事例 − 原子力発電

(1)システム技術
 原子力発電は、多くの専門分野の「工学」を集合した総合的な「システム技術」で構成されている。しかし、後述するように、技術の集合であるばかりでなく、人文科学、社会科学からの研究・評価が不可欠な人工物であるとも言える。そうした意味合いから、「工学の社会的役割」の事例として原子力発電を考察する。

 この人工物は、「工学」の面では、原子力工学、機械工学、電気工学、金属工学、材料工学、土木工学、建築工学、資源工学などの要素から成り立つとともに、これらが相互に密接な関連を持ち、さらに物理、化学、地球物理、生物から医学にも及ぶ自然科学の幅広い見識をも必要としている。

(2)社会的必要性
 原子力発電に対しては、人々の間にアメリカや旧ソ連で発生した大事故が起こるのではないかという懸念や、わが国でも残念ながら発生した東海村ウラン加工施設での事故から、放射線に対する不安感などがあることは事実である。

 しかし、21世紀の世界エネルギー需給を展望すると、化石燃料資源の枯渇、地球温暖化対策、再生エネルギーや省エネルギーの限界などから、エネルギー対策上は他のエネルギー源とともに原子力発電を必要としている事は間違いない。特にエネルギー消費の増加が予想される発展途上国を中心として、原子力発電への期待が高まっている。エネルギー資源のないわが国では、特にエネルギー自給率の確保、ウラン燃料の有効利用の観点から、軽水炉による原子力発電と原子燃料サイクル確立の必要性は高い。

 原子力発電に関する世論調査を実施すると、その必要性についての回答は非常に高く(80%)、国民の間にこのことが十分認識されていると見る事が出来る。

(3)工学的安全性
 原子力発電は人工物であるから、事故を皆無にする事は難しい。しかし、事故が発生しても、異常事態が発生してはならない。発電所においては異常事態の未然防止のため、様々な対策がとられている。特に放射性物質には最大の注意を払っている。

 例えば、燃料から発生する放射性物質は「閉じこめる」ことを第一義に、ペレットに固める、パイプに入れる、圧力容器、格納容器、原子力建屋と5重のバリアを備えている。重要な設備、制御システムは多重設計として万全を期し、異常状態を検知したら、これが拡大しないよう制御し、緊急時には自動的に「止める」こととしている。また、非常事態でも炉心にある燃料棒が過熱溶融しないよう、これを「冷やす」ため緊急冷却システム(ECCS)を装備するなど、様々な状態を想定して工学的見地から安全性設計を行っている。

 1975年10月アメリカの原子力規制委員会の報告によれば、アメリカMITのラスムッセン教授が、原子力発電の安全性を評価するため、原子炉や自動車、航空機での事故、あるいは天災などによって人々が死亡する確率の計算を行った。原子炉事故(原子炉100基)で1人が死亡する確率は50億分の1で、自動車事故(4000分の1)や墜落事故(1万分の1)よりはるかに少なく、隕石の落下による確率と同等との結果を得ている。

 また、こうした原子力発電の計画、建設、運転に当たっては、原子力委員会による審議、原子力安全委員会ならびに行政庁による安全審査・検査などが確実に実施されている。

 さらに、今回の東海村の事故をきっかけに、万一事故が発生した時の初期対応の迅速化や国と地方公共団体の連携を強化するなどの対策が実施されることとなっている。

 加えて、国際的にも核兵器の不拡散に関する条約(NPT)に基づき、国際原子力機関(IAEA)による確認が行われ、世界的な管理の下に的確な運営がなされている。

(4)社会的受容性
 原子力発電は、国においても事業者においても、また実際に、計画、建設、運営にたずさわる人々にとっても、安全確保を第一義として実施しており、わが国の原子力発電の運転実績によれば重大な事故は発生しておらず、年間の計画外停止回数は0.2回/基とドイツ、アメリカ、フランス(0.8回〜2.7回)に比較して、極めて少なく良好である(1996年)。また、設備利用率も定期的点検以外は運転停止が少ないので、80.3%と極めて高い。ドイツ、アメリカ、フランスは78.6〜75.2%(1996年)である。

 こうして工学的安全性は保たれているが、社会的に一般の人々が安心感を得ているかというと、必ずしもそうではない。原子力発電に関する世論調査によれば、必要性(80%)は認めるものの、安全性については30%の回答しか得られていない。

 その理由としては、放射線により子孫に影響を与える、大事故が発生する危険性がある、プルトニウムに関し軍事利用の懸念がある、廃棄物の処理が決まっていない、などがあげられている。

 社会的に安心感が得られていない原因の一つとして、原子力発電に関する情報が当事者と国民の間に正しく伝わっておらず、特に事故発生時には当事者の対応や情報伝達が遅く、一方において隠し事があったり、事実と異なった誇張や誤報もあり、国民側の不信感につながっていることもあげられている。

 さらに、こうした事柄の基礎には、科学(学術)に対する国民の理解度の不足があるとして、学校や社会一般の教育により科学知識を備えることの大切さを指摘する声もある。

 いずれにしても、原子力発電は現在電力供給の40%近くを占め、社会的には大きな存在となっているので、原子力発電の安全性が社会へもたらす影響は極めて大きい。したがって、国・事業者は原子力発電に対する社会心理の動向を十分理解して対応し、社会的に安心感が得られるようにする事が重要である。同時に、このための社会科学的な研究・学術が必要である。

(5)新しい学術への期待
 原子力発電を、工学と社会との関連が極めて密接な事例として考察を行った。原子力発電は、もともと「工学」による巨大な人工物である。しかし、原子力発電をとりまく産業はその拡がりも大きく、次の観点から考えて、原子力発電は「工学」の範疇をはるかに凌駕し、人文科学、社会科学を含めた幅広い学術、即ちこれらを俯瞰する新しい学術の事例として考えることが重要である。

(@)21世紀の世界のエネルギー情勢に照らして、化石燃料、新エネルギーと共に、原子力発電は欠くことの出来ないエネルギーである。これらのエネルギー全体が国際性が高く政治情勢に左右されるものであり、特に、原子力発電は核拡散の観点からも国際政治と密接な関連がある。

(A)わが国はエネルギー資源を持たないので、政治、経済、産業あらゆる面でエネルギー安全保障のための原子力発電には関心が高い。

(B)エネルギーは人間生活の基盤として必要不可欠なものである。高度な文化国家をめざすためにも、情報、バイオ等の先端科学技術を推進するためにも、エネルギーを抜きにして考えることは出来ない。

(C)原子力発電そのものは工学的安全性は高いものの、これだけでは社会的に受け入れられるとは言えない。21世紀の社会を構築するためには、こうした社会心理の動向を分析して社会に受けられる対応をしていかなければならない。原子力発電と社会との係わりは極めて深いものがある。

参考文献

(1)吉川弘之、「テクノロジーの行方」、1996年
(2)日本学術会議第3常置委員会、「学術の動向とパラダイムの転換」(第5部関係報告、松尾稔、金原粲)、1997年
(3)8大学工学部を中心とした「工学における教育プログラムに関する検討委員会」パンフレット、1998年

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食料・エネルギー・環境

長崎大学環境科学部
高 倉    直

はじめに

 「生産の増大は永遠に人口増加に追いつかない」200年前にイギリスの経済学者トーマス・マルサスが「人口論」の中で明言したことばである。1972年にはローマクラブが人口・食糧・資源の問題を提起した。それは「成長の限界」として広く読まれている。そしていま、ワールドウォッチ研究所レスターブラウンの食糧破局の警告が大きな衝撃を与えている(レスター・R・ブラウン(今村訳))。

 世界の人口増は指数関数的に増加しており、1960年以降、その立ち上がりが急増している。1999年には60億を越え、2050年には100億にも届く勢いである。一方、世界の栄養不良人口(軽い運動をするのに栄養が不足の状態)は1990年で約8億人の上っている。

 砂漠化されていく面積は世界で毎年500万ha以上にのぼっている。そのうち、感慨農地は100〜130万ha、非灌漑農地は350〜400万ha、このほかにも多くの牧草地が砂漠化している。

 このような状況の中で、多くの人口を養うべく、食料を増産しなければならず、そのためにも多くのエネルギーの投入が必要であり、それが環境汚染につながる仕組みである。

 このように地球上の人口増がすべてのベースとなって、食料・エネルギー・環境問題は深刻になりつつある。ここでは、日本の状況を中心に、この問題を検討するが、隣国中国の影響は重要である。

食料問題

 食糧増産は2つの側面から考えることが出来る。すなわち農耕地を増やすことによる収量増、もう一つはバイオテクノロジーなどを駆使することにより、品種改良し、かつ栽培管理を最適化することで、農耕地の単位面積あたりの収量を増すことである。どちらも簡単ではない。近年、バイオテクノロジーの進歩は著しいが、C3植物のC4化に例を見るように、将来の食糧問題を解決するだけの成果を上げるまでにはまだ、多くの時間を要することは明らかである。また、その研究方向には地球の温暖化という新たな課題も横たわっており、その将来予測のもとに研究を進めなければならない。また、栽培管理の最適化は一般的に言って、エネルギーの投入を伴うものである。例えば、灌漑排水施設の設置、農薬の投入、収穫の機械化などすべて間接エネルギーの投入を必要としている。

 日本は世界最大の食料輸入国である。日本の食料自給率は熱量ベースで41%、先進国では最低のレベルである。興味深いことは、過去約30年の間、我が国と韓国が同様に穀物自給率を大きく下げてきたのに反し、英国とドイツは大きく増加させた点である。我が国の輸入食料を自給するためには農地1200万ha必要で、これは日本の耕地面積の2.4倍である。かつて盛んであった水産業に関しても、いまや東シナ海・黄海での漁獲量は中国が圧倒的に多く、韓国、日本の順である。また、最近の中国における食生活の変化も見逃せない。

 現在、日本国内では農業基本法の見直しが行われている。農業の位置づけ、自給率の維持、株式会社の参入、中山間地農業の保護が大きな柱である。このようなかなり思い切った政策変換を盛り込んだものになっているが、その効果はいまのところ未知数であり、具体的に輸入食料を自給する方向にどれだけ近づけるかは疑問である。

 日本における、作物のエネルギー収支を調べてみると、その作り方によって産出/投入比が大きく異なることがわかる。露地生産で間接投入が大きいのは農業機械、肥料、農薬などが大きな割合を占めるからである。施設生産では直接投入である暖房用エネルギーである。

 イスラエルはその主体が乾燥地農業であり、灌漑水が貴重である。そのため、作物別に投入灌漑水量あたりの収量を金額ベースで算出し、その値の高い方から生産することを奨励している。今後は各気候地域で、このような調査研究がなされて、適地適作が必要であろう。そのためにはそれが実行されるような政策の実施がなければならない。

 また、一般的には、施設型栽培に要するエネルギーより輸送に要するエネルギーが少ない。そのため、気候の不適な消費地の近くで生産するより、適地適作をして、消費地へ輸送する方が、省エネルギーになると考えられる。

 また、できるだけ、旬のものを利用するという調理改革、食生活の比重を動物蛋白から植物蛋白へ移すなどの嗜好改革、さらに食べ残しなどの無駄をなくすなどの意識改革が必要であろう。

 しかし、量的かつ長期的には、砂漠化の阻止と農耕地の拡大、さらにバイオテクノロジーに代表される新技術の確立を待つしかないであろう。

エネルギー問題

 日本のエネルギー事情は決して楽観できない。近年は増加の一途をたどり、95年現在の消費量は5億2千万t(原油換算)であり、その95%以上を輸入に頼っている。そのうち石油が占める割合はこの24年間に約60%から27%に減少し、石炭は17%で変化なく、天然ガスと原子力が大幅に増加している。

 中国では減少はしているものの、石炭が圧倒的に多く、77%を占めている。偏西風の影響もあって、これが日本の酸性雨の原因になっていることも指摘されている。

 近年新しい埋蔵資源量が発見されたとはいえ、世界の化石エネルギーが有限であり、ものによって異なるが、数十年から数百年のオーダーであることには間違いない。そこで、将来のエネルギー源として原子力が有望視され、世界的に数多く設置されてきた。しかし近年多くの原子力発電所で大がかりな事故があり、また蓄積する廃棄物中に残存する放射能の半減期が長いことから、長期にわたっての安全な貯蔵施設の問題もあり、新たな建設を見合わせる国も出てきて、その増加率は減少しつつある。日本も現在原子力発電に大きく頼る国の1つであるが、ほかにアメリカ合衆国、フランス、連合王国、ロシアが原子力利用の5大国といえる。原子力が見直されることは重要であるが、同時に二酸化炭素削減に果たしてきた役割は十分評価する必要があろう。

 各エネルギー源からの二酸化炭素排出量を比較してみると興味深い。石炭がもっとも多く、ついで石油、天然ガスと並ぶのは理解できよう。太陽エネルギーなどの自然エネルギーがその次に位置することに注意すべきである。これは太陽エネルギーを集めるための装置製作のプロセスを考慮するからである。他の自然エネルギー利用につても同様である。中小水力からの発生量は少なく、さらに原子力さらにバイオマスとなる。

 原子力に代わるものとして、何があるのであろうか。自然エネルギー、廃棄物エネルギー、有機肥料(人糞の利用)エネルギーのリサイクルなどが検討されている。これらのエネルギー源を見るとき、その賦存量は決して少なくないが、一般的には密度の薄いエネルギー源であり、そのまま代替できるというものではない。

 その中でバイオマスが近年注目されている。バイオマスの利用はそのままでも燃料源として利用できるだけでなく、エタノール、メタノールを合成して、現在のガソリンのような、液体燃料としての利用が考えられる。

 バイオマスが二酸化炭素ゼロエミッションエネルギー源といわれる理由は、バイオマスが光合成により空気中の二酸化炭素を吸収し、蓄え、エネルギー源として燃焼する際に、同じ量を排出するため、ネットとしてゼロになることからである。エタノールやメタノールに合成されるとそれだけエネルギー量は減少するが、液体燃料として使いやすくなる。このエネルギー減少をなくすため、直接火力発電所の燃料とする計画もある。石炭に代わるものとして検討する必要があろう。ブラジルなどではバイオマスから合成されたエタノールをガソリンに混合してすでに自動車の燃料として利用している。最近はさらにメタノールの合成手法も開発され、エタノール以上の効率が期待されている。

 バイオマスの有効性(坂井)
1)持続可能なエネルギー源
1)地球環境を乱さない、NOx,SOxを出さず、CO2はネットでゼロエミッション
3)生産量が十分にある(石油換算1.5〜2.5kL/人・年)
4)石油代替として利用可能な形態(電気と液体燃料)
5)エネルギーコストが石油に比較してあまり高くならない

 すべての生産力をコントロールする手法として、生産力の重要な要素であるエネルギー価格などで行うことが、いくつかの国で実施されている。環境問題の上から、重要なことであろう。

緑の電力革命

 欧米の国々で、風力や太陽光発電が急増している。風力発電の規模はドイツが220万kW、アメリカ合衆国が180万、デンマークが110万の設備を持ち、2,000年には電力需要の1割を風力でまかなう計画である。

 スウェーデン、オランダ王国、アメリカ合衆国カリフォルニア州では、少し高めの料金を払えば、再生可能なエネルギーによる電気を選んで購入できる制度すなわち、緑の電力革命が進行している。ドイツでは再生可能な電気を発電所側に有利な価格で電力会社が購入しなければならない法律が出来ている。

環境問題

 地球環境でどのようなことが起こっているのであろうか。

1)二酸化炭素濃度増加による地球の温暖化
2)フロンなどのフッ化塩素ガスによるオゾン層の破壊
3)光化学スモッグやNOxやSOxなどのガスによる大気汚染
4)酸性雨
5)工場廃液、農薬などによる地下水汚染、湖沼、河川、海洋汚染
6)森林破壊、砂漠化、生物種の多様性の減少
7)廃棄物、ゴミ処理、土壌汚染
8)環境ホルモンによる生殖機能の異変

など、多くの多面的な現象しかも局地的でなく、地球規模での現象となっているものがほとんどである。

 世界的に資本主義の中、経済発展が優先され、科学技術の発展を基礎に、人口の増加をベースとして、物の消費拡大が進んだことが主たる原因であろう。問題をさらに複雑化しているのは先進国と発展途上国の状態が大きく異なることである。人口問題、エネルギー消費の格差、経済の完熟度、生活レベル差など、その違いが大きく、一様でない。

 昨年の京都会議(COP3)、本年のブエノスアイレス会議(COP4)で二酸化炭素の削減問題が討議されたが、森林の吸収分の算定、二酸化炭素削減分の売買、これから経済発展が不可欠な発展途上国の削減問題において、まとまりにくい状態にあり、将来へ向けての対策が現状の発展に追いつかない状態が続いている。

 環境ホルモンとしてのDDTの拡散を例に取れば、第2時世界大戦を経験している年代であれば、DDTの有効性は十分に認識しているはずであり、また噴霧された経験もあると思われる。それが環境ホルモンの代表として、その挙動が注目されている。すでに1981年に多くの国で使用禁止になっているが、地球上では空中から、河川、土壌、海洋、さらにプランクトンを介して、食物連鎖により、魚さらに人間とその影響の和が大きな時間遅れを伴って広がっていることがコンピュータシミュレーションや実測で明らかにされている。

 我が国の過程から排出される生ごみは年間2,000万トンといわれている。これは家庭から排出されるごみの約4割である。その他に、外食産業などから排出されるものもある。焼却処理によればダイオキシンの発生につながるので、微生物利用によるコンポスト化、さらにそのコンポストを食料生産の現場にリサイクルすれば、その肥料によって生産された食料がまた家庭に持ち込まれるという、バイオリサイクルシステムの開発が各地で盛んに行われている。植物が汚染ガスや排水を吸収し浄化することから、その機能を活用するバイオリメディエイションシステムの開発と共に今後の成果が大いに期待される。

環境問題における政策と倫理

 科学技術の進歩にのみ期待することはできない。むしろ、現時点で何か出来るかを各国が検討し、政策により、環境保全には必要な物とそうでない物を明確にし、税金、価格調整をして、経済発展の方向性を明らかにすべきであろう。

 日本では、農業重視が原則であり、土地の国有化、農業(食料)用サテライト開発、精密農業の展開など、また、いわゆる従来の生産のみを考慮した動脈産業に替わる、廃棄物処理、元への還元処理を含む静脈産業の発展をはかるべきである。もちろんこれは自由経済原則に任せては発展できないのは明らかであり、国策として取り組む必要があろう。

参考文献

 1)新しい食料・農業・農村政策を考えるために−食料・農業・農村基本問題調査会中間とりまとめの概要−,52pp,1998.
 2)新たな基本法に関する長崎県調査会:新たな基本法に関する長崎県調査会−意見書−5pp,1998.
 3)三輪昌男監修:世界と日本の食料・農業・農村に関するファクトブック’98.JA 全中,100pp,1998.
 4)日本農学会:アジアにおける環境と生物生産の現状と将来.平成10年度 日本農学会シンポジウム講演要旨.56pp,1998.
 5)日本学術会議:公開学術文化フォーラム 21世紀の「日本食」を考える.けいなんなプラザ.13pp,1997.
 6)農業環境技術研究所:アジアの食糧・稲作とその将来展望 平成8年度(1996年度)気象環境研究会.56pp,1996.
 7)農林水産省:国民生活の変化と食料、農業、農村 −平成8年度農業白書のポイント− 21pp,1996.
 8)レスター・R・ブラウン(今村訳):食糧破局;回避のための緊急シナリオ.ダイヤモンド社,198pp,1996.
 9)坂井正康:バイオマスが拓く21世紀のエネルギー.森北出版,128pp,1998,
10)シンビオ社会研究会編著:京都からの提言−明日のエネルギーと環境.日本工業新聞社,240pp,1998.
11)高倉 直:食糧安全保障とエネルギー問題.日本農業気象学会・日本生物環境調節学会:21世紀の食糧生産と農業環境.200−207pp,1996.
12)高倉 直:閉鎖環境下における植物生産.FORUM環境保全型生物生産,東京農業大学総合研究所研究会,17pp,1996.
13)高倉 直:精密園芸.施設と園芸,100,5,1998.
14)高倉 直:人工閉鎖生態系.Techno Innovation,28,7,1998.
15)高倉 直:乾燥地農業におけるマルチ・プラスチックハウスの活用.中日双邊国際学術討論会,農牧業可持続発展輿環境保護.内蒙古呼和浩特市,307-310,1998.
16)内嶋善兵衛:地球温暖化とその影響,裳華房,202pp,1996.

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農学分野における社会的許容性の事例

武田 元吉

第6部は生物産業全体を対象とするが、ここでは農業、おもに作物生産に係わる学術の中の問題を扱うことにする。

1.農学の社会的役割

(1)農業生態系の維持
 農業には経済的行為と生態学的行為との両側面がある。生態学的行為の部分に、作物生産に係わる学術が対応している。植物を例にとると、多くの自然生態系では多様な植物種が生存している。これらの種が同じ場所に同居するのは、多分に歴史的な偶然によるものであることが最近の研究で明らかになってきている。しかし、群落の中で生き残るには競合者から押し付けられる社会のルールのいくつかを守らねばならない。そのようにして植物群落は、その場所に共存できる種によって構成される。

 作物生産を長年にわたって続けるためには、このような自然生態系のルールを守りながら、人工的な生態系を作り、且つ周囲の自然生態系との共生をめざす必要がある。現時点では、工業を始めとする人間生活が地球環境に残した負の遺産はばく大なものになっているが、環境悪化を克服する研究の理念と方向について、農学的発想が果たす役割も大きいと考えられる。

 しかし農業生態系のみならず自然生態系の悪化の一因に農業が係わったことも歴史が語る事実である。たとえば、砂漢化を引き起こした原因の一部は熱心な農耕にもあった。焼き畑農業も、最近では人口増に対応して面積が拡大し、生態系としての循環体系バランスを崩しつつある。このような課題を解決する農業技術は未熟であり、このことはこれまでの農業技術に大きく不足している部分があることを示している。

(2)日本の農業技術の特徴的な一側面
 古来、農業生産の安定をめざした河川の治水や干拓・開拓事業が国家の重要な施策であった。一方、これらの事業に並行して地域の農民自身が個々の農家の営利的な生業を充実させるために、さまざまな技術開発を、生み出してきた。ごく最近まで日本においても、個々の農業を支える技術者は、農業者のなかに広く拡散して存在していた。その結果、地方色豊かな農業技術が開花したのである。

 農家の技術開発例としては、1942年に長野県の1農家が試験場技師の協力を得ながら考案した保温折衷苗代(油紙使用)があげられる。戦後すぐに、この技術は着目され、全国規模の共同研究に発展し、ビニールを用いた保温折衷苗代が完成した。この技術が戦後の食料難時代に果たした役割は測り知れないものがある。この技術はやがて室内育苗に発展し、日本的稲作機械化の決め手の田植機発明の契機となった。20世紀後半におけるこのような研究開発の流れは、他の分野では発生しにくいことであったろうと思われる。

(3)ニューバイオテクノロジーへの社会からの疑問
 最近まで、上述したような国家的な技術開発や個々の農家の技術開発まで視野に入れて、産官学の研究者は自身の研究を進めるに当たって、社会的役割を認識し、負託された自治を自覚しつつ企画をすすめてきたと思われる。農業環境、生活環境、地球環境悪化の克服、不良環境ストレスの克服、人口爆発を見越しての大量生産、とくに光合成生産力の飛躍的増大などの目標については、社会の世論に大きな亀裂はない。これらの課題に加えて、ポスト石油科学の発展に対しても、新しい生物学が生みだしたニューバイオテクノロジーへの期待が大きい。ところが、具体的なニューバイオテクノロジーの成果の一部について、安全性や倫理性について一般社会から疑問の声が上がってきている。

 そこで1例として、日本における遺伝子組換え作物(GM作物)の開発研究と社会的な反応経過について、以下に概観してみる。

2.事例:遺伝子組換え作物(GM作物)の社会的許容性

(1)最近の状況
 バイオテクノロジーの成果の一つとして、遺伝子組換え(GM)作物があげられる。GM作物は、他の生物や品種の遺伝子を細胞・分子生物学に基づく方法で従来の品種の中に取り入れ、さらに従来の育種の方法を準用して数年間かけて重要な特性の検定・選抜を繰返し、新品種として作出されたものである。1980年代から国際的に開発研究が進む中で、日本でもやや遅れ勝ちではあったが、開発が進められた。まずメロンなどでモデル研究が進められ、次に実用化をめざした開発研究が進み、個々の事例ごとに作物の安全性が確かめられ、栽培が実施される準備が整のってきた。

 しかし、実際には日木の消費者は国産でない輸入GM食品をいきなり大量に購入させられるようになった。とくに、米国企業を中心とした実用化開発研究の展開は極めて早く、1995年頃から栽培が始まった。1998年には米国内の2,000万ha以上の農地で栽培され、生産物が食品として諸外国へ輸出されるようになった。日本への輸入は1996年からで、年々急増した。そのため、日本国内の消費者の中に不安と懸念の声が急激に高まることになった。安全性について十分な納得のないままに現実にGM食品が輸入されている以上、とりあえずは表示をして消費者に選択の権利を与えるべきであるという意見が強くなり、行政規制として表示が2001年4月から実施されることになった。(しかし現時点では、表示の方法について日欧と米国の間で話し合いが妥結していない。)

 このような社会的状況を受けて国内企業は食品素材としてのGM作物の開発について、一時より慎重になっている。

 本年5月2日に、GM作物を開発しているおもな国内6社が、食品化を当面見送る方針を明らかにしたことが、新聞一面記事に報ぜられた。国内ではGM作物の安全性に対して消費者の不安が広がっているためで、消費者に安全性が理解された時には商品化する方針とのことである。見送り期間は数年間になる可能性もある、と記事は説明している。

(2)GM作物への期待
 GM作物とその生産物への期待はいろいろな分野におよんでいる。生産物からみるとまず食品と非食品に分かれる。人体に取り入れられるGM作物は日常的に食べる作物と日常的でないので食品の中に入らない医薬品を作る作物が上げられる。非食品の中には医薬品の他にポスト石油化学にも役立つ新化学製品、花卉などの観賞用作物、不良環境を克服して食用作物を栽培できるような環境に改善させる作物などが期待される。

 食品となるGM作物の育種目標は、農家(生産者)へ向けた視点、市場価値を増大させるような消費者へ向けた視点や地球規模の課題解決への視点などがある。たとえば、

 1)農家へ向けた目標(労働時間の短縮、耕地の保全、収量性)
  除草剤抵抗性、病虫害抵抗性、不良環境耐性(耐冷性、高温耐性、耐塩性、水分ストレス耐性、不良土壌耐性)、栽培特性の改善など

 2)消費者へ向けた目標(健康、豊かな食生活)
  品質の改良(不良成分の除去、有用成分の付加・増強、日持ち・輸送性)、減農薬生産(除草剤抵抗性、病虫害抵抗性)など

 3)地球規模の課題
  人口増に耐える飛躍的な高収量、不良環境修復など、である。
 これらの育種目標は従来の育種の重要な目標でもある。しかし、多くの研究者は飛躍的な改善成果を上げるためには、GM技術が最適であり、従来の育種では実現出来ない部分があると確信している。

(3)GM作物への疑問
 にもかかわらず、さまざまな疑問が社会の広い分野から出されている。そのいくつかをあげてみる。
 1)GM作物は自然農法とは相容れない。
 2)違う種類の生物のDNAを組み込むことに抵抗感を持つ。
 3)飛躍的な改善を図るGM技術はほんとに必要なのか。
 4)GM食品の輸入をなぜ急いで受け入れなければならないのか。
 5)GM食品は食品として安全なのか。
 6)消費者にとってGM食品のメリットはほとんどないようにみえる。
 7)GM作物は環境に悪い影響を与えるのではないか。
などである。

 1)、2)、3)、4)は単純な「科学論議」だけで対応できる問題ではない。1)には思想の問題が大きく含まれるし、2)には長い歴史の中で日本人の心の中に埋め込まれた「食生活への感情」が根底にある。3)は科学技術の進歩の受け止め方が問われている。4)は農政と貿易外交の課題を含んでいる。7)は環境流出への危惧である。

 このように社会から発せられている疑問は「食品としての安全性」や「環境への安全性」だけではない。しかし、以下ではおもに「安全性」について検討する。

(4)GM作物の安全性
 上述のように、GM作物の安全性には食品としての安全性と環境流出への安全性が含まれる。順を追ってGM技術そのものの安全性論議から簡単に触れてみる。環境流出の問題についてはあまり触れない。

1)安全性議論の発端
 1970年に入って、微生物学者によって組換えDNA技術が開発され、他方で細胞培養技術が進展してくると、ニューバイオテクノロジーといわれる科学技術が急激な発展を始めた。ここでは作物の問題に入る前に、米国研究者を中心に自主的に推進された「組換えDNA技術の安全性」の検討推移を追ってみる。

 よく知られているように、「組換えDNA技術の安全性」については、医学関係の微生物学研究者を中心とした自主的な検討の歴史があった。組換えDNA技術以前の萌芽的研究として、細菌学者の「P. Berg(MIT)は腫瘍ウイルスを細菌(大腸菌)に入れる実験を検討していた。しかし、1971年にPollack,Baltimoreとの議論の末、「環境流出などの危険性が不明の実験」に対する安全性確保という視点から、自主的に研究を延期した。

 やがて、73年6月に核酸研究者が研究発表のためニュー・ハンプトンでゴードン会議を開催したが、この会議でBoyerが発表したCohenとの共同研究は、組換えDNA実験を容易に取り組めるようにした画期的なものであったが、出席者の間の懸念も呼び起こした。これに応えてBergを委員長とする研究パネル部会が米国科学アカデミーのライフサイエンス部会の中に設置され、74年に書簡をまとめ3科学誌に発表した。

 内容は、自発的に延期する実験もあることを含めて、組換えDNA実験は慎重に実施するべきであることを主張している。同時に、安全性を確保しながら研究を進める方法を検討する委員会を、おもな研究者に研究費を委託していた国立衛生研究所(NIH)に設置することを提案している。この書簡は、潜在的な危険性を考慮したものであり、ヒトに対する危険性の評価は、実質的にも難しいにもかかわらず、一部の実験については、疑問に対して何らかの解決が得られるまでは研究を自粛するようにと、科学者として本格的なモラトリアムを提唱したものであった。また、これまでは人間の健康への影響が中心であったが、論理的な考察の結果として、はじめて生態系への懸念が表明された。

 この書簡の要請を受けて、1975年2月にアシマロ会議が世界中から約130人の研究者が参加して開催された。合意として、実験従事者、一般の人々、生態系に与える問題については不明なことがあるので、モラトリアムの終わらせ方は、注意深く進めるべきであり、新生物の生物学的、物理学的封じ込めができる場合は実験を進めるべきであるとした。

 このようにして、後に歴史的と評価されるモラトリアム行動が実施されるようになった。その後のニューバイオテクノロジーにまつわる安全性論議は基本的に類似の推移をたどるようになった。

 以上の経過からまず気付くことは、おもに米国研究者が自らの研究の行動規範を求めたものであったことである。ここで重要なことは科学研究の持つ負の部分、ここでは人間という環境への安全性を考慮して慎重な行動をとるべきであるということを認識することが社会的許容性を獲得する道であることを、研究者が自覚していたということであろう。

 技術研究を計画する場合は、当然ながら産業への寄与が重要な目標となる。米国研究者の際立った行動は、つぎに行政の対応を求めて規制の一本化を図ったことであり、さらに長い年月をかけて一般の利用者に対してきめ細かな広報・教育を行い理解を求めたことである。このように推移を概観してみると、安全性のために取った慎重な行動の中には、つぎの段階で組換えDNA技術の積極的な利用を図りたい意欲も同時に見えてくる。「積極的な利用」のための「慎重な行動」である。個々の規制はその後大幅に解除されていった。

研究者が信頼され、結果的に規制が少なくなるという社会が見えてくる。

 2)日本におけるDNA組換え実験の安全性評価
 この会議のあと、微生物に閉じ込められた組換えDNAのみならず、動植物の全個体がかかわる組換えDNA実験についてNIHのガイドラインが策定され、つづいて日本など各国の組換えDNA実験の指針が策定された。日本においては76年頃からまず日本学術会議、大学などで研究者が検討を開始し、文部省が79年3月には指針を、同年8月には国としての組換えDNA実験指針がまとまった。その後必要に応じて改定されてきている。

 3)産業化へ向けての安全性論議
 つぎに産業化へ向けての安全性の確保を図る段階となった。この段階から各国とも明確に行政主導の論議になっていく。80年代に入って国際舞台での行政的な論議が繰り返され、日本も積極的に会議に参加した。食品としての安全性や環境放出されたGM生物の安全性が国際貿易機構(OECD)などで数年間検討され、勧告がだされた。

 勧告に基づき、日本国内におけるGM作物作出のための安全性評価指針が定められたが、行政的には分割された形になった。実験室でのGM実験は科学技術庁が、食品の安全性は厚生省が、環境放出(普通の田畑で栽培すること)の安全性については農林水産省が担当している。なお食品の流通、たとえば表示などは農林水産省が行政的な担当となっている。

 ここからは食品としての安全性に重点を置いて述べる。

 4)食品としての安全性
 指針に示されている組換え作物の安全性評価にあたっては、作物としての情報、導入遺伝子などの情報、組換え体の情報(遺伝子の情報、環境に対する安全性の情報、食品としての安全性)を細かに報告することが申請者に求められている。

 しかしGM食品の食品としての安全性の基本の考え方は、従来の食品の安全性評価の考え方と変わらないと思われる。従来のどの食品も完全に安全だと言いきれない。たとえばじゃがいもを例にあげると、じゃがいもそのものは栄養分だけを取り上げても完全なものではない。しかし、危険になるほどの摂食は普通では不可能である。安全性のテストとなると、ねずみなどにじゃがいも単品を極端に大量に食べさせるが、やがてはねずみに悪い症状が表われてくる。このようなじゃがいもと比べて、GMじゃがいものほうがねずみに悪い影響を与えないというテスト結果がでれば、安全と評価する。たとえどんな新規な成分を持つ食品にしてもこの他に究極的な安全性のテストの方法がない。食べさせるテストの他に毒性のわかっている成分については含有量を確かめて、新食品の毒性成分が増加していないことを確かめる。GM食品にしても基本は同様である。

 したがってGM食品の安全性は個々の事例について慎重に検討する方法しかない。いまのところ、アレルギー性物質の研究はまだあいまいな部分があるので、アレルギー候補物質が増加するようなGM作物を作出することは出来るかぎり避けるべきであろう。

 1例として、土壌細菌の持つBt遺伝子を導入したGMジャガイモの例をあげる。この遺伝子が合成するエンドトキシンはいくつかの昆虫の幼虫に消化不良を起こさせ、殺虫効果を表わす。このGMジャガイモではエンドトキシンは全タンパク質の0.01%以下であり、加熱で変性し、人間の持つ消化酵素でも分解され、残量の確認はできない。エンドトキシンはアミノ酸配列から推定してアレルギー原性はないと判断されている。ヒトに換算して毎日13kg相当の組換えジャガイモを3ヶ月間、ラット、マウス、ウサギに投与しても異常は認められなかった。

 このようなデータに基づいて、産業化する食品素材として、厚生省が安全性を確認しているGM作物は昨年9月で22品種である。大豆(除草剤耐性1品種)、ナタネ(除草剤耐性11品種など)・ジャガイモ(耐虫性2品種)、トウモロコシ(耐虫性3品種、除草剤耐性1品種)、ワタ(耐虫性1品種、除草剤耐性2品種)、トマト(日持ち性向上)で、トマトを除く5作物のGM食品はすべて輸入である。実際に2001年に表示が義務づけられる食品は、現在のところ、輸入GM作物を食品素材とする30品目である。

(5)GM食品の安全性に対する社会の反応
 食品は消費者が日常的に食べるものである。そこで新食品については、開発者が消費者に、食べれば得をする利点と安心して食べることができることを、ていねいに説明することが必要である。開発研究者や行政側から消費者や販売業者に向けて回数を重ね、GM作物の啓発活動が展開された。それらの成果をみると、講演を聞く前はGM作物の作り方や必要性を認知していなかったのに、講演後の受講者は作成法についてはかなり理解し、必要性も認めるようになっている。しかし、安全性については理解を示す割合がいくらか増加するものの、大多数の人が不安を感じているままである。食べたいと思う人は一部であり、そこで、個々の食品については、自分たちで買うかどうか選択できるように表示を義務づけるべきだと考える人は講演後はむしろ増えている。

 社会には予測しがたい危険が多いことを消費者は知っている。新しい利用物にも危険が伴う可能性があることを日常忘れないように注意深く生きることが大切である、と考えている。それ故に、GM食品の安全性についても自分で判断したいけれども、その判断に対する自信がない消費者が多いと思われる。学習・判断すべき「安全性の新たな問題」はGM食品以外の分野でも多数発生しており、全てを理解するのは大変である。そこで専門家から説明を受けることになるが、GM食品については、周辺の専門家からさまざまな異論が表明された。反対とまでいかなくとも、一般農学研究者に「あなたはGM食品を積極的に食べますか。家族に薦めますか」と質問すれば、戸惑う研究者がかなりいたことも事実である。このような状況下では、過半数の消費者の不安を消すことは不可能であったと思われる。

 一方、食品を消費者に販売する業者も、GM食品について自ら判断しなければならなくなった。多くの業者は行政側の判断を信頼する態度を通してきた。しかしそれらの企業のほとんどは消費者に自らの判断を表現していない。他方、生協のような組織では消費者に説明義務がある。一例として、九州地方の1生協が結論と態度を明確にするため、消費者向けに出した98年の2万字を超える広報について触れる。この生協の結論は、食品として価値を認めた個々のケースについて公表された安全性評価データを販売者側が自ら十分に評価し、安全と判断したものは、表示を明確にした上で販売する、としたものである。一方で、非組換え食品も並列して販売する、ということにして、消費者がどちらも選択できるようにするとした。この結論に至るまでに、生協としては、輸入される組換え作物食品の個々の特性について、ていねいに吟味を加えている。派生的なことではあるが、当然の帰結として、従来の技術(育種)そのものによって育成された新品種についても新たな注意を払う必要がある、という考察に至っている。しかし、このような方針を打ちだした生協は一部であろう。

(6)環境流出についての安全性
 もともと研究のモラトリアムが始まったのは、危険なウイルスの環境流出の懸念からであり、研究者の自主的判断であった。組換えDNA技術を動植物に適用する場合の懸念についての論議は遅れて始まったが、その主要な舞台はOECDなどの行政ベースの会合であった。日本でもこれらに対応して、安全指針が作成されてきた。開放系での調査では、農林水産省の指針に基づき、花粉の飛散性、種子の発芽率、近縁種との交雑性などによって、生態系への安全性が評価されている。開放系実験により、安全性が確かめることができれば、農業生産してよいということになっている。しかし長期栽培の過程では、ときとして次のような生態系への影響があるのではないかと、心配する意見がある。

  ・組換え作物の雑草化
  ・遺伝子汚染(組み込んだ遺伝子が野生植物へ移行する)
  ・ウイルスの変化(ウイルス遺伝子を組み込んだ作物から、新しい病原性ウイルスが誕生する)
  ・他生物への影響(害虫だけでなく益虫にも影響を与える)、などである。

 人間が持ち込む野生動植物が、自然生態系を変えてしまう例は、最近よく報告されている。これに比べれば、作物は耕地という特殊条件に適応させられてきたので、自然生態系では生存しにくい。日本の場合、これまで安全性評価実験に上がった個々のGM作物については、環境への短・中期的に自然界を大きく乱すような影響はないとみてよく、直接的な反論実験もまだない。しかし、個体や、遺伝子が自然界へ流出することは、確率は小さいけれども確実にある。21世紀には広く耕地、森林などに組換え植物が栽植されることを想定するならば、組換え遺伝子が自然界に流出することを完全に抑えることはできなくなるだろう。地球環境の長期的な生存、あるいは持続的農業技術確立の中に、この課題をしっかりと取り入れるべきであろう。

 環境への影響の危険性を示唆する結果が得られたという研究が諸外国で発表されつつある。基本的にはその国の問題であるが、これまでの報告を概観してみると、現実の環境への影響の危険性を証明する実験としては、不完全なものであったとみられる。しかしその不完全さを伴う実験の内容には新しい実験手法を模索する部分が含まれていた可能性がある。

(7)社会的合意をめざして
 社会的合意をめざす道は大きく分けて二つある。一つは個々の対立点ごとに是非を問うやり方であり、もう一つは和をめざすやり方である。社会的合意はその国の風土に合致しなければ成立しない。日本では国際的な摩擦を覚悟の上で、理性的な和の道をめざすほかないもと思われる。

 現在、企業や研究者はどうしているのか。学会の研究発表では相変わらず、GM作物育成のための研究は多い。食品となるGM作物の研究も多いが、最近目立ってきている傾向はGM非食品作物の開発研究である。そのような研究を推進させる限り、社会からの抵抗は少ないようである。企業の一部には、食品のほうは値段があまりに安いので、この際、利益効果からみて切り捨て、非食品に集中したほうがよいのではないか、というような見直しが始まっている。このような傾向が続くと、日本の食料生産農業だけがGM技術から見捨てられてしまう。そんなことにならないように、GM技術をできるだけ消費者の不安を小さくするような技術に改良し、消費者が納得できるような大きなメリットがあるGM作物を育成することが大切であろう。

 米国などによるGM作物の開発はまず除草剤耐性や耐虫性のように、生産農家にとってメリットになるものであった。「つけ加えるならば農薬の使用量が減るので消費者にとってもメリットがある」ということでもあった。この程度のメリットでは日本の消費者は「不安の壁」を乗り越えてはくれなかったということであろう。そこには「事実に基づかない批判」が大量に情報としてメディアなどで流されたことが重なっている部分がある(大澤1999)。しかしこの壁を乗り越えるためには、やはり、もっと消費者にとってメリットのあるGM作物を開発することが研究者の責務であろう。

 おそらく、GM作物食品の「安全性」が全面的に「社会に許容される」までには相当な時間が必要であろう。「研究成果をあげる速度」と「社会的許容を獲得するまでの速度」とは一致しなければならないとする論拠はない。専門研究者としては社会的合意を早く得たいのであろうが。

 社会からの疑問が単に「安全性」のみでないことはすでに述べた。したがって社会的合意を探る議論は社会人文科学者を含めた俯瞰的視点が必要である。日本の場合、まとめ役はおそらく自然科学者でないほうが適切であろう。開発側はその議論を尊重した上で、技術の改良、成果、啓発活動に取り組むことになろう。

 結局は「研究者への信頼」を、時間をかけて獲得することであろう。

 現在のところ、大方のメディアは「大部分の消費者は不安を感じている」という見解をとっているようである。この見解が「大部分の消費者は不要と判断している」とならないうちに、開発側の積極的な対応が求められる。

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角田 文男

公衆衛生学の社会的役割をめぐって

1.公衆衛生の概念

1−1 公衆衛生学とは

 医学としての公衆衛生学は、疾病の治療を目的とする臨床医学と違い、疾病の予防と健康の保持・増進を目的とする科学・技術である。また、この目的を達成する手段である公衆衛生活動の面では、組織化された社会の努力によるところに特徴がある。従って、集団を対象とする実学に研究の原点をおき、集団の健康水準を向上させる学術へと進展させて、その成果を衛生行政に反映させることである。

 社会的に把えられる公衆衛生とは、例えば、憲法第25条に定められる「公衆衛生の向上及び増進」については、社会全体の人々の保健・衛生・福祉の向上および増進を図る衛生活動と理解されており、その概念にかなりの乖離を感じる。

1−2 疾病予防の考え方

 今日では、予防には第1次予防、第2次予防および第3次予防の3段階が考えられる。

第1次予防:健康増進(健康教育、栄養指導、生活指導、快適職場環境づくり、定期健康診断・健康測定、結婚相談など)と特殊予防(予防接種、発がん要因の除去、特殊栄養、職業病の予防措置、災害・外傷防止など)の2つに区分される。

第2次予防:早期発見・即時治療(定期集団検診、感染症蔓延防止策、早期疾病治療、保健医療機関の量的充実など)と障害防止(適正医療、合併症防止、重症化防止、後遺症防止、医療機関の質的充実など)の2つに区分される。

第3次予防:リハビリテーション(機能回復訓練、作業療法、雇用促進、QOLの低下防止など)をいう。

 かつて予防とは第2次予防を指してきたが、今日では、第1次予防が狭義の予防とされ、治療医学が関与する部分の多い第2次、第3次の予防は広義の予防とされている。

1−3 健康の概念とその行政的展開

 健康とは如何なる状態をさすのかについては、周知のWHO憲章(1948年)に宣言された「健康とは、肉体的、精神的ならびに社会的に完全な状態をいうのであって、単に疾病あるいは虚弱でないということではない」が、近代的健康観として広く受け入れられてきた。さらに1999年にWHOでは半世紀振りに健康の定義を改めて“Health is a dynamic state of complete physical, metal, spiritual and social well-being ----”と、アンダラインの部分を新しく加えた。特にspiritual (霊的)とは適切な日本語訳が見当たらないが、人生の価値観、生きている意味に係わることと考えられる。特に人生の終末に近づいた人にとって、自らを許すこと、他の人々との和解、価値観の確認などに関連していることが多い。WHO憲章では、また「及ぶかぎり最高の健康水準を享受することは、人間の基本的人権である」としている。わが国の憲法第25条では、国は国民の健康に対して責任を負うものとし、WHOの主旨に同調したものである。

 わが国における国民の健康づくりの総合的対策については、生涯を通じる健康づくりの推進と、この3要素とされる栄養、運動、休養による健康増進事業の推進を目的とする国民健康づくり対策が実施されてきた。

 第1次国民健康づくり対策(1978年):
  目標:本格的な長寿社会の到来に備え、明るく活力ある社会の構築

 第2次国民健康づくり対策(1988年)−「アクティブ80ヘルスプラン」:
  人生80年時代を迎えて、単に寿命を延ばすだけでなく、80年間をいかに有意義に生きるかという質の問題の重視

 第3次国民健康づくり対策(2000年)−「健康日本21」:
  生活習慣病について「糖尿病等が原因で亡くなった場合」、「糖尿病で亡くなった」等と病名で考えるが、本来は、運動不足や食生活等の不適切な生活習慣により命を落としたと考えるべきであると、病気に対する認識を改める必要性を示した。そして「健康日本21」では、病気の第1次予防の重視と高度な生活の質の確保が重要とす
  る観点に基づき、2010年度を目標年度として2000年度から実施する予定で、目標値を定めて国民の健康づくりを目指す施策を企画検討中である。

 国際的には、第30回WHO総会(1977年)においてH. Mahler事務局長による「2000年までに全ての人々に健康を(HFA/2000: Health For All by 2000)」の提言があまりにも有名である。

1−4 公衆衛生学の主要な領域

 公衆衛生学のコアとなる学術的専門領域としては、疫学と環境保健学とが最重点領域にあげられる。疫学は公衆衛生学の独特な技法として生まれ発展してきた分野であり、集団に見られる健康現象を解析し、その規則性を見出し、成立要因を明らかにして集団(社会)対応を考えるための技法である。

 近代に入って、疫学の方法論が原因不明の疾病の流行を防止するのに有効であることを初めて明示した研究は、John Snow(1849年)による「コレラ流行の様式について」であった。ロンドン市におけるコレラの流行が患者の発生分布、時期、飲料水の特徴を解析して、ある井戸水の汚染によると推論し、その井戸を閉鎖することによって流行を防止した研究である。Kochがコレラ菌を発見する30年も以前のことである。原因となる病原体が不明な疾患でも、疫学はその疾患の流行を防止できることを明らかにした。

 戦後、わが国では水俣病、イタイイタイ病、および四日市喘息をはじめ各地で多発した大気汚染系呼吸器疾患等のいわゆる「公害病」と環境汚染との関連性について、いくつかの条件を満たす相関関係を認めるならば、両者に因果関係ありとする主張が法曹界で認められたことによって疫学的研究が一躍有名になった。いくつかの条件を満たす相関関係については先に米国における肺がんと喫煙の因果関係を判断する当り、原則として@相関に一貫性がある(consistency of the association)、A相関が強い(strength of the association)、B相関が特異である(specificity of the association)、C相関に時間的関係(結果より原因が常に先攻する)がある(temporal relationship of the association)、D相関に整合性がある(coherence of the association)の五つの相関関係が成立すれば、因果関係ありと認めるとし、疫学的研究の結果から肺がんの原因が喫煙にあるとした評価の仕方を做ったものである。

 環境保健学は、人の健康と生存環境(生活環境と労働環境)との相互関連を究明し、生存環境中の物理的、化学的、生物的、および社会的要因が健康に如何なる影響を与えるか、またその場合に人間(宿主)側の遺伝的、身体的、精神的な諸要因によっても影響の程度が異なることを明らかにする一方、人間の活動が環境に大きな影響を与え、こうした影響を受けて変貌した環境の諸要因が再び人間の健康に影響を与えるといった相互関連を究明しようとする学術である。

 先に埼玉県で開催されたWHO公衆衛生サミットにおいて採択された宣言「21世紀を見通した公衆衛生活動の新しいアクション・プログラム12項目」のうち、3分の1が環境問題で占められたほど、環境保健学は公衆衛生学の主要な領域となっている。

2.環境保健学の社会的役割

2−1 環境汚染問題研究の社会的役割

 第2次大戦に敗れて全てを焼土と化したわが国の復興は、経済の復興が優先され、環境保全への配慮が乏しかった。1950年代から1960年代における飛躍的経済成長(第1次高度成長)に伴って、大都市と工業先進地区における環境汚染は甚だしく悪化した。環境汚染下では動植物、特に農作物や樹木に可視被害が広範囲に認められ、住民への健康被害が危惧されて、公害防止運動が各地で引き起されるようになった。しかし、当時は未だ、殆どの企業は環境汚染問題を軽視し続け、積極的な環境汚染防止対策を講じようとはしなかった。地域格差の是正を図る目的で進められた新産業都市計画も、工業後進地方における経済主軸の開発だったために環境汚染を全国各地に一層広げる結果となった。

 一方、行政も、国では各省庁間、また地方では部局間等において環境汚染問題への対応・方針が異なり、地域の環境汚染問題を直視することなく、時が過ぎるに従って公害防止運動の沈静化を待つかの如き感すら与えた。いきおい、汚染環境下にある住民側は公衆衛生学、特に環境保健学の研究成果に大きな期待を寄せることになった。

 環境汚染の研究について、わが国の社会医学関連学会のなかで、最大規模の学会である日本公衆衛生学会の総会において発表されてきた一般講演から年代別に推移すると、演題総数に占める環境汚染研究の演題数の割合は、1950年代前半2.1%、50年代後半5.3%、1960年代には前半、後半とも7.3%に増加し、1970年代前半には、なんと演題総数の24.1%を占めるに至った、環境汚染問題は公衆衛生学の最も重要かつ緊急な課題と、多くの学会員が認識していたことを示すものである。国では公害関係法制の抜本的整備を図るための、いわゆる「公害国会」が、1970年11月末に開催されて今日の公害規制の骨格が形成され、その翌年には環境庁が発足した。環境汚染問題の研究はこうした積極的環境行政対応を打出すことに大いに貢献したと評価される。日本公衆衛生学会における環境汚染研究の演題数も、1970年代後半には減少し、総演題数の21.2%、以後は漸減して今日に至っている。筆者が専攻する分野の一つである大気汚染問題について、同様に公衆衛生学会総会における一般演題の中から大気汚染研究の演題内容を顧みて、科学技術的な進歩の面における評価と、その社会的役割の一端に触れたい。

 新産業都市建設をはじめとする地域開発が全国各地で推進された時期である1960年代前半には、当然ながら全国各地の地域汚染度の調査報告が急増した。だが、採用している汚染度の測定法は学術的には質的に甚だ貧弱であった。60年代後半になって、測定法、さらに気象・拡散分野の研究も多数の報告がみられ、地域汚染度を把握する技術として質的にも高く、充実してきた。一方、大気汚染による健康影響に関する研究は、1970年前半に最多の報告がみられるが、疫学的研究手法の面からは質的に低い横断調査が多く、また採用している集団の健康状態を評価する検診法自体も、臨床医学的に比較的質の高い方法によるものも一部の研究にはあったが、大部分は精度の低い検査法を用いていた。動物実験による研究手法に関しても、生体の健康影響の解析に活用にできるものは極めて少なかった。さらに疫学的研究に欠かせない対象地域の環境汚染度として用いるパラメータが、この時期の理工学技術水準からみれば10年ほども後退した極めて低水準のものであった。従って、幾つかの有名な公害裁判において法曹界で認められた疫学的研究成果は、被告側が承認し難いものとして、いつまでも不信を払い切れずに残すこととなった。つまり、環境保健学は関連する科学領域によるその時代、その時代の最先端技術を導入し、駆使した学際的研究が欠けていたと指摘できる。残念乍ら、こうした研究面にみられた弱体は、20年経った現在でも、あまり改められていないように思われてならない。

 いまや、環境保健学は地球規模の環境悪化問題を含め、環境汚染による健康影響を生起させないような環境の保全について、住民、行政、そして産業界からも科学・技術面における指導を求められている。

 環境に対する環境保健学的判断を下すための重要な根拠となるものは、人の健康に対する環境中に存在する有害要因(いま緊急の問題は有害化学物質)のリスクアセスメントであろう。リスクアセスメントとは、基本的に(@ある化学物質が人間に対して有害性を有するか否かを明らかにし、Aもし有害性を有するならば、現在あるいは将来にわたって予測される暴露量下における人間(集団)の健康に対する影響の発生確率を推測する評価作業と定義される。リスクアセスメントは定量的作業であると同時に、未然防止の観点から特に必要となる予測的作業であることが重要な点である。

 しかし、現状の科学・技術ではリスクを推定するリスクアセスメントには大きな不確実性が含まれ、得られたリスクの値にある種の不信があるのも事実である。閾値(悪影響を来さない摂取または暴露レべル)の存在する化学物質についてのリスクアセスメントには何らの問題もないが、いまの課題とされている閾値がない発がん物質や用量一反応関係が従来のモデルにフィットしない内分泌攪乱化学物質のリスクアセスメントには、上述のような不確実性がある。

 発がんを引き起こす危険率がどの程度ならば、国民が許容できるかは、すでに自然科学の問題ではなく、政策的判断、ひいては国民の判断の問題である。環境保健学は国民に共通の情報を提供して、判断を仰ぐことであろう。環境保健学は国民へのリスク情報の提供にあたり、従来みられた一方通行的な「リスクメッセージ」ではなく、情報発信者(行政、企業、専門家など)と受信者(国民)との相互理解を深め、相互の情報交換「リスクコミュニケーション」による協調関係の構築に大きく寄与せねばならない。

 現在、欧米では発がんの生涯リスクを10-6〜10-5の場合には、実質的に安全とみなしている。例えば、発がんの生涯リスクが10-6とは、ある人がある濃度の化学物質を一生涯摂取したときの発がんの確率が100万人に1人という確率におきかえられる。従って、日本の人口が約1億2,650万人(108)、平均寿命が80歳とすると、この化学物質による1年間の過剰発がん患者数は

 1.26×108×10-6/80=1.57

すなわち、1年間に約1.57人となる。10-5ならば、1年間に15.7人の発がん増加となるわけである。

 わが国では多くの発がん実験が行われているが、量・反応アセスメントを行うことを意識した実験は数えるほどしかない。その遅れは明らかであり、急がねばならない。

2−2 感染症予防に関する研究の社会的役割

 生活環境中の生物学的要因(病原性微生物)による健康影響(感染症の発症と流行)を究明し、これを予防する科学・技術も再び環境保健学の重要な課題となっている。

 1980年、WHOは地球上から天然痘を根絶したことを宣言した。そして、引き続くポリオの根絶へと取り組みを強化した時、感染症は近い将来克服されるかと思われた。

 ところがその後に、これまで知られていなかった感染症(新興感染症)が、この20年間に20種類以上も出現し、さらに近い将来克服されると考えられていた結核などの古い感染症が再び猛威を振るい始めていること(再興感染症)が明らかになった。WHOでは1996年の報告において「今や地球的な規模で感染症による危機に瀕している。もはや、どこの国も安全ではない」と警告を発するに至った。

 一体、どうしてこのような状況が生じたのだろうか。

 人間と病原体との共存を可能とする生態学的平衡が、自然環境や社会の変化などによって崩れ、病原体が優位に立つ状況が出現したことを意味する。疫学的見解からは、次の3の要因が考える。

 原因の第一は、世界各地の自然開発などによって、熱帯雨林の奥深くに生息していた危険なウイルスと人間が出会う機会が増大した。

 第二は、交通機関の発達に伴う国際交流の増大(国際化時代)によって、かつては限局された地域の感染症に過ぎなかったものが、容易に国境を越えて地球規模で移動するようになった。

 わが国においても、かつて見られなかった様々な感染症が、海外旅行者や輸入動物などを通じて世界各地から持ち込まれる(輸入感染症)危険性は常にあり、現にこうした事例が増加している。わが国だけでも海外旅行者は年間1600万人にものぼる時代であることを認識すべきである。

 第三の原因は、薬剤耐性菌に代表されるように、科学技術の進歩自体が新たな感染症の出現を促す可能性を作り出していることである。不適切な治療から生じる薬剤耐性菌もあって、医療従事者をはじめ患者やその周囲の人々を含めて、人間の感染症に対するおごりによるとも言える。

 各種の抗菌剤の開発が感染症の治療に画期的な進歩をもたらした結果、細菌感染症はもはや人類にとって脅威ではなくなったと考えるに至った。しかし、それは誤りであった。細菌は変異を通じて抗菌薬に対する耐性を次々に獲得していき、新たな抗菌薬の開発は、更なる耐性菌を生んでいった。その結果、例えばMRSA(メチシリン耐性黄色ぶどう球菌)のような、多くの抗菌薬が効かない薬剤耐性菌を出現させてしまった。このMRSAの犠牲者の多くは、主に病院に入院している抵抗力の弱い人々であった。

 結核について言えば、いまや地球的規模で蔓延し、世界全体では1年間に約800万人の結核患者が発生し、死者は1995年に310万人にのぼっている。主なる要因は、開発途上国における人口の急増とエイズの流行とされる。前者は栄養の不良で抵抗力の弱い者が増加したこと、後者はHIV感染により免疫機能の低下者が増加しているためとされる。

 わが国においても、結核は1970年代末頃から罹患率(新患者発症率)の低下が鈍化し、1997年には43年振りに増加へと転じた。最近の疫学的特徴は、高齢者に患者が増える「結核の再燃」と呼ばれる状況のほか、いわゆる社会的弱者(住所不定者、日雇い労働者、テント生活者など)に患者の増加をみる。また自然感染率の低下による未感染者が増えて結核集団感染の危険が高まり、事実、小・中学校・高校での集団感染事例が多く報告され、1996年以降は病院・施設や事務所などの成人集団に感染発生事例が目立ってきた。

 一方、わが国にみられた新興感染症で、もっとも大きな社会問題となったものは、1996年に全国各地で猛威を振るった腸管出血性大腸菌O157感染症の流行である。なかでも同年7月から8月にかけて堺市で起きた大規模な集団発生(患者数5,727名、入院患者805名、死者3名)は、これまでの感染症防疫体制を抜本的見直しの必要性に迫られた。

 この流行事件は、例年とは異なり5月に岡山県で、6月には岐阜市と新見市で、いずれも300名を超すO157感染症の集団発生があったにも拘らず、国および地方行政をはじめ保健医療従事者も含め、住民全体が感染症に対する警戒意識の甚だ希薄であったことによる危機管理の甘さに最大の問題があったと考える。予測を遥かに上回る初期患者数の発生による医療機関の混乱、患者が多発した学校側の困惑、初期における堺市の対応の拙さ、衛生所管部と教育委員会のタテ割り組織の弊害、情報管理(迅速な情報の収集と分析、そして情報の提供)の不備等々が指摘された。

 感染症対策の見直しを検討する目的で、公衆衛生審議会は伝染病予防部会に基本問題検討小委員会を設置し、公衆衛生学会をはじめ広く関連諸学・協会の意見を求めながら、20回近い審議を全面公開で開催し、審議の動向を国民に見守られながら検討を進めた。こうして「新しい時代の感染症対策についての報告書」がまとめられ、公衆衛生審議会は、この報告書を適切と承認した上で、今後の検討に当っての追加意見を併せて厚生省に所要の施策の推進を努められたいとした(1997年12月)。

 感染症対策は、1897年に制定された伝染病予防法に基づき、100年間にわって諸施策を講じてきたが、1998年10月に「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」および「検疫法および狂犬病の一部を改正する法律(以下感染症新法)を公布し、伝染病予防法、性病予防法、およびエイズ予防法を廃止することになった。なお注目すべきは本法の施行に当り、政府は過去における社会防衛中心の政策から感染症予防と患者等の人権尊重との両立を基準とする新しい感染症政策へと転換しようとするものであること深く認識して施策を実施すべきであるとする衆議院厚生委員会の付帯決議を受けて、本法は異例の前文を付いた法律が制定されたことである。感染症新法は、現代における感染症の脅威と感染症を取り巻く状況の変化を踏まえ、感染症の発生、拡大に備えた事前対応型行政へと再構築され、1999年4月から施行されている。

 公衆衛生学会の感染症対策委員会(委員長:筆者)における論議では、感染症新法は評価できるが、その目的達成のためには、今後に講じなければならぬ施策も少なくないとしている。ために公衆衛生学は、感染症新法の施行後における本法の効果に関する追跡研究と、現社会に適応時において生じるであろう施策面の問題等を今後も引続き厳しく追究し、得られた科学的知見を理解し易い情報になおして広く国民へ迅速に提供していく社会的役割があると考える。

3.おわりに

 医学分野のなかで、公衆衛生学ほど、社会のヘルスニーズに応えて新しい課題に挑戦し、新しい領域を拓いてきた医学部門は、ほかにないであろう。近年に取込んだ課題の主なる例をあげても、人の肥満化の要因解析と対策、生活習慣と健康との関係、また生活習慣病の予防、新しい各種の労働環境や労働条件に起因する健康影響問題、快適職場環境づくりの推進方策、高齢者の保健・医療・福祉問題、新興・再興感染症の予防方策、地球環境問題、そして内分泌撹乱科学物質による環境汚染問題等々、時代と共に公衆衛生学の研究活動領域は益々拡がる一方で、いずれの課題も火急と思われるものが、実に広範囲かつ多彩に続々と登場してくる。

 その都度、公衆衛生学は、これらの課題に対して公衆衛生学的アプローチから調査研究活動を介して公衆衛生学的判断を下し、政策的対応を勧告してきた。また国民に対しても行動規範の根拠となるものを提供することに務めてきた。しかし、学術に関する公衆衛生学の力量不足によって、行政にも、国民にも十分納得されるまでに至らなかったものが、少なくなかったかと思われる。こうした点で、公衆衛生学は社会的役割を十分に果たしてきたというには、ほど遠いものがあると考える。公衆衛生学の研究は、自然科学の諸分野の研究者から多くの学術を取り込み応用して新しい公衆衛生学的技法を生み育てねばならないことを知ると同時に、一般の人々をはじめ、行政や企業の関係者との深い関わり合いをもって公衆衛生活動を展開しなければ、社会的に十分な役割を果たしえないことを銘記させられる。

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生命倫理について

第七部 柳澤 信夫

 過去30年の生命科学(life sciences)の進歩には極めて著しいものがある。ゲノム(遺伝子を構成する物質単位)の発見、同定の作業から、不治の病態に陥った身体器官の取り換え(臓器移植)や精神活動に作用する各種薬物の開発まで、分子、細胞、器官、個体の種々のレベルでヒトに働きかけて、それを変え、あるいは生物としての変化を予測させる技術、情報が数多く確立された。

 これらの技術や情報は基本的に基礎科学の発展とその応用の成果であり、疾患の治療を目的に開発されたものであるが、知識の拡大を目的とした純粋科学の成果としての側面も持っ。そしてそれらの知見は、疾病や老化など生物学的なハンディキャップの克服という、人類にとって問題なしに利益をもたらすものである一方、種々な利用の可能性を有し、個人や社会の福祉、利益を冒す危険性もあわせ持つ、いわば両刃の剣である。学術会議はこれらの学術の成果が人々の利益に合致して正しく用いられるための基準や規範を作成する使命を有すると考えられる。ここでは近年社会的に議論の多い、医療行為および生命科学のトピックスのいくつかについて問題点を指摘したい。

1.遺伝子診断

 遺伝子診断は単一遺伝子の変異によって疾患が発病する遺伝子病において、発病後の診断目的および発病前の家族の異常遺伝子の検索により将来の発病可能性を判断するために行われる。疾患が治療可能な場合、さらに進んでは酵素欠損に対する食餌療法や酵素補充によって発病が予防出来る疾患の場合は、極めて有用な医療行為である。一方治療困難な疾患における家族の遺伝子診断および受精した胚の着床前診断については配慮すべき問題点が存在する。

 治療困難な疾患の典型としてHuntington舞踏病がある。この疾患は正常の発育ののち成人に発症し、運動障害と痴呆が進行して約10年の経過で死亡する常染色体優性遺伝の疾患である。第6染色体に遺伝子座が存在し、異常遺伝子があればほとんどの場合発病する滲透率の高い疾患である。本疾患についてはカナダにおいて特殊な薬物による発病前の症状誘発試験によって陽性未発病者が自殺したエピソード以来、専門家は発病前診断には極めて慎重な態度を取り続けてきた。しかし遺伝子診断が技術的に容易となり、また家族に希望者が現れたことから、国際的な専門医および患者の会の設定した基準として、・対象者がHuntington病の家系である、・成人で充分な判断力を有する、・自発的に診断を希望する、・結果は本人のみに通知する、・診断後のカウンセリング体制が確立しているなどの条件下に遺伝子診断が行われるようになった。これらは現在守るべき基本的な基準であるが、それでも世界で遺伝子診断を実施された約4500名のうち1%に自殺、自殺未遂、精神障害を生じている。

 以上のように遺伝子診断は難しい問題点を有するが、現在方法の確立に伴って商業的に行われるようになり、米国ではその結果に基づく解雇や保険加入の拒否などが現実に起きている。

 遺伝子診断のための法的整備の根拠として、ユネスコによる「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」があり、これに基づいて当事者の主体的な意志により、人権を充分に保護しておこなわれなければならない。そのために国内法の整備がいそがれる。

2.着床前診断

 遺伝子診断については、基本的に本人に対する充分なインフォームドコンセントに基づいて行うべきであり、保護者が代って決定権を持つ場合は本人の利益が充分に守られるための条件を満たす必要がある。

 近年日本産科婦人科学会は「着床前診断に関する見解」を発表した。同学会は昭和58年10月の会合に基づき、不妊治療として体外受精・胚移植を実施してきた。その歴史的成果としての技術の進歩を背景に、重篤な遺伝子疾患に対する受精卵(胚)の着床前診断の実施を認めるとしたものである。

 本診断の問題点は、ヒトの生命は受精の瞬間にはじまるという世界的合意によれば、重篤な遺伝性疾患の遺伝子を有する生命の利益を誰がどのように守るという、従来になかった新たな課題が提起されたことにある。日本産科婦人科学会は関連諸学会の意見を聴取した上で上記の見解を表明したが、技術的にも倫理的にも検討すべき課題が多く残されている。

3.ヒトゲノム計画とクローン技術

 遺伝子診断のほかに、ヒトにおける遺伝子情報の利用は、科学技術会議における平成12年度科学技術振興に関する重点指針(11科技会第104号、平成11年6月29日)および内閣総理大臣によるミレニアムプロジェクト(平成11年10月19日)において重視されている。これらの研究計画においては、疾患関連遺伝子の発見とその治療への応用、産業における利用が主目的とされる。

 遺伝子多型の測定が個人毎の薬物代謝能や疾患のリスクヘの寄与度などきめこまかい健康維持法に利用し得る可能性がある一方で、留意すべき点もいくつか存在する。

 その主なものに遺伝子計測に関するインフォームドコンセントの取得法と、遺伝子の生体における意義をあらかじめ予測することの困難さがある。

 成人病の多数を占める生活習慣病の危険因子としての遺伝子は、多数の一般人に対して計測されなければならない。これは一般に疫学研究で得られた資料について行われるものであり、知見の蓄積とともに当初に得たインフォームドコンセントの範囲を越えた遺伝子の検索が必要とされることが少なくない。これらの貴重な資料の取り扱いには社会的同意を必要とするが、そのための指針は学問的に定め、社会の認知を得なければならない。

 近年の遺伝子検索の進歩は、ヒトの一生が健康状態から知能、社会的能力に至るまで遺伝子によって決められるかの如き印象を一般に与えつつある。ヒトの個体は細胞、組織、臓器と異なるレベルの要素から成り立つ。細胞代謝は基本的に遺伝子によってコントロールされるが、現在の遺伝子(gene)は、従来の理解の如く、親から伝えられる固定されたもののみでなく、生活の中で外環境や内環境の刺激によって形成あるいは修飾されるものを含む。そして、限られた一部の遺伝性疾患を除いて大多数の人々が罹患する生活習慣病は多因子性であり、食生活を含む環境因子の影響が大きい。

 さらに単一遺伝子による、発病の確率(滲透率)が高い遺伝性疾患においても、発病年齢、経過、患者の生きがいは種々である。近年の生命科学における遺伝子、分子機構の重視が、ヒトの一生の多様性と主体性を軽視する傾向を生じていることに留意する必要がある。

4.脳死体臓器移植

 1968年8月旭川医大において日本初の“脳死心臓移植”が実施された。その後1999年までの30年間、技術の進歩と医療従事者の意欲にもかかわらず、文明国でただ一国脳死体臓器移植がおこなわれず、周囲の義援金を得て、移植臓器が不足する外国に出かけて臓器移植を受け、しかもそれをメディアが美談として報ずるという奇妙な状況が続いた。

 1992年1月、臨時脳死および臓器移植調査会(脳死臨調)が脳死を「人の死」とすることを認め、一定の条件下で脳死体からの臓器移植を認めることを内容とする答申を総理大臣に提出した。それをうけて実務面の指針を作成したのち“臓器移植法”が成立し、1999年ようやく、しかし続けて複数の脳死体からの臓器移植が我が国で実施された。

 その際も脳死判定の本質と離れた手続き上の問題点がいくつか指摘され、我が国における脳死判定の不馴れさが示された。元来脳死の判定にあいまいさや困難はない。判定条件を満たすか否かの判断にいささかでもあいまいさがある状態は脳死とは判定されないという極めて明確な医学的判断がある。脳死判定や臓器移植の技術に問題がない。それにもかかわらず我が国においてなぜ脳死体からの臓器移植に社会的な制約があるのだろうか。その原因としては、西洋と死生感が異なることと、当時者の判断を尊重する真の民主主義が存在しないことが指摘出来よう。脳死臨調の少数意見においても、当事者の意志を尊重することにより脳死臓器移植は認められている。この個人の意志を主張し、それを尊重する習慣のなさが脳死臓器移植の議論にも存在することは日本の特徴として外国からも指摘されている。(E.A.Feldman、1994)。

 一方フランスにおいて1976、1994年に制定された脳死の判定基準は、“臨床的な基準”によるとして、心臓死の場合とほぼ同じ簡単な記述であり、また臓器の提供は本人の生前の明確な拒絶の意志がなければ提供されるという、我が国とは全く対照的な法律によって臓器移植がおこなわれている。

 我が国における医師、医療に対するメディアの不信の基がどこにあるかについての充分な検証も必要であろう。

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日本学術会議の社会的役割
 −『日本学術会議50年史』を手掛かりに−

第3部会員 加藤幸三郎

1)はじめに−問題の限定−

@「年表」作成の企図と制約
 基本的には、『50年史』は「現代的視点」から作成するという点が前「50年史編集準備委員会」以降確認されていたと考える。勿論「現代的視点」とはいっても、その内容は如何にと問われれば、各人各様といえようが、少なくともその時点の置かれていた日本学術会議の姿を踏まえてと言うことになろう。

 ただ、『50年史』「発刊にあたって」の中で吉川弘之日本学術会議50年史編集委員会委員長が記しておられるように、「編集委員会における議論を通じて、各委員の心の中では、過去における役割と未来におけるその意味とが或る形をとっているにも拘わらず、それを歴史の解釈として語るだけの共通の言葉が成熟していないことがあきらか」になったために「年表」形式に留めざるをえなかったことを指摘されている。と同時に、編集責任者としては、「年表形式」をとろうとも、一定の筋というべきか、複数の筋ともいうべきか、読者の一人一人が「読み込み」をして欲しいと念願したわけである。

A「年表」の多面性
 同時に、上記のような複数の「読み込み」が仮に可能だとすると、少なくとも「年表」は「多面性」をもつこととなろう。しかし、それは、例えばひとつの「歴史的事象」の「解釈の相違」かもしれないし、あるいは「歴史的事象」に対する「価値評価」の差異なのかもしれない。ただ、私としては、日本学術会議(会員)の性格の多様性からしても、さらに言えば、人文・社会科学と自然科学における性格の差異からしても「多面性」が生じてくるものと考えたい。

2)時期区分と課題設定

@「前史」と日本学術会議の創設
 簡略に、「前史」を辿れば、東京学士会院(明12)創立、{「万国学士院連合会」より勧誘(明38)}−帝国学士院(明39)成立、学術研究会議(大9)設立と   いう歴史を持つ。なお、留意すべきは終戦直後(19月)における次のような学術研究会議の建議=反省であろう。
 「今ヤ国民スベテノ熱願トナリツツアル国運再建ノ目的ヲー日モ速ニ達成スル為メニハ何ヨリモ先ヅ科学ヲ徹底的ニ振興スルト共ニ真理ヲ愛スル精神ヲ国民全般ノ脳裡ニ浸透セシムルヲ要シ、此際科学者ニ課セラレタ責務極メテ重且人ナルモノト言ハザルルベカラズ。然レドモ科学者ヲシテコノ重大ナル責務ヲ十分果サシムル為メニハ−−−戦時中ノ所謂「科学技術」振興トハ全ク異リタル意味ニ於テ−−−全国各方面ノ科学力ヲ結集シテ(1)科学行政ノ合理化 (2)研究協力関係ノ整備 (3)教育科学ノ徹底 (4)国際的智的協力ノ促進 (5)科学者ノ政治ニ対スル発言権ノ強化等ヲ1日モ速カニ実現スルノ要アリ」と(『25年史』262頁)。

  なお、「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明」でも「この機会にわれわれは、これまでのわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し、今後は、科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓うものである」(『続10年史』4頁)とうたわれている。

Aたとえば、「会員選出制度」を基準にして考えてみると以下の諸点が注目されよう。

 つまり第13期以降、「投票制度」から「推薦制度」へと「会員選出制度」が大きく変更を余儀なくされるのであるが、的確な数字で示すことは出来ないものの、@総会における会員の着席場所、A総会における会員の出席状況、B会員の勤務先・所属機関の関東・関西の二極(分解)集中、C会員の平均年齢の高齢化など、端的な変化に看取されるのである。

Bつまり上記のように「日本学術会議法の一部を改正する法律」が1983年11月28日に成立し、創立後35年足らずで大幅な組織改編を蒙ったのであって、さしあたり第12期以前とそれ以後に大別できよう。また、第8期以降、日本学士院の旧庁舎から現在の庁舎に移っているので、第12期以前を創立〜第7期、第8期〜第12期と小区分することとしたい。

C現在、「日本学術会議」の将来にも関わって、いわゆる「改革案」が会員相互間で検討・審議されているが、さしあたり「起草委員会」の「論点整理」のなかでも、「日本学術会議の在り方」が記述されているので是非注目しておきたい。

3)具体的活動とその特質(主に『続十年史』の(要約)部分による)
  
@創立〜第7期(1949・01〜1969・01)
 @)第1期(昭和24年1月20日〜昭和26年1月19日):「文化財保護法制定について」(勧告)、ライ研究所・温泉研究所・湯川秀樹博士ノーベル受賞記念の国家的事業についても勧告。所謂「レッド・パージ」についても関心を払い、国際的にも朝鮮半島の緊張が高まるなかで「戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わない」(声明)発表。仁科副会長提案「原子力に対する国際管理の確立の要請」、「学問思想の自由ための講演会」を始めて開催。

 また国際交流推進のため、ICSU総会(コペンハーゲン)へGHQの援助もあって仁科副会長出席。またにNAS(アメリカ科学アカデミー)による会長・副会長・   各部長の招待で民間航空がないため、米軍用機や輸送船で訪米した。

 A)第2期(昭和26年1月20日〜昭和29年1月19日):サンフランシスコ条約締結・占領解除となったが、この条約には賛否両論あり、度々声明等の提案あったが、結局意思表示はなされなかった。この前後、周知のように戦後復興期のなかで「科学者の生活擁護」のために訴え、また委員会も設置されたが、世論の高まりの中で大学教授などの待遇は次第に改善され、後には「研究公務員」全体の待遇改善に取り組むこととなった。また「科学知識の普及」にも努力を重ねた。

 「原子核研究所の設立」・「反射望遠鏡の設置」の同時申入れもなされ、両者ともに実現をみるが、いずれも基礎科学の推進のための礎石として、その後の日本における原子核研究・天文学研究に大きく寄与した。前者が提案される1年前、日本でも独自に原子力研究を推進すべきだとする意見が出されたが、当時は広島・長崎の経験が重く人々の頭の上に覆い被さっており、一方で「核兵器」の国際協定が成立しないという事情もあって、政府への勧告は時期尚早として見送られた。

 もう一つ重要な事件は、当時の吉田内閣が、日本学術会議の民間移管、或いは文部省移管を考えていることが伝えられ、内部での熱心な討議を経て、1953年11月政府に「要望」が提出された。

 B)第3期(昭和29年1月20日〜昭和32年1月19日):日本学術会議にとって、いろいろな意味で重要な時期であった。原子力平和利用の「3原則」を柱とした「歴史に残る法律(原子力基本法)」が学術会議の勧告のよってうまれた。すでに原子力の平和利用については、1952年秋に茅・伏見提案がおこなわれたが、これに基ずいて設置された委員会が結論を纏めないうちに有名な「中曽根発言」があって、1954年3月その予算の計上が認められた。ところが、殆ど同じ時点で、ビキニの水爆実験があり、第5福龍丸が被爆した。この二つの事件に対し、一方では、「原子兵器の廃棄と原子力の有効な国際管理の確立を望む声明」が、世界の科学者・科学者組織への協力を訴える形で出されるのと時を同じくして、「原子力の研究と利用に関し公開、民主、自主の原則を要求する声明」(1950・12・19)が出された。また、「長期研究計画調査委員会」が設置された。これも「吉田発言」が一因とはいえ、従来の学術会議がただ政府の施策批判を行うばかりではその使命に背くと考え、自ら「研究計画」についての提案をつくるべきだというのである。この委員会の積極的な努力の結果、多くの「勧告」が提案されたが、特に「基礎科学振興の五要綱」(要望)はその後の研究体制検討の際の一つの基準となった。

 C)第4期(昭和32年1月20日〜昭和35年1月19日):引き続き「原子力問題」特に原子炉の安全性が熱心に議論され、「核実験反対」の声明や「国立公文書館の設立」、数理科学研究所・プラズマ研究所の設立についても勧告が行われた。さらに重要な議題としては、「科学技術会議設置」をめぐる問題であった。1958年9月の「科学技術会議設置法案」に関する閣議了解に、「1.科学技術会議においては、関係行政機関の専管に属する事項のみを対象としては、審議を行わないこと 2.科学技術会議の運営当あたっては、大学の学問研究の自由を尊重すること」、さらに同年12月の衆議院、翌年2月参議院の決議では、いずれも会議の運営にあたり、「1.基礎研究を重視すること、2.学問研究の自由を確保すること」という付帯決議がつけられた。

 1959年4月、日本学術会議創立10周年行事おこなわれ、「政府と学術会議との関係について、両者の自省を求めた」挨拶が行われた。また、学術会議独自の会館を持つべきだとする意見が強まり、「会館建設」の委員会がつくられ、現庁舎への建設が推進された。

 D)第5期(昭和35年1月20日〜昭和38年1月19日):まず、前述のように、「科学技術会議設置法」の中に「人文科学のみに係るものを除く」という但し書きがあったため、人文・社会科学関係者のなかに危機感が生まれ、1960年10月に「人文・社会科学振興特別委員会」が設置され、翌1961年4月「人文・社会科学の振興について」の勧告が、さらに科学技術会議に対する総理大臣からの第1号諮問として「10年後を目標とする科学技術振興の総合的基本方策について」(1960年6月5日付けで答申)も学術会議は検討の必要が生まれ、独自に「科学技術基本法」に対する「科学研究基本法」の制定を勧告し、同時にその内容についても勧告をおこなっている。これと前後して、周知の「日米安全保障条約」が改定されたが、科学協力の面でも特別に日米の協力が必要であるということになり、結局「科学の国際協力についての日本学術会議の見解」という声明をだして結着した。

 E)第6期(昭和38年1月20日〜昭和41年1月19日):前期の終わりに中央教育審議会による「大学管理法案」に対する危惧から「国立大学管理制度」についての勧告がだされているが、さらに政府との確執となったのは、「原子力潜水艦の寄港」問題であった。また「科学研究計画第1次5ケ年計画」を勧告、「国際生物学事業計画(IBP)」の実施が勧告されている。

 F)第7期(昭和41年1月20日〜昭和44年1月19日):前期をうけて、数学・物理・化学などの「共同利用研究機関」が以後続々と設置されてゆくが、その端緒はこの時点にあるといえよう。

A第8期〜第12期(1969・01〜1985・07)
 @)第8期(昭和44年1月20日〜昭和47年1月19日):この時期は何と言っても「大学紛争」激動の中にあった。「大学問題について」の勧告を行い、その骨子として@大学問題処理の基本は、大学自治の確立にあり、それは大学の自発性に期待すべきで外部からの規制であってはならない。A大学理念の実現のための条件整備の必要性、B研究、教育水準の維持発展、C学生は一定の方式で大学の運営に参加させる。D学内秩序は自ら守るべきであり、万一、警察力を導入しても、当然限界がある、とするものであった。が、政府は「大学の運営に関する臨時措置法案」を国会に上程したが、学術会議は異例の臨時総会を開き、この法案が大学の自主的改革を阻むもので、日本国民の将来にも悪影響を及ぼすとして撒回を求めた。なお、「1970年代の科学技術に関する小委員会」が「学術体制」・「長期研究計画」両常置委員会、「日本学術会議のあり方」特別委員会と、さらに1970年4月の総会後出発した「大学問題」特別委員会と合同で作業を行い、さらに科学技術会議(の諮問第5号)と対応しつつ、各地での「公聴会」と可能な限りの討論を行って『1970年代以降の科学・技術について』の報告を刊行した。なお、現在の庁舎に移転を完了したのは、同年7月である。

 A)第9期(昭和47年1月20日〜昭和50年1月19日):当初から「学術会議の委員会活動の要綱」を確立するために作業が開始され、審議の重点としては、「科学技術に関する基本的諸問題」としては、生命、能力、平和等を、「産業・国民生活への科学技術の反映」の面では、エネルギー、資源、物価、原子力開発などを含み、さらに特別の状況としては、「沖縄県の本土復帰」問題などをとりあげた。

  国際交流としては、「国際海洋研究10カ年計画(IDOE)」,「国際地質対比計画(IGCP)」、「国際磁気圏観測計画(MS)」に日本の参加が可能になるよう「勧告」がおこなわれ、「科学者の地位に関するユネスコの国際勧告」について協力を求められたのに対し、声明の形で運審付置ユネスコ小委員会の見解を送った。大学問題にも関連して筑波大学の運営についても憂慮を示した。なお、第9期の最後に、『日本学術会議25年史』が刊行されているが、25周年を記念しての式典には、学術会議の発足に大きな貢献をした当時のGHQ経済科学局係官ハリー・C,ケリー氏を招いて記念講演会を開き、来賓としては総理府総務長官小阪徳三郎氏、日本学士院院長和達清夫氏ら自然科学代表・人文、社会科学代表が祝辞を述べた。

 B)第10期(昭和50年1月20日〜昭和53年1月20日):前期から準備がすすめられていた「国際環境保全科学会議(HESC)」は政府の承認をうけて京都で開催された。また「科学技術会議第6号答申」に関連して、「日本学術会議の見解」を発表し、「科学者の地位問題」については、@「ユネスコ勧告」に関するもの、A婦人の地位に関するもの、B研究公務員特例法に関するもので、それぞれ以後の課題となったものが多い。ただ、これをうけて、「科学研究基本法」制定の再勧告を行ったことは注目すべきであろう。

 C)第11期(昭和53年1月20日〜昭和56年1月19日):まず「科学者憲章」(声明)の策定が特筆さるべきであろうが、「組換えDNAについて」の見解発表も注目すべきであろう。さらに「発展のための科学技術国連会議」(UNCSTD)への対応、特に米国スリーマイル・アイランド原子力発電所(TMI)事故に関する学術シンポジウム」も開催されている。

 D)第12期(昭和56年1月20日〜昭和60年7月21日):この期は周知のように、日本学術会議の改革が国会問題にまで発展したため、会期が4年半の長きにわたっている。当時の国際状況を振り返ってみると西側諸国の経済的危機(景気の停滞、失業者の増大など)が克服できず、南北問題、中東紛争、米ソ超大国間の軍事的緊張を背景とした安全保障の戦略が大きな課題であって、これらと絡み合いながら、核軍拡競争の激化と核戦争の危機とが一層深刻化した時期だったといえよう。同時に、世界的な規模での環境破壊、アフリカなどにおける飢餓問題の深刻化、そして来るべき21世紀に向けての人類の平和で豊かな未来の生存を、どのようにして確保すべきなのか、いわば、長期的見通しにたった政治・経済・科学・技術の総合的戦略が改めて見直され、問われ始めた時期でもあったのである。

  日本でも同様に、21世紀に向けての経済的安全保障構想が大平内閣以来問題なり、その一環として「臨調・行革路線」が強く打ち出されれた。他方で、従来の「輸出型中心」の日本経済の体質からして米国を始め、諸外国から「貿易摩擦」に起因する批判を受け、「内需拡大」の強い要求を付きつけられる結果となっていった。こうして、今後は日本一国の利益のみを考えるのではなく、広く海外諸国の平和や安全にも積極的に貢献してゆくためにも、改めて国内の政治・経済体制全般にわたって、改革問題が提起されるにいたったのである。特に「資源小国」である日本にとっては、その弱点をカバーするものとして、「科学技術立国」の重要性が政治の上でも重要な課題として認識されるようになったのである。

  勿論、現在日本の科学技術は、その先端において世界のトップレベルに達する分野も少なくない。しかし、技術移転に対する外国からの要請に応え、一層科学技術立国の充実を目指すためには、教育制度と並んで科学技術行政制度の改革も必須であるという声が政財官界の中で次第に強くなっていった。唯一の独立した科学技行政の審議機関である日本学術会議の改革を政府・与党が強く希望するに至ったのもこのような時代的な背景が存在したことは看過できない。

  そもそも人文・社会・自然諸科学の全てを包含し、基礎・応用両研究の調和ある発展を指向し、縦割り行政の弊害に拘束されず、科学者の代表としての立場から自由にかつ独自の立場で科学技術行政に発言できる日本学術会議の重要な意義は、政府与党もこれを否定しえない。ただ科学者が学協会から遊離し、「公選制」が形骸化しているから、これを改革して学協会の「推薦した会員」によって構成される学術会議となることを期待するというのが政府・与党の認識であった。

 このようにして、「学術会議改革問題」は政治の舞台に登場し、第12期の後半は、これをめぐって、学術会議の内外でまさに白熱的討論が展開され、創立以来まれにみる激動の時期を迎えることとなったのである。そして、拙速的な改革に深刻な危惧を抱き、十分時間をかけて慎重に審議すべきであるというのが日本学術会議の根本的立場であった。だが、諸般の政治的事情はこれを許さず、本会議の承認の得られぬままに、遂に「新法」が成立したのである。

 なお、この新法(1983年11月28日成立)に関連して、以下のように改正が行われた。

 @日本学術会議会員の選出は、従来、科学者を有権者とする直接選挙によって選出されていたが、これを学術研究団体を基礎とする推薦・任命制に改めたこと。

 A日本学術会議会員となることができる者の資格を、5年以上の研究歴を有しその分野で優れた研究又は業績がある科学者とすることに改めたこと。

 B会員候補者の資格の認定その他会員の推薦に関する事務を行わせるため、日本学術会議に日本学術会議推薦管理室を置くこととしたこと。

 C学術研究の多様化・細分化に対応するため、日本学術会議会員の部別、専門別定員は、政令で定めることに改めたこと。

 D日本学術会議の職務遂行の充実を図るため、研究連絡委員会に関する規定の整備を行ったこと。

  「参議院文教委員会の付帯決議」(特に、5、本制度について、その実施結果を踏まえた見直しのため、適当な時期に国会に報告すること)にも十分留意。

B第13期〜第17期(1985・07〜1999・07)
 @)第10期(昭和60年7月22日〜昭和63年7月21日):以上のような日本学術会議の改革が行われた後の最初の期であって、「推薦制」に変わったことなどもあって、会員の約8割が新人となった。また過去数期にわたって殆んど不変であった常置委員会についても、かなり大きな改正を行っている。なお従来の「会員選出制度」が改正になったことに伴い、日本学術会議は全国を7つの地域に分け、それぞれの地域に地区会議を置いて、日本学術会議の諸活動を地域内の科学者に周知徹底し、及び日本学術会議に対する意見・要望を汲み上げて、日本学術会議と科学者との意思疎通を図っている。さらに、これまでの「連絡学・協会」を、目的を広報活動の対象とすることに限定し、かつその資格要件を大幅に緩和した「広報協力学術団体」に改めることとした。

  今期の活動計画の重点目標を@人類の福祉・平和及び自然との係わりにおける科学の振興、A創造性豊かな基礎的研究の推進と諸科学の整合的発展、B学術研究の国際性の重視と国際的視野の確立におき、勧告として@国立代用臓器開発研究センター、A地域型研究機関(仮称)の設立について、B日本高齢社会総合研究センターの設立について、C太陽地球系エネルギー国際共同計画(STEP)の実施について、D「国立地図博物館」(仮称)の設立について、さらに「大学院の充実」、「大学における学術予算の増額について」、「大学等における学術諸分野の研究情報活動の推進について」などについて要望を発表している。また「脳死の見解をめぐって」対外報告を行い、「学術の動向の現状分析及び学術の発展の長期的動向」などについても、400ページを超える報告書「日本の学術研究動向」を発表した。

 A)第14期(昭和63年7月22日〜平成3年7月21日):前期に引続き第14期の活動計画の重点目標を@人類の福祉・平和及び自然とのかかわりを重視する学術の振興、A基礎研究の推進と諸科学の整合的発展、B国際関係の重視と国際的寄与の拡大におき、勧告として@「大学等における学術研究の推進について−研究設備等の高度化に関する緊急提言−、Aヒト・ゲノム・プロジェクトの推進について、B地球圏−生物圏国際協同研究計画(IGBP)の実施について、C創薬基礎科学研究の推進について、D大学等における人文・社会科学系の研究基盤の整備について、さらに「公文書館の拡充と公文書等の保存利用体制の確立について」の要望と「人間活動と地球環境に関する日本学術会議の見解」を発表した。

 B)第15期(平成3年7月22日〜平成6年7月21日):第15期活動計画の重点目標としては、@人類の福祉・平和・地球環境の重視、A基礎研究の推進、B学術研究の国際貢献の重視におき、勧告としては、「新しい方式の国際研究所の設立について」唯一つであるが、@超伝導大型粒子加速器(SSC)計画について、A民事判決原本について、B生物遺伝資源レポジトリー及び細胞・DNAレポジトリーの整備について、C公的機関の保有する情報の学術的利用についての「要望」と「学術分野における国際貢献についての基本的提言」、「女性科学研究者の環境改善の緊急性についての提言」のふたつを「声明」として発表している。

 C)第16期(平成6年7月22日〜平成9年7月21日):従来と異なり、発足後直ちに運営審議会で原案が作成され、「活動の視点」として@歴史的転換期における新たな展望の探求、A日本学術研究体制の方向づけ、B国際学術活動への積極的貢献をあげ、第16期活動計画の現時点の重点課題として、@21世紀に向けての新しい学術の動向、A学術研究体制の整備、B科学者の地位と社会的責任、C学術情報・資料の充実・整備、D国際学術交流・協力の推進、E高齢化社会お多面的検討、F生命科学の進展と社会的合意の形成、G学術と産業、H地球環境と人間活動、I脳の科学とこころの問題、Jアジア・太平洋地域における平和と共生、Kグローバリゼーションと社会構造の変化といったように多岐にわたる課題を設定した。そして@脳科学研究の推進について、A計算機科学研究の推進について、が勧告として、@「高度研究体制の早期確立について」、A資料の紙質劣化の対策について、B学術団体の支援について、が要望として発表された。

   なお、特記すべきことは、「自然科学」系会員を中心に第15期以来企図されていたとも伝えられているが、さらに第122回総会で審議された要望@の「高度研究体制の早期確立について」(H.7.10.25議決、10月30日に村山内閣総理大臣に手交)における「戦略的研究」をキーワードとする提案が「科学技術基本法」(1995.11成立)となって実現し、翌1996年5月の「科学技術基本計画」の策定により大きく前進したことは注目・留意せねばなるまい。

 D)第17期(平成9年7月22日〜平成12年7月21日):現代をば、「人々が、豊かさと安全を求めて努力している時代」と捉え、そのために「学術あるいは科学技術の発展が不可欠である」と言う認識にたち、例えば、環境・資源・エネルギー・食糧などの人類社会存続の基本条件についても、また紛争のない社会、社会への自由な参加、健康で快適な生活、安全な都市などの目標についても「学術の成果の利用」なしには論じられないと考える。そのためには、「学術の研究の形態、学術における領域構成、領域間の関連、研究の計画や経営の状況、研究推進の実態、学術情報の発信、国際協力などの、学問の全体的状況が最適化されていることが重要な要件となる。これらを十分に認識・把握し、問題点を抽出し、最適化の方法を提案出来るのは日本学術会議をおいてない」。それゆえに、以下三つの視点を定めて審議を行う。@多数の領域を擁する学術全体を俯瞰的に見る視点の重視、A行動規範の根拠を提供する開いた学術の構築、B日本学術会議の国内外における能動的活動の推進。なお、政府による「省庁再編(行政改革)」が推し進められているなかで、日本学術会議の存続を積極的にはかるべく、吉川会長をはじめとする「改革案」をめぐって日本学術会議内部で積極的な討議を始めている。

4)小括一残された課題と展望

 @創立時の「科学者の政治に対する発言権の強化」という初心の意味は、現時点においても十二分に留意すべきであろう。

 A第7期までに、「戦後復興期」〜「高度成長期」を経過するなかで、科学者の待遇改善要求から「原子力問題」、「核兵器廃絶」へと幅広い活動を重ね、同時に巨大研究所の創設・実現に積極的に取組んできた実績と経験をもつ点も注目したい。

 Bいわゆる「3原則」を柱とする「原子力基本法」への勧告と「基礎科学振興の五要綱」を発表していることも見逃すことが出来ない。

 C「科学技術会議」設置に対する「人文・社会科学関係者」たちの危惧と「科学研究基本法」制定への勧告。因みに、前述した今回の「科学技術基本法」が成立した折には「科学研究基本法」への取組みも要望も出されなかった点も注意すべきであろう(なお、2002年に政府の「省庁改編=行政改革」の推進に対応する「総合科学技術会議」{人文・社会科学を含む}の設置が予定されている点にも注意)。

 D国際交流への取組みと「科学者憲章」制定・「科学者の地位(女性研究者の地位)」についても、積極的に取組み、内外に発言し、その実現に向けて努力を重ねてきた点も評価されてよいであろう。

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新しい科学論の挑戦
−学術の社会的役割との関係で−

竹内 啓

1.
 20世紀は、科学や技術の上でいくつかの大きな変化、革命といってもよい変化が起こった時代であった。その中で最大のものとして、1930年代までの物理学革命、1950年代から1960年代にかけて起こった生物学革命、更に20世紀後半の科学技術上の情報革命の3つをあげることができよう。しかしその他にも科学技術上の合成科学技術の発展、医学上の抗生物質の発達などもその影響の大きさからして革命の名に値するものであったかもしれない。更に20世紀の前半にまでさかのぼれば、電気電磁電子技術の発達と、航空機の発明と発達、内燃機関の普及、或いはフォードシステムに代表される大量生産、管理技術の発達なども、社会経済的に大きな影響を与えたものとしてあげることができよう。

 しかし科学、或いはより広く学問研究一般に最も大きな影響を与えたもの、そしてその影響がなお21世紀に続くものとして上記の3つをあげることができるであろう。更にそれらを通じて「情報」という言葉を共通のキーワードとしてあげることができるというのが「20世紀の学術と新しい科学の形態・方法」特別委員会の大体の総論であった。そうしてそれは単に自然科学のみならず、社会科学、人文科学にも、或いは広い意味の技術全体にも通ずる動向を表していると言えるのである。

 19世紀末、或いは20世紀初めまで、自然科学のみならず、すべての科学のモデルはニュートン力学であった。それは宇宙のすべての現象を物質とエネルギーという二つの原理に帰着させ決定論的因果論によって説明しようとするものであった。それがいわば「科学的宇宙観」として科学研究者のみならず、一般の人々の考え方にも強い影響を与えたのである。

 20世紀科学の発展の過程を通じて起こった大きな変化は、このようないわば唯物論的因果論が揺らいだことであった。

 そこに最も大きく関わったのが「情報」の概念であり、それが人間(或いは動物)の主観的認識から独立の、いわば客観的存在として定義されるようになったことにより、それが物質とエネルギーに並ぶ宇宙の原理的構成要素と認識されるようになった。(現在の物理学における質量とエネルギーの同等性を考慮すれば「物質・エネルギー」と「情報」というべきかもしれない。)このことを明確にしたのがDNAが「遺伝情報」を担う実体であることの発見であった。遺伝情報が人間のみならず、いかなる高等生物も発生する以前から存在していた以上、それが人間の意識から独立したものであることは自明である。

 勿論情報のシステムと言えども、物理化学法則の外にあるわけではない。情報システムそのものも一つの物理的システムであり、物理化学法則に従って機能することは当然である。また情報の内容が物理化学的現象に翻訳される過程、例えば遺伝情報が生物の具体的な表現型として「実現」される過程も、物理化学的法則性に従って行われることは疑いない。従って「情報」を考慮することは、物理化学的法則以外のものを想定することを意味するわけではない。また「情報システム」の存在自体は、何らかの目的論を前提にするわけではない。「情報システム」の機能は、因果論によって直接的には説明されないような「秩序」を形成し、或いは保存することである。それについては秩序形成の目的を云々することは必要でない。ただ生物において親の特性が子に再現することは、単に生物を構成する物質の化学的性質からは直接説明できないので、遺伝情報という説明原理を必要とするようになったのである。それは惑星が太陽の周りを楕円運動することが、直接引力の法則から導くことができて、楕円運動という軌道の形を指定するような「情報」が太陽から惑星に伝えられると仮定する必要がないのとは異なっている。

2.
 「情報」概念の意味を正確に規定することは難しい。またそれが客観的「実在」であるか否かということも深く考えれば難問である。しかし量子力学の発達によって、実は「物質・エネルギー」がニュートン力学におけるような意味で「実在」と考えられるかどうかにも疑問が生まれている。少なくとも「波動関数」が実在であるかという問いには簡単には答えられない。実は「物質・エネルギー」もそれ自体が客観的実在であると考えるよりも、むしろ客観的現象を説明する一つの原理であると考えるべきであり、そうすればそれと同じ意味で「情報」も一つの説明原理であると見なすことができるのである。

 「情報」概念の本質は、それを表現している、或いは担っている物理的実体としての「記号」と、その持つ「意味」すなわちそれとは別個の物理的存在のあり方の中に表現すべきものとの二重性を持っていることにある。「情報」は「記号」のシステムと、それが表現している物理的システムとの二重構造の中に存在していると言えるのである。

 ここで、記号のシステムとそれが表現する物理的システムとの間の対応は、言葉の音とその意味との対応が(特殊のごく少数の場合を除いて)全く偶然的であること、従ってまた記号のシステム自体の持つ構造と、対象の物理的システムの構造とは、対応はしているがその対応は完全ではないこと、記号のシステムは必ずしも物理的システムの中に存在しないものをも意味し得ることを認識しておかなければならない。

 「情報」を本質的なものと考えることは、対象をどのような二重システムとして理解するかという問題を含意するが、そこから認識論上のいくつかの問題が生ずる。すなわち対応する情報システムと物理システムの関係において、どちらに主導性を認めるかによって認識論上の観点の相異が生ずる。物理システムを優先し、情報システムはその単なる反影にすぎないとするのが「模写論的唯物論」である。逆に情報システムの方に主導性を認め、物理システムはそれによっていわば作り出されると考えるのが「観念論」である。更にその間の相互作用を強調するのが「弁証法的認識論」である(その場合でも、どちらから出発するかによって「観念論的弁証法」と「唯物論的弁証法」を区別することができよう。更にその間に本質的なギャップが存在することを前提にするのがカント的認識論であると言えよう。或いは情報システムのみを重視して、物理的システムはそれを形成する道具であるに過ぎず、それ自体としてはどうでもよい存在であるというのが「ポストモダニズム」である(ドーキンスの「利己的遺伝子」論は、その一つの変種であるとも言えよう)。また情報システムと物理的システムとの間の対応が、何らかの意味で「正しい」か少なくとも「適当である」かを確めるには、情報システムの生み出した結論に基づいて取った行動が、予測された通りの結果を物理的システムの中に引き起こすかどうかを見ればよいと考えることもできる。これが広い意味の経験主義であり、或いは実践の問題である。

 この問題をもう少し別の形で提起すれば、情報システムによって形成、或いは再生される「秩序」は本来物理的システムにいわば「内在」しているものなのか、それとも情報システムが作り出すものなのか、或いは秩序は情報システムの中だけに作られるものであるのかということになる。

 私自身の立場は「唯物論」に近いので、情報システムの固有の論理の存在は認め、またそれと物理的システムとの間に矛盾が生じ得ることも強調したいが、基本的には「秩序」そのものは物理的システムに内在するものであると考えたい。しかしそのことはまた単純な因果論の否定(そこでは秩序の形成は全く偶然的なものでしかない)にも通ずることを指摘しておこう。

 哲学的な議論は別として、科学或いは学術の発展それ自体との関連で言えば、対象を上記のような二重性の形で認識することは、多くの分野で大きな影響を及ぼしつつある、或いはその可能性があることを強調したい。それは単純な物理的因果論だけでない因果論を導入することを意味する。もう少しくわしく言ってアリストテレスの言葉を借りれば、動力因のみを認めるのが物理的因果論であり、これに対して形相因をも考慮するのが情報的因果論であると言ってもよい。また別の言葉ではその作用は機縁的であるとも言える。そうして情報的システムが物理的因果システムに与える影響は、物理的システムの中の因果性を発動するきっかけを与え、そうしてそれを一定の「かたち」に向かわせるものだからである。物理的因果論においては、原則として因果関係におけるインプット−アウトプットは比例関係にあるが、情報的因果性(という表現はあまり正確ではないかもしれないが)それは比例的でない。つまり僅かなエネルギー投入によって巨大な結果を生じ得るのである。情報学が直接関係ないような分野でも、情報的作用の認識が重要にになっている。例えば環境破壊の健康影響について、最初は水銀中毒のような毒性物質が直接人体の器官を破壊することが問題であった。それにはかなり高濃度の汚染が前提となるが、水俣病の場合には水銀が魚の食物連鎖を通して蓄積されることによって起こったのであった。しかし次に問題となった多くの物質の発ガン作用については、それが染色体異常を起こし、いわば細胞の情報システムを破壊することによってガンを作り出すのであった。ここでガンは、生物体自身のエネルギーによって作られることに注意しよう。発ガン作用はそのエネルギーの作用の方向性を狂わせてしまうのである。そのことを引き起こすには直接の毒作用で生体内の器官を破壊するより遥かに低い濃度で十分である。ところが最近問題になっているいわゆるホルモン影響物質の場合にはホルモン系という情報系を破壊するのではなく、そこに誤った信号を与えて誤った情報を出させることにより、誤った生理機能を発動させてしまうのであり、そのことは極めて僅かな汚染レベルでも起こり得るのである。

3.
 ここで問題になるのは、このような「情報」概念の確立が科学或いは科学技術と社会との関係にどのような影響を及ぼしたかである。

 一面から見れば「情報」概念の確立はコンピュータを中心とした情報技術の発展の結果でもある。プログラム内蔵型(いわゆるノイマン型)のコンピュータによって初めて「情報」を操作の対象として、いわば一つの客観的存在として扱うことが可能になったのである。それまでは情報を伝達したり操作したりする場合には常に人間の関与が必要であったし、また文字や画像の形で蓄積された情報は「もの」として操作することはできなかったのである。コンピュータと情報通信技術の発達は「情報」そのものを客観的な「もの」として機械的に処理することを可能にしたわけである。

 このこと自体人間社会或いは人間生活に極めて大きな影響を与えつつある。産業革命における機械化により、人間は筋肉を用いる労働から解放されたが、いわゆる情報革命によって人間は脳を用いる労働からも解放されようとしている。勿論このことがどこまで進むかはまだ明らかではないが、しかし既にルーチン的精神労働(例えば会計計算)や、主として感覚器官を用いる労働(例えば監視作業)などからかなり大きく解放されつつある。主として頭脳的判断を必要とする労働については人工知能の開発が期待されたようには進まないことも明らかとなって、簡単に機械に取って代わることはないと思われている。しかしそれは人間の「判断」というものの過程が十分解明されていないからであることも明らかになっているので、今後それを機械化することがどこまで可能かについては、まだ明確なことは言えないが、まだ多くの可能性があることは確かである。

 人間の筋肉や脳を用いる作業が機械に置き換えられるのみならず、機械を操作することも機械が行うようになることは、極めて大きな影響をもたらすであろう。

 一方ではそれは人間を労働から最終的に「解放」する可能性をふくんでいる。それは確かに人間にとって偉大な祝福であると考えられよう。しかしそれは簡単に「良い」ことと言い切れない面をふくんでいる。というのは人間は生物として生き延び、子孫を残していくために肉体的、精神的に努力し、エネルギーを使うように遺伝的にプログラムされているのであるから、産業革命以来たかだか200年のうちに、そのようなエネルギーを支出することがもはや生きていくために不要になったとして、そのような状況にすぐ適応することはできないからである。人間が生きていくために肉体的なエネルギーを使う必要がなくなった時、肉体的エネルギーを「無用な目的」のために使うスポーツが発生し、大いに流行して来た。精神的、或いは頭脳的エネルギーが不要になった時、それを「無用な」文化的分野(純粋科学、芸術、頭脳ゲームなど)に支出するようになるであろうか。それがもし完全にうまく行われれば、それはマルクスの夢見た「自由の王国」の到来を告げるものとなるかもしれない。

 しかし現実には人間社会は「有用性の必要」の観念から抜けることは容易でない。特に貨幣は「有用性の必要」が無限であるかのような幻想を作り出している。資本主義経済において、無限の需要を生み出す為に、いわば「欲望」が人為的に作り出されることについては、これまでもたびたび指摘されているが、そればかりでなくいわゆる情報化の進展とともにますます多くの人が、人々の欲望を直接満たすような財やサービスの生産ではなく、それに間接にしか関わらない商業、金融等々の三次産業部門に従事するようになっている。そこにある「仕事」は実は社会的には全く無用なものであるかもしれないのに、資本主義経済の中ではそれは大きな「付加価値」を生み出す「有用」な仕事とされているのである。

 文化やスポーツも貨幣経済の中に飲み込まれて「金を稼ぐための職業」ということになってしまい、そこに競争原理が必然的に導入されて、本来それが万人に開かれた「無用な活動」であったという基本的な性格を失い、多くの人々を単なる「観衆」にすると同時にプロ選手にとっての「仕事」にしてしまうのである。ここで私は「観衆」であること、或いは「観衆」を作り出すことが悪いというつもりはない。観衆の一人になることは何もしないでいるよりは遥かにましである。またプロスポーツという職業はアメリカの黒人選手に見られるように、これまで社会的に顧みられることのなかった人々に高い社会的評価をもたらしたということも指摘しておくべきである。ただ「見る側」として、或いは「金を支払って見る観客」と「見せる側」それによって「時には莫大な金銭的利益を得るプロ選手」とに二分される情況がスポーツに多くの歪みをもたらしていることを指摘したいだけである。

 もう一つの危険は、人間の獲得した余分なエネルギーが破壊的な、つまり他の人間を傷つけたり殺したりするために使われることである。産業革命によって獲得された莫大な機械的エネルギーは、二度の世界的大戦において巨大な破壊力を発揮した。21世紀にもし大きな戦争があるとすれば、それは物理的エネルギーをぶつけ合う戦争ではなく、情報的制御によって敵の人間や社会システムを破壊しようとする戦争になるであろう。現代社会において最も有効な破壊方法は、相手国のいろいろな場におけるコンピュータコントロールシステムにハッカーとして入り込み、そこに誤った指示を与えてシステムを暴走させてしまうことである。それが内在する危険性は核兵器より大きいし、しかも最少のエネルギー支出で最大の破壊を行うことができるのである。情報技術の悪意を持った利用については、核兵器に対すると同等以上の警戒心を持たなければならない。

4.
 重大なことはすでに現実において、大多数の人々が社会にとって、或いはより厳密に言えば社会的再生産にとって「無用」の存在になっているということであり、そのことが暗黙のうちに多くの人々、特に若い人々に感じ取られているということである。ここで再生産という時、物質的再生産という意味と人間そのものの再生産という意味との二つをふくんでいる。そしていまや人間そのものが物質的再生産のために必要な存在でなくなりつつあるのに加えて、人間そのものの生産も急速に減少しつつあるように思われる。それがすべての先進国に見られる出生率の大幅な低下、いわゆる少子化の背後にある基本的な要因であると思われる。子供が将来の生産のために必要な要素ではなく、せいぜい手のかかるペットでしかないならば、その生産が大きく減ってロボットペットに置き換えられても不思議ではない。かつて人々は労働者或いは兵士として資本や国家のために役立たせられる「人的資源」であった。勿論そのことは多くの人々を利潤や国家利益のために道具として使うことを意味し、そこに人間疎外が生じていたことはこれまで指摘されてきた通りである。しかし一面そのことは人が「勤勉な労働者」や「忠実な兵士」或いは「よい母親」になることは社会に役立つ有意義な存在になるという意味をふくんでいた。近代社会における一般初等教育の目的は多くの人々にこのことを自覚させ、自ら進んで「有用な存在」にできるように仕向けることにあった。

 しかし現在の社会では「単なる労働者」や「単なる兵士」はすべてロボットに置き換えることができ、そしてロボットの方が人間より遥かに有能で信頼できる存在になりつつある。つまり多くの「普通の人間」は不要な存在となってしまったのである。

 日本のみならず先進諸国に共通に見られる深刻な教育の混乱は、教育がその根本的方向性を失ったことに起因している。そのことを「教育の中で価値観を押し付けるのではなく、一人一人が自分自身で価値を見出し自立して行くようにすることが必要だ」などという美辞麗句で事態を解決することはできない。少なくともそれがいかに困難であるか、社会的動物としての人間の本性に反することではないかということの深刻な反省なしに、こんなことを言うのはむしろ無責任と言わねばならない。このような言い方は児童や生徒や学生に対して社会にとっての道具としてではなく本人自身の価値を認め、また本人にもそれを自覚させようと努力している多くの教師や教育関係者にとっては、あるいは侮辱的と思われるかもしれない。しかし教育というものの本質はやはり人々を「馴化」することにあり、人間を「有用な」人間に作り上げることにあるのである。そして教育を受ける側にとっても有用な人間になることは喜ばしいことであるということを否定することはできない。

5.
 科学、或いは学術、更には科学技術と人間や社会との関係という観点から考えても情報革命は重大な意味を持っている。

 一つは科学研究や技術開発の情報化である。

 現在研究の手段として文献データベースやインターネットは不可欠のものとなっている。それは研究の効率化を進める上では大いに有益なようであるが、しかし研究を効率化するとは要するに何を意味するのであろうか。極端なことを言えば、ロボットが自動的に論文を量産し、それをまた別のロボットが自動的にレフェリーして、それをパスしたものは文献データベースに自動的に蓄積するということができるようになれば、最も効率的に研究が進められるということになるであろうが、よく考えてみると、実はこのようなことはあまり冗談とは言えない状況になっている。数百万種の化学物質を分析してその性質を記録するなどということは、このような形で行うのが実は唯一の方法なのではないであろうか。

 問題はこのような「研究」が何を意味するのかである。確かにロボットが作成したデータベースでも特定の性質を持った物質を探すのには非常に有効であろう。しかしそのようなデータベースが作られることが真の意味で「学問の進歩」と言えるであろうか。

 このような状況の下で、学術の社会的責任は極めて重大であると思う。

 それは単に社会の要請に応えなければならないとか、或いは科学研究の成果の悪用を防がなければならないというレベルにつきるものではない。「社会的要請」なるものがそもそもどのような意味を持つのか、或いは簡単に言って何が「良い」ことで何が「悪い」のかを、深く考え再検討することが求められているのである。

 そうして学問研究のある意味でのオートメーション化は、このような研究における価値基準そのものを再検討することをますます困難にしているのである。現在の科学技術の開発においても、その目的が明確に悪と見なされるようなもの例えばABC兵器の開発などは悪として認識されるであろう。しかし現代の複雑な社会関係の中では「善悪」の判断はそれほど容易ではない。現実には国家や企業の間の競争が価値基準を決めてしまう場合が少なくない。勿論私はそのような競争がすべて悪であると言うつもりはない。ただそれが予想外の影響をもたらすことを注意深く検討する必要があることを強調したいのである。そこで最も重要なことは複雑で長い因果関連についての洞察であって、時々誤解されているような「倫理、道徳、宗教」の復活ということではない。「思想や哲学」も必要かもしれないが、例えば「科学と宗教の調和」などを安易に語ることは危険である(オウム真理教はその一つの例である)。

 一つ重要なことは、科学や科学技術の「実用的価値」から離れたそれ自体の価値をどのように考えるかである。かつては「真理の探究」ということが学問の目的とされていた。前近代においてはそれは人間の生き方の探求、すなわち倫理的探求と不可分のものとされていた。「真理を知る」ということと「正しく生きる」ということとは直接結びついていたのだ。近代になって科学の「客観性」が強調されると同時に科学的研究の「価値中立性」value neutrality或いは「価値判断からの自由」Wertfreiheitが強調されるようになった。このことは差し当たり、科学研究における「純粋科学」と「応用研究」の分離と、応用研究における価値判断を科学としては放棄することを意味したが、しかしそれは論理的に「純粋科学」自体の価値がどこにあるかについての判断も一切断念することを意味したはずである。純粋科学者は科学者としての立場にとどまる限り、自分自身の活動の価値、或いは正当性を立証することはできないということになっているのである。

 過去の偉大な(或いはそれほど偉大でない)科学者達は、科学研究の「すばらしさ」について内的確信を持ち、科学研究への情熱を持っていたことは疑いない。そしてそれをまた自分の周囲の人達にも自ずから伝染させていったように思われる。

 しかし20世紀末の現在、科学者がこのような内的確信を持ち、かつそれを周囲に伝えることはますます困難になっている。

 第一に科学(或いはより一般に学術)研究の発展にともない、研究の分業化がますます進み、純粋科学研究の「意味」を、いわゆる「素人」或いは実際には素人にすぎない他の分野の専門研究者に伝えることがますます困難になっているのみならず、実は研究者自身にさえわからなくなっていることが多くなっているのである。最も先端的な物理学などの分野では、最新の理論の成果が、現実の宇宙について何を意味するのかが誰にもわからないというような情況が生じているのである。物理学に限らず、先端的な分野の研究者は最新の研究成果の「意味」を問うこと自体を「素人の愚問」として退けることがしばしばある。「意味からの禁欲」が一つのモラルとさえなっているように感じられることがある。そうなると科学研究(或いは学術研究)なるものは「専門家」と自認する人達の間の自閉的な対話にすぎないという「ポストモダン」派のニヒリステイックな批判も当てはまることになってしまう。

 このような傾向は、最近の学会における「業績」主義、レフェリーつき「専門誌」への寄稿論文数によってのみ研究者を評価するというシステムによってますます強化されている。しばしば未熟な研究者にすぎない「レフェリー」による審査の関門を突破するのに、現在の学会の研究方向の「意味」を問うようなことは危険であり、一番安全な道は現在学界で流行しているテーマについてこれまでの研究の方向に忠実に、そしてこれまで知られていることの半歩先の成果を出すことだからである。しかも学会も学会誌もそのメンバー数がますます増えている現状では、レフェリーの過程もますますルーティン化され、自動化されなければ間に合わなくなっているのである。

6.
 一方で「純粋科学」と「応用科学」或いは「科学の応用としての技術」の分離はますます不明確になり、その融合が進んでいる。最も基礎的な或いは「純粋」な科学的研究と思われたものが大きな実用価値を持つようになっただけでなく、科学研究もまた先端的技術に大きく依存するようになり、科学と技術の相互依存が高まっているのである。「科学技術」という日本語の四文字熟語はそのことを適切に表現している。純粋科学の研究にもしばしば巨額のコストを必要とするようになったこともまたこのような融合を促進している。

 しかしこのような現象を科学研究(或いは学術研究)がもっぱら「実用的価値基準」によってのみ決定されるようになったことを意味すると解釈してはならない。「科学」を「科学技術」と言い換えても、それが狭い意味(経済的、軍事的目的等)の実用的目的を目指してのみ開発されるとは言えない。そこに関わる利害も多種多様(研究者、官僚、特定の産業、政治家)である。もう一つ注意すべきことは科学や技術における方向が偶然と慣性に支配されるということである。或いはその発展には研究者やその他の人々の意図とは無関係なそれ自体の論理があると言ってもよい。技術にしても、必ずしも特定の必要や意図に応じて発展するわけではない。コンピュータにしても20世紀の半ばには、強力な計算手段の必要は痛感されていたかもしれないが、その後の発展はコンピュータそのものの能力に関する限り「必要」を遥かに越えてしまったように思われる。しかしそれでも発展が止められることはないであろう。

 このような科学技術の発展は最初に意図したところを遥かに越えた成果を生み出すことになるが、しかしそこにはまだ予期しなかった大きな危険もふくんでいる。現在の科学技術の持つ最大の危険は、それがコントロールできない自己目的化し「科学技術のための科学技術」と化しつつあることである。それが科学技術そのものの発展の結果である。情報革命は一方では研究過程の自動化により研究者をある意味で「研究のロボット」とするとともに、一般の人々には実際の論理過程はブラックボックス化して、ただ「操作マニュアル」によってその成果を利用することを可能にすることによって、このような過程を強力に推進しつつある。

 21世紀において人間が「知の主体性」を取り戻すことが学術の最も重要な課題であると思う。それは科学や科学技術、或いはまた特に情報技術やコンピュータの発達を阻止するということではない。簡単に言えば人間がコンピュータの主人になるということなのであり、そうしてそのことは人間がコンピュータの理解できない「目的」や「感情」を持つことなのである。

 学問研究の分野では、それぞれが自分の分野における研究の「意味」を問い、そしてそれについて他の分野の研究者と討論を進めることが最も重要であると思う。「意味を問うことの禁欲」から解放されなければならない。最も悪いことは学問的分業を進めて、「意味の探求」をまた専門の哲学者や思想家(或いは宗教者?)に委ねてしまい、しかもそのような人達は先端的な科学研究は本当には理解できない「素人」にすぎないとして軽蔑することである。そうするとまたいわゆる科学哲学者や思想家は超越的な「科学批判」をもてあそぶことになるのである。現実にそれは欧米ではポストモダニズムの思想家と一部の専門科学者の間の不毛なscience warとして起こっている状況である。

 私の主観的印象を敢えて述べれば、異なる分野の研究者が「研究の意味」を語り合うことは、そうして相互に理解し合うことは、勿論大きな知的努力を必要とするが、不可能ではないのみならず、実は想像されているほど困難でもないと思う。というのはやはり科学或いは学術研究全体の中にも大きな流れというものがあり、全く離れたように見える分野の研究者が異なる言葉で実は同じことを語っている場合も少なくないからであり、相互の言葉の使い方の違いを理解すれば、意外に共通の問題を見出すことが少なくないからである。

 学術の研究の意味を問い語り合う場を提供し、そしてその成果を社会に広めることは学術会議の主要な責務であると考える。

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政策過程研究の課題と方法−−学術の社会的役割との関連で−−

武藤博己(法政大学)

はじめに−−政策・政策過程・政策管理

 法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻では、1998年度より社会人を対象とした「政策研究プログラム」を開講したが、そこにおけるカリキュラムの中核の1つとして、「政策過程研究」を位置づけている。本稿では、その政策過程研究の担当者として、また政策研究プログラムのコーディネーターとしての視点から、実務家が現実にかかえている問題を解決するための考え方、あるいはその手順を示すことを目的として、政策過程研究の講義概要を示すことにしたい。したがって、本稿は研究論文や評論ではなく、担当者としての印象記にとどまるものである。

 ところで、政策過程(policy process)とは、政策が形成され、実施されるプロセスである。ここでの政策とは、問題を解決するための手法であり、問題を解決するための作業仮説の設計である(松下、1991:10)。しかし、この作業仮説を設計するためには、どのように問題を認識するのか、その問題をどの程度まで解消しようとするのか、作業の結果はどうであったのか、そして次の作業として何が残っているのか、という一連のプロセスとして考える必要がある。すなわち、社会的問題の解決を一連のプロセスである政策過程として捉える必要がある。たとえば、Plan-Do-Seeという考え方がしばしばプラン偏重行政を批判する文脈で用いられるが、政策のプロセスを簡略に表現したものといえる。ここでは、次のような8つの段階で考えることにしたい。すなわち、@問題の発見、A公共的問題の選択、B問題解決手法の追究、C組織内調整、D決定=合意形成の社会過程、E執行、F評価、Gフィードバック、である。

 また、政策過程として具体的に展開されるのは個別政策の領域であるが、その際に考慮されるべき問題群があり、それらを一般的な視点から整理しておき、個別政策の形成・実施を促進するための管理的活動が必要となる。そうした活動が政策管理といえる。政策管理にとって重要な視点としては、政策過程を手続化することによって政策過程の透明性を高めることであり、同時にその手続を適正化することによって政策過程の正当性を高めることである。

 本稿は、このような政策・政策過程・政策管理の考え方に基づき、政策形成のために考慮すべき問題群を整理しておくことが目標であり、市民社会の中で広範に行われる必要性が高まっている政策形成について、知的な支援の一部として役立つことが目的である。

1.なぜ政策が必要か−−分権的政策形成の必要性

 明治以来、西欧先進諸国に追いつくことが国家目標であった日本は、西欧社会の経験をあらゆる社会領域で追体験してきた。すなわち、産業革命による工業化、都市化の進展、その社会的弊害の是正、政治参加の拡大による大衆化・市民化が進展し、1970年代から80年代にかけて、様々な社会指標に関連して、西欧諸国に並ぶまでになった。すなわち、交通機関の充実、住宅の充足、公衆衛生の向上、社会保障の制度化、教育の充実、公害の克服など、多くの側面で西欧諸国に比肩する実績を達成した。しかし、1980年代から1990年代にかけて、西欧社会が追求してきたこれらの目標の多くを達成したにもかかわらず、豊かさの実感のないことに気づき始めた。換言すれば、目標の位置づけに問題があったといえよう。日本社会がかかえる問題を真に解決する新しい目標が設定されなければならない状況が出現した。

 たとえば、介護の問題については、高齢化の進展とともに、介護の問題が急激に増大したが、適切な政策展開が行われてこなかった。すなわち、従来の介護は、措置制度の下で、貧しい人々に対する最低限の介護を保障するという恩恵的政策であったが、それ以外の人々に対する介護は私的な問題として捉えられ、家族による介護にゆだねられてきた。豊かな人々は民間の介護的サービスを購入することができたが、普通の人々には経済的な負担が大きく、民間サービスの購入が困難であった。集権的な制度の下では、全国画一の最低限のサービスを提供することが目標であり、きめの細かいニーズに即したサービスを提供することは不可能である。

 ゴールドプランと新ゴールドプランを比較すると、そのことが明白である。ゴールドプラン(高齢者保健福祉推進十カ年戦略)は、1989年に厚生省が発表した計画であり、10年後の1999年に達成すべき介護関連サービスの目標値が示されている。そこでは、たとえば、ホームヘルパーは10万人、デイサービスは1万カ所、ショートステイは5万床とされている。それに対して、1994年に策定された新ゴールドプランは、市町村の老人保健福祉計画の集計値から目標値を設定したが、そこではホームヘルパー17万人、デイサービスは1.7万カ所、ショートステイは6万床とされた。

 ゴールドプランは厚生省が日本の高齢化率や要介護の出現率、施設と居宅サービスの比率などから推計した理論上の数値目標であるが、それが実態を反映しないことがわかっていたため、新ゴールドプランの作成にとりかったものと考えられる。それに対して新ゴールドプランは、基礎自治体である市町村が、地域の介護基盤状況に応じて、市町村内の介護問題を具体的に解決するためにはどのようなサービスが必要かを判断して、作成した数値を基礎としたものである。すなわち、これらの数値は質的に異なるものである。

 このことからわかるように、問題を解決する手法として、福祉のような狭域的なサービスに関しては、もはや中央政府で政策を策定することが不可能となり、地域が中心となって地域の具体的問題を解決できる仕組みに変更していく必要がある。すなわち、分権的な政策形成が求められているのである。もっとも、高速道路や幹線鉄道、国際空港・港湾など、全国的あるいは広域的なサービスについては、基礎自治体で十分な政策形成はできないことはいうまでもないが、その際には地域の享受する利益に応じた負担と、それに対する意見表明および決定への参加を手続きとして実施することが不可欠である。

2.政策思考への転換

 政策形成のプロセスに応じて問題点を整理する前に、その前提となる状況についての確認をしておきたい。まず第1に、環境問題の重大性である。すなわち、地球上における人類が飛躍的な生産活動を開始した産業革命以降、工業化・都市化の急激な進展がみられ、地球上における生物の生存を支えてきた地球環境に大きな変化を及ぼしてきた。開発途上国は、先進国がかつて行ってきたことと同様な開発を行っており、その中止を求めることができないどころか、今なお先進国でも開発が続けられている。はたして地球はいつまで生物の生存を支え続けられるのであろうか。こうした状況においては、先進国は地球環境を守る義務があり、それが地球環境会議の発想である。すなわち、環境を積極的に保護する義務は、数歩早くに開発を進めてきた先進国において、より強く求められている。そこで、アジアの中では比較的早くから開発を進めてきた日本においては、その過程で生じてきたマイナス要因を是正することを目的として、環境を積極的に保護することを目指す<環境ポジティブ・アクション>が今後の政策の前提として位置づけられる必要がある。とりわけ、日本の行政は開発を優先してきた。21世紀の政策の基調として、この<環境ポジティブ・アクション>が不可欠である。

 第2に、地球規模での問題把握の必要性である。国際化(グローバリゼーション)の進展は様々な社会状況にみられ、もはやそれを阻止することはできず、またその必要もない。もっとも、グローバリゼーションは、地域社会にとってマイナスの側面がないわけではないが(金子、1999)、日本社会の閉鎖性・特殊性がしばしば指摘されることから、ここではプラスの側面を中心に検討したい。たとえば、人権について、日本社会は無頓着であるが、国際標準(グローバル・スタンダード)の観点からは多くの問題をかかえている。また、国際化の進展が早かった経済分野においても、たとえば内外価格差として知られているように、依然として国内標準と国際標準との格差が指摘されている。行政の手続きにおいても国際標準との開きがある。たとえば、入札制度は、一般競争入札が国際標準であるが、国内標準は依然として指名競争入札である。こうした国際標準の採用が遅れた結果、経済の空洞化や経営者倫理の破綻、不採算部門の存続などの状況が生じている場合が多い。国際標準をアングロアメリカン・スタンダードだという批判する論者もいるが、国際標準は国際的につくりあげるものであり、時代によって変化するものである。その意味では、日本の地域社会もこの国際標準の形成に寄与する余地があり、またそれが求められている。

 第3に、市民社会とそこにおける企業セクターとの関係である。企業セクターは、その合理性を追求して内部不経済の外部化を進めようとする。たとえば、産業廃棄物の処理・処分を市民社会に依存するばかりでなく、産業公害を市民社会に押しつけ、また産業インフラの整備(道路や港湾等)も多くを市民社会に負っている。そもそもこうした不経済を補てんし、税によって解決する仕組みとして政府セクターがあるとしても、過剰に政府セクターに依存することは市民社会の負担が大きくなりすぎる。したがって、企業セクターはこにおける不経済をできる限り内部化し、市民社会への負担を最小限にする必要がある。

 また、一定の政治組織や政治単位としても、内部不経済を外部化する傾向がある。たとえば、中央政府におけるセクショナリズムはその不経済を市民社会に押しつけていることと同じであり、自分の地域さえよければ全体として不公平でもよいとして補助金の取り合いをすることも同様である。

 こうした不経済の外部化は、必ずどこかで補てんされなければならないのであるから、全体としての市民社会を基準とする考え方を前提にしなければならない。しかも、地球規模での問題が可視的になってきた20世紀後半以降、この市民社会の単位を地球規模に拡大して、政策を考える必要が出てきたといえよう。

3.社会環境の変化

 次に、政策を考えるに当たり、上に述べた以外の社会環境の変化を認識しておく必要があるが、それを検討する。しかし、紙数の関係で項目のみを掲げておきたい。

 まずは、伝統的な視点から、@工業化、A都市化、B市民化、の3要素が重要である。また、現代的視点として、@政治システムにおける変化(分権化、透明化−−情報公開とアカウンタビリティ、行政手続化)、A行政管理手法の転換(規制緩和、効率化、経営化、ソフト化)、B国際化(国際標準化、地方化)、C人口構成等の変化(少子化・高齢化、男女共同参画社会、NGO・NPOの社会的役割の拡大)、D領域の複雑化・多様化(ボーダーレス社会化)とその調整(ハーモナイゼーション)、などの社会環境の変化を十分に理解し、政策の前提として組み込んでおく必要がある。

4.政策プロセス

@問題の発見
 さて、政策プロセスの各段階における留意点を順次指摘しておきたい。まずは、問題の発見であるが、ここではまず問題を発見する能力を磨くことが不可欠である。たとえば、核家族化が進展する成熟した都市型社会では、家族単位の相互扶助(家族介護や保育)は成立しない場合が多いが、そのことを理解しないと問題が見えないことになる。

 しかし、この問題の発見にかんして最も重要なことは、ニーズが本当に存在するか否かである。この場合のニーズとは、問題の緊急性、重大性、不可避性などに関連して、市民社会の存続のために問題の解決が不可欠か否かという視点である。財政的に逼迫している今日ではとりわけ、様々な問題の中から緊急性、重大性、不可避性の高い問題から対応することが求められている。ところが現実には、緊急性のない問題への対応が熱心に進められている。たとえば、高速道路の整備、港湾・漁港の整備、新幹線、地方空港等々であるが、市民社会が本当に解決を望む問題を取り出し、その解決を目指す政策を展開しなければならない。

A公共的問題の選択
 市民社会にとって解決することが求められている問題が把握できたとして、その解決にとって政府セクターの介入が不可欠か否かを検討することが、公共的問題の選択となる。企業セクターに委ね市場メカニズムによって解決することが適切か、非営利セクター(あるいは市民セクター)での自助的努力による解決が適切か、あるいは税を用いた政府セクターによる解決が適切かどうかという問題である。

 最近の改革論議においては、「民間でできるものは民間に委ねる」というスローガンが用いられたが、従来は「行政でできることは行政で」という考え方であったと思われる。その意味では、「民間でできるものは民間に委ねる」というのは適切であったが、財政状況が逼迫している状況においては、財政上の理由から民間化されることが多かった。財政状況が改善されたとしても機能する論理が必要である。すなわち、「行政でしかできないことを行政が行う」という発想が必要となるのではないだろうか。

B問題解決手法の追究
 問題が認識され、それを行政として対応するということなれば、次の段階として必要となることは、どのような手法がもっとも効率的・効果的に問題を解決するかという視点であり、またどの程度までの問題解決を図るかという視点である。情報の収集・分析、解決手法の考案、その結果の予測等を一定の制約の下で、できる限り客観的・科学的な思考過程を経て、解決手法が組み立てられる。また、解決レベルの設定は、H・サイモンが指摘したように、設定側の満足化水準であるが、問題はその水準が公開され、市民社会の合意を得る努力がなされているか否かである。

C組織内調整
 問題解決手法を実施するためには、その法的根拠、財源、人員が不可欠である。中央政府について考えると、法的根拠については、法令により権限を委任されることであり、その権限が従来の行政と矛盾なく行使できるものであるか否か、条文として適切であるか否か等々を内閣法制局と調整する。財源については、大蔵省主計局との調整があり、人員については総務庁行政管理局との調整が必要とされている。自治体の場合にも、文書担当課による条例・規則とのすりあわせ、財政課との予算折衝、行政管理課との人員調整が行われる。

D決定=合意形成の社会過程
 さて、組織として検討・調整されてきた解決方法の案は、議会の承認を経て、正式な決定となる。代議制民主主義の原則から言えば、議会の決定がすべてである。しかしながら、議会が決定権をもつのは国民あるいは住民の代表だからであるが、その確認は数年に1度の選挙でしかない。そのため、議会の代表性を保管することや選挙以外の方法で議会の代表性を高めること、あるいは国民・住民が決定過程に参加したり、直接に決定したりすることが必要となる。審議会や市民参加、住民投票などの手段がこうした観点から議論されている。

 こうした意味において重要なことは、国民・住民の負担する税によって問題解決が図られる以上、問題の発見からフィードバックに至までのプロセスにおいて、行政が決定のプロセスを公開するのみならず、できる限り多様な仕組みで主権者であり税の負担者である国民・住民の参加を可能とさせることである。

E執行
 決定された問題解決手法は実施の段階に移行する。実施主体としては、次のような多様な組織・団体を想定することが可能である。すなわち、行政組織による直営、特殊法人や特別法人などの準行政機関、自治体(都道府県・市町村)、公益法人、公共的団体、民間企業、第三セクター、地縁的団体(自治会・町内会)、特定非営利活動法人、市民グループ等であるが、どのような組織・団体にどの程度の裁量権を与えて委ねるのか、どのような形態が効率的・効果的であるのか、等の問題を検討しておく必要がある。また、公設公営、公設民営、民設民営のどの方法が適切なのか、また委託方式としてはどのような形式が必要なのか等々、を検討する。いうまでもないが、この執行の段階に至ってから検討することではなく、事前に一定のシミュレーションをした上で、検討しておくべき問題である。

F評価
 以上のプロセスを経て実施された行政活動が、現実にどの程度の費用をかけて実施され、どのような効果をもたらしたのかを測定し、判断することが評価である。従来の行政は、事業予算の査定が1つのポイントであるため、予算を軸にして事前の評価が行われていた。しかし、そうした事前の評価は予算を獲得することが目的であったため、予算が付けられると、議会での質問など特別の場合を除いて、実施活動やその結果・効果については比較的無関心であった。

 しかし、行政の無駄や非効率性に対する批判が高まり、ここ数年間で「政策評価」に対する期待が急激に高まっている。都道府県レベルでは、既に導入しているところが平成11年9月末現在で16団体あり、試行中が10団体、検討中が21団体である。市区町村レベルでは、検討中を含めてもまだ3割程度にとどまっているものの、この1〜2年の間に着実に普及するものと考えられる。

 だが、その方法については多様であり、どれも試行的である。すなわち、事業の効率性を中心に捉えようとするもの、成果指標(有効性)をなんとか測定しようとするもの、組織経営的な観点から評価をしようとするものなどがあり、今後の展開を注視する必要がある。筆者も複数の政策評価研究会にかかわっており、独自の方式を検討しているが、おそらく当分の間は、こうした多様な方法が試行的に繰り返されることによって、期待される評価の水準に近づいていくものと考えている。

Gフィードバック
 最後に、この評価活動によって得られた改善策が現実の行政運営に反映されなければならない。これがフィードバックであるが、従来のフィードバックの仕組みであるはずの監査や決算は、汚職事件に発展した場合などの特別な場合を除いて、儀礼的に行われているにすぎない。また、長期計画の改訂に関しても、中期計画のローリングという形で目標自体を変更してしまうため、計画の進捗率を評価して、何が障害であったのか、どこに問題があったのかを詳細に検討することはほとんど行われてこなかった。上に述べたように、政策評価が関心を集めている現状から、フィードバックに関しても、実効性のある手法が開発されることが期待される。

5.学術の社会的役割

 さて、以上において、政策過程の管理という視点から、政策プロセスの各局面において必要とされる論点を検討するという方法で述べてきたが、最後に社会人大学院におけるカリキュラムの中心的な柱として実施していることの意味を考えてみたい。

 第1に、社会人大学院の目的は、研究者を養成することではない。研究者としての能力を備えた人材が出てきたとしても、そのことが目的ではなく、社会人としてかかえる問題を解決するための方法を身につけ、それを現実の問題に適用し、問題の解決を図るという、あくまで実務への応用力を有する研究者的実務家を養成することである。とするならば、政策過程研究という講座は、学術研究と実務との媒介項として機能することが求められているといえる。そのためには、学術研究の成果を実務的問題に適用できるようにするための変換技術が必要となるが、残念ながらその姿が見えているわけではない。しかしながら、実務に関心のある研究者と研究成果に関心のある実務家が市民社会に役立てるという視点から協働することによって、徐々に形成されていくものと考えている。

 第2に、研究者と実務家の協働を促す仕組みとして、どのようものが考えられるのだろうか。技能の姿が見えない以上、外延的な要素として考慮しなければならないが、それは「共通の場」ではないだろうか。しかも、一時的ではなく、継続的に問題を共有する場であり、議論する場であり、その知恵を蓄積する場であり、そして実験するフィールドの共有であろう。

 第3に、この「共通の場」は、その実務家と研究者だけに閉じられるものではなく、市民社会との日常的な交換・交流が必要であろう。問題解決のための知恵は、社会のどこかに存在するというという信念があればこそ、その探索に労力を注ぐことが可能となる。逆にいえば、学術による情報の独占あるいは実務における情報の秘匿は、問題解決を遅らせることになるのではないだろうか。

参考文献
今村・武藤他、1996、『ホーンブック行政学』、北樹出版
金子勝、1999、『反グローバリズム』、岩波書店
佐々木信夫編著、1998、『政策開発−−調査・立案・調整の能力』、ぎょうせい
松下圭一、1991、『政策型思考と政治』、東京大学出版会

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