少子社会の現状と将来を考える

「少子社会の多面的検討特別委員会報告」

平成12年5月29日

日本学術会議

少子社会の多面的検討特別委員会


 この報告は、第17期日本学術会議少子社会の多面的検討特別委員会の審議結果を取りまとめて発表するものである。

委員長 鴨下 重彦  第7部会員  東京大学名誉教授、自治医科大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長
    (小児科学)

幹 事 田中 敏隆  第1部会員  大阪教育大学名誉教授、神戸女子大学名誉教授
    (発達心理学)

    多田 啓也  第7部会員  NTT東北病院顧問、東北大学名誉教授
    (遺伝医学)

委 員 塩原  勉  第1部会員  甲南女子大学学長、大阪大学名誉教授
    (社会学)

    辰野 千壽  第1部会員  筑波大学名誉教授、上越教育大学名誉教授
    (教育心理学)

    荒木 誠之  第2部会員  九州大学名誉教授
    (社会法学)

    前田  庸  第2部会員  学習院大学法学部教授
    (民事法学)

    藤井弥太郎  第3部会員  帝京大学経済学部教授、慶應義塾大学名誉教授
    (交通経済)

    岡本 和夫  第4部会員  東京大学大学院数理科学研究科科長
    (数 学)

    坂元  昂  第4部会員  文部省メディア教育開発センター所長、束京工業大学名誉教授
    (科学教育)

    池上  詢  第5部会員  福井工業大学工学部教授、京都大学名誉教授
    (機械工学)

    伊藤  滋  第5部会員  慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授、東京大学名誉教授
    (都市地域計画)

    高橋  貢  第6部会員  麻布大学名誉教授
    (獣医学)

    野田起一郎  第7部会員  近畿大学学長
    (産科婦人科学)


要  旨


 21世紀の日本は少子高齢化によって深刻な影響を受けると予想される。現在急速に進行しつつある少子化は、やがて生産人口の減少と高齢者人口の増加により人口構成の歪みをもたらし、経済、社会に甚大な影響を与え、国や社会の活力の低下を来すことが憂慮されている。その影響は日本国内に止まらず、国際社会にも悪影響を及ぼすことも指摘されている。

 具体的には以下の5点に要約されよう。
@ 労働力人口の減少による経済成長の低下(需要と生産力が低下)。
A 若者の減少による社会の活力の低下
B 社会保障負担の増大(年金、医療、介護、福祉等の現役世代の負担増)
C 子どもの健やかな成長に対する影響(自主性、社会性等の発達が阻害)
D 地域社会の変貌(過疎化、住民サービスの低下等)

 従って少子化の速度を出来るだけ緩やかにする努力、すなわち出生率の上昇へ向けてあらゆる努力を試みるべきである。急速な少子化に歯止めをかけ、少子高齢社会に耐えうる社会・文化システムを構築しなければならない。

 種々の調査結果によれば、結婚している夫婦で望ましい子どもの数は3人と答える人が多いにもかかわらず、実際の子どもの数は2人ないし1人であり、その理由としては、以下の3点が挙げられている。

@ 子育ておよび教育の費用が高い
A 仕事と子育ての両立が難しい
B 子育ての体力的、心理的負担が大きい

 今日の日本の若い夫婦にとって、子どもを産み育てていくための経済的負担が大きく、結果として子どもを減らすという選択が取られている。また近年女性の就労意欲が高まっている一方で、働く女性に対する企業や社会の理解の遅れ、そして子育てを支援する社会システムが不充分なため、仕事との両立が困難な状況にある。したがって具体的には、産みたい人には、安心して子どもを産めるような社会環境を整備していくことが重要である。適切な対策が取られれば、フランスや北欧諸国で見られるように、出生率の回復は期待できよう。具体的な対策を要約すれば、

@ 育児手当ての大幅な増額、育児休業の普及
A ニーズに応じた多様な保育サービス
B 子育て支援センターの充実

等の施策が挙げられる。この際特に注意すべきは、子育て支援は子どもの立場を最優先し、子ども達の健全な発育に充分配慮されなければならない。最近は「キレる子ども」に象徴されるように「心の問題」が重視されている。特に幼児期、学童期の教育の重要性は論を待たない。個性尊重の教育は、一人一人に目の行き届く少人数学級が望ましい。

 少子化の最大の要因は未婚率の上昇と晩婚化が進んだことであるが、その原因として、育児に対する負担感、個人の価値観、結婚観の変化があり、さらにその背景には家庭よりも仕事を優先させることを求める企業風土、根強い固定的な男女の役割分担意識、育児における母親の孤立、不安感などがあると推測されている。これは戦後日本の高度成長を支えてきた体制そのものが、未婚率の上昇をもたらし、結果として少子化に至っていると言える。個人が結婚や出産を望んだ場合に、それが妨げられない社会が望ましいのは当然である。そのためには、まず「男は仕事、女は家庭」という男女の役割分業意識や実態を是正し、家庭よりも仕事を優先することを求める雇用慣行を改める必要がある。具体的には前述の@〜Bのハード面の施策と同時に、結婚や育児に希望が持て、子育ての持つ楽しみや喜びを夫婦共に実感出来るような、ゆとりと潤いのある社会作りを進めていくことが基本的に重要である。


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目次

○ 要旨

T.はじめに

U.少子化の原因と背景
 1.厚生白書から
 2.女子大生の意識調査
 3.欧米先進国にみる少子化

V.少子化の問題点
 1.経済成長の低下
 2.社会保障における受給と負担のアンバランス
 3.子どもの成長・発達に及ぼす影響
 4.少子化の意味するもの

W.様々な視点から
 1.発達心理学の立場から
 2.少子化と教育
 3.地球環境と人口問題
 4.社会法の視点からみた少子社会
 5.経済の側面から −少子均衡社会の問題−
 6.社会学の立場から −女性学的視点−
 7.生物学の立場からみた少子化
 8.少子化とエネルギー問題
 9.住宅問題と少子化 −3人の子どもと暮らすために−
 10.農学分野における少子化の課題
 11.少子化の家政学的考察 −子どもの食生活について−
 12.医学と健康の立場から
 13.少子化対策としての不妊治療

 付.いわゆる三歳児神話について

X.少子社会への対応
 1.当面の対策と要望
 2.活力ある少子社会の構築

Y.おわりに

○ ヒアリングの記録
○ 参考文献

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T.はじめに

 人口置換水準を維持する合計特殊出生率(15歳から49歳までの年齢別出生率を合計したもので、一人の女性が一生の間に生む平均子ども数の理論値)は2.08とされるが、わが国の合計特殊出生率が2.0を割ったのは昭和50(1975)年であり、その後徐々に下降し、平成元(1989)年に1.57になり、1.57ショックといわれてマスメディアでも大々的に取り上げられた。それは昭和41(1966)年、丙午の年に一時極端に下がった1.58という数字を下回ったからでもあった。その後も歯止めのかかる傾向はみられないどころか、四半世紀以上にわたり下降の一途をたどり、平成6年には1.47、さらに平成8年には1.39、平成10年には1.38を示し、平成11年はさらに低下が予想され、年々低下記録を更新する勢いである。

 人口学者の推測によれば合計特殊出生率が1.39で永続するとした場合、理論的には1400年後に日本人はトキ(学名:Nipponia Nippon)の運命になるという。したがって1.39よりさらに下がって回復しないと仮定すれば、次のミレニアムを迎える前に日本人は地球上から姿を消す可能性がある。

 日本学術会議では平成9年7月、第17期の発足にあたり、少子化を重要な課題の一つとして取り上げ、「少子社会の多面的検討」特別委員会を組織し、今日まで鋭意検討が続けられてきた。少子化についてはすでに社会問題と化して、多くの立場から様々の提言がなされ、特に政府も有識者会議や国民会議を組織して提言や方策をまとめ、省庁の枠を越えた政策の推進が開始されている。一方国会議員も超党派で少子化対策議員連盟を結成して、少子化対策基本法の立法化の動きもある。今や少子化対策は国を挙げての国民運動と化した観がある。

 本特別委員会としては、少子化について特に女性の役割を重視し、女性有識者を中心に各方面からの意見を伺い、さらに学術会議の第1〜7各部の学問的立場から委員の意見を集約して報告書をまとめた。

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U.少子化の原因と背景

 少子化の原因についてはすでに多くの議論と考察がなされ、特に平成10年版の厚生白書は少子化を正面から取り上げ詳細に論じている。主な原因は晩婚化、晩産化であり、本来出生に関わるべき年齢層の人口の未婚者の増加である。晩婚化は都市部の高学歴者に顕著であり、また生涯未婚率も上昇し、男性では10%に迫る勢いである。

 結婚した夫婦が子どもを持たない理由は「子育てに経費がかかる」「教育費がかかる」という経済的理由が大きく、第3の理由「家が狭い」を抜いている。妻の年齢が35歳を過ぎると「高齢出産はいや」となる。種々の調査の結果、一人の子どもが大学を卒業するまでに要する経費は2000万円と試算されているが、これを高いとみるか、それ程でもないかとみるかは議論の分かれる所であろう。

1.厚生白書から

 平成10年版厚生白書は少子化を主題に取り上げた。少子化が進み始めた20世紀後半、特に最後の四半世紀を振り返り、少子化の背景をさぐりつつ、1998年10月に出された人口問題審議会の報告書を踏まえ、少子化を生み出している社会状況を、家族、地域、職場、学校という4つの場について分析し、将来を展望して、国民的議論を展開するために問題提起の書となっている点が、従来の白書とは大きく異なっている。

 戦後、20世紀の後半、日本は豊かさを目指して走り続けてきたが、その間、出生率は下り続けて現在に至っている。日本は結婚や子育てに「夢」を持てない社会になってしまっているのではないか、というのが前提である。

 そこで副題が −子どもを産み育てることに「夢」を持てる社会を− となっており、これは提言でもあるが、人口減少社会の深刻さを緩和するために出生率の回復を目指すかどうかは最終的には国民の選択であり、その取組みとしては、結婚や子育てに個人が夢を持てるような社会をつくることであるとの結論である。

 具体的な対応策として、家庭、家族を大切にすることに力点が置かれ、高度成長期の職場優先の企業風土を是正し、多様な働き方の適切な評価により、男性も女性も家庭や地域での生活と両立する働き方が出来る社会の実現を目指している。特に子育てについては、負担が母親に集中することを緩和し、両親が協力して子育ての責任を果たし、地域による支援策も様々な形で講じ、これを強化するため職住近接等、生活圏に合った街づくりが必要としている。

 育児に関しては従来「母性」の果たす役割が過度に強調されてきた。これはいわゆる三歳児神話として、「母親は子育てに専念すべきもの」という社会的規範が広く浸透しているが、これは戦後10数年の間に形成されたものであり、妊娠・出産・哺乳は母親(女性)に固有の能力であるにしても、それ以外の例えばおむつ交換、離乳食を与える、入浴させる、寝かせるなどについては父親によって充分なし得るものであり、父親(男性)の育児への積極的な参加が必要である。また仕事、家事、育児と三重の負担を強いられる母親が、育児不安のストレスを感じながら子どもに接することは、母子関係の緊張につながり、子どもの心身の発達に悪影響を及ぼすのは当然で、その結果乳幼児の虐待につながることもある。また母子の密着関係を見直すこと
も必要である。

 白書では、出生率の回復を目指し、結婚や子育てに個人が夢を持てる社会をつくることは、次世代への責任であるとしながら、そのような取組みをするかどうかは、最終的に国民の選択であり、また妊娠・出産に関する決定権を制約したり、個人の生き方の多様性を損ねてはならない、と述べられている。しかし出生率を回復し子育てに夢を持てる社会にするためには、現実は厳しく、今後時間をかけて取り組んでいく必要がある。

2.女子大生の意識調査

 東京都内の国立及び私立女子大学の学生を対象に少子化に関するアンケート調査の結果を紹介する。対象学生は文科系84名、理科系93名、総計177名である。

 何故少子化が進んだかという問いに対して、@女性の社会進出とそれを支える環境整備が不十分なこと、A教育にお金がかかること、B女性の価値観の多様化、の三つを挙げている。この回答の傾向には文理両系で差は見られず、また一般社会で言われていることに他ならない。

 自分自身の問題として考えた時に、持ちたい子どもの数は2人、3人、1人の順であり、子どもを1人も欲しくないという学生は、実験系で忙しい生活をし、また将来より忙しい技術系の職業に就く理科系で非常に少ない点が注目される。子どもを持つことが生活に潤いをもたらすと考えている学生が多い。子育てから多くを学び、自分自身が親から受け継いできたものを、後の世代に引き継いでいきたいという前向きな姿勢が読み取れる。

 あまり子どもを持ちたくない、という答えは少なく(11人)、そのうち一人っ子だったのは少なく(2/11)、集団保育の経験の無いものとの相関が大きかった(7/11)。少子化が社会生活に与える影響については、年金制度の破綻を最大の問題として捉え、文化の継承を危惧している回答もかなり多い。

 子ども自身に与える影響について、同世代の人間関係の貧困化、コミュニケーション能力の低下を心配している。

 理科系と文科系では、どちらかというと危機感が強いのは文科系で、理科系の学生は少子化によって適正人口に近づくと楽観的傾向がみられる。しかし数の減少は、集団中の遺伝子の多様性が失われたり、集団自体の生存能力の低下につながると心配している。

 生物学的な観点から少子化を考えた場合の理科系学生の回答は、少子化を否定的に捉えず、仕方のない減少と考えている者が多い。

 教育との関連については、教育によって時間はかかるが少子化を解決あるいは乗り越える人間作りが出来るはずと考えている学生が多い。また少子化は教育システム自体を考え直す好機と捉えている。

 子育てが楽しくない母親が多い理由としては、男性の非協力、社会的なケアシステムの不足、母親だけに子育ての責任が押しつけられている現状に問題があると考えている。

 自由記載の意見は、現在世間で言われている少子化の問題点を彼女たちも同様に捉え指摘している。ただ対策については、短期的、場当たり的対策や遠い将来を見通さない政策決定に対しては学生たちの見る目は冷静であり、児童手当てや税制などに安易に手を加えるだけでは根本的な解決にならないことを見抜いている。

 アンケートの結果から感じられることは、エリート女子大生たちが子どもを持ち育てることを極めて真摯に考え向き合おうとしている姿勢である。一般には若い女性が自分たちのわがままから子どもを生みたくないという見方もあるが、それは一面的に過ぎないことは明らかである。したがって少子化を悲観的にばかり捉えず、女子大生の前向きな意識を大切にサポートしていくことが必要であろう。

3.欧米先進諸国にみる少子化

 少子化への対応を北欧諸国やかつてのフランスに学ぶべきだ、という声がある。

 欧米先進国での合計特殊出生率の動向をみると、1965年まではオーストリア、デンマーク、フランス、ドイツ、イタリー、スエーデン、スイス、イギリス、アメリカと殆ど例外なく2.5以上の高い値を示していた。それが10年後には殆どまた例外なく2.0を割っている(イタリーのみ2.19)。したがって少子化はわが国だけではなく、欧米先進国に共通してみられる現象である。むしろ西ドイツは1985年に1.30(同年日本は1.76)を記録し、他の国も概してわが国以上に急速に進んでいる。少子化は先進国共通の現象であるが、1994年時点の合計特殊出生率で数字的にかなり悪いイタリー(1.22)やドイツ(1.24)では日本ほど大騒ぎもしていないし、対策も講じていないようである。その理由はヨーロッパ諸国では移民の受入れに対して抵抗が少ないためと考えられる。またわが国の場合は、少子化だけでなく、特に寿命が延びて高齢化が急激に進んでいることも危機感を強めている。

 欧米で何故出生率が低下したのかについては幾つかの見方がある。第一は避妊法の発達、中絶の自由化の影響が大きいとする。第二は結婚行動の変化で、女性の地位、役割の変化すなわち女子の社会進出や高学歴化、男女雇用機会の均等などにより結婚しなくなったこと、これは特に米国の社会学者の見方であるが、わが国もまさにこれである。第三の見方はユニークで、産業革命以後ヨーロッパでは子ども中心社会が続いてきたが最近はそれが崩れて、大人本位の社会になってきた、とするもので言わば価値観の変化である。これもわが国でよく当てはまるものであろう。第四には出生率サイクル説とでも言うべき考え方で、子どもの少ない時代に生まれた人は就業が有利になり、結婚・出産が盛んになりベビーブームとなるが、そうして生まれた子ども達は自分が成人すると、結婚も就職も厳しい時代を迎えるというものである。さらにいわゆるジェンダー革命が欧米では強い。

 先進国における合計特殊出生率と住宅事情(一人当たり床面積)には相関関係があり、1993〜95年の統計で合計特殊出生率の高い順にアメリカ(2.05)は64m2、イギリス(1.76)は40m2、フランス(1.65)が34m2、日本(1.42)が30.9m2となっている。日本の住宅事情は如何ともしがたい面もあるが、それでも利用の仕方によって一人当たりの住宅床面積を上げるよう工夫すべきであろう。

 少子社会では特に福祉の立場も重要で、この点は日本は欧米にまだ遅れを取っている。欧米の福祉は地域・社会が中心であるのに対して、日本では家庭・家族が中心になっている。その上父親の育児参加は欧米と日本では歴然とした差があり、日本の父親の育児参加は非常に低い。また一般にQOL(Quality of Life,生活の質)には3つのレベルがあり、下から順にHaving(衣食住等)、Loving(結婚、親子、家庭等)、Being(社会的役割、生き甲斐等)であるが、欧米では男女とも平等に3段階を保っているのに対し、日本の女性のBeingは未だ一般的でなく、それを目指す女性が多くなってきたことが少子化につながっている。

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V.少子化の問題点

 少子化はそれ自体が憂慮すべき現象ではなく、高齢化と同時に、しかも急速に進行している所に社会的・経済的な問題が生じるのであり、今後20〜30年にわたる期間に適切な対応が必要になる。少子化あるいは少子社会についてはすでに多くの識者、様々な立場から問題点は論じられているが、人口構成の変化や人口減少の及ぼす影響は1世代先の問題であるために、直接的な問題認識がしにくいものである。しかも少子化が社会問題となる頃に対応したのでは、その効果が出るまでにさらにもう1世代かかるため、深刻さは強まることになる。少子化の影響も対策も世代を超えた問題であることを認識したい。

 すでに公にされている多くの報告や本委員会での議論を踏まえた上で、わが国での少子化の問題点は以下のように要約できるであろう。

1.経済成長の低下

 少子化とは、子どもの減少そしてやがては若者が減少することであり、需要と生産力が低下し国の活力が失われていくことを意味する。少子化の傾向が現状のまま持続すれば、2050年には生産年齢の人口は38%減少するといわれている。GDPの減少はさらに大きく、農業、教育、住宅その他の生活直結産業に破滅的な打撃を与えることが予想される。

2.社会保障給付と負担のアンバランス

 少子化と高齢化の同時進行は、年金制度と社会福祉サービスに甚大な影響を及ぼす。生産年齢人口が減少し高齢者人口が増加するため、年金、医療、福祉等の社会保障の分野において現役世代の負担が増大し、やがては限界に達し制度の維持が財政的に困難になる。平成9年の厚生省の推計によれば、65兆円(平成7年度)の社会保障給付費が、25年後の2025年には216〜274兆円に増大し、国民所得に占める割合が18.5%から30〜35%まで上昇することが予測されている。社会保障給付以外の公費支出が現在の水準(20%)で推移したと仮定して計算すると、将来の国民所得に占める公的負担(租税+社会保障)の割合、すなわちいわゆる国民負担率は50%を超える水準になり、現役世代の手取り収入が所得の半分以下に減少することになる。

3.子どもの成長・発達への影響

 少子化は子ども達の心身の健やかな成長に対しても影響がある。子どもの数の減少により子ども同士、特に異年齢の子どもとの交流の機会が減少し、子ども相互の間で揉まれることが少なくなる。このことは、我慢、思いやり、感謝、友情などを学ぶ機会が減少し、人間として最も大切な心の発達が阻害される。さらに親子関係の変化、特に親や周辺の過保護、過剰期待によるプレッシャーなどにより、社会性や自主性の発達も阻害される。これらはすでに「キレる子ども達」として社会問題にもなっている。最近の幼稚園、小学校では子ども達が変わってきたと言われ、変わっている子どもに共通する特徴は「著しい孤独性」であるという。それは必ずしも単純に少子化の結果とは言えず、むしろ少子化を進行させる社会的要因を共通の背景としている可能性もあるが、いずれにせよこのような子ども達が大人になった場合、さらに次の世代に様々な影響を与える筈であり、少子化の影響は子どもの数の問題だけではなく、世代を超えて子どもの質も変えていくことに注目しなければならない。

4.少子化の意味するもの

 少子化についての様々な議論の中で、現在対応を迫られている最も核心的な問題は、急激な少子化が将来の生産年齢人口を減少させる一方で、高齢者人口の比率が今後著しく増加していくため、社会保障・福祉制度を支える人口構成のバランスが崩れ、その状態が約50年続くという点である。出生率が現状のままで推移すれば、経済成長率はある程度維持したとしても、社会保障の負担がそれ以上の急激なスピードで増加するため、国民の実所得はマイナスになってしまう。

 少子化には、競争社会の緩和、住宅・土地問題の解決、環境への負荷の軽減等、好ましい面が無いわけでは無いが、全般的にみると予測される影響はマイナスと言われている。人口の将来推計によれば、現在約15%である65歳以上の高齢者の割合は、2050年には32%に上昇し、現在人口の70%を占めている生産年齢人口は55%まで減少するとされている。そのため生産年齢人口に対する年少人口と高齢者人口の割合は44%から83%に上昇する。つまり2050年には、生産年齢人口が支えなければならない従属人口は現在の2倍になると考えられる。

 少子化対策の本来の目的は、今後僅か50年間におこるこのような急激な人口構成の変化、それによってもたらされる社会構造の変化を、いかに国民全体が受け入れられるレベルまで和らげ得るかという点にある。

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W.様々な視点から

1.発達心理学の立場から

 教育心理、発達心理の観点から少子社会をみると、子どもにとって異年齢、異世代により構成される集団の社会を経験する場が少なくなってきていることが問題である。兄弟姉妹の数が平均1.38人であることは家庭において縦の並びによる遊び、地域における異年齢の集団遊びの機会が激減していることを意味している。遊びを通して育まれるべき知的、身体運動的、社会的行動の発達や情緒の安定性が抑制されている。心身のバランスのとれた発達が妨げられ、困難な場面に直面して自己をコントロール出来ず、いわゆる「キレる子ども」の出現につながっている可能性がある。

 少子化は縦の人間関係でも親子、特に母子の関係で特異な状況を醸成する。子どもが少なくなると親はかなり早期から知的環境の準備に走る。子どもの周辺に、テレビ、ファミコン、絵本、知的玩具など、子どもにとっての知的文化財が豊かになる。そのこと自体は必ずしも悪い訳ではなく、子どものIQ(知能指数)を高めるのに役立つかも知れない。問題は人間同士の接触や摩擦がすくなくなりEQ(情動指数)が低下することである。望ましい人格とはIQとEQがバランスよく発達することである。少子社会は知育偏重社会に陥ることを警戒すべきである。

2.少子化と教育

(1)初等中等教育:学級定員について
  少子化はそれ自体が子どもたちにも様々な影響を与えているが、特に教育の現場に於いて深刻な影響を与えている。第2次ベビーブームの25、6年前には小学校の新設や教員の増員が必要であったが、最近では教育系大学出身者で小学校教員になっているのは非常勤を含め35%に過ぎず、65%の卒業生は他の職業についている。それだけ教員採用の条件が厳しくなって、優れた教員が多くなっている。

  子どもの教育に与える少子化の影響も大きい。具体的には、@子ども同士の切磋琢磨の機会が減少し、A親の子どもへの過保護過干渉が増強し、B学校や地域での一定規模の集団活動の成立がしにくく、C良い意味での競争心が育たない、などが挙げられる。

  少子化は学級定員を見直す絶好の機会である。これまで小・中学校の学級定員が40人であったが、40人は教育の場でなく管理の場である。少子化は学級定員の減少を図る絶好の機会であり、幼稚園は15人、小学校は25人、中学校は20人にすれば触れ合いの教育が促進され、一人一人を生かした個性尊重の教育が可能になり、ひいては将来の青少年の問題行動は少なくなり、極端な「キレる子ども」の出現もなくなるであろう。

(2)高等教育への影響
  少子化の影響は高等教育、とりわけ私学の教育と経営に急速に波及している。端的に言って受験生の減少である。受験生は多くの大学を掛け持ち受験しなくとも志望校に入り易くなったため、全国的に延べ受験者数が急減している。なかでも短期大学と女子大学が犠牲になっている。その結果全体として上位の難関校を除き、学生募集の困難といわゆる「定員割れ」が私学経営を直撃するに至った。大学間で受験生をめぐる過当競争が生じ、各大学の施設費や学生募集広報費が巨額に達し、教育研究を圧迫し始めている。

 「競争環境下で個性輝く大学」をつくろうという国の方針は、期せずして早く実現しそうである。サバイバルのために、各大学は他とは異なる差異化戦略を打ち出さざるを得ないからである。それと同時に、大学間で吸収合併、系列化が進むと予想されている。当然大学のリストラも不可避となるであろう。

 今日、大学は転換期あるいは激動期に入ったともいわれている。少子化がこの転換・激動の原因ではなく、それをプッシュする促進因子と考えられている。国立大学の独立行政法人化の議論も直接少子化に端を発したわけではないが、今後いろいろな面で影響を及ぼすことが予想される。第2次大戦後の教育改革をはるかに上回る今日の大学改革は、大学教育が質的に新たな段階に入ったことから生じている。

 教育の段階は進学率により3段階に分けられ、進学率15%まではエリート教育段階、50%まではマス教育段階、それ以上になるとユニヴァーサル教育段階になるとされる。この第3段階では大学と社会の間はバリアフリーになり、誰でも何時でも必要に応じて教育を受けることが出来る。教育に対するニーズは著しく多様になるため、従来の教学体系は構造が失われ、極めて弾力的になる。要するに少子化はユニヴァーサル教育へのシフトを促進しているのである。

 しかしながら、すべての大学がユニヴァーサル教育段階に移る訳ではなく、ごく少数の大学はエリート教育の拠点、あるいはCOE(Center of Excellence, 中核的研究拠点)として残るであろうし、一部はマス型の専門職業人の養成を続けるであろう。そのように異なる教育段階を担当する複数の大学群が、層をなして共存するような高等教育の構造を、少子社会は促進しているといえよう。したがって、少子化は「個性輝く大学」の形成にプラスに働くと考えられる。

3.地球環境と人口問題

 ヒトは文明を手に入れて以来、生活必須要件を拡大させることに成功し、生物学的飽和密度を超えて人口を増大させてきた。地球上の人口は2000年前には2〜3億であったと推定されるが、18世紀半ばに起こった産業革命以後、爆発的に人口が増えた。推計によれば1750年の地球人口6億3千万〜9億6千万が1900年には15億5千万〜17億6千万と倍増し、その後も加速度的に増加して昨年10月には60億を突破したとされている。

 人口増加率は1960年までが高く、人口爆発という言葉が生まれたが、最近はやや鈍化が起こってきている。それでも2050年には国連の推計によれば90億に達するであろうという。その80〜90%はアジア・アフリカで占められる。地球は有限の閉じた系であり、人口が増加すれば環境への負荷は避けられない。

 60億のヒトが食料を確保し必要な物資を生産し、生活していくために農業地域を拡大し、森林の破壊が進み、また多くのエネルギーを消費するために地球の温暖化も問題になっている。そのような状況のもとで、欧米先進諸国も日本も少子化が進んでいる。しかし消費の立場からは、先進国での人口の伸び率は低いけれども、途上国の出生率の高い国よりも問題が大きいとされる。例えばイギリスの人口の伸びは1年当たり11万6千、年率0.2%、それに対してバングラデッシュでは年率2.4%、270万人が毎年生まれている。数の上では23倍であるが、イギリスで生まれたヒトは石油換算で年間24バレルの燃料を消費する。バングラデッシュのヒトは僅かに0.3バレルであるから、イギリスは実に80倍のエネルギーを消費しており、地球温暖化に対しては途上国よりも先進工業国の方が脅威を与えている。バングラデッシュの人口を減らすよりも、先進国の消費レベルを減らす努力をしなければ、現状の改善は望めない。

 わが国での少子化問題は地球規模の人口問題の中で議論されることが望ましい。その論点は、@国際レベルでの問題点、A先進国での問題点、B途上国での問題点であり、それぞれを整理して対策を考えていくことが不可欠である。

4.社会法の視点からみた少子社会

 現代法が維持している既存の社会構造は、二つの次元 −資本主義あるいは市場主義という階層的次元と「家父長制」というジェンダー次元− が存在している。ジェンダー次元が男性優位の社会秩序を維持しているという考えは比較的新しく、フェミニズムによる問題提起であった。それは雇用平等要求、家事労働の無償性の問題、セクシュアリティの自立・自己決定権であった。

 いずれも少子化に関係があるが、特に家事労働の無償性に注目したい。資本主義の労働構造は、「支払われる」労働と「支払われない」労働を分裂させ、後者すなわち無償労働はもっぱら女性が行っている「家事労働」であり、それを通じて労働市場における女性労働も極めて低く評価されてきた。また妻の無償労働によって得られる利益の享受者が、もっぱら夫であることも大きな問題であった。

 現行労働法(労働基準法)は男女賃金差別を禁止しているが、有償労働による男女格差は存在し、直接制度的に無いように見えても、例えば出産休暇を取ると昇進が遅れるというような目に見えない差別は存在する。優秀な女子学生も企業に入ると数年でやる気を無くしてしまうような状況である。それでも女性の社会進出は阻むことは出来ないので、子どもを生みたい時に生めるような状況にしなければ、少子化は解決しないであろう。

(1)男女雇用機会均等法をめぐって
  1985年に成立した男女雇用機会均等法は「女性のみ」または「女性優遇」の措置を許容するという片面的な効力を発揮するもので、ILOはこの不充分性が男女間賃金格差など性差別の維持につながっていると指摘した。1997年6月11日に国会通過した均等法等整備法はその解消に向けて一歩踏み出している。募集、採用から解雇に至るあらゆる雇用ステージの男女差別を禁止し、過去の差別を是正するための暫定的な特別措置(ポジティブアクション)を奨励し、女性の就労環境を悪化させるセクシャル・ハラスメントの防止に対して事業主の配慮を求めている。しかし日本企業の強固な「家父長的性格」は容易に変化しないので、より一層の対策が必要である。男女の事実上の賃金格差を縮小すること、全国転勤条件を課すなどして事実上女性を総合職から排除するような「コース別雇用制度」を改善すること、パートタイム労働者など非正規社員と正社員との賃金・労働条件格差を是正することなどが緊要の課題である。そのためには、同一価値労働同一賃金原則の導入や間接的性差別禁止規定の創設などが有効であろう。特に育児(家庭)と職業を両立させることを望む女性が非正規労働を選択せざるを得ない現状からみると、早急にパートタイム労働法を改正してその就労条件を改善しなくてはならない。

  子育て支援策としては、労働法上の対策と社会保障上の対策が考えられる。労働法に関しては、出産・育児のための休暇のより十分な制度的保障(出産に関してはILO0103号条約が改訂される予定)、出産・育児を理由とする差別の根絶、「職業と家庭の両立」に向けた全般的な労働条件の一層の改善(労働時間の短縮、柔軟化)、育児中の特別保護(深夜業や時間外労働免除の拡充、子の看護休暇制度)などの対策を講じる必要がある。男性の育児休業取得率を引き上げることも考慮されるべきである。

  働く女性への差別が解消する方向へ進めば、そのことが少子化へ歯止めをかけることにもつながると期待される。


(2)社会保障法の観点から
  出生率低下の第一の理由は「子育てに経費がかかる」からである。したがって基本的に大切なことはその解消であり、それには児童扶養手当ての大幅な引き上げ、税制上の児童扶養控除の改善、健康保険などの出産・育児給付の引き上げ、育児休業中の所得保障(現在の雇用保険給付の改善が主たるものとなろう)等が望まれる。これらは国民的合意が得られれば実施はさほど困難ではない。また夫婦が共に働くのが一般的となっている現在、生まれた子どもの健全な育成のために、いつでも利用できる乳児保育体制の整備、事業所付設の保育所に対する公的助成、さらに学童保育の拡充と定着、これらについて国および地方自治体、企業などの積極的協力がなければならない。

  あれこれ多くの施策を総花的に並べてみても効果的でないことは実証済である。重点となるものを選んで、それに思い切った費用投入をすることが必要な時期になっている。

5.経済の側面から −少子均衡社会の問題−

 わが国の急激な高齢化・少子化の進行は、過去の急速な経済成長の代価である。少子化は労働力の減少による経済成長の阻害と高齢化に伴う生産力人口の所得圧迫をもたらすが、他方過密と混雑を緩和し、住宅、環境、教育などの面でゆとりを回復させる。人口問題審議会(199)は双方を比較検討した上で、相殺して少子化の効果はマイナスとしているが、少子化が不可避の現実であるから、これを機会としてゆとりの回復に活用することを基本的視点とすべきである。ただ経済成長の抑制と生産人口の負担増加が続くと、少子化は収斂せずに進行し悪循環を断ち切ることが不可能になる恐れがある。

 中短期の少子化の収斂のために、雇用、住宅、教育等の環境整備と、子育て負担を軽減すべき支援策がすでに提案されているが、早期の実施と効果が期待される。現在の少子化の勢いからみて、仮に出生率が回復するとしても緩やかであり、しかも当面当分は従属人口の増加は続くのであるから、生産力人口化までの経済力を維持することが鍵になる。

 長期的視点に立ては、少子均衡社会の到来であり、その際生活水準の維持向上の可能性を問われるが、そのためには具体的には次の二つの選択肢がある。

a)一人当たりの所得の維持
b)国民総所得の低下の回避

a)の一人当たりの所得水準の維持のためには、@人口減少による規模の経済の純喪失分だけ生産性が向上しなければならない。A高齢化対応のため生産力人口の可処分所得は圧迫されるから、一人当たり所得水準を維持するには、さらに生産性の向上が必要になる。
 
b)の経済の総規模を持続することは、経済社会の活力を保ち、現状に合わせて整備されてきたインフラの維持の上からも必要である。しかし少子社会でこれを満たすにはa)以上の効率化が必要となる。一人当たりの所得の維持をまず課題として、国民経済のある程度の縮小を受け入れるという選択も用意しておく必要がある。具体的な問題点として以下の3点を挙げておきたい。 

(1)高等教育の充実
  労働力の減少を補って生産性を維持させるには、労働力の質を高めることが不可欠である。少子化の進行によって大学入試が楽になり、大学生の学力低下の傾向は避けがたいから、大学院教育の充実と社会人再教育への支援が重要となる。

(2)労働力の量の不足への対応
 @女性や高齢者の労働力化:女性の労働環境の改善、定年の延長、職業訓練など。
 A外国人労働者の受入れ:少子化をこれだけで補うことは現実的でないが、すでに外国人労働力は不可欠になっている。また、開発途上国で人口急増が続く国際事情からも、外国人労働力の受入れの拡大は避けがたい。そのためこの問題を直視した対応を整える必要がある。それは異質性を包容しながら、わが国社会の伝統と長所を保持していくだけの、タフな社会構造を構築することに他ならない。

(3)国土の保全
  わが国は世界で1,2の森林国で国土の2/3は森林であるが、近年里山村の衰退で国土の保全が危うくなりつつある。少子化は過疎地域の高齢化を促進し、さらに衰退を進行させる。国土の保全は社会の基礎であるという視点でその確保のための措置を要する。

6.社会学の立場から −女性学的視点

 少子社会は百年前に予言されており、1879年初版の「女性と社会主義」の中で「将来の女性は、社会が妊婦と母親にどんなに配慮をささげても、人生の最上の時期を妊娠や授乳で過ごすことを好まなくなる」とアウグスト・ベーベルが予言している。

 近年女性の立場が多様化していることは、総理府の「男女共同参画社会に関する世論調査」(1997年)にもよく現れている。それによれば「人は結婚してもしなくてもどちらでもよい」という考え方に「どちらかといえば賛成」も含めると賛成派は20台女性の85.5%もいることから明らかであるが、子どもを生むのは女性であるから、この結果は少子化の解消に対しては極めて悲観的である。厚生白書の副題「子どもを産み育てることに夢をもてる社会を」という方向づけは「夢」に近くなる。しかし同じ調査で50歳未満の未(非)婚率は男性10人に1人弱、女性は20人に1人強であるから、大部分は結婚しているし、結婚している妻の平均理想子ども数は2.53人であるから、実際には2人産んで、出来ればもう1人位欲しいと思っているのであろう。女性の考え方は年齢層によっても大きく異なり、「何が何でも結婚して子どもを産む」という考えは少なくなっているものの、「仕事も結婚も子どもも」という考えの人も結構いる。

 しかしながら現実には仕事か結婚かという選択に悩む女性も少なくなく、子育てをしている母親が苦しみながら仕事を続けている例も身近に多い。そこで5年前に出された「エンゼルプラン」はどこまで必要としている人の手に届いているのか、という疑問がある。また新児童福祉法でも保育所は「保育に欠ける乳児又は幼児を保育する」と定義されており、「保育に欠ける」という表現が児童福祉の理念に相応しいとは思えない。行政の窓口での対応にも問題が指摘されている。せっかく良い政策が立案されても、それを実行するに当たって母親や子どもに対する暖かな思いやりが無くては、意味がない。育児をしながら働く女性がどのように厳しい現実(職場での労働慣行と社会通念の壁、生活時間配分のアンバランス、職場での緊張とストレス)と向き
合っているかを男性は理解すべきである。

 少子化は単に女性の立場からではなく、「ジェンダー」「環境」「開発」すなわちGED(gender, environment and development)の視点からも考えなくてはならない。また少子化は日本一国の問題としてではなく、世界的視点で考えなければならない。日本の人口は国立社会保障・人口問題研究所の推計によると2007年から減少に転じ、百年後(2100年)には4,900万人になるであろうという。一方で国連の予想では世界の人口は増加し続け、2050年には93億6,700万人となり、その88%は開発途上国が占めるという。少子化には国民一人一人(個人)の自己決定権と、国家的要請と、地球環境規模での国の責任との三者が錯綜しており、それを矛盾なく解決することが可能であるかどうかも問題である。

7.生物学の立場からみた少子化

 一般に生物は、その生活空間や食物などの生活必須条件や気候条件などによる制限を受けなければ、子孫を無限に増やす力を持っている。しかし実際には生物の数はある程度以上には増加しない。それはゾウリムシを飼育すると、最初はその増殖能力に従って急激に個体数を増加させるが、やがて生活必須要件が不足し始めると増加は鈍り、最後は増加速度は0になる。通例生物の密度はこの飽和密度で安定する。

 多くの生物でこの現象が知られている。個体群密度の増加は一般に、卵や幼若個体の死亡率を高め、種によっては産卵・産仔数を低下させ、あるいは各個体の形態・生理・行動にも影響を与える。異常繁殖したイナゴの大移動やネズミの集団自殺などの記録は数多く残されている。このような作用を密度効果という。この密度効果が強く働いて、密度が飽和状態を大きく下回ると、産卵・産仔数の増加や死亡率の低下が起こって、密度は再び増加に転ずる。

 もし高密度であることが、生物にマイナスの作用を与えるだけならば、集団の形成は生物にとって損失になるはずである。しかし実際にはほとんど全ての生物は集団として生息しており、一定の大きさの集団は生物の生存にプラスの効果を与えている。実験的に、個体当たりの生存確率、増殖率、成長速度などは、個体群密度が高すぎても低すぎても低下すること、中間の密度の時に最高となることが示されている。ヒトも生物の一種であることを考えると、この密度効果によって適正な密度を保つ方向に何らかの力が働くことは当然の現象である。もちろんヒトの世界には人種、国家、文化など、様々な複雑な違いがあって、ゾウリムシやネズミのように単純には割り切れないかもしれないが、現在日本をはじめ先進諸国でみられる少子化を地球規模で客観的に考える時、このような生物学の視点も理解出来るであろう。現在60億を越すヒトが生活し、物資を生産するために多くのエネルギーを消費し、地球の温暖化が問題になっている。さらに莫大な廃棄物による環境汚染とともに、ヒトのみならず多くの生物の生存を脅かすようになってきている。

 従って、少子化を生物の自然な現象として捉え、それを好機として生活パターンや価値観の転換、社会構造の変換を図ることも一つの考え方として許されるであろう。極論かも知れないが、日本の食料自給率からは人口を40%位に減らすのが適正である。適正な人口を維持することは、食料、資源、エネルギー、環境問題の多くを解決に向かわせるはずである。

8.少子化とエネルギー問題

 エネルギーの大量消費に伴う地球温暖化の懸念が世界的に広まったのを受け、1997年12月に京都で開催された第3回気候変動に関する枠組み条約締結国会議(COP3)において、二酸化炭素削減のため我が国は一次エネルギー消費を2010年頃までに1990年レベルより6%削減することを約束した。それに基づいて官民挙げて現在徹底的な取り組みが進められている。それにはエネルギーの大量消費をやめ、資源リサイクルを進めるとともに、ライフスタイルの変化が求められている。同時にいわゆる持続可能な経済発展を図ることも必要なことから、各分野における省エネルギーの徹底が鍵となる。産業部門での省エネと資源リサイクル、民生部門での電気機器のエネルギー効率の向上、待機電力の削減、建築物の断熱、ヒートポンプの使用などがある。運輸部門では今後もエネルギー消費の増大が見込まれており、燃費低減が緊急の課題となっている。

 このような状況下で、少子化がどのような影響を及ぼし、また今後どのような対応がなされるべきであろうか。

(1)生産性の問題
  わが国の産業は従来からきわめて高い生産性を誇っており、その結果として一人あたりの国内総生産は世界最高水準にある。若年中年層人口の減少が始まれば、他の条件に変化がない限りエネルギー消費量は減り、それに伴って工業製品の生産性は低下するであろう。現在すでに工業製品の生産拠点は安価で豊富な労働力のある東南アジアなど海外に移りつつあり、少子化が進めばその傾向はさらに助長されるであろう。その影響をうけてわが国は高度の付加価値製品の製造を担当することになり、同時に製品企画、調査、開発とそれを支える基礎研究や応用研究の開発拠点が残され、国内総生産を高レベルに保つことは可能であろう。しかしそれが可能となるには、たとえ少子化が進行しても従来からの高度の技術レベルを確実に継承し、さらに一層の発展を図ることが前提である。そのためには、これまで以上に優れた資質を持つ技術者が必要になり、少数でも世界最高級の技術者を養成する必要がある。少子化に向かうときであるからこそ、科学技術立国にふさわしい人材を育成するための教育環境を整備することが不可欠である。それには高等教育志望者がこれまでのような安易な受験技術本位で進路を決定するのではなくて、幼児期から科学技術に興味と関心を抱かせるような教育基盤を作るとともに、将来産業の担い手となる意義と誇りを充分認識させるような社会的対応、すなわち技術者の地位の大幅な向上が大切である。

(2)民生部門のエネルギー
  1996年度における日本の最終エネルギー消費の実績は産業部門が原油換算で1.95億kl(49.5%)、民生部門が1.02億kl(26.0%)、運輸部門 が0.96億kl(24.5%)であった〔総合エネルギー需要部会中間報告〕。すなわち民生部門は全エネルギー消費の約4分の1を占めている。民生部門の年平均伸び率は特別な対策を講じなければ2010年まで1.8%が続くと予想されており、産業部門の0.6%や運輸部門の1.1%よりも高い。民生部門の伸びが大きい理由は、豊かさと生活水準の向上を反映するものである。生活水準を低下させずに伸び率を下げ、さらにマイナスにすることが地球温暖化防止の観点から望まれている。総人口ピークを迎えると予想されるのは2010年頃で、それ以前から少子化と高齢化により人口構成の変化が起きて社会が成熟し、環境負荷が減りエネルギー消費パターンも変化するであろう。高齢者個人は若年者よりもエネルギー消費量は少ないから全体として消費量は減少となろう。逆に高齢の健常者でも運動機能が低下したり、身体のどこかに障害を持つようになるから、生活を楽にする手段を講じたり介護機器・装置やリハビリテーション用機器が必要となろう。このことは若年者とは異なる意味でエネルギーを多用する傾向となり、その意味で少子高齢化が進むからといって、単純に一人当たりのエネルギー消費が減るとはいえず。逆に増加する可能性もある。

(3)運輸部門のエネルギー
  少子化の進行と総人口の減少は運輸部門にも無視出来ない影響を与えるであろう。現在省エネの推進の観点から公共交通機関の利用が叫ばれ、事実大都市やその周辺では地下鉄やバス、近郊鉄道網が発達して利用者も多い。しかしこれは人口密度が高く、利用者が多いために採算がとれているから成り立つのであって、もしも人口が大幅に減少するならば、乗客も減って経営が悪化し、結局は公共交通機関が成立しなくなり、場合によっては廃線に追い込まれるであろう。そうなればマイカーの使用は増え、運輸部門のエネルギー消費は増大の方向を免れない。さらに高齢者の増加は、公共交通機関は使えなくても自動車運転は出来るという場合も多いから、高齢者のマイカー利用は相対的に増加することになる。

  以上のように、少子化とエネルギー問題の相関を考えると、少子化が進んでも産業の空洞化を起こさないための施策が必要であることと、少子高齢社会は生活面からも交通面からも、エネルギー需要は増大の方向ヘシフトする可能性が指摘される。そのために特に高齢者の生活防衛手段、生活支援機器類、自動車などにおける徹底した省エネヘの取組が今後一層重要な課題となると思われる。

9.住宅問題と少子化 −3人の子どもと暮らすために−

 都市社会は農村社会に比べて子どもの出生率は低いとされる。都市には様々な欲望と娯楽が満ち溢れているから、結婚年齢も高く離婚率も高い。そのような社会で子ども2人を育てるには大変な努力が要る。ましてや3人子どもをつくることは無謀に等しいと考えるであろう。もしも若い夫婦が子ども2人をもうけるのが最大の努力目標であるとすれば、都会人口の合計特殊出生率が「2」を下回るのは自明の理である。そして子ども3人を生んでも大きな支障なく育てられる都市社会を組み立てなければ、日本の人口減少に歯止めをかけられないのも当然であろう。ところが東京をはじめ大都会の住居、そして住環境はその要望に殆ど対応出来ていないのが現実である。すなわち、子どもを産み育てる年齢の母親が夢見る、家賃が安くて広い住宅が提供されていないからである。子育てが終わった中高年(40代後半〜50歳代)の夫婦が大きな一戸建て住宅を手に入れても、それは子どもを産むことには関係ない。

 しかし現在の日本の家庭の通念は、結婚して子どもが小学校を終える位までは狭い借家でやりくりしながら生活し、子どもが高校から大学に入る頃になって家庭の体面も考えて郊外に一戸建て住宅を所有するという流れである。それでは若い母親は子どもを産む気持ちにならない。若い夫婦のうちにこそ、ゆとりのある住宅で生活すべきなのである。そのためには政府の補助を考慮しながら、安くて大きな民間借家を大幅に増やす必要がある。以下住宅問題について2、3の問題について考察する。

(1)大都市における住宅の住み替えの流れ
  ここで検討する対象の都市は大都市、特に東京、大阪といった巨大都市圏とする。何故ならば都市が大規模になるほど、女性は子どもを産まなくなるからである。結婚を考える若者達にとって最大の関心事の一つは質の高い住宅の確保である。出来るなら最初の子どものために独立した一部屋を確保したいと思うであろう。一般的な賃貸マンションでは2寝室1居室の形式が多く、先ずは最初の要求に応えられる水準には達している。しかし子どもの成長は早く、家庭が本格的に動きだし始めると、この程度の住宅ではすぐに手狭になる。問題は一般的新婚家庭となる住宅には2人目の子どもを受け入れる容量が全くないということである。

  全国的住宅統計を数字によって海外と比較してみる。不思議なことに日本の持ち家の規模は120m2程度で、これはイギリス、ドイツ、フランス等欧州諸国の住宅規模よりも大きい。ところが借家の規模の比較では日本が45m2でイギリスの90、ドイツ、フランスの70の半分か2/3まで小さくなる。これは全国平均であるから、大都市圏ではさらに狭く、主婦の落ちつける独立した部屋や、夫の書斎をもつことなどは夢のまた夢である。夫婦が45〜40歳位になってくると、郊外に一戸建て住宅を購入するようになる。これは平均100m2(30坪)以上の大きさがあるから、小部屋は3つ確保され、子どもが3人いても落ち着ける広さになる。しかしながら主婦の年齢は40歳に達しているから、もう一人産もうという精神的要求は低い。

(2)住宅のミスマッチ
  前項の話から、現在の住宅政策では3人以上の子どもを持つ若い夫婦が安心して生活出来る安価な家賃の住宅は考えていないことである。他方で市街地の中には子どもが成人して出て行った後、大きな住宅を持て余している老夫婦が沢山いる。高齢の夫婦には広い住宅は要らない。むしろ市街地の中にある40〜70m2程度のマンションの方が維持しやすい。したがって郊外にある一戸建て住宅、市街地外縁部にある大きな賃貸マンションに若い家庭が住むことが、住宅政策からみた少子化を防ぐ有効な方策である。

  大都会の中流階級の住宅地を調査すると、100m2を越す戸建て住宅に年老いた婦人が独り暮らしをしている事例が多い。その近くの民間マンションでは、小さい居室と子ども2人に悩まされ、家庭生活と格闘している若い主婦が沢山いる。この無駄と過密が共存する矛盾は、一度他人に家屋敷を貸すと、現在の借家法では借家人の権利が強いために、借家人がそのまま居座る危険性があることから生まれてくる。その危険性を覚悟してまで家主は家を貸さないのである。

(3)新しい借家制度
  そこで、最近、定期借家権という賃貸方式が法律で定められた。これは貸手と借り手の間で明確に期限を設定し、期限が来たときには借り手は必ず家主に返却しなければならない法律である。定期借家契約が広まってくれば、家主は安心して家を必要とする他人に貸せるようになるであろう。賃貸借関係をより合理的にして、規模の大きな民間の貸家を造れるようにという狙いで新しい定期借家制度が設けられたのである。

(4)3人の子どもを育てるための家賃補助
  定期借家制度と家賃補助政策を組み合わせれば、3人の子どもが生まれても快適に住める住宅が供給される可能性が生まれてくる。3人以上の子どもがいる若夫婦には1居室分の家賃(月約4万円位)を国が補助することとする。借りる家は定期借家制度による民間の借家である。補助の期間は3人目の子どもが10歳になる位までとする。

  現在の年間総出生数は120万であるから、その8%(約10万人)が3子目の誕生によって増やすこととすれば、毎年一家庭に払う補助金は50万円、10万家庭で500億円、制度発足10年後には5,000億円(以降は同額で推移)を国が少子化対策の家賃補助として毎年支出することになる。5,000億円は巨額であるが、住宅産業を中心においた経済活性化の補助金と見なすことも出来よう。また仮に10万戸の半数程度が先に述べた「老婦人の独り住まいの戸建住宅」であれば、子どもへの相続のために守ってきた住宅が資産として運用されることにもなり、その家賃収人は年金生活者にとって大きな潤いになるであろう。したがってその補助金は高齢者福祉対策費として理解することも出来、5,000億の支出は非合理的ではなく、むしろ一石三鳥の政策である。

10.農学分野における少子化の課題

  少子化は生産人口の減少としてあらゆる産業について問題とされるが、農林水産分野においては、第1次産業である農業、林業、水産業、畜産業などの生産が低下し、食料問題、住居資材の不足、あるいは環境問題に大きな影響を及ぼすことになる。

 (1)食糧生産と人口
   日本の食糧自給率は熱エネルギーに換算して1960年に約80%であったものが、1998年には半分の40%程度に減少し、残り60%は輸入に依存している。国内で自給出来るのはわずかに米、鶏肉、砂糖の一部だけで、野菜、魚介類、牛乳、乳製品、牛肉、果物、小麦、大豆等、多くの食料が輸入に依存している。さらに家畜の飼料も含めて日本の穀物の輸入量は世界一である。食料の輸入はウルグアイラウンドや貿易摩擦等による国際的・政治的な面も含まれているが、日本の農業生産に大きな抑制が加わるのも事実である。農業就業人口は1960年に1,196万人であったが、1998年には327万人と約3分の1に減少し、耕地面積も607万haから494万haと113万ha減少している。このような減少は少子化による後継者不足が原因であるが、今後、少子高齢化の進展によって生産人口が減少すればさらに深刻な影響をもたらすであろう。元来、農林水産業は第1次産業として経済性が低いため、農山林地帯の若者は都会へ脱出し、残る後継者には結婚する相手がいなくなり、過疎地における少子高齢化の歪みをさらに極端に強めているのである。今後20〜30年を経過して高齢化がピークに達し、生産人口が減少する頃には、中国を始め東南アジアでは社会経済が発展し生活レベルも著しく向上することが予想される。そうなれば自国の食糧自給が優先することになり、食糧輸入を東南アジア諸国に依存している日本へは輸出が控えられるのは当然である。少子化によって国内の食糧生産がさらに低下すれば、農学関係の第一次産業は危機的状況に至り、深刻な食糧難の時代を迎えることが予測される。しかしこのような状態には一気に陥るのではなく、社会構成の変化にともなって徐々に進行するので、その間に食糧危機を踏まえて農学に関する産業が重要な産業となるような転換を図るべきである。また科学的な研究開発によって、米穀や野菜、あるいは乳肉など良質で生産性の高い農業を産業として発展させることが重要である。

   農学が重要な産業の発展の基礎となる要素は、@21世紀に食糧難に陥る危機感、 A農学関係の第1次産業としての生産人口の減少により、この分野の人材の希少価値が高まる、B農学の分野は国土と環境を保全する上での役割が大きく、仕事をライフワークとして誇ることが出来る、C食糧の原料生産から加工、販売までの生産流通システムの確立が高収入に結びつく、などを考えることが出来よう。

 (2)農学・農業分野における教育の課題
   現在、わが国の農学・農業分野における教育は農業高等学校、農業大学校、そして大学における農学部、林学部、水産学部、獣医畜産学部などで専門教育が行われているが、実務教育を主体とした農業高校や農業大学校は次第に減少し、学部教育は高度・専門化する結果、学術的な教育を受けても実際に農学の分野で生産活動に従事する人は少ない。

   そこで高校や大学校などには、実務教育が実践出来る教育体制を整備して、入学する生徒が学習に興味と誇りを持てる教育内容を確立する必要がある。また大学の各学部における教育でも、学理に主眼をおいた研究室中心的な教育よりも、フィールドに出て実践的な体験教育と研究が行えるような方向も重視されるべきである。

 若者が農学に関する生産現場で誇りと使命感をもち、ゆとりのある生活が出来るようになれば、少子化の緩和にも貢献すると考えられる。

 教育全般にかかわる課題として、生命倫理に関する教育が近年特に重要性を増している。これは最近のクローン動物の誕生によって、獣医畜産の領域を越えた大きな問題として社会倫理的な規範を求められているところである。

 少子化との関連でさらに重要な課題は、高齢者の多くが病院で人生の最後を迎え、子ども達が近親者の死と対面する機会が少なくなり、一方、少子化で子どもの誕生に立ち会うことも無くなって、子どもにとって生命の尊厳を学ぶ機会が減少していることである。そのような背景の中で、動物の飼育を通して生と死の体験学習をすることは、極めて重要な役割を担うであろう。幼稚園や小学校においては、飼育動物を教材として人と動物の関わり合いや生と死を体験学習し、幼少児期から豊かな情操を養うことに大きく役立つものであり、成人した後にもペットや動物との触れ合いを通して家庭環境の融和や心の和みが得られ、心豊かな人生を送ることが出来るであろう。

11.少子化の家政学的考察 −子どもの食生活について−

  結婚や育児に対しても様々な考え方があり、それが少子化につながっている。1997年に総理府が行った「男女共同参画社会に関する世論調査」については先に述べた通り(6.社会学の立場から)で、女性の考え方が年齢層によっても大きく異なるが、「何が何でも結婚して子どもを産む」という考えは少なくなっているものの「仕事も結婚も子どもも」という考えの人も結構おり、結婚し家庭をもつことの選択に悩む人ばかりでないことに注目したい。

  家庭とは人間の生命が誕生し、家族を形成する場所で、ライフサイクルの上では最も大切な乳児期を過ごす場所である。家庭が人間形成の場として果たしている役割は大きく、最近社会問題にもなっているいじめ、虐待、不登校など、あるいは一般に指摘されている子どもの社会性の欠如、自立性の遅れ、規範意識の低下などは、家庭の持つ教育機能の低下によるものであるといってよい。

  家庭は着る、食べる、住むという基本的な生活の場であり、どのような住まいにどう住んで、何を誰と食べているのか、というような生活活動の繰り返しの中で、子どもは親の影響を受けながら成長していく。それが家庭の教育機能の中心である。

  最近の家政学の研究から明らかにされた、現代の家族・家庭像と問題点は以下のようである。

 (1)子育て参加の少ない日本の父親
 (2)母親の子育て不安
 (3)父親の育児参加の必要性
 (4)子どもの食生活
 (5)子どもにとっての住まい

 このうち特に少子化との関連で子どもの食生活を考えてみたい。

 少子化とともに近年のライフスタイルの多様化によって、子どもの食生活にも様々な影響がみられる。少子化の議論の中で特に家族関係の希薄化が指摘されているが、その背景には家庭での食の乱れがある。家族が揃って食事をする家庭が減っており、朝食を抜く子も増え、「孤食化」と呼ばれ、食事を家族の一員として食べるのではなくて、朝夕ともに一人で食べるということが広まっている。食事は単に必要なカロリーや栄養素の摂取ではなく、日々の食事を通して育まれる情操や人間関係も大切であるが、特に都市ではかつての夕食が一家団欒の場であったような状況は失われており、都市化・宅地化の進行によって最近は農村部でもより深刻な状態になっている。

 食事の内容についても、7〜8年前、子ども達の好きな食べ物はオムレツ、カレーライス、サンドイッチ、ハンバーグ、ヤキソバ、スパゲッテイ、メダマヤキなどで、その頭文字を並べて「オカーサンハヤスメ=お母さんは休め」などともじっていたが、明らかにレストランでの外食メニューによる影響と考えられ、最近のある調査によれば、「主食と飲み物」とか「料理がなく菓子と飲み物だけ」のタイプが朝夕ともに増加しており、状況はさらに悪化している。飽食の時代と言われる裏で子どもの食生活は著しく貧困化(簡略化、ワンパターン化)しており、大人の価値観の多様化、ライフスタイルの多様化のために子どもの食生活が犠牲にされていると言えよう。そのことは生活習慣病の温床にもなることを考えなければならない。

 子どもにとって、食事は単に食べるという行動だけではなくて、食事の材料の購入、調理、盛りつけ、配膳、保存など、家庭における学習の機会でもある。しかし受験勉強に忙しい子ども達にはそのような機会もほとんど生かされていない。

 日本学術会議食問題特別委員会が唱える「食の倫理」の確立のためにも、幼少期からの食生活の在り方(食育)が根本的に見直されるべきである。そのことによって大人自身の食生活や食事観も改善され、母体の健康やリプロダクティブヘルスの向上につながる波及効果も期待出来るであろう。

12.医学と健康の立場から

  医学・医療の立場から少子社会を見る時、様々な問題がクローズアップされる。第一に少子化が現状のまま続くと仮定すると、50年後には医療そのものの在り方に大きな変革を迫る可能性がある。次に、まだ明確な結論を下せる段階にはないが、少子化の原因となり得る医学的問題がある。さらに少子化の子どもの心身の健康に及ぼす影響も大きく無視出来ない。また少子化の原因である晩婚の結果おこる出産の高齢化や、次項に述べる不妊治療をめぐる諸問題がある。

(1)将来の医療体制への影響
   少子化は医師と患者の数のバランスにも深刻な影響を及ぼすと予想される。今年医学部に入学した学生は2050年には平均68歳となり、その多くは医師として現役であろう。医師の養成状況が現在のまま変わらなければ、年間8,000人の医師が生まれる一方で、2050年には対象人口が4分の3となってしまう。1人当たりが負担する医療費が変わらないとすれば、今より4割多い医師が2割以上減った患者を診ることになるため、医師1人当たりに配分される医療費は、現在の半分近くに減少することになる。したがって医師の供給体制については将来を見通して早急な見直しが必要であり、単に医師の総数だけでなく、専門を考慮したきめ細かな対応が必要である。

(2)少子化の医学的原因の可能性
 @ 内分泌攪乱化学物質による男女の生殖機能の低下
   環境汚染によるヒトの健康に対する影響としては、従来発がんや奇形の発生が挙げられてきたが、ダイオキシン等のいわゆる環境ホルモンの影響として、がんについては乳がん、子宮がん、卵巣がん、前立腺がん、精巣がんなど、奇形についても尿道下裂、停留睾丸、小陰茎など生殖器のがんが多く、したがって生殖機能についても大きな影響があることは充分に考えられてきた。ダイオキシンやPCBはエストロジェン攪乱作用があり、これが特に胎児期に強い影響を持ち、雌雄の生殖腺に分化障害や発育不全をもたらす可能性が指摘されている。人間では具体的には男子の精子数が過去50年間に半分になっているとの報告があり、日本でも調査が始められているが、男子での精子の減少、女子での子宮内膜の異常による不妊症の増加についてはまだ結論は出ていない。

 A 不登校・神経性食思不振症など
   不登校は先進国の中では日本に特に多い現象である。昭和48(1978)年に1万人であったが、近年特に急上昇を続け、昨年(1999年)の文部省の発表では小・中学校の不登校児童は12万人を越している。欧米での不登校は非行や反社会的行動をとるタイプが多いのに対して、日本ではいわゆる「学校嫌い」が主で、いじめや心身症、神経症によるものが多いのも特徴である。女児の不登校については思春期の痩身願望やストレスから進展した摂食障害が多く、無月経がおこり、放置すれば妊娠不能な身体になることである。最近の心身症の激増からみて、不妊症予備軍というべき集団が相当数に上ることを考えなければならないであろう。ただその判断には今後さらに調査研究が必要である。

 B その他不妊につながる疾患
   いわゆる生活習慣病の代表としてがん、高血圧、糖尿病が挙げられるが、これらはいずれも生殖行為に影響をもつ。特に若年男性に増加している肥満、糖尿病は生殖能力の低下、すなわち少子化につながる可能性が知られている。したがって生活習慣病対策は、個人の問題であると同時に、次世代育成への影響も考え、早期からの健康教育が必要で有る。

(3)少子化の子どもの健康に及ぼす影響 −特に心の問題−
  現在の日本の乳児死亡率は3.7(出生千対)で、欧米先進国に勝り世界最低を維持している。乳児死亡率の低下は戦後の政治の安定や経済の繁栄に裏付けされ、小児保健の政策と小児科医の努力がもたらした成果であり、世界に誇るべきことである。しかしながら最近は少子化、核家族化、多忙、情報過多などによって、育児に対する母親の自信喪失によるトラブルが増加しており、このことが特に子どもの心の発達に影響を与えている。また、兄弟や子どもが少なくなったため、年長の子ども達も外で遊ぶ機会が少なく、室内でテレビやファミコンで遊ぶ時間が多くなっている。平成7年に日本小児科学会が行った全国調査によると、小・中学生のテレビの平均視聴時間は164分とかなり長く、肥満度が高度なほど時間も長いとする結果が出ている。肥満は生活習慣病であり、生活様式の変容によって増加傾向にあることから、その予防を積極的に進めなくてはならない。

(4)産科医の立場からの考察
  最近の20数年、高年初産(35歳以上での初出産)の割合は出生率の低下とは対照的に少しづつ増加している。これは晩婚化の当然の結果ではあるが、母親の年齢別にみた出生率の年次比較をすると、30歳代、特にその後半の母親の出生率が上昇し、逆に20歳代の母親の出生率が著しく落ち込んでいる。平成8年の宮城県での統計によれば、高年初産の割合は23.5%、すなわち4人に1人が高年初産といえる。高年初産は帝王切開の割合が3倍高まるとの報告もある。一方「年齢階層別にみた人工妊娠中絶実施率の年次推移」をみると、大半は既婚女性が避妊に失敗した「望まない妊娠」であるが、20歳未満の未婚若年層の中絶が徐々にではあるが年々増加傾向にあり、平成8年には総数338,867件の中で28,256件(8.5%)を占めている。さらに、中絶の妊娠週別の割合でみると20歳未満の中絶では12〜21週、すなわち週数が進んでの中期中絶が多く、母親予備軍である10代の女性に身体的、精神的、経済的負担が強くかかっていると考えられる。したがって、未婚若年女性の性と生殖の健康に関する指導、働く妊婦への支援、不妊カップルの治療、高年初産のケア、周産期死亡率の低下など、少子化時代の産婦人科医には大きな役割が期待される。

13.少子化対策としての不妊治療

  平成11年2月に一般国民を対象に行った不妊治療に関する全国調査の結果を厚生省の研究班が報告しているが、それによると、その時点で不妊治療を受けた者は全国で285,000人と推測され、その治療の内容は、排卵誘発剤によるものと、生殖補助医療(人工授精、体外授精、顕微授精)によるものが、その大部分を占めている。不妊治療患者の抱える現時点での問題点としては、@不妊治療に関する情報の不足、A不妊治療に伴う肉体的、精神的苦痛、そして不妊治療の経済的負担の3つが挙げられる。この中で最も大きな問題は経済的負担の大きさである。この負担軽減のため、不妊治療に保険を適用すべきであるという要望が強く打ち出されている。日本医師会少子化対策委員会の中間報告(平成11年3月)にも、このことが提案された。

  保険給付の対象とするには、不妊症は疾病か否かということが問題になる。不妊そのものは健康障害を起こさず、日常生活に支障を来さないが、生殖機能の障害という観点からは疾病と見做される。排卵誘発剤の使用や卵管閉塞に対する手術療法には、現在でも保険給付が行われているが、最近急速に技術が進歩、普及してきた生殖補助医療については現在未だ保険に収載されていない。生殖機能の障害に対する治療という点では、その手技に対して保険を適用しない、という理屈は成り立たないであろう。ただ保険適用には、その技術の普及、安全性の確認、有効性の担保などが必要であり、さらに倫理面からの検討も必要である。これらの問題に関して、これまで生殖補助医療の実施ルールを規定してきた日本産科婦人科学会では、すでに10年前に治療法として定着していると評価し、出生児の詳細な追跡調査により自然妊娠児との間に差がなく安全性は確認されていると判断しており、有効性については妊娠率16%(人工授精)と20%(体外授精)で、保険適用になっている薬物療法より高いことを研究班の報告として出している。また昨年2月に行われた一般国民の意識調査によれば、これを認めて良いとするものが60%に達し、すでに社会的にも容認されたと認めている。また平成10年度に日本産科婦人科学会のアンケート調査では、保険医療の収載について75%の医療機関が賛成と答えている。

 このように生殖補助医療について、これに従事する医療関係者の間では、これを保険適用すべきであるとのコンセンサスは得られているといってよい。しかし、実際に保険に収載する場合には、多岐にわたる生殖補助医療技術のうち、どの技術をその対象とするかという問題や、適用の内容、例えば年齢制限、回数制限を規定すべきか否か、さらに経費の算定や実施施設の指定など、クリアしなければならない幾つかの問題がある。

 生殖補助医療技術に対する保険導入による経済的支援は、挙児を望みながら経済的制約によって果たせないでいる人には大きな福音には違いないが、少子化対策の観点から見た場合どのような効果が期待出来るであろうか。前述の日本医師会の中間報告では、「成功例の出生数は10万に達する可能性がある」と述べられている。保険適用が出生数に及ぼす影響について、正確な予測は難しいが、潜在的需要の喚起により出生数の増加に寄与する可能性は高いと考えられている。

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. いわゆる三歳児神話について

 いわゆる三歳児神話が一般化している。三歳児神話とば、「子どもは三歳までは常時家庭において母親の手で育てないと、その後の成長に悪影響を及ぼす」というものである。育児における「母性」役割の強調は育児書でも広まっている。ところがこの三歳児神話に対しては、保育所で過ごした子ども達の発達調査の結果で運動、探索、社会性、言語などの面で遅滞はなく、むしろ運動面では優れた様相もあるとされ、母親だけの家庭での保育ではむしろ母子の密着による弊害を生み、父親やその他の者が育児に関わることのデメリットは何もないことから、最近批判もなされている。平成10年度の厚生白書では「三歳児神話には少なくとも合理的な根拠は認められない」としてこれを否定している。たしかに三歳まで母親とべったりの生活が必要であるとする考えは是正されなければならない。そのような考え方が一般的に通用するならば、少子化はますます進むことになろう。

 しかし「三つ子の魂百まで」という古諺があるように、三歳までの子どもの発達は極めて顕著なものがある。医学的にも脳の発達、特に脳重量は三歳では成人の70%位に達し、大脳皮質の構造も成人と変わらない6層構造になり、脳波も三歳を過ぎると成人に見られる睡眠覚醒のリズムの波形が現れる。また末梢神経の伝導速度も成人の値に近づく。解剖・生理学的に三歳は大切な節目である。

 また食事、睡眠、排便、着衣、清潔などの基本的生活習慣は三歳児までに基盤が形成されるとされ、愛情、喜び、得意、嫉妬、怒り、嫌悪、恐怖などの将来情操に発展する情緒の分化は三歳までに進む。これらは人格形成にとって重要な要因をなしていると考えられ、三歳までが発達心理学的にも重要な時期であることを示唆している。

 厚生白書でも「三歳児神話には合理的な根拠は認められない」と否定しながらも、「乳幼児期」は「他者に対する基本的信頼感を形成する人事な時期」、「保育サービスを選択し、利用しつつ、家庭にいる時間の子どもとの交流を大切に」との表現もある。

 結論として、三歳児までの育児の重要性は決して否定されるべきではなく、少子化に対する政策上も、たとえば産休や育児休暇の期間などについて、充分な配慮がなされなければならない。

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X.少子社会への対応

1.当面の対策と要望

 少子化への対策について国(政府)は「少子化への対応を考える有識者会議」を組織し、平成10年末に出された具体的な施策に係わる提言に基づいて、昨年12月には、少子化対策推進閣僚会議を開催し、厚生、文部、建設、労働、大蔵、自治の関係6省庁大臣の合意により、具体的には以下のような基本方針で各省庁の枠を越えた協力をする申合せを行った。

@ 固定的な性別役割分業や職場優先の企業風土の是正
A 仕事と子育ての両立のための雇用関係の整備
B 安心して子どもを産み、ゆとりをもって健やかに育てるための家庭や地域の環境づくり
C 利用者の多様な需要に対応した保育サービスの整備
D 子どもが夢を持ってのびのびと生活出来る教育の推進
E 子育てを支援する住宅の普及など生活環境の整備

 このような方針を土台にして新エンゼルプランが策定されている。

 これらはいずれも極めて妥当な方策であり、実現へ向けて努力されるべきであるが、全体としてあくまでも出生数を増やすことを念頭においている。しかしその効果は現れるとしても、一世代後、すなわち20〜30年後である。同時に考えなければならないのは、少なくなった子ども達が心身ともに健康に成長し、次代を担うしっかりとした大人になって貰うことである。その点ではDが特に重要であり、単に政策提言としてではなく、国民の全てが考え、積極的に関わるべき課題であり、そうでなければ効果は期待出来ないであろう。「子育てに夢を持てる社会を」から一歩進んで「子ども達が夢を持てる社会を」に視点を移す必要もあるであろう。

 それに関連して地域の視点も重要であり、自治体が展開している村おこし町おこしの運動が、児童の健全な育成に資するところは大きく、高齢社会に対する介護体制と少子社会に対する次世代の健全育成策を、地域における新たな生活意識と行政秩序によって推進することが重要である。

 結婚した夫婦が子どもを産まない理由として「家が狭い」は「子育てに経費がかかる」「教育費がかかる」に次いで第3位であるが、BとEについては少子化の背景要因としては重要であるので、具体的な施策を早急に展開すべきである。すでに本報告「W−9」で指摘している大都市における住宅のミスマッチを解消すること、同時に職住近接を可能とするための諸条件を整備する必要がある。家庭における夫婦の役割分担や協力を考えれば、親子、家族が出来るだけ時間を共有することが望ましい。通勤時間は有効に使えないので、これを出来るだけ短縮するような施策が望ましい。

 また、高齢社会では多数決原則のもとで施策が短視眼的になるおそれがある。すなわち、これまでがとかくそうであったように高齢者のための施策が重視され、少子化は二次的に扱われる。思い切って若い子育て家庭の意見を尊重し、青年層の発言力を制度的に担保する必要がある。例えば、将来は子どもに選挙権を与える(実際にはどちらかの親が代行する)、あるいは選挙権に年齢の上限を設ける位の大胆な発想が検討されてもよいと思う。

2.活力ある少子社会の構築

 少子社会への対応について短期的・中期的に諸政策を論議することと並んで、社会全体の将来展望について一考することが必要である。少子化の強いインパクトを受け止めながら、どのような形の社会へ向かってソフトランディングを行うことが望ましいのかについて検討する必要があるからである。

 最近の各方面の意見を要約すると、21世紀は「変化と柔軟性の世紀」であり、「自立的な個人が主役になる世紀」であるといわれる。たしかに今日は近代からポスト近代へ、工業社会から情報社会へ、という長期にわたる大転換期であり、激動期であるといってよい。その意味で固定的な観念や行動様式に代わって、しなやかな知が求められている。そして個人のライフスタイルは多様化し、個人は自分にふさわしいライフスタイルを自己決定し、それを生涯の学習を通して創っていく責任をもつ。このような個人が組織に替わって主役を演ずる社会が21世紀であり、個人のライフスタイルの多様化、社会全体の価値観の多様化が進むといわれている。

 すでに進みつつある国際化・情報化は、結果として社会生活の開放性と異質性を増加させるから、多様化は一層促進される。しかしながら他方では、多様化、ボーダレス化は既存のグループ・アイデンティティを破壊するので、閉鎖性や同質性を維持しようとする対抗的な動きも発生する。とはいえ多様化の勢いは圧倒的であり、これからの社会は多様性を生きる社会となるであろう。

 将来展望で考慮すべきもう一つの条件がある。それは日本の社会は経済の低成長、環境保全、資源の枯渇、国際ルールや各種のグローバルスタンダードの遵守など、かつてない強い拘束を受けるということである。少子化・高齢化もその拘束の一つであり、最大のものかも知れない。そのような厳しい拘束の下で多様性を生きる社会、これが21世紀の日本である。したがって将来展望の課題は、厳しい拘束と多様性の下でなおかつ活力を失わない均衡社会をいかにして構築し得るか、ということになるであろう。

 そのための若干の論点を以下で整理しておく。
(1)市場セクター、政府セクター、社会的経済(NPO)セクターの三者関係の調整昨今、規制緩和の名のもとに、市場セクターの拡大が進み、教育すらが市場に委ねられる傾向があるが、三者関係を適切に調整することは極めて重要な課題であり、特に社会的経済といわれる協同活動分野、NPO、NGO等の本来調整機能の強い活動分野の一層の拡大が望まれる。

(2)「ネットワーク型コミュニティ」の構築
  日常生活を支える地域コミュニティの重要性はいうまでもない。環境問題発現の場として、災害における助け合いの場として、福祉活動及び社会的弱者を支援する相互扶助の場として、子ども達を見守り育てる場として、今や社会分権の現場として、そして外国人と共存する多文化共生の場として、地域コミュニティはいよいよ重要になってきている。かつての閉鎖的な地域共同体ではなく、都市型生活様式の浸透する中で、ボランティアをネットワーカーとし、知り合いの連鎖をたどるような弱連結型のコミュニティを構築する必要がある。それは少子化の衝撃を吸収する上で不可欠の存在と言ってよい。

(3)マルチメディアの活用
  これらのコミュニティは、最近の高度情報通信社会の進展に伴う、情報通信技術に支えられ、インターネットやマルチメディアの空間として、大きく充実・発展することが期待される。少子社会では、子ども達にとってはゲームに熱中して友達と直に触れ合う時間がなくなる面が懸念されるが、逆にインターネットを通して広く国内外に友達が出来、時には協同制作、協同作曲、協同作文なども可能となるプラスの面が大きい。ネットワークでの会話、映像を通しての対話など、現実の集団生活をいわゆるバーチュアルな空間で補う事態が生じる。離れて生活する家族が国際電話等で交流し、人間関係の絆を強めるのと同様に、現実の社会での接触とネットワーク上の接触を巧みに組み合わせることによって、少子化による子どもの社会的相互作用の機会の減少を補完出来るであろう。

  大人にとっては、インターネットは巨大な情報源である。多くのサイトが育児情報、子育てに役立つ生活情報、社会の動向などを提供している。そこから必要な情報を吸い上げて日常の育児生活の充実を図ることが出来る。

  さらに、インターネットによる仕事が在宅でも充分に出来るような時代になりつつあるので、いわゆるSOHO(Small Office/Home Office)のみでなく、企業に勤めていても、ネットワークを通して在宅勤務が可能である。このような状況下では、若い父母が自宅で育児をしながら仕事を続けることが出来、安心して子育ても出来る。長期の育児在宅勤務という形態も考えられる。

  少子化対策に、情報通信技術を本格的、多面的に活用することが必要である。

(4)核家族の動揺変貌とパラサイト・シングル問題
  性別役割分業の関係にある夫婦と二人程度の子どもからなる核家族は、1970年代の日本では典型的、標準的な家族形態であった。しかし現在はかなり変貌がみられる。形態の多様化であり、どんな家族の形を作るかは個人の選択の問題となってきている。少子化に直接影響を及ぼす晩婚化、非婚化もまた多様化の一環であり、核家族を安定した固定的なものとして捉えると現実を見誤る恐れがある。社会学者が注目する現在の問題は、いわゆるパラサイト・シングルである。これは先進国でも日本に特有の現象とされ、現在1,000万人を超えるという。社会的に自立出来るはずの子どもと中年の親が同居し、相互に依存関係にある状態は、ある期間は双方にとって快適なぬるま湯でありうるが、親子が齢をとるにつれて氷水に変わっていくはずである。

  人生80年の長寿時代では、育てられるのに20年、育てるのに20年、残り40年は家族から適当な間隔をとって、社会的に自己実現することに活動の舞台を広げることが有意義である。

(5)適応的に変化する自己アイデンティティ
  近代の個人主義の価値観は、個人が一貫したアイデンティティを保持することを美徳としていた。しかし、21世紀は「変化と柔軟性」、「自立した個人が主役」の時代であるという。一貫性のみを重視すると、波乱が続く環境では不適応を起こしやすい。変化への適応と一貫性の保持とのバランスをとりながら、生涯の発達諸課題を解決していくために、個人はライフコース全体を、幾つかの異なるステップに応じてアイデンティティを柔軟に再編成する必要がある。人生は一毛作ではなく多毛作であり、生涯学習が重視される由縁である。

(6)価値の無差別性、多様性の尊重
  価値の多様性はライフスタイルの多様性と表裏をなしている。たとえば産業社会では働き盛りの中年男性が最も高い評価を与えられ、青少年は未熟で、老年は用済みの存在に過ぎなかった。しかし少子高齢社会では性や年齢によって個人の差別はあってはならず、すべての年齢の人は等しい価値をもつ。この点でこれまでの日本社会では男性中心で中年が優先され過ぎてきた嫌いがある。

(7)共生の作法
  かつてない強い拘束と多様性の中で、なお活力を失わない均衡社会を構築するために不可欠なものは「共生の作法」である。共生という言葉は耳当たり、口当たりのいい言葉であるが、厳しい挑戦と応戦を通して矛盾を解決することによってかろうじて達成される平衡状態である。作法とは倫理、論理、心理を包括する。少子社会を支え得る社会規範は共生の作法を措いて他にないであろう。私たちはその育成のために、今後長い学習と試行錯誤を必要とする。

(8)「生命」尊重の教育体系
  当委員会が続けてきた多方面にわたる議論の中から、共通して浮かび上がってくるのは「教育」の重要性とその課題である。何を教育の柱とすべきか、については議論が多いが、「生命の尊重」を中心に据え、@生命の誕生に喜びを感じる教育、A生命の死に悲しみを感じる教育、B生命の尊厳を感じる教育、この3つを基本理念として初等教育から高等教育、さらに生涯教育まで一貫した教育の体系を確立することが重要であると考える。

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Y.おわりに

 少子化の議論はプラス、マイナス様々な評価がある。従来はとかくマイナス面が強調され過ぎてきたと思われる。出生率の低下に歯止めをかけるために、可能性のあるあらゆる方策を講ずる必要はあるが、同時に地球上の資源は有限であり、食糧やエネルギー、あるいは環境問題を地球規模で考えるならば、日本は今後「少子化先進国」として世界にその範を示すチャンスとしても捉えるべきであろう。

 今や有識者会議、国民会議、閣僚会議、議員連盟、その他多くの会議や様々な民間団体から積極的に提言や施策が出されているが、場当たり的な、姑息的な対策では効果は期待出来ず、地球的視野と長期的展望に立って議論し、結論を導くことが必要である。また、子ども達の立場を考え、子どもの権利を尊重する社会的な基盤を作ることも大切である。それは決して子どもを甘やかしたり、子どもの言いなりになることではなく、子どもを大人の付属物と考えないで、一個の独立した人格として尊重することである。親や教師は、愛情と厳しさと権威とをもって育児と教育に当たるべきである。

 少子化対策は単に出生率の低下に歯止めをかけ、タックスペイヤーを増やせばよいと言うような次元の低い話ではないと思う。次世代あるいは次々世代には、地球温暖化や環境問題、人口・食糧問題をはじめ多くの難問の解決が課せられている。そのような世代の育成を念頭においた対策が考えられなければならない。

 今から100年前、スエーデンの女性教育者エレン・ケイは「子どもの世紀」という著書を著した。その中で彼女は「来るべき世紀は子どもの世紀となるであろう。子どもの権利が守られるときに道徳は完成する。」と述べている。残念ながらこの言葉は20世紀には実現しなかったが、現在行われている少子化に関する議論が、大人本位の論理ではなく、子どもを大切にするという思想を原点に据え、子どもの権利を尊重し、若者や子ども達の視点に立って考え行動することが、少子化に歯止めをかけるためだけでなく、真に持続可能な発展する社会を築き、21世紀を明るい子どもの世紀とするために基本的に重要なことである。

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ヒアリング等の記録

1.女性会員・研究連絡委員会委員より

(1)原 ひろ子(第1部会員、お茶の水女子大学ジェンダー研究所長)
 (10−6−19)  「地球環境と人口」課題の中の日本における「少子化問題」

(2)浅倉むつ子(第2部社会法学研連委員、東京都立大学教授)
 (10−8−27)  「労働法の視点からみた少子化問題」

(3)伊藤 セツ(第3部経済政策研連委員、昭和女子大学女性文化研究所教授)
 (10−12−24)  「働く女性の子産み、子育てへの社会的サポート」

(4)室伏きみ子(第4部生物学研連委員、お茶の水女子大学理学部教授)
 (11−2−19)  「少子化をめぐる女子学生の意識調査と生物学からみた少子化」

(5)大熊由起子(第5部工学共通基盤研連委員、朝日新聞論説委員)
 (10−12−24) 「福祉と技術と少子化と」

(6)島田 淳子(第6部会員、お茶の水女子大学家政学部教授)
 (10−6−19)  「少子化の要因に関する家政学的考察」

(7)跡見 順子(第7部体力科学研連委員、東京大学総合科学研究科教授)
 (10−8−27)  「少子化 −発想の転換を−」

2.専門家・有識者より

(1)椋野美智子(日本社会事業大学教授、前厚生省大臣官房地域政策推進室長)
 (10−10−30)  「少子化を考える −厚生白書を通して−」

(2)大江 守之(慶応義塾大学教授、国立社会保障人口問題研究所部長)
 (11−4−23)  「少子化の要因と帰結:政策の射程」

3.会員(少子社会の多面的検討特別委員会委員)より

(1)塩原  勉「少子安定社会への展望」(11−12−21)

(2)荒木 誠之「少子化の問題点と当面の課題」(11−11−5)

(3)藤井弥太郎「少子均衡社会の問題 −経済の側面から−」(11−9−3)

(4)岡本 和夫「教育から見た少子社会」(11−11−5)

(5)伊藤  滋「少子化への対応を考える有識者会議の提言について」(11−2−19)

(6)高橋  貢「農学の立場から」(11−9−3)

(7)野田起一郎「少子化対策と不妊治療」(11−12−21)

4.公開シンポジウム「少子化を考える」 講演者(10−7−25)

(1)多田 啓也(第7部会員、少子社会特別委員会幹事、東北大学名誉教授)
       「日は沈むのか」

(2)田中 敏隆(第1部会員、少子社会特別委員会幹事、大阪教育大学名誉教授)
       「少子社会と教育」

(3)伊藤 セツ(第3部経済政策研究連絡委員会委員、昭和女子大学女性文化研究所教授)
       「女性の立場から」

(4)古賀 詔子(日本母性保護産婦人科医会宮城県支部常任理事、古賀クリニック院長)
       「産婦人科医の立場から」

(5)小田 清一(厚生省児童家庭局母子保健課長)
       「少子化を取りまく問題」

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参考文献

1.総論的資料

(1)人口問題審議会報告「少子化に関する基本的考え方について−人口減少社会、未来への責任と課題−」 1997年10月

(2)「人口減少社会、未来への責任と選択」 同上出版物 1998年3月

(3)平成10年版 厚生白書 −子どもを産み育てることに「夢」を持てる社会を−

(4)少子化に関する世論調査 総理府 1999年2月

(5)母子保健の主なる統計(平成11年度版)

(6)学術の動向 特集「少子化を考える」 1999年1月

(7)経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針 経済企画庁編 1999年9月

2.日本学術会議研究連絡委員会(研連)報告等

(1)家政学研連:現代における家族の問題と家族に関する教育(平成9年6月20日)

(2)社会福祉・社会保障研連:仲村優一:少子社会の福祉課題(学術の動向 平成11年6月)

(3)環境保健学研連:公開シンポジウム「内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)の影響は
  どこまでわかっているか」(10年9月7日)発表要旨

3.その他の論文、文献等

(1)少子高齢化社会における保健医療改革 M.R.Reich:第102回日本小児科学会特別講演
  1999年4月

(2)子ども達がテレビ等視聴、ファミコン等で遊んでいる実態と肥満との関係調査成績
  日本小児科学会雑誌 99:1700−3、1995

(3)日本医師会少子化対策委員会 中間報告 1999年3月

(4)1999 人口の動向 日本と世界 国立社会保障人口問題研究所編 1999年11月

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