新千年紀における食問題の解決に向けて

「食問題特別委員会報告」

平成12年3月27日

 日本学術会議

食問題特別委員会


 この報告は、第17期日本学術会議食問題特別委員会の審議結果を取りまとめ発表するものである。

食問題特別委員会

 委員長  安本教傳(第6部会員、椙山女学園大学教授)
 幹 事  祖田 修(第6部会員、京都大学大学院教授)
      野村恭也(第7部会員、昭和大学客員教授)
 委 員  梅原 郁(第1部会員、就実女子大学教授)
      戒能通厚(第2部会員、名古屋大学大学院教授)
      若杉 明(第3部会員、高千穂商科大学教授)
      阿部真也(第3部会員、福岡大学教授)
      戸塚 績(第4部会員、江戸川大学教授)
      星 元紀(第4部会員、東京工業大学大学院教授)
      中村恒善(第5部会員、名城大学教授)
      笛木和雄(第5部会員、東京理科大学教授)
      島田淳子(第6部会員、昭和女子大学教授)
      杉本恒明(第7部会員、公立学校共済組合関東中央病院院長)


要  旨

(1)作成の背景
 本委員会は、「先進国では、過食・偏食など生活習慣に基づく健康問題への対応、食料の安全性確保及び食生活の質的改善が求められている。途上国では、慢性的な食料不足に陥っていて、食料危機が世界的な規模で到来する恐れがある」との認識に立って、世界全体としての食料の安全保障と食料の安全性を確保する方策、食生活と環境問題との関わりについて総合的に審議検討した。

(2)現状及び問題点
 世界の食料問題は、人口の増加と資源利用上の制約、地球環境の変化によって深刻化することが予見される。食料の生産と消費がもたらす環境への負荷は増大する一方で、この増大しつづける地球環境への負荷が回帰的に食料生産に及ぼす影響には予断を許さないものがある。食料問題は地球環境の変化や資源・エネルギー供給上の制約と相互に深刻化し合い、問題を切迫化し合っているからである。

 我が国は食料安全保障に努力しているが、我が国の食料自給率は低下の一途をたどっている。国民は、現在、前代未聞ともいうべき豊かで自由な食生活を享受していて、飽食と偏食に基づく、「食源性」の疾患に悩まされる人が少なくない。また、国民の食生活様式は急速に変容し、変容の方向は環境の破壊、地球資源の枯渇、人間社会の崩壊の方向をさしている。

(3)改善策、提言等の内容
 我が国および全地球規模の食問題を学術統合的に解決するために、国は科学技術基本計画のなかで、1)食料等の持続的生産・安定供給・安全確保及び食料等による国民の健康保持・向上に関わる諸課題を、2)食料自給率向上のための基本的計画の確立、国民の生活を重視した情報化食料供給・流通システムの整備を、重点課題として策定することを求め、さらに3)国は持続可能な地球と人類の存続を可能とするために、食の倫理について国民的合意形成を促進することを提言するものである。


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目次

新千年紀における食問題の解決に向けて
概 要


これまでの経緯

説 明
1.世界と我が国の食料問題
 1.1. 人口・食料・環境問題
 1.2. 食料生産と環境問題
 1.3. 食料生産におけるエネルギー問題
 1.4. 人口・食料・環境統合型システム・モデルの提唱

2.我が国における食問題:その現状
 2.1. 食生活変様の背景
 2.2. 食意識の変化
 2.3. 食に関する行動様式の変化
 2.4. 食品産業構造の変化
 2.5. 農業・食料政策の変化

3.我が国における食問題:その課題
 3.1. 食生活が環境にもたらす負荷
 3.2. 無駄な消費
 3.3. 流通が環境にかける負荷
 3.4. 食料生産の高エネルギーコスト
 3.5. 水質汚濁
 3.6. 食品包装材料
 3.7. 食料の安全性を脅かすもの
 3.8. 食品の健康保持・増進機能の活用
 3.9. 情報化食料供給・流通システムの整備

4.求められている食の倫理
 4.1. 食料を消費する側に求められている倫理
 4.2. 食料を供給する側の倫理
 4.3. 食の道徳・倫理の確立を

    参考文献


新千年紀における食問題の解決に向けて
−食問題特別委員会対外報告の概要−

1.食問題の背景

 新千年紀における世界の食料問題は、人口の増加と資源利用上の制約、地球環境の変化によって深刻化することが予見される。21世紀中頃には、農地はせいぜい10%程度増えるに過ぎないが、開発途上国における需要増大によって食糧の需要は現在の3倍に増えるだろうと予測されている。確保できる食糧の質的な内容も将来の人口構成に見合ったものになるだろうという保証もない。そのような状況のもとで、世界人口の2%にも満たない我が国が、国民の生命維持と健康確保のために、果たして、現在のように世界の食料貿易量の20%に達する量の食料を確保できるだろうか。

 農業と食料の相互依存が地球規模で進むなかで、我が国の食料自給率は低下の一途をたどっている。我が国が食料安全保障に努力するとともに、世界の食料流通システムの安定を強く望んでいる所以である。各国が食料安全保障のための戦略形成に利用されてきた、人口や食料流通などについての単一種別型マクロモデルでは、世界の食料需給状況を高精度に予測することが困難である。動的に変動する世界の状況をより的確に反映する人口・食料・環境統合型モデルを構築することが必要になっている。

 食料の生産と消費がもたらす環境への負荷は増大する一方である。この増大しつづける地球環境への負荷が回帰的に食料生産に及ぼす影響には予断を許さないものがあり、この状態のままに推移すると、人類生存の基盤が失われかねない。

 現在、国民は前代未聞ともいうべき豊かで自由な食生活を享受している。そのせいもあって、飽食と偏食に基づく、「食源性」とも称すべき生活習慣病に悩まされる国民が少なくない。経済発展と社会の進展に伴って生活様式が変化し、食料の消費構造や食意識・食行動様式、家族集団の持つ意味も急速に変容している。その変容の方向が、環境の破壊、地球資源の枯渇、人間社会の崩壊をさしていることは見誤るべくもない。

2.科学技術政策のなかの食問題

 以上のように食問題が重大な局面を迎えるこが予見されるにもかかわらず、そのことが我が国の科学技術政策には反映されていない。ちなみに、科学技術基本法(平成7年11月15日法律第130号)に基づいて平成8年度から12年度までの5年間の科学技術政策を具体化するものとして策定された「科学技術基本計画」には、環境とエネルギーの問題と並んで、食料の問題が今後の重点課題であると設定されている。例えば、その第1章「研究開発推進の基本的方向」を引用すると、「人間が地球・自然と共存しつつ持続的に発展することを可能とするため、人間活動の拡大、開発途上国を中心とする人口の大幅な増加等に伴い顕在化している地球環境、食料、エネルギー・資源等の地球規模の諸問題の解決に資する科学技術の研究開発を推進する。さらに、生活者のニーズに対応し、安心して暮らせる潤いのある社会を構築するため、健康の増進や疾病の予防・克服、災害の防止などの諸課題の解決に資する科学技術の研究開発を推進する」とされている。以来、環境とエネルギーに関する研究が推進されているのに対して、食料問題を取り扱う研究課題は、緊急かつ重点的な課題として位置づけられていない。

 現在、第2期の科学技術基本計画の策定作業が行われているが、その過程でも食料問題は重点的に取り組むべき課題として取り上げられる方向にはない。ちなみに本報告の主題である食料問題は、7つの重点的科学技術分野のうちのライフサイエンス分野のなかで、32の科学技術区分のひとつ食物科学と関連するに過ぎない。食物科学研究がもたらす科学技術上のインパクトは比較的大きいが、その社会・経済的インパクトは比較的小さいと見られているのである。

 21世紀における食料問題は、単純に食料の安定供給・確保の方策のみを講じることによって解決できるものではない。食料問題は、地球環境の変化や資源・エネルギー供給上の制約と相互に深刻化し合い、問題を切迫化し合っているからである。このような多次元的な相互連関を考慮した統合システムの研究とそのデザイン法の体系化こそ、21世紀における政策決定のための基盤技術である。

3.提 言

 本委員会は、以上の認識に基づいて、我が国が抱える食問題および全地球規模の食料問題を学術統合的に解決するために、食問題に関する学術研究体制を産官学の枠組みをこえて再編成すること、広範囲にわたる学術情報交換の場を設定して、それぞれの専門学術領域間の協力体制を確立し、国際学術協力を推進することを提言するものである。具体的な対応策として、

1) 国は科学技術基本計画のなかで、食料等の持続的生産・安定供給・安全確保及び食料等による国民の健康保持・向上に関わる諸課題を、総合的解決をはかるべき重点課題として策定すること
2) 国は食料自給率向上のための基本的計画の確立、国民の生活を重視した情報化食料供給・流通システムの整備を重点課題として策定すること
3) 国は持続可能な地球と人類の存続を可能とするために、食の倫理に関する国民的合意形成を促進すること

をはかるものとする。さらに、社会経済的影響の大きい以下の具体的課題について早急に取り組むべきものとする。

1) 食料資源確保に資する研究

地球の持続可能性を実現するために、再生可能なエネルギー資源及び増え続ける需要に応える安全な食料資源を確保するための学術研究(遺伝子組み換え技術を含む)を行う。この研究の成果は国際的に貢献するところが大きい。

2) 食料生産・流通・消費システムの学術研究

安全・新鮮・美味な良質食料の調達を容易ならしめ、食料廃棄物の再利用と廃棄量の削減をはかるために、食料の生産・流通・消費システムについての学術研究を行う。その成果は、国民の食生活が環境にもたらす負荷を低減し、資源の循環的再利用をはかる資源循環型新産業の創出をもたらすものと期待される。

3) 食料の健康維持・増進機能についての統合的研究

超高齢化社会に移行し、生活習慣病が蔓延する傾向に対して、食料素材の開発、食料の調理方法、栄養・運動・健康の問題を体系的にとらえ直すための総合的研究を組織する。この総合的研究で得られる成果は、食品産業の高度研究投資型産業への転換を促進するものとなろう。

4) 食料の衛生、安全性の確保と向上に資する研究

食料・飲料水の新興微生物、再興微生物による汚染は、現在から将来にかけての食料供給体制のなかで、ますます広域化・大型化する傾向がある。安心できる国民生活の実現を期して、この問題の解決に資する統合的研究を組織する。

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食問題特別委員会 対外報告・提言
新千年紀における食問題の解決に向けて


これまでの経緯

 第15期「人口・食糧・土地利用特別委員会」は、21世紀において、人類が重大な岐路に立つことになることを見通して、グローバルな人口計画、食糧計画、家族・生活計画、環境計画、土地利用計画などが、可及的速やかに策定すべきものとの報告を公表した。その報告のなかで、多様な研究組織によるプロジェクト研究を組織して、その成果に基づいて将来の方向を提示できる体制を確立する必要性を明らかにした。

 第16期「地球環境と人間活動特別委員会」は、人類の経済社会活動の拡大等に伴い、深刻化している環境問題について、エネルギーや土地利用などの人間活動との関連や、ライフスタイルのあり方、人口と食糧の問題の検討を含め、持続可能な発展のための方策、およびこれに対する我が国の貢献のあり方について検討し、その結果を総会に報告した。第17期への申し送り事項として、地球・地域環境における倫理観、価値観の転換を前提として、社会・経済政策の新たな展開を志向すべきであろうとした。

 第17期「食問題特別委員会」は期初に申し合わされた計画に沿って審議を開始した。すなわち、「全人類は、質と量の両面からの食料問題を抱えて21世紀を迎えようとしている。一方で先進国では、過食・偏食など生活習慣に基づく健康問題への対応、食料の安全性確保及び食生活の質的改善が求められている。他方で途上国では、慢性的な食料不足に陥っており、食料危機が世界的な規模で到来する恐れがある」との認識に立って、「世界全体としての食料の安全保障と食料の安全性を確保する方策を明らかにするとともに、食生活と環境問題との関わり、風土と食文化などについて総合的に検討する」こととした。

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説 明

.世界と我が国の食料問題


1.1. 人口・食料・環境問題

 世界人口は産業革命、それと連動する農業革命とともに急上昇してきた。我が国の人口は2007年には1億2千7百80万人に達し、その後は減少に転ずるが(1)、地球全体の人口は1999年8月1日現在で60億人を超え、先進国の人口が減少する傾向にあるにもかかわらず、2015年には71億人、2050年には93億人に達するものと推定されている(2)。

 近代とは人口爆発の時代であり、同時にそれを扶養してきた農業生産力上昇の時代である。現在飢餓に悩む国はあるが、マルサスが『人口論』で心配した危機的事態には至っていない。それどころか、しばしば人口増加を上回る食料増産を果たしたのである。近代農業・農学は、マルサスの投げかけた問題を、「見事に」克服してきたのである。

 しかし現代における人口・食料問題を考えるとき、おおよそ次の4点に注目しておく必要がある。第1点は、農業の持続的生産性が喪失したことである。いわゆる近代農業は、専門化ないし単作化(特定の作目に集中して作付、管理する)、連作化(おなじ耕作地に同一作物を連年作付する)、化学化(化学肥料と農薬の多用)、機械化、施設化(温室やビニール被覆等による栽培)等、いわゆる農業の「工業化」によって、大量生産を可能とした。しかしそれは同時に環境への負荷と食料の安全性に問題を残したのである。

 第2点は、各国の国土面積に占める森林率の激減である。先進国中我が国の66%という数字は例外中の例外で、欧米諸国の森林率は20〜30%にまで落ち込んでいる。各国とも緑の大地を切り開き、農業生産へと転用したのである。開発途上国においては、いま急速に森林減少が進んでいる。タイ国の例では、このわずか30年の間に、森林率が26%へと半減している。1980〜1990年の10年間に、世界の熱帯林は19億1千万haから17億5,600万haとなり、年平均1540万ha(我が国の耕地面積500万haの3倍)、年率0.8%のスピードで減少している。世界人口が100億人近くになる21世紀半ばには、森林はさらに現在の半分になる見込である。この減少には、自国の人口爆発に対応する農地の確保だけでなく、我が国等への木材、農産物の大量輸出が大きく影響している。これは地球環境に重大な影響を及ぼすであろう。

 第3点は、工業化の進展とともに肉食化が進み、より一層大量の穀物生産が不可欠になったことである。豚肉100kcalを得るのにトウモロコシ375kcal分、同じく牛肉で500kcal、鶏肉で150kcalが必要である。牛を牧草だけで育てると、肉1kgに対し30kgの牧草が必要だという。いずれも広大な農地が必要となる。このことは、現在、開発途上国の人口が7割を占めることを考えたとき、第2の点に加えて大きな問題となる。

 第4点は、食の倫理の崩壊である。それは端的にいえば、「大量生産・大量消費・大量廃棄」の現象に見られる。我が国における食物の可食部分の廃棄率は、高度経済成長下で急速に高まり、1965年で12.6%、1993年で実に28.8%に達しているとされる。この大量消費・大量廃棄は、

 1)比較的無駄の少ない家庭の食卓から外食の拡大へ、
 2)自給から経済力にまかせた輸入へ、
 3)食生活の中の倫理感の喪失、
 4)農業教育・食教育の後退、

といった事態の中で起っている。さらに、現代の消費者は美味なものを要求するが、そのニーズに応えて生産する側も収量を犠牲にすることが多く、ここでもエネルギーの浪費が起こる。また果実、野菜なども旬がわからなくなるほど、周年供給栽培技術あるいは冷凍・貯蔵技術が発展したが、それには大量の石油エネルギーが消費されている。

 現代日本の食料事情を見た時、とりわけ上記のような諸問題がまざまざと浮かび上がる。しかも世界史上にも例を見ない自給率の低下が起こっている。我が国の食料自給率は、主要国のカロリー自給率、例えばフランス140%、アメリカ110%、ドイツ90%、イギリス70%に対し、我が国は世界最低レベルで、1998年には40%になってしまった(3)。また我が国の木材自給率は20.5%、水産物自給率は50%へと落ち込んでいる。我が国は農・林・水産物ともに、工業の高成長下で食料自給率を著しく低下させ、歴史的にもまた現在の世界でもまれな食料輸人大国となっているのである。このことは、我が国が世界の農地開発や木材伐採による森林減少、海洋資源の枯渇、各種エネルギー資源の減少、ひいては大気汚染や水汚染、土壌流失といった問題に、大きく関わっていることを意味する。

 21世紀半ばには100億人近くになる人口を養うには、少なくとも約40億haの耕地が必要とされる。現在の15億haの2.7倍である。しかも今後の耕地拡大は、より痩せた、灌漑のむずかしい劣等地(生産性は現在の耕地の70%程度)へと展開せざるをえない。他方では、過放牧などの過度の草地利用、地下水の過度の汲み上げによる塩類集積、灌漑の失敗などにより、毎年我が国全体の耕地面積を越える600万haが現実に砂漠化しているという。このうち放牧地が320万ha、天水耕地が250万ha、灌漑耕地が12.5万haであるとされる。さらに放牧地を中心に35億haが砂漠化の潜在的可能性を持つと言われている。地球温暖化が問題とされている今、人類の食料は果たして将来ともにわたって確保しうるかどうかが懸念されている。すなわち前述したように、無理をして耕地及び農産物が何とか確保可能であるとしても、環境は飛躍的に悪化する。

 20世紀後半における農業技術の革新はめざましく、食料生産は飛躍的に増大したが、その一方で、食料生産は環境に大きな負荷をかけ、化石燃料への依存度を高め、食料生産のエネルギー効率はいよいよ低いものになっている。食料生産と増大した人口は、資源の枯渇、地球環境の劣化を加速し、持続可能な地球の存立を脅かしている。現在の食料生産・供給システムのままでは、いずれ、増加し続ける地球人口に良質の食料を十分量供給することができなくなることが必至である。例え十分食べることが出来ても、人類は外側から死を宣告されることとなる。「人は飢えずに環境を守れるか」ということこそが、新千年紀の大問題の一つである。今こそ人口・食料・環境の問題を統合的、根本的に考え直す必要がある。

 将来ばかりか、現在でも食料不足は深刻である。FAO(国連食糧農業機関)の1995〜97年の調査結果によると、開発途上国の約7億9千万人が食料不足に悩んでいる(4)。この食料不足人口は、1990〜92年において食料が不足した人口8億3千〜4千万人よりおよそ4〜5千万人少ない。この年間8百万〜1千万人ずつの減少速度は、1996年に開催された世界食料サミットで採択された宣言「2015年までに食料不足人口を半減しよう」に基づく目標値、年間4千万人ずつの減少速度、に遥かに及ばない。また食料不足の解消は、各国均一に進行したのではなく、むしろ食料不足人口の増えた国々もある。さらに、食料不足は開発途上国に限った問題ではなく、先進国では8百万人、中進国では2千6百万人が低栄養状態にある。この全地球的問題を解決するために、新たな研究投資と学術研究のための基本計画を策定する必要がある。

1.2. 食料生産と環境問題

 大気汚染や水質汚濁などの局地的公害問題に加えて、地球温暖化、オゾン層破壊、酸性雨などの地球規模の環境問題が人類の生存を脅かすほどに深刻化している。これらの地域的ならびに地球的規模の環境問題が農業生産活動に重大な影響を与えている一方、農業生産に伴う環境悪化が社会問題化している。現状で考えうる食料増産方法は反収の増加であるが、この捷径に見える反収増加方法には従来以上の無機肥料・農薬が必要であって、環境への負荷増大が避けられない。環境中に残留・放出された肥料成分の一部が、あるいは硝酸イオンとなって地下水汚染を招き、あるいはそのリン酸イオンが水系の富栄養化をもたらす可能性が増大するからである。

地域的環境問題と農業生産

 我が国でも、かって化石燃料の燃焼に伴って発生する二酸化硫黄や二酸化窒素による大気汚染が各種農作物に甚大な被害を与えてきた。しかし、近年では効果的な行政指導や大気汚染対策により、これらの一次大気汚染物質による農作物被害はほとんど聞かれなくなった。しかし、光化学オキシダントや酸性雨など二次大気汚染物質による森林樹木や農作物の被害が欧米諸国や我が国をはじめ世界各地で社会問題となっている。例えば、我が国の関東地方でも光化学オキシダントによる水稲の減収量が1985年には、総収量の4.6%と推定されている。一方、pH3以上の酸性雨では植物の成長には大きな影響をおよぼさないといわれているが、我が国でも森林衰退が全国的規模で発生している。現在のところ、酸性雨で樹木が枯れているという確証はないが、酸性雨を含めた複合大気汚染が原因であろうと疑われている。いずれにせよ、都市近郊の森が衰退していくと、水源林としての森の機能が失われ、農業用水ばかりでなく、飲料水の確保も困難になってくる。

地球規模の環境問題と農業生産

 人類の産業活動によって大気中に放出される二酸化炭素、一酸化二窒素、メタン、フロン、オゾンなどの温室効果ガスの大気中濃度が年々増加している。そのため、地球大気の温度が上昇する「地球温暖化」が人間の社会経済生活ばかりでなく、自然生態系をはじめとする地球環境に多大な影響を及ぼしはじめている。21世紀末には1990年時点より1.5〜2.5℃上昇するという(5)。その結果、世界的にはトウモロコシ、小麦の収量は現在より減収となる可能性が高い。一方、我が国の水稲生産では、概して東北、北海道地方で現在より増収となり、中部、九州地方で減収になると推測されている。最近ではしばしば、異常気象によって、農業生産が被害を受ける。1998年もバングラデシュ、中国や北米などで大洪水や大干魃により農産物の収穫が大打撃を受けた。異常気象の発生も地球温暖化がその一因と考えられている。

 一方、大気中にばらまかれたフロンガスによって成層圏のオゾン層が破壊され、生物や人体に有害な紫外線(UV−B)の地上への到達量が増加する。これまでの観測結果によると、1979年から1989年の10年間に減少したオゾン全量は北半球の冬から春にかけて最大1.5%に達し、地上での紫外線増加量も最大20%に達したという(6)。UV−Bの農作物の収量に及ぼす影響について、多くの作物で収量が減少するという。特定品種の水稲では、オゾン層破壊が20%に達した場合、全バイオマス生産量が40%近く減少している。地球規模のオゾン層破壊が世界の農業生産にどの程度の影響を与えるかについては現在のところ、明らかではない。

農業生産と水質汚濁

 全国農業中央会の最近の調査によると、農業地帯で化学肥料や農薬の多用化による環境汚染問題が深刻化している。かって農地では、陸域から供給される栄養塩類を有効利用して農業生産が行われ、水環境を浄化する機能を果たしていた。しかし、近代農業において集約化、省力化が押し進められてきたため、農産物の消費地と農地との間の栄養塩類のリサイクルが断ち切られ、農地からの肥料成分の流失に対する配慮が希薄化してきた。最近の水田では、投入された肥料141kg/ha(窒素換算)のうち、水田から周辺環境へ負荷される窒素量は合計で約13%(18kg/ha)と比較的少ない。一方、畑地では、年平均施肥量342.5kg/ha(窒素量換算)のうち、畑地から周辺環境へ流出する窒素量は76.3kg/ha(約22%)に達した例がある(7)。これらの多量の窒素負荷が地下水を含めて水環境中の硝酸イオン濃度を増大させ、水質汚濁を深刻化させている。

 最近では、殺虫剤、殺菌剤、除草剤などの農薬が、農産物の収量確保やゴルフ場の芝生の育成管理、市街地の環境保全のために多量に使用されている。しかし、環境中に散布された農薬が河川、湖沼、貯水地などに混入して、水道原水を汚染している。そのため、農薬の種類によっては、浄水場で分解除去されずに水道水に微量(規制基準以下)の農薬が混入されたまま、各家庭に配水されるケースのあることが厚生省の1996年の調査で明らかになった。

 上述のように、自然環境の悪化が世界の農業生産量を低下させて、各国における需給バランスを狂わしかねない。そのため、近い将来、世界の食料供給体制が大きく変化する可能性を否定できない。一方、農業生産に伴う周辺環境への影響が人間生活におおきな影響を与えていることにも特段の配慮が必要である。

1.3. 食料生産におけるエネルギー問題

 20世紀後半における食料増産は、耕地面積の増加ではなくて、主として反収の増加によって達成された。反収の増加は21世紀においてもある程度見込めるにしても、これのみで必要十分量の食料を確保できるとの保証はない。また、耕地面積や灌漑率の増加が可能であったとしても、実際にはその社会経済的コストや環境負荷のために、食料増産に寄与できる程度には増加できないだろうとも推測されている。

 大きな問題の一つは、先進国が生産性向上のために採用している、エネルギー多消費型の近代的食料生産方式である。先進国では農地1ha当たり石油換算でおおよそ1.5トンのエネルギーを消費している。多くのコメ産出国では、現在、人的労働力に多く依存する伝統的生産方式によっていることが多いために、コメ生産の石油消費量は多くないが、それらが将来、近代的方式に移行すれば、人口の増加と相まって、石油消費量は膨大なものになるだろう。他の食料についてもコメの場合と同じことがいえる。

 石油需要の将来予測には、上述のような食料生産における石油消費の増加が考慮されていないが、それにもかかわらず石油生産は20〜30年後にはピークに達し、以後減少するものと予測されている。したがって、これは十分に予測されることであるが、食料生産のための消費が増大すれば、石油資源の枯渇は加速され、また石油消費の増加にともなう二酸化炭素の排出増加をもたらして、地球環境問題を一層深刻化するであろう。近代的食料生産方式が拡大すれば、エネルギー資源の枯渇が加速され、地球環境への負荷も増加する。物質循環型で持続可能な、新しい食料生産方式を早急に創出することが強く望まれる所以である。

 食料消費パターンの変化もエネルギー需要増大の方向に向かっている。再生可能な資源を利用した放牧によって食肉生産が行われてる間は、動物性食料の消費増大はエネルギー消費の観点からは問題にならないが、エネルギー多消費型の近代的方式で生産された穀物を飼料として利用する集約的生産方式が採用されると、石油消費は増大する。近年における社会経済の発展に伴って、動物性食料の消費が増大する一方であり、そのために環境への負荷もまた増大している。

 新世紀における食料問題は、このように人口、エネルギー、地球環境問題とも密接に関連し、先進国と開発途上国間の所得格差も絡み合って、多面的でかつ複雑である。それゆえに、食料の生産要素に関する情報には大きな不確定さを含むことになる。利用可能な耕地面積、集約的食料生産による土壌流失・劣化の程度、灌漑に利用可能な水資源量など、評価方法の如何によっては将来予測の結果が大きく異なっていて、悲観的あるい楽観的な振幅の大きな予測結果が得られている。国はグローバルな視点にたって、将来の食料需給を精密、かつ正確に予測し、食料の安定的確保のための主導的な行動計画を早急に立案する必要がある。

1.4. 人口・食料・環境統合型システム・モデルの提唱

 世界中のいずれの国も、自国の経済力、地理的政治的環境条件に応じて、自国の食料安全保障に努力するとともに、世界の食料流通システムの安定を強く希望している。各国はそれぞれの食料安全保障のための戦略形成用として、独自の「人口・食料・環境統合型システム・モデル」を開発し、政策形成に活用しているであろうが、そのシステム・モデルは世界の気圏・水圏変動モデルや、食料流通システム、さらには投資資金流通システムなどを通して、他国の同種システム・モデルと相互に関連し合っている。急速に変動する世界の状況を的確に反映した高精度の予測を可能とするには、このような他国の戦略的モデルや他種システムと相互作用する地球規模のマルチエージェント・システム・モデルを形成する必要がある。従来の人口マクロモデルや食料流通マクロモデルなど、それぞれの専門分野別に形成された単一種別型モデルでは、予測できる範囲は極めて限定的だからである。

 21世紀における我が国の政策形成には、的確で迅速な対応・適応・決定が求められる。この要請に応えるには、急速に変動する世界の状況を、不断に予測することが欠かせない。上記のマルチエージェント・システム・モデルの形成とそれによって得られる動的変動状況の予測精度を検証するには、多分野の専門家間の相互交流と情報流通が必要であり、このことを目標とする場またはシステムを創出し、もって多分野の専門家の協同研究を促進することが、緊急に必要な課題である。

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.我が国における食問題:その現状

2.1. 食生活変様の背景


日本型食生活の特徴

 コメを基本に、魚介類、野菜・果実、牛乳を組み合わせた日本人の平均的な食生活は、コムギと畜肉に依存した欧米型の食生活に比べて栄養の面でバランスがとれたもので、資源的、文化的にも望ましいとされている。さらに、この国の農業資源を有効に利用するために、またその長い歴史が形成した文化の観点からも望ましいと考えられている。この「日本型食生活」と呼ばれる食事パターン(より正確には1970〜80年代の日本人に平均的な食事パターン)は、我々の健康を支え、豊かな生活の基盤を築き、我が国を世界一の長寿国にした要因のひとつであった。

 日本型食生活とよばれる食事パターンはこの国固有のものである。1996年にローマで開催された世界食料サミットのために作成された資料のなかでも特異な位置づけがされている(8)。主な食料摂取パターンにもとづいて、世界の151ヶ国を第1類コメ、第2類トウモロコシ、第3類コムギ、第4類牛乳・食肉・小麦、第5類ミレット・ソルガム、第6類キャッサバ・ヤムイモ・タロイモ・プランテーンの6階層に分類したが、我が国の食生活パターンが、第4類の高所得国よりもエネルギー摂取量が低く、食肉の消費が少ないこと、またコメの消費が第1類のコメ消費国よりも少ないことから、トウモロコシを常食としないにもかかわらず、コメ以外の植物性食料の消費状況を考慮して、例外的に第2類のトウモロコシ消費国に分類している。この日本型食生活スタイルは世界で類を見ないということができる。

 しかしその後、この日本型食生活はすっかり変質してしまった。各国、各地域の食事内容はその土地に適した食料資源と文化によっておおよそ決まっていて、その変化は極めて徐々にしか進行しないものであった。しかし我が国では、高度経済成長期のはじめにあたる1960年から1997年にかけて、コメ類の消費が約40%に減少し、野菜・果実類が30%増加しているのに対して、乳・乳製品、肉類の消費が約4倍、魚介類が30%増加した(9)。つまり、動物性食料の比率を高めて、環境への負荷の大きな食事内容に変わった。このように20世紀後半になって食料消費パターンが大きく変化した国の例は少ない。

 国民1人あたりに供給されたカロリーでみると(3)、1960年度には2,291kcalであったものが1986年度に2,600kcal台に達し、1996年度の2,640kcalを経て、1998年度には2,570kcalになっているので、食料供給はほぼ飽和水準に達しているものと考えられる。品目別でみると畜産物と油脂類が増え、コメの供給量がこの増加相当分が減少している。食料群別の摂取カロリーでは(7)、1960年度には総摂取カロリーのうちコメから57.8%、畜産物・油脂類から6.5%を摂取していたが、1975年にコメから39.2%、畜産物・油脂類から18.5%、1996年にはコメから29.2%、畜産物・油脂類から24.0%と変化している。このように、国内資源の有効利用を目指した日本型食生活、栄養所要量に対応して描かれた「食品構成」や「食料構成」は全く有名無実になってしまった。

2.2. 食意識の変化

 現在の我が国では、国内はもとより世界中から取り寄せた様々な食べ物を好きなだけ、好きなときに食べることができるようになっている。そのせいで食意識も変化している。飢えを癒し、生命維持をはかるという理性面からの動機ばかりではなくて、食事を楽しみ、味わうという享楽を動機として食べ物を摂取することが多くなった。食料の主な最終消費の場である家庭の意味も変容している。家族構成員の個人化が進行して、家族がそろって食事をする機会も少なくなった。家族を結びつける絆であった「同じかまの飯」を食わなくても不自由しなくなっている。ファーストフードや調理食品が豊富になり、外食も容易になっているからで、孤食や欠食(特に朝食を)する機会も増えている。

多様化志向

 オイル・ショック後の家庭では小口・多品目購入の傾向がみられる。シェアを拡大したスーパーマーケットと急成長したコンビニエンス・ストアのおかげで、家庭に食料の「買い置き」をおく必要がなくなったのと、家族それぞれの好みに応じた食料を摂取する個食が行われるようになったからである。

 国民1人1年あたり供給された純食料は1960年度の442.7kgから1996年度には523.5kgに増加しているが、この全体量の増加には、各品目の量的な単純増によるだけではなく、品目数の増加を伴なっている。例えば、総務庁の「家計調査」で取り上げられた食料品の品目数は(10)、1963年には194品目であったが、1995年になると新たに68品目が増えた。廃止などで52品目が減ったので、これを差し引くと16品目が増えたことになる。また、年間支出金額が一定以上を占める品目について調査した「小売物価統計調査」から食料についての調査品目をみても、1962年には141品目であったものが1996年には235品目に増加している。このように品目の改廃と増加を通じて多様な食料から選択できるようになったのは、食生活の洋風化と輸入自由化の進んだことと、家族構成員がそれぞれ別の食事をとる個食と簡便化志向が高まったことが相まってのことである。

高級志向

 所得や生活にゆとりがふえてくると、我が国の消費者はその生活の豊かさを量的なものから質的なもので実現しようとしている。特に高級品への志向がバブル景気のころの消費者の購買行動にはっきり現れていた。ゴッホの「ひまわり」が58億円で購入された1987年頃は、高級・大型の耐久消費財がよく売れた。急成長したクール宅配便が、高価でも新鮮、美味しい、本物を志向する消費者の需要を支えた。

 バブル崩壊後は低価格志向に変化し、魚や野菜の購入に当たってもその志向がつよい(11)。しかし、食料品を購入する際の意識をアンケート調査した結果によると、過半の調査対象者が「価格が多少高くても、新鮮、良質なものであれば購入する」と回答している。消費者の意識にはなお高級志向が根強く残っている。

簡便志向

 高級志向に相反する簡便志向も高い。調理時間を大幅に短縮したレトルト食品やレンジ食品が、主として朝食や昼食に利用されることが多くなった。加工食品も買い置きの目的ではなく、家庭内での調理を省略するために利用されるようになった。

2.3. 食に関する行動様式の変化

2.3.1. 生活環境の変化

核家族化・少子化・高齢化

 以前の家族は、生産、教育、相互扶助などの機能を持つ、まるで小さな社会であったが、今日ではこれらの機能の多くが社会の方に移っている。戸主権と長子相続制を内実とした家制度が崩壊して、夫婦と子供たちだけで構成される小単位の核家族が、高度経済成長期における標準家庭のモデルになった。「家つき、カーつき、婆抜き」をモットーにしてつくられた核家庭は、夫婦関係、親子関係をきずなとする精神的、情緒的な場になり、食卓を囲んで食事することでお互いが家族の構成員であることを確認しあうことになった。ところが、個食−同じ所帯の構成員でもそれぞれ異なる食材料や調理加工品を用いた個別の食事をすること−が普通になっている。消費者の食料品購入が小口化・多品種化し、「同じ釜の飯」を食わない個食が1人世帯に限られるものではなくなった。

 社会教育の機能や相互扶助の機能を喪失した今日の核家族は、少子化と高齢化が進行してさらに小型になり、夫婦のみの所帯、単独所帯が増えている。小型になった核家族の主たる構成員である母親の社会進出や父親の不顕在化とが相まって、家族構成員の個人化が進み、家族がそろって食事をする機会も少なくなってしまった。家族を結びつける絆であった「食卓を囲んで食事する」ことがなくても、食事に占めるファーストフードや調理食品、外食の比率も高くなっているので不自由しなくなり、それぞれが勝手な時間に、別々の食事をする弧食や欠食、特に20歳代〜40歳代が朝食を欠食する機会が増えた。高度経済成長期のマイホーム家族が求めた、家族が食卓を囲んで一緒に食事をする、という風景をみかけることがすくなくなってしまった。

 社会が変様するにつれて、家庭、家族のもつ意味が変様するのは避けがたい。しかし、今日見られるこのような食生活の変化が行きつく先は、核家族の解体であろう。食卓が家族にとって共食の場でなくなれば、共食集団の基本単位としての核家族は存在する根拠が消滅してしまうはずだからである。このような状況に鑑みて、1998年6月、中央教育審議会は「幼児期からの心の教育の在り方」を答申したが、その中で、「家族全員が少なくとも一日一食は共に食事をしたり、一週間のうち夕食を共にする日を決めたりして、家族が一緒に食事をとる機会を確保し、家族の間で豊かな会話をすることなどを是非習慣にしてほしい」と、家庭での食事のあり方を具体的に例示したのである。

女性の社会参加

 女性就業者総数が1960年から1996年の間に2千万人から2千百万人に増えている(12)。年齢別にみると、15歳から20歳代前半は年々減少しているのに対して、20歳代後半が1.4倍に増加し、30歳代前半から40歳代前半は増減が少なく、40歳代後半から60歳代以上になると1.9ないし2.1倍に増加している。20歳代後半の就業率が増えているのは晩婚化の影響もあり、40歳代後半以後は出産や子育て後に再就職した女性が多くなったためと思われる。しかし、55歳以上の高い就業率は所得のためだけとは思えない。ちなみに配偶者のある女性就業者数をみると、1962年には260万人であったものが1995年にはその4.5倍の1,170万人に増えている。この間の全就業者数は4,590万人からその1.4倍の6,460万人になったこととくらべると、夫婦共働きが急速に進んでいることは明らかである。

 主婦の社会参加は急速に高まると、主婦がアンペイド家事労働に割く時間が少なくなり、食品産業が家庭の食卓に調理済み加工食品を持ち込んで女性の調理労働を肩代わりし始めた。また外食の機会も飛躍的に増えた。このように新しい調理加工技術が導入されることによって、米食中心の伝統的食生活が大きく変容し始めたのであろう。

家庭電化

 家庭における主要な耐久消費財の普及率をみると(13)、1955〜65年代には、白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫が「三種の神器」ともてはやされて普及した。1970年代にはいると、調理用電化製品として、電子レンジやオーブンが普及し始めている。これらの電化製品の普及は、国民の所得水準の向上と電化製品製造に関する技術革新とが相まって可能になったのであるが、配偶者のある女性が社会進出したことによって、家庭における調理時間の短縮化と夕食時間の遅延化がよぎなくなったことも大きな要因である。

 バブル経済崩壊後、消費者の低価格志向が高まっているにもかかわらず、電気冷蔵庫や電気洗濯機のような家事用家電製品は、高機能、大型、大容量の価格の高いものが購入される傾向にある。これは、ひとつには夕食時間が遅くなり、調理に利用できる時間が短縮したために、冷凍食品や弁当、惣菜などの調理済み食品が普及したためである。

2.3.2. 食料調達手段の変化

輸送・貯蔵法の発達

 世界の国々で、また国内の各地域で自給自足的に消費されていた農産物やその加工品は、それぞれ固有の伝統的食生活構造や食文化を反映するものであった。しかし、高度経済成長期から活発になった全国規模にわたる人口移動や、物流システムの整備、冷蔵輸送や保蔵技術の進歩によって、地域固有の食料品というものが消滅しつつある。産地と消費地を隔てていた距離は流通や消費にとって大きな障害にはならなくなったのである。食料消費の地域間格差が平準化してきたといわれるゆえんである。マスメディアなどを通じた情報の流通が、この平準化に拍車をかけている。

輸入依存

 我が国は世界最大の食料輸入国である。1998年における供給カロリー、主食用穀物の自給率はそれぞれ40%、59%にすぎない(3)。「天ぷらそば、すき焼きの材料のうち、100%国産品は食塩だけに過ぎない」と食料自給率の低下を警告しても、事態は少しも改善されない。注目すべきことに、この国に対する食料供給の主体が、かってその役目を担っていた国内農水産業から、多国籍アグリビジネスを含む外食産業と食品製造業に移っている。ちなみに、1975年と1995年における食品の消費価をくらべてみると総額は23兆円弱から51兆円に急増している。その間に、国内農水産業のシェアは31%から16%に低下し、食品製造業は24%から28%に、飲食店と関連流通業を含む外食産業が41%から50%にシェアを高めている。

食事の簡便化・外部化

 その一方で食事の簡便化と外部化が進行している。調理冷凍食品やレトルト食品のような加工食品、惣菜、持ち帰り弁当や宅配サービスの調理食品、ファースト・フードやレストランでの外食が増えている。

 料理も以前とは違って、ずいぶん作りやすくなっている。加工食品に加えて、食材も手軽に調理できるものが出回り始め、果物や野菜も洗ったり、むいたり、切ったりしなくても良いものが増えてきた。1980年代後半頃に、我が国のある惣菜業が「日本中の台所からまな板と包丁をなくしてみせる」といって物議をかもしたことがあったが、まな板も包丁も必要でない惣菜の需要は年々高まっている。1995年ころから、米国の食品流通業がミール・ソリューションやホーム・ミール・リプレースメントといった概念を唱えだした。これはできるだけ家事を効率化するために、単なる食材ではなくて「食の悩みを解決」する、献立を考えなくてもよい、食卓まるごとの食事、あるいは「家庭料理に代わる持ち帰り総菜」を意味するものである。この概念が我が国にも導入され、テークアウトの内容も変わって、少し手を加えるだけで食卓にのせられる主菜類が増えた。家族の一員が勤めからの帰りに、このような主菜を買って帰り、早く家に帰った別の家族がサラダを作って待つ、という風景も珍しくなくなった。

2.4. 食品産業構造の変化

産業構造の高度化

 多様化志向・高級志向・簡便志向という食意識の変化は、それに対応する食品産業の構造変化をひきおこしている。我が国の食料消費の基礎構造を形成してきた米穀や魚介などの基礎的消費に対して、調理食品や菓子パンや外食などの高度加工型の選択的・サービス消費が急速に増加すると、食品製造業も一次加工型の基礎的産業から、二次・三次加工型の高付加価値産業へと変身をとげている。

流通システムの多様化と統合化

 上述のような食品産業の変化は、製造段階の前段階と後段階、つまり販売・流通システムと原料供給システムにインパクトをあたえ、さらなる変化を呼びおこしている。販売・流通システムは、もともと消費構造における多様化志向に対応して多様化が進んだ面が強く、米穀や魚介・野菜などの伝統的な卸売業と小売業に依存した流通パターンから、スーパーマーケット・チェーンやコンビニエンスストア・チェーンなどの大規模小売業が、卸売段階をとびこえて直接に生産段階と結びつきつつある。伝統的な流通システムと結びついた米穀類小売業や鮮魚・食肉小売業などの衰退は著しく、これに代わって多様な食品の品揃えで終夜営業するコンビニエンスストアやスーパーマーケットの進出が著しい。

 このように、生産と消費の構造変化がそれを結ぶ流通システムに影響をあたえ、さらにそれが生産と消費の構造変化を加速している。多様化した販売・流通システムのなかで、どのシステムが主導権をもつかをめぐって、提携や合併なども視野に含みながら、相互の激しい競争が展開されている。スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの大規模小売業が主導する流通システムは新興勢力であるが、これに対して卸売業者や商社が中核となる伝統的な流通システムも、その地位を懸命に維持しようとしている。これに大手食品メーカーによる原料確保から製品販売のすべての流れを統合化しようとする試みが加わって、販売シェアの拡大をめざす競争は激烈をきわめ、それが消費の多様化をこえた消費の過剰化と飽食化を促進している。

原料供給への影響

 食品産業が高度加工型へ移行するにつれて、我が国の伝統的な原料供給部門である農業や水産業と食品産業との結びつきが弱まっている。それのみならず、加工段階の多様化が、消費原料の多様化をもたらし、国内生産だけでは対応できない多様な原料の輸入増大を要求するようになった。冷凍調理食品や生菓子あるいは外食産業などでは、製品価格に占める基礎的原材料の占める比率は低下傾向をたどり、しかもその原材料の多くが国内の伝統的な供給構造によっては満たしえないものとなってきている。食料消費の多様化・飽食化傾向と国内の原料生産とのミスマッチは拡大するばかりで、両者の調和のとれた発展の道を探すのは容易ではない。

2.5. 農業・食料政策の変化

グローバリゼーションと消費市場の統合

 第2次大戦後、先進資本主義諸国は貿易為替自由化を進めたが、情報通信技術や交通手段が飛躍的に発達したことと東西冷戦状態が終結したことによって、世界経済の資本主義的単一市場化、グローバル化が急速に進んでいる。1990年代になると、経済のグローバル化が進んだ一方で、ヨーロッパ、アメリカ、アジア太平洋のそれぞれの地域内で経済圏形成が進み、域内市場の統合も進んだ。その結果、時間と空間の観念も変質し、人の交流や商品、財貨、情報の流通が地域的規模にまで拡大している。

 食料もまたこのグローバル化の例外ではない。ガット・ウルグアイ・ラウンドを梃子にした農産物貿易の大幅な自由化が押し進められている。我が国が輸入する主要農水産物は1997年には41兆円に達し、加工度別の割合では生鮮品と加工品の割合が年々増加している。農産物貿易の真の担い手はアグリビジネスである。多国籍企業化をめざした大手アグリビジネスは、加工食料を含む農産物の生産・加工・流通をグローバルに展開する戦略をたてて、国境を越えた相互乗り入れを進めている。この多国籍アグリビジネスは、我が国の農産物・食料品輸入のおおよそ50%から60%を掌握していると見積もられているが(14)、この数字は低すぎるかも知れない。多国籍アグリビジネスが持ち込んだ欧米型の食料消費構造は、食の簡便化に貢献したが、その代償として環境への負荷を高め、我が国固有の食生活構造や食文化を破壊していることが否めない。

食料自給率と食料安全保障

 1993年12月に実施されたガット・ウルグアイ・ラウンドによって農産物の自由化の流れが加速された。1995年の末に閣議決定された「農産物の需要と生産の長期見通し」によれば、2005年の食料自給率はカロリーベースで41〜42%、規模拡大が意欲的に行われた場合でも44〜46%と試算され、現状維持がやっととされている。それにもかかわらず10年後の農地面積は480万〜490万haとし、1994年には508万haあった農地の28〜18万haが消滅するものと予測している。3割を超えるとも言われる廃棄食料をどれほど減らすかの問題を抜きにして食料自給率を論じることは出来ないように、農業生産と食料消費の関係を自給率の向上のみによって変えることはできない。しかし、自給率向上の指標は、コメ偏重の日本農業をいかに改革再生させるかという問題とともに、農政改革の基本目標であり、2000年に正式に開始するWTO(世界貿易機関)交渉において国内農業のあり方についての我が国の農政の国際的レベルが問われる際の基本的指標であることに変わりはない。そして農地の荒廃と生産者の高齢化というじり貧状態にある我が国の農業の再生のための改革は、決してわが国固有の利害の問題ではないのである。すなわち、国民に対する食料の安定供給は、凶作や輸入の途絶等の予測し得ない事態の発生によっても決して停止することができない絶対的な要件なのであって、経済社会のボーダレス化によってもこうした危機管理体制の確立は、国際社会に対する我が国の信義の問題であり、国の責務の問題なのである。

 「食料・農業・農村基本法」の制定によって農政の改革が追求されつつあるが、生命を支える絶対的な要素である食料の安定供給は、いかに経済社会がボーダレス化しようともその共通基盤にあるものといって良い。言い換えれば、「食料・農業・農村基本問題調査会」の答申にあるように、「農地はたんなる私的な財産でなく、社会全体で利用する公共性の高い財である」というべきである。

農業保全でえられた公共的利益の還元

 農業に意欲的に取り組む生産者が消費者に歓迎される生産物を安い価格で提供することを押し進める方向は、1995年に制定された「食糧法」によって確立された。しかしながら、外部的要因によって影響を受けやすく、しかも我が国のように、その大きな部分が条件不利地域で営まれざるを得ない地理的な条件にある農業の場合には、こうした農業への市場原理の貫徹は、生産者への所得保障などの手だてでも講じられていない限り、農業とともにその地域社会を不可逆的に押しつぶすことになりかねない。中山間地域の農業と農村の役割が、国際的に見直され、ウルグアイラウンドの農業合意においても、農業生産物の価格支持型の「黄色の政策」と異なって、こうした地域の保全施策が、いわゆる「緑の政策」として削減対象から除外されたように、土地と結びついた農業が、たんに食料の供給という観点からのみ維持されるのではなく、環境の保全や公共空間としての農村の公共的性格に立脚して、維持される方向が国際的にも現れつつある。このように、農業の保全に伴う利益がたんに食料という形においてのみでなく、公共的な空間の有する利益として消費者にも還元されるようなシステムを設計することが、これからの食問題を考える上でも重要な視点とされていく必要があるであろう。

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.我が国における食問題:その課題

3.1. 食生活が環境にもたらす負荷

物質循環プロセスの崩壊

 現代の食生活が環境との関わりの中で引き起こしている重要な問題の一つは、自然環境に計り知れない負荷を与えるようになったことである。農業従事者が人口の多くを占めていた1960年代以前には、食料消費の場から食料生産の場へ還流する物質量が少なくなかった。ところが現在では、生産と消費の場が大きく隔たって、相互に不可視の疎遠な関係になってしまい、かっての食料生産・消費システムが協調して可能としていた物質循環の機能が失われてしまった。実感されることは少ないかもしれないが、現代の食生活は自然環境に大きな負荷を与えている。この負荷をどのように軽減するかは、食料を消費する側の課題である。しかし同時に、消費側の環境負荷軽減対策をどのようにして促進するかは、食料を供給する側にとってもこれからの中心課題の一つでもある。

 環境への負荷の大きい窒素の循環(千トン/年)をみると(15)、1992年では食料輸入による829、化学肥料として投入される608、水産物として水揚げされる259の合計170万トンの流入量に対して、屎尿・雑排水として689、家畜糞尿367、農地からの溶脱364、農水産廃棄物216、その他60が排出されている。この合計170万トンの流入量のうち、窒素固定によって生産の場などに還流するのは10%前後で、残りの大部分が環境中に放出されている。55年の窒素放出量は約77万トンであったので、この間の窒素排泄量は、農地への還流量を差し引くと、約2.4倍に増加したことになる。ところがこの間に国民に供給されたタンパク質量は1.7倍増加したにすぎない。

動物性食料の摂取

 このように環境への窒素放出量が増えた主な原因は、輸入に依存する食料調達構造に変化したこと、食生活が植物性食料中心から窒素含量の高い動物性食料により依存するようになったことにある。全摂取タンパク質に占める動物性タンパク質の比率を見ると、1960年代までは40%以下であったものが、1979年には50%を越え、1995年には54%に達している(9)。

3.2. 無駄な消費

飽食

 日本人の食料消費がほぼ飽和に達している。食料の供給と消費を1日1人当たりのエネルギー水準でくらべてみると、供給量が1980年代以降2,600kcal台にあってほとんど変化していないのに対して、摂取量は1980年代以降2,100kcalから2,000kcal台に低下している。食料の供給量(3)と摂取量(9)の差から廃棄された食料の割合をエネルギーベースで試算して見ると、1965年では13%であったものが、1980年には24%、1995年には30%にものぼっている。この廃棄量は、2千万トンの純食料、あるいは輸入食料の3分の1もしくはコメ生産量の2倍に相当する。

食物の大量廃棄

 我が国のゴミ排出量は世界一だといわれる。1年間に排出される産業廃棄物は1975年には2億3千万トンが、1985年には3億1千万トンと増え続けたが、1992年以後は4億トン台で推移している。それに対して一般廃棄物は1975年で4千2百万トン、1991年には5000万トン台に到達した。1996年以後は1年間に排出される一般廃棄物は5100万トンに達し、1人1日あたりで1.1キログラムを超えている。東京都の調査によるとそのうちの38%が家庭から排出されるゴミである。そうして、95年に東京都と京都市の清掃局が行った調査によると、そのうちの湿重量で43〜48%が生ゴミ(台所ゴミ)である。さらに、92年に京都大学環境保全センターと京都市清掃局が台所ゴミを調べたところによると(16)、そのうちの38%が手つかずの食料と食べ残しで、果実・野菜のくずや魚の骨などの不可食部が53%を占めている。つまり、一般家庭から廃棄される不可食部は年間約1200万トンにおよび、それ以外に手つかずの食料と食べ残して廃棄される食資源は年間約800万トン、金額にすると年間食費の10%弱にあたる39兆円相当分にのぼる。

 1996年に100家庭を対象に食べずに捨てた食料について一週間の実態調査した結果によると(17)、その量は一人一日当たり56.5グラムで、台所ゴミの30%をしめる。廃棄された食べ物の保存場所は62%が冷凍冷蔵庫で、廃棄の理由は、「古くて食べたくない」が38%、「腐っている」が11%、「製造年月日が古い」が10%、「賞味期限が過ぎている」、「好みでない」がそれぞれ9%、「もともと使わない」、「少し余った」がそれぞれ8%であった。この実態から、売場中心主義の販売にそそのかされた消費者のずぼらな買いすぎが見て取れる。

 このように一般家庭から食べずに廃棄されるものに加えて、給食や外食で未使用のままに廃棄される食べ物や食べ残し、調理廃棄物、食料品店の販売残量などを考慮すると、われわれの食生活が外部にもたらす負荷は廃棄される食料だけでもこの数倍になるはずである。ちなみに、弁当・惣菜類など、製造されたその日のうちに配送・消費されるものの廃棄率(16)は、多いところでコンビニエンス・ストア10.9%、スーパーマーケット8.1%、惣菜店7.7%で、少ないところでは宅配サービス1.1%、弁当・惣菜メーカー4.6%で、平均すると7.2%になるという。1997年の米国での調査によると、小売業、外食産業、消費者の段階で食べずに捨てられる食料は全供給量の4分の1になるという。この割合はこの国の廃棄率にほぼ等しい。

3.3. 流通が環境にかける負荷

 エネルギーコストの高い施設栽培や長距離輸送・輸入によって、年間を通じて食材の供給が可能になっている。例えば、露地栽培の場合の4.5倍ものエネルギーを投入して施設栽培されたトマト、キュウリ、ピーマンの生産量が60%を、イチゴの生産量が90%を超えて、周年供給が可能になっている。イチゴの消費ピークは65年には夏の5月であったが、95年には消費ピークが3、4月と早くなり、真冬の12月や1月でも出回るようになった(18)。

 輸送に伴う環境への負荷も大きくなっている。北海道や九州、四国などの遠隔地から大都市の中央市場に出荷される青果物の割合が過半を占めるようになったからである。それに、消費者の食料品購入が多様化、小口・多品目化し、限りなく新鮮に近いものを求めるようになっているが、この要求がスーパーマーケットやコンビニエンス・ストアヘの商品配送を小口化し、高頻度化し、配送に伴う環境負荷をさらに増大させている。流通過程を省エネルギー化、省資源化する課題には流通業と消費者の両者が協調して取り組まねばならない。

3.4. 食料生産の高エネルギーコスト

 地球上の全ての生命活動を根元的に支えられているのは、植物や藍藻の光合成活動である。地球上に降り注ぐ光エネルギーのおよそ0.2%を利用して、年間で1.7×1011トンの有機物を合成している(19)。そのうちのおおよそ5%を、現在、地球上のバイオマスの10-4〜10-3を、つまり単独の動物種としては最大のマスを占めるようになった人類が食料として利用しているだろうと推定されている。

 従来、食料の生産に投入されるエネルギー量は、生産物が含むエネルギー量よりも低いのが普通であった。つまり、太陽エネルギーを直接あるいは間接に利用した食料生産のエネルギー収支は黒字であるのが原則であった。しかし、現代の大衆社会では高度化した食料生産技術によって、消費者の高級・新鮮・安全志向に沿った食料が生産されるようになると、金銭的な収支は見合っていてもそのエネルギー収支が大きな赤字であることが見過ごされている。

3.5. 水質汚濁

 琵琶湖や霞が浦のような湖沼、瀬戸内海や東京湾のような閉鎖性海域の汚濁は、屎尿や生活雑排水が30ないし70%を占めている。この20年間で、国内の水使用総量が4%弱増えたに過ぎないのに対して、1人あたりの生活用水は2倍に増えている。この増加割合は、食料廃棄量の増加割合とよく似ていて、生活用水の増加が食生活スタイルの変化とリンクしていることを推定させる。

 我が国のカドミウム消費量は世界一であり、日本人の平均摂取量も他の国に比べてかなり多い。これは環境の汚染に由来するもので、コメに含まれているカドミウム量はすでに設定基準値を超えていることに注意すべきである(20)。

3.6.食品包装材料

 東京都や京都市が行った調査によると、家庭ゴミ全体に占める食料品・飲料用の容器包装廃棄物量が占める割合は、容積比で27%、重量比で18%に及んでいる(15)。包装単位が小さくなってきた加工食料の包装に、簡易包装やリサイクル資材をむやみに導入することは安全性確保の観点から危険であるが、包装ゴミの減量とリサイクル利用を図る余地は大きく残っている。

 包装材料のリサイクル利用を促進するには、材質の表示が不可欠である。一見してその材質を特定することが困難であり、そのことがリサイクル利用の隘路になるからである。さらに、包装材料から内容物に移行する化学物質のなかには(従来は内容物成分の包装材料への移行に関心が向けられていた)、内分泌攪乱を疑われるものが含まれている。その安全性を確認する必要がある。発泡スチロールだけに疑いをかけておくわけにはいかないだろう。

3.7. 食料の安全性を脅かすもの

農薬・ポストハーベスト・食品添加物


 様々の食品添加物やポストハーベスト、あるいは農薬などの外来性物質が、食料生産や調製・加工の段階で添加され、あるいは残留、混入する可能性がある。我が国の農薬生産量は1980年代より減少の傾向にあるが、耕地面積当たりの量をみると、我が国は世界でもトップクラスの農薬使用国である。これにはそれなりの理由があろうが、農薬には農薬としての作用の他に、いわゆる「環境ホルモン」としての作用を有するものがあり、環境へ及ぼす影響が危惧されている。ポストハーベスト農薬は作物に高濃度残留する。その種類、残留基準は国によりまちまちであるが、概して輸出国で使用されている農薬の種類、基準は輸入国である我が国ほど厳しくない。しかも国際基準への調和化が叫ばれており、さらに規制が緩和される恐れがある。我が国の検査体制がより一層整備されることが望ましい。食品添加物は農薬と異なり消失すること無く、そのまま体内に摂取されるという運命をたどる。このため安全性の確保にさらなる努力が不可欠である。

 消費者の鮮度志向が高まっているが、これは強くなってきた安全志向を反映したものとみなすべきである。総理府の調査(11)によると、圧倒的多数の消費者が「多少値段が高くても、品質や鮮度のよい食料をとっている」と回答している。最終調製品の安全性をより確かなものとするために、害虫の生物学的防除法の可能性を検討するとともに、これらの外来性物質の使用量を可及的に制限するために、効率の高い施用法、施用時期、使用量を食料システム全体にわたって総合的に判断して設定するシステム工学的アプローチが求められている。

 なお、消費者は、食料に対する鮮度、安全志向が高まるとともに、形、外観をより重視するようになった。これにより、例えば形の悪いキュウリは人気が無く買い手がつかない。折角輸入した野菜も、見た目に悪いものは港に陸揚げされると同時に廃棄されている。このような無駄は早急に改められるべきであり、消費者意識の改革が迫られている。

外来性物質に関する安全性評価システムと評価データ

 前述の外来性物質は、食料システムを流れている間に量的および質的に変化しているはずである。しかしこの変化は、現状ではごく一部の食料品について、しかも断片的に知られているにすぎない。HACCP(Hazard Analysis - Critical Control Point危害分析重要管理点)管理方式が導入されているが、さらに国内で消費される食料の安全性を総合的に評価するシステムを確立する必要があるが、そのためにはこの国の食料システム全体にわたって、これらの外来性物質の消長を追跡し、得られた分析および評価データを蓄積し、公開する機構が必要である。

内分泌攪乱作用が疑われる化学物質

 環境ホルモンはそのホルモン様作用、環境残留性、生物濃縮性、毒性の強さで問題となる。ダイオキシンについては、そのほとんどが食料から摂取されることが判明しているが、他の内分泌攪乱物質については大気、水、食料からの摂取の割合が判明していない。このような化学物質を出さないようにするには疑わしい材料を使用しないことである。現在のスーパーマーケットなどでは食料の多くはパックされており、このため消費者は汚染の可能性のある食料を必要量以上に購入させられている。余分な食料は廃棄され、またパックはゴミとして環境問題と係わってくる。

 しかし最近、これらの化学物質について、その用量と作用の関係が一様ではなくて、低用量でむしろその作用が増大する可能性が指摘された。もし、これが正しいとすると1日摂取許容量を設定するような考え方では対応できないことになって、安全性評価の基準を根底から変更する必要が生じるので、この問題を解決することが焦眉の急になっている。なお、これらの化学物質の安全性評価は、ごく限られた数の企業に責任を課すべきものではなくて、国家的機関の事業とすべきものである。

遺伝子組み換え食品

 現在の進歩した育種法を駆使すれば、生物多様性を利用して既存作物に望ましい遺伝的変異を導入することが可能である。この育種法によって作出された新種農産物は、遺伝子組み換え技術に拒絶反応を示す消費者にも受け入れられやすい。しかし、遺伝子組み換え技術は、食料生産用農産原料の種別を拡大、改良するもっとも重要な手段であることは確かである。21世紀中頃には世界の食料需要は現在の3倍になるだろうが、農耕地は10%も増えないだろうと予測されているが、この食料供給の量的問題を解決するには、農業の生産性を飛躍的に向上させる必要があり、そのために遺伝子組み換え作物の導入が必至である。現在までに試みられた遺伝子組み換え作物の多くは、病害、虫害などを克服するためにデザインされたものであったが、次の段階では、タンパク質、油脂などの常量栄養素の品質改良、含量増加を目標に設定して、ほとんどの作物について遺伝子組み換え作物の作出が試みられることになるであろう。また、健康の維持・増進に役立つ成分や栄養素への期待が大きいことから、これらの保健成分を付加・増量した作物を作出することも試みられるであろう。

 しかし、これらの遺伝子組み換え作物は、その安全性、特にその組み換えに用いられた原核細胞由来のDNAの安全性は、当初考えられたほどには確かではない。不断にその安全性を検討して、得られた結果については感情論を排して学術的な立場から評価しなければならない。

 さらに、組み換えた遺伝子が当該植物以外の、他の植物に移行し、従来の生態系を少なからず破壊する可能性がある。遺伝子組み換えでは異種タンパク質が作物に侵入したと同じことになる。その結果、期待した効果以外に、副産物による毒性の発現する可能性がある。OECD(経済協力開発機構)の指針により、従来の作物と遺伝子組み換え作物が実質的に同等である「実質性同等性」という概念が提唱された。導入された遺伝子の起源や特性がよく知られており、既存の食料と同程度に無害であるとの科学的根拠がある場合は、その遺伝子組み換え食料の安全性は、既存の食料と同等と考えられるというのである。しかし、遺伝子組み換え作物は従来の作物とは全く別物であるので、ごく微量の物質(不純物)まで同等性の対象として、さまざまな角度から十分検討されるべきであろう。

食料・飲料水由来の食中毒

 食料・飲料水が媒介する病原菌(病原性大腸菌O157:H7)や食中毒菌(ボツリヌス菌、サルモネラ菌など)による汚染が広まっている。外食する機会の多い近年の食生活スタイル、大量生産体制と広域配送システムが確立したことを反映して、1件あたりの患者数が多くなり、大規模化かつ広域化している。腸管出血性大腸菌O157による感染症は、1999年4月から「3類感染症」に分類され、その他の危険度の低い食中毒とは区別されることになった。しかし、分類が変わっても、それで感染率が低下するとは考えにくい。O157感染症は生菌数10〜100個の極微量で発症するために、原因食や感染経路を特定できずに終わっているものが多いからである。

 輸入食料による食中毒の報告が跡を絶たない。これに対しては検疫業務の充実を計ると共に、産地における輸出用食料が汚染されないような現地教育、技術援助等の推進を考慮する必要がある(21)。例えば、バンコマイシンはメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)に対する抗菌薬として有効性が確認されているが、最近、輸入鶏肉からのバンコマイシン耐性腸球菌(VRE)の検出が少なからず報告されている。これは養鶏の飼料添加物として抗菌薬が使用されているためであるが、国産の鶏肉にはこのような添加物は使用されておらず、菌も検出されていない。狂牛病の肉の摂取により発症する若年性クロイツフェルト・ヤコブ病はまだ我が国では問題となってはいないが、21世紀の疾患として危惧されており、その予防には国際的な検疫ネットワークの設立が必要となろう。

 一方、食中毒事故や伝染病に対する自衛手段として、台所の備品その他の日用品に抗菌処理を施したものが多く見受けるようになった。しかし、これらの「抗菌グッズ」についていくつかの疑問がある。抗菌効果がどの程度のものか明確でない。かって冷蔵庫の能力を過信したために食中毒がおこったことがあるように、抗菌処理の表示を過信した事故が起こっていないとは断言できない。また、抗菌物質として銀化合物、オルトフェニルフェノールやチアベンダゾールなどのポストハーベスト農薬が利用されている。我々の生活に、このような抗菌作用が果たして必要かどうかも疑わしい。国民の清潔志向が行きすぎて、生活環境から有用微生物まで排除してしまった、という批判もある。このことが小児にアレルギーを多発させている可能性があるからである。

3.8. 食品の健康保持・増進機能の活用

 我が国の人口の超高齢化が急速に進行中である。高齢者の日常的な身体・精神活動を可能な限りに高い水準に維持することが緊急の課題になっていて、その中で食生活の工夫がもつ意義は極めて大きい。食品がもつ重要な機能の一つに健康保持・増進効果がある。食品のこうしたいわば医薬品的機能の開発を目標として、広く既往の食料素材について見直しを行い、新たな食材を開発、食料の調理・加工方法の研究を進めることが必要である。

 食料の健康増進効果として期待が寄せられている機能には、老化防止、免疫能強化、白内障予防、血栓症予防、動脈硬化の進展防止、がんの予防などがある。我が国においては、健康増進成分をもつことがヒトについて検討され、これを表示することが認められた食品は「特定保健用食品」とよばれるが、現在、許可されている食品は便秘、貧血、骨粗鬆症、むし歯、高血圧、高脂血症に関わるものにとどまっている。今後発展させられるべく残されている分野は極めて広い。海外では、すでにがん発生抑制を意図する食品の臨床的研究が積極的に取り組まれている。

 しかしながら、食品の健康増進機能の評価と表示に関して、問題があると思われるのは、第1に表示される効能の範囲が狭く、表現も極めて限定されていること、第2に効果の評価が十分に科学的に行われたとは思われないこと、第3に、これは表示があいまいとならざるを得ない理由ともなるのであるが、評価に際してのエンドポイントの設定が不十分であること、などの点がそれである。効能・効果の評価の方法には疫学調査、臨床試験、大規模長期介入試験の3つがある。疫学調査は効果を推測させ、これを立証するための試験の必要性を提示するものであり、効果評価のためにはヒトでの試験、すなわち、臨床試験が不可欠である。最終的には大規模長期介入試験が望ましい。大規模長期介入試験は本邦においては、医薬品の試験においてすら、困難が多く、敬遠されている。しかしながら、海外では科学的として知られている試験の例がすでにいくつか報じられている。

 食品の医薬品的機能の開発については、2つの問題の解決が必要と思われる。その1は医薬品と食品の境界にあるものの法的位置づけの見直しである。その2は食品の効能・効果の評価を科学的根拠のあるものとする体制の確立である。

 医薬品と食品の境界領域にあるものの扱いを明確にし、評価方法を確立して、表示を判りやすく、利用され易いものとすることが、さらにこの領域の開拓につながる。そして、それによって得られた成果は第1に医薬品によらない市民の健康的な生活を保証するものであり、第2には食品産業の高度研究投資型産業への転換を促進するものともなることが強調されるべきである。

3.9. 情報化食料供給・流通システムの整備

食品購買行動とデマンド情報


 生活者の立場から見た食問題は、一つの総合的な問題である。生活者としては「安全で、鮮度・品質の良い、おいしい高品質の食品」を、その品質に見合った低価格と最少の購買時間で調達し、ある程度のストックを保有しつつも、できる限りは廃棄物を最少化したいと願っている。専業主婦でも、個食や孤食の人でも、1)食材を調達して自ら調理する場合にも、2)加工・半加工食品を調達してその組合せや食材を交えた調理をする場合にも、さらに3)インスタント食品で食事をする場合にも、すべての食材について、a)いずこの産地でどのように生産または収穫されたか、b)どのような流通システムを通じて出回ってきたか、c)どのようにその安全性が確かめられたか、d)どの程度新鮮なのか、などの情報を得た上で、選択の判断をしたいと思っている。賞味期限、成分情報、ブランド名、産地情報のほか、今日では遺伝子組み換え食材でないとする表示も、上記a)〜d)の判断をするうえで役立っている。しかし生活者は輸入食材も含めて、総ての食材について質のレベルの判定に必要欠くべからざる情報を全て得た上で購買行動をできる状況にはない。情報内容を真に生活者の求めるものとするとともに、読みやすい情報表示とする必要がある。その結果に対する生活者の購買行動情報こそがデマンド情報の発端である。

食料流通情報とダイナミックな流通システム

 食料流通の実情を把握し、その仕組みの改良を図るために、多くの食生活・食料流通情報が蓄積されてきた。しかしそれらの多くは注目する指標等の積分量について、1時期の動向を示すものであっても、動的に変動する物流、情報流、金流などの実情、流通システムの働き具合や、個々の店舗の個々の陳列食料の動向を示すものではない。高度情報化時代の情報処理技術では、膨大な量の「生のデマンド情報」も処理できるし、即時に利用できる。従ってそれを前提とした高度の供給流通システムを考案し、実際に役立てることができる。生活者の実際の食料調達行動における店舗選択行動は、満足度・コストと調達に要する時間の二者のトレードオフ分析を暗黙裡に行ない、最適組合せを求めた結果に対応しようとするものである。多数の販売店群は、「いかにして生活者顧客に選択してもらうか」を競うという意味で、戦略的状況にある適応エージェント群である。互いに戦略的状況にある販売店群はそれぞれに魅力ある食料・商品を揃え、陳列・装い等に工夫をこらして顧客を魅きつけようとし、売上を伸ばそうと競いつつ、日々適応戦略を吟味し、必要に応じて戦略を更新していく。従って全体としては多数の適応エージェントで構成されたマルチエージェント・システムとなる。その振舞は、適応エージェント群の戦略的行為とシステム外から多様な要因が及ぼす作用のもとで動的に変動する。

食料のデマンドチェーン・サプライチェーン・マネジメント

 近年の消費者主導型市場において、顧客満足度重視型の供給流通システムとしてサプライチェーン・マネジメントが種々の業界に導入されつつある。その考え方を加工食品のロジスティクス・システムとして要約すると、『「顧客満足度の高い加工食品を適時に低価格で生活者に届ける」という課題に対して、「食品開発、食材調達、製造、配送、販売の全過程の企業群の問で、生活者の購買行動を含む総ての関係情報を共有し協同で解決に当たることにより、各企業の在庫削減、コスト削減、納品リードタイムの短縮を実現できる」』ということである。生鮮食材については、この文章の最初は「品種選択・品種改良、土壌調整等基盤整備、肥料・飼料の調達、収穫・漁獲・屠殺、配送、販売の全過程の企業群」と書換えることになる。サプライチェーンの開始動機または発端は生活者からの「安全で鮮度・品質の高い食品を」というデマンドにあり、その情報が生産者に届くまでの情報流はデマンドチェーンと呼ばれる。生活者の店舖陳列食品選択結果は有力な「生の情報」ではあるが、それ以外の情報と組み合わせていっそう魅力ある食料、欲しいと思う食料とは何かを探究することが求められる。働く女性の増加とその子育てを支援する女性の増加に対応して、生活者のニーズも移り変わる。

 ライフスタイルの変化と共に購買行動も移り変わっていく。その「生の情報」がほとんどリアルタイムで、上記のサプライチェーンの総ての部署・企業に共有されるとき、食品産業も、農業・畜産業も、「今生活者が希望しているもの」を目指すことができるようになる。従来のシステムでは、調達、年産、流通、小売り、の各企業が情報を共有せずに、それぞれに利益最大化行動をするので、最終需要(実需)に対して小売り店舗、2次卸店、1次卸店、メーカーのそれぞれが見込みで用意する在庫量は実需の何倍にも達し、結局は売れ残り、鮮度を失った在庫は総て廃棄物となる。これに対して、「情報の共有化」が徹底されると、サプライチェーン構成企業群の「流通在庫を最少化し、在庫廃棄物を最少化する」という共通目標を達成することができるようになる。

サプライチェーン・ネットワークとソシアル・ロジスティクスシステム

 多くの加工食品や食材について種々のサプライチェーン群が構成されていくと、サプライチェーンのネットワークが形成され、他の製品のサプライチェーン・ネットワークとの相互作用も大きくなるであろう。生鮮食材については、その収穫・漁獲等の方式の特性に関わる諸問題が流通に大きな影響を及ぼす。従って物流だけでもソシアル・ロジスティクスシステムの問題として扱う必要がある上に、生産システムとの合成モデルも必要になる。しかも物流末端・情報流源泉の販売店群の間は、マルチエージェントシステムとなっている。学術側としては、それらの総合システムの学術体系を構成してその特性を明らかにし、より良いシステム形成へ向けての方策を提示する役割を果たすべきである。

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.求められている食の倫理

4.1. 食料を消費する側に求められている倫理

 今日の大衆消費社会では、個人の権利としての物質的欲望を最大限に叶えるために、大量生産・大量消費、発達した交通・通信手段によって拡大した社会的外延、都市化と人口の都市集中が社会的条件になっている。この現代社会の成立基盤こそが、今日の環境問題の淵源になっている。我々が有限の資源を大量に採取して、大量に廃棄し続けるライフスタイルもこの高度経済成長期に身に付いてしまった。限りある資源を大量採取、大量廃棄し続けることから、日光や風力などの自然エネルギーを利用して、地球規模で有限の資源を循環的に使用する、持続可能な社会システムに転換するには、このようなライフスタイルや人生の目標を環境保全型に構築し直す必要がある(22)。

 個人のライフスタイル、中でも食生活スタイルを構築し直しても、今日の社会経済システムの中では、その直接的な影響はごくわずかなものに見えるかもしれない。しかし、この些細に見える個人の食生活スタイルは、食料問題、家庭問題、教育問題など多方面から、社会経済システムと深く関わっていて、社会経済システム転換の引き金になる可能性を潜ませていることを見過ごしてはならない。

 食生活スタイルを再構築するには、まず、個人に行動規範を与える、「食の倫理」を確立する必要がある。今日の社会システムのもとでは、個人がどのようなライフスタイルを採用するのかは、個人の価値観の問題であって、個人の尊厳にかかわる、神聖にして不可侵の領域とされてきた。しかし、「食の倫理」は、環境保全をその基本に据え、地球全体の共生を可能とするために、いつ、どこででも、なんでも、どれだけでも食べることができる、という個人の自由を縮小することになるだろう。しかし、これは個人の欲望を他律的に抑制されることを認めない現代人のイデオロギーを根底から否定することになる。こう考えてくると、「食の倫理」はベンサム流の功利主義による「個人の倫理」を、全体のために個人の利益を犠牲にするかもしれない「社会の倫理」で補ったものにならざるを得ないのではあるまいか。

4.2. 食料を供給する側の倫理

 食を調え、供給する側の倫理もまた現在問い直されている。例えば英国の狂牛病事件は、食を供給する側の倫理を問い糺す機会を与えた。英国のチャールズ皇太子は、「効率を追求するために動物を機械のように扱い」、「さらにはその動物のエネルギー源としてリサイクルした動物タンパク質を使用する」、「環境に対する責任を抜きにした経済性の高い運営、食料の品質と健康を考慮しない最大限の生産、動物の福祉に配慮しない集約化、生物学的、文化的多様性の維持を考えない単一化」、このように経済原理を最大の原動力とする産業と化した農業は、現代人の「安価な食料を潤沢に」を、という要求に応えたからといって免責できるものでないと糾弾した。「狂牛病はヒトに伝播するはずがない」という専門家の楽観論が、事態を悪化させたが、この事件が、現在のヨーロッパの遺伝子組み換え食料に反対する姿勢の背景にあると捉えることができよう。つまり食料供給には、単純な安全性論議よりももっと根底的な取り組みが必要であることを示しているのではないか。

 本来、食は食を調える側とそれを受ける側の倫理もしくは生き方と不可分な関係にあったはずである。ところが、長い伝統と風土に培われた生産・調理・加工技術が20世紀の自然科学と結びついて近代技術を取り込み、食を供給する側の姿が食を受ける側からよく見えなくなると、食を供給する側はそれと引き替えのようにして倫理から離反してしまった。今日の調理・加工技術は、供給された食料が善であることだけで評価され、それを生産し、調えた側の倫理や徳を問いたてることがなくなったからである。この倫理からの乖離現象こそは、今日、食を供給する側が解決を迫られている課題として受け止めて欲しい。

4.3. 食の道徳・倫理の確立を

 習俗、倫理や宗教、道徳規範は民族や国家の成立の基盤になっている。我が国にも伝統的な宗教、倫理・道徳があった。しかし、それが国民を戦争に駆り立てる道具として悪用されたこともあって、戦後には倫理・道徳は悪魔の呪術でもあるかのように否定されたまま、国民は経済復興に励んだ。人間としてのあり方を深く省みることなく、新しい道徳・倫理を確立することもなく、物質的繁栄を追い求め、経済的成功のみが政治目標となり、人生の目標であると考える社会を作り出してきたのである。

 我々は近未来を見据えて、今、「食の倫理」を確立しなければならない。このことに関して国民の合意を形成しなければならない。そうして、この新しい「食の倫理」は、国が提示する「食生活指針」や「食品構成」、「食料構成」にも明確に反映されるべきである。

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参考文献

(1)総務庁統計局編「日本の統計1999」、1999
(2)World Population Information, U.S.Bureau of Census(http://www.census.gov/ipc/www/world.html)
(3)農林水産省「食糧需給表」
(4)FAO "The state of food insecurity in the world 1999",1999
(5)中川慎治他、気候変化予測、「地球温暖化と日本」(西岡秀三・原沢英夫編著)、古今書院、1997
(6)中根英照他、成層圏におけるオゾン層破壊と研究の歴史、「オゾン層の破壊」)(環境庁地球環境部監修)、中央法規、1995
(7)小川吉雄他、畑からの窒素流出に関する研究、「茨城県農試特別研報」4号、1979
(8)FAO、「世界の食料・農業データブック−世界食料サミットとその背景」、国際食糧農業協会翻訳・発行、1998
(9)厚生省「国民栄養調査成績」
(10)総務庁「家計調査」
(11)総理府「食料・農業・農村の役割に関する世論調査」(平成8年9月 調査)
(12)総務庁「労働力調査」
(13)経済企画庁「消費動向調査」
(14)中野一新「アグリビジネス論」、有斐閣ブックス、1998
(15)環境庁「平成10年版 環境白書」
(16)科学技術庁資源調査会「暮らしと資源との関わりに関する調査報告」、1999
(17)大日向光、捨てられる食品の実態のその背景、「vesta」33号、1999
(18)環境庁「平成8年版 環境白書」
(19)岩城英夫「生態学概論」、日本放送協会、1986
(20)若山茂樹、朝日新聞、平成10年8月11日号
(21)金政泰弘・三輪谷俊夫、「食中毒の恐怖」、紀伊国屋書店、1998
(22)安本教傳、食生活スタイルを再構築するために、「学術の動向」、1998

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