科学技術の発展と新たな平和問題

「科学技術の発展と新たな平和問題特別委員会報告」

平成11年9月20日

日本学術会議
科学技術の発展と新たな平和問題特別委員会


 この報告書は、第17期日本学術会議「科学技術の発展と新たな平和問題特別委員会」での審議の成果をとりまとめたものである。

 科学技術の発展と新たな平和問題特別委員会

委員長 北野 弘久 (第2部会員、日本大学法学部教授)

幹 事 初瀬 龍平 (第2部会員、神戸大学法学部教授)
    平田  賢 (第5部会員、芝浦工業大学システム工学部教授)

委 員 高木 、元 (第1部会員、高野山大学文学部教授)
    平岡 敏夫 (第1部会員、筑波大学名誉教授)
    小林  公 (第2部会員、立教大学法学部教授)
    田中 敏弘 (第3部会員、関西学院大学名誉教授)
    長砂  實 (第3部会員、関西大学商学部教授)
    上野 健爾 (第4部会員、京都大学大学院理学研究科教授)
    加藤 洋治 (第5部会員、東洋大学工学部教授)
    田渕 俊雄 (第6部会員、元東京大学農学部教授)
    土崎 常男 (第6部会員、(財)農民教育協会鯉渕学園教授)
    末舛 惠一 (第7部会員、済生会中央病院院長)


「科学技術の発展と新たな平和問題」
−科学技術の発展と新たな平和問題特別委員会対外報告概要−

1 本報告の背景と目的

 20世紀は、第1次、第2次の世界大戦などによって象徴されるように、まさに「戦争の世紀」であった。私たちは、20世紀末の今日、いぜんとして「戦争」という直接的暴力に対する伝統的な平和問題が重要であることを認識しながらも、そのような「戦争」という形をとらない新たな平和問題が一段と構造的に重要となりつつあるという認識にたっている。飢餓・貧困、社会的差別、非衛生・健康破壊、地球環境破壊、人間破壊などのように、直接的暴力(戦争)以外の諸力によって引き起こされる新たな平和問題がグローバルな課題になりつつある。

 このような新たな平和問題の多くは、科学技術(自然科学)の発展と無関係ではない。もとより、新たな平和問題はひとり科学技術(自然科学)のみからもたらされるものではない。しかし、ここではさしあたり、主として科学技術(自然科学)の発展との関連において新たな平和問題を検討する。

2 本報告書の構成

 「1 本委員会の目的」で、新たな平和問題をもっぱら科学技術(自然科学)の発展との関連において検討しようという本委員会の使命を確認する。ついで、「2 伝統的な平和問題と新たな平和問題」で、伝統的な平和問題の意義、新たな平和問題の意義、および両者の関係を検討する。「3 科学技術の発展と新たな平和問題の具体例」で、市民生活において比較的に普遍性のある諸問題を紹介する。とりあげられた事例は、@地球温暖化・エネルギー問題、A核問題、B食糧問題、C水環境・湖沼流域問題、Dゴミ廃棄物問題、E遺伝子問題、F内分泌撹乱物質(環境ホルモン)問題、Gコンピュータの発達に伴う情報化社会の問題、である。「4 新たな平和問題に関する科学と科学者の社会的責任」で、新たな平和問題について科学と科学者の社会的責任を果たすために、私たちはどうあるべきかを検討する。「5 具体例の展開」で、上記「3 科学技術の発展と新たな平和問題の具体例」で紹介された諸問題を若干の提言などを含めて各論的に詳論する。

3 科学と科学者の社会的責任

 新たな平和問題を引き起こすことの理由の一つとして科学技術(自然科学)それ自体がどちらかといえば、いわば「独走」してきたとみざるを得ない側面は否定しえない。本報告書で例証的に指摘したところからも明らかのように、科学技術(自然科学)の発展がかえって、地球規模において人間の尊厳、私たちの生命の安全などを害しつつある。この事実をふまえて、これからの科学研究においては実社会で生起している深刻な諸問題を直視し、自然科学と人文・社会科学との協同を促進することが不可欠となろう。研究対象を諸科学の統合的(integrate)視点からとらえるいわゆる統合科学の方法の重要性が指摘されなければならない。これからは、科学と科学者は究極的には統合科学研究を志向することに恒常的に努力しなければ、その社会的責任を果たすことができない。

 新たな平和問題について、科学と科学者の社会的責任を果たすためには、私たちは以下のことがらに留意すべきである。

(1) 科学者自身の側において自己の研究が新たな平和問題をもたらす危険性のあることを絶えず自覚し、反省して研究することが大切である。進んで、科学技術(自然科学)の発展それ自体が新たな平和問題の解決に積極的に貢献するものになるようにしなければならない。そうしてこそ、私たちは、科学と科学者の社会的責任を果たすことができる。

(2) これからは、自然科学と人文・社会科学との協同による研究が行われなければ、科学と科学者はその責任を果たすことができない。たとえば、食糧問題については、今後も砂漠化等の耕地の荒廃、環境汚染などをもたらさない、新たな農業技術の開発のための努力をしなければならない。同時に、食糧問題が世界戦略の手段となることを抑制することが大切であり、そのための国際機構の確立、地球レベルでの国際協定などの整備が検討されなければならない。社会的責任は、ひとり自然科学のみならず、人文・社会科学も共有しなければならない。

(3) 新たな平和問題が起こりつつある現実にかんがみて、人々の多くが科学技術(自然科学)がもたらす利便よりも「土に還る。自然に生きる」という価値観、人生観を重視するようになれば、人々は「物質文明」依存をさして望まなくなるようになることもありうる。「物質文明」依存よりも、よい意味で「精神文明」を重視するという人々の意識改革を行うことも人文・社会科学の課題とされなければならない。

(4) 新たな平和問題の解決のために、人々による社会運動としての新たな平和運動の意義は人きい。この種の社会運動に科学的根拠を提示し、運動を科学者が支援することも、これからの科学と科学者の社会的責任である。また、この種の運動の意義、新たなる平和問題に関する科学情報等を社会に伝えるジャーナリズムの使命の重要性も指摘されなければならない。

(5) 教育のあり方も問われねばならない。研究者一人ひとりが、自然科学と人文・社会科学の双方への理解をもつことが望まれる。自然科学の専攻者自身が、同時に人間や社会についてあたたかい理解と配慮をもつことが大切である。一方、人文・社会科学の専攻者が幅広く自然界、自然科学についての教養を身につけることが大切である。正しい意味でのプラクティカルなリベラルアーツに配慮した大学等における教育のあり方が構築されるべきである。


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目次

1.本委員会の目的

2.伝統的な平和問題と新たな平和問題

3.科学技術の発展と新たな平和問題の具体例

4.新たな平和問題に関する科学と科学者責任

5.具体例の展開
 〔1〕地球温暖化・エネルギー問題
 〔2〕核問題
 〔3〕食糧問題
 〔4〕水環境・湖沼流域問題
 〔5〕ゴミ廃棄物問題
 〔6〕遺伝子問題
 〔7〕内分泌撹乱物質(環境ホルモン)問題
 〔8〕コンピュータの発達に伴う情報化社会の問題

 〔付記〕

別表1 平和問題に関して日本学術会議が行った勧告・声明等一覧

別表2 (1)「具体例の展開」に関連して日本学術会議が行った勧告・声明等一覧
    (2)「具体例の展開」に関連して日本学術会議が行った対外報告書一覧

別表3 第17期本委員会でのヒヤリングー覧


.本委員会の目的

 本委員会は、第17期(1997年7月〜2000年7月)において「科学技術の発展と新たな平和問題」と題する特別委員会として設置された。本委員会の目的を明らかにするために、いままで平和問題をめぐって日木学術会議が行ってきた活動の一端を確認しておきたい。

 1949年に日木学術会議が設立されて以来、同会議は科学者の使命の一つとして平和問題に重大な関心を示してきた。いままで、日本学術会議が平和問題について発表してきた勧告・声明等の主なものは別表1のごとくである。

 平和問題を審議する特別委員会としては、第11期(1978年1月〜1981年1月)「原子力平和問題特別委貝会」、第12期(1981年1月〜1985年7月)「平和と科学特別委員会」、第14期(1988年7月〜1991年7月)「平和及び国際摩擦に関する特別委員会」、第15期(1991年7月から1994年7月)「平和と安全特別委員会」、第16期(1994年7月〜1997年7月)「アジア・太平洋地域における平和と共生特別委員会」が設置されてきた。

 第12期までは平和問題について別表1によって知られるように、勧告・声明等の形で精力的に意見表明が行わている。その後は、各期に設置された上記特別委員会でひきつづき平和問題が継続的に審議されてきており、第16期では対外報告書をとりまとめている。

 第17期において設置された本委員会は従来のものとは本質的に異なった使命をもって誕生した。私たちは、20世紀未の今日、いぜんとして「戦争」という直接的暴力に対する伝統的な平和問題が重要であることを認識しながらも、そのような「戦争」という形をとらない新たな平和問題が一段と構造的に重要となりつつあるという認識にたっている。いま、飢餓・貧困、社会的差別、非衛生・健康破壊、地球環境破壊、人間破壊などのように、「戦争」という直接的暴力に対する伝統的な平和問題とは異なった新たな平和問題がグローバルな課題となりつつある。伝統的な直接的暴力という形ではなくて、私たちの尊厳、生命の安全などが地球規模において危機にさらされつつある。このような新たな平和問題の多くは、科学技術(自然科学)の発展と無関係ではない。もとより、新たな平和問題はひとり科学技術(自然科学)のみからもたらされるものではない。しかし、ここではさしあたり主として科学技術(自然科学)の発展との関連において新たな平和問題を検討するために、本委員会が設置されたのである。

 私たちは、以上のような基本的認識にたって、伝統的な平和問題と新たな平和問題、科学技術の発展と新たな平和問題の具体例、新たな平和問題に関する科学と科学者の社会的責任、これからの科学のあり方などを検討することとした。

 なお、日本学術会議において「新たな平和問題」という視角から平和問題を総合的に検討するのは本委員会がはじめてであるが、本報告書で「具体例の展開」として扱った個別の問題について、いままで日本学術会議が発表してきた勧告・声明等、対外報告書の主なものは別表2のごとくである。

 私たちは、この検討を進めるうえにおいて、いままで別表3のような各分野の専門家からヒヤリングを受けて慎重な討議を行った。
本報告書は、これらの討議の成果をとりまとめたものである。

〔注〕「科学技術(自然科学)」の用語について

 本報告書において「科学技術(自然科学)」と表現している場合は、つぎの趣旨による。一般に「科学技術」は「科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間生活に役立てるわざ」と定義されている。自然科学を従来、社会生活への応用を主目的とするか否かによって分類する方法が用いられ、自然科学は基礎科学と応用科学とに区分されてきた。この場合、「科学技術」は応用科学の範疇に入るものとされた。しかし、近年、自然科学の進歩発展によって、基礎科学と応用科学との区別が曖昧となり、新たに研究対象を諸科学の統合的視点からとらえる「統合科学」の概念が生まれてきている。本報告書ではこれらのことをふまえ、「科学技術」を基礎科学と応用科学とを統合した自然科学としてとらえている。

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.伝統的な平和問題と新たな平和問題

(1)「平和」の現代的意義
 新しい21世紀を迎えようとする現時点で、平和問題が人類死活の課題となっている。そのなかで、新たな平和問題の意義が強調されるようになっている。しかし、伝統的な平和問題も決して消失してはいない。現実には、20世紀末の平和問題は、これら二つの平和問題の総和であり、両者は密接に関連している。

 「平和」とは何か。ここでは、「平和とは、人間の尊厳が認められ、生命の安全が保障されることによって、個人の可能性が最大限に活かされるような人々の状態を指す」、と最広義に理解することにする。「平和問題」とは、そのような平和をめぐる状況および課題のことである。

(2)伝統的な平和問題
 伝統的な平和問題における平和は、戦争という直接的暴力が不在の状態を意味する。すなわち、戦争の対概念としての平和である。

 20世紀は、一面では、物質的生産力の発展、政治的民主主義の発揚、民族自決権の承認などで、人類が巨人な進歩を印した世紀であった。同時に、20世紀は他面では、残念ながら、人類にとって世界的規模での戦争と殺戮の悲惨な世紀でもあった。いくつか例をあげよう。本質的に帝国主義戦争であった二つの世界大戦は、多くの人々を殺傷した。反帝国主義の民族解放戦争も多くの人々を犠牲にした。日本もアジアにおける侵略戦争の旗手となり、ついには太平洋戦争の当事者になった。また、20世紀はロシア十月革命に端を発する革命の世紀でもあったが、革命はしばしば国内戦争(内戦)を伴った。第二次大戦後、米ソの冷戦が人類を核戦争の渕に立たせたこともあった。米国のベトナム戦争、ソ連のアフガニスタン軍事介入という不名誉な記録もある。中東、アフリカ、そしてバルカンなどでは、民族戦争、宗教戦争・抗争が頻発している。国際連合が直接に関与した湾岸戦争、最近では、国際連合の存在を無視した米国・NATO(北大西洋条約機構)軍のユーゴスラビア空爆などの例もある。

 これらの各種の戦争を経て軍事技術は驚くべき発展を遂げ、大量に貯蔵された核兵器およびハイテク兵器の破壊力は、想像を絶するものとなっている。もし核戦争が勃発すれば、勝者も敗者もない。

 これらの戦争はそれぞれ特有の根源を有している。あらゆる戦争が悪ではない。たとえば、侵略に抵抗する戦争を非難することはできないであろう。

 戦争の発現は決して宿命的なものではない。国際紛争および国内紛争を軍事的手段、すなわち戦争によって解決しようとすることに反対して、また不幸にして始まった戦争に対してその中止を求めて、今まで絶えず平和運動が展開されてきた。戦争は必ず、戦争による利得者と犠牲者とを生む。平和運動は、常に、現実的および潜在的な戦争犠牲者から生まれている。平和運動の主体は多様である。そして今日、世界の平和運動はいくつかの有力な国際平和団体を生み出すとともに、国際連合という世界的規模での平和の砦を造り出している。しかし、残念ながら、この国際連合の力には限界がある。最近の米国・NATOとユーゴスラビアとの戦争によってもそのことは明らかである。

 今日における伝統的な平和問題は、20世紀に頻発した、直接的暴力の発動としての国際戦争および国内戦争をいかに予防し、それらからいかに抜け出すか、それらの原因をいかに取り除くか、という課題である。人類は20世紀の愚かな諸戦争から多くの教訓を学ばなければならない。今日の人類が目指すものは、直接的暴力・武装力の発現である諸戦争からの最終的解放、すなわち、全般的・恒久的平和の樹立である。それなくしては人類の自滅は避けられないであろう。

 それでは、伝統的な平和問題はすでに過去のものになったであろうか。残念ながらそうではない。冷戦終結後の今日においても、核実験は継続され、核保有国は増大している。核軍縮は初歩的な成果しか挙げていない。各種の軍事同盟は存続し、拡大・強化されている。それらが新たな展開すら見せていることは、NATOと日米安保体制の例によっても明らかである。ずば抜けて強力な軍事力を有する米国が「世界の警察官」として振る舞い、NATOをリードしている。日本でも新ガイドライン関連諸法が成立した。世界の各地で、民族戦争・宗教戦争・抗争および内戦が今なお続いている。国際連合の戦争防止・抑止力も一定の限界を露呈している。このように、戦争の対概念としての平和の維持および創造は、いぜんとして人類死活の課題である。伝統的な平和問題、つまり「戦争と平和」の問題が解決されたとは、とうてい言えない。

 伝統的な平和問題が当面している現代的課題はどのようなものであろうか。核廃絶を目指す世界的軍縮の実現、国家主権の尊重と国際協調の展開、軍事同盟の解消を目指す市民運動の展開と世界の諸民族・宗教の「平和共存」、内戦に依らない社会変革、そして国際連合の平和維持機能の強化、などが特記されるべきであろう。

 ところが、20世紀末では、このような未解決の伝統的な平和問題とともに、新たな平和問題がますます緊急の人類的課題として提起されている。

(3)新たな平和問題
 新たな平和問題とは何か。簡潔な定義を試みるならば、新たな平和問題とは、直接的暴力(戦争)以外の諸力によって引き起こされる、人間の尊厳および人類の生存の危機の諸形態、ならびにそれらの解決課題のことである。それは以下の三つの部分からなる、と考えられる。

 第一は、社会経済的諸力(「構造的暴力」)に起因して、人間の尊厳を損ないその能力の発達を妨げている諸形態およびその克服の諸課題である。その形態には、飢餓と貧困、社会的差別、政治的抑圧、非衛生・健康破壊、教育の荒廃と道徳の退廃、などが数えられる。それらの克服なしには、人類にとって物心ともに豊かな、平穏な未来はない。

 第二は、人類の生存を脅かしている地球環境破壊の諸形態およびその防止の諸課題である。水汚染、大気汚染、地球温暖化、森林減少、土地の砂漠化・塩性化、資源・エネルギー問題、食糧問題、ゴミ(産業廃棄物、一般廃棄物)処理、核実験汚染、原子力発電事故、核燃料廃棄物処理、ODA(政府開発援助)がらみの乱開発、などがその諸形態である。それらの進行を阻止できず、今のような規模とスピードで地球環境を破壊し続けるならば、人類は予想外に早く絶減するでろう。

 第三は、人間そのものの変質と破壊につながりかねない諸形態およびその阻止の諸課題である。遺伝子操作、内分泌撹乱物質(環境ホルモン)、情報の悪用、情報システムの誤作動などがそれである。それらの処理を誤れば、人間破壊は確実にやってくる。

 新たな平和問題は、第二次世界大戦後とみに顕在化し、冷戦終結とともに、文字通りグローバルな課題となってきている。それは、すべての先進資本主義諸国、発展途上諸国、そして、「ポスト社会主義」諸国に共通する緊急の課題である。

 新たな平和問題についての問題意識は、とりわけ、1960年代以降に精鋭化したいわゆる南北問題に触発されて生じたとはいえ、その客観的存在は古くからのものであって、決して新しくはない。また、新たな平和問題を「構造的暴力」との関連でのみ狭く理解すべきではなく、多様な形態と課題を包括するものと理解すべきであろう。そして、冷戦構造の終結は、伝統的な平和問題に勝るとも劣らぬ重要性を新たな平和問題に付与するきっかけとなったと言えよう。

(4)新たな平和問題を生み出す科学技術の発展
 新たな平和問題は現段階の人類社会の発展そのものがもたらした産物であるが、それは、とりわけ科学技術(自然科学)の発展と深くかかわっている。

 現代の社会経済体制のもとで、科学技術(自然科学)は、飛躍的な発展を遂げた。それは、一面では、体制にとって中立的な、人類共通の進歩を体現する肯定的・積極的成果をもたらした。他面では、それが現実的生産力に転化されるとき、さまざまな否定的・消極的な結果を伴う。そのことを、現代社会の生産・再生産過程の諸要素に即して考えてみたい。

 労働対象については、科学技術(自然科学)の発展は、一面では、新素材の開発、資源の有効利用を促進する。他面では、有害物質の開発、資源の乱掘・乱獲が促進される。労働手段については、科学技術(自然科学)の発展は、一面では、機械・設備の絶えざる進歩、生産過程の自動化の促進によって生産力・労働生産性の巨大発展をもたらし、また、労働日短縮の可能性を生み出す。他面では、失業、労働強化、労働時間の実質的延長、労働の非人間化をもたらす。労働力については、科学技術(自然科学)の発展は、一面では、伝統的熟練と重労働から労働者を解放し、科学的知識に裏づけられた労働の普遍性を高める。他面では、労働が無味乾燥な、非自発的な作業に転化し、労働者の能力の偏った一面的発展が生じ、失業の自由は労働市場での労働者相互の競争を激化させる。

 エネルギーについては、科学技術(自然科学)の発展は、一面では、化石エネルギーに替わる原子力エネルギーなどを開発した。他面では、原子力発電の安全性が確実に保障されているわけではなく、また原子力発電廃棄物の処理技術も確立していない。

 情報については、科学技術(自然科学)の発展は、一面では、情報化社会によって時間および空間の短縮に巨大な貢献をしている。他面では、情報の秘匿、意図的操作、盗み取りなどは、国際的規模でのバブル化や投機横行を引き起こしたり、特定国の経済・金融破綻の原因ともなり、また、個人のプライバシーを侵害しうる。

 生産物については、科学技術(自然科学)の発展は、一面では、生産財と消費財を問わず、人間の多様な、絶えず変化する欲望を充足する、より使用効率の高い新製品を創出する。他面では、利潤目的と市場目当ての生産は、平和に敵対する兵器や有害商品をも造り出して恥じない。

 大量生産と大量消費の結果である産業廃棄物と一般廃棄物の処理問題に関しては、今のところ、科学技術(自然科学)の成果はきわめて不完全にしか活用されておらず、「後は野となれ山となれ」の状態が支配している。周知のように、リサイクル体制の確立が緊急の課題となっている。

 このように、現代の社会経済体制のもとでの科学技術(自然科学)の発展それ自体が、新たな平和問題を生み出す有力な源泉となっている。現代の社会経済体制がこのような制約条件をいかに克服できるかが、いま問われている。しかしながら、科学技術(自然科学)の発展は同時に、新たな平和問題に肯定的・横極的に貢献しうる可能性を秘めている。たとえば、地球環境破壊の防止、人間と自然との共生などは、自然科学の然るべき発展と科学技術(自然科学)の一層の革新なしには不可能であり、現にそのような方向は現れており、期待が寄せられている。現代の科学技術(自然科学)は、自ら蒔いた稲の「成果」を自らの手で刈り取らねばならない。

(5)伝統的な平和問題と新たな平和問題との関連
 新たな平和問題は、各国の国民的課題であるだけでなく、全世界の国際的課題でもあり、しかも、それとの取組みは種々の利害対立を内包せざるをえない。新たな平和問題が国民的課題である場合には、その内部に階級的・階層的利害対立をはらまざるをえない。公害の歴史によってもそれは明らかである。また、新たな平和問題が国際的課題である場合には、民族的・国家的利害対立をはらまざるをえない。たとえば、先進諸国と発展途上諸国とは、「開発と環境」の問題をめぐって鋭く対立している。そのような国内的および国際的な利害対立・衝突は、伝統的な平和問題に転化しかねない。このように、新たな平和問題は、根底においては伝統的な平和問題とつながっている。人類の運命は、これらの二つの平和問題への同時的取組みおよびその解決に成功するかどうかにかかっていると言えよう。

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.科学技術の発展と新たな平和問題の具体例

 すでに述べたところで明らかのように、新たな平和問題は、ひとり自然科学のみならず人文・社会科学を含むすべての科学の総合的課題であるが、本報告書では同問題を主として科学技術(自然科学)の発展との関連において検討する。新たな平和問題を具体的に指摘するために、「5 具体例の展開」で各論的に詳細に検討される事例をここでは総括しておきたい。とりあげられた事例は、市民生活において比較的に普遍性のある問題のなかから、選ばれた。

(1)地球温暖化・エネルギー問題
 大気中の二酸化炭素の濃度が増加しつつある。原因が立証されたわけではないが、化石燃料の燃焼量の増加によるものであることは、ほぼ間違いがない。立証を待つまでもなく化石燃料使用量の削減に取り組むべきであろう。ライフスタイルの転換によって削減する努力も重要であるが、現在、日本全体のエネルギー利用効率がわずか33%程度にとどまっており、残りの67%は発電所の温排水のように地球環境中に捨てられていることにもっと着目すべきである。発電した後の温排水を給湯や暖房に用いるような「システムエネルギー」技術を開発し、これを天然ガスや水素のような二酸化炭素排出の少ない燃料を用いて普及させることを中心に努力を積み重ねるならば解決できよう。

(2)核問題
 アメリカなどのいくつかの国は、核弾頭を装備した大量のミサイルを保有している。また、大量のプルトニウムの管理問題が起きている。今日では、核兵器そのものの行使は容易に行われないであろうと観測されているが、核問題をめぐって、新たな平和問題が起こっている。

 たとえば、@これは、厳密にいえば伝統的平和問題ともみられるが、コンピューターのプログラムミス、コンピューターの誤動操作によって、核戦争の危険性がないではない。そのことが人々の意識・精神生活に大きな不安をもたらす。この点は以下の問題にも妥当する。A大量の余剰プルトニウムの存在とその管理の問題がある。余剰プルトニウムによって核兵器の開発が容易となった。今後、局地紛争で核兵器の使用が行われないという保障はない。B核兵器の開発は、必ずしも国家プロジェクトのようなものを必要とせず民間の少人数のグループでも可能となった。今後、核兵器などを使ったテロリズムが起こらないという保障はない。C原子力発電の事故の危険性がなくなっていない。核廃棄物の処理には1,000年単位の管理が必要である。現段階では自然環境に影響を与えない確実な管理技術が確立していない。D核燃料サイクル、高速増殖炉については人工放射能の環境への拡散の危険性が今日なお存在する。

(3)食糧問題
 医療を含む科学技術の進歩発展は地球上の人口の急激な増加をもたらし、現在の58億人は2020年には80億人に達すると見込まれている。一方、農業人口は減少し続け先進地域では現在総人口の4〜5%程度であるが、今後も後継者不足からさらに減少することが予測される。こうした農業人口の減少にも拘わらず、食糧生産量はこれまで農業技術の進歩によって単位面積当たりの平均収量が増加し1990年頃まで増加してきた。しかし、1990年代に入ると、新たな農業技術の展開がないこと、土壌侵食、砂漠化、塩性化による耕地の荒廃や農薬・化学肥料による環境汚染の顕在化などによって世界の食糧生産量は頭打ちになり、今後も食糧増産は世界的に期待できない状態となってきている。このように、今後世界人口の一層の増大と食糧生産の世界的停滞が予測されることから、食糧問題は地球規模における新たな平和問題として真摯に考えねばならない課題となっている。

 また、日本の穀物自給率は30%以下で日本は食糧輪入国であるのに、アメリカは食糧輸出国であるといった事実が示すように、食糧生産量には地理的な不均衡があり、このことは現在58億人のうち、8億人が飢餓状態にあるといった食糧分配の不均衡を生むとともに、食糧問題が世界戦略の手段となりつつある。近未来的にはこうした食糧問題を世界戦略の手段とすることを禁止すること、長期的には将来の食糧の絶対最の不足に対し、現在の国家の枠を越えた地球を一体化した政治集団をつくり解決に当たることが、食糧問題に起因する新たな平和問題を未然に防ぐ方法であろう。

(4)水環境・湖沼流域問題
 水環境問題は先進国のみならず途上国でも深刻になりつつある。なかでも湖沼の富栄養化は、湖沼水中の窒素・リンの栄養物質の濃度の上昇によって生ずる。流域での工場開発、人口増、家畜の増大、農地での施肥量の増大などが窒素・リンの増大を招き、それらの一部が河川を経て湖沼へ流入し、濃度が上昇する。この水質汚濁は都市用水、工業用水、農業用水などの利水と漁業や自然環境に悪影響を与えている。そしてこの問題は海洋、さらに地球の環境汚染にも及んでいる。

 湖沼の水質改善のためには、汚水の処理だけではなくリサイクルや減量化が必要になっており、流域の全住民の合意と連携のもとにライフスタイルや産業構造の変革が実施されることが求められている。

(5)ゴミ廃棄物問題
 一般廃棄物と産業廃棄物の双方の処理が大きな問題となっている。不用意なゴミ廃棄物の焼却によって発ガン性の高いダイオキシンが発生する。また、ゴミ廃棄物の埋め立て地の確保が大きな社会的・政治的問題となっている。さらにその埋め立てについて新たな問題が起こりつつある。山間地の埋め立てについては土壌汚染、地下水汚染などの危険が指摘されている。海岸の埋め立てについては自然環境の汚染、海洋汚染、漁業権との抵触などの問題がある。

 ゴミ廃棄物問題は一般の市民が原因者であると同時に、その被害者であり、その解決には市民の協力と積極的参加が不可欠である。それを可能にするシステムの構築と情報の全面的な公開が望まれる。

(6)遺伝子問題
 地球上のほとんどすべての生物は同じDNAからなる遺伝子をもっていることが明らかになったことによって、遺伝子解析、遺伝子を人為的に扱う遺伝子組み替え、遺伝子診断、遺伝子治療といった新たな技術を生み、それらは人類に多くの利益をもたらした。しかし人為的に遺伝子を組み替えることにより、現在地球上に存在しない新たな組み替え生物を作り出すことが可能になったことは、地球生態系への影響、人類に対する安全性や倫理面での問題を生み、今後さまざまな新たな問題をもたらすであろうことが予想される。たとえばヒトを始めとする各種生物のさまざまな遺伝情報が特許の対象として扱われることは新たな争いの種となり、またヒトの遺伝情報について人々がそのような情報に接することが果たして人間の幸福・平和になるかは疑問であるという問題がある。

 現在、遺伝子に関わる科学技術の開発は、国家、企業或いは個人のエゴイズムによって、それが人間の尊厳を犯す、或いは自然環境へ多大な悪影響を与える危険性があるにも拘わらず、そのことを無視して推進されている。遺伝子に関わる科学技術の開発が今後正しい方向へ発展するためには、自然科学、社会科学、人文科学の国際的な科学者集団により、倫理面を含む幅広い話し合いを早急に始め、次いでそれを国際機関による話し合いに繋げ、何らかの法的規制を設ける方向へ進む必要があろう。

(7)内分泌撹乱物質(環境ホルモン)問題
 人類の生活を快適にする目的で創出された化学物質、たとえば重金属、農薬、工業生産化合物、医薬品などが、環境の中にあって動物、人間に摂取されたとき、内分泌ホルモン代謝に似た働きの内分泌撹乱物質(環境ホルモン)として働く場合があることが明らかとなってきている。これらの内分泌撹乱物質が近年特に注目される理由として、それがごく微量で、長期に蓄積して作用を現す可能性があること、しかも動物の種類による差が少ないといった点があげられる。内分泌撹乱物質の研究の難しさは、ピコグラム(1兆分の1グラム)量での研究となるため、その評価法等が未だ確立されていないことである。内分泌撹乱物質は、いまや生物の生命、人間の生命をもおびやかすに至っており、早急に評価法を確立する等、内分泌撹乱物質の研究を促進する必要があろう。

(8)コンピュータの発達に伴う情報化社会の問題
 コンピュータは現代の科学技術文明になくてはならない存在になっている。コンピュータを介して大量の情報を保存し、伝達することのできる情報化社会では、情報の洪水の中で真に重要な情報を取り出すことの困難さ、虚為の情報を見破ることの困難さが生じ、少数者による情報コントロールが起きかねない。さらにコンピュータネットワークを使った国境を越えた犯罪や、プライバシーの侵害なども生じる危険性がある。また、コンピュータの機能的な制限によりコンピュータ上で使用できない言語も多く、少数者の持つ文化が破壊される危険性も生じている。

 以上のように、コンピュータの発達に伴う情報化社会では人間の尊厳が害される危険性があり、新たな平和問題の視点から検討されるべき問題が存在する。

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.新たな平和問題に関する科学と科学者の社会的責任

 一般に科学技術(自然科学)の発達は人類社会にさまざまな利益をもたらした。しかし、先に例証的に指摘したように、それは同時に新たな平和問題を引き起こしており、科学と科学者のあり方に真摯な反省を迫っている。

 新たな平和問題を引き起こすことの理由の一つとして科学技術(自然科学)それ自体がどちらかといえば、いわば「独走」してきたとみざるを得ない側面は否定しえない。科学技術(自然科学)の発達がかえって、地球規模において人間の尊厳、私たちの生命の安全などを害しつつある。この事実は、厳に確認されなければならない。この事実をふまえて、これからの科学研究においては実社会で生起している深刻な諸問題を直視し、自然科学と人文・社会科学との協同を促進することが不可欠となろう。研究対象を諸科学の統合的(integrate)視点からとらえるいわゆる統合科学の方法の重要性が指摘されねばならない。これからは、科学と科学者は究極的には統合科学研究を志向することに恒常的に努力しなければ、その社会的責任を果たすことができないと言えよう。

 以上の基本的認識にたって、新たな平和問題について、科学と科学者の社会的責任を果たすためには、私たちは以下のことがらに留意すべきである。

(1)これからの研究において自然科学と人文・社会科学との協同が行われなければならないが、その際、科学者自身の側において自己の研究が新たな平和問題をもたらす危険性のあることを絶えず自覚し、反省して、研究することが大切である。そして、科学技術(自然科学)の発展それ自体が新たな平和問題の解決に貢献するものになるようにしなければならないであろう。そうしてこそ、私たちは、科学と科学者の社会的責任を果たすことができる。私たちは、子孫に対して「負の遺産」を残さない、後世に「持続するに値する社会」を建設することを使命とすべきである。

(2)これからは、繰り返し指摘することになるが、自然科学と人文・社会科学との協同による研究が行われなければ、科学と科学者はその社会的責任を果たすことができない。たとえば、@食糧問題については、今後も砂漠化等の耕地の荒廃、環境汚染などをもたらさない、新たな農業技術の開発のための努力をしなければならない。しかし、同時に食糧問題が世界戦略の手段となることを抑制することが大切であり、そのための国際機構の確立、地球レベルでの国際協定などの整備が検討されなければならない。同趣旨の人文・社会科学的配慮は、地球温暖化・エネルギー問題、核問題等にも妥当する。Aゴミ廃棄物問題については、不用意な焼却によってダイオキシンが発生しないように、私たちの生命の安全確保、環境汚染の防止などに配慮した科学技術(自然科学)の開発に努力しなければならない。しかし、同時に、たとえば廃棄物の埋め立てについては、その埋め立て地の選定および管理について住民参加、情報公開(自然科学的情報を含む)などに配慮する必要があろう。そして、ダイオキシンの取締りを含む体系的制度の確立が急がれねばならない。同趣旨の人文・社会科学的配慮は、水環境・湖沼流域問題にも妥当する。B遺伝子問題については、人間の尊厳に関する本質的問題が根底に存在し、倫理面を含む自然科学と人文・社会科学との協同による、あるべき基準の策定と国境を越えた地球レベルでの法的規制などの整備が不可欠である。同趣旨の人文・社会科学的配慮は、内分泌撹乱物質問題、コンピュータの発達に伴う情報化社会問題にも妥当する。

(3)新たな平和問題について科学と科学者の社会的責任は、ひとり自然科学についてのものではない。社会的責任は、人文・社会科学も共有しなければならないことを銘記することも大切である。新たな平和問題には、飢餓・貧困、社会的差別などとの闘いも含まれる。これらは、自然科学よりも人文・社会科学のあり方と深く関係している。また非衛生・健康破壊、地球環境破壊、人間破壊などの新たな平和問題も、自然科学の発達とその結果のみに帰するものとすることができない。科学技術(自然科学)の発展と適用は、結局は人間とその社会経済体制、あるいは政治体制に規定されている。人間と社会経済体制、あるいは政治体制のいかんは、人文・社会科学の固有の研究対象である。新たな平和問題の解決にあたって、このように私たちは、人文・社会科学側の社会的責任をも自覚し、反省しながら、研究を行うべきである。

(4)とりわけ、20世紀は科学技術(自然科学)が急速に発展した世紀であった。多くの人々は、それがもたらす「物質文明」に依存するライフスタイルを形成してきた。それがまた科学技術(自然科学)それ自体の発達を助成した。しかし、それが果たして人々を真に幸福にし、人々に真に平和を保障するかどうかが疑問となってきた。新たな平和問題がさまざまな分野で起こりつつある現実にかんがみて、人々のライフスタイルも多様化せざるをえない。

 人々の多くが科学技術(自然科学)がもたらす利便よりも「土に還る。自然に生きる」という価値観、人生観を重視するようになれば、人々は「物質文明」依存をさして望まなくなるようになることもありうる。このような価値観、人生観の変化の問題もこれからの科学研究において考慮することが大切である。「物質文明」依存よりも、よい意味で「精神文明」を重視するという人々の意識改革を行うことも人文・社会科学の課題とされなければならない。

(5)新たな平和問題の解決のために、人々による社会運動としての新たな平和運動の意義は大きい。この種の社会運動に科学的根拠を提示し、運動を科学者が支援することも、これからの科学と科学者の社会的責任である。運動の科学的根拠の提示には自然科学のみならず人文・社会科学の知見も含まれる。また、この種の運動の意義、新たな平和問題に関する科学情報等を社会に伝えるジャーナリズムの使命の重要性も指摘されなければならない。

(6)新たな平和問題の解決の一環として、教育のあり方も問わねばならない。研究者一人ひとりが、自然科学と人文・社会科学の双方への理解をもつことが望まれる。具体的に言えば、自然科学の専攻者自身が、同時に人間や社会についてあたたかい理解と配慮をもつことが大切である。一方、人文・社会科学の専攻者が、幅広く自然界、自然科学についての教養を身につけることが大切である。正しい意味でのプラクティカルなリベラル・アーツに配慮した大学等における教育のあり方が構築されるべきである。

 以上のことがらは、ひとり研究者のみならず、広く社会を構成する一般市民についても望まれる。一般市民も、新たな平和問題をもたらさない社会を形成するために、自然科学と人文・社会科学の双方への理解をもち、社会のあり方を監視(ウォッチング)することが期待されるからである。

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.具体例の展開

〔1〕地球温暖化・エネルギー問題

1 地球温暖化

 地球の常温は、太陽から入射してくる比較的波長の短い光(電磁波)エネルギーと、地球が自らの温度に対応して宇宙真空空間に放出する比較的波長の長い赤外線領域の光エネルギーとのバランスで決まる平衡温度(常温15℃)に保たれている。人間の活動に伴って、二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素、フロンなど、地球大気を構成する酸素、窒素よりも大きい分子が大気中に放出されると、波長の短い光はそのまま通過させるが、波長の長い光には分子が共振して自らのエネルギーとして貯えてしまう。つまり入射エネルギーは不変で、放出エネルギーの一部が大気中に留まり、バランスが崩れて地球の常温が上がってくると考えられている。地球の常温が上昇してゆく現象を「地球温暖化」と呼んでいるが、大気中に混入してちょうどビニールハウスのビニールのような働きをする気体を総称して「温室効果ガス」と呼ぶ。温室効果をもたらす各種ガスの寄与率は、二酸化炭素55%、メタン15%、亜酸化窒素6%、フロン等24%とされており二酸化炭素(炭酸ガス)の寄与率が最も大きい。

 石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料は炭化水素であり、これを燃やせば二酸化炭素と水蒸気が発生する。世界の化石燃料消費量の変化と大気中の二酸化炭素濃度の変化を対比してみると、特に第2次大戦以降の化石燃料消費量の急激な増加傾向と、二酸化炭素濃度の増加傾向とはよく対応しており、人間の経済活動に伴うエネルギー消費の増大が大気中二酸化炭素濃度の増大をもたらしていることは否定できそうにない。大気中の二酸化炭素濃度の測定は、1957年以降ハワイのマウナロアで長期にわたり継続的に測られているデータが有名であるが、1987年以降は日本の気象庁も計測を開始しており、両者の年平均値はよく一致し確実に増加している。

 このように、大気中二酸化炭素濃度が増加しつつあることは認めざるをえないが、その濃度の増加が地球上の気温の変化や、それに伴って引き起こされる局地的な気象の変化にどのような影響を及ぼすか、さまざまな試算がおこなわれているが、未だはっきりとは解っていないと言ったほうがよい。しかし、これらが明らかにされるまで待っていれば、手遅れになる可能性もある。人類の生存にかかわる大問題であるが故に、大気中の二酸化炭素濃度の増大と地球温暖化の相関があろうとなかろうと、二酸化炭素濃度の増大、すなわち化石燃料の消費は抑制すべきものであろう。

2 二酸化炭素排出削減のためのエネルギー技術

 1997年12月の京都会議(COP3)で、日本は2010年に二酸化炭素など6種類の温室効果ガスの合計排出量を1990年水準から6%削減するという公約を掲げた。日本の二酸化炭素排出総量は1997年度において炭素換算3.36億トンであり、1990年度の排出総量3.07億トンに対し既に約9.4%増となっている。このまま推移すれば、2010年には20%を超える増となることが予想されるので、差し引き27%削減程度を目標に置かねばならない。本気で取り組まない限り実現はおぼつかない数字である。

 目標を達成するためには、二酸化炭素排出の少ない燃料を用いて、熱力学の原理に基づいたエネルギー有効利用技術を導入する以外にありえない。基本は熱力学の第一法則と第二法則である。化石燃料や核燃料を燃やしてまず高温の熱を作りだし、これを熱機関に投入して動力を作る。その動力で発電機を駆動して電力を作り家庭や工場に送って照明や電波の電磁波エネルギーに変える。エネルギーはこのように形を変えてゆくが、その総量は常に一定に保たれておりエネルギーは不滅である。このエネルギー保存の原理が熱力学第一法則である。我々が車を動かしたり、テレビをつけて使ったエネルギーも、不滅であるから使われたあとは最後まで保存されていなければならない。エネルギーの最後の姿は再び熱であり、日本国中で使われたエネルギーの総量が最後に「常温の熱」となって環境中に雲散霧消する。このように熱は最初に生み出された高温から、常温へ向かって流れ降りて、自ら逆流、つまり低温から高温へ戻ることはない。覆水は盆に返らずである。この不可逆の原理を熱力学の第二法則と呼ぶ。熱が姿・形を変えながら高温から常温まで流れてくる間に、日本国全体で有効に使われたエネルギー量、つまり国全体のエネルギー利用効率は現在33%程度であり、残りの67%は発電所の温排水のように常温の熱となって地球環境の中に捨てられてしまう。情報化社会の進展と、快適な生活を求める冷房負荷の増大により、日本の電力需要は年々増加し、電力化率(発電のために投入される核燃料や化石燃料など1次エネルギー量と総エネルギー消費量との比率)は年々増大してゆく。その結果、発電に伴う温排水損失が日本全体のエネルギー損失の大きな部分を占めるようになり日本の国全体のエネルギー利用効率は年々悪化している。国民が真に必要としているエネルギー量は僅か33%であり、その3倍量の燃料を高い金を払って輸入し、火をつけて燃やしてしまい、発生させた熱量の2/3を温排水や排気熱として環境中に捨てているのが日本のエネルギー消費の実態である。捨てられている損失分を仮に半分にすることが出来れば、エネルギー保存則によりその分は最初から投入する必要がない。石油の輸入量は今の半分以下ですんでしまう。省エネルギーとは、このように技術によって67%の損失分を減らすことであり、国民が必要とする33%分のエネルギー量を、節約や我慢によって削減することではない筈である。ライフスタイルや価値観の転換によってエネルギーの総消費量を抑えることの重要性は言うまでもないが、エネルギー技術にたずさわる者は投入エネルギーの2/3を環境中に無駄に捨てている現実を直視し、その削減のための技術を開発し普及させる努力を怠ってはならない。以下に述べるように、そのような技術の開発の可能性はいくらでも存在する。

 “真の”省エネルギーを実現する技術は、第2法則の原理に基づいて、熱を高温から低温まで使い尽くす概念が基本である。川の流れに沿って山の奥の高度の高いところから順々に水力発電所を建設し、海面までの水の落差を使い尽くすことは誰でも知っている。熱の場合には落差に相当するのが温度差であり、海面に相当するのが地球の常温(15℃)である。燃料の燃焼によって発生する1,500℃以上の高温から常温までの熱の温度落差を使い尽くす発想がこれまで全くと言ってよいほど存在していなかった。ガス風呂、石油ストーブなど、火炎のところには1,500℃以上の熱が発生しているが、これを熱交換器で熱交換して46℃の風呂を沸かしたり25℃の暖房を行うことに疑問を呈する人はいなかった。このことが国全体の低いエネルギー利用効率33%の主たる原因だったのである。

 燃料に火をつけて1,500℃の熱を発生させたら、水力発電のように順々に使ってこなければならない。温度の高い熱でエンジンを駆動し動力を発生させ、その動力で発電機を回して電力を作り、温度を下げてエンジンから排出された熱を風呂や暖房に用いる。このように熱力学の原理に即したシステムを「コージェネレーション(熱電併給)」と呼んでいるが、熱の合理的な利用技術としてはこれ以外に考えにくい。各家庭でも台所や風呂場で燃料に火をつけるときには、必ずエンジンをまわし発電をしたあとで、エンジン冷却水や排気ガスの排熱で暖房や給湯を行う。このような原理を家庭に導入したくても、これまではハードウェアが入手できなかったが、最近になって都市ガス(天然ガス)を燃料とするピストンエンジンを用いた1.8kWのコージェネレーションユニットが開発された。またハイブリッド自動車用として2004年頃には個体高分子型燃料電池が実用化される見通しであるが、この燃料電池は発電時の排熱が80℃の温水で出てくるので、家庭用コージェネレーションユニットにも適している。燃料電池は熱機関ではないが、2000年初頭にも家電品なみの寸法と価格で家庭用コージェネレーションが普及する可能性が出てきた。

 コージェネレーションには、その原理からみて同族あるいは変形といえるシステムがいろいろある。高温ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせたコンバインドサイクルはその典型であるが、既存のボイラにガスタービンを組み合わせたリパワリング、ごみ発電にガスタービンを組み合わせたスーパーゴミ発電なども同じ原理である。原子力も300℃以下程度の蒸気しか用いていないがこれにもガスタービンを組み込むべきである。これらの技術はいずれも確立された既存の技術を、高温から常温までシステム的に組み合わせることによって高効率化を実現するもので、特に新たな技術開発を必要としない。削減された化石燃料量は二酸化炭素削減に直結するばかりでなく、未利用エネルギーを有効に活用することに通じ、いわゆる“創エネルギー”の一種であり、これらの技術を総称して「システムエネルギー」技術と呼ぶ。

 環境庁はCOP3に向けての準備として、あと10年ほどの間に実現可能な技術によってどこまで二酸化炭素の削減が見込めるかを具体的に試算した。その結果によれば、2010年における削減可能見込み総量は、個別の技術の普及率の見込みによって変わるが、普及率を極めて固く見積もった場合でも1990年レベルの20%程度の値が得られている。中でも発電システムの高効率化に直結する「システムエネルギー」技術の寄与率がその3割以上を占め大きな効果を持つ。この試算には原子炉リパワリングや家庭用コージェネレーションは含まれていないが、それらを含めると2010年における日本の二酸化炭素削減目標「27%削減」は“技術的には”実現可能と考えられ、あとは政策を含めて個別技術普及の意志と努力にかかっている。

3 天然ガスの重要性

 これらの高効率システムエネルギー技術を支える燃料は天然ガスが最も適していよう。化石燃料の中でメタンを主成分とする天然ガスは、もともと硫黄分を含んでいないから燃焼させてもSOxを発生しない。気体燃料であるから大量の空気と混ぜて希薄燃焼すればNOxの発生も少ない。二酸化炭素の生成は同じ発熱量に対して石炭の約半分、石油の約2/3である。つまり天然ガスは化石燃料の中で最もクリーンな燃料である。しかも天然ガスは広く世界中に分布しており、石油のように偏在していない。昨1998年9月に米国ヒューストンで開かれた世界エネルギー会議では、最近の探査・採掘技術の進歩により、従来は掘り出すことが不可能と考えられていたガスが掘り出し可能範囲に含まれるようになり、在来型天然ガスの可採年数は現在の世界の消費量の247年分、大深度ガスなど非在来型を含めると511年分という数字が認知され、従来の定説が覆された。非在来型にメタンハイドレートを含めれば推定11,000年分、世界の全化石燃料消費量の2,000年分の資源量という参考数値も紹介されている。

 そうなると、少なくとも21世紀の前半は天然ガスでつなぎ、後半の水素の時代につなげることになろう。いずれにしても21世紀は天然ガスや水素のような気体燃料の時代である。気体燃料の輸送にはパイプラインが必須である。シベリアに存在する膨大な天然ガスを開発して、モンゴル、中国、韓国、日本などを結ぶ長距離高圧パイプライン網によりアジアの隅々までこれを供給する。やがてシベリアの水力や風力で発電し水を電気分解して水素を作り、天然ガスに混合してこのパイプラインで送る。次第に水素の量を増して行き、やがて純水素を送る時代となる。それらを燃料としてシステムエネルギー技術を普及させれば、アジアの地域環境の改善と地球温暖化抑止に大きな貢献ができるだろう。

〔2〕核問題

1 はじめに

 核問題は二つに大別される。核兵器に関する問題と原子力の平和利用、特に原子力発電に関する問題である。核兵器の問題は大量殺戮兵器としての問題と放射能被爆の問題がある。前者は伝統的な平和問題、後者は新たな平和問題に属するが、原子力発電では事故による被爆の問題と原子力発電から生じる大量の核廃棄物の問題がある。この両者は簡単に区別することができないことは、1986年のチェリノブイリ原子力発電の事故によって明らかにされた。核兵器にせよ、原子力発電の事故にせよ、それによって大量の死傷者が出るだけでなく、放射能の被爆により長い時間をかけた影響を人体が受ける点に特徴がある。しかも、その影響に関しては科学的に十分に解明されるだけの時間が経過していない。

2 核兵器の問題

(1)現実
 原子核の分裂により大量のエネルギーを取りだす可能性が理論上わかったのは、原子の存在が明らかにされてから30年ほどのことである。このエネルギーはまず兵器として利用された。広島、長崎の悲劇を忘れてはならないが、それだけでなく、原子爆弾の開発の過程で多くの被爆者を生んだことも忘れてはならない。極めて強力な兵器が開発されたことにより、広島、長崎の悲劇を前にして兵器としての使用が簡単にできないようになっていった。このことは、核兵器の廃絶ではなく、核抑止力論による核兵器所有の正当化、核兵器開発の激化へと導いた。米ソを中心とする冷戦は核兵器の開発を加速させた。その結果、第一次戦略兵器削減条約(1990年調印)調印前、アメリカは核弾頭を装備した13,000発のミサイル、旧ソ連は10,900発のミサイルを持っていた。第一次戦略兵器削減条約が実現すればアメリカは8600発、旧ソ連6500発となる。これでも大量の核兵器が残っている。これをさらに半分に減らす、特にICBM(大陸間弾道弾)は全廃するのが次の削減目標となっている。なお、廃棄された核弾頭に搭載されていたプルトニウムの処分は重大な問題になっている。プルトニウムの管理は厳重に行う必要があるが、現実には旧ソ連内の経済混乱も手伝って、これらのプルトニウムが盗難にあい、テロリストに渡る危険性は無視できない。

(2)核戦争の危険
@全面核戦争
 核弾頭を備えたミサイルの発射を行えるのは特定の人物のみであり、実際に核に引き金を引くためには厳重なチェックがされているとの説明がなされているが、個人的なミスや、意図的に発射される危険性は残っている。いったんミサイルが発射されれば、核戦争を回避する手段はほとんど残されていない。さらに問題なのは、ミサイル発射を始めとしてすべての操作はコンピュータによって制御されており、コンピュータのプログラムミス、コンピュータの誤動作による(まれに起こる自然現象をミサイル攻撃と誤認する可能性も含めて)核戦争の危険性がある。

A局所紛争での核兵器の使用
 全面的な戦争は、あまりに強力な核兵器の存在によって表面上は回避されている面があるが、局地紛争は、冷戦の終結後減少するどころか増加傾向にある。局地紛争によって核兵器が使用されれば、全面核戦争へと移行する危険性が残っている。特に、後述するように、大量の余剰プルトニウムの存在により、核兵器を開発するのは極めて容易になっている。1998年のインド、パキスタンの原爆実験は世界から厳しい非難を招いたが、今後核兵器の保有を希望する国が増えてくる可能性はますます増大し、局地紛争に核兵器が使用される危険性は増大している。核爆弾を作りうる潜在能力と材料を持った国もまた、確実に増大している。核兵器の開発はインドとパキスタンの例のように核兵器開発の連鎖反応を産む。

B核テロリズムの脅威
 プルトニウムを使って容易に原爆を作ることができる。核兵器開発は国家プロジェクトである必要はなく、少人数のグループで可能になっている。今後の一番の問題は核や化学兵器等を使ったテロリズムの脅威である。

(3)まとめ
 紛争を力によって、特に戦争によって解決しようという姿勢がなくならない限り、核兵器が廃絶されても、現代の高度に発達した科学技術をもとに、化学兵器や生物兵器など形を変えた新しい大量殺戮兵器が開発されよう。『われわれは道徳性を、政治、科学、経済に先行するものとするすべを、いまだ知らないのである』というヴァツラフ・ハーヴェル(Vaclav Havel)チェコスロヴァキア大統領(当時)のアメリカ議会における演説が現在の問題点を端的に指摘している。

3 原子力の平和利用

(1)原子力発電
 巨大事故の危険性は1979年のスリーマイル島の事故、1986年のチェリノブイリ原子力発電の事故によって明らかにされた。事故は予測不可能な事態とともに、単純な人為的ミスから起こることが多く、原子力発電ではいったん事故が起こったとき、事態をコントロールするのはきわめて難しい。

 100%安全な技術は存在しない。巨大技術では事故の起こる確率が低いだけであり、いったん事故が起こったときには被害は甚大である。このことに関する情報開示が現状では不十分である。

(2)使用済み核燃料の問題
 核廃棄物の処理には、安全性を考慮にいれると高いコストがかかる。また、最終的な廃棄物の管理は1,000年のオーダーで必要である。例えば、平安時代の遺物を今なお厳重に管理しなければならない状況を想定してみると、核廃棄物の問題は現状では子孫に重大なつけを回していることが分かる。さらに、現状では、自然環境に影響を与えない確実な保管法は確立していない。

(3)プルトニウム
 原子炉で製造される純度が低いプルトニウムでも、7〜8キロあれば長崎級の原子爆弾が製造可能であり、プルトニウムは厳重に管理する必要がある。しかし、大量のプルトニウムを厳格に管理するのは難しく、原子爆弾を作るのに十分なプルトニウムが管理の誤差の範囲で生じる。現在では原子力発電所からつくられたプルトニウムは全世界で160トン(1996年末)貯蔵されており、また核兵器解体からは純度の高いプルトニウムが150トン生じることが予想されている。これらのプルトニウムをグラム単位で確実に保管するためには保管量を含めた情報公開が必要であるが、逆に情報公開は核ジャックの危険性をもたらすジレンマがある。

(4)核燃料サイクル・高速増殖炉の問題点
 技術的に困難な問題が現状では大きすぎ、実用化からはほど遠い研究段階に過ぎない。すでに、高額の資金が投入されているが、現実にはエネルギー問題の解決からはほど遠い。人工放射能の環境へ拡散の危険性を考えるとき、エネルギー問題の全面的な解決策としては現状では非現実的な選択である。将来の一つの選択肢として、時間をかけて基礎研究を行う必要がある。

(5)人工放射能の問題
 環境の中に人工放射能が拡散している。その人体への影響の調査は長い時間が必要であり、現時点では予測不可能である。拡散した人工放射能を集めることも、消減させることも現在の技術では不可能である。

(5)まとめ
 原子力の平和利用は現在の科学技術では不完全すぎ、さらなる基礎研究を重ねるべきである。核廃棄物の完全な処理方法が確立してはじめて実用化すべき技術であった。

 増大するエネルギー消費に関しては、熱効率のよいエネルギー発生源の開発とエネルギー効率のよい機器の開発と共に、エネルギー消費を低く抑えるためのライフスタイルの確立や環境教育の徹底も必要である。さらに長期的には家庭で必要とする小規模のエネルギーは、小規模な機構でまかなう方向へと転換すべきであろう。大事故の危険性をもつ大規模発電所の代りに、たとえば小規模な地域内発電システムを目指すべきであろう。また、放射性廃棄物に関しては発生量を低め、叡知を集めて処理方法への研究を加速すべきである。原子力の平和利用に関しては、技術の現状に関する情報の公開が必要とされる。夢と現実とを区別して議論する必要がある。

4 核問題の解決をめざして

 核問題は現代の政治、科学技術がかかえる問題点を浮き彫りにさせている。原子爆弾の開発さえ、ヒットラーに対抗するための手段として一部の科学者からは最初は「善」として捉えられた。中国の思想家章炳麟(1869−1936)は、ダーウィンの進化論を単純に社会に適用した「ダーヴィニズム的文明論」に対して、社会の発展に伴い「善」が増大すればそれと同じだけの「悪」も増大するとする「倶分進化論」を提唱して、「悪」の部分をコントロールすることの大切さを指摘した。これまでの科学技術の進展に関しては、「善」の部分のみが強調されがちであったが、核問題、特に核の平和利用に関しては負の部分に関する情報開示を徹底し、将来への負の遺産を少なくするために叡智を集める必要がある。

 また、自然界ではものを作る過程と分解する過程とがあり、一種の循環をなしているが、この循環を断ち切る形で現在の技術開発は進められている。核廃棄物の問題はこの事実を如実に示している。

 好奇心に基づく科学の研究と、快適性と利潤とを追及してきた技術は、上述のハーヴェルの言葉を待つまでもなく、「人倫の学」に基づく科学技術へと転換すべきである。

〔3〕食糧問題

1 はじめに

 医療を含む科学技術の進歩発展は、地球上の人口の急激な増加をもたらし、今後も増加すると予測されている。そのため将来、世界的な食糧不足とそれにより平和が脅かされるのではないのかとの恐れがある。そこで本項では、食糧問題の将来を食糧の需要供給などの面から展望し、平和との関わりを考えたい。

2 人口の推移と今後の見通し

 紀元0年の地球上の人口は1億5千万人、紀元1000年には約3億人と推計され、1000年かかって約倍増したと推定されている。その後もゆるやかな増加を続け、産業革命が始まった1760年代には約9億人となったが、産業革命以後人口は急激に増加し、産業革命から約200年後の1955年には27億人と3倍に増加した。そしてさらに現在は58億人と最近の約40年間で倍増した。今後も増加し続け、20年後の2020年には約80億人、50年後の2050年には約100億人に達するのではないかと推定されている。しかし、この今後の人口増加は主に発展途上地域で起こり、先進地域では頭打ちとなって、むしろ日本で問題となっているような少子化が問題になると考えられる。

 一方食糧生産を支える農業人口は、総人口に対する比率でみたとき、紀元0年頃は100%近くであったのが、特に先進地域では現在4〜5%まで落ち込んでしまっている。科学技術の進歩でこれまで農業人口が減っても農業生産はかえって増加し、食糧不足は特に問題にならなかった。しかし現在、日本ではすでに問題になっている農業後継者の不足は、今後農業人口はさらに減少させ、将来農業生産の減少につながる深刻な問題となる恐れが十分あろう。

3 食糧生産の推移と今後の見通し

(1)近年の食糧生産量の推移
 農学の分野では一般に食料は人間の口に入る物、食糧は穀物を指すので本項でもそのような使い方をする。近代の爆発的な人口の増加に対応して、世界の食糧生産は1960年代から目覚ましい発展をとげた。世界の食糧生産量は1950年頃数億トンであったのが、1970年には倍増して10億トンを超え、1980年代に入ると15億トンを超えるに至った。しかし1990年代になると完全な頭打ちとなり、このところ18億トン前後で推移している。この近年におけるこの食糧生産の急激な増加と、現在の頭打ちには以下述べる科学技術の発展に伴うさまざまな要因が関係している。

(2)食糧生産の発展をもたらした要因と農業技術の進歩
 一般に食糧生産量の増大は、耕地の拡大と単位面積当たりの収量の増加とによるが、耕地は1960年代からほとんど増加していないので、1960年代以降の食糧生産量の増加はもっぱら単位面積当たりの平均収量の増加によっている。すなわち、食糧の1961〜1965年平均収量を100とすると、1988年〜1990年平均収量の指数は先進地域で175、開発途上地域で約200と倍増した。

 こうした1960年以降の食糧生産の増加は農業技術の進歩によるところが大きい。すなわち、食糧の平均収量の増加を支えた技術として、多収性品種の開発、化学肥料の増投、農薬の多用、潅漑・排水等の生産基盤の整備等が挙げられる。たとえば多収品種のイネ、コムギの多収性品種の開発は国際研究機関で行われ、それらの生産量を飛躍的に増加させた。化学肥料を増投し農薬を多用する栽培法もまた食糧の収量の飛躍的増加をもたらした。しかし、その多用はやがて環境問題を引き起こすに至り、以下に述べる1980年代以降の食糧生産量の頭打ちの一因となった。

(3)現在の食糧生産の停滞の要因
 1980年代にはいると食糧生産量の増加にかげりが出はじめ、1990年代には完全な頭打ちとなったが、これは近代技術が経済的、立地的に技術受け入れ可能なところにほぼ普及したことと、新たな技術の展開がないことによっている。それと同時に、森林保護や水資源の枯渇により耕地の拡大が困難になったこと、土壌侵食、砂漠化、塩性化等による耕地の荒廃が起こってきていることも食糧生産の停滞の原因となっている。さらに食糧生産量の増加をもたらした化学肥料と農薬が環境汚染を引き起こし、人間に対する安全性も問題となってきたため、アメリカでの低投入持続型農法(LISA)や、日本での有機農法、減農薬或いは無農薬農法といった環境保全型農法が提唱され始めるようになった。これらの農法においては、化学肥料と農薬の使用が制限され、食糧生産量の停滞の一因となっている。

(4)食糧生産の今後の見通し
 以上述べたように、食糧生産量は1990年代に入って停滞し、農業技術の新たな発展がない限り、今後の食糧生産量の増加の見通しはたっていない。バイオテクノロジーは新たな農業技術として期待され、一部の作物の生産量を増加させる成果をあげているが、遺伝子組換え技術といった画期的な成果が予測されるバイオテクノロジーは多くの作物でまだまだ研究段階にあり、今後どのようになるか明確な予測は立っていないし、また、遺伝子導入により作出された組換え体植物は、生態系への影響や安全性の問題があってたとえ見通しが立ってもその利用は慎重であるべきであろう。

4 一人当たりの食糧消費量の推移と今後の見通し

 食糧需給には人口と食糧生産量だけではなく、一人当たりの食糧消費量が大きく影響する。日本国民一人当たりの平均総供給カロリーは30数年前は2500Kcal以下であったのに、1994年は2627Kcalと増加するとともに、摂取食料の内容も変化し、米が半分近く減少したのに比べ、畜産物が3倍以上、油脂類が2倍以上に増加した。ここで問題となるのが畜産物の摂取量の増加である。近年、家畜の飼料はトウモロコシ等の穀類が主となっているが、1Kgの牛、豚、鳥肉を生産するにはそれぞれ約8、5、3Kgの穀物が必要であることから、畜産物の消費が増加すると穀物の消費が著しく増加することになる。動物性食品供給熱量(Kcal/人/日)は、もともと肉食が盛んであったアメリカでは、現在と30数年前とはほとんど変わらず約1000Kcalであるのに比べ、前記したように日本では現在約600Kcalで30数年前の約3倍であり、さらに注目すべき点は中国における著しい増加である。30数年前の中国の動物性食品供給熱量は100Kcal以下であったのが、現在は日本と同様約600Kcalとなっている。中国の人口は世界人口の約1/4を占めており、穀物消費量の増加に与える影響は非常に大きい。この食肉消費量が増加する傾向は、発展途上国が先進国に近づくにつれて一般に見られる傾向で、穀物消費量の増加は今後も続くと予測される。

 食糧消費量の増加に食物の可食部分廃棄量の増加がある。1965年の供給量は2459Kcal、摂取量2184Kcalで廃棄量割合は12.6%であったのが、1993年には供給量2619Kcal、摂取量2034Kcalで廃棄量割合は28.8%と上昇している。摂取量が減少しているのに、供給量はかえって増加していて、これは生活が豊かになったためとも考えられるが、今後の食糧の需給を考えると、廃棄量割合の増加は好ましいことではない。

5 食糧生産と政治

 供給熱量自給率は国によって異なり、たとえばアメリカは100%を超えているが、ヨーロッパ諸国は70〜80%、日本は1965年に73%であったのが年の経過とともに次第に低下し1996年には42%以下となっている。さらに穀物の自給率でみてみると日本は1965年が62%、1996年29%とさらに低くなる。このように世界の食糧生産の国による片寄り、すなわち食糧の輸出国と輸入国の区別が明らかになってきている。これは農業技術の進歩により、農作物の機械化など大面積農業が可能になり、生産地による食糧の価格差が大きくなってきたこと、輸送力の向上で大量の食糧の輸送が容易になったこと等が原因と考えられる。このように食糧の輸出国と輸入国の区別が明らかになると、アメリカが行っているように、食糧輸出国は食糧の輸出を外交の取引に使用することになる。コメを除く食糧を大きく輸入に頼っている日本は外交上不利であることは否めない。その日本は余剰気味のコメについて生産調整をし水田の荒廃を招いているが、食糧自給率の低下との関係において今後もこのままでよいのか、日本の政治の責任は重い。いずれにしても食糧の自給率の国による格差の増大は、世界緊張を生む原因となっている。

6 食糧問題の将来展望

 以上述べたように人口の増加、食糧生産の停滞、食糧消費量の増加など、このままの状態が今後続けば将来食糧不足となることは明らかである。すなわち、人口の増加が頭打ちとなる先進地域では肉食の増加、食糧廃棄量割合の増加によって、発展途上地域では人口増によってそれぞれ食糧需要の増加が予測されるのに対し、食糧生産量の増加は今のところ期待がもてない。将来、世界的な食糧不足となると、現在でも58億人の内の8億人は飢餓状態にあるといわれている食糧分配の不均等がさらに進み、飢餓状態の人口が一層増加する恐れがある。一方、食糧輸出国は食糧輸入国に対して外交的圧力を一層強める可能性があり、これらのことは世界の平和にとって好ましいことではない。

 このような中で食糧問題に対し人類が今後取り得る方策は、環境問題を考慮しつつ食糧増産を図ること、生活スタイルを変え食糧消費量を押さえること、食糧を政治の道具とすることなくその分配をできるだけ公正とすること等であるが、このどれ一つをとってもその実行は至難な業である。しかし、科学技術の進歩が情報・交通を発展させ、現在、人間社会を超国家的な地球一体化の方向へと発展させているように、食糧の需給もまた現在の日本の自給率40%が象徴するように、地球一体化の方向へ進みつつあることは間違いない。したがって好むと好まざるとに拘わらず、将来の食糧問題は地球規模で考えて解決するしかなく、またそうしなければ世界の平和が乱される恐れがあろう。

7 将来への提言

 今後予想される世界における食糧の不足に対し、これを補うべき科学技術の発展の見通しは立っていないことを受けて、以下のことを提言したい。

 まず、近未来的には、食糧生産の地理的片寄りがさらに進むことにより食糧の輸出国と輸入国が明確に区別され、そのことによって食糧問題が世界戦略の手段に利用され、新たな平和問題の起こる危険性がある。これに対して、食糧は人類生存の基本であり、食糧を世界戦略に利用することは国際犯罪であるとの認識で食糧問題を世界戦略の手段とすることを禁止する国際的な協定を結ぶ必要があろう。次に今後予測される食糧の絶対量の不足に対して、現在の国際関係のままではその均等な分配は不可能であり、飢餓人口がますます増大する恐れが極めて大きい。将来の食糧問題の解決には、地球上の人類は一体であるとの認識に立って、国家の枠を越えた地球一体化の政治集団を作る方向へ進むことが必要であろう。

〔4〕水環境・湖沼流域問題

1 はじめに

 水質環境の中では湖沼水質がもっとも悪い状況にあり、それは湖沼流域での人間活動に主な原因がある。その水質保全のためには湖沼流域での「全住民の連携」という特別なキーワードが必要になってきている。

 わが国の河川、海域の水質環境基準の達成率は70−80%台であるが、湖沼の達成率は40%台と一段と低く、しかも最近はほとんど良くなっていない。湖沼については1984年に湖沼水質保全特別措置法が制定され、特別な対策がとられているが、わが国で1,2位の大きさをもち、かつ飲用水源上重要な琵琶湖、霞ヶ浦の水質もなかなか改善されない。また世界的にみても湖沼の水質汚濁は先進国のみならず途上国でも深刻になっており、都市用水、工業用水、農業用水などの利水と漁業や自然環境に悪影響を与えている。

2 汚濁の原因と対策

 湖沼の汚濁は主に植物プランクトンの異常増殖により起きるが、それは湖沼水中の窒素・リンの栄養物質の濃度の上昇によって生じる。流域での工場開発や人口増、家畜の増大、農地での施肥量の増大などが窒素・リンの増大を招き、それらの一部が河川を経て湖沼へ流入して濃度が上昇する。

 それを防ぐために、工場・事業場排水の規制が行われ、排水処理が行われている。生活系排水については下水道や浄化槽が整備されて処理が進んでいる。しかし下水道の整備には多額の予算を必要とすることからその普及率はまだ50%以下の所が多い。浄化槽の方も処理性能がまだ不十分である。したがって処理がされていても窒索・リンの流出量が0になるわけではない。過密な人口を有する地域では下水道普及率が100%になってもかなりの窒素・リンの量が環境へ流出する。

 窒素・リンの排出源は、工場、事業場、生活系、畜産系、水産系、農業系、森林など多種多様で、流域におけるさまざまな人間活動が窒素・リンを排出する。その結果、下水道や処理施設の整備による処理対策だけでは不十分となり、流域での総量規制が必要になっている。大量の排水をしてもある程度の処理をすれば、自然の浄化機能が働いて水質が保全されるという従来の考えは壁に突き当たったといえる。人間活動による排出が巨大になりすぎて自然の浄化能力の限界を超えてしまったのである。

 流域における窒素・リンのインプットを減らすことやリサイクルを考える時代になった。処理対策とともに発生源での減量対策やリサイクル、新規増の抑制、土地利用規制へと進まなければならない。また自然浄化機能の再評価とその活用、増進も必要になっている。

3 湖沼の流域管理

 湖沼流域における窒素・リンの動態や収支を総合的に把握しなければならない。対象は全ての発生源になる。工業、商業、農業、畜産業、水産業、のすべての産業と人間生活である。その排出処理と節減やリサイクルを図って湖沼への窒素・リンの流入を防ぐ必要がある。法規制や対策事業の実施だけでなく、人々の生活の仕方や産業のあり方も変革する必要がある。大量生産、大量廃棄から節減・リサイクルヘの転換である。さらに環境を損なわない産業と生活が求められる。持続的、環境保全的な産業と生活である。

 その実行には行政だけでなく住民、企業、あらゆる階層の人たちが理解し協力する必要がある。しかも流域全体だけでなく、地域別、または市町村別のきめ細かい計画と実行が必要である。住民協力が不可欠であり、各層の連携が必要である。そこが従来とは大きく異なる新しい点である。

4 共生と連携の時代へ

 ここで述べたのは湖沼流域での「水による一体化と連携」の問題である。湖沼の汚濁という問題において、流域のすべての住民が結ばれ、連携する事例である。そして湖沼水質が改善され、自然との共生が計られる。それは、湖沼領域というまだ比較的狭い領域の問題であるが、もっと広い海域、そして巨大な海洋でも共通する問題になりつつある。さらに「地球」でさえ深刻に汚染されており、地球人類全体の連帯と行動が必要になっている。地球温暖化の問題はその典型的な例であるが、それへの人類全体の連携はまだ弱く、他人事という感覚がある。もっと強く「地球の有限性」と「地球人類の一体化」を認識し行動する必要がある。湖沼流域で水質環境改善に成功するかどうかは、その大きな試金石となろう。

 湖沼の水質改善のためには汚水の処理だけでなくリサイクルや減量化が必要になっており、流域の全住民の合意と連携のもとにライフスタイルや産業構造の変革が実施されることが求められている。

〔5〕ゴミ廃棄物問題

1 はじめに

 ゴミ廃棄物の問題は一般の市民が原因者であると同時に、その被害者であるという問題であり、その解決には一般の市民の生活様式や生活への考え方が大きくかかわっている問題である。次のような論点が挙げられる。

 @ゴミ処理による、またはそれに伴う環境汚染、環境破壊の問題
 A処理の必要性を認めながらも処理の現場からは遠くにいたいと言う、二律背反の感情
 Bゴミ廃棄物の減少、資源保護につながるリサイクルの方法、リサイクルのシステムの確立の問題

2 現状

 ゴミ廃棄物は大きく一般廃棄物と産業廃棄物に分けられる。
一般廃棄物は主として家庭から出るゴミである。その概略は平成6年のデータに従って述べる。

(1)一般廃棄物
 年間約5000万t、1人1日当り1.1Kgとなる。そのうち3750万tすなわち約75%が直接焼却され、資源化されているものは約257万t/年(約5%)にすぎない。残りと焼却後の灰は埋め立てられる。その量は1414万t/年である。

(2)産業廃棄物
 年間約4億t。このうち汚泥18413万t、動物のふん尿7455万t、建設廃材6024万tなどが多く、汚泥は多くの水分を含むため1/5−1/6程度に減量出来る。また動物ふん尿は大部分が再利用されている。結局4億tのうち、水分などを除いて15600万t/年が再生利用され、8000万t/年が埋め立てられている。

 一般廃棄物と産業廃棄物とを合計すると毎年9400万tが埋め立てにより最終処分される。仮に廃棄物の比重を1として、20mの厚さで埋め立てるとすると、毎年4.7平方kmの土地が必要になる。これは中央区のほぼ半分ぐらいの大きさである。

 ゴミ廃棄物の総量は一般廃棄物、産業廃棄物とも最近はあまり増えていない。また資源化への努力により再生利用する量が増加している。一方、多くの問題点も指摘されている。

(3)焼却処分の問題点
 最近、最も大きな問題は焼却に伴うダイオキシンの発生である。ダイオキシンは生ゴミなどの有機物と塩素を含む物質を一緒に燃焼させたときに発生する有機塩素化合物で発がん性が高い。特に900度C以下の比較的低温で燃焼させたときに発生する。

 焼却炉においても炉内の温度が低いときに時発生するから、炉内温度を高温にしにくい小型の炉や、火を着けたり消したりすることの多い炉は、それだけ発生量が増える可能性がある。

 これに対し、
  @1日当りのゴミの量が少ない小さな自治体では、まわりの自治体と共同して大きな炉を作り、そこで焼却する
  A発熱量の多い廃棄物であるプラスチックス等をまぜて焼却する
  Bダイオキシンの排出の少ない新型の焼却炉を導入する

などの方法が考えられるが、@については他の自治体のゴミを持ち込むことに対する住民の反対が大きい、については従来の「出来るだけ再資源化する」という考え方に対立する、Bについては財政的問題、周囲の住民の賛成が得にくい、などの問題が指摘されている。

(4)埋め立て(最終処分)の問題点
 埋め立てによる最終処分場としては山間地、海岸近くの浅い海などが選ばれるが、山間地においては土壌や地下水の汚染の危険が指摘されている。海岸では自然環境の破壊、海洋汚染の危険、漁業権との抵触などの問題がある。

 特に豊島(香川県)のように処理業者が不法に長期間の大量の投棄を行い、住民に大きな迷惑と損失を与えた場合には、住民の合意を得て新たな最終処分場を見つけ出すのに多くの困難が伴う。

3 技術的課題

(1)基本的な考え方
 人工物を製造し使用する際、それを処理しあるいは再資源化するまでを考えたリサイクリングの考え方が多くの製品にとり入れられてきている。

 さらに積極的にインバース・マニュファクチャリング(IM、逆工場とも呼ばれる)と呼ばれる考え方も研究され実行され始めている。これは製造過程だけでなく使用、回収、再利用という人工物のライフサイクルすべてについて関係することがらを考慮し、自然環境への影響が最小になるように考えるものである。「ゼロエミッション」が最終の目的になる。このような考え方は資源保護の見地からも有効である。

 リサイクリングを考えた製品はビールビンがよく知られているが、最近では「レンズつきフィルム」やコピー機の部品などで取り入れられ実行されている。自動車、家電など多くの工業製品でも、その動きがある(俗に「使い捨てカメラ」と呼ばれているものが、再使用の先端的な製品であることは、ちょっと面白い)。

(2)廃棄物焼却炉
 家庭ゴミを中心とした一般廃棄物や、金属その他を回収したあとのプラスチックスやガラスなどを含むシュレッダーダストと呼ばれる産業廃棄物は主として焼却により体積を大巾に減らすことができる。

 現在多く使われている焼却炉としては
  @ストーカ式焼却炉
   ストーカ(火格子)上でゴミを燃やす形式
  A流動床炉式焼却炉

 高温の砂に空気を吹き込み浮遊状態の砂の中でゴミを燃やす形式などが多い。処理能力はその自治体のゴミの排出量によるが数百t/日のものが多い。また発熱を利用して発電や温水供給を行っている。さらに発電の効率をあげるために、ガスタービンと組み合わせた方式のものもある(スーパーゴミ発電とも呼ばれている)。

 焼却炉で問題となる点を列挙すると
  @ダイオキシン(低温で発生する)も窒素酸化物(NOX、高温で発生する)も発生しない燃焼方法、温度
  A飛灰、焼却灰の無害化
  B搬入も含め嗅気、騒音の減少
  C熱効率、発電効率の向上
  D用地、建設費、維持費の減少
などである。

 一方、最近開発された新形式の焼却炉として「ガス化溶融炉」があり、上記の問題点を解決できるものとして注目されている。これはほとんどの有機物が500度C以上の高温になると分解し、ガス化することを利用したもので、廃棄物自身の発熱により炉内の温度を1200度C以上にして、廃棄物を処理するものである。この方式は生ゴミからプラスチックスや金属まで事前に分別しないで処理することができるのが特徴である。

 ただ、廃棄物の発熱量が小さいと温度が上がらないため、分別しないでプラスチックスが混入したゴミの方が発熱量が大きく、燃焼に適したゴミとなり、「資源を出来るだけ再利用する」という考えに対して逆の方向が望ましいということになってしまう。

 勿論コークスなどの補助燃料を使うものは発熱量の少ないゴミだけでも処理出来る(この方式の炉はちょうど鉄をとかす溶鉱炉を思い浮かべると理解しやすい)。

(3)埋め立て
 山間地においては底に防水シートを敷き、また地下水を全量下流側で集めて水質のチェックと保全を行うことが考えられている。しかし、この方式でも、シート等の寿命やどれだけ長く水質を監視しなければならないのか、といった事柄に不明な点が多い。

4 問題点

 ゴミ廃棄物の問題は一般の住民にもっとも密接に関係のある問題である。住民は毎日ゴミを出すことによってその原因者となる。一方、多くの自治体で「その自治体で出したゴミはその自治体内で処理する」という方針をとっているため、住民の住居の近くに焼却炉や最終処分場がつくられる可能性も多い。多くの住民は、これらの施設の必要を認めながらも、近くに建設されることには反対である。

 ゴミ廃棄物は「負の価値をもった品物」であるため(品物をGoodsと呼ぶのに対してBadsと呼ぶ人もいる)、普通の経済原理が当てはまらず、問題が複雑になる。大型ゴミを出すことを有料にすると不法投棄が増加するのはその例である。

 また物質的に豊かを「快適な生活」はゴミ廃棄物の増加をもたらし、二律背反となることが多い。このことは大きく言えば人間の生き方の哲学に関する問題となる。いかにして精神的な満足感を得るか、また得られるか。これは、根源的な、またもっとも重要な問題であろう。

5 将来への提言

 ゴミ廃棄物問題で、常に問題となるのは住民の不同意である。これは単に「イヤ」だという感情から、「関係があるにもかかわらず「勝手に」決められてしまったという不満」、「現在および将来に対する『未知のもの』への不安」などさまざまである。これらの不満、不安に対し、次の2つの提案、

 @計画以前の段階から住民が参加し、計画や対策に実質的にコミット出来るようにすること
 Aすべての段階における情報の全面的公開

は有益であると考えられる。これは「住民の真の自治」をすすめる意味でも有効であろう。

〔6〕遺伝子問題

1 はじめに

 人類は地球上に存在する生物の中で最も進化しており、とくに大脳の発達は著しく記憶力、思考力、言語を持つ点で他の生物とは大きく異なっている。しかし生物学的には地球上のすべての生物が、核酸(DNA、RNA)及びタンパク質を基本として構成されている点では人類も他生物と何ら変わるところはない。そしてまた人類も親から子への遺伝子(DNA)による遺伝情報の伝達によって、自己複製を行う点でも他の生物と同じである。このように細菌から人類まで。地球上のすべての生物が同じDNAからなる遺伝子を持っている。このことが遺伝子を人為的に扱う遺伝子組換え技術の開発に繋がり、さらにこれによって人為的な組換え生物を作り出すことを可能にした。この遺伝子組換え技術は人類に多くの利益をもたらす反面、将来地球の生態系を乱し、安全面、倫理面での問題を生み、ひいては人類の平和を脅かす恐れがあるという危険性をも含んでいる。ここでは遺伝子の概要を紹介し遺伝子工学の現状とその将来の問題点を考える。

2 遺伝子

 ヒトからヒトが生まれ、しかも親と似た子供が生まれるという遺伝が、遺伝物質によって起こるという考えは、メンデルが発見した遺伝の法則によって初めて打ち出されたが、その後、モルガンが遺伝は細胞の核中の染色体上に直線的に並んでいる物質により起こることを明らかにし、遺伝子の概念が確立された。第2次大戦後分子生物学の目覚しい発展により、すべての生物の遺伝子の本体は核酸であり、一部のウイルスの遺伝子がRNA(リボ核酸)であることを除き、ほとんどの生物の遺伝子はDNA(デオキシリボ核酸)でることが明らかにされた。DNAの構造は図1に示したように、デオキシリボースという5炭糖とリン酸が交互につながって骨格を形成し、各5炭糖にプリン塩基のアデニン(A)、グアニン(G)とピリミジン塩基のシトシン(C)、チミン(t)の4種類の塩基のどれか一つがついて長く連なっている物質で、遺伝子となっているDNAの場合は、2本のDNAが螺旋状に絡み合って、いわゆる2本鎖のDNAとして存在している物質である。この4種類の塩基はいろいろな順番の並び方をしていて、遺伝子のよって異なるが大体1000を超す塩基の並びが一区切りとなり遺伝子として働いている。例えばヒトの染色体のDNAに含まれる塩基の数は30億であるが、その中の2〜3億の塩基によって約10万個の遺伝子を構成しているといわれている。

 ではそれぞれの遺伝子はどのようにしてその機能を発現して遺伝が起こっているのだろうか。生物が生きて行く上で、最も重要な物質はタンパク質で、生物の体の中には何万種類のタンパク質があって、生命活動を行っている。遺伝子はこのタンパク質を決める設計図として働いている。このように遺伝子の本体がDNAであること、それがタンパク質合成の設計図となっていることは動物、植物、微生物と地球上のすべての生物で共通であることが明らかになったことが、現在のバイオテクノロジーを生むきっかけとなった。

3 ゲノム解析

 生物が生存するために必要な遺伝子の一組をゲノムというが、ゲノムDNAの塩基配列を調べて遺伝子構造を明らかにし、それぞれの遺伝子が設計図となって発現した各タンパク質の機能、すなわち働きを明らかにすることをゲノム解析という。ゲノム解析は単にすべての塩基配列を解読することにあるのでなく、すべての遺伝子の調節の仕組みや個々の細胞における働きや細胞間の連携の仕組みなどその生物の生命の営みを解読することにあるといわれている。ヒトの遺伝子の数は約10万と推定されていて、1998年10月現在で分離同定されたヒトの遺伝子は約6000個といわれている。今後全世界でヒトのゲノム解析が進められ、2003年、或いはそれ以前にヒトの全ゲノムが解析されるであろうと予測されている。

 ヒトのゲノム解析が進むと、遺伝子病の情報等個人の遺伝子に関わる情報をどのよう扱うかが何れ大きな問題となってくると予想される。プライバシー、人稲、倫理といった面からみて、個人の遺伝子に関わる情搬をどのように扱うかは今後検討すべき大きな問題である。

4 遺伝子組換え技術

 遺伝子DNAの企容が明らかにされるにつれて、遺伝子診断、遺伝子治療、遺伝子組換え等の新しい技術が次々と開発されてきた。これらの中で将来最もその活用が期待されていると同時に、多くの問題を抱えているのが遺伝子組換え技術である。遺伝子組換え技術(DNA組換え技術)とは、ある生物の染色体から切り取った遺伝子を、別の生物の染色体中のDNAにつなぎ発現させる技術であるが、この技術は今や日常的な技術として多くの研究者により扱われていて、多くの遺伝子組換え生物が作出されている。例えば、ホタルの発光遺伝子であるルシフェラーゼ遺伝子を取り出し、これを植物のタバコに導入して葉が光るタバコが作出された。しかし、こうした遺伝子組換えには、多くの何段階かの技術が関与し、その一つ一つの技術に特許が申請されている。研究レベルでのこれらの技術の使用には問題はないが、いざ遺伝子組換え作物を作出して商品化しようとすると使用する技術の一つ一つに特許料を支払う必要があり、価格の面から簡単に商品化できないという問題がある。遺伝子組換えに関わる技術特許は、現在少数の企業に独占されており、この傾向は今後も続くと考えられ、将来特許が原因で多くの争いが生ずる恐れがある。

 植物は動物に比べ扱いが容易であることから、他の生物の遺伝子を導入した形質転換作物が次々と作られ、組換え農作物では食品としての安全性が確認された上で商品化されその販売が始まっている。こうした遺伝子組換え農作物の開発はアメリカの企業で先行して進められているが、日本で開発され商品化された遺伝子組換え農作物はまだない。アメリカで商品化された遺伝子組換え農作物を日本に輸入するにあたっては、厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会が安全性評価指針に沿って安全評価を行って輸入が許可されている。1997年までに輸入が許可された遺伝子組換え農作物はナタネ、トウモロコシ、ジャガイモ、ダイズ、ワタ、トマトの6種20品種である。これらは、除草剤耐性、害虫抵抗性、日持ち性向上の性質等を有するもので、これらのうち、ナタネ、トウモロコシ、ジャガイモ、ダイズは現在輸入されているが、実際どれだけの量が輸入されているかは把握されていない。

 遺伝子組換え農作物食品の人体への影響、地球生態系への影響に対しての不安から、遺伝子組換え作物であるとの表示を義務ずけるべきであるという意向はヨーロッパで強いが、アメリカでは表示の必要はないとしているため、アメリカから日本に輸入されている農作物はいずれも通常の農作物の集荷の段階で混じって両者を選別するのは不可能だといわれている。遺伝子組換え農作物の安全性が100%確認されていない以上、その表示は行うべきであろうと考えられる。

5 将来への提言

 遺伝子に関わる科学技術は今後も進歩発展を続け、その究極の姿を予測することは困難である。しかし、遺伝子に関わる科学技術は人類に多くの利益をもたらす反面、人間の尊厳を犯す、或いは自然環境へ多大の悪影響を与えるという危険性も極めて高い。しかも、遺伝子に関わる科学技術の開発に携わる国、企業或いは個人は、それぞれのエゴイズムによってそうした危険性を無視しており、危険性が増大しつつあるのが現実であり、遺伝子に関わる科学技術の開発の規制についての国際的な話し合いを早急に始める必要がある。その第一歩として、自然科学、社会科学、人文科学の国際的な科学者集団により、倫理面を含む幅広い立場から話し合いを始めること、ついでそれを国際機関による話し合いに繋げ、何らかの法的規制を設ける必要があろう。

図1 DNAの構造



〔7〕内分泌撹乱物質(環境ホルモン)問題

1 はじめに

 世の中は、あたかも環境ホルモンでパニックになりそうに思える。
1964年に出版されたレイチェル・カーソン著“沈黙の春”という本は、農薬の害が地球上の生物達に悲劇をもたらしたことを訴え、1996年シーマ・コルボーン等著の、“奪われし未来”という本は、更に、環境中に蓄積する農薬やダイオキシン類が生体内の内分泌環境を混乱させることを指摘している。人類の生活をより快適にするために、近代科学と技術はその進歩のなかに色々なものを創出してきたが、他面、環境を汚染し、破壊し、そこに生きる人類を含めた生命達をもおびやかすようになった。

 このように内分泌撹乱物質が注目される理由には多々ある。過去の環境汚染問題では、原因となる物質が、人の生体の中で、ミリグラム(1000分の1グラム)単位、マイクログラム(100万分の1グラム)単位であったものが、今度は、ピコグラム(1兆分の1グラム)の単位で起こり、調べられ、語られる所にある。環境の中の「がん」原因物質にも色々あり、人々に怖れを抱かせるが、内分泌撹乱物質と呼ばれる物質程微量でない。それに「がん」の原因物質は動物の種類毎の差が割合はっきりしていて、人の問題は特別のことと考えることもできた。ホルモン様作用をもつものは、環境の中にあって、微量で作用をあらわし、内分泌の変調をきたす。しかも長期に蓄積し、作用をあらわす可能性もある。それは動物の種類による差が少ない。

 内分泌撹乱物質は、環境の中にあって、動物、人間に摂取されると、内分泌ホルモン代謝に似た働きをして、本来のホルモンの働きを乱すものである。

 DDTは、P.H.ミュラー氏が作って、ノーベル賞に輝いた。しかし後に環境残留性が強く有害なものとして、生産・使用が禁止された。そして近年次第に明らかにされた野生動物体内にDDTが蓄積されて起こってきた異常は、脂肪にDDTが吸着残留し、特に神経系に慢性毒作用を示すことである。

 1世紀余りにわたって、化学物質は環境を汚染し、動物が食べること等で生体に入ると、色々な臓器に蓄積して、そこにおいて濃縮される。これを生物濃縮というが、このような現象によって、生物に影響を与えてきた(後述の3「内分泌撹乱物質の吸収排泄について」の項参照)。このように、ごく微量の化学物質が生体に蓄積して影響し、中には胎盤を通じて、次世代に影響がみられるようなものさえあり、困難な問題を提供するようになった。

2 主たる汚染物質

(1)環境を汚染する重金属は規制を受けているが、極微量における内分泌撹乱作用は再考の必要があろう。有機スズ、例えばトリブチルスズ、(C4H9)3SnC1等、は貝類のインポセックス(メスにペニスが生じる)の原因物質とされる。哺乳類では、有機スズの神経毒性がラットで確認されているが、発がん性はない。

(2)農薬は、その中で内分泌撹乱作用があるとみなされているものが多い[表 1]。

(3)工場生産化合物のうち
 @ハロゲン化合物として、多環炭化水素【1】に塩素、フッ素、臭素、ヨウ素が結合したものがある。このうち塩素の結合したものが広く生産され、今なおその3分の1は自然界に残留していると考えられている。これは、構造がエストロゲンと似ていて、エストロゲン作用をもち、雌では月経周期の延長、雄では低量で精子数が減る。精子形成阻害も報告されている。DDTもエストロゲン作用があるが、むしろ抗アントロゲン(男性ホルモン)作用が注目されている。

 A非ハロゲン化合物として、alkyphenol、とくにnonylphenolは溶剤として工業界で使われるnonylphenol ethoxylateの前駆体(もとの化合物)で、これは自然界で分解されてnonylphenolとなり、弱いがエストロゲン作用を示しており、それが内分泌撹乱物質と推定されている。また、それが魚や二枚貝に毒性をもつ。プラスチックの原料であるBisphenol A、界面活性剤【2】であるnonylphenol ethoxylateは生産量が多い。前者はエストロゲン受容体に結合してホルモン作用を示し、精子の生成、運動に関係するとされる。後者はエストロゲン作用は極めて弱い。

(4)意図的化合物【3】
 @ダイオキシン類。1975年頃までは除草剤に混入するダイオキシン類が環境汚染の大きな問題であった。しかしその後は、ゴミ焼却場から出されるダイオキシン類が環境汚染問題の中で注目されている。ドイツ、スウエーデンなどの排出量にくらべて、日本のそれは5000gと驚くほど多量である[表 2]。ダイオキシン類は脂溶性が高いので細胞膜を容易に通過すると考えられる。そして細胞内のダイオキシンに結びつく特殊な装置、Ah受容体(Arylhydrocarbon Receptor)に結合して核内に移行し、核内蛋白Arnt【4】と結合して遺伝子DNAに結合、それにつながるいくつかの遺伝子を活性化してさまざまな蛋白質を作り出す。その中でP450、CYP1A1という薬物代謝酵素を誘導し、ホルモンのバランスを崩すものと考えられている。

 Aポリスチレン。食品包装用として用いられ、カップ麺等使い捨てカップ、食品トレー等に広く用いられている。多量に摂取すると弱いエストロゲン作用を示すとされるが、日本では調査の対象とはされなかった。

(5)医薬品。Diethylstilbestrolはエストロゲン作用をもつ合成化学物質で妊娠に関係して広く用いられたが、後に妊娠中に母親が使用したことと、生まれた子供が若年の女性時に膣がんを発生することとの関係が明かになった。医薬品が、内分泌撹乱現象を起こしたものである。

3 内分泌撹乱物質の吸収排泄について

 ダイオキシン類は、大部分は汚染された食物と共に腸管から吸収される。大気が汚染していれば肺から血流に、また汚染した土壌で耕作をすれば皮膚を通して吸収され、肝に蓄積し、更に脂質と共に脂肪組織に移行し、そこに長く蓄積される。半減期【5】は長く、7年〜11年とされる。体内からは大便、母乳、皮脂腺分泌物に混在して排泄される。大便中のダイオキシン類はおそらく未吸収のものよりはコレステロールと共に胆汁に排泄されたものと思
われる。

4 ホルモン撹乱作用

 ホルモン受容体(ホルモンが細胞に結合する細胞の持つ構造物−英語ではhormone receptorという)に化学物質が結合することによって、正常なホルモンを細胞に縞合させにくくするものと思われる。その時は、受容体への結合によってホルモンの作用をあらわすので関連する遺伝子にまで作用を及ぼすときと、そのまま反応が停止してしまう場合がありうる。PCBやDDT、Nonylphenol,Bisphenol Aなどの化学物質のエストロゲン類似作用は前者の例であり、化学物質がエストロゲン受容体に結合することによって、エストロゲンと類似の反応がもたらされるものと考えられる。後者の例としては、DDTの代謝物、DDEやビンクロゾリン(農薬)等があり、これらはアンドロゲン受容体に結合し、アンドロゲン作用を阻止する。

5 おわりに

 さきに述べたように、発がん物質はミリグラム程度の曝露で起こってくる発症を牛物学者が追求してきたといえる。これらの微量の発がん物質が、繰り返し、長期に個体を襲い、感受性の高い臓器に発がんさせる。微量の物質が、複合的に汚染して発がんすることも少なくないと考えられる。例えば、喫煙と自動車の排気ガスの場合の重なり合いのようにである。

 内分泌撹乱物質にあっては、ピコグラム量を追うことになるので、研究、追求、複合的な汚染の解明は更に難しいことになる。

 内分泌という生体現象は、動物だけでなく、植物にも存する。植物における内分泌撹乱現象、植物ホルモンによる動物の撹乱現象も関心の対象となる。パルプ工場から排出される塩化リグニンは、植物の木質化にかかわるが、植物エストロゲンとしての可能性がある。

 当面、ピコグラムによってあらわれる現象を解明しなければならない。そのためには、まず、内分泌撹乱物質によると思われる諸現象を疫学的に追求し、確認することが大切である。そして、宿主の摂取をピコグラム単位で解析し真実に迫る必要がある。日本のダイオキシン排出量は1998年には5300gともいわれ、急増しており、緻密な研究を急ぐ必要があろう。

〔注〕
【1】多環炭化水素:炭素と水素でできているいわゆる環状“亀の子”の構造を複数含む化合物。
【2】界面活性剤:家庭用洗剤を含む洗剤、乳化剤、染色等工業目的を含め用途は広い。
【3】意図的化合物:目的をきめて作られた化合物。除草、食品包装等。
【4】Arnt:前出のAh受容体と共に働く蛋白質で、Ah receptor nuclear translocatorの頭の字を合わせた略語。Ahレセプターがダイオキシンをとらえて分解して行く時に核内で共に働く蛋白質のこと。
【5】半減期:物質が体内から代謝によって時間とともに少しづつ排泄されるときに、その量が測定を始めた量の半分にまで減る時間の長さをいう。

〔表1〕内分泌撹乱作用をもつ環境を汚染する化学物質

〔表2〕ダイオキシン類の排出量の目録(排出インベントリー)の概要


〔8〕コンピュータの発達に伴う情報化社会の問題

1 はじめに

 コンピュータは1940年代にはじめて登場した。今日では、社会生活、家庭生活の隅々にまでコンピュータは欠かせない存在になっており、コンピュータシステムの故障は、直ちに社会生活における大問題を引き起こすまでになっている。コンピュータの普及により、私たちの生活は豊かになり、快適になっていることは否めない事実である。この現実を後戻りさせたいと思う人は皆無であろう。しかしながら、今日の形のコンピュータが登場してから50年しか経っていないことを考えると、コンピュータの持つ社会的な意味を十分に理解しているとは言い難い面もある。特にコンピュータネットワークの発達は、誰もが大量の情報を手に入れることのできる可能性を開いたが、それに対して私たちがどう対処していくのか十分な議論はされていない。

 コンピュータの発達とコンピュータネットワークに基づく情報化社会に関してはバラ色の夢が語られることが多い。ここでは夢よりもコンピュータの発達がもたらす種々の問題点を論じる。

2 コンピュータの発達に伴う科学技術の進展

 コンピュータの発達は科学技術の分野に大きな変化をもたらしている。コンピュータの本来の機能は計算にあるが、コンピュータの進歩により大量の数値計算が短時間に行うことができるようになり、従来では不可能と思われた計算を行うことが可能になってきている。例えば、流体力学の分野では粘性をもった非圧縮性流体の中での運動を記述するNavier-Stokesの方程式の数値解法が可能になり、従来は人がかりな設備が必要とされた風洞実験が不要となり、コンピュータ上で飛行の解析ができるようになってきている。この例に見られるように、高価な実験施設を作る替わりに、コンピュータシュミレーションによって実験結果を予測することが可能になる分野が増えてきている。

 また、コンピュータは単に計算を大量に迅速に行うことができるだけでなく、大量のデータを蓄積して、それを短時間に取り出し、活用することを可能にした。さらに、コンピュータがネットワークにつながることによって、大量のデータを瞬時にやりとりすることが可能になり、科学研究のあり方も様変わりしている。今日の生命科学の急速な進展もコンピュータを抜きには語ることができない。

 さらに、産業界におけるロボットの活躍、ネットワークを使った在宅勤務など、産業を取り巻く環境も大きく変わりつつある。

3 コンピュータ社会・情報化社会が抱える種々の問題点

(1)コンピュータとコンピュータネットワークの持つ問題点
@ブラックボックス
 現在のコンピュータはすべてプログラムによって動いている。2000年問題に見られるように、プログラムの間違いや不完全なプログラムによって、さまざまな問題が全世界的規模で生じる危険性がある。特に、プログラムが大きく、複雑になるにつれて、完全なプログラムを作ることが難しくなってくる。コンピュータの使用者の多くが、自らプログラムをチェックすることは不可能になり、コンピュータが既にブラックボックスとなってしまっている。

 さらに、特定のプログラムが少数の会社や個人の手に握られ、自由な発達が阻害される危険性さえ生じている。

A各国間の普及度の格差
 コンピュータの普及、ネットワークの普及等のインフラストラクチャーの整備の程度の違いが持てる国と持たざる国との間におき、情報の収集等の面で大きな格差が出てきている。例えば、科学論文がプレプリントの段階でコンピュータネットワークに載ることが多くなってきているが、こうした最新の情報に簡単にアクセスすることのできない国の研究者は圧倒的に不利である。また、有料のデータベース、電子ジャーナル等にアクセスするための資金が十分でない研究者は不利な条件におかれることになる。

B使用文字種の問題
 コンピュータで使うことができる文字種は限られている。少数民族の使う文字などコンピュータに載せられていない文字を使う文化は、コンピュータの発達から取り残され、ひいては文化が消滅してしまう危険性がある。さらに、コンピュータで使用できる文字は世界的に十分に統一されておらず、日本語で書かれた我が国のホームページはフォントの関係で国外のコンピュータからは現在のところほとんど読むことができない。

 さらに、我が国のみならず、東アジアの問題として(台湾を除くと)過去に使われていた漢字が現在のほとんどコンピュータでは使用できない点も重大である。電子出版が普及するにつれてこの点は問題となろう。過去の文献をどのように取り扱うかということは文化の問題であり、このままでは過去の文化との関わりが希薄となりかねない。

Cコンピュータ信仰の問題
 コンピュータの出す答えは客観的であり正しいという、コンピュータ信仰は未だに根強いものがある。コンピュータが答えを出すためには、人間がプログラムを組む必要があることが忘れられていることが多い。また、環境問題などのコンピュータシュミレーションではどのような仮定の下でどのような情報を入れて答えを出したかが重要になるが、こうしたことを素人がチェックすることは不可能に近く、シュミレーションが正しいか否かの判定はできないのが現実である。こうした事実が悪用される危険化は常に残っている。

(2)情報化社会の問題点

@情報量の増大に伴う問題
 今日、インターネット上では実に多彩な情報が流されている。しかしながら、情報の質は千差万別であり、どのような基準で情報を選択してよいのか不明なことが多い。しかも、情報が多すぎる結果、情報を受け取る側が選択することが難しくなり、噂やマスコミ等の報道に基づいて、特定の情報だけが取り出され、従来よりも偏った情報のみが重要視されることが起こる危険性が常につきまとっている。

 特に、意図的に誤った情報が流されたとき、その正否を判定することは難しい。さらに、情報の洪水の中に、重要な情報を隠すことも可能であり、情報のコントロールを行うことも可能になりつつある。さらに、個人的にさまざまな情報を発信することが容易になってきているが、情報の洪水の中では、こうした情報をきちんと受け取ってもらえるという保証はない。有名な所、大きな所が発する情報が世界を支配する危険性がある。

Aスピードの問題
 わずか数秒間の違いを利用して巨額の利益を挙げることのあるヘッジファンドの活躍はコンピュータネットワーク時代の落とし子である。しかし、こうした活動は人間が本来持っている生活リズムからは大きくかけ離れている。しかし、大量の情報が瞬時に入ることは、情報を活用する側に時間的な余裕が十分になくなる危険性があることをも意味する。わずかな時間に重大な決定を少人数でしなければならないことが起こり、しかも判断ミスが全世界的に大きな影響を与えることが考えられる。こうした傾向は、国際政治の場で問題が起こる危険性を増大させており、世界平和の観点から重大な問題である。

B国境を越えたネットワーク問題
 国境を越えたネットワークとネットワークを使った犯罪コンピュータネットワークには国境がない。しかし、実際には各国ごとに通信回線を押さえることが可能であり、さらにネットワークの管理を通して、情報の収集、情報のコントロールを行うことが原理的には可能である。また、それぞれのネットワーク管理者にもそのようなことを行う可能性があり、さらにはネットワークに不正に進入してこうした情報を盗み出し、悪用する例も生じている。ネットワークを通じた犯罪は、従来の各国固有の法体系では十分に対処仕切れない部分が多く、国際法の整備が急務となっている。

Cプライバシーの保護
 すべての情報がコンピュータを使って保持されるようになると、個人情報も容易に入手することが原理的に可能になる。プライバシーの保護をどのように徹底させるかが重要な問題となる。特に、個人のプライバシーが不正に流出することがないように、十分な対策をとる必要がある。その一方で、間違った情報が個人のデータとして誤って書き込まれる危険性もある。自己の間違った情報をどのように知り訂正するか、基本的なルールの制定が必要となろう。

D情報発信機能
 (1)のBでも触れたが、コンピュータのシステムによってすべての国の情報を読むことが可能とは限らない。こうした点では、現行のネットワークシステムは不完全である。あらゆる言語とあらゆる文字が、どの国のコンピュータからも自由に読むことができるようになることが求められる。これはコンピュータ科学の進歩によって解決される問題であろう。

E異文化との出会いと異文化の共存
 世界史をひもとくと、文化、文明の飛躍的な進展は、異文化との出会いによることが大きいことが分かる。コンピュータネットワークの発達は、国境を越えた、文化の違いを越えた交流を可能にする一方で、コンピュータで使える文字、言語等の制限によって、地域文化を消滅させる危険性を秘めている。地域文化を振興し、その一方では他の文化の存在を認め交流することのできる、新しい世界観が必要とされよう。

F疑似体験の増加と人間関係の変化
 コンピュータのディスプレイ上では自由に自分の意見を言うことができるけれども、直接顔を合わせては言うことができない例が増えている。従来の意味での人間関係が希薄になってきている面が見受けられる。また、ディスプレイ上での情報での疑似体験があたかも本当の体験であるかのような錯覚を生むこともある。こうした点はこれから問題を生じさせる危険性があろう。

4 まとめ

 以上、多くの問題点を挙げてきたが、コンピュータと情報化社会の問題は、技術の進歩に人間が十分に対処できていないという側面だけでなく、逆にコンピュータ技術が不完全であるにもかかわらず、社会生活に不可欠なものとして存在している点にもある。こうした点は、コンピュータ科学の発達によって解決することを期待したい。

 こうした、種々の問題点があるにもかかわらず、コンピュータネットワークの発達は、世界人、地球人としての意識を皆に植え付けつつある。これは、世界倫理とも言うべきものを生み出す可能性があろう。

 また、最近のLinuxのように、ネットワークを通して、全世界から多くの人々が参加して、無償でプログラムを改良し、進展させる例が見られるようになっている。これは、コンピュータ技術を一部の人間の手にゆだねるのではなく、皆で全世界的規模で協力して発達させていくものとして、こうした動きを期待したい。こうした動きは、コンピュータ技術にとどまらず、様々な分野で意見の交換や共同作業の形をとって、今後大きな流れとなっていくことが期待される。世界平和を構築していく面でもこうした動きが、大切な役割を果たすようになってこよう。

 それとともに、情報の洪水の中で、自己の判断で情報を整理し、行動することのできる人間形成が、教育の中で重要な位置を占めるようになるであろう。さらにコンピュータネットワークを使用する上での国際的な倫理の確立や、プライバシーの保護など「人間の尊厳」を確保することが情報化社会では一段と重要となり、この点に関しても教育が大切な役割を果たす必要がある。


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〔付記〕

(1) 本報告書は、「戦争」(直接的暴力)という形をとらない「新たな問題」を主として科学技術(自然科学)の発展との関連において検討し、そこから科学と科学者は真摯に反省をすべきことを指摘するとともに、これからの科学のあり方などを総括することを目的としている。このような試みは、日本学術会議においてもはじめてのことである。

 本報告書で採用した「新たな平和問題」というコンセプトについては、種々のネーミングが国際的にも示されている。たとえば、「持続するに値する状況」(sustainability)、「安全」(security)、「世界安全」(global security)とかのネーミングがある。しかし、本報告書ではこの問題を「新たな平和問題」という視角から、とらえることとした。「新たな平和問題」を解決できないときは、それが「伝統的な平和問題」(戦争)につながりかねないからである。また、「伝統的な平和問題」と「新たな平和問題」とは密接な関係にあり、現代では世界的にも両者の区分、境界が曖昧となっているからである。私たちとしては、「新たな平和問題」という視角の問題提起のもつ核心性、革新性、衝撃性などを重視した。

(2) 本報告書については、たとえば、飢餓問題の解決にあたって、食糧を確保するために生態系を破壊してまで、科学が開発を行うべきなのかどうか、科学の限界といった問題をももっと深めるべきであるという批判が考えられる。これは、科学と自然との「共生」の問題である。こうした科学の限界の問題それ自体を本報告書では、「新たな平和問題」としてとらえ、「新たな平和問題」を起こさせないようにするために科学と科学者のあり方を検討することとした。しかし、指摘された問題は深くかつ広範囲であり、日本学術会議としてもひきつづき、こうした問題を深める必要がある。

(3) 本報告書では、「新たな平和問題」について「科学と科学者の社会的責任」をきびしく指摘している。この点について、「科学」自体が悪いのではなく、それを利用する人間、政治、経済などが問題なのではないか。その点が必ずしも明確になっていない、という批判が考えられる。確かに「科学」を利用する人間、政治、経済などに問題がある。人間、政治、経済などの問題は、人文・社会科学の範疇である。この点については、本報告書では問題を鋭角的に受けとめ、自然科学と人文・社会科学との協同を求める統合科学研究の必要性を具体的に指摘しているところである。

(4) 以上、若干の指摘を行ったが、いずれも重大な本質的問題を含んでおり、私たちとしては、日本学術会議がひきつづき、「新たな平和問題」を含む平和問題について真摯な検討を続けられるであろうことを期待している。

別表1 平和問題に関して日本学術会議が行った勧告・声明等一覧

別表2 (1)「具体例の展開」に関連して日本学術会議が行った勧告・声明等一覧
    (2)「具体例の展開」に関連して日本学術会議が行った対外報告書一覧

別表3 第17期本委員会でのヒヤリングー覧


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